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2014年3月23日 (日)

フランツ・カフカ「カフカ・セレクションⅠ 時空/認知」ちくま文庫 平野嘉彦編訳

あらゆる発見というもとは、すぐさま学問の全体性のなかへと組みこまれて、それとともに、いわゆる発見であることをやめてしまいます。
  ――村の学校教師

【どんな本?】

 1883年にオーストリア=ハンガリー帝国内のチェコのプラハに生まれたユダヤ系のドイツ語作家フランツ・カフカ(→Wikipedia)の、中編・短編を集めた三部作の第一巻。完成した小説ばかりでなく、未完の作品やタイトルのついていない断片までも集めた、マニアやコレクター向けの濃いセレクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年7月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約322頁+あとがき12頁。9ポイント37字×16行×322頁=約190,624字、400字詰め原稿用紙で約477枚。長編小説なら標準的な長さ。

 文章そのものは比較的にこなれている。が、問題は内容。舞台が突然に変わるし、一人称の「信用できない語り手」を頻繁に使うなど、カフカの芸風自体が意図的に読者を混乱させる手法を多用している上に、この本では未完成の作品や断片までも収録しており、また<一ページ分欠落>など原稿が欠落している所もある。相応の覚悟をして臨もう。

【収録作は?】

〔それは、どの地域にあるのだろうか〕/隣り村/〔遠くに町がみえる〕/〔立ち去る、立ち去るのだ〕/〔ここから立ち去る、とにかくここから立ち去るのだ!〕/路地の窓/〔三軒の家が互いに接していて〕/ある注釈/〔「この道でいいのかね?と、私は」〕/〔私は、馬を厩から引いてくるように命じた〕/山中への遠足/〔おそらく私は、もっと早くから〕/〔「おれは舵手ではないのか?」と、私は叫んだ〕/走り過ぎてゆく人たち/突然の散歩/〔ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって〕/〔私たちは二人して、滑りやすい地面の上を〕/〔街中で、たえまなく工事が行なわれている〕/〔バベルの塔の建設にあたっては、当初は〕/〔数人の人たちがやってきて〕/〔隊商宿では、およそ眠ることなど〕/〔朝は早くから日暮れまで〕/〔モンデリー弁護士の突然の死に関して〕/掟の問題について/〔私に弁護人がいたのかどうか、それはきわめて不確かなことだった〕/〔しばしば必要になる部隊の徴募〕/〔われわれの小さな町は、およそ国境沿いにあるとは〕/村医者/村での誘惑/カルダ鉄道の思い出/万里の長城が築かれたとき/村の学校教師/〔エードゥアルト・ラバーンは、廊下を抜けて〕/あるたたかいの記
 あとがき

 〔 と 〕 で囲った作品はタイトルがついていないので、出だしの数語で代用したもの。

【感想は?】

 うう、わからん。

 というと情けないが、ことカフカに関しては、堂々と「わからない」と言えるからスッキリする。

 先にも書いたが、特にこのセレクションは、未完成作品や断片まで収録しているので、更に「わけわからなさ」がアップしている。

 「わけわからなさ」のハイライトは、最後の「あるたたかいの記」。たぶんこれは完成した作品なんだろうけど、ナニがナンやら。完成した作品でこれなら、未完だろうが断片だろうが、大して違いないような気がする。ちょっとお話をまとめてみると…

 夜会が終わるころ、テーブルに座っている私に、知り合ったばかりの男が話しかけてくる。「今までずっと、可愛い娘と隣の部屋にいまして云々」少しムカッとした私は、大声で答える。「この時刻にラウレンツィ山に登ろうなんて、酔狂ですね、いいでしょう、ご一緒しましょう」

 そして出かけた二人は川辺を歩くが…。この後、「私」は転んで膝を汚したり男に騎乗したり大男四人が担ぐ輿にに乗った劇太り男から話を聞いたり…って、意味わかんないよね。読んでる私もわかりません、はい。そもそもタイトルからして、戦争か決闘の話かと思ったら、特にそういう事もないみたいだし。

 この「わけわからなさ」、SF周辺の何人かの作家に感じるものと近い。ちょっと検索したら山尾悠子が出てきて、なんか納得したり。キャロル・エムシュウィラーもそうだし、ケリー・リンクにも共通する何かを感じる。円城塔もそうだけど、最も感覚的に近いのは、吾妻ひでお。あのぐにゃぐにゃした線の境界が判然としない世界は、見事にカフカの作品を可視化してると思う。

 こういう「わけわからなさ」は、やもすると腹がたつ。そこを、うまいこと読者をカフカの世界に導いているのが、この本の編集の妙。未完や断片問わずにかき集め、短いテキストを前に、長いテキストを後ろに置くことで、少しづつ読者に「わけわかんなくてもいいんですよ、それがカフカなんだから」と悟らせる構成になっている。

 そのくせ、わけわかんないながらも、油断してると、一応の論理が通ってる所もあって、ハッとしたり。

 例えば「走り過ぎてゆく人たち」。たった18行の掌編だ。夜中の散歩中、男を別の男が追いかけているのを見かける。そこから、「追いかけっこを楽しんでいるのでは?」「二人の男は別の男を追いかけているのでは?」「追いかけているように見えるだけで、実は見ず知らずなのでは?」などと、ありえる可能性を次々と挙げてゆく。

 うん、まあ、理屈は通ってるけど、つまりは巻き込まれるのが面倒くさいだけじゃね?

 〔ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって〕も、奇想にのけぞる掌編。ギリシャ神話の海の神ポセイドンといえば、三叉の矛を持つ荒々しい姿を連想するが、出だしから…

 ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって、計算に従事していた。全海洋の管理は、彼にもうはてしのない仕事を課するのだった。

 なんで海の神が計算なんかしなきゃいかんのか、全くわからないけど、その姿を想像するだけで、なんかおかしくなってくる。管理職ってのも、辛いねえ。

 わけわからないながらも、なんとなく好きな傾向はあって。私は、街や建設に関わる作品が気に入った。〔街中で、たえまなく工事が行なわれている〕、〔バベルの塔の建設にあたっては、当初は〕、〔われわれの小さな町は、およそ国境沿いにあるとは〕、そして「万里の長城が築かれたとき」が、印象に残る。

 とっつきにくく、わけがわからないカフカだが、未完成作品や断片を交え、短い順に並べて「わからなくていいんだよ」と諭してくれる、編集巧みさが光るセレクションだった。

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