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2014年3月の18件の記事

2014年3月30日 (日)

SFマガジン2014年5月号

「刑は執行されたんだ」きっぱりと、タクミは言う。「死刑囚の刑が執行されたということは、囚人は死亡している。わたしはではだれでしょう、そう警察に電話しろと、あんたは言っているわけだが、そんな話を相手がまともに受け取るわけがない」
  ――神林長平「絞首台の黙示録」

 280頁の標準サイズ。

 特集は「非英語圏SF特集」。小説三本に加え「非英語圏SFブックガイド」として日本語で読める非英語圏のSF小説14本を紹介。小説はフランスのロラン・ジュヌフォール「パッチワーク」稲松三千野訳,中国のスタンリー・チェン(チェン・チュウファン)「鼠年」中原尚哉訳,インドのヴァンダナ・シン「異星の言葉による省察」鈴木潤訳。

 小説は他に連載が四本、夢枕獏「小角の城」,梶尾真治の恩讐星域「大破砕」,神林長平「絞首台の黙示録」,円上塔「エピローグ」に加え、小田雅久仁の読みきり「廃り」。どうでもいいが日本語のSFも非英語圏だよね。

 ロラン・ジュヌフォール「パッチワーク」。シリーズ<オマル>の一編。このシリーズの舞台は惑星オマル。「平らな世界とも思えるほどに巨大で、(略)太陽はつねに天頂から動かない」って、そりゃラリイ・ニーヴンの…。まあいい。

 ヒト族・ホドキン族・シレ族の三種の知的生物が住む世界。種族間の諍いは絶えないが、共生を望む者もいる。三種族の棲域が交わるセルム高原地方のロプラットは、三種族都市として三つの種族が三つの地区に分かれて住んでいる。
 法医学者として死体解剖に携わるホドキン族のシズニー・オクテダ・シェンド医師のもとに、ヒト族の死体が持ち込まれる。持ち込んだのは顔なじみ、ヒト族のムスラーフ・ポガビ刑事。ホトケは三十歳の健康な男性、所見は心臓発作だが、シズニーは気づく。「脇腹の、この古い切り傷……・これは何だ?」

 この作品に出てくるのはヒト族とホドキン族。主人公のシズニーが、ホドキン族の中でも変わり者、という凝った位置づけ。「ホドキン族の目には中間色である、ごく薄い赤色の」なんて記述が、いかにもなエイリアンの感覚を伝えてくる。たぶん錐体細胞(→Wikipedia)が反応する波長が違うんでしょう。そうなったのは連中の母星の恒星のスペクトル分布が…まあいい。ヒト族代表のムスラーフ刑事が、口は悪いけど悪気のない俗物で、オタク気質のシズニーといいコンビになってる。

 作品云々の他に、フランスのSFを翻訳する人が出てきたのが嬉しい。フィリップ・キュルヴァルの「愛しき人類」は面白かったなあ。

 スタンリー・チェン(チェン・チュウファン)「鼠年」。大学を卒業したって、就職先がない。だから僕と小豆は鼠駆除隊に入った。序隊後の就職が保障されてるし。鼠ったって、タダの鼠じゃない。遺伝子改造で作られたネオラットで、図体が大きく普通の毒物は効かない。外貨を稼ぐため輸出用に作ったんだ。だが小豆は死んだ。

 中国語→英語→日本語の重訳だが、かなり訳文は自然。SF短編小説としても綺麗にまとまっていて、充分に日本やアメリカと同じ水準で張り合えるレベルだと思う。ラストは映画プラトーンを連想する。それ以上に、現代中国の風が伝わってきて、興味深く読めた。

 高学歴者の就職難や、政府のお題目を繰り返す小豆、そしてコネありの小夏に群がる野郎どもとかの、中国の若者事情が楽しい。また、「逃亡を防ぐために、鼠駆除隊の学生はかならず出身地から遠い地方に派遣されている」なんて記述は、人民解放軍の人事政策をうかがわせると同時に、この記述が検閲にひっかからない事に驚く。他にも軍や党を揶揄したと思える部分があって、中国の変化を感じさせる。

 ヴァンダナ・シン「異星の言葉による省察」。夕方、老いたビルハ婆さんは玄関の階段に腰掛け、犬の首に手を置き、回想にふける。若かった頃。エイリアンの巨大な要塞にの、隠された入り口は、彼女に反応したかのように開いた。そこにいたのは、行方不明になった兵士と、巨大な機械。

 7年に一度しか太陽が沈まない世界を舞台に、不思議な物語が展開する。宇宙船やエイリアンの機械などの言葉遣いはSFっぽいけど、お話の流れは、むしろファンタジイの感触が強い。

 梶尾真治の恩讐星域「大破砕」。ノアズ・アーク号が、分解しはじめた。オクラホマⅣとⅤの中間部分が大破砕をおこしたのだ。若いカンジ・ナシムラは、付き合い始めたスーザン・ペイジを心配していた。N-ホーンも繋がらない。確かオクラホマⅠで、老人たちのケアサービスの仕事に就いてるはずだが…

 終盤に向け盛り上がってきた恩讐星域、今回はノアズ・アーク絶体絶命の危機。ニュー・エデンにたどり着いたはいいが、現地の状況は不明のまま。シャトルによる移送計画は進まないのに、拠点となるノアズ・アークは崩壊を始める。カール・モーリー・ライリーの三人とティルダは、「ヴェールマンの末裔たち」の三人+1を思わせる。職人だなあ。

 神林長平「絞首台の黙示録」。実家に父はいなかった。来たのは、タクミと名乗る男。死刑囚だと言う。だが、脱獄はしていない、と。何を言ってるんだ。おれを脅しているのか。だが、その割に、この家の中をよく知っている。台所に立って、迷いもなく茶を入れる。食器や茶のありかを知っているんだ。何者なんだ、こいつは。

 読者にはタクミの正体がわかるんで、彼が誠実に語っているのがわかる。が、やっぱり勘ぐるよね、普通。おまけに「死刑囚だ」なんて言われたら、「ビビらせようって魂胆か?」と考えても仕方がない。などと変に気を回す語り手が、おかしいやらじれったいやら。

 円上塔「エピローグ<1>」。フィールドは、廃墟となった住宅地だ。朝戸連(アサト・レン)は、侵略者OTC(オーバー・チューリング・クリーチャ)の構成物質を手に入れるため、アラクネと共に任務についた。アラクネは中隊から貸与された備品だ。スマート・マテリアルで構成され…

 わけわからん芸風の円上塔、これもやっぱりわけわからない。人類から見たらOTCは侵略者だが、OTCか何を考え何をやっているのかは、全く見当もつかない。そもそも舞台が現実世界じゃないし。じゃ電脳世界かというと、それほど単純な話でもない。宇宙解像度とか、宇宙そのものの構造が変わっちゃってるらしいが…

 小田雅久仁「廃り」。久保家の者は、叔父の隆志の話をしたがらない。隆志は母の三つ下の弟だ。生前、母は小説を書いていた。その一つは「廃り」と題されている。私はその「廃り」を祖母から渡され、15の時に初めて読んだ。私にはわかった。これは母・結香と、叔父・隆志の物語だと。

 ヒトと同じ姿かたちをしていながら、色を持たず灰色の「廃り」。人は「廃り」を無視して生活している。「廃り」が始めて登場する場面は生々しくて、何か社会風刺を含んでいるのかな、と思ったんだが、判然としない。中盤から終盤に向かうにつれ、次第に幻想色が濃くなってゆくんで、考えすぎかも。先の「パッチワーク」もあって、「そもそも色とは…」などと野暮な事を考え始めると、余計わからなくなる。

 飯田一史「エンタメSF・ファンタジイの構造」第2回。「楽」と「哀」を満たすSF(?)作品――有川浩『図書館戦争』。ベストセラーになった「図書館戦争」を分析して、売れる作品のコツを洗い出してゆく。「売れる作品」として見ると、「図書館戦争」は学ぶ所が山ほどあって、どっから手をつけていいかわからん程。導入部は衝撃的で読者を一気に引きずりこむし、ギャグは冴えてるし、会話も勢いがあるし、文章も読みやすいんだけど、今回は小説全体の構造の話。政治的に鬱陶しい議論になりがちな作品だけに、飯田氏も苦労している模様。

 池澤春菜「SFのSは、ステキのS」、「明日は見えねど高楊枝」。今回はなんと守護霊の話。この人、本当に本業は役者なのかしらん。会話の文章、テンポよすぎ。いや笑った笑った。えっと、当然、守護霊だから、お風呂の時も…いえ、なんでもないです。つか日本語通じるんだろうか。

 タニグチリウイチのブックレビュウ、気になるのが片理誠の「ガリレイドンナ 月光の女神たち」。あの芸風であの作品をノベライズとなると、当然、私が大好きな王道の冒険SFに仕上がってるに違いない。

 って、次号も片理誠が載るのか。これは期待。

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2014年3月27日 (木)

アブラハム・アダン「砂漠の戦車戦 第4次中東戦争 上・下」原書房 滝川義人・神谷壽浩訳

運河まで約1500mの地点に近づいた時、突如として対戦車ミサイルRPGの攻撃を受けた。PRGにまじって機関銃が猛烈に撃ってくる。ヤグリ大隊は敵歩兵陣地にまともにぶつかったのである。ほぼ時を同じくして、運河両岸のサンドバリヤーと土塁による敵戦車数十輌がいっせいに発砲した。サガーミサイルも飛んでくる。戦場は一瞬にして修羅場と化し、味方戦車が次々と被弾し、炎上する戦車から飛び降りる搭乗兵の姿が見えた。

【どんな本?】

 1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルに奇襲をかける。第四次中東戦争(→Wikipedia)だ。充分に準備を整えた大軍を擁するアラブ側に対し、完全に虚を突かれたイスラエル軍は小数の兵で広い戦線を支える羽目になる。

 エジプト軍と対峙するシナイ半島では、防空体制の整ったエジプト軍にイスラエル空軍は苦戦する。戦場が交通網の貧弱な砂漠でもあり、不整地走行能力を持つ戦車が戦闘の主力となった。戦場に駆けつけた戦車は、エジプト軍が仕掛けた地雷に頓挫し、または歩兵の持つサガーやRPGなど対戦車ミサイルの餌食となってゆく。

 当時、南部(シナイ半島)軍管区における3師団の一つを率いたアブラハム・アダンが、自らの経験を元に、戦後に集めた資料を加え描き出す、第四次中東戦争のシナイ半島方面のドキュメントである。また、シナイ半島の先頭は、第二次世界大戦以降の最大の戦車戦であり、戦場における戦車の役割や位置づけを大きく変えた戦闘の記録でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ON THE BANKS OF THE SUEZ - An Israeli General's Personal Account Of The Yom Kippur War, by Avraham (Bren) Adan, 1979。日本語版は1984年に原書房から一度出ているが、私が読んだのは1991年2月14日の新装第1刷。単行本ハードカバーで縦一段組み、上下巻で約254頁+約278頁=約532頁。9.5ポイント45字×18行×(254頁+278頁)=約430,920字、400字詰め原稿用紙で約1074枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、内要はかなり敷居が高い。当事者が書いただけあって迫力は充分なのだが、なにせ専門家が書いた本である。基礎的なことは「それぐらい常識だよね」的な姿勢で、あっさり省いてある。当事の国際情勢などの背景事情や、戦争に至る歴史の流れなどの政治知識や、当事のイスラエル軍の装備や師団・大隊などの編成と規模など軍事知識がないと、読みこなすのは難しい。

 また、刻々と作戦や戦況が変化するので、地図を見ながら読む事になり、読み通すには相応に時間がかかる。その分、表紙の裏や本文中の要所に地図を、裏表紙の裏に編成表を付けた心遣いはありがたい。特に地図は何度も見直すので、栞を沢山用意しておこう。また、本文中に豊富に収録した写真も、記述の迫力を増している。

【構成は?】

 上巻
はじめに
1 奇襲で始まった
"あと数時間で戦争に…"/即断即決でやる/プロとしての準備はできていた/戦いは始まった/二人の師団長/"シャローム"/"私の戦車が動いている"
2 エジプト軍、スエズを渡る
"北部戦区の指揮をとれ"/ミサイル命中!/戦車は次々に撃破された/"コマンド部隊、我後方に降下"/渡河端を発見/地獄の市街戦/エジプト軍を甘く見た
3 最後の一人になろうとも
"百個師団もってきた"/どん底の士気/半日で旅団を再編!
4 狂ったシナリオ
「断固なる態度」/暗号名"セラ"/小国の宿命/電子ビームで察知/実戦で証明した拠点構想/イスラエルの反撃/タル将軍の提案/ナセルの奇手/狂った計画
5 サダトの深謀
"空飛ぶ砲兵"/"決断の年となろう"/戦争の目的/渡河のシナリオ
6 イスラエルの過信
情報部の誤判断/"アラブは戦争を始めない"/"アラブの心理を理解できなかった"/"連鎖反応"
7 作戦を誤った!
"我々の反応はのろかった"/ミサイルの神話/"一歩前進二歩後退"
8 つらい決断
”暗い報告”/”何が何だかわからなかった”/失敗は許されない/"兵隊を見殺しにしたことはない"
9 混乱の反攻前夜
"やることは山ほどある"/"我々は明日反攻に移る"/突然の計画変更/ゴネン将軍の独走/チグハグな会話/参謀総長も知らない
10 攻撃開始
"運河に近づくな"/"それ以上のことをやれ"/大魚を逃すな!/"その大隊長を解任せよ"
11 突然の転進
机上の演習/"彼の好きな方をやらせるか"/穴だらけの作戦
12 地獄の戦場
ガビ旅団が危ない!/戦車炎上/生き残るチャンス
13 最悪の時 
"仕様がない。後退だ"/"アイ・ラブ・ユー"/"戦場の硝煙"/二人の将軍/再編成
14 我々は持ちこたえた
"自転車乗り"/戦場での気くばり/司令部の圧力/参謀総長の決断
15 岐路に立つ軍司令部 
煮えくり返る思い/再渡河に備えよ/見識高く醒めた人
 下巻
16 一進一退 
境界争い/"もっと接近してから射て"/熾烈な戦車戦/三度目の突撃/印象に残った言葉/"油断してはならぬ"/遅れた"追撃"/"黄金の機会"/委員会のみぞ知る
17 さらに続く死闘
喜びも悲しみも分かちあってきた/プロとしての規律/"神殿のレビ人"/クローズアップされた問題点/小康状態を利用せよ!/迫りくる"終楽章"/途方もない歓迎/因習を打ち破れ/"あぶはち取らず"/機械化歩兵のイメージ一新
18 眠りを忘れた戦場
冷静な判断と鋼鉄の意志/最悪の状態は終わった/"俺の戦車のためなら…"/ミサイルを回避する戦車
19 停滞する戦線
ヘリの誘導で戦車を撃破/"油断"が生んだ大惨事/全て淳順調、また明日!/"員数をつける"能力/マンドラーの戦死
20 エジプト軍の攻撃迫る
対立続くエジプト軍首脳部/渡河か棒防御か、分かれる意見/エジプト軍の猛攻/"私はジレンマに陥った"/陸空軍協力の実態
21 反撃の時は来た
"強襲用"渡河方式/Dデイ/アビレイ・レブ作戦/渡河点を研究する/我々は峠を越したのだ…/次々と欠陥があらわれてきた
22 満月の夜の戦い
混乱はますます大きく/アムノン旅団/逡巡
23 運河への道を開け
"難民"兵を収容せよ/アカビシュへ/今夜、何が起こるだろうか/アカビシュ55へ飛べ/空挺隊前進する/犠牲を越えて/"早く来んかなあ"/決断の時
24 "なぜ渡河しないのだ"
何とかなりそうだ/エジプト第25師団を叩け!/シャロンがつかまらない/"砂丘の戦争指導会議"
25 "これよりアフリカへ渡る"
身動きが取れない/良いニュース/ガビの苦戦/ガビ、ナトケ頑張る/ゼルダに乗って/スエズを越えて
26 米ソ大国の圧力
空中戦/敵を撃つ時がきた/停戦への種
27 スエズ渡河をふりいかえって
作戦の無理/シャロンの誤り/"伏撃跳躍"
エピローグ 
停戦時の状況/戦訓/IDFの三大資質
訳者あとがき

【感想は?】

 戦車好きには、ちと厳しい内容かも。というのも、戦車が活躍する本と言うより、戦車が苦戦する本なのだ。

 まず、この本の位置づけから。第四次中東戦争の全体を俯瞰する本では、ない。対エジプト戦を戦ったイスラエル陸軍の三師団(後に五師団)中の、一師団を指揮した師団長の視点で見た従軍記、といった性格が強い。第四次中東戦争の全体を俯瞰した本は、例えばアブラハム・ラビノビッチの「ヨム・キプール戦争全史」がある。

 もちろん戦後に集めた資料も参照し、背景事情やエジプト軍側の様子も入っているが、シリア戦の様子は伝聞風だし、空軍の事情も書いていない。逆にスエズ戦線の状況は、軍管区司令官のシュムエル・ゴネンや隣の師団を率いるアリエル・シャロンとの軋轢などを含め、赤裸々に書いている。

 その分、戦車が好きな人にはたまらない本だろう。様々な事情で、否応なく戦車が前面に出て活躍するしかない状況に追い込まれ、散々の苦戦の末に逆転する話なのだから。反面、「様々な事情」の説明を省いちゃってるのが、素人には辛い所。省かれた背景を、私なりに解説してみよう。

 多くの国民を抱えるエジプトやシリアは、大きな常備軍を維持できる。小国イスラエルは無理だ。そこで、徴兵制で国民の多くに兵役経験を持たせつつ平時は予備役とし、常備軍は小さく抑える。戦時には常備軍が守って時間を稼ぎ、その間に予備役を招集して前線へと送り込む。これで平時は小さい軍で負担を軽くし、戦時には大きな戦力を持てる。

 イスラエル軍の理想の戦い方は、こんな感じだ。まず空軍で敵の空軍・長距離砲・戦車を潰し、長距離砲の支援を受けた戦車が雪崩れ込む。だが第四次中東戦争でのエジプト戦はアテが外れた。エジプト軍は緻密な防空体制を敷き、イスラエル空軍の攻撃を阻む。戦車に対しては地雷をバラまき、また多くの歩兵が対戦車ミサイルで対抗してくる。

 エジプト軍の大軍を抑える小数の守備隊を支援するため、イスラエル軍は救援を送る。だがシナイ半島は交通路が未発達で、歩兵や長距離砲の移動が難しい。不整地も走れる戦車が突出し、歩兵や長距離砲や空軍の掩護がないまま、準備万端整えて待ち受けるエジプト軍の対戦車包囲網へと突っ込んでゆく。

 やはり省いているのが、当事のイスラエル軍の機甲部隊の編成の規模。裏表紙の裏に大隊までの編成表はあるんだが、それぞれの規模はピンとこない。文中の記述で、機甲小隊は戦車3輌~5輌らしき事がわかる。これを元に戦車の数を想像すると、こんな感じか。

機甲小隊:戦車3~5輌
機甲中隊:戦車10~20輌
機甲大隊:戦車20~60輌
機甲旅団:戦車60~200輌
機甲師団:戦車200輌~600輌

 上巻は地雷や対戦車ミサイルに戦車が次々と屠られる場面が延々と続く。冒頭の引用が、そのサンプルだ。戦闘場面も怖いが、この本で痛感するのが、補給の難しさ。シナイ半島は砂漠地帯のため、道路網が未発達だ。戦場へ向かう車両は、一車線の細い道路に集中する。そこに砲撃を受けると…

運転手は路外に飛び出て退避するのである。輸送隊のトラックには、燃料と弾薬が満載されているので無理もないが、運行は全く停止してしまうのであった。

 と、師団長ともなれば交通整理にも気をくばらにゃならん。巨大な渡河用資材を運ぶ場面は、戦闘場面以上のサスペンスだ。師団長という立場ならではの苦労が分かるのも、この本の特徴。混雑してるのは道路ばかりではなく…

各旅団がそれぞれ戦闘の真っ最中で状況は刻々と変化し、無線連絡を確保する事は極めて難しかった。旅団長もが指揮下部隊と懸命に行進しているとなればなおさらである。

 これにエジプト軍の妨害電波も加わり、通信確保は更に難しくなる。夜間の戦闘では、敵味方の識別まで難しくなる。加えて部隊が次々と消耗してゆく激戦だけに、毎日のように再編成や部隊の貸し借りがあり、指揮系統もコロコロ変わってるのが凄い。ここで面白いのが、暗号通信。ったって符丁だが、その符丁が毎日変わる。各日の符丁はカードに書いてあるけど、睡眠不足で…

当の私が、今日が一体何日なのか判らなくなっていたのだ。そこで私は、指示伝達に先立って日付を明示することを考えた。イスラエル放送を真似て、“10月10日、水曜日であります。今日この日レビ人は…

 戦術面では、下巻の中国農場での戦いが、歩兵による対戦車戦の重要な示唆を与えてる。ここには枯れた用水路が縦横に走り、歩兵には格好の隠れ家を提供している。用水路に潜んだ歩兵は活発に移動しつつ、対戦車ミサイルで機甲部隊を屠ってゆく。たまたま都合の良い地形があったから利用しただけだが、歩兵の対戦車戦闘に重要なヒントを示す例だ。水路がなけりゃ壕を掘ればいいんだから。最強の武器はスコップ。

 など、書名には戦車戦とあるが、読み終えると「どうすれば歩兵が戦車に対抗できるか」みたいな内容になっている。戦闘でも、空軍が使えりゃ楽なんだが、イスラエルはシリア方面に空軍戦力を集中し、エジプト軍はイスラエル空軍との戦いを避けあまり出撃していないため、前線では更に戦車の存在感が大きくなる状況にあったのだ。

 と、散々な目にあったのに、著者はやっぱり戦車が好きなようで、「確かにやられたけど、それは歩兵の掩護がなかったから。無限軌道を備えたAPC(Armoured Personnel Carrier,装甲兵員輸送車、→Wikipedia)を配備して歩兵が戦車に置いてかれないようにしろ」と主張する。「戦闘ヘリ?持久力ないから一定地域を確保できないよね」と厳しい。

 APCじゃ「ハーフトラックに機関銃を装備して走りながら戦えるようにしたのはイスラエル軍が最初、アメリカ・ソ連・ドイツが後から真似したのさ」と得意顔だけど、さすがにトヨタ・ウォーズ(→Wikipedia)までは予想できなかっただろうなあ。

 前線で部隊を指揮した師団長の著作のため、戦争全体を俯瞰するものではない。反面、現場が近いだけに、臨場感は半端ない。前線でいかに戦車部隊を運用するか、前線における師団長はどんな仕事をするのか、そして戦車はどうやって戦い、または戦車にはどうやって対抗すればいいのかが、皮膚感覚で伝わってくる。

 部隊編成や補給を含め、戦車を中心とした戦術・運用面に興味がある人、逆に「いかに戦車を叩くか」を知りたい人、それに加え師団長クラスの前線での職務の実態を実際を知りたい人にお薦め。

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2014年3月26日 (水)

McAfee Internet Security契約自動更新のキャンセル・払い戻し手続き

McAfee Internet Security は、有料で一年間使えるアプリケーションだ。
契約を結ぶと、有効期限が切れる前に、自動的で契約を更新する。
代金と引き換えに、次の一年間も使えるようになる。

契約を更新する前に、「自動契約更新しない」設定にする事もできる。
仮に設定を変えずに自動で契約を更新した場合でも、60日以内なら、契約を解除して払い戻しを受けられる。
 参考・McAfeeアカウント・契約関連のQ&A | 個人向け製品 | マカフィー

私は自動で契約を更新したが、すぐに契約を解除して払い戻しを受けたので、その際の手続きを述べる。
なお、手続きしたのは、2014年1月。

【やったこと】

  • 自動でMcAfee Internet Security の契約を更新した。
  • 契約を解除して払い戻しを受けた。

【前提条件】

  • McAfee Internet Security の契約を自動更新した
  • 自動更新してから60日以内である

【手続き】

  1. McAfee から、契約の自動更新のメールが来る。
  2. McAfee に、キャンセルする由を伝える:「個人向け製品のカスタマーサービス
  3. McAfee から、キャンセルの確認メールが来る。
  4. McAfee から、払い戻し手続き完了のメールが来る。
  5. 使っているパソコンから、McAfee Internet Security を削除する。

【結果】

  • 一旦、クレジットカード経由で、McAfee に代金を支払う。
    私の場合、1月の引き落としで計上されていた。
  • 次に、McAfee からクレジットカード会社に、代金が払い戻される。
    私の場合、3月に計上された。

【手続きの詳細】

1.McAfee から、契約の自動更新のメールが来る。余計な空白行などは削除した。
  また、注文番号は架空の物に置き換えた。

お客様各位 ,
	========================<<重要なお知らせ>>=========================
	このメールはマカフィー製品のプログラム自動更新サービスをご契約
	いただいたお客様に送信させていただいております。
	=====================発信元:マカフィー株式会社======================	  
		
日頃はマカフィー製品をご利用いただきまことにありがとうございます。

お客様がご利用されているマカフィー製品のご契約は登録されている決済情報
をもとに更新の手続きが完了いたしました。 

契約更新内容:
-------------------------------------------------- 
確認受領書 
-------------------------------------------------- 
お名前:    
	注文番号: AB1234567890 
	日付: 2014年1月8日  
-------------------------------------------------- 

2.McAfee のサイトの「個人向け製品のカスタマー サービス」から、
  払い戻しを希望する由を McAfee に伝える。 
  赤い丸は私が書き加えたもの。

  頁のURL:https://service.mcafee.com/ContactCustomerService.aspx?lc=1041&sg=CS&pt=1

  ラジオボタン「お問い合わせの内容をお知らせください」:「払い戻し」をチェックする。
  (画像をクリックすると実寸で表示します)
    →しばらく待つと、連絡方法を聞いてくる。A01

  ラジオボタン「弊社への連絡方法を選択してください」:「メール」をチェックする。
  (画像をクリックすると実寸で表示します)
   →しばらく待つと、名前などを書く欄が出てくる。A02

  名・姓・契約用のメールアドレス・連絡先メールアドレス・要件を書き入れ、
  個人情報の取り扱いに同意する由をチェックして、「送信」ボタンを押す。
  (画像をクリックすると実寸で表示します)
  要件には、次の文面を書く。
  注文番号は、先に McAfee から来たメールにある注文番号だ。

注文番号AB1234567890で自動更新しましたが、
キャンセルしますので、払い戻しを希望します。

A03

  これで、キャンセルの手続きは終了だ。
  以後は、手続きが進んでいる由を見守るだけ。

3.McAfee より、問い合わせを受け付けた由のメールが来る。
  赤い文字の所は、私が出鱈目に書き換えた。

差出人:support@mcafee.com
件名:マカフィー サポート&サービス– SR-0123456789

このメッセージは、自動配信のメールアドレスから送信されておりますので
このメールには返信しないでください。                    マカフィー 個人向け製品 サポート&サービスをご利用いただきありがとうございます。 お客様が入力された内容に基づき、下記の通りお問い合わせを受け付け致しました。 -ご注文番号  : -サービスリクエスト番号 : 0123456789 -作成日   : 01/08/2014 18:53:37 -お問い合わせ内容 : アカウントのメール アドレス:my.mail@address.com 注文番号AB1234567890で自動更新しましたが、
キャンセルしますので、払い戻しを希望します。 サービスリスクエスト番号は今回のお問い合わせ内容を管理する番号となります。 本件を継続してお問い合わせされる場合はこちらのサービスリスエスト番号を サポート担当者にお伝え下さい。 マカフィー 個人向けサポート

4.24時間~48時間ほどして、McAfee より、払い戻し請求を受け付けた由のメールが来る。
  赤い文字の所は、私が出鱈目に書き換えた。
  また、余計な空白は削除した。

差出人:マカフィーカスタマーサービス <IS2345_67890@message.mcafee.com>
件名:RE: マカフィー サポート&サービス– SR-0123456789 (#5678-987654321-0987)

ちく わぶ 様 マカフィー製品をご愛用いただき、誠にありがとうございます。 マカフィー カスタマーサービスでございます。 お客様よりお問い合わせいただきました件につきまして回答させていただきます。 製品の「ご返金手続き」が完了致しましたので ご報告させていただきます。 -------------------------------------------------------- ご登録Eメールアドレスにてご契約いただきました   製品名:3-User McAfee Internet Security ご注文No:AB1234567890 金額:5775円 -------------------------------------------------------- 上記製品のご返金を承りました。  こちらの製品の有効期限は「2014/02/07」までとなっております。 有効期限をもちまして、自動的に解約となります。 ※料金のお引き落としは、各クレジットカード会社の締め日により異なります。  一旦引き落とし後、翌月以降のマイナス計上となる場合もございますので、  あらかじめご了承いただけますようお願い申し上げます。  詳細につきましては、ご利用のクレジットカード会社へお問い合わせ下さい。   お手数をお掛けして申し訳ございませんが、 ご確認の程、宜しくお願い致します。 あわせて、お客様よりご登録いただきました、  課金情報の削除処理が完了いたしました。    McAfeeのご利用、誠にありがとうございました。  ※本メールタイトルの10桁の数字は、お客様の「お問い合わせ番号」 になります。  再度メールでお問い合わせいただく際には本メールに「返信」 して下さい。  また、メールタイトルは変更しないよう、お願い申し上げます。 ※お問い合わせを頂いたお客様へのお願い  お客様へ、第三者機関の調査会社、Walker Information 社より  サポート品質に関するアンケートをお送りする場合がございます。  いただいたご意見を、弊社の製品及びサービス改善に役立ててまいります。  お手数でございますが、アンケートをお受け取りになった際には  ご協力をいただきます様お願い致します。

5.使っているパソコンから、McAfee Internet Security を削除する。

【おわりに】

 この手の事務手続きは、慣れないと難しく感じるけど、やってみると意外に簡単にできたりする。なんでも、とりあえずやってはみるもんです。

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2014年3月25日 (火)

フランツ・カフカ「カフカ・セレクションⅢ 異形/寓意」ちくま文庫 平野嘉彦編 浅井健二郎訳

 ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目覚めてみると、ベッドの中で自分が薄気味悪い虫に変身してしまっているのだった。甲羅のように固い背中を下にして仰向けに寝ており、頭を少しもち上げると、弓形に硬ばった節のつらなる、丸く膨らんだ褐色の腹が見えた。
  ――変身

【どんな本?】

 1883年にオーストリア=ハンガリー帝国内のチェコのプラハに生まれたユダヤ系のドイツ語作家フランツ・カフカ(→Wikipedia)の、中編・短編を集めた三部作の最終巻。完成した小説ばかりでなく、未完の作品やタイトルのついていない断片までも集めた、マニアやコレクター向けの濃いセレクションでもあるが、短い作品から次第に長い作品へと並べた編集は、初心者にもとっつきやすい配慮。カフカの最も有名な作品「変身」を含む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年11月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約307頁+訳者あとがき13頁。9ポイント37字×16行×307頁=181,744字、400字詰め原稿用紙で約455枚。長編小説なら標準的な長さ。

 やはり文章は比較的にこなれているが、内要は意味不明な作品が多い。有名な「変身」もそうだが、突拍子もない前提で話が始まり進むので、「とりあえずそういう事にしておこう」と無茶な設定を受け入れる度量が必要。

【収録作は?】

〔「ああ」、と鼠が言った〕/〔猫が鼠をつかまえたのだった〕/〔それは大きな尻尾を〕/〔かわいい蛇よ〕/〔私はもともと蛇に〕/〔それはハゲタカで〕/〔私はここにはっきり表明しておくが〕/新しい弁護士/雑種/〔「奇妙だ!」とその犬は言って〕/家父の心配/〔夕方帰宅してみると〕/一枚の古文書/ジャッカルとアラビア人/〔その村はタミュールといった〕/あるアカデミーへの報告/歌姫ヨゼフィーネ、あるいは鼠の族/〔いかに私の生活は変化したことか〕/変身
 訳者あとがき/収録作品索引

 〔 と 〕 で囲った作品はタイトルがついていないので、出だしの数語で代用したもの。

【感想は?】

 これもよくわからないので、気に入った作品を自分勝手な解釈で紹介する。

〔猫が鼠をつかまえたのだった〕
猫が鼠をつかまえた。捕まった鼠は猫に抗議する。「いったいどうするつもりなの?」
たった6行の掌編。この後、猫はどうしたんだろう。コッソリ尾行したんじゃないかな。
〔それはハゲタカで〕
 ハゲタカが私の足に嘴を突きたてる。せわしなく私の周りを何度も旋回し、また突き続ける。そこに一人の紳士がやってきて…
オチはちょっと落語「頭山」(→Wikipedia)を思わせる。
〔夕方帰宅してみると〕
 夕方帰宅すると、部屋の真ん中に巨大な卵があった。テーブルぐらいの高さで、かすかに揺れている。興味を持った私は、ポケットナイフで二つに割った。卵の中から出てきたのは…
 桃から生まれた桃太郎…とはいかなくて。たぶんカフカは真面目に書いてるんだろうけど、モンティ・パイソンやドリフターズのネタになりそうな、ドタバタ・ギャグの舞台風景が目に浮かぶ。
一枚の古文書
 私は皇帝の宮殿の前の広場で仕事をしている靴屋だ。夜明けに店を開けたら、広場への通りは全部、武装した北方の遊牧民に占拠されていた。
 古代ローマも、中国の歴史上の帝国も、似たような形で衰退していってる。周辺の蛮族の侵入を許し、やがて蛮族が国を乗っ取る。都市に定住した蛮族は代を重ねるごとに文民と化し、文化的は洗練されてゆく。やがて周辺から蛮族の侵入を受け…。
 これは日本も例外ではなく、日本書紀を読むと、古代の大和朝廷は陛下が御自ら軍を率いる武闘派であるように描かれている。しかも、水上の移動が多くて、航海に長けていた様子が伺える。
〔その村はタミュールといった〕
 われわれのシナゴーグには、貂(てん)のような動物が一匹住んでいる。2メートルぐらいまでなら近寄れるが、さすがに毛皮にさわることはできない。おとなしく、特に悪さもしない。ご婦人方は怖がっているようだが…
 貂で画像検索すると、おお、可愛いじゃないか!じゃなくて。この作品の貴重な所は、出だしの数行の推敲のあとが読めること。出だしのインパクトじゃ群を抜くカフカ、やはり相当に力を入れていて、丹念に推敲を重ねていた模様。少しは見習えよ→をれ。
あるアカデミーへの報告
 猿であった私の前歴について、アカデミーに報告を提出せよと、貴方がたは求めておられます。しかし、残念ながら、そのお求めに完全にお答えすることはできません。と申しますのも…
 キャロル・エムシュウィラーの「男性倶楽部への報告」(「すべての終わりの始まり」収録)の元ネタ。ちょっとレムのゴーレムⅩⅣっぽい認識論が出てきて笑った。
変身
 目覚めたら、グレーゴル・ザムザは巨大な虫に変身していた。旅回りのセールスマンのザムザ、今日は五時発の列車に乗らねばならない。しかし、時計は既に6時45分。やがて母親がドアをノックし、声をかける。「6時45分だよ、出かけるんじゃなかったのかい?」
 なんか難しく解釈されてる作品だけど、冒頭はギャグそのもの。虫と言っても昆虫じゃなくて、体節の多いムカデやゲジゲジを想像する。で、そんな体になっちゃったというのに、まず考えるのは「うわ、遅刻だ、どうしよう」って、おい、そういう問題じゃないだろ。そんなグレーゴルを見た家族の反応も、やっぱドタバタ・ギャグだよなあ。だんだんと感覚が虫っぽくなっていって、部屋中を心地よさげに這い回るあたりの描写も、軽やかで楽しげだし。
 ちょっと突っ込みを入れると。実はグレーゴルが虫になったとは限らない。私が家族なら、「虫が居る、グレーゴルがいない」って状況は、「虫がグレーゴルを食っちまった」と判断すると思う。ゲジゲジって肉食だし(→Wikipedia)。もしかしたらアレは異星生物で、食ったモノの記憶を吸収するのかも。次第にゲジゲジっぽくなってゆくのも説明つく。他の食物を摂取するにつれ、意識内のグレーゴルの割合が減っていった、とか。
 もっと野暮を承知でSF者っぽく考察すると、ゲジゲジがヒトと同じ大きさにまで成長したら、窒息して死にます、たぶん。昆虫やゲジは循環系が未発達なもんで、末端まで酸素や栄養を供給できません。

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2014年3月24日 (月)

フランツ・カフカ「カフカ・セレクションⅡ 運動/拘束」ちくま文庫 平野嘉彦編 柴田翔訳

期間中、昼も夜も中断なしに断食芸人に張り付くことは、誰にもできない。だから誰も、実際に断食が中断なく間違いなく続けられていたことを、自分自身の目で確かめることはできない。ただ断食芸人本人だけがその真相を知り得るのであり、従って、断食に完璧に満足する見物人となり得る可能性を持つのは、ただ彼自身だけだった。
  ――ある断食芸人の話

【どんな本?】

 1883年にオーストリア=ハンガリー帝国内のチェコのプラハに生まれたユダヤ系のドイツ語作家フランツ・カフカ(→Wikipedia)の、中編・短編を集めた三部作の第二巻。完成した小説ばかりでなく、未完の作品やタイトルのついていない断片までも集めた、マニアやコレクター向けの濃いセレクションでもあるが、短い作品から次第に長い作品へと並べた編集は、初心者にもとっつきやすい配慮となっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年9月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約289頁+訳者あとがき17頁。9ポイント37字×16行×289頁=171,088字、400字詰め原稿用紙で約428枚。長編小説なら標準的な長さ。

 やはり文章は比較的にこなれている。第一巻同様に内要は意味不明な作品が多いが、私が慣れたのか違う芸風の作品を集めたのか、特に後半は自分なりに解釈できる作品が多い気がする。この巻では、作品ごとに訳者が簡単な解説を付けているのが嬉しい。

【収録作は?】

〔私は最初の門番の前を〕/インディアンになりたいという願い/〔アレクサンダー大王〕/〔列車の車室に座って〕/〔夢幻騎行〕/〔公園の藪〕/〔牢獄の一室ではないのだが〕/アマチュア競馬の騎手諸氏のための考察/〔珍しくない出来事〕/天井桟敷にて/〔白馬が最初に姿を見せたのは〕/〔中庭への扉を叩く〕/〔セイレーンたちの沈黙〕/商人/ある夢/〔死者たちの家へ客に呼ばれ〕/石炭バケツの騎手/〔肉屋の兄妹〕/最初の悩み/街道の子どもたち/〔狩人グラフス〕/ある断食芸人の話/判決――ある物語/流刑地にて/〔巣造り〕/ブレッシアでの懸賞飛行
 訳者あとがき

 〔 と 〕 で囲った作品はタイトルがついていないので、訳者が仮に名づけたもの。

【感想は?】

 やはりよくわからない作品が多いが、どうせわからないなら、いっそ思いっきり自分勝手に解釈してしまおう。ということで、気に入った作品だけを身勝手な解釈で紹介する。

〔白馬が最初に姿を見せたのは〕
秋の日の午後、市街の大通りに白馬が姿を現した。誰の馬でもないが、足取りは落ちついて都市に慣れている模様で、目立ちはするが騒ぎにはならなかった。
日常の情景の中に、突然ケッタイなシロモノが現れたら、人はどうするか。「おお、珍しい」と思ってチョッカイ出す奴もいるけど、大抵の人は、自分の邪魔にならなきゃ放っておくもので。
〔セイレーンたちの沈黙〕
魔女セイレーンの歌声は、人を惑わし船を難破させる。彼女らの声に抗うためオオデュッセウスは耳に蠟を詰め、体を帆柱に鎖で縛り付けたと言われるが…
いきなり「そんな対策が役に立たないことも周知の事実だった」と、古の神話にみもふたもない突っ込みで大笑い。そりゃ、誰だって気がつくよな、その程度のアイデア。
最初の悩み
サーカスの花形、空中ブランコ。完璧な芸を求める空中ブランコ芸人は、その芸を磨くうちに、公演が続く限り昼夜を通し空中ブランコの上で暮し始め…
「空中ブランコの上で暮らす」という突拍子もない発想を、至極真面目に突き詰めて考え、描いていく。にしても、興行師の気前のいいこと。
〔狩人グラフス〕
一艘の帆船が港に入ってくる。二人の男が棺を担いで下りてくる。棺の中にいるのは、とっくの昔に死んだ男、狩人グラフス。ドイツのシュヴァルツヴァルトで羚羊(かもしか)を追って断崖から落ちた。だが彼の黄泉送りの船は航海に失敗し、この世の水路を航海し続けている。
意味はわからないながら、次の一節が気に入って。
 必要なら古い昔の祖先の人々と現在の人々との間で通訳だって務めることだってできますよ。
 しかしパトロン衆の思考過程が問題で、そこを理解することが私には出来ない。
私も訳文は理解できるけど、カフカの思考過程が理解できないw
ある断食芸人の話
かつては人気だった断食芸人。大人たちは流行に乗って見に来るだけだが、子供たちは真剣に見ていた。中には芸をあざける者もいたし、じっさい彼にとっては簡単な芸だった。
 そのプログラマはC言語に精通していた。K&Rは完全に暗記し、ソース・プログラムを見ればどんなコードが吐き出されるか直感的にわかった。際限なく続く前置きの*を易々と使いこなし、言語仕様の裏をかいてCPUクロックを節約するのもお手の物だった。しかし「unix使いならCは常識」だった時代はc++を経てJavaやRUBYへと移り、プログラマは仕事にあぶれ…
 と、先の「最初の悩み」同様、自分の芸を至上と考える偏った価値観の人と、常識的な感覚の興行主や観客との軋轢の話、として読んだ。プログラマはコードの綺麗汚いを気にするけど、経営者や発注者や利用者はトラブルなく動けば充分で、それよかダイアログやアイコンのデザインを気にしたりする。
流刑地にて
調査旅行の途中で、一兵士の処刑に立ち会うよう招待されたフィールド調査研究者。処刑を司る士官は、誇らしげに装置を調査研究者に解説する。
処刑装置に入れ込み、楽しげに装置を語る士官のイっちゃったフェチっぷりが楽しい作品。「見てよ、見てくれ、ああでもそんなに雑に扱わないで!」なマニアの気持ちがジワジワと伝わってくる。
〔巣造り〕
私は地中に見事な棲み家を造り上げた。四方八方に走る隧道を、私は隅々まで知っている。回廊のおよそ100メートルごとに、円形の小広間があり、私はそこで安らげる。なかでも最も誇らしいのは、中心的大広場で…
 大掛かりで野心的なシステム開発に着手する。今まで聞きかじりだった手法や、暖めてきたアイイデアを試すいい機会だ。まずツール類やライブラリの実装から始める。細かい部分を詰めてないアイデアや、面白そうだが詳細が不明だった技術も、開発しながら学び、やがてシステムが動き始め完成する。
 完成する頃には、開発者も成長している。開発の初期に苦労して作ったツールやライブラリも、今思うと幼稚で作りが雑だ。つか、そもそも基本設計がスマートじゃないよね。抽象化も、もう一段上げられるし。だいたいなんだよ HTML と CSS とJavaScript って。リストとアトムなら全部S式でイケるじゃん。でも今さら変えられないしなあ。
 って、余計わかんねえw
ブレッシアでの懸賞飛行
小説ではなく、ノンフィクション。若い頃のカフカが、友人と共に出かけたイタリアのブレッシアでの飛行機ショウの見物記録。これも次の一節が気に入った。
 それは完璧な仕事ぶりだった。だが完璧な仕事というものは、とかく正等に評価されないものだ。と言うのも、人々は完璧な仕事を前にすると、自分でもできる気がしてくる。仕事があまりに完璧だと、特別の勇気など必要ないように思えてくるのだ。
 使いやすいユーザ・インタフェースや、読みやすい文章は、作った人の作為を感じさせず、自然に理解できる。直感的に分かってしまうが故に、作るのも簡単だと思えてしまう。まあ、この辺は、断水したり停電したりすると、よく実感できます。巧く動いてるモノってのは、壊れた時に初めて存在が実感できるモンなんです。

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2014年3月23日 (日)

フランツ・カフカ「カフカ・セレクションⅠ 時空/認知」ちくま文庫 平野嘉彦編訳

あらゆる発見というもとは、すぐさま学問の全体性のなかへと組みこまれて、それとともに、いわゆる発見であることをやめてしまいます。
  ――村の学校教師

【どんな本?】

 1883年にオーストリア=ハンガリー帝国内のチェコのプラハに生まれたユダヤ系のドイツ語作家フランツ・カフカ(→Wikipedia)の、中編・短編を集めた三部作の第一巻。完成した小説ばかりでなく、未完の作品やタイトルのついていない断片までも集めた、マニアやコレクター向けの濃いセレクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年7月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約322頁+あとがき12頁。9ポイント37字×16行×322頁=約190,624字、400字詰め原稿用紙で約477枚。長編小説なら標準的な長さ。

 文章そのものは比較的にこなれている。が、問題は内容。舞台が突然に変わるし、一人称の「信用できない語り手」を頻繁に使うなど、カフカの芸風自体が意図的に読者を混乱させる手法を多用している上に、この本では未完成の作品や断片までも収録しており、また<一ページ分欠落>など原稿が欠落している所もある。相応の覚悟をして臨もう。

【収録作は?】

〔それは、どの地域にあるのだろうか〕/隣り村/〔遠くに町がみえる〕/〔立ち去る、立ち去るのだ〕/〔ここから立ち去る、とにかくここから立ち去るのだ!〕/路地の窓/〔三軒の家が互いに接していて〕/ある注釈/〔「この道でいいのかね?と、私は」〕/〔私は、馬を厩から引いてくるように命じた〕/山中への遠足/〔おそらく私は、もっと早くから〕/〔「おれは舵手ではないのか?」と、私は叫んだ〕/走り過ぎてゆく人たち/突然の散歩/〔ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって〕/〔私たちは二人して、滑りやすい地面の上を〕/〔街中で、たえまなく工事が行なわれている〕/〔バベルの塔の建設にあたっては、当初は〕/〔数人の人たちがやってきて〕/〔隊商宿では、およそ眠ることなど〕/〔朝は早くから日暮れまで〕/〔モンデリー弁護士の突然の死に関して〕/掟の問題について/〔私に弁護人がいたのかどうか、それはきわめて不確かなことだった〕/〔しばしば必要になる部隊の徴募〕/〔われわれの小さな町は、およそ国境沿いにあるとは〕/村医者/村での誘惑/カルダ鉄道の思い出/万里の長城が築かれたとき/村の学校教師/〔エードゥアルト・ラバーンは、廊下を抜けて〕/あるたたかいの記
 あとがき

 〔 と 〕 で囲った作品はタイトルがついていないので、出だしの数語で代用したもの。

【感想は?】

 うう、わからん。

 というと情けないが、ことカフカに関しては、堂々と「わからない」と言えるからスッキリする。

 先にも書いたが、特にこのセレクションは、未完成作品や断片まで収録しているので、更に「わけわからなさ」がアップしている。

 「わけわからなさ」のハイライトは、最後の「あるたたかいの記」。たぶんこれは完成した作品なんだろうけど、ナニがナンやら。完成した作品でこれなら、未完だろうが断片だろうが、大して違いないような気がする。ちょっとお話をまとめてみると…

 夜会が終わるころ、テーブルに座っている私に、知り合ったばかりの男が話しかけてくる。「今までずっと、可愛い娘と隣の部屋にいまして云々」少しムカッとした私は、大声で答える。「この時刻にラウレンツィ山に登ろうなんて、酔狂ですね、いいでしょう、ご一緒しましょう」

 そして出かけた二人は川辺を歩くが…。この後、「私」は転んで膝を汚したり男に騎乗したり大男四人が担ぐ輿にに乗った劇太り男から話を聞いたり…って、意味わかんないよね。読んでる私もわかりません、はい。そもそもタイトルからして、戦争か決闘の話かと思ったら、特にそういう事もないみたいだし。

 この「わけわからなさ」、SF周辺の何人かの作家に感じるものと近い。ちょっと検索したら山尾悠子が出てきて、なんか納得したり。キャロル・エムシュウィラーもそうだし、ケリー・リンクにも共通する何かを感じる。円城塔もそうだけど、最も感覚的に近いのは、吾妻ひでお。あのぐにゃぐにゃした線の境界が判然としない世界は、見事にカフカの作品を可視化してると思う。

 こういう「わけわからなさ」は、やもすると腹がたつ。そこを、うまいこと読者をカフカの世界に導いているのが、この本の編集の妙。未完や断片問わずにかき集め、短いテキストを前に、長いテキストを後ろに置くことで、少しづつ読者に「わけわかんなくてもいいんですよ、それがカフカなんだから」と悟らせる構成になっている。

 そのくせ、わけわかんないながらも、油断してると、一応の論理が通ってる所もあって、ハッとしたり。

 例えば「走り過ぎてゆく人たち」。たった18行の掌編だ。夜中の散歩中、男を別の男が追いかけているのを見かける。そこから、「追いかけっこを楽しんでいるのでは?」「二人の男は別の男を追いかけているのでは?」「追いかけているように見えるだけで、実は見ず知らずなのでは?」などと、ありえる可能性を次々と挙げてゆく。

 うん、まあ、理屈は通ってるけど、つまりは巻き込まれるのが面倒くさいだけじゃね?

 〔ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって〕も、奇想にのけぞる掌編。ギリシャ神話の海の神ポセイドンといえば、三叉の矛を持つ荒々しい姿を連想するが、出だしから…

 ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって、計算に従事していた。全海洋の管理は、彼にもうはてしのない仕事を課するのだった。

 なんで海の神が計算なんかしなきゃいかんのか、全くわからないけど、その姿を想像するだけで、なんかおかしくなってくる。管理職ってのも、辛いねえ。

 わけわからないながらも、なんとなく好きな傾向はあって。私は、街や建設に関わる作品が気に入った。〔街中で、たえまなく工事が行なわれている〕、〔バベルの塔の建設にあたっては、当初は〕、〔われわれの小さな町は、およそ国境沿いにあるとは〕、そして「万里の長城が築かれたとき」が、印象に残る。

 とっつきにくく、わけがわからないカフカだが、未完成作品や断片を交え、短い順に並べて「わからなくていいんだよ」と諭してくれる、編集巧みさが光るセレクションだった。

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2014年3月21日 (金)

ジョージ・ジョンソン「量子コンピュータとは何か」早川書房 水谷淳訳

問題なのは、装置の素材でなくその「構造」なのだ。コンピュータの概念を本質まで凝縮すれば、それを必ずしも電子部品で作る必要はなくなる。ディンカートイという木製のおもちゃを使っても作れるのだ。

【どんな本?】

 量子コンピュータは、既存のスーパーコンピュータより遥かに優れた能力を持つといわれる。だが、何が優れているのかがわからない。今のコンピュータと何が違う? そもそも、私が使っているパソコンとスーパーコンピュータも、何が違うんだ?

 <ニューヨーク・タイムズ>紙の科学記者である著者が、話題の量子コンピュータを題材に、「そもそもコンピュータとは何か」「なぜスーパーコンピュータが必要なのか」「今のスーパーコンピュータでは何が困るのか」から始まり、「量子コンピュータは何が違うのか」「どんな理屈で動くのか」「何が嬉しいのか」「今はどこまで出来ているのか」を、あまり科学やコンピュータに縁のない人に説明する、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A SHORTCUT THROUGH TIME - The Path to the Quantum Computer, 2003。日本語版は2004年11月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約248頁。9.5ポイント43字×17行×248頁=約181,288字、400字詰め「原稿用紙で約454枚。小説なら標準的な長編の分量。なお、今はハヤカワ文庫NFから文庫本が出ている。

 翻訳物の科学解説書としては、文章はこなれている方だろう。量子力学を扱っている割には、意外と内容も難しくない。数式や分子式も出てこない。一応、原子核の話も出てくるので、中学卒業程度の数学と理科の素養は必要だが、「真ん中に陽子と中性子があって、その周りを電子雲が取り巻いてる」程度で充分。

【構成は?】

 はしがき――ブラックボックスの中身
 序章――ブルーマウンテンへの道
第1章 「シンプルな電脳マシンの作り方」
第2章 ティンカートイの論理
第3章 鏡遊び
第4章 時間の近道
第5章 ショアのアルゴリズム
第6章 暗号破り
第7章 見えない機械
第8章 原子の計算機
第9章 口の堅い量子
第10章 宇宙一の難問
結び 90億の神の御名
 細目――注と出典/謝辞/訳者あとがき

 素人向けの科学解説書に相応しく、ひとつひとつ段階を踏んで説明しているので、素直に頭から読もう。

【感想は?】

 ノイマン型コンピュータの原理を知っていれば、序章だけで「量子コンピュータの何が嬉しいのか」が、感覚的に掴める。特に画像処理やフーリエ変換など、大量の数値データを行列計算するプログラムを作った経験があれば、「おお!」と納得するだろう…残念ながら、それは早トチリだが。

 序章で感覚的にわかる「量子コンピュータの長所」は、ベクトル・プロセサやグラフィック・プロセサなどSIMD(Single Instruction Multi Data、→Wikipedia)のソレだ。多数の数値データに対し、同じ命令を一斉に処理する。

 量子コンピュータだと、2量子ビットのレジスタは、2ビットのレジスタが4個のベクトル・プロセサに相当する。3量子ビットなら3ビットのレジスタ8個、4量子ビットなら4ビットのレジスタ16個…となるので、16量子ビットは16ビットのレジスタが65536個のベクトル・プロセサに相当する。32量子ビットは32ビットのレジスタ40億(4ギガ)個ぐらい?

 現実のコンピューティングだと、SIMDが活躍する場面は限られてて、グラフィック処理や音声処理など、情報と言うより信号を扱う処理が多い。が、この本を読むと、量子コンピュータの能力は、それだけに留まらないことが分かる。

 量子コンピュータという科学の最先端の話題を扱うにも関わらず、この本の頁数はそれほど多くない。が、思ったより内容は充実している。量子コンピュータの話に入る前に、まず今のノイマン型コンピュータの原理から話を始めていて、これはなかなか親切な配慮だろう。

 続けて「量子コンピュータに何が出来るか」を語り、その原理へと話が進む。原理の話になると、どうしても量子力学が入ってくる。量子コンピュータの意味不明さの多くは、「一つの量子が0と1を重ね合わせた状態にある」所にあるんだが、このケッタイた量子の性質を、ガラスにあたる光(光子)で説明しているあたりは、なかなか見事だ。

 透明な窓ガラスは、外の景色が見える。と同時に、ガラスに映る自分の姿も見える。ガラスに当たった光(光子)は、跳ね返ったり通過したりする。その違いは何か。

物理学者は何年もかかって、今では当たり前に受け入れられているある事実を見出した。一個一個の光子は自らの振る舞いをランダムに「決定」する、という事実だ。

 ここまでで、「何ができるか」「なぜできるか」が、おぼろげながら掴めてくる。続くのは、「どうやるか」「今はどこまで出来ているか」そして「何が嬉しいのか」だ。特に、一般読者としては、最後の「何が嬉しいのか」が気になるだろう。

 ここで重要なのが、因数分解。「んなモン、とっくの昔に忘れたよ」と言う人もいるだろうが、実は多くの人が知らないうちに使っている。暗号だ。SSL だの HTTPS(→Wikipedia) と言っても分からないかも知れないが、Amazon などで買い物をしたり、携帯電話で銀行振り込みをしていれば、ちゃんとご厄介になっている。

 あなたのクレジットカード番号や口座番号やパスワードが、悪人に知られたら、困った事になる。携帯電話の電波を盗聴されたら、口座がカラになりかねない。そこで、一般に携帯電話の信号は暗号化しているし、特にお金に関わる部分は、二重三重の暗号化を施している。ここで、因数分解を使っているのだ。

 ってな部分も面白いが、やはり科学やSFに興味を持つ人こそ、この本は美味しく読める。「第9章 口の堅い量子」では、アーター・エカートの暗号通信のアイデアが面白い。「一個の原子から反対方向に飛び出した二個の光子は、お互いに絡み合っている」事を利用し、二者間で完全に安全な暗号を作れるのだ。

実はこれ、同時に両者間の距離を無視したリアルタイム通信も可能なんで、ソレをネタにしたSF小説があったんだが、思い出せない。なんだっけ?

 「第10章 宇宙一の難問」では、「具体的にどう応用できるか」を解説している。最初の例がタンパク質分子の三次元構造の話で、身近な例ではアルツハイマー病や狂牛病に関係あるらしい。タンパク質分子が自分の折りたたみ方(三次元構造)を「知って」いるのか、何か抜け道があるのか。そういえば、DNAのコピーも凄まじい伝送速度なんだよなあ。

 CPUの例としてペンティアムやPowerPCが出てくるなど、少し古くなった感はあるが、量子コンピュータの原理と仕組みについて素人が直感的に掴むには、かなり上出来な本だろう。「結び」の章でわかるように、多少SFを知っていると、更に楽しめる。少し妄想を働かせると、夢はどんどん広がってゆく。

 少しの科学知識と溢れる野次馬根性、そして滾る妄想力を解放しながら読もう。

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2014年3月20日 (木)

こざっぱりした家

某所で見かけた集合住宅。
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恐らく「こざっぱりした(neat)家」という意味で、そういう名前にしたんだと思う。
が、今となっては、別の意味に思えてしょうがない。

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2014年3月19日 (水)

神林長平「ぼくらは都市を愛していた」朝日新聞出版

 書くという行為は、祈りだ。わたしはいま初めてそれを知る。

【どんな本?】

 ベテランSF作家・神林長編による長編SF小説。あらゆるデジタル情報機器ばかりでなく、情報記憶媒体までもが狂う謎の現象「情報震」に襲われる世界で、情報震観測任務を遂行する情報軍中尉と、かつて女子高生と愛人関係にあり、今は腹に体内通信回路が出来てしまった公安刑事を交互に描きながら、都市と人、現実と人、人と人の関係を探ってゆく。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2013年版」ベストSF2012国内編9位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年7月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約290頁。9.5ポイント45字×20行×290頁=約261,000字、400字詰め原稿用紙で約653枚。長編小説としてはやや長め。

 ベテラン作家だけあって文章そのものはこなれているが、そこは神林長平。舞台装置は現実離れしているし、ややこしくヒネくれた議論や人を食ったような仕掛けがアチコチに出てくる。意味分からなさで並べると、わかる順に 敵は海賊→本作→雪風 ぐらいの位置か。

【どんな話?】

 デジタル機器が狂い、情報媒体上のデジタル情報も消える情報震に襲われる世界で、小隊を率い観測任務を遂行する日本情報軍の中尉・綾田(あやでん)ミウ。今日は最大級の情報震を観測、四分後に余震を観測した。現在、情報軍通信司令部とも連絡が取れない。情報軍そのものが壊滅した可能性もある。

 満員の通勤電車で立っていると、目の前に腰掛けている少女がケータイに打つ内容が感じ取れた。「テツ、キモカワ」。おかしい。なぜわたしにわかる? 出勤し、上司の寒江香月(さむかわかづき)尋ねてみた。わたしより一回り若い課長だ。「タイカン通信がうまくいった、ということじゃないですか」

【感想は?】

 この人は真面目な口調と表情でギャグかますから困る。

 テーマそのものは、かなり真面目なもの。いつもの神林節らしく、ヒトと認識の問題もアチコチで出てくるが、この作品ならではのテーマは、タイトルにある「都市」。「都会」ではなく、「都市」なのが、神林長平らしいところ。多くの人が集まり、活動する所を、「華やかな都会」ではなく、機能またはシステムとして捉えているのが、この作品の視点の独特な点だろう。

 物語は、二つの視点で語られる。一方は、謎の現象「情報震」により、都市から人が消えた世界。ガワだけが残り、都市の中身であるヒトが消えた世界だ。それは、果たして都市と言えるのか。電気やエレベーターなど機能は維持しつつ、それを利用する人間は、綾田小隊の7名だけ。

 もう一つの視点は、我々に馴染みの世界だ。ただし、それを見る疲れたオッサンの「わたし」は、異変に見舞われている。公安刑事のわたしは、職務で「新型内視鏡カプセル」を飲んだ。そして今日、通勤電車で異変に気づいた。前に座っている女子高生のメータイの内容がわかったのだ。

 都市の機能の一つは、匿名性だ。互いに顔も名も知らない同士が、特に警戒もせず共存できる。コミュニケーションを拒絶し、互いが名無しとなることで、治安が維持できている。が、「わたし」は、その「コミュニケーションの壁」が破壊されてしまう。相手の腹の中が読めるのはいいが、相手によってはこっちの腹の中も筒抜けになる。

 表面上はなんとか巧くやっているオトナの腹の中が筒抜けになったら、どうなるか。窓際勤務を受け入れた「わたし」と、エリート志向の若い女性の同僚・柾谷綺羅(まさやきら)が交わす、最初のタイナイ通信の会話は、なかなか陰険で楽しい。ちょっと「敵は海賊」の海賊課三人組のドツキ漫才を思わせるが、互いの突っ込みあいはもっと熾烈。

 とまれ、ここで出てくる、デジタル・ネットワークが生み出す人間関係の粘っこさは、なかなか興味深い。昔は電子メールなんで閑な時にまとめて読むもので、互いの時間を拘束せず、迅速な情報訪韓ができる点が便利な機能だったのに、今はリアルタイムで返答を要求されたりする。

 都市が保障する匿名性やプライバシーとは逆行する現象を、デジタル通信ネットワークがもたらしているのは、なかなか皮肉な話。

 物語は進むにつれ、やはり神林作品らしく、やがてヒトの認識の問題へと向かってゆく。情報震の世界では、記憶と記録の齟齬となって浮かび上がってくる。自分の記憶と、残っている記録とが食い違っていたら、信じられるのはどっちなのか。ここで、情報震が起こす現象の影響範囲が不明なのも手伝って…

 タイナイ通信の世界では、自分と他人の境界がボヤけてゆく。ここでも、都市の持つ匿名性が侵されるのが面白い。主人公が殺人事件に巻き込まれてからの会話は、悩んでいいのか笑っていいのか。いや私は笑いましたが。

 この手の、やや人の悪いギャグもアチコチにあって。彼の作品に外せない「フムン」も、なんか分かっててワザとやっているような。確かこの作品じゃ一回しか出てこないし。「一度はやらないと読者が納得しない」とか思ってるんじゃなかろか。やっぱり悪趣味なギャグが、ボビイの再起動操作。これを軍人さんが真面目な顔でやるんかい。

 セルフ・パロディっぽい仕掛けも、アチコチにあったり。そもそも腹で通信って何よ。「狐と踊れ」かい。二つの世界の主人公の関係も、「猶予の月」を思わせる。

 互いに見知らぬ多くの人が集い、互いに意味が分からない活動をして、それでも不安を感じずに生きていける不思議な機構、都市。便利で、匿名性があって、にぎやかな場所。複雑で、活発で、便利で、でも互いに何をやっているかはよく分からない。その主人は、都市なのかヒトなのか。ひとときの混乱を味わいたい人にお薦め。

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2014年3月18日 (火)

石引之・石紀美子「鉄条網の歴史 自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明」洋泉社

 戦争ではじめて使われたのは、1889年にキューバとフィリピンが舞台になった米国スペイン戦争(米西戦争・〔第四章〕)である。スペイン軍が、キューバで砦の防備のために約400メートルにわたって牧場用の鉄条網を張ったのが軍事利用の最初といわれる。

【どんな本?】

 紛争地帯や強制収容所などの物騒な状況の象徴である鉄条網は、アメリカのイリノイ州デカルブに住む農夫のジョゼフ・グリッデンが実用化した。その目的は、家畜に荒らさせる妻の花壇を守るためだった。安く手軽に施設できる鉄条網は、農民に大好評だった。

 土地を簡単に区分けし、人や大型動物の行き来を妨げる鉄条網は、やがて世界中に広がり、様々な紛争や残虐行為の道具となってゆく。合衆国の環境破壊・戦場での塹壕戦・強制収容所・軍事境界線など、鉄条網のある景色を中心に、20世紀以降の人類の歴史を顧みる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年3月11日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで約286頁。9.5ポイント43字×17行×286頁=約209,066字、400字詰め原稿用紙で約523枚。標準的な長編小説の分量。

 著者は元ジャーナリストだけあって、文章はこなれていて読みやすい。20世紀以降の世界史と広い範囲を扱う本だが、背景事情を簡潔かつ分かりやすく説明しているので、不思議なくらいスラスラと事情が理解できる。見慣れない地名も随所に出てくるが、適切な所に地図を載せているので、特に地理の知識も要らない。中学生でも読みこなせるかもしれない。いささか内容が強烈なので、あまり若い人には勧めないが。

【構成は?】

 まえがき―自由を拘束するローテク
第一章 西部開拓の主役―鉄条網が変えたフロンティアの景色
カンザス州の「鉄条網博物館」/切実な柵の不足/万能フェンスの登場/広がる鉄条網/大量の移住者の流入/入植者が必要とした柵/牛の大群がやってきた/押し寄せる農民/牧場主と入植者の戦い/激しくなる土地の囲い込み/職を失うカウボーイ/その後の鉄条網
第二章 土地の囲い込みと土壌破壊―大恐慌に追い討ちをかけた黄塵
加速する西部開拓/土地にかかる重圧/鉄条網が変えた生態系/開拓進む大平原/大型農業機械の導入/大砂塵の襲来/大平原の破綻/荒廃の代償/破綻の原因/放牧規制がはじまる/そして、今
第三章 塹壕戦の主役―第一次大戦の兵器となった鉄条網
戦場に出現した鉄条網/戦争を変えた機関銃/近代戦の先駆け/日本軍が手を焼いた鉄条網/第一次世界大戦勃発/塹壕戦のはじまり/鉄条網の登場/変わった戦争/西部戦線異状なし/戦場のクリスマス/対鉄条網対策/戦車の発明/日本への導入/第二次世界大戦への序章/鉄条網と現代戦
第四章 人間を拘束するフェンス―鉄条網が可能にした強制収容所
強制収容所の歴史/南アフリカの植民地化/ダイヤモンド・ラッシュ/近代戦となった南アフリカ戦争/収容所の劣悪な環境/虐待の謝罪/各地に広がる強制収容所/スペイン内戦の悲劇/ナチスの強制収容所/ホロコーストの犠牲者/強制収容所の第一号/強制収容所の構造/アウシュヴィッツの殺人工場/元収容者が苦しむ後遺症/収容所の拡充/鉄条網の内側/収容所の現在/人間の資源化/旧ソ連の強制収容所/繰り返される強制収容所/日系強制収容所/逆境でも花を愛でた日系/カナダの日系排斥/残留を選んだ人びと/その他の国々/「人種の罪」に泣かされた人びと
第五章 民族対立が生んだ強制収容所―「差別する側」と「される側」
南アのアパルトヘイト政策/高まる国際世論/活動家の迫害/タウンシップの形成/アパルトヘイトその後/集団墓地になった五輪会場/「民族浄化」と集団強姦/サラエボの花/戦争犯罪人の追及/世界を「欺いた」映像/沸騰する国際世論/戦争と情報戦/最後の逃亡戦犯を拘束
第六章 世界を分断する境界線―国境を主張する鉄条網
ベルリンの東西分断/恒久化する壁/東から西への脱出/壁の思い出/ヨルダン川西岸の壁/分離壁への反対運動/壁を越えた臓器提供/貧富を分ける最長の国境/フェンスの構造/世界最大の麻薬密輸ルート/最大の少数民族/中国・北朝鮮の国境の壁/新たな万里の長城/タイ・マレーシア国境/その他の国境線/国境の歴史
第七章 追いつめられる先住民―鉄条網で排除された人びと
希望のない未来/太平洋を分断した鉄条網/チェロキー族の悲劇/奪われる生活資源/文明と野生の衝突/ラストサムライ/遅きに失した先住民保護/グアラニー族の悲劇/土地を奪われる先住民/殺害される先住民/死に急ぐ若者たち/絶望が支配する居留地/アフリカの植民地支配/労働と環境の搾取/反植民地闘争と強制収容所/残忍な拷問/ケニア独立運動時の裁判開始/悪夢の再現/1500マイルの脱出/先住民の抹殺/ウサギ防御フェンス
第八章 よみがえった自然―鉄条網に守られた地域
鉄条網は自然をよび戻す/朝鮮半島の軍事境界線/よみがえる自然/復活がめざましい大型動物/緊張緩和が生み出す自然破壊/チェルノブイリ原発30キロ圏/野生の天国に/再導入された希少動物/動物たちの将来/汚染の影響/科学者の反目/そして、福島原発事故……
あとがき―「外敵排除」の論理/参考文献

【感想は?】

 表紙が象徴するように、かなり気の滅入る本だ。

 第一章から第二章は、アメリカ合衆国の開拓史が描かれる。西へ西へと膨張してゆくアメリカと、その過程で起きる軋轢。無限と思える土地を目の前にして、際限のない自由競争の果てがどうなるのか。西部劇ではよく見るが、我々日本人はよく知らない、大牧場主と農民の対立という構図の舞台裏が、分かりやすくかつ切実に語られる。

 つまりは互いに規模を大きくしようと競争した結果、土地に多大な負荷をかけ、そのツケがダストボウル(→Wikipedia)となって襲い掛かるまでを描いてゆく。私は昔から「どうも欧米の環境保護団体って過激だよなあ」と思っていたんだが、ここを読んで納得できた。宗教的な部分もあるだろうが、経験で思い知ったた部分も大きいんだろう。自らの手で大平原(→Wikipedia)を破壊し、合衆国全土を砂塵に埋めたのだから。

 次の第三章では、戦争での利用が描かれる。有名なのは第一次世界大戦の塹壕戦だ。安く簡単に施設できて、砲撃でも壊れない。視界をさえぎらず、敵からは見つけにくい。杭で立てるだけじゃなく、「マット状に広く地面に広げておけば、匍匐前進して攻めてくるのを阻止する効果があった」。それでも戦車には潰されるが、ノモンハンのソ連は…

「低張鉄条網」である。直径40~50cmほどの輪状や格子状にした鉄条網を地面に敷き詰めたものだ。
 そこに、日本軍の戦車が突っ込むと、キャタピラーを動かしている起動輪や転輪に絡みついて動きがとれなくなる。

 おお、賢い。
 続く第四章と第五章は、強制収容所がテーマとなる。ここでは有名なナチスのユダヤ人収容所も出てくるが、私には南アフリカがボーア戦争を経てアパルトヘイトへ至る過程と、NATOが介入した旧ユーゴスラビア内戦の背景事情を、わかりやすく描いてくれたのが嬉しい。

 飛んで第七章も、なかなか気の滅入る内容。ここでは、北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・オーストラリアでの先住民虐待の歴史を描いている。ここでは、特にブラジルでのグアラニー族(→Wikipedia)の支族カイオワ族の現状に胸が痛む。起きていることは、かつて北アメリカで起こった事とほとんど同じなのだが、現在進行形なだけに、迫力が違う。

 など、読んでいて苦しい話が続くこの本だが、ラストの第八章は少しだけ明るい。舞台は中国と北朝鮮の国境,韓国と北朝鮮の軍事境界線、チェルノブイリの事故跡、そして福島の事故跡。ここで面白かったのは、チェルノブイリの生態系の変化。

 まず、ネズミが爆発的に増える。「野ネズミの数はそれまでの1haあたり20~30匹から、2500匹」って、100倍以上だ。取り入れてない作物を食べて増えたのだ。駆除を考える政府に対し、生物学者は予言する。「すぐに個体数は安定する」。事実、猛禽類や肉食獣が来た上に、餌がなくなって、ネズミの数は元に戻る。どころか…

 石棺(事故を起こした四号炉)付近に放置された掘削機の上に止まっているワシミミズク(→Wikipedia)の姿も目撃された。羽を広げると1.8mにもなる大型のフクロウで、絶滅危惧種に指定されている。

 などと生態系は回復を見せていて…

チェルノブイリ原発事故は、高濃度の放射能被爆によって深刻なダメージを受けた生態系が、今後どう変化していくかという「実験場」になり、世界中から多くの科学者が調査や研究にやってきた。

 今の所、楽観論と悲観論がせめぎあってて、「個体数が増えている」って説と、「近隣から移住してるだけ」って二つの説がある。秘密主義に阻まれたチェルノブイリと違い、比較的に初期から観察できた福島は、重要なサンプルとなっているとか。なんだかなあ。

 元は花壇を動物から守るために作られた鉄条網。やがて人間を排除または隔離する道具となり、土地の奪い合いや強制収容所に使われてゆく。我々は歴史を定住民族の視点で見るが、狩猟採集民族の視点で見ると、全く違った風景が見えてくる。

 ジャーナリストの著作だけあって、文章は読みやすく、複雑な背景事情の説明も分かりやすい。随所にシェーンやラストサムライなど有名な映画を例にとり、読者に親しみを持たせる工夫も巧い。それだけに内容の厳しさが身に染みて、気分は憂鬱になってくる。受ける衝撃は大きい。心身の調子がいい時に読もう。

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2014年3月16日 (日)

キャロル・エムシュウィラー「すべての終わりの始まり」国書刊行会 畔柳和代訳

自分がどこかおかしいことも、それが人目につくこともわかっているが、たちまち気づかれてしまうようで、なぜそうなるのかは見当がつかない。でも多くの人間はとり澄ました石頭のくせして結婚できるのに、私には友だちすらほとんどいなかった。
  ―-ジョゼフィーン

【どんな本?】

 アメリカの作家キャロル・エムシュウィラーの短編を、日本で独自に編纂した作品集。日本ではあまり馴染みのない作家であるにも関わらず、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2008年版」ベストSF2007海外編で15位に食い込んだ。

 SFともファンタジーとも少し違う、だが普通小説の枠にも収まらない、独特の芸風が特徴。一人称で語られる物語が大半で、その多くが老いた女性だ。往々にして舞台も登場人物も正体不明で、結末も様々な解釈ができる作品が多い。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年5月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約347頁。9.5ポイント44字×18行×347頁=約274,824字、400字詰め原稿用紙で約687枚。長編小説ならやや長めの分量。

 文章は翻訳物の割に比較的にこなれていて、読みやすい部類だろう。ただ、内要は…・。いや、難しい理屈や数式が出てくるわけじゃなくて、「少し不思議」な系統のお話が多い。だから、SFを読みなれていない人でも大丈夫。ただ、この人の芸風が独特で。最後まで主人公や起きた事柄がハッキリしない話が多く、注意力と想像力をフル稼働させる必要がある。結末が何通りにも解釈できる作品ばかりなので、それなりに小説を読んでいる人向けの本だろう。

【収録作は?】

 それぞれ 日本語作品名 / 原題 / 雑誌初出 / 収録単行本 の順。

私はあなたと暮しているけれど、あなたはそれを知らない / I Live with You and You Don't Know It / The Magazine of Fantasy and Science Fiction [ F&SF ] 2005.3 / I Live With You, 2005
ひとり暮らしの女性の家に、こっそり隠れ住んでいる。狭い天井裏に潜み、彼女の服や敷物を少しづつ調達して、生活用品を整える。彼女は背格好が私と同じ。私と同じで、まったく目立たない。私はうずくまって、あなたの背後から家に入った。
すべての終わりの始まり / The Start of the End of It All / テリー・カー編 Universe 11, 1981 / The Start of the End of It All, 1990
彼らは、この惑星を乗っ取ろうとやってきた。夜明けまで語り合って、私は協力者になった。まずはキッチン。「キッチンとよい椅子が数脚あれば、だいたいこと足りる」。それはいいけど、次が問題。「だがまず」「猫を除去しなければならない」
見下ろせば / Looking Down / Omni, 1980.1 / The Start of the End of It All, 1990
俺は風に乗って来たが、怪我をして落ちてしまった。みなの後を追うつもりだったが、やがて雪が来る。奴らは俺を玉座に据え、神と崇める。王冠も悪くはないが、我が冠毛ほどではない。そして、俺に願いを述べる。
おばあちゃん / Grandma / F&SF, 2002.3 / Report to the Men's Club, 2002
昔、おばあちゃんは活動家だった。近所で捜索隊や救助隊が作られると、必ずおばあちゃんも参加した。一人で十隊分ぐらいの働きをしたし、両腕に鹿を抱えて山を軽々と飛び越えた。今だって、おばあちゃんは地下室でトレーニングしてる。でも、孫の私は出来損ないで…
育ての母 / Foster Mother / F&SF, 2002.3 / Report to the Men's Club, 2002
私はそれを預かり、育てている。可愛い坊や。マニュアルには「脳みそは小さく、ライ豆二個大です」とか書いてあるけど、今は私をムーシュ、ムーシュカ、マッシュって呼ぶ。私たちは散歩に出かける。坊やが疲れるとおぶってやる。あの子は花の名前も覚えた。
ウォーターマスター / Water Master / Sci FIction, 2002.2 / Report to the Men's Club, 2002
彼はウォーターマスター。用水路と水門を調べ、管理する。いつもつば広の帽子を深くかぶっていて、顔はよくわからない。彼は山の高みの、ダムの近くに住んでいる。今年はあまり雪が降らなくて、山の湖の水位が低い。りんごの木やタマネギは枯れつつある。
ボーイズ / Boys / Sci Fiction 2003.1 / I Live With You, 2005
我々はどこからでも少年を盗む。敵味方は気にしない。最初はホームシックになるが、大方は捕らわれて喜んでいる。ようやく男の一員になれたのだから。一年に一度、我々は<母親たち>のもとへ行き、交尾する。
男性倶楽部への報告 / Report to the Men's Club / / Report to the Men's Club, 2002
みなさんお一員に加えていただき、わたくしは誇らしく思い、深く感謝しております。我々は狩人たちの息子であって、恋人たちの息子ではありません。わたくしは人類、マンカインドの研究にいそしんでまいりました。
待っている女 / Woman Waiting デーモン・ナイト編 Orbit 7, 1970 / The Start of the End of It All, 1990
私は空港で搭乗のアナウンスを待っている。216便、私の便だ。遅延されたという。他の飛行機は上昇してゆく。それを見ているうち、私は縮んでしまった。
悪を見るなかれ、喜ぶなかれ / See No Evil, Feel No Joy / / I Live With You, 2005
我々は黒をまとう。我々は沈黙の誓いを立てた。常に帽子を目深にかぶる。でも私は折り悪く、人と目があってしまった。お互い素早く目を逸らしたが、一瞬見つめあった。彼はどう思っただろう。
セックスおよび/またはモリソン氏 / Sex and/or Mr. Morrison / ハーラン・エリスン編 Dangerous Visions, 1967 / Joy in our Cause, 1974
だいたい8時半ごろ、モリソン氏がどすんどすんと降りてくる。いつも微笑んでいて、いい人だ。太っていて、いつも忙しそうだ。彼は私の真上に住んでいる。大男だけに、静かではない。
ユーコン / Yukon / / Versing on the Pertinent, 1989
彼は竜だ。狼だ。彼は食料を持ち帰り、あら探しをする。彼女は料理を作る。レバー料理、ウサギのシチュー、ホットワイン。彼女は朝に出発し、暗くなったらケルンの隙間で眠る。家では彼が叫んでいる。「ベーコン、ベーコン!」
石造りの円形図書館 / The Circular Library of Stones / Omni, 1987.2 / The Start of the End of It All, 1990
この遺跡にインディアン時代以前の都市なんかない。みんなそう言う。でも、発掘自体が私には楽しい。鏡だって発見した。地下60cmにあり、傷だらけ。そして地下30cmに石の小路らしいものを見つけた。あきらかにカーブしている。雨の日には老女らしく編み物をする。
ジョーンズ夫人 / Mrs. Jones / Omni, 1993.8 / Report to the Men's Club, 2002
婚期を逃した姉妹、姉のジャニスと妹のコーラ。ジャニスは痩せた夜型、コーラは太った朝型。結婚して親の古い農家を出ればよかった、二人ともそう思っている。
ジョゼフィーン / Josephine / Sci Fiction, 2002.11 /  I Live With You, 2005
いつだってジョゼフィーンを探すのは私の役目だ。「お年寄りの家」のレイトショーは、彼女が最高の呼び物だから。彼女はよく言う。「あなたが見つけてくれなけりゃ、わざわざ行方不明になんかならないわ」
いまいましい / Abominable / デーモン・ナイト編 Orbit 21, 1980 / Report to the Men's Club, 2002
我々は未知の領域に向かい前進している。男子七名は海軍の正装に身を固めた、各分野の専門家だ。彼らは実在する。我々の進路には、彼らが落としたと思われる品がある。冷凍アスパラガス、ディップのレシピ、しわくちゃの1ドル札。
母語の神秘 / Secrets of the Native Tongue / /  Versing on the Pertinent, 1989
現代言語学のシンポジウムの招待状が来た。あて先の綴りが違うので、間違いのようだが、住所はあっている。面白そうなので、出かける事にした。幸い準備期間があるので、該当分野の本を読み漁って準備した。だが、さすがに学者のファッション・センスまでは気が回らなかった。
偏見と自負 / Prejudice and Pride / / Report to the Men's Club, 2002
彼フィッツウィリアムは彼女エリザベスを見る。二人は裕福で、朝食は召使の手で運ばれる。二人は春に結婚したのだ。
結局は / After All / / Report to the Men's Club, 2002
どこかへ出かける潮時だ。お弁当も水もいらない。これは発見の旅もしくは自己回避の旅。子供たちは言うだろう。「ママ、自分で思うほど若くないのよ」。私は足を引きずってる。スリッパがしょっちゅう脱げてしまうから。
ウィスコン・スピーチ / WisCon Speech / /  I Live With You, 2005
2003年のウィスコン(フェミニストSF大会)でのスピーチ。フェミニストだからって、特に構えることなかれ。普通のオバサンの面白い話だと思って読もう。実際、なかなか楽しげでユーモラス。作品の意味不明さも、意図的なものであると語っていたり、この本を読み解くヒントになる鍵がアチコチにある。

 「ウォーターマスター」や「ジョゼフィーン」などのラブストーリーは、わかりやすい方だろう。「ボーイズ」や「ユーコン」は、ジェンダーがテーマなのかな? また、老人が主人公の作品が多いのも、彼女ならでは。特に「石造りの円形図書館」や「結局は」など、老いを直視した作品は、文学全般でも稀有なテーマだろう。

【感想、ネタバレあり、要注意!】

 いずれも様々な解釈ができる作品ばかり。普段はネタバレを避けるのだが、この作品集はどうしても結末を踏まえた感想を書きたいので、私なりの解釈を交えた感想を。

私はあなたと暮しているけれど、あなたはそれを知らない
最後まで読むと「座敷わらしか?」と思うのだが、主人公は明らかに肉体を備えているし、飲み食いもする。あ、でも、アメリカの座敷わらしだから、日本と違うんだろうなあ。
すべての終わりの始まり
地球侵略を目論むエイリアンと、彼らの手先となって働く老いた女性。エイリアンの描き方が、いかにも「主婦から見た男のだらしなさ」を突きつけてきて、妙にリアル。歯磨き粉のチューブの絞り方、便座の上げ下ろし、切った爪の始末…。言葉どおりエイリアンなのか、はたまた異国から来た宣伝工作員なのか。
見下ろせば
羽を怪我して仲間とはぐれたカラスの一人称で語られる物語。ヒトが彼を捕らえ、神として崇める。中盤以降は、かなり無茶な展開だと思ったんだが、もしかしたらネイティブ・アメリカンの神話を、トーテムとなった神様の視点で語っているのかも。
おばあちゃん
老いたスーパーガールと、仲のいい孫のお話、かな? あんまり出来はよくないけど、おばあちゃんの想いはちゃんと受け継いだ孫が語る、老後のスーパーガールの姿。頭取さんは、話を聞いて、どう思うんだろう?
育ての母
恐らくは戦闘用の人工生物を預かり、育てた母性愛溢れる女性の物語。フランケンシュタインの怪物が、こんな女性に出会えていたら、全く違う物語になったかも…という解釈もできるけど、母性愛に狂った女のタワゴトともとれる。とりあえず、今の所、私は前者と解釈してます。
ウォーターマスター
お得意の、孤独な年配の女性と男性のラブストーリー。娘らしい幻想が壊れてもなお…って展開は、一昔前の少女漫画の王道かも。
ボーイズ
男の子同士の戦争ごっこがエスカレートしたような、奇妙な世界の物語。女性らしい皮肉な目で男たちの戦いを見ているが、「でっかい男の子」のしょうもない性分は、腹が立つほどよく書けてる。
男性倶楽部への報告
男性優位主義の女性を茶化した作品とも思えるけど、男が勝手に妄想する「男性優位主義の女性」を描いた話かもしれない…と思ったが、検索してやっとわかった。カフカの「ある学会への報告」のパロディなのか。いやカフカは読んだことないけど。
待っている女
 体を洗わずに家を出た、きっとそれを見破られていると思い込む。気分が縮こまった、だから体も縮んでしまう。こういう、主観と客観が混同してゆく話は、なんか肌がゴワゴワしてくる。山尾悠子やアンナ・カヴァンの肌合いを連想した。彼女らは本能的にやってる感があるが、キャロル・エムシュウィラーはわかった上で、表現として使っているんじゃないかなあ。
悪を見るなかれ、喜ぶなかれ
徹底した禁欲と、人格の抑圧を強いる、閉鎖的なカルト集団の中での生活…というと、アーミッシュを思い浮かべるんだが、この作品は更に徹底していて、家庭まで破壊している。カルトを皮肉った作品にように見えるけど、彼女の手にかかると、もう一つか二つヒネリが入ってるように思えるんだが、よくわからない。
セックスおよび/またはモリソン氏
デブのモリソン氏に恋をした婆さんのお話。齢はとっても、考えることは小娘と同じ。トカゲみたく小さくなって、彼の部屋に忍び込みたい…というか、やってる事はモロにストーカーなんですが。
ユーコン
妻を家政婦のように扱う夫と、それから逃げ出した妻を描いた寓話かな?で、次の男は大人しくて無口、知的ではあるが少々鈍い…と思って読んでたが、子供がアレだと、全然違う気もする。
石造りの円形図書館
遺跡の発掘なんぞという、奇妙な道楽に憑かれた老女の一人称で語られる物語。娘たちは彼女がボケて妄想に取り付かれていると思っている。とまれ、終盤近く、この一節は心に染みる。
 「する」ことがあるように。「いる」だけなんて嫌だ。
ジョーンズ夫人
セコく角突き合う姉妹を、いかにも著者らしく意地の悪い細かい描写で活き活きと描いてる。「母さんの銀の枝つき燭台」や「父さんのゴム長」なんて小道具が、ずっと実家に住み着いてる姉妹にリアリティを持たせてると思う。オチは…私はホラーだと思うんだが、どうでしょうね。
ジョゼフィーン
老いてから出遭った、涼宮ハルヒとキョンのラブストーリー。いやそうでしょ、どう見たって。活力・行動力に溢れ、周囲から浮いてしまうツンデレのヒロイン。グダグダと愚痴をこぼしながら、ヒロインに鼻先を振り回されるダメ男。最後までヒロインに振り回される男が、なかなか可愛い。
いまいましい
男女の間にある、どうしようもない不理解を戯画化したお話、のように見えるけど…。うーん。
母語の神秘
すんません、ほとんど意味がわからなかった。「悪を見るなかれ、喜ぶなかれ」とは逆に、こっちは主人公の台詞が引用だけなのが気になる。また、綴り云々のあたりが、「ウィスコン・スピーチ」とも繋がってる気がする。エムシュウィラーって苗字も珍しいし、楽屋オチなのかも。
偏見と自負
すんません。「高慢と偏見」は読んでないです。とまれ、最後の段落は皮肉が効いてる。
結局は
ええっと…ボケた一人暮らしの徘徊老人は、こんな妄想してるんですよ、そんな話なのかなあ。

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2014年3月14日 (金)

ちくわぶ「箕子に学ぶリーダー9つの心得 鴻範九等」民明書房新書

 殷の紂王が象牙の箸を作ったとき、箕子は贅沢を諌めましたが聞き入れられず、狂人を装って身を隠しました。周の武王は殷を倒したあと、箕子を訪ね教えを請います。箕子が武王に授けた鴻範九等は、かつて天帝が禹に伝えた治国の大法であり、これにより禹が治めた夏王朝は繁栄したのです。

【どんな本?】

 無名の新人・ちくわぶによる、自費出版のビジネス書。粗製乱造されるビジネス書の例に漏れず、有名作品の威を借りてソレっぽい屁理屈を展開し、読者を少し賢くなったような気分にさせる本である。彼がネタとしたのは司馬遷の史記のうち世家、それもどうやら明治書院の新釈漢文大系を拾い読みした模様。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年6月1日初版発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約200頁。9ポイント40字×16行×200頁=約128,000字、400字詰め原稿用紙で約320枚。量こそ少ないものの、文章は誤字脱字が多く、また日本語としても悪文の連続であり、とても読めたものではない。

【構成は?】

  1. はじめに
  2. 鴻範九等とは
    1. 五行
    2. 五事
    3. 八政
    4. 五紀
    5. 皇極
    6. 三徳
    7. 稽疑
    8. 庶微
    9. 五福六極
  3. 五行:万物を司る
    1. 低きに流れる水
    2. 上に立ち昇る火
    3. 曲げ伸ばしできる木
    4. 熱すると柔らかくなる金
    5. 種を撒くと収穫できる土
  4. 五事:民の師となる
    1. 恭順の貌
    2. 従順の言
    3. 明敏な視
    4. 聡い聴
    5. 叡智の思
  1. 八政:政治で大切なこと
    1. 民を食わせる食
    2. 生活必需品の貨
    3. 先祖や神を敬う祀
    4. 土地と住宅を与える司空
    5. 民を教育する司徒
    6. 妥当な刑罰の司寇
    7. 外交の賓
    8. 軍事・警邏の師
  2. 五紀:暦の管理
    1. 12ヶ月で一歳
    2. 朔から晦までの30日または29日が一ヶ月
    3. 一日
    4. 星の28宿と月日の星辰
    5. 日・月・星の運行を見て季節を知らせる暦数
  3. 皇極:大中至正の道
  4. 三徳:人への対応
    1. おだやかで素直な者を治める正直
    2. 強情な者を収める剛克
    3. 温和で従順な者を治める柔克
  5. 稽疑:亀甲の卜と筮竹の筮
  6. 庶微:雨・日照・暖気・寒気・風を司る君子の徳
  7. 五福六極
    五福:幸福の5要素 長命/富貴/健康/美徳/天命を全うする
    六極:6つの誅罰 若死に/病気/不安/貧乏/不細工/ひ弱

【感想は?】

 この本から読み取るべきは、リーダー論ではない。「粗製乱造のビジネス書の書き方」だろう。そういう点では、間違いなく優れた教科書と言える。

 一般に粗製乱造のビジネス書は、定評ある古典や実績のある経営者、または歴史上の偉人をネタに適当な脚色を施し、水増しして一丁挙がり、といったパターンが多い。この本も、ご多聞に漏れずその手口を踏襲している。

 ビジネス書のネタ本として有名なのは、デール・カーネギー(→Wikipedia)だろう。最近ではピーター・ドラッカー(→Wikipedia)が流行った。苔の生えた計算屋なら、ジェロルド・ワインバーグ(→Wikipedia)ぐらいは読んでいるだろう。「ライト、ついてますか」は手軽く読める隠れた名著だ。少し傾向が違うが、リチャード・ファインマンの著作「ご冗談でしょう、ファインマンさん」も評判が高い。

 人物としてよく取り上げられるのは、クセの強い人が多い。中学生の教科書に出てくる人物ではなく、少しマイナーなキャラを採用するのがコツだろう。例えばアーネスト・シャクルトン(→Wikipedia)。南極点到達を目指し冒険を企てたが座礁、氷原に閉じ込められる。20ヶ月の漂流の末に、なんと一人の死者も出さず全員が生還した。危機におけるリーダーとして、彼の人気は根強い。シャクルトンが出した隊員募集の文句は有名だ。

求む男子。至難の旅。
僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。

 やや高齢の読者には、日本や中国の歴史上の人物がウケるようだ。どうも孔子は名前が売れすぎて新鮮味に欠け、老子は「上を目指す経営者」にウケがよくない。比較的にウケがいいのは孫子だろうが、兵法である以上、いささか物騒ではある。周の武王を導いた箕子なら、目の付け所は悪くない。

 だが、この著者の最もあざとい所は、その水増し能力にある。明治書院の新釈漢文大系の史記・世家上巻だと、箕子の登場場面は15頁かそこらである。これを無駄な自分語りやエピソードの強引なこじつけで200頁にまで薄めた能力は、まさしく売文家の本領発揮である…売れれば、だが。

 とはいうものの、問題点も多い。誤字脱字の酷さは一読でわかる。若者に媚びて無理にアニメやゲームのネタを使っているが、どうにもネタが古く、かび臭さが漂う。中でも最大の欠点は、寒いオヤヂギャグだろう。ただでさえ意味不明な悪文の連続をなんとか読み下したオチが、使い古された地口だった時の脱力感といったら。著者はドヤ顔だろうが、すこしは読者の気持ちも考えて欲しい。

 目の付け所はともかく、水増しの内容・誤字脱字の嵐・酷い悪文・使い古しのオヤヂギャグと、時間の浪費にしかならない。環境問題が叫ばれる昨今、少しは紙とインクの節約を考えて頂きたい。

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  • スタニスワフ・レム「完全な真空」国書刊行会 沼野充義訳

 レム先生、ごめんなさい。

     

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2014年3月13日 (木)

チェ・ゲバラ「新訳 ゲリラ戦争 キューバ革命軍の戦略・戦術」中公文庫 甲斐美都里訳

戦術レベルでは「七つの黄金律」は今も有効であり、創造的に使われさえすれば勝利は確実である。

  • 負ける戦いはしないこと。
  • つねに動き続けること。ヒットアンドラン、攻撃して撤退する。
  • 敵は武器の主要供給源であると考えよ。
  • 動きを隠せ。
  • 軍事行動では奇襲を活用せよ。
  • 余力があれば新しい縦隊を作ること。
  • 一般論として、三つの事に留意しつつ進めること。すなわち、戦略的防衛、敵の行動とゲリラ行動のバランス、そして、敵の壊滅。

【どんな本?】

 エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。世間ではチェ・ゲバラ(→Wikipedia)の名で知られる、アルゼンチン生まれの革命指導者。この本は、キューバでの戦いの経験を元に著した、実践的なゲリラ戦略・戦術の教科書である。

 どんな政治状況ならゲリラ戦が有効なのか。どんな地形がゲリラに有利なのか。装備・兵力に勝る正規軍に対し、どうすればゲリラが勝てるのか。戦闘時にゲリラは何を持ち歩くべきか。侵攻してくる正規軍の、どこを叩くべきか。最も優先すべき補給物資は何か。戦闘部隊はどんな組織にして、どんな武装が適切か。戦車には、どうやって対応するのか。住民をどのように治めるのか。ゲリラ組織は、どうやって成長させるのか。

 キューバにおける実践と経験を元に書かれ、合衆国陸軍でも教科書として採用された、今すぐ使える革命の手引書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Guerrilla Warfare, by Ernesto Che Guevara, 2006。日本語版は208年7月25日初版発行。文庫本縦一段組みで約189頁。9ポイント40字×17行×189頁=約128,520字、400字詰め原稿用紙で約322枚。長編小説なら短めの分量。

 多少は政治思想的な部分も含むが、思ったより文章は硬くない。内容も比較的に分かりやすく、特にハンモックの使い方などはイラストを添えて説明してある。敢えて言えば、具体的な武装を書いた部分が、兵器オタクでないと分からない程度か。下手すると中学生でも読みこなせてしまうので、それが大きな問題。

【構成は?】

 編集ノート
 エルネスト・チェ・ゲバラ
 前書き ハリー・“ボンボ”・ブエガス
 カミロ・シエンフエゴスへの献辞 エルネスト・チェ・ゲバラ
第一章 ゲリラ戦の基本原則
 1 ゲリラ戦の本質
 2 ゲリラの戦略
 3 ゲリラの戦術
 4 有利な地形での戦闘
 5 不利な地形での戦闘
 6 都市部での戦闘
第二章 ゲリラ隊
 1 社会変革者としてのゲリラ戦士
 2 戦闘員としてのゲリラ戦士
 3 ゲリラ隊の組織
 4 戦闘
 5 ゲリラ戦の開始、展開、そして終結

第三章 ゲリラ戦線の組織
 1 補給
 2 市民組織
 3 女性の役割
 4 保健医療
 5 破壊活動(サボタージュ)
 6 軍需産業
 7 宣伝活動(プロバガンタ)
 8 諜報
 9 訓練と教育
 10 革命運動軍の組織構造
第四章 補遺
 1 最初のゲリラ部隊地下組織
 2 権力の保持
 3 エピローグ キューバ情勢の分析 その現在と未来
 解説 恵谷治

【感想は?】

 革命のレシピ。

 もうね、教科書なんてもんじゃない。むしろレシピに近い。「状況さえ揃っているなら、この本の通りにやれば政府を転覆できますよ」と、そういう本だ。

 武装から持ち歩くべき物、正規軍相手の戦術に至るまで、記述は下世話で具体的。自分じゃリベラルのつもりだったが、読んでて「こんな本を規制せずに流通させるとは、日本の言論の自由も懐が深い」と感心するレベル。有害さで言ったら、児童ポルノなんか目じゃない。だって最終目標は現政権を打倒し、新政権を樹立する事なんだから。

 そこに至るまでが、「人民の教育」だの「階級闘争」だのといったお題目なら、まだ安心できるんだが、この本に書いてあるのが、具体的な戦闘のコツだったりするから、大層タチが悪い。最初、私は正規軍の立場になって読んでいたんだが、ゲバラの手口は実に嫌らしい。

 敵の周囲四方向を、5~6人の小部隊で取り囲む。一方向から攻撃し、敵が動いたら、「姿が見える程度の距離を保ちつつ退却」して、別の小部隊が銃撃を浴びせる。どこに敵が潜んでるか分からないって状態は、ひどく神経を消耗する。これを繰り返すわけだ。または…

奇襲から始まる猛烈で容赦ない攻撃は、急にぴたりと止むのである。生き残った敵兵は一息ついて、攻撃部隊が撤退したと思いこむ。彼が気をゆるめ、取り囲まれた陣地の中で元の任務に戻ろうとした時、突如として別の地点から先と同様の攻撃が開始される。

 うわ嫌らしい。狙う対象も理に適ってる。

敵の最大の弱点の一つは陸上輸送であるが、道路や鉄道などの輸送路一メートルごとに警護を置くことは事実上不可能である。

 まったくだ。特に現代の部隊は機械化が進んでるんで、補給がないとどうしようもない。とまれ、ゲリラも補給は大変で、基本的に弾薬は敵から奪って調達する。だもんで、武装も「敵の軍備次第ということになる」。ゲリラはいつだって弾薬に事欠いてるから…

正規軍との戦いでは、銃撃の方法を見るだけで両者の識別が可能である。正規軍が大量の火力を使用するのに対して、ゲリラ側の銃撃は散発的で、そして正確である。

 戦闘ばかりでなく、生活面の記述も具体的で切実。特に何度も繰り返し出てくるのは、靴。「ゲリラの日常は長い行軍である」。山岳地帯を歩き回る生活なんで、相当に苦労したらしく、「予備の装備が持てるのであれば、まず何よりも靴を持つべきである」。他に重要なのはハンモック・毛布・ナイロン布・リュックサック・ラード・・皿・ナイフ・水筒…。

 なお、「着替えを持つのは構わないが、それをするのは経験不足の現れであろう」。「必要不可欠でない物を少しづつ捨てていくようになる」。確かに旅慣れた人ほど荷物が少ないんだよなあ。ちなみにハンモックは傷病兵の運搬にも便利です。

 少しだけイラストも載ってるんだが、これまた実に物騒。最初のイラストはハンモックの吊るし方。これはいいんだが、次は「モトロフ・カクテルをライフルに装着する方法」で、次が「対戦車用の落とし穴」、次に「迫撃砲からの避難掩蔽壕」。ライフルで火炎瓶を射出するなんて、なんとも賢いというか泥縄式の工夫と言うか。落とし穴も、当事の戦車には効果的だったんだろうなあ。

 他にも橋の落とし方、強力な戦闘部隊が相手の時の戦術、都市で狙うべき標的、農民の慰撫の方法など、物騒で実用的な内容が一杯。と同時に、同じ治安不安定な地域でも、イラクとアフガニスタンの違いが見えてきたりする。アフガニスタンは戦略的に意義のある施設を狙ったゲリラ活動が多いけど、イラクは単なるテロが多く、抵抗勢力の違いが手口に現れている。

 なお、幸いにして、この本は今の日本じゃあまり役に立たない。銃器が手に入らないのもあるが…

 政府が、不正があろうとなかろうと、なんらかの形の一般投票によって政権についている場合、または少なくとも表面上の合憲性を保持している場合には、ゲリラ活動には多大の困難が伴うだろう。非暴力闘争の可能性がまだあるからである。

 この本が出版されているのは、日本国政府の自信の表れなのかもしれない。社会に不満を持ち、かつ血の気の多い若者には、極めて危険で有害な本だ。

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2014年3月11日 (火)

「完本 池波正太郎大成4(鬼平犯科帳1)」講談社

一、盗まれて難儀するものへは手を出さぬこと。
一、つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。

【どんな本?】

 昭和を代表するベストセラー作家・池波正太郎による、「剣客商売」と並ぶ人気作にして代表作である、時代小説の連作短編シリーズ。何度もテレビドラマ化され、舞台でも多く演じられている。

 田沼意次が失脚し、老中・松平定信による幕政改革のさなか。犯罪が凶悪化し治安の悪化を食い止めるべく、幕府は火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)を設け、その機動力をもって江戸の警護を固めようとしていた。天明七年九月十九日、火付盗賊改方の長官が変わる。その名も長谷川平蔵宣似(のぶため)。

 彼はやがて盗賊どもにこう呼ばれる。人呼んで鬼の平蔵、略して鬼平。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解題によると、初出は1968年。雑誌「オール讀物」1月号~1971年7月号。完本は1998年5月20日台一冊発行。私が読んだのは2011年3月30日発行の第七刷。順調に版を重ねてます。完本1は、文春文庫の「鬼平犯科帳」なら1巻~6巻までを収録。

 ズッシリ重い単行本ハードカバーで縦2段組で本文約814頁。.8.5ポイント28字×25行×2段×814頁=約1,139,600字、400字詰め原稿用紙で約2849枚。文庫本で約6冊分の大容量。

 ベストセラー作家だけあって、文章の読みやすさは抜群。ただ、さすがに後の作品「剣客商売」と比べると、読みやすさは一歩譲る。時系列的には鬼平が先に出て大当たりしてるんで、鬼平の大当たりにも気を弛めず更に文章を磨き、「剣客商売」をモノにした、と考えるのが妥当だろう。

 内容も特に前提知識は要らない。テレビドラマの時代劇が楽しめれば充分に味わえる。東京、それも本所や深川など下町に詳しいと、より楽しめる。また、読後でも史実の長谷川平蔵(→Wikipedia)を調べると、更に楽しみが増す。ただし、幾つか問題がある。

 まず、胴回りの成長が気になる人は、夜に読まない方がいい。ダイエットの大敵なのだ、この人の本は。次に、本に影響を受けやすい人は、登場人物の口調がうつる危険がある。リズムがよすぎるんだ、この人の文章は。最後に、完本はちと重い。通勤電車で読むには、さすがに辛い。かといって、文庫本だと、まとめて買っておかないと禁断症状が…

【収録作】

唖の十蔵/本所・桜屋敷/血頭の丹兵衛/浅草・御厩河岸/老盗の夢/暗剣白梅香/座頭と猿/むかしの女/蛇の眼/谷中・いろは茶屋/女掏摸お富/妖盗葵小僧/密偵/お雪の乳房/埋蔵金千両/麻布ねずみ坂/盗法秘伝/艶婦の毒/兇剣/駿州・宇津谷峠/むかしの男・霧の七郎/五年目の客/密通/血闘/あばたの新助/おみね徳次郎/敵/夜鷹殺し/深川・千鳥橋/乞食坊主/女賊/おしゃべり源八/兇賊/山吹屋お勝/鈍牛/礼金二百両/猫じゃらしの女/剣客/狐火/大川の隠居/盗賊人相書/のっそり医者
 解題

【感想は?】

 この巻だと、大江戸盗賊列伝といった感じ。

 シリーズ名こそ「鬼平犯科帳」だが、この巻では、むしろ次から次へと登場する盗賊どもの方が印象に残る。

 著者曰く「〔謎とき〕の捕物帖でない」と語るように、ミステリ仕立ての話は少ない。盗賊の話と、捕り方である鬼平側の話を交互に進め、「どうなるんだ?」と読者をヤキモキさせるのが、このシリーズの基本パターンであり、大きな特徴。

 謎ときの魅力を排していいのか、なんて心配は、全く要らない。それどころか、盗賊の物語こそ、めっぽう面白い。丹念に構成され、じっくりと書き込まれた盗賊たちのシステム、それぞれの主義と意地と実益が絡み合い、せめぎ合う盗人の世界こそ、この物語の魅力だ。

 冒頭の引用は、盗賊たちが理想とする三か条。盗みと書いて「おつとめ」と読む。泥棒ったって、それなりの誇りと意地があるのだ。きれいな「おつとめ」をする者は大盗賊と呼ばれ尊敬される、そんな世界。どうやらこれ、全部著者の創作らしいのだが、読んでると「いかにもありそう」と思えてくるから作り話ってのは怖い。その手口というのが…

 あ、いや、それも読んでのお楽しみ。要は盗みの手口なんだけど、実に巧妙で手が込んでるんだ。それが少しづつ姿を現してくるのが、この巻のお楽しみでもある。

 「血頭の丹兵衛」では、その「きれいなおつとめ」を巡る話が楽しめる。江戸を荒らしまわる盗賊団。十余の手下をしたがえ、富裕な商家を襲い、脅して金品を強奪した上で、一人残さず皆殺しにして去る。だがしかし、かつての丹兵衛を知る者はこう語る。「いま御ひざもとを荒らしているやつは、にせものの血頭の丹兵衛でございますよ」

 …と思ったら、話は更に二転三転。この仕掛けも見事ながら、最後に漂う余韻も見事なもの。これじゃ人気が出るのも頷ける。いやね、仕掛けもいいけど、とにかく誰かと話したくなるんだ、このお話。でも、読んでない人にネタは明かしたくないから、まず「読んでみてよ」と布教に励んじゃうんだな。そうやって鬼平ミームは繁殖してゆくのだ。

 そんな風に、盗賊にもいろいろあって。じっくり仕込んできれいな職人芸を見せる盗賊もいれば、手っ取り早く荒っぽい「おつとめ」をする奴もいる。大きな組織と複数のアジトを持ち、様々なスペシャリストを揃えた盗賊団もあれば、己の腕を頼りに「ひとりばたらき」に励む者もいる。

 人の眼に隠れ生きねばならぬ盗人とはいえ、それぞれに意地はある。誰だって長く勤めていれば、それなりに誇りも芽生えてくる。奇妙にねじれた職人の意地が楽しめる「兇賊」「大川の隠居」も楽しいが、大笑いしたのが「盗法秘伝」。

 一時的に火付盗賊改方の役を解かれ、父の墓参りを兼ね京都へと向かう平蔵。道中、知り合った年寄りに、その腕と度胸を気に入られ、持ちかけられた話が… と、改めて私が好きな話を挙げていくと、どうも私は、この人が書く「爺さん」が好きらしい。いい歳こいて相応の分別はついても、己の腕自慢だけは収まらない。しょうもない男の性というか。

 テレビドラマになるだけあって、コミック要員がちゃんとレギュラーでいるのも嬉しい。この巻で活躍するのは、「お雪の乳房」からスポットがあたる、若い同心・木村忠吾。温和で明るいが、ちょいと抜けた所があって、今ひとつ頼りない。おまけに酒と女に目がなくて、閑をみちゃ通いつめる。返事だけはいいんだが…

 物騒な話も多いこのシリーズ、それでも「うさぎ」こと木村忠吾が出てくると、一気に雰囲気が明るくなるから、なかなか貴重な存在。全般的に一途で有能で生真面目な人が集まった火付盗賊改方で、職場の空気を和ませる、欠かせない人材なのかも。にしても、全く懲りないあたりが、この人の持ち味というか。いいなあ、こういうキャラクター。

 各話は一話で完結するから、美味しそうな所だけ拾い読みしてもいい。その上で、それぞれの話は登場人物やエピソードを介してゆるく繋がっているから、鬼平世界に入り込むと、全部を知りたくなる。読み終えて史実を調べると、実に巧く史実を取り込んでいて驚いたり。

 ただ、夜に読むと、蕎麦が欲しくなるんだよなあ。ほんと、ダイエットの敵だわ、この人の作品は。

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2014年3月 9日 (日)

井上信幸・芳野隆治「トコトンやさしい核融合エネルギーの本」日刊工業新聞社B&Tブックス

水の中には重水素が普通の水素のおよそ1/6700含まれていますから、地球上の水に含まれる重水素の量は膨大です。一方の三重水素はおよそ12年で数が半減する放射性物質なので、自然界にはほとんどありません。なのに、なぜ燃料が豊富と言えるのでしょうか。実はDT核融合炉は自分で三重水素を作るのです。

【どんな本?】

 未来のエネルギー源として嘱望され、SFでは太陽系何の宇宙船のエンジンとしてよく登場する核融合。それはどんな原理なのか。どうやってエネルギーを取り出すのか。燃料はどこからどうやって調達するのか。放射能や暴走の危険はないのか。発電所はそんな仕組みなのか。なぜ実現が難しいのか。今はどこまで研究が進んでいるのか。

 核融合発電の豊富な知識と経験を持つ著者が、日本の大型トカマク装置JT-60や国際熱核融合実験炉ITERを例に、核融合発電の原理から開発の鍵となるプラズマ制御、開発の世界的な協力体制から実用へのスケジュールまで、核融合発電の理論・現在・未来を総合的に語る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年7月30日初版第1刷発行。単行本A5ソフトカバーで縦二段組、本文約146頁。独特のレイアウトなので、文字数は実質的に半分と見ていい。8.5ポイント25字×17行×2段×146頁/2=約62,050字、400字詰め原稿用紙で約156枚。単純に文字数だけ見たら、小説だと長めの短編の分量。

 技術・産業の難しいテーマを一般向けに出版する「トコトンやさしい」シリーズ、わかりやすさと親しみやすさのために、独特の工夫をしている。知識と経験は豊富な専門家だが、素人向けの著述には不慣れな人が著者だ。その欠点を補い知識と経験を引き出すため、編集・レイアウト面で徹底的な配慮をしている。以下は、シリーズ全体を通した特徴。

  • 各記事は見開きの2頁で独立・完結しており、読者は気になった記事だけを拾い読みできる。
  • 各記事のレイアウトは固定し、見開きの左頁はイラストや図表、右頁に文章をおく。
  • 文字はゴチック体で、ポップな印象にする。
  • 二段組みにして行を短くし、とっつきやすい雰囲気を出す。
    デザインの法則で、行が長いと堅苦しく、短いと親しみやすい雰囲気になる。
  • 文章は「です・ます」調で、親しみやすい文体にする。
  • 右頁の下に「要点BOX」として3行の「まとめ」を入れる。
  • カラフルな2色刷り。
  • 当然、文章は縦組み。横組みだと専門書っぽくて近寄りがたいよね。
  • 章の合間に1頁の雑学的なコラムを入れ、読者の息抜きを促す。

 と、編集では充分な配慮がされているが、それでも、かなり難しい。もちろん、数式・分子式もチョコチョコ出てくる。特に重要なのが、フレミングの法則(→Wikipedia)。原理的に「いかにプラズマを磁力で制御するか」がキモなので、どうしても必要なのだ。頁数こそ少ないが、内要は濃い。相応の覚悟で望もう。

【構成は?】

 はじめに
第1章 究極のエネルギー源、核融合炉
第2章 核融合炉の炉心は高温プラズマ
第3章 核融合炉実現への道を切り開いたトカマク
第4章 国際熱核融合実験炉ITER
第5章 核融合発電のさまざまな側面
 参考文献/索引

【感想は?】

 著者の熱意はわかる。わかるのだが、プラズマ制御の部分は、理解するのがかなり難しい。

 先に書いたように、専門家が執筆した本だ。著者は知識と経験は豊富で、開発の最前線の話題もよく知っている。反面、著述は素人なので、一般人向けにわかりやすく説明するのは不慣れだ。それを、徹底した親しみやすい編集の工夫で補うのが、このシリーズの特徴。

 著者は経験も知識も豊富なので、ネタにはこと欠かないし、熱意も感じる。「なるたけ沢山の正確な知識を伝えたい」という思いも伝わってくる。きっと泣く泣く切り捨てたネタも沢山あるんだろう。そんなわけで、親しみやすい表紙やレイアウトとは裏腹に、中身は相当に濃くなった。

 第一章は核融合の原理そのものを扱う。第二章から第三章は、核融合発電の技術の概要を、特にプラズマの制御を中心に説明する。第4章は国際的な協力関係を、第5章は今後のスケジュールや放射能関係の問題点を挙げてゆく。中で、最も歯ごたえがあるのが、第2章と第3章。いずれもプラズマの制御を扱う部分だ。

 つまりは「核融合炉の炉心で何が起きているか」という、核融合発電の心臓部に関する話だけに、どうしたって細かくなるのは仕方がないんだが、こんなに複雑だとは思わなかった。

 核融合の原理そのものは比較的にわかりやすい。燃料は重水素=D(陽子1個+中性子1個)と三重水素=T(陽子1個+中性子2個)が融合し、ヘリウム(陽子2個+中性子2個)と中性子1個になる。この時にエネルギーが解放され、熱になる。余った中性子はリチウム(→Wikipedia)と融合し、三重水素になる。重水素は沢山あるが、三重水素は少ない。けど、炉を運転すればリチウムが三重水素になるんで、自給自足できる。 

 この時点で、素人の私は早速驚いた。どんな水素でも使えるわけじゃないのだ。重水素と三重水素でなきゃいけない。しかも、三重水素はリチウムからの自給自足。ちょいと水を電気分解して水素を取り出し…ってわけには、いかない。

 そんな面倒くさい手間かけて何が嬉しいのかというと、取り出せるエネルギーがやたらと多いから、この本ではエネルギー欠損で説明しているが、「化学反応の場合は約1/1億」「DT反応の場合は0.38%」。化学反応って、つまりは火力発電で、DT反応は核融合。火力:核融合で見ると、1:38万。取り出せるエネルギーが、圧倒的に大きいのだ。

 とはいえ、核融合反応を起こす条件が厳しい。原子核同士は反発し合うので、正面から勢いよくぶつける必要がある。そのためには圧力と温度をあげる必要がある。太陽の中心では約2400気圧と高圧で、約1500℃で反応が進んでる。さすがに2400気圧は無理なんで、核融合炉は3~4気圧。その分、温度は高くて、なんと約2億度。

 ってな高温高圧のプラズマを、ドーナツ型の炉の中に磁力で閉じ込め、勢いよくブン回して核融合反応を継続させ、出てきた熱で水を蒸気にしてタービンを回して発電しよう、凄く荒っぽく言うと、そういう感じ。

 とまれ、二億度に加熱するにも電力が要るし、磁力で閉じ込めるにも電力が要る。「発電するのに電気がいるんじゃ意味ないじゃん」と思いそうだが、そこはソレ。自動車だって動かすにはセルモーターが要るようなもんで、動き始めりゃ使う以上の電力を取り出せるはず、ってのが今の計算。だいたい1の元手で50の売り上げがあれば黒字になるらしい。

 もっと厳しく見ると、建物や炉の減価償却や原材料の調達費、放射性廃棄物の廃棄費用とかもあるし、何より研究・開発費用が大きい。一国で開発費を賄うのはシンドイよね、ってんで決まったのが、国際熱核融合実験炉ITER(International Tokamak Explerimental Reactor、→Wikipedia)。本書では日・米・欧・ソ(現在はロシア)・中・韓とあるが、今はインドも協力してる。

 さて。本書には「これまでの研究では、追加熱によって高温プラズマが作られてきましたが、アルファ粒子加熱で燃えるプラズマができたことは一度もありません」とある。プラズマが勝手に燃えりゃ熱を加える必要はないんだが、今はそこまで行ってない、ってな意味だと思うんだが、WIRED.jp に「核融合に向けて一歩前進」なんて記事があった。トカマクじゃなくて、金属のカプセル内での話だが、一歩前進ではあるんだろう。

 とか書いてると分かってるっぽいが、本書の心臓部である第三章は、ほとんど歯が立たなかった。「磁力でプラズマの流れを制御したいんだけど、プラズマって言う事きかなくてアチコチにヨレるのよ」程度しか分かってないです、はい。

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2014年3月 6日 (木)

石橋正孝「<驚異の旅>または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル」左右社

「ジュール・ヴェルヌに会いに行くですって? でも……ジュール・ヴェルヌなんか存在しませんよ! <驚異の旅>は、作家たちの会社が作っていて、彼らの共同の筆名だってこと、ご存知ないんですか?」

「ジュール・ヴェルヌはテクストとイメージが一体となった塊です。そして、彼は、演出家ならぬ本出家とでもいうべき人物、エッツェルと不可分なのです」
  ――フランスの現代作家ジュリアン・グラック

【どんな本?】

 「海底二万里」「十五少年漂流記」「八十日間世界一周」などで今なお少年たちに親しまれ、H・G・ウェルズと並びSFの祖といわれるジュール・ヴェルヌ。そのヴェルヌが著したシリーズ<驚異の旅>は、編集者ピエール=ジュール・エッツェルとの緊密なコンピネーションによるものだった。

 ヴェルヌの名は現代でも多くの人に知られているが、自らもP=J・スタールの筆名で作家の顔も持っていた編集者エッツェルは、シリーズ成立に大きな役割を果たしながらも、研究者以外には余り知られていない。

 1999年に刊行されたヴェルヌ研究の最新資料「ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェルの未刊行往復書簡集」を始め、棒組ゲラなど膨大な資料を掘り起こしつつ、当事の印刷・製本技術,出版事情,社会情勢や国民感情などの背景を含め、ヴェルヌとエッツェルの関係と、それが作品に与えた影響を探る、ヴェルヌ研究の専門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年3月30日第1刷発行。単行本ハートカバー縦一段組みで本文約408頁。9ポイント47字×20行×408頁=約383,520字、400字詰め原稿用紙で約959枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 ズバリ、読みこなすのはかなり厳しい。一般向けの本ではなく、フランス文学、それもジュール・ヴェルヌ研究に携わる文学研究者向けの専門書だ。「エクリチュール」や「弁証」など文学研究の用語が遠慮なく出てくるので、相応に文学研究の素養がないと厳しい。当然、ヴェルヌ作品も読んでいないとついていけない。出世作「気球に乗って五週間」はもちろん、「チャンセラー号の筏」「グラント船長の子供たち」「月世界へ行く」「ミシェル・ストロゴフ(ツァーリの密使または皇帝の密使)」などが重要な要素となる。

 当事の貨幣サンチームやフランも生で出てくるし、我々がノーチラス号で馴染んでいる潜水艦も「ナウティルス」表記だ。「皇帝の密使」も「ミシェル・ストロゴフ」の名で出てくる。文学研究の素養があり、かつヴェルヌを深く愛する人向けの専門書だ。その分、内要も充実していて展開される論も濃い。

【構成は?】

 序
第一部
 第1章 ピエール=ジュール・エッツェルとロマン主義時代の出版界――デビューから『教育と娯楽誌』の創刊まで
  1 編集とはなにか――「文学的存在性」または近代文学の両義性
  2 挿絵はいかにして編集者を編集者たらしめたか
  3 エッツェルのデビュー
  4 <人間喜劇>の編集者エッツェル
  5 政治の季節
  6 『教育と娯楽誌』の創刊(1864年)
 第2章 ヴェルヌとエッツェルの共同作業のメカニズム
  1 ヴェルヌとエッツェルの共同作業における「分冊」の役割の変化――ある編集システムの成立
  2 「システム」の成立
   2-1 <驚異の旅>の刊行開始まで
   2-2 「システム」の成立(その一)――挿絵は誰のものか
   2-3 「システム」の成立(その二)――困難な離陸
   2-4 「システム」の成立(その三)――テクストとイメージの統一性を求めて
 第3章 <驚異の旅>の舞台裏
  1 執筆方法と介入方法の変化(一)――普仏戦争以前
  2 執筆方法と介入方法の変化(二)――普仏戦争以後
  3 往復書簡――共同作業のための距離
 インタールード <驚異の旅>という運動
第二部
 第4章 物語と過剰
  1 カニバリズム――『チャンセラー号』における現在形の描写と書くことの現場
  2 カニバリズムと恋愛――『グラント船長の子供たち』
  3 恋愛と政治――『ミシェル・ストロゴフ』
  4 恋愛と読者――『燃える多島島』または『組み合わせ小説』とはなにか
  5 未来文明への不安『黒いインド』
  6 否定されたオリジナリティとしての未来都市――『ベガンの5億フラン』
 第5章 進歩に対する不安と日常の除外
  1 科学の不安――『チャンセラー号』
  2 知の世俗化
   2-1 知の世俗化(一)――アクチュアリティと禁断の知(『ハテラス船長の航海と冒険』)
   2-2 知の世俗化(二)――『地球の中心への旅』
  3 日常の除外
   3-1 日常の除外(一)――時空的近接の危険性、あるいは全頁と意見を一致させること(『マチアス・サンドルフ』)
   3-2 日常の除外(二)――『ミシェル・ストゴロフ』とロシアの政治的圧力
   3-3 日常の除外(三)――誰でもない人の国籍
 第6章 全体化と局所性――<驚異の旅>における超越性と偶然
  1 19世紀西欧文学におけるイデオロギー装置としての気球
  2 失効する局所性と摂理の方法的世俗化――『グラント船長の子供たち』
  3 小説の主人公としての編集者――『マチアス・サンドロフ』とそれ自体局所的な地域の局所的要素
 エピローグ/あとがき
  年譜/書誌/本書に登場する出版者・出版社/人名索引

 モロに論文なので、前の章を受けて次の章が展開する。素直に頭から読もう。

【感想は?】

 最初に誤っておく。私にはこの本を書評する資格がない。少なくとも、二つの資格が欠けている。

 まず、文学研究の素養が私には圧倒的に足りない。この本位は「弁償」や「エクリチュール」などの言葉が頻繁に出てくるが、私は意味が分からず検索して調べた。つまり、その程度のオツムなのだ、私は。

 もう一つは、ヴェルヌへの愛だ。今まで偉そうに「ウェルズとヴェルヌなら、どっちかというとヴェルヌ派」なんぞとホザいていたが、読んでいるのは「海底二万里」「八十日間世界一周」「二年間の休暇(十五少年漂流記)」「ミシェル・ストロゴフ(皇帝の密使)」のみ。しかも、全部、子供向けの抄訳版。この労作を読んだら、とてもじゃないが恥ずかしくて「ヴェルヌが好きです」なんて言えない。

 そう、本書は、ヴェルヌへの深く熱い愛に溢れている。文面は冷静そのものだが、そこに至る膨大な資料を漁る丁寧な調査は、深い愛情と執念があればこそ。名作・失敗作を問わず出版物に当たるのは当然、書簡集から自筆原稿、赤字入りの棒組みゲラや校正刷りまで調べ、誰がどんな赤字を入れたかを見て、ヴェルヌとエッツェルの関係を明らかにしてゆく。

 先に書いたように、私のオツムで捉えきれる著作ではない。特に、ヴェルヌとエッツェルの関係を思索する部分は、ほとんどお手上げだった。が、それでも、事実として提示される事柄だけでも、生半可なヴェルヌ・ファンには、意外な話が沢山あった。

 まず、編集者エッツェルの存在そのものを、私は全く知らなかった。この本では、ヴェルヌとエッツェルが、同じぐらいの比重で書かれている。構成は第一部と第二部から成っていて、第一部はエッツェルが主役、第二部はヴェルヌが主役という感じだ。

 なぜ、そんなにエッツェルの比重が多いのか。それは、<驚異の旅>シリーズ成立にあたり、エッツェルが大きな役割を果たしたからだ。両者の関係を、本書では「システム」と呼んでいる。

 ヴェルムとエッツェルは、何回か契約を結んでいる。年に二巻~三巻を執筆・出版すること、規定の報酬、そして独占契約。これが、まるで週間少年ジャンプの漫画家囲い込み戦略なのだから驚く。出版の順番も漫画に似て、まず雑誌「教育と娯楽誌」に掲載、その後に分冊が出て、単行本となる。この順番も、漫画に似ている。

 ばかりじゃない。当事のヴェルヌのウリは、挿絵だった。これも「八頁からなる各分冊の最初と最後の頁に配置されていた」と、頁数やレイアウトまで規格化している。これまた、16頁や24頁など頁数を指定して連載する漫画雑誌そのもの。現代的な編集方法を、エッツェルとヴェルヌが確立させているのだ。

 新人作家ヴェルヌを編集者エッツェルが厳しく鍛えるあたりも、現代の新人漫画家と、それを熱心に育てる編集者を連想させる。描写をしたがるヴェルヌ、物語を進めたがるエッツェルの対立も興味深い。あなた、ヴェルヌ作品の魅力は、描写と物語、どっちだと思います? 私は海底二万里でノーチラスが氷に閉じ込められる場面が印象に残ってて、描写(というか風景)が魅力だと思うんだけど。

 かと思えば、ヴェルヌが「私は恋愛感情を表現するのがとても苦手なのです」と弱音を吐いてるのが、可愛かったり。わはは。いや、いいんだって。無理してロマンスを書かなくても。不思議で壮大な風景こそ、ヴェルヌ作品を特徴付ける優れたポイントなんだから。

 ヴェルヌに焦点が当たる第二部で面白かったのは、やはり海底二万里の孤高のヒーロー・ネモ船長の正体に迫る「3-3 日常の除外(三)――誰でもない人の国籍」。あの作品中では最後まで謎の人とされ、それがまたネモ船長の魅力となっていたのが、そんな事情があったとは。

 今なお冒険小説の古典として読み継がれ、SFの祖として名を残しているジュール・ヴェルヌ。対して、自らもP=J・スタールの名で作家でもありながら、<驚異の旅>シリーズでは黒子の編集者に徹し、だが作品の内容には徹底的に介入して商業的成功に導いたピエール=ジュール・エッツェル。

 当時としてはかなり極端な作家と編集者の関係だが、現代の出版界では珍しくない関係だ。かなり専門的で歯ごたえのある本だが、出版が現代的に商業化する過程を描いた本としても面白いし、もちろんヴェルヌの熱心なファンなら是非読んでおきたい。

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2014年3月 4日 (火)

ダニエル・ヤーキン「探求 エネルギーの世紀 上・下」日本経済新聞出版社 伏見威蕃訳

 本書を形作っているのは、三つの根本的な疑問である。まず、成長する世界の需要を満たすだけのエネルギーが、今後もまかなわれるだろうか――そして、まかなわれるとしたら、どのようなコスト、どのようなテクノロジーがともなうのだろうか? つぎに、世界が依存しているエネルギー・システムの安全保障は、どのように護られるか? そして、気候変動などの環境問題への懸念は、エネルギーの未来にどのような影響を及ぼし、エネルギー開発は環境にどのように影響するのか?

【どんな本?】

 二度のオイルショックは我が国の経済を直撃し、エネルギー政策を大きく転換させた。原油価格は日本経済に大きな影響を与えるが、主な産油国が遠い中東に集中している事もあり、世界的な情勢は今ひとつわかりにくい。

 ナイジェリアなど石油資源が豊かな国で、なぜ国民が豊かになれないんだろう? だいぶ前から石油の枯渇が話題になっているが、なぜ枯れていないんだろう? エンロンのスキャンダルは、どういう事なんだろう? なぜ風力や太陽光などのクリーン・エネルギーが普及しないんだろう?

 前作「石油の世紀」でピュリッツアー賞を受賞した著者による、20世紀後半から現代にかけての世界のエネルギー事情の変転とそれが政治・経済に与える影響、そして今後のエネルギーの見通しを描く、一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Quest, by Daniel Yergin, 2011。日本語版は2012年4月2日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約466頁+422頁=888頁に加え訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×(466頁+422頁)=約799,200字、400字詰め原稿用紙で約1998枚。そこらの長編小説なら4冊分の大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、特に上巻では1950年以降の世界の歴史をなぞっているので、ある程度の現代史を知っていると、より親しみを持って読める。311の影響も扱っており、タイムリーな内容と言えるだろう。

【構成は?】

上巻
 序/プロローグ
第Ⅰ部 石油の新世界
 第1章 ロシアの復帰
 第2章 カスピ海ダービー
 第3章 カスピ海の対岸
 第4章 スーパーメジャー
 第5章 石油国家
 第6章 流通途絶
 第7章 イラク戦争
 第8章 需要ショック
 第9章 中国の勃興
 第10章 追い越し車線の中国
第Ⅱ部 供給の安全保障
 第11章 世界の石油は枯渇するのか?
 第12章 非在来型石油
 第13章 エネルギーの安全保障
 第14章 ペルシャ湾の流砂
 第15章 海上のガス
 第16章 天然ガス革命
第Ⅲ部 電気時代
 第17章 交流電気
 第18章 核燃料サイクル
  原註/索引

下巻
第Ⅲ部 電気時代(承前)
 第19章 価格統制の崩壊
 第20章 燃料の選択
第Ⅳ部 気候とCO2
 第21章 氷河の変化
 第22章 発見の時代
 第23章 リオへの道
 第24章 市場を作る
 第25章 グローバルな政治目標
 第26章 コンセンサスを求めて
第Ⅴ部 新エネルギー
 第27章 再生可能エネルギーの再生
 第28章 科学実験
 第29章 輝く光の錬金術
 第30章 風の謎
 第31章 第五の燃料 効率
 第32章 節約の溝を埋める
第Ⅵ部 未来への道
 第33章 炭水化物人間
 第34章 内燃機関
 第35章 遠大な電気自動車実験
結論――偉大な革命
 謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献/索引

 基本的に内容は章ごとに独立している。上巻は石油と天然ガスを中心としたエネルギーの現代史、下巻は環境問題や新エネルギーなど今後の見通しを中心とした内容。

【感想は?】

 著者の立場は教科書的というか、現在の主流的な立場でエネルギー事情を描いている。

 教科書的とjはいっても、そこは商業出版物。数式も分子式も出てこないので理数系が苦手でも充分に読みこなせるし、エンロンなど興味をひく話題をわかりやすく解説し、読者を飽きさせない。基本的にアメリカ人を読者に想定しているが、アメリカ独自の事情もちゃんと説明しているので、我々も充分についていける。

 とまれ、多少は突っ込み的な視点もあると、より興味深く読める。特に「第3章 カスピ海の対岸」。

 ここでは、中央アジア、特にトルクメニスタンの油田・ガス田開発がテーマだ。目を付けたのはユノカル。問題は輸送ルートで、案が二つあった。一つはロシアを経由するルートで、こっちは既存のラインが既にあるため、安くあがる…反面、トルクメニスタンもユノカルもロシアのご機嫌を伺わにゃならん。

 もう一つはアフガニスタンを通ってアラビア海に向かうルート。パキスタンとインドに天然ガスを供給し、「石油の主な市場は日本と韓国だと思われていた」。不穏なペルシャ湾を通らずに済むし、日本にとっちゃいい事だらけなのだ。ところが、肝心のアフガニスタンの治安が安定しない。そこに加え、新市場として中国が急成長している。なら、カザフスタンを通して中国にパイプラインを引けば…

 つまりアフガニスタン情勢が不安定だと、中国とロシアと湾岸産油国は嬉しいわけで。タリバンがロシア製の武器を持ち、サウジアラビアからワッハーブ派の宗教指導者が入ってるのは、もしかして…

 ってな邪推はともかく、素直に読んでも充分に面白い。例えば第5章では、オランダ病(→Wikipedia)をキーワードとして、産油国で産業が発達しにくい事情を、わかりやすく説明してくれる。

 油田からカネが入ると、真面目に働くより分け前を分捕る方が楽で得なんで、腐敗がはびこる。通貨が過大評価され輸出しにくくなり失業者が増え国内産業が衰退する。国内の石油・天然ガス価格は安いから、誰も燃費なんか気にしない。原油価格が高けりゃいいが、暴落したら地獄だ。湾岸諸国みたく少なけりゃどうにかなるが、ロシアみたく人口が多いと…

 そう、今のロシアは資源国家なのだ。「輸出による収入の70%、政府の収入の50%、GDPの25%を石油と天然ガスに依存している――そのため、ロシアの経済全体の実績は、石油と天然ガスの価格がどうなるかに過度に結びついている」。

 ロシアと共に、本書で大きな存在感を示してるのが、中国。「中国はいまやアメリカに次ぐ世界第二位の石油消費国になっている」ばかりでなく…

2000年にアメリカで売られた新車は1730万台で、中国では190万台だった。2010年にはアメリカで1150万台が売られ、いっぽい中国では1700万台が売られた。

 と、世界経済における中国の存在感は急激に増している。同時に世界の石油消費量も増えるわけで、エネルギーの枯渇の恐怖を煽ったところで、第11章「世界の石油は枯渇するのか?」へと続く。なかなか巧みな構成だ。

 構成の妙は下巻でも発揮される。上巻に続く「電機時代」で、アメリカの電力業界の誕生と発達からカリフォルニアの電気危機を通し、「適切な規制と市場のバランスが重要」と読者に印象づけ、温室化ガスの排出権取引システムへと繋げてゆく。ここでは全般的にIPCCに好意的だが、クライメートゲート事件など批判も少し載せている。

 下巻の後半は風力・太陽光発電やバイオ燃料など石油に代わるエネルギー源に加え、消費側のアプローチとしてスマートグリッドや電気自動車に加え、日本の「もったいない」も紹介している。要は省エネなんだけど。ここで実感するのが、ヒトって奴の飽きっぽさ。

 新エネルギー開発の歴史は、意外と古い。理論的には1905年のアインシュタインの論文「光の発生と変換に関する発見的見解について」に遡り、実用でも1958年の人工衛星バンガードで太陽電池を使っている。が、問題は費用と時間。「消費者はコンピュータを3ごとに、携帯電話を2年ごとに買い換えている。電力会社は発電所を50年ないし60年運用しつづける」。

 その分、開発にも時間と費用がかかる。アメリカ政府も補助金を出すんだが、この額が見事に原油価格に反比例して極端に増減するおかげで、なかなか継続した研究・開発が進まない。結局、今の所、風力も太陽光も運用は補助金で持ってるようなもんで、例外はブラジルのエタノールと日本の…

有名な応用製品はやはりシャープの発明だった。どんどん安くなり、どこでも見られるようになった。ソーラー電卓である。

 ソーラー関係では、緑の党が躍進したドイツと、急激に工業化している中国の関係が興味深い。同じ欧州でも、原子力推進のフランスとは対照的だ。その原子力では、アメリカの原子力発電に海軍が人材を供給してたりする。とまれ、今は原油価格が1バレル100ドル前後なんで、新エネルギーには順風かも。日本経済には逆風だけど。

 なんて難しい話ばかりでなく、フォードとエジソンの会話,サダム・フセインの誤算,ハリケーン・カトリーナの影響,シェールガスの歴史と影響,太陽電池の意外な利用法,米軍がバイオ燃料に興味を示す理由などの面白エピソードも満載だ。現代の国際情勢や、日本のエネルギー政策に興味があるなら、ぜひ読んでおこう。

 ただ、メタンハイドレートに触れていないのは少し残念。

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2014年3月 1日 (土)

SFマガジン2014年4月号

 二つの道があります。
 SFファンに高く評価されるSF・ファンタジイ作品へ通じる道。
 SFファンからは熱狂的な支持の対象にならないかもしれないけれど、ヒットするSFやファンタジイ、ホラー作品へと通じる道。
 後者に興味があるひとのために、この文章はあります。
  ――エンタメSF・ファンタジイの構造 第1回 ひとはSF・ファンタジイに何を求めるか?を考える
     ランキングとアンケートから 飯田一史

 280頁の標準サイズ。特集は「ベストSF2013」上位作家競作。国内編は「皆勤の徒」で第一位の酉島伝法の「環刑錮」、「星を創る者たち」で第三位の谷甲州「イシカリ平原」。海外編は「夢幻諸島から」で第一位のクリストファー・プリースト「否定」、「ブラインドサイト」で第二位のピーター・ワッツ「遊星からの物体Xの回想」。小説は他にローレン・ビュークス「ウナティ、毛玉と闘う」、草上仁「スピアボーイ」、円城塔の新連載「エピローグ<プロローグ>」。

 酉島伝法「環刑錮」。父殺しの罪で異形となり、土中を掘り進む赳志。全身を覆う針毛(とげ)、環状筋のならびからなる体。蠕動で前に進み、前端にある円口から土塊を飲み込み、肛門から団粒状の糞として排出する。第六終身刑務所に収監された、千三百人あまりの囚人の一人だ。
 タイトルの環刑錮(かんけいこ)をはじめ、己媒者(こばいしゃ)・思紋(しもん)など、独特の造語感覚が溢れる作品。囚人をミミズに改造するって発想だけでなく、ミミズの主観で描く部分は、最初はキモチ悪いんだが、段々とミミズのキモチが分かってきて、自分がミミズに同化していくようでイヤ~な、でもちょっと面白いかも…ってな気分になる。

 クリストファー・プリースト「否定」。モイリータ・ケインの小説「肯定(ジ・アフアーメーション)」に強い感銘を受けたディック。しかし戦争は激しさを増し、ディックも志願兵として従軍することになった。彼が配備された山岳地帯は、前線だが実際の戦闘は小競り合い程度で、比較的に安定している。そんな時、戦地派遣の作家としてモイリータが来ると知ったディックは…
 「特権市民」なんて言葉から、どうにも不穏な社会背景を感じさせる作品。憧れの、だがあまり有名でない作家と、二人で対面しながら作品について語り合う。ファンとしては、最高に嬉しい時間だろうなあ。おまけに作品について解説してくれるなんて。

 谷甲州「イシカリ平原」は、なんと航空宇宙軍史。時は第一次外惑星動乱後。小惑星マティルドの観測基地に一人で勤務する玖珂沼主任研究員。そこに、久しぶりの来訪者R・サラディン博士が現れる。来訪者は珍しくない。普通は一=二週間滞在し、機器を設置・調整するだけで、以後のメンテは玖珂沼が行なう。しかし、今回は…
 うひょーい。久しぶりの航空宇宙軍史だ。これで再開するんだろうか。して欲しい、是非にも。「主任研究員」なんて肩書きから、孤立した観測基地でのエンジニアリングの話かと思ったら、これが文句なしの航空宇宙軍史そのもの。ええ、もうね、太陽系レベルの距離感を徹底的に考察した航空宇宙軍史シリーズならではの味が見事に蘇ってくる。この調子で本格的にシリーズ再起動してくれないかなあ。

 ピーター・ワッツ「遊星からの物体Xの回想」。衝突するまで、わたしはもっと大きかった。探険家で、外交官で、伝道師だった。無数の世界を訪ね、交霊した。だが、衝突の衝撃でわたしは多数に分解し、それぞれが瞬時に死んだ。自分の一体性を必死に維持したが、今のわたしは叡智を失ってしまった。
 タイトルでおわかりのように、ジョン・カーペンター監督作品「遊星からの物体X(→Wikipedia)」のオマージュ。「ブラインドサイト」でも「普通のヒトとは異なる世界観で生きるヒト」を違和感たっぷりに描いたピーター・ワッツ、この作品では侵略者である物体Xの視点で描いてゆく。あのミミズ・スパゲティの正体は…

 円城塔「エピローグ<プロローグ>」。わたしの最初の恋人は、誰かの空想の産物だった。彼はラブストーリーを生業にするエージェントの家に生まれた。幼い頃の彼は、そんな出自を呪っていた。だから、わたしたちは仲良くなった。二人の間には、ラブストーリーになる要素が見つからなかったからだ。
 「エピローグ」というタイトルの<プロローグ>という回。ラブストーリーになる要素がないから仲良くなった二人。いかにも円城塔らしい、ヒネくれきったネタで始まる新連載。やたらとメタなネタが多い彼の作品だけど、今回だけなら、なんとかついていけた…気がする。

 ローレン・ビュークス「ウナティ、毛玉と闘う」。<サイコー戦隊>の面々と、ビッグエコー渋谷店で盛り上がっていたウナティ曹長。ウナティがスパイス・ガールズの Tell Me What You Want (What Tou Really Ready Want)(→Wikipedia)を歌おうと構えた時、触手が壁をブチ破って侵入してきた。
 「ZOO CITY」でもポップ・ミュージックが重要な役割を果たしていたローレン・ビュークス、この作品でも日本のポップカルチャーが妙に歪んだ形でワンサカ登場する。著者が誤解してる面も多々あるだろうけど、基本的にギャグ作品なので、あまし真面目に突っ込まないように。サイト26to50元ネタのリンクつき版あり。

 草上仁「スピアボーイ」。ジムスのスイングドアを開け、生意気な若造が入ってきた。「上で八の字切ってるスピア、あんたのかい?」髪が半分白くなってるマドックに対し、「あんな老いぼれに、まだ乗っているわけ?」などと突っかかってくる。若造の名前はハン。わっか屋マドックを知らないなら、ヨソ者だろう。
 西部劇っぽい味わいが横溢した作品。土地の置いた古株マドックと、若く生意気なハンを対比させ、それに異性生物スピアを絡めた草上仁ならではの短編。ジェット機に似た理屈で飛ぶ動物スピアと、その乗り手であるスピアボーイの関係も心地よい上に、オチもなかなか。航空ファンなら、「おお、そうきたか!」と思わず唸るところ。

 ブックレビュウで気になるのが、ピーター・H・ディアマンティス&スティーヴン・コトラーの「楽観主義者の未来予測」。曰く「これまでのように線形でなく指数関数的に発展」している、と語る本。実感でも、特にコンピュータの進歩は凄まじいものがあって、今は携帯電話ですら能力は昔の大型汎用機を凌いでる状況。いかにもワクワクしそうな本だ。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「我はなぜそのホテルの夜明けがうれしかったのか」。福島の奥会津から東京へピックアップ・トラックで帰る途中、大雪の渋滞で阻まれた椎名氏。宿を取ろうにも、どこも満杯。なんとか見つけたホテルは、八十歳ぐらいの老婆が経営する所で、どの部屋の電灯もついていない。建物はやたら複雑で…
 と書くとホラーっぽいが、この人が書くと、妙に間が抜けた雰囲気になるんだよなあw

 長山靖生「SFのある文学誌」第二十八回 偽史・改変歴史の欲望――杉山藤次郎『午睡之夢』『豊臣再興記』。<義経=ジンギスカン説>の、意外なルーツが明らかになる話。昔から「義経って可愛そうだよね、なんとかもう一花咲かせてあげたい」と思う人は多かったようで。

 香山リカ「精神の中の物語」と鹿野司「サはサイエンスのサ」は、いずれも佐村河内守氏の騒動が題材。香山氏が「演技してるうちに本気になっちゃったんじゃ?」と分析するのに対し、最近になって目の手術をした鹿野氏は「他の障害者が誤解されたらマズい」という話。

 「ホビット 竜に奪われた王国」公開記念インタビュウでは、ピーター・ジャクソン監督とスマウグを演じたベネディクト・カンバーバッチ。

 「なぜオリジナルのキャラクターを女性にしたの?」に答えるジャクソン監督曰く、「このシリーズ、圧倒的に女性が少ないからだよ。『ロード・オブ・ザ・リング』のときも女性や幼い少女のファンはたくさんいた。彼女たちが共感できるキャラクターも欲しかったんだ」に納得。確かに野郎ばっかしだもんね、ホビット。

 ベネディクト・カンバーバッチは、幼い頃にお父様が原作を読み聞かせてくれたとか。やっぱり、あの本は父親が読む本だよなあ。スマウグの声で熱演しすぎ「初日は喉を痛めて出血」。モーション・キャプチャーの感想も興味津々。

 
 

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