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2014年2月 4日 (火)

マイクル・コーニイ「パラークシの記憶」河出文庫 山岸真訳

「聞かせてあげよう。ヤムには、あたしみたいな女性がほかにもいる。ブルーノみたいな男性もいる。問題なのは、自分がまわりとは違っていると認める勇気が、その人たちにはないことだ」

【どんな本?】

 イギリス生まれのSF作家マイクル・コーニイによる、青春SF小説の名作「ハローサマー、グッドバイ」の続編。異星に住むヒト型の、だが独特の能力を持ち社会を形成している知的種族スティルクを中心に、17歳になるスティルクの少年ヤム・ハーディと少女ノス・チャームの初恋の行方、そして二人の周囲で起きる事件を描く王道の青春SF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は I Remember Pallahxi, by Michael Coney, 2007。日本語版は2013年10月20日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約509頁+訳者あとがき9頁。9ポイント38字×18行×509頁=約348,156字、400字詰め原稿用紙で約871枚。長編小説としては長め。

 翻訳物にしては、文章はかなりこなれている。内要も、特に科学の素養は要らない。小学校卒業程度の理科が解っていれば充分だろう。敢えて言えば、異星を舞台としてエイリアンが主役を務める作品なので、自然も文化も風俗も我々と異なる点が、SFに慣れない人には辛いかも。慣れた人には、それこそが美味しい所なんだけど。

 とはいえ、魔法や超能力がポンポン出てくる最近のライトノベルを楽しめる人なら、きっと大丈夫。むしろ、可愛い女の子が沢山出てくるライトノベルが好きな人にこそ、この作品と前作の「ハローサマー、グッドバイ」はお薦め。

 それ以上に、問題は名作「ハローサマー、グッドバイ」の続編であること。実を言うと、「ハローサマー、グッドバイ」を読んでいなくても、この作品は問題なく楽しめる。が、続編だけに、「ハローサマー、グッドバイ」の衝撃的なネタを遠慮なくバラしている。これの何がマズいといって、「ハローサマー、グッドバイ」が文句なしの傑作だってのがマズい。本作を読んじゃうと、前作を読む楽しみが減ってしまうのだ。なので、出来れば同じ河出文庫から出ている「ハローサマー、グッドバイ」から読んで欲しい。

【どんな話?】

 17歳の誕生日に、ぼく、ヤム村のハーディはソス村のチャームに出遭った。父ブルーノと共に取引でソス村を訪れ、ついでにスキマーで帆走してた際に、溺れかけた。この季節、海は粘流(グルーム)でドロドロしている。油断したぼくは河口まで行ってしまい、チャームに助けられたんだ。まん丸で暖かな茶色い目の女の子。けど、ぼくは内陸者で彼女は海辺に住む。ぼくたちスティルクは地球人と違い…

【感想は?】

 正直言って、あまり期待はしてなかった。前の「ハローサマー、グッドバイ」は文句なしの傑作で、ちょっとアレを超えるのは無理だろう、とタカをっくくっていた。

 が、しかし。見事に予想を裏切ってくれた。うん、これぞ正当な続編。

 カテゴリも迷った。SF/海外か、ライトノベルか。土壇場でライトノベルにした。別に中味が軽いとか、SF風味が薄いって意味じゃない。若い人でも、いや若い人こそ、この作品を楽しめるだろうと思うからだ。

 実際、若い人向けに書いたんだろうな、と思う。語りは一人称「ぼく」だし、人物造形はかなりステレオタイプだし。

 だが、同時に、本格的なSFでもある。舞台が異星で主人公がエイリアンなのはダテじゃない。特に前作と大きく違うのが、地球人が出てくる点。読者も主な登場人物たちも、彼らがエイリアンである由を充分に認識した上で話が進む。まあ、主人公目線だと地球人こそがエイリアンなんだけど。

 エイリアンだけあって、人類とは色々と異なる部分がある。いや姿は人類ソックリなんだけど。なんと言っても、その根幹となっているのが、彼らが祖先の記憶を持っていること…幾つかの制限つきで。「便利だな、じゃ父ちゃんが勉強してれば俺は勉強しなくていいじゃん」とか、そんな軽いモンじゃない。

 この不思議な能力とその制限が、彼らの社会や文化に、どんな影響を与えるか。制限が生み出す社会構造は序盤から明らかになり、なかなかのセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれる上に、中盤~終盤になって、この能力とその影響が大きな意味を持ってくる。

 ばかりでなく、異星ならではの現象や、ケッタイな生物も楽しみのひとつ。真っ先に出てくるのが、粘流(グルーム)という現象。年に一度、海水の濃度が上がる。海生生物はグルームに追われるので、海辺の村は漁の季節となる。この描写は序の口で、グルームならではの生物もお楽しみ。やはり印象に残るのが、氷魔。こっちは淡水に棲んでいて…

 ってな動物もいいが、植物もなかなか不気味。ワサワサとざわめきまとわりつくシバリ草なんて可愛いもんで、おっかないのがイソギンチャク樹。どうやら赤外線を感知する能力を持っているらしく、温度の高いモノに惹きつけられ…。彼らが森で立ち往生する場面は、童話のヘンゼルとグレーテルが森で迷う場面を思わせるが、物騒さは遥かに増している。

 生態は人類と少し違うスティルクだが、成人する年齢は同じぐらいのようで、ハーディの年齢17歳も、この作品の大きなポイント。大人になりかかった頃で、少しだけ子供の尻尾を残している。冒頭でソス村に来た目的も、彼の年齢の微妙さを象徴しているんだろう。

 ハーディの父ブルーノは、男村の長スタンスの兄として、村を代表し重要な交渉のためにソス村にやってきた。同行する息子のハーディは、遊ぶためのスキマーを車に乗せてきている。たぶんブルーノは、将来の村の重鎮として期待されている息子を、顔つなぎの意味も込めて同行させたんだろう。読むに従い、ブルーノの思慮深さが次第に見えてくる。

 対して、感情的で権威ぶる、いけすかない奴に描かれるのが、長のスタンス。彼と息子のトリガーの造型が、この作品をライトノベルに分類する決定打になった。いやもう、実にわかりやすい憎まれ役。権威をカサにきて偉ぶるばかりで、交渉じゃ周囲の村との対立を煽るばかり。そのくせ村の男を煽って物騒な空気を掻き立てるのだけは、やたらと巧い。

 お家の事情で引き裂かれそうになる若い恋人たち、前例のない事件に揺れる村の政治勢力。危機に見舞われる村の生活と、危機で表面化する政治闘争。大人への脱皮を余儀なくされる若者の喜びと戸惑いと痛み。変わってゆく世界と、それが秘めた謎。

 前作「ハローサマー、グッドバイ」で張った伏線を着々と回収する心地よさに加え、若者の成長とSFな驚きを鮮やかにリンクさせ、黄金時代のSFの芳醇な香りを21世紀に蘇らせた、青春SFの王道をゆく作品だ。

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