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2014年2月10日 (月)

主流文学の王道作品って、何?

 私の書評には頻繁に王道って言葉が出てくる。最近じゃマイクル・コーニイの「パラークシの記憶」を「王道の青春SF長編」と評した。

 SFなら、どんな作品が王道か、具体的に作品を挙げられる。といってもあまり新鮮味のないラインナップで、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」,グレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」,小松左京の「日本沈没」,ジェイムズ・P・ホーガンンの「星を継ぐもの」とか、そんなところ。

 マニアックな所ではグラント・キャリンの「サターン・デッドヒート」,スパイダー&ジーン・ロビンスンの「スターダンス」かな…と書いてて、やっと気がついた。日本沈没を除いてファースト・コンタクト物ばっかりじゃん。

 SFを語ると長くなるんで、これくらいにしよう。

 最近になって読み始めた時代物だと、山本周五郎の「おごそかな渇き」,藤沢周平の「用心棒日月抄」,池波正太郎の「剣客商売」は、王道と言っていいんだろうか?柴田錬三郎は、意図的に変化球を投げてる気がするし、笹沢佐保の「木枯し紋次郎」も裏世界の人を扱ってる。司馬遼太郎は散々読んだけど、あの人は時代小説というより歴史小説と呼ぶのが相応しい気がする。

これがミステリだと私は少し苦手だ。たぶん王道と言われるのはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物,エラリイ・クイーンの「○の悲劇」,アガサ・クリスティーのポアロ物だろうか。

 ホームズ物は小学生の時に子供向けの本で読んだきり。同級生の間で流行ってたんで、つられて読んだんだ。読み物として面白くはあったけど、私は星新一の方が好きだった。クイーンはXだけ読んだのかな?クリスティーは「春にして君を離れ」しか読んでない。ポアロ出てこないじゃん。

 どうも私のオツムは粗雑で、緻密さを要求するミステリには向かないみたいだ。最近読んだ中じゃ宮部みゆきの「ぼんくら」シリーズがミステリの要素も入ってるけど、あれは人情物として優れてるんで、謎解きが主題じゃないだろう。逆に徹底して謎解きにこだわってるのがF・W・クロフツの「」だろうけど、あれは王道ではなく「本格」が相応しい呼び方だと思う。

 など、ジャンル物だと、なんとなく「王道」は定義できそうな気がするし、代表的な作品も挙げられるんだが。主流文学になると、何が王道なんだか、サッパリわからない。

 例えばパール・バックの「大地」は、王道なんだろうか? マリオ・バルガス=リョサの「世界終末戦争」は? リチャード・バックは…なんか、違う気がする。そもそも主流文学じゃないっぽいし。佐藤賢一の「傭兵ピエール」や「双頭の鷲」も好きなんだが、娯楽色が強すぎるのかな。トルーマン・カポーティだと、実は「ティファニーで朝食を」より「冷血」の方が好きなんだけど、あれを王道と言っていいんだろうか。

 とか、こういう事で悩むのも、そもそも「主流文学とは何か」が定義できてないからかな、と思ったが。「じゃSFを定義しろ」とか言われたら、それはそれで三日三晩悩んだ挙句に「俺がSFと思った物がSF」とか無茶な結論になる気がする。結局、主流文学の王道作品って、何だろう?

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