逢坂剛「カディスの赤い星」講談社
「しかしセニョル、死んだときにしらがは尊敬されるが、でぶは棺桶代がよけいにかかるからやっかいなだけですよ」
【どんな本?】
ミステリや冒険小説で活躍する売れっ子作家・逢坂剛が注目を浴びるきっかけとなった出世作。第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞受賞。スパニッシュ・ギターの名工ホセ・ラモス・バルデスが求める名器「カディスの赤い星」をめぐり、それに隠されたスペインの歴史と人々の執念を、情熱的なフラメンコの調べに乗せて描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1986年7月21日第一刷発行。私が読んだのは1989年4月28日発行の第13刷。版を重ねてます。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約423頁。今は双葉文庫と講談社文庫から、文庫本が出ている。いずれも上下巻。8.5ポイント25字×24行×2段×423頁=約507,600字、400字詰め原稿用紙で約1269枚。文庫本上下巻は妥当な分量。
売れっ子だけあって、文章はこなれていて読みやすい。1975年を舞台にした物語なので、当事の雰囲気がわかればなおよし。物語にはスペイン内戦以来のスペインの政治状況が深く関わっているので、知らない人は軽く調べておくといいだろう(→Wikipedia)。それだけの価値はある。
また、この作品で欠かせないのが、フラメンコ。ジャズが好きなら、パコ・デ・ルシア(→Youtube)はご存知だろう。ホァン・マジャ・マローテ(Juan Maya Marote)も Youtube にいくつか上がっている(→Solea' del recuerdo)。いずれも人間離れした演奏能力の持ち主だ。素人にウケる派手なテクニック以前に、ギタリストとしての基礎的な能力が化け物じみて高く、そこに至るまでの練習量は想像を絶しており、ギターを弾く者なら彼らの情念に背筋が寒くなる。
【どんな話?】
1975年。小さなPR事務所を営む漆田亮は、得意先の日野楽器が招聘したギターの名工ホセ・ラモス・バルデスより、奇妙な依頼を受ける。1955年、カディスにいた彼の元を訪れた日本人ギタリストで、サントスと名乗る男を探して欲しい、と。畑違いの仕事だが、大手得意先の依頼とあっては断れない。当事の日本人でフラメンコのギタリストなら、それなりに絞り込める。事務所の若手・大倉幸祐も動員して捜索したところ、関西で手ごたえがあり…
【感想は?】
先に書いたように、スペイン内戦とフラメンコ・ギターは外せない。その二つがなくても充分に小説として面白いんだが、知っていると、特に後半以降に感じる凄みが違ってくる。
スペイン内戦(→Wikipedia)は、裏切られた戦争だ。
左派としては比較的に穏やかな共和制だったが、ファシズムに近いフランコ将軍(→Wikipedia)が叛旗を翻し、スペイン全土を巻き込む内戦へと発展してゆく。寄り合い所帯の共和国軍は、世界中から共感する若者が駆けつけ国際旅団として支援するが、やがてソ連から派遣されたコミュニストに牛耳られてゆく。この状況を、イギリスやフランスは指をくわえて見ていた。
対して、フランコ率いる叛乱軍は、軍の多くを引き入れたほか、国内では教会や富裕層を、国外ではナチス・ドイツを味方につけ、共和国軍を追いつめ粉砕してゆく。内戦後のフランコは独裁者として君臨、しつこく言い寄るヒトラーを翻弄しつつ、第二次世界大戦では中立を維持して見事な外交手腕を見せた。
物語は学生運動と高度成長期の余韻が残る1975年の日本で幕を開ける。当時は日本赤軍がパレスチナ・ゲリラと共闘してテルアビブで自動小銃を乱射したり(→Wikipedia)、学生運動の残党が先鋭的になって無茶やってたんです。とまれ、全般的に日本は成長経済の中にいて、今に比べれば雰囲気は明るかった。
ってな時代を背景に、広告業界と消費者運動の角突き合いでお話は始まる。ここでの消費者運動を率いる胡散臭いオバサン槙村真紀子と、主人公のPRマン漆田亮の、丁々発止のやりとりが、まるで映画みたいに気の利いた台詞の応酬で楽しい。槙村真紀子もなかなか食えない人物だが、漆田亮の「口の減らない」ユーモアがいい。
この漆田、特に荒事に強いわけじゃないので、「冒険小説の主人公として大丈夫か?」と最初は気になったんだが、どんな危ない状況でも、というより危ない時ほど、辛らつなジョークを飛ばす奴で。肝が太いんだか、口が軽いんだか。彼と槙村真紀子を中心に展開する、広報を巡るジャブの応酬も、前半の読みどころ。
前半はやがて、「サントス」を探しつつ、当事の日本のフラメンコ事情を巡るお話となる。今でこそANIF(日本フラメンコ協会)なんてキチンとした組織が出来ているが、当時は好きな人が群れてるだけ。日本人が「サントス」を名乗るのも、当時の気分が出てるし、グルーポ・フラメンコがシンガーを獲得するくだりは「おお!」と驚いたり。
フラメンコ・ギターの世界は魑魅魍魎がウジャウジャいるらしく、本場スペインにはパコ・デ・ルシアに匹敵する人外が群れをなしてる、とか。本当か嘘かは不明だが、パコの演奏を聴けば、それを支える壮絶なまでの訓練が否応なしに実感できる。それも、相当に若い頃から修行しなければ、あの高みに辿り付けるものではない。かつてパコ・デ・ルシアと共演したアル・ディ・メオラはインタビューで語っていた。「毎日8時間は練習するよ、当たり前じゃん」。そういう世界なのだ。
まあ、そんな訳で、ギターを弾き始めた頃に彼らの演奏する地中海の舞踏(→Youtube)を聴いた私が感じた絶望を、この小説は蘇らせてくれた。忌々しいw いやもうね、なんで同じ楽器を使って、これほどまでに違う音楽になるのか。なんだって、素人にここまで己の不器用さを思い知らせるのか。
かように凄まじいフラメンコ・ギターの世界を、肝心のスペイン人たちはどう思っているのか。だいたい想像がつくと思うが、彼らの気持ちが伺えるのは、後半のお楽しみ。
後半はスペインへ飛び、雰囲気は一気に物騒になる。
中でも印象に残るのが、危なっかしいロコ(狂人)。やっぱり冒険小説じゃ、こういう人が出ないと。ファランヘ党(ファシスト)の父親を共和国に殺された、根っからの極右で、ナイフを握って生まれてきたようなヤバい男。コイツが登場すると、一気に周囲の温度が下がってゆく。いや憎ったらしい奴なんだけど、こういう災厄の権化みたいで行動が予想できない(というより予想したくない)悪役がいると、緊張感が違ってくる。
かと思えば、スペインの別の顔も見せてくれるのが、この作品の魅力。宿の気のいいオヤジのミゲルと、料理のうまい女将のレナータ。フランコをパキートと呼ぶ老人は、かの国の激しい歴史を感じさせる。有能ながら、部下に恵まれない治安警備隊のサンチェス少佐。少佐の抱える物語もさることながら、彼の部下たちの働き振りが、いかにもスペインで笑ってしまう。
元気があった70年代の日本、フラメンコに憑かれた男女の生き様、内戦の傷を抱えながら激動の時代へと向かうスペイン、そして驚きに満ちた展開。前半の引き込み方も巧いが、後半から終盤にかけてのたたみかけは、このボリュームに相応しいドンデン返しの連続だ。冒険小説としての面白さは勿論だが、私はギターが好きな人に是非読んで欲しい。ギターに魅入られた者の執念を、ギター弾きならわかってもらえると思う。
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