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2014年2月 2日 (日)

宮部みゆき「おまえさん 上・下」講談社文庫

「侍も男だ」平四郎は言い張る。「だけどな、本当にそうなんだろうか。男だって、見目形で人から好かれたり嫌われたりすることがある。顔形で生き方が変わる。世渡りが変わる。男は顔じゃねぇなんて、わざわざ大きな声で言わなきゃならねえのも、そのせいだよ。本音を覆い隠してるのさ」

【どんな本?】

 ベストセラー作家・宮部みゆきによる、江戸は本所深川を舞台にした長編時代小説シリーズ第三弾。怠け者のぼんくら同心・井筒平四郎と、その周囲で起きる事件を中心に、平四郎の甥で鋭い頭脳の弓之介少年、きっぷのいいお菜屋のお徳、懐の深い岡っ引きの政五郎親分などレギュラー陣に加え、金壺眼の若く有能な同心・間島信之輔や弓之介の兄・淳三郎など新キャラクターを加え展開する下町人情模様。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本・文庫本同時出版。私が読んだのは文庫本で、2011年9月22日発行の第1刷。縦一段組みで上下巻、それぞれ本文約602頁+約601頁=1203頁。9ポイント38字×17行×(602頁+約601頁)=約778430字、400字詰め原稿用紙で約1946枚。そこらの長編なら4冊でもおかしくない大ボリューム。

 量こそ多いが、文章の読みやすさは抜群。ボリュームに相応しく登場人物もやたらと多く、内容も複雑なのだが、不思議なくらいスンナリと頭に入ってくる。シリーズ物で先の「ぼんくら」「日暮らし」の続きだが、この作品は比較的に独立した内容なので、これから読んでも大丈夫だろう。

【収録作と初出】

上巻
 おまえさん  小説現代 2006年8月号~2008年9月号
下巻
 おまえさん  同上
 残り柿     小説現代 2008年11月号~2009年1月号
 転び神     小説現代 2009年2月号~4月号
 磯の鮑     小説現代 2009年5月号~7月号
 犬おどし    書き下ろし

 形の上では連作形式だが、内容的には全体で一つの長編になっていて、「おまえさん」で広げた謎と風呂敷を後の四編で片付ける形だ。素直に頭から読もう。

【どんな話?】

 季節は梅雨明け。幸兵衛長屋の近く、南辻橋のたもとで人が斬られた。下手人はおろか仏さんの身元もわからない。ばかりでなく、人の形の染みが残り、なかなか消えない。仏さんは貧相で痩せこけている。懐は抜き取られているが、物取りにしては美味しい獲物とは思えない。何より、傷の具合から、得物の刀が切れすぎている。平四郎と共に調べにあたる同心・間島信之輔は、若く真面目で優秀と噂だが…

【感想は?】

 前作・前々作と、主人公の井筒平四郎以上の存在感を発揮したお徳さん、今回は冒頭から大活躍。長年の商売の甲斐あって、この作品では堂々と手下を二人連れて登場する。女手ひとつで亡き亭主と始めた煮売り屋を守ってきた歴戦のつわものだけに、行進する姿も勇ましげ。

 お江戸の治安を守るにしても、ぼんくら平四郎じゃちと頼りない。でも大丈夫。彼には心強い味方がついてるから。まずは幼いなからも鋭い頭脳で真実を見通す、イケメン小僧の弓之介少年。前回まではおねしょの癖を散々からかわれてたけど、今回はそれもなく、着実に成長している様子。

 …と思ったら、意外と可愛い所を見せるのは、下巻に入ってからのお楽しみ。今まで滅多に拗ねた表情を見せた事のない弓之介、下巻で披露する感情丸出しの会話、ファンにはきっとたまらないんだろうなあ。

 人情物としての今作のテーマは、男と女だろう。イケメンの弓之介に対し、ブサイクながら真面目で優秀な同心・間島信之輔を配し、生薬屋・瓶屋の美女三人、娘の史乃・おかみの佐多枝・差配人のおとしに加え、様々な色恋模様や夫婦の機微が描かれてゆく。

 ミステリとして見ると、相当に破格の構成になっている。上巻で提示された主な事件の謎が、下巻の頭で明かされてしまう。それも、ミステリの定番、関係者を集めての謎解き、という形で。ところが、それだけじゃ終わらないのが、宮部みゆきの美味しい所。

 事件の謎は解けても、巻き込まれた人の気持ちはスッキリしない。むしろ、長年の遺恨が明らかになったり、誤解が解けたりで、巻き込まれた人は大きなわだかまりを抱えてしまう。このわだかまりをどうするか、そこを描く事こそ、宮部みゆき作品の醍醐味だろう。

 そんな訳で、下巻の後半に入ると、もう泣かされっぱなし。これまではフィクサー的な立場で、物分りがよくて頼りになる親分で通してきた政五郎親分と、おでこさんこと三太郎の関係に加え、いくつかの因縁をバッサリ裁く「残り柿」。ここの最後で吠える政五郎親分の啖呵の心地よさ、カッコよさ。

 やはり心に染みるのが、続く「転び神」。こっちで主役を務めるのは、冴えない担ぎ売りの丸助爺さん。職人だったが事故で腕を怪我し、女房のお万と担ぎ売りで食いつないできたが、二年前にお万と死に別れ、今は十徳長屋でやもめ暮らし。貧しく冴えない爺さんだけど、このラストシーンは…。華やかさも色気もないけど、決して甘くないけど、ビンボで朴訥な丸助だからこそ生きる、切ないラブストーリーに仕上がってる。

 続く「磯の鮑」。故事ことわざ事典磯の鮑の項を見るまでもなく、片思いを表す言葉。ここでは生真面目で優秀ながら、ブサイクが災いしている間島信之輔が中心となる。まあ、あれです、地味にやるしか能のない者として、淳三郎に感じる鬱屈は、とてもヒトゴトとは思えない。何が違うんだろうねえ。でもまあ、人は持ってるモンでやりくりするっきゃないわけで。

 などの主な登場人物に加え、楽しいトリック・スターも忘れちゃいけない。こちらも陰陽揃え、陰を受け持つのが、おでこさんこと三太郎の母親・おきえ。どんな巡り会わせか、大店のおかみに居座ったおきえだが…。

 対して陽を受け持つ本宮源右衛門老人。死体見物なんぞという物騒な趣味を持つ、間島信之輔の大叔父。耳が遠いのか、言葉は少ないながら、突然に大声を張り上げる困った?癖のあるじいさん。緊張して行き詰った雰囲気を、一言で吹っ飛ばす豪快さ、快活さ。こんな風に齢を取りたいなあ。

 長くて筋は複雑だし、登場人物も多い。でも、読み始めたら一気に読んでしまう。翌朝が早い人や、通勤電車の中で読むには向かない。ちゃんと時間を取って、じっくり一人で読もう…泣き顔を見られたくなければ。

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