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2014年2月11日 (火)

ヴィクター・セベスチェン「東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊」白水社 三浦元博/山崎博康訳

「レフ(・ワレサ)は二度目のノーベル賞を受賞する資格がある。『連帯』内で平和を保っていることがその理由だ」

「ベルリンの(壁崩壊)事件について、米政府に情報を与え続けたのは、CIAよりむしろCNNだった。ベルリンの壁の崩壊は、冷戦終結期の歳月を通じて続く事になるCIAとCNNの無言の競争の号砲だった。CIAはさまざまな出来事に関して、スパイ情報網を持っておらず……東欧各国とソ連の首都にいた情報源のだれも、われわれに事態を解説することができなかったのだ」
  ――CIAソ連圏担当上席分析官ミルト・ベアデン

【どんな本?】

 1985年3月10日、ミハイル・ゴルバチョフのソ連共産党書記長就任に始まるペレストロイカとグラスノスチは、東欧諸国に大きなうねりをもたらし、1989年11月9に始まったベルリンの壁崩壊をピークに、雪崩のごとく東欧諸国を席巻し、米ソの冷戦構造を一転させ、連帯のレフ・ワレサなどのスターを生み出した。

 冷戦前の東欧諸国はどんな状況だったのか。ゴルバチョフはどんな目的でペレストロイカとグラスノスチを推し進めたのか。なぜ1968年の「プラハの春(→Wikipedia)」のようにソ連軍が、または1989年6月の第二次天安門事件(→Wikipedia)のように各国軍が鎮圧しなかったのか。東欧諸国の権力者や庶民や反体制派は、どう判断し行動したのか。アメリカなど西欧諸国は、どんな影響を与えたのか。

 第二次世界大戦以降の NATO vs ワルシャワ条約機構 という20世紀後半の世界情勢をひっくり返した東欧崩壊を、その前夜からルーマニアのチャウシェスクの失脚に至るまで、共産党首脳陣・反体制派・海外の要人を交え描いた、ドキュメンタリーの大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Revolution 1989 - The Fall of the Soviet Empire, by Victor Sebestyen, 2009。日本語版は2009年11月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約571頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字20行×571頁=約513,900字、400字詰め原稿用紙で約1285枚。長編小説なら2冊分ちょい。

 訳文は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。「冷戦って、アメリカとソ連が手下を連れてメンチ切りあってたんだよね」程度で充分に読みこなせる。とまれ、600頁近い大作だけに、登場人物が異様に多いので、巻末の人名索引には何度もお世話になった。出てくる人がロナルド・レーガンやエーリッヒ・ホーネッカーなど当事の有名人だったり、チェコスロバキアが今はチェコとスロバキアになっていたり、当時を知らない若い人には少し辛いかも。

【構成は?】

序文
プロローグ 1989年12月25日(月曜日)、トゥルゴビシュテ(ルーマニア)
第一部 冷戦
第1章 労働者国家
第2章 希望のメッセージ 1978年10月16日(月曜日)、クレムリン
第3章 連帯 1980年8月9日(土曜日)、グダニスク(ポーランド)
第4章 電気工 1980年8月14日(木曜日)、グダニスク
第5章 内戦 1981年12月12日(土曜日)、ワルシャワ
第6章 出血する傷口 1981年12月13日(日曜日)、カブール
第7章 権力なき者たちの力 1982年6月、プラハ
第8章 軍事演習「エイブル・アーチャー」 1983年11月12日(水曜日)、ワシントンDC
第9章 米国先導するハト派 1983年11月、ワシントンDC
第10章 ビュロスの勝利 1983年12月3日(土曜日)、ワルシャワ
第二部 雪解け
第11章 新生ツァーリ 1985年3月10日(日曜日)、モスクワ
第12章 剣と盾 1985年4月、東ベルリン
第13章 レーニンの使徒 1985年4月4日(木曜日)、モスクワ
第14章 封印された記憶 1986年1月18日(土曜日)、ブダペスト
第15章 「われらは勝てない」 1986年1月、モスクワ
第16章 「憎ませておけ」 1986年1月26日(日曜日)、ブカレスト
第17章 チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日(土曜日)、ブリビャチ市(ウクライナ)
第18章 民族浄化 1987年6月、ソフィア
第19章 赤の広場の屈辱 1987年5月28日(木曜日)、モスクワ
第20章 四人組 1987年6月、モスクワ
第21章 ゴルバチョフのベトナム 1988年4月19日(火曜日)、ワシントンDC
第22章 老人たちの物語 1987年9月17日(月曜日)、ボン
第23章 ポーランドの終焉 1988年8月31日(水曜日)、ワルシャワ
第24章 ブッシュが大統領に 1988年11月8日(火曜日)、ワシントンDC
第25章 マンハッタンの勝利 1988年12月7日(水曜日)、ニューヨーク

第三部 革命
第26章 非難合戦 1989年1月1日(日曜日)、ブダペスト
第27章 獄中のハベル 1989年1月16日(月曜日)、プラハ
第28章 円卓会議 1989年1月16日(月曜日)、ワルシャワ
第29章 射殺命令 1989年2月5日(日曜日)、東ベルリン
第30章 友好の橋 1989年2月15日(水曜日)、テルメズ(アフガニスタン)
第31章 鉄のカーテン崩落 1989年3月3日(金曜日)、クレムリン
第32章 慎重居士ブッシュ 1989年4月1日(土曜日)、ワシントンDC
第33章 忠実な反対派 1989年4月4日(火曜日)、ワルシャワ
第34章 負債を払う独裁者 1989年4月12日(水曜日)、ブカレスト
第35章 不正選挙 1989年5月7日(日曜日)、東ベルリン
第36章 トルコ人追放 1989年5月20日(土曜日)、ソフィア
第37章 地滑り勝利 1989年6月4日(日曜日)、ワルシャワ
第38章 ブダペストの葬送 1989年6月16日(金曜日)、ブダペスト
第39章 大統領の歴訪 1989年7月10日(月曜日)、ワルシャワ
第40章 トラバントの旅 1989年8月19日(土曜日)、ショブロン(ハンガリー西部)
第41章 反体制派政権 1989年8月24日(木曜日)、ワルシャワ
第42章 難民の波 1989年8月25日(金曜日)、ギムニッヒ城、ボン
第43章 建国記念パーティー 1989年10月7日(土曜日)、東ベルリン
第44章 ピープルパワー 1989年10月31日(火曜日)、東ベルリン
第45章 ベルリンの壁崩壊 1989年11月9日(木曜日)、東ベルリン
第46章 宮廷クーデター 1989年11月10日(金曜日)、ソフィア
第47章 ビロード革命 1989年11月17日(金曜日)、プラハ
第48章 露呈した弱さ 1989年12月17日(日曜日)、ティミショアラ(ルーマニア)
フィナーレ 1989年12月1日(金曜日)、バチカン帝国
 謝辞/訳者あとがき
 写真クレジット/出典/参考文献/人名索引

 大作だが、10頁程度の短い章を積み重ねる形で構成され、意外と読みやすい。とまれ、基本的に時系列順に並んでいるので、素直に頭から読もう。巻頭の地図「1989年のヨーロッパ」と、巻末の人名索引は役に立つので、栞を挟んでおこう。

【感想は?】

 当時を振り返ると、あれは夢に浮かされたような状況だった。

 ゴルバチョフはゴルビーの愛称で親しまれ、あれよあれよという間にレフ・ワレサがヒーローになり、ベルリンの壁が崩壊し、チャウシェスクの悪行が暴露された。

 不思議に思ったのは、ソ連の赤軍や各国の国軍が民衆を弾圧しなかったこと。この本に、その解の一部が書かれている。ソ連軍の不介入は、ゴルバチョフの命令によるものだ。ソ連軍が東欧革命に巻き込まれるのを、ゴルバチョフは嫌った、とある。あくまでも東欧諸国自身に任せたのだ、と。その理由の一つはアフガニスタンだ。

ミハイル・スースロフ「もう一つのアフガニスタンを抱え込むゆとりなどない」

 前半では、崩壊前の東欧各国の状況が明らかになる。トラバント(→Wikipedia)を覚えている人なら、経済・産業の様子は、なんとなく想像がつくだろう。どころか、実態はそれ以上に酷かった。1970年代のポーランドでは、ヘアピンがまったくなかった。経済・産業計画は男性が作り、女性が指摘しても計画の変更は「面倒すぎてできるものではない」。ルーマニアでは、「大鎌や小鎌で収穫が行なわれた」。ソ連から供与された石油を、西側に転売して外貨を稼ぐためだ。

 というのも。「共産主義体制は西側からの大規模な借り入れをせずには、体制側の約束をまもれなくなった」からだ。「東ドイツでは1980年代初頭には、所得の60%が債務返済に充てられていた」。貸していたのは西側の銀行。ソ連の信用保証を信じたのだ。ところが、肝心のソ連は…

この帝国は支配下にある多くの植民地と比べ、はるかに貧しかったのである。(略)ソ連は機械製品や消費物資、食料と引き換えに、石油、ガス、その他の原材料を大量に供給していたのである。

 地下資源に頼った帝国だったわけだ。今でもロシアは原油輸出量でサウジアラビアに次ぐ世界第二位にいるが、日本はロシアからの輸入には慎重だ(→経済産業省石油統計速報平成25年12月分)。

 話を戻そう。つまりはソ連にとって東欧諸国はお荷物で、東ドイツなどは破産寸前だった。そして、それを知っていたのは、ホーネッカーを加え5人だけ。「長期ローンの利払いに短期ローンを充ててきた」って、住宅ローンの支払いにサラ金から借りる、みたいな感じかな?ここで暴露される東ドイツの財政状況は、素人の私にも相当ショッキングだ。

 東欧ばかりでなく、ソ連の間抜けっぷりも容赦なく叩いている。大韓航空機撃墜事件(→Wikipedia)では、当事のソ連の防空体制について「カムチャツカ半島とサハリン等にある計11の防空レーダー基地のうち、8ヶ所は大韓航空機を探知できていなかった」。おいおい、小型機じゃない、ジャンボことボーイング747だぞ。これには1976年のベレンコ中尉亡命事件(→Wikipedia)もひょっこり出てくる。

数年前、最新鋭戦闘機ミグ25が日本に飛び、亡命する事件が起きて以来、防空軍機は外国領空に到達できる燃料を積載してはならないとする常時命令が出されていた。

 迎撃に出たゲンナジー・オシポビッチ大佐のスホイ15は、航続時間が最大45分しかないので、じっくり確認する余裕がなかったのだ。この事件に屈辱を、赤軍は1987年に再び味わう。5月28日、19歳の青年マティアス・ルスト(→Wikipedia)操縦のセスナ172-Bが赤の広場に着陸する。

 これは赤軍の大粛清を引き起こす。国防相セルゲイ・ソコロフ元帥は辞任、防空軍司令官アレクサンドル・コルドゥノフが即刻解任されたのを初め、150人以上の将校が解任され、「国防相と参謀本部、およびワルシャワ条約機構軍司令部と全軍管区司令部の上層部がすっかり入れ替わった」。後にルスト青年は「西側最強の兵器」と言われた。もっともコレにはオチがついてる。「ほとんどはペレストロイカの敵対者と見なされた将校たちである」。

 ソ連および体制側の武力介入を恐れ慎重に動くワレサ、国境の鉄条網の維持費が捻出できず国境を開放するハンガリー、法王ヨハネ・パウロ二世の意外な影響力、奇妙な東ドイツの選挙風景、己の人気を過信する東欧の共産党指導部、ジョージ・ブッシュの信じられない外交など、読み所は幾らでもある。

 私には、自分が嫌われている事を全く認識していない権力者たちの姿が、特に印象的だった。ルーマニアのチャウシェスクの狂気を煽る北朝鮮や、テレビとラジオが東欧に与えた大きな影響も、注意深く読めば読み取ることができる。ひとつの体制が崩壊する過程の物語として、愚かで無責任な権力者の行動のサンプルとして、そして20世紀後半の最大の事件の記録として、読み応えも面白さも突出している。じっくり時間をかけて読もう。

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