ヴィクター・セベスチェン「東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊」白水社 三浦元博/山崎博康訳
「レフ(・ワレサ)は二度目のノーベル賞を受賞する資格がある。『連帯』内で平和を保っていることがその理由だ」
「ベルリンの(壁崩壊)事件について、米政府に情報を与え続けたのは、CIAよりむしろCNNだった。ベルリンの壁の崩壊は、冷戦終結期の歳月を通じて続く事になるCIAとCNNの無言の競争の号砲だった。CIAはさまざまな出来事に関して、スパイ情報網を持っておらず……東欧各国とソ連の首都にいた情報源のだれも、われわれに事態を解説することができなかったのだ」
――CIAソ連圏担当上席分析官ミルト・ベアデン
【どんな本?】
1985年3月10日、ミハイル・ゴルバチョフのソ連共産党書記長就任に始まるペレストロイカとグラスノスチは、東欧諸国に大きなうねりをもたらし、1989年11月9に始まったベルリンの壁崩壊をピークに、雪崩のごとく東欧諸国を席巻し、米ソの冷戦構造を一転させ、連帯のレフ・ワレサなどのスターを生み出した。
冷戦前の東欧諸国はどんな状況だったのか。ゴルバチョフはどんな目的でペレストロイカとグラスノスチを推し進めたのか。なぜ1968年の「プラハの春(→Wikipedia)」のようにソ連軍が、または1989年6月の第二次天安門事件(→Wikipedia)のように各国軍が鎮圧しなかったのか。東欧諸国の権力者や庶民や反体制派は、どう判断し行動したのか。アメリカなど西欧諸国は、どんな影響を与えたのか。
第二次世界大戦以降の NATO vs ワルシャワ条約機構 という20世紀後半の世界情勢をひっくり返した東欧崩壊を、その前夜からルーマニアのチャウシェスクの失脚に至るまで、共産党首脳陣・反体制派・海外の要人を交え描いた、ドキュメンタリーの大作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Revolution 1989 - The Fall of the Soviet Empire, by Victor Sebestyen, 2009。日本語版は2009年11月15日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約571頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字20行×571頁=約513,900字、400字詰め原稿用紙で約1285枚。長編小説なら2冊分ちょい。
訳文は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。「冷戦って、アメリカとソ連が手下を連れてメンチ切りあってたんだよね」程度で充分に読みこなせる。とまれ、600頁近い大作だけに、登場人物が異様に多いので、巻末の人名索引には何度もお世話になった。出てくる人がロナルド・レーガンやエーリッヒ・ホーネッカーなど当事の有名人だったり、チェコスロバキアが今はチェコとスロバキアになっていたり、当時を知らない若い人には少し辛いかも。
【構成は?】
序文 |
第三部 革命 |
大作だが、10頁程度の短い章を積み重ねる形で構成され、意外と読みやすい。とまれ、基本的に時系列順に並んでいるので、素直に頭から読もう。巻頭の地図「1989年のヨーロッパ」と、巻末の人名索引は役に立つので、栞を挟んでおこう。
【感想は?】
当時を振り返ると、あれは夢に浮かされたような状況だった。
ゴルバチョフはゴルビーの愛称で親しまれ、あれよあれよという間にレフ・ワレサがヒーローになり、ベルリンの壁が崩壊し、チャウシェスクの悪行が暴露された。
不思議に思ったのは、ソ連の赤軍や各国の国軍が民衆を弾圧しなかったこと。この本に、その解の一部が書かれている。ソ連軍の不介入は、ゴルバチョフの命令によるものだ。ソ連軍が東欧革命に巻き込まれるのを、ゴルバチョフは嫌った、とある。あくまでも東欧諸国自身に任せたのだ、と。その理由の一つはアフガニスタンだ。
ミハイル・スースロフ「もう一つのアフガニスタンを抱え込むゆとりなどない」
前半では、崩壊前の東欧各国の状況が明らかになる。トラバント(→Wikipedia)を覚えている人なら、経済・産業の様子は、なんとなく想像がつくだろう。どころか、実態はそれ以上に酷かった。1970年代のポーランドでは、ヘアピンがまったくなかった。経済・産業計画は男性が作り、女性が指摘しても計画の変更は「面倒すぎてできるものではない」。ルーマニアでは、「大鎌や小鎌で収穫が行なわれた」。ソ連から供与された石油を、西側に転売して外貨を稼ぐためだ。
というのも。「共産主義体制は西側からの大規模な借り入れをせずには、体制側の約束をまもれなくなった」からだ。「東ドイツでは1980年代初頭には、所得の60%が債務返済に充てられていた」。貸していたのは西側の銀行。ソ連の信用保証を信じたのだ。ところが、肝心のソ連は…
この帝国は支配下にある多くの植民地と比べ、はるかに貧しかったのである。(略)ソ連は機械製品や消費物資、食料と引き換えに、石油、ガス、その他の原材料を大量に供給していたのである。
地下資源に頼った帝国だったわけだ。今でもロシアは原油輸出量でサウジアラビアに次ぐ世界第二位にいるが、日本はロシアからの輸入には慎重だ(→経済産業省の石油統計速報平成25年12月分)。
話を戻そう。つまりはソ連にとって東欧諸国はお荷物で、東ドイツなどは破産寸前だった。そして、それを知っていたのは、ホーネッカーを加え5人だけ。「長期ローンの利払いに短期ローンを充ててきた」って、住宅ローンの支払いにサラ金から借りる、みたいな感じかな?ここで暴露される東ドイツの財政状況は、素人の私にも相当ショッキングだ。
東欧ばかりでなく、ソ連の間抜けっぷりも容赦なく叩いている。大韓航空機撃墜事件(→Wikipedia)では、当事のソ連の防空体制について「カムチャツカ半島とサハリン等にある計11の防空レーダー基地のうち、8ヶ所は大韓航空機を探知できていなかった」。おいおい、小型機じゃない、ジャンボことボーイング747だぞ。これには1976年のベレンコ中尉亡命事件(→Wikipedia)もひょっこり出てくる。
数年前、最新鋭戦闘機ミグ25が日本に飛び、亡命する事件が起きて以来、防空軍機は外国領空に到達できる燃料を積載してはならないとする常時命令が出されていた。
迎撃に出たゲンナジー・オシポビッチ大佐のスホイ15は、航続時間が最大45分しかないので、じっくり確認する余裕がなかったのだ。この事件に屈辱を、赤軍は1987年に再び味わう。5月28日、19歳の青年マティアス・ルスト(→Wikipedia)操縦のセスナ172-Bが赤の広場に着陸する。
これは赤軍の大粛清を引き起こす。国防相セルゲイ・ソコロフ元帥は辞任、防空軍司令官アレクサンドル・コルドゥノフが即刻解任されたのを初め、150人以上の将校が解任され、「国防相と参謀本部、およびワルシャワ条約機構軍司令部と全軍管区司令部の上層部がすっかり入れ替わった」。後にルスト青年は「西側最強の兵器」と言われた。もっともコレにはオチがついてる。「ほとんどはペレストロイカの敵対者と見なされた将校たちである」。
ソ連および体制側の武力介入を恐れ慎重に動くワレサ、国境の鉄条網の維持費が捻出できず国境を開放するハンガリー、法王ヨハネ・パウロ二世の意外な影響力、奇妙な東ドイツの選挙風景、己の人気を過信する東欧の共産党指導部、ジョージ・ブッシュの信じられない外交など、読み所は幾らでもある。
私には、自分が嫌われている事を全く認識していない権力者たちの姿が、特に印象的だった。ルーマニアのチャウシェスクの狂気を煽る北朝鮮や、テレビとラジオが東欧に与えた大きな影響も、注意深く読めば読み取ることができる。ひとつの体制が崩壊する過程の物語として、愚かで無責任な権力者の行動のサンプルとして、そして20世紀後半の最大の事件の記録として、読み応えも面白さも突出している。じっくり時間をかけて読もう。
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