ピーター・ワッツ「ブラインドサイト 上・下」創元SF文庫 嶋田洋一訳
「じゃあ、統合者なのね。理解できない人たちのことを、無関係な人たちに説明する仕事」
おれはキューに従って微笑した。「むしろブレイクスルーをなし遂げる人々と、そいつらから手柄を横取りする人々のあいだに橋をかける仕事だな」
【どんな本?】
カナダの海洋生物学者でもある著者による、人間の本質とファースト・コンタクトをテーマとした長編サイエンス・フィクション。突然の異星人からの理解不能なアプローチに驚愕した人類が、ファースト・コンタクトの外交官(または威力偵察)として選んだのは、奇妙な特徴を持つ四人組だった…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は BLINDSIGHT, by Peter Watts, 2006。日本語版は2013年10月31日初版発行。文庫本で縦一段組み上下巻で本文約265頁+約248頁=約513頁に加え、豪華ゲストのテッド・チャンの日本語版特別解説5頁+訳者あとがき6頁+参考文献も大量38頁。8.5ポイント41字×17行×(265頁+248頁)=約357,561字、400字詰め原稿用紙で約894枚。豪華なオマケを考えれば、二分冊は妥当なところ。
断言する。かなり読みにくい。文章も、内容も。文章の読みにくさは、著者・訳者ともに意図的なものだ。つまり、わざと読みにくい文章にしている。これは、この小説のテーマ&構成と重大な関わりがあり、読者にテーマの意味を伝える役割を、文体も担っているためだ。内容も科学・哲学的にかなり突っ込んだ(そして突飛な)問題を扱っていて、相応にSFや科学周辺書を読んでいないと、ついていくのは難しい。
結論として、相当にスレたSF者向けだ。テッド・チャンやグレッグ・イーガンで随喜の涙を流すディープな変態向けであり、「ちょっとふしぎ」が欲しい人には向かない。人間が繰り広げる物語より、世界認識の変容が好きな人向け。
【どんな話?】
2082年2月13日GMT10:35、人類は異星の文明と接触した。65536個のプローブ通称ホタルが地球を覆い、走査していった。正体は不明、目的も不明。恐れた人類は探査機を送り出す。無人機を二波、目標はバーンズ=コールフィールド彗星。しかし、第二波の接近時、バーンズ=コールフィールド彗星は消える。
そこで第三の探査船が送り出される。今度は有人だ。目標はビッグ・ベン、オールトの雲の奥、木星の10倍の質量を持つ天体。主なメンバーは四人。脳の半分を失った統合者のシリ・キートン、肉体の多くを機械化した生物学者のアイザック・スピンデル、多重人格の言語学者のスーザン・ジェームズ、交渉を得意とする軍人のアマンダ・ベイツ、そして指揮官のユッカ・サラスティは…吸血鬼。
【感想は?】
先にも書いたが、小説としては、かなり読むのがシンドイ。
まず、登場人物の大半に感情移入できない。主な舞台は探査船内で、シリ・キートン/アイザック・スピンデル/スーザン・ジェームズ/アマンダ・ベイツ/ユッカ・サラスティの四人とも、かなり性格がおかしい。特にイカれてるのが、語り手のシリ・キートンなんだから辛い。
私が最も共感できたのは、徹底した合理主義・利便主義な軍人のアマンダ・ベイツで、それでも上の四人の中じゃ一番普通で感情的なんだから凄い。アイザック・スピンデルもそれなりに感情を持ってるんだが、なにせ半分以上が機械。スーザン・ジェームズはオツムの中に多くの人格を同居させてて、チョロチョロ入れ替わるからややこしい。
特に何考えてるのか全くわからないのが、指揮官のユッカ・サラスティ。つか、なんだよ吸血鬼って…と思ったら、ちゃんと理屈がついてるのに笑った。おまけに十字架恐怖のオマケつき。わはは。ってな、「共感できない登場人物」も、実はテーマに深く関わってるから、この本はあなどれない。
とまれ、これが本書の欠点ではなく、むしろ長所なのが、この本の特異なところ。語り手の異様な視点と価値観が、後に展開するファースト・コンタクトへの準備運動となっているのだ。いやもう、変人だらけのクルーとのコミュニケーションだけでも充分にセンス・オブ・ワンダーなのに、エイリアンの異質性は更にとんでもない事になっている。
ってな感じで、全般的に上巻はケッタイなクルーで準備運動し、下巻で更にケッタイな異星人とご対面、みたいな構成だ。
ところが、この準備運動からして、かなり厳しい。主人公で語り手のシリ・キートンも、かなり特異な世界に生きている。「統合者」ってのが意味深っぽいが、古株のSFファンならA・E・ヴァン・ヴォクトの名作「宇宙船ビーグル号」の情報総合学者エリオット=グローヴナーを連想するかもしれない。
コンピュータでも宗教でもゲームでも、詳しい人に説明を求めると、見慣れぬ理屈や概念が大量の専門用語を伴って出てくる。深入りしてる人が熱中して話し始めると、門外漢には意味不明なハナモゲラになる。「NEPは捨てても勝手に帰ってくる」とか言われても、ゲームのガンパレード・マーチを知らない人には全く意味が通じない。
クルーのメンバーも、それぞれが各部門の専門家なんで、お互いの会話がなかなか通じない。そこで主人公のキートンが仲介する役割らしい。これが実に皮肉が効いてる。同じ人間同士でさえコミュニケーションが取れないってのに、エイリアンとコミュニケーションなんかできるのか?
おまけに仲介役のキートン君も、コミュニケーションには相当の難を持っていて。これは冒頭で親友のロバート・パグリーノとのエピソードで早速明らかになり、恋人のチェルシーとのやりとりで更にダメ押しされる。大丈夫かよ、こんな奴で。まあ、この辺は岡目八目とでもいうか。
下巻に入ると、やっと異星人が登場してくる。これまた相当に無茶なスペックを持つ恐るべき怪物なんだが、いちいちソレに理屈をつけてるのが憎い。それこそ細胞を構成する物質から、体全体のデザイン、体内の様々なネットワーク、そして燃料とエンジンに至るまで。
とか書いてるが、やっぱり面白いのは、本書のテーマそのもの。上巻からほのめかされたテーマが、エイリアンとの接触を通して次第に明らかになり、SFならではの不遜な世界観へとつながってゆく。読み終えてテッド・チャンの解説を読むと、彼が解説を書きたくなった気持ちがよくわかる。本書に賛同するにせよ反発するにせよ、とにかく何か言いたくなるのだ。
エイリアンという鏡を通して、ヒトの姿に迫る。こういう方法でヒトの真実に切り込んでいく事ができるのは、SFならでは。SFが果たすべき、SFだけが果たせる役割を、無骨なまでに徹底的に追求した、ディープなSF者に捧げるディープなSF小説だ。
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