マイケル・バー=ゾウハー&ニシム・ミシャル「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」早川書房 上野元美訳
「私は、舞台で演じるようなつもりで姿を変え、化粧をして、モサドの多数の作戦に臨んだ。それ以外では、芝居の演出家のような気持ちで作戦に参加した。脚本だと思って作戦指令を書き上げた」
――ラフィ・エイタン
【どんな本?】
エジプト・シリア・イラクと軍事大国である敵に囲まれ、またPLOなどの非国家の武装組織も敵に回すイスラエルが誇る情報機関、モサド。その名はCIA・KGB・MI6 と並び有名であり、優れた能力と容赦ない作戦で悪名が鳴り響いている。
作家でもあるマイケル・バー=ゾウハーと、ジャーナリストのニシム・ミシャルの二人のイスラエル人が組み、元ナチスのアドルフ・アイヒマン捕獲・フルシチョフのスターリン批判演説記録の入手・イラクのミグ21入手など数々の成功例のほかに、記録を取られたドバイでのハマス幹部の殺害や、シリアの高官に食い込んだエリ・コーヘンの露見などの無様な失敗例もあげ、現代の国際社会におけるスパイの活動を生々しく描くドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は MOSSAD, The Greatest Missions of the Israeli Secret Service, by Michael Bar-Zohar and Nissim Mishal, 2012。日本語版は2013年1月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約398頁。9.5ポイント45字×20行×398頁=約358,200字、400字詰め原稿用紙で約896枚。長編小説なら2冊分に少し足りないぐらい。
翻訳物のドキュメンタリーのわりに、文章は拍子抜けするぐらい読みやすい。ジャーナリストと作家のコンビによるものだけあって、内容的にも比較的にこなれている。とまれ、スパイ物の常で、多数の人物が偽名を使うのがややこしいかも。それ以上に重要なのが、イスラエルを中心とした中東の国際事情。だいたい1960年代あたりからのエジプト・イラク・イラン・シリア・レバノンの情勢の変転がわかっていると、より楽しめる。
著者は二人ともイスラエル人であり、徹底してイスラエル贔屓の立場で書いている。PLOやハマスは遠慮なく「テロリスト」と表現しており、パレスチナ問題などでアラブ贔屓な人は、かなり不愉快な本だろう。
【構成は?】
序文 ライオンの巣穴に一人で飛び込む |
第12章 赤い王子をさがす旅 |
原則として時系列順に話が進むが、各章はそれぞれ一つの作戦を記しており、ほぼ独立しているので、興味のある所だけを拾い読みしてもいい。
【感想は?】
まるきしスパイ物の漫画だが、どうも大半が事実らしい。
特に凄いのが、「第16章 サダムのスーパーガン」。第一次世界大戦でドイツが使ったパリ砲(→Wikipedia)で幕をあける。砲弾の全長3.5m、射程距離128km。三基作られ一基は暴発して自爆、「それ以外の二基は、戦争の終結とともに跡形もなく消えた」。鉄人28号かよ。ちなみに戦艦大和の主砲46cm砲は射程距離約42km(→Wikipedia)。
その設計図が、1965年に出てくる。クルップ工業の設計部長フリッツ・ローゼンバーガーの親戚の老婦人が、家の古文書から発掘し、カナダのジェラルド・ブル博士の手に渡る。この人が、しょうもない大砲オタクで。
全長36m口径424mm射程40kmの大砲を試作し成功するが、アメリカ・カナダとも政府は興味を失う。しかしブル博士の大砲作りの執念は燃え上がり、南アフリカに売り込むが、不法兵器取引でお縄。懲りるどころか怒り狂った博士、「俺を無視した学会に復讐してやるんじゃあ~!」とばかりに、なんとイランと戦争中のサダム・フセインにバビロン計画を売り込む。長さ150m、重さ2100トン、口径1mの怪物だ。まさにマッド・サイエンティスト。アメリカ・イギリス・イスラエル、そしてイランと世界中の恨みを買ったブル博士は…
この章では、PFLP(パレスチナ人民解放戦線)の大物でエンテベ事件(→Wikipedia)の黒幕ワディ・ハダド博士の暗殺も、なかなかのコミック調。
彼の側近を懐柔したモサドは、彼がチョコレートに目がない事を聞きだす。名門ゴディヴァ(→ゴディヴァジャパン)のチョコレートに生物毒を仕込み、おみやげに持ちかえらせる。「ゴディヴァに目のないハダドは、チョコレートをだれにも分けずに一人占めするはずだと推測された」。がめついやっちゃ。そんなに美味しいのかゴディヴァ。今度買ってこよう。
日本人として気になる章は、「第18章 北朝鮮より愛をこめて」。ここでは、シリア・イラン・北朝鮮の三国が協力した核兵器開発と、それを妨害するモサド&イスラエル軍の活躍を描いている。ここを読むと、シリア内戦がヒトゴトじゃないのが実感できるだろう。なんたって、イランが資金を、北朝鮮が技術を提供している。
2007年7月、イスラエルは、オフェク7スパイ衛星で原子炉施設を高高度から写真撮影した。アメリカとイスラエルの専門家がそのときに撮影された写真を分析した結果、シリアが建設中の原子炉は、北朝鮮の寧辺(ニヨンビヨン)にある核施設と酷似していることが明確になった。
北朝鮮とシリアの核兵器開発の話は遅くとも2000年には始まってる。つまり、現大統領バシャル・アル=アサド(→Wikipedia)も関わっていると明記してある。
2006年6月のハフェズ・アル=アサド大統領の葬儀の際、その息子にして後継者のバシャル・アル=アサド大統領は、北朝鮮代表団と対面した。その後、シリア科学研究庁の監督のもとでシリアに核施設を建設することに関して、秘密会談が行なわれた。2002年7月、今度はダマスカスで、シリアとイランと北朝鮮の高官が参加した秘密会談がひらかれ、三国は合意に達した。
この事件の結末は、まるきしトム・クランシーの「合衆国崩壊」(→Wikipedia)の結末にソックリ。
情報機関にもお国柄があって、例えばイギリスの MI6 はスマートな情報収集、CIA は政府転覆など大掛かりなもの、KGB は情報政治軍事暗殺となんでもあり、そしてモサドは精鋭によるチームプレーと暗殺の印象が強い。その印象を変えたいのか、ちょっと面白い事件も取り上げている。
「第7章 ヨセレはどこだ?」は、なんとイスラエル国内のユダヤ教超正統派との争い。アイダとアルターのシュクマッカー夫妻は、生活費に困り父のナーマン老に8歳の息子ヨセレを預ける。誤解から激高したナーマン、ヨセレを奪い…。イスラエル国内の大ニュースとなり、世俗派と超正統派の暴力的衝突にまで発展した事件のケリをつけるため、首相ベングリオンがモサド長官イサク・ハルエルに話を持ちかける。「きみに子どもを見つけられるか?」
第四次中東戦争を予告した「エンジェル」の意外な正体、アサド政権の高官候補にまでなったド派手な潜入スパイ、イラン国内での狡猾な活動、男の哀愁が身に染みるハニートラップ、ゴルゴ13みたいな暗殺事件など、刺激的なエピソードがギッシリ詰まっている。野次馬根性で読んでも楽しめるし、熾烈な諜報活動の実情を知るにも役に立つ。スパイ物が好きな人、国際関係の裏を知りたい人には、文句なしにお勧めの一冊だ。
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