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2014年1月23日 (木)

ダニエル・C・デネット「解明される宗教 進化論的アプローチ」青土社 阿部文彦訳

ミームは、その宿主である人間という伝達媒体の遺伝的適応度に貢献しようがしまいが、自己複製子として自らの適応度を持っている。

【どんな本?】

 そもそも、宗教とは何だろう?いつ、どのように生まれ、どの様に変化し、どんな役割を果たして来たんだろう?それは人類にとっていいものなのか、悪いものなのか?これだけ科学が発達しているのに、なぜ宗教は生き延びているんだろう?なぜ宗教に熱中する人がいるんだろう?なぜ宗教が絡むと議論が感情的になるんだろう?

 無神論者の哲学者である著者が、リチャード・ドーキンスの唱える「ミーム」の概念を元に、「科学的な手法で宗教を解明し理解しよう、それは社会全体ばかりでなく、(穏健な)宗教にとっても利益になる」と説く、強いメッセージの詰まった本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Breaking the Spell : Religion as a Natural Phenomenon, by Daniel C. Dennett, 2006。日本語版は2010年9月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約444頁+補論64頁=約508頁に加え訳者あとがき7頁。9ポイント47字×19行×508頁=約453,644字、400字詰め原稿用紙で約1135枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は翻訳物のノンフクションとしては標準的な読みやすさ。無駄に難しい言い回しが多い哲学の本の中では、かなり親しみやすい方だろう…いや私はあまし哲学の本って知らないんだけど。

 内要も、特に前提知識は要らないだろう。ただ、本書内で展開する議論そのものは、かなりややこしい。例えば、「神の存在を信じること」と「神の存在を信じることに価値があると考えること」の違いが、議論になってたりする。充分に時間と気持ちの余裕を持って読もう。それだけの価値がある。

【構成は?】

 はじめに
第1部 パンドラの箱を開ける
 第1章 どの呪縛を解くべきか
 第2章 科学に関する諸問題
 第3章 なぜ良いことが起こるのか
第2部 宗教の進化
 第4章 宗教のルーツ
 第5章 宗教、その黎明期
 第6章 管理運営の進化
 第7章 団体精神の発明
 第8章 信じることに価値がある
第3部 今日の宗教
 第9章 宗教選びの手引き
 第10章 道徳と宗教
 第11章 今何をしれば良いのか
  補論A 新しい自己複製子
  補論B 科学に関する諸問題
  補論C ベルボーイとタックという名の女性
  補論D 根底的解釈の不確定性の実例としてのキム・フィルビー
   原註/訳註/訳者あとがき/参考文献/人名索引/事項索引

 全般的に、前の章の内容を基礎に次の章が展開してゆく形なので、素直に頭から読むほうがいい。現代のアメリカ人向けに書かれているため、日本人には少々クドく感じる部分もあるが、そこは仕方がない。

【感想は?】

 無茶を承知で著者のメッセージをまとめると、こんな感じだろう。

リチャード・ドーキンスの唱えたミームを少し改良したモノをモデルに、私なりに宗教の解明を試みました。その手法も公開します。穴だらけだし、きっと間違いも沢山あります。手法も不適切な部分があるでしょう。それでも、叩き台としては役に立つと思います。是非今後の議論にお役立て下さい。

 著者は無神論者だが、戦闘的な無神論者のリチャード・ドーキンスとは少し立場が違う。著者自身は「ブライト」と言っている。これも大雑把に言えば「穏健派」。無神論と不可知論を含む人々で、「宗教は善か悪か(今は)分からない、だからちゃんと調べましょう」みたいな立場だ。

 宗教を云々する本なので、読者の宗教的な立ち位置により評価は大きく違うと思う。特に敬虔な信者を自認する人なら、不愉快に感じる人も多いだろう。それを考え、私の立場を明らかにしておく。

 私は「なんちゃって仏教徒」だ。実家はどこぞの寺の檀家だし。でも経はひとつも読めないし、初詣は神社に行く。法事には顔を出さないけど。よって宗教調査などで厳密に言うと、仏教徒になると思う。思想的には無神論に近い。というか、あまし自分の事として真剣に考えてない。観光地でお寺・神社・教会に行くと、失礼のないよう心がけ…名物に舌鼓をうつ。そういう、不真面目で付和雷同型のいい加減な立場です。親が神社の氏子なら、きっと神道になっていたでしょう。

 で、そういう立場で読むと、「おお、なるほど!」と思う所もあれば、「このアプローチは面白い」と感じる部分もあるし、「ソレはちょっと違うんじゃね?」とか「この視点が欠けてるなあ」と演説ぶちたくなる箇所もあって、見事に著者の思惑に嵌ってしまった。

 つまりは宗教をミーム(→Wikipedia)として考えるのが、本書の基本姿勢だ。ただ、ドーキンスは敵意を込めて命名したのに対し、著者は中立的な意味で使う。ヒトの体内・体表に住む菌と似て、ソレは益にも害にもなるが、極端な害があるモノは滅びる、そんな感じだ。

機械工学はミームに溢れている。車輪,歯車,クランク,ネジ,ばね,ベアリング…

 ただ、全般的に、ちと言い訳がクドい感がある。これは誰だってそうなんだが、自分の思想に異を唱えられるとムカついて屁理屈を並べるからだ。著者は主にアメリカの教会関係者と散々やりあってきたらしく、論を進めるたびに「頼むから冷静になってくれ、詭弁は止めてくれ」と、予想される反論を並べては叩き潰してゆく。おかげで読者は詭弁の手口に詳しくなるという、変なオマケがついてくる。

 毎週日曜日に教会に行く人も多いアメリカ人向けに書かれているため、ピンとこない部分も多いが、八百万の神がおわす日本人にも、ドキッとする部分がある。印象的だったのは、こんな部分だ、

民族宗教を実践する人々は、自分たちが宗教を実践しているとはまったく考えていない。彼らの「宗教的」実践は、狩猟や採取、耕作や収穫と同じ、現実世界と連続性を持つ部分なのである。

 「いや狩猟なんかしないし」と言う人、初詣には行きます?子どもの七五三は?町内会の盆踊りは?少し大きい工場にはたいてい鳥居があるし、葬式にはお坊さんが来る。そんな風に、宗教儀式は文化や様式の一環として溶け込んじゃってるわけです、特にこの国では。

 とまれ、真面目に信仰している人には、やはり手厳しい部分が多いのは確かだ。そもそもミームとして捉えるって姿勢からして、敬虔な人には不愉快だろう。例えば…

潜在的ミームへの良いアドバイスは、何度も繰り返されたいなら(複製されたいなら)、重要であるように見えるべく努力せよ!というものである。

 とか、実に手厳しい。必要以上に重要である、または有益であると見せかけたほうが、ミームは繁殖しやすい(多くの信者を獲得しやすい)と言ってるわけで、「実は宗教って過大評価されてるんじゃね?」みたいな印象も与えかねない。その上で、「信じることが大事」というテーゼを茶化す無神論者にも、冷や水を浴びせるから意地が悪い。

私たちの多くは、民主主義を信じており、将来にわたって民主主義を守っていくためには民主主義を信じ続けていくことが決定的に重要だということを、知っている。

 かと思えば、返す刀で「信仰のない者に宗教の研究なんかできない」とする論に対し、「じゃロリコン以外は児童ポルノに口出しするな」と切り返す。

 哲学者の書いた本だけあって、かなりシチ面倒くさい議論を多く含んではいるが、読み終えると、「ちょっと俺にも一言いわせろ」と言いたくなる、なかなか刺激的な本だ。

余談

 ということで、私の一言。日本人から見たキリスト教の特徴を、著者は見落としてると思う。それは、社交の場、人と人を結びつける機能だ。真面目なキリスト教徒は、日曜日に教会に行く。そこでご近所の方々と挨拶し、井戸端会議に興じる。新しく引っ越してきた人も、教会に行けば近所の人と顔見知りになれる。この効果は大きい。

 アルコール・アノニマス、略してAAという組織がある。アルコール依存症の人が、互いに励ましあって禁酒を守るのが目的だ。毎週、定期的に集会を開くのだが、教会が場所を提供する場合もある。教会ってのがミソで、キリスト教圏で教会はご近所の集会所としての役割も担っている。一般に社会から排除されがちなアルコール依存症の者が、定期的に教会に通い始めたら、近隣の人はどう思うだろう?「あの人は真面目に立ち直ろうとしている」、そう考えるんじゃないだろうか。そういった目は、依存症の者が社会に復帰する大きな支援となる筈だ。

更にどうでもいい話だけど、こういう教会の社会的な役割は、ロバート・マキャモンの作品によく現れてます。「少年時代」とか「スワン・ソング」とか。

 といった有益な効果もあれば、極めて有害な効果もある。911の主犯モハメド・アタは、モスクでの礼拝の帰りにスカウトされた。こちらは、宗教施設・儀式が人と人を結びつける効果を、悪用された例だ。

 宗教(または宗教組織)は、人と人を結びつける。それは益にも害にもなる。これはハッキリと明言し、そのしくみと効果を明らかにする価値のある側面だろう…と思ったら、カート・ヴォネガットが既に扱っていた(→Wikipedia)。「フォーマ(無害な非真実)を生きるよるべとせよ」。ぐぬぬ。

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