中村明一「倍音 音・ことば・身体の文化誌」春秋社
都はるみは、ひとつのフレーズの中で、三点を自由に行き来しています。「アンコ椿は恋の花」という歌の「あんこ~♪」の部分を見てみると、「あ」で<整数次倍音>を出し、「ん」と唸る部分では[非整数次倍音]が強く、最後の「こ~」というところは倍音の少ない裏声にぬけていく。大歌手たるゆえんでしょう。
【どんな本?】
楽器には音色があり、声には声色がある。音や声の質の違いをもたらす要因としての倍音に注目し、我々に馴染み深い歌手の森進一や浜崎あゆみ、特徴的な声の田中角栄や小泉潤一郎、そしてコント55号やウッチャンナンチャンなどを引き合いにして、倍音の持つ効果を明らかにするとともに、西洋と日本における倍音の扱いの違いと、それがもたらす音楽やコミュニケーションのありかたの違いを解き明かし、音楽の持つ豊かさを科学によって掘り起こしてゆく。
工学部出身で尺八を学び、バークリー音楽院でジャズ理論を修めるなど多彩な背景を持つ、著者ならではの多角的な視点によって、音楽の魅力と豊かさを開明する、楽しくて親しみやすい科学と文化と音楽の本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年10月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約242頁。10ポイントの読みやすい大きな字で40字×16行×242頁=約154,880字、400字詰め原稿用紙で約388枚だが、写真・グラフ・図表を豊富に収録しているので、実際の文字数は8~9割ぐらいだろう。小説なら中編~長編の分量。
著作が専門の人ではないが、文章はとてもこなれていて読みやすい。科学・音楽・文化論と多岐に渡る内容ではあるが、八代亜紀や郷ひろみなど親しみやすく特徴ある声の芸能人を例に出して読者を引きずりこむ工夫が見事に効を奏していて、中身も体感的に理解しやすい。では、スラスラ読めるか、というと…
【構成は?】
はじめに 第三の耳――最後に残された「魔法」
第1章 不思議な現象
第2章 倍音とは何か
第3章 メディアを席巻する倍音
第4章 日本という環境・身体・言語
第5章 日本文化の構造
第6章 超倍音楽器、尺八
第7章 人間にとって音、音楽とは何か
終章 未来の響きに耳を澄ます
あとがき/参考文献一覧/著者紹介
【感想は?】
歌が好きな人、音楽が好きな人なら、ぜひ読もう。なぜ美空ひばりが国民的歌手なのか、よくわかる。
冒頭の引用は、都はるみの「アンコ椿は恋の花」(→Youtube)を例に、上手な歌手がいかに倍音を使いこなしているかを解説する部分だ。今少しYoutubeを漁ったが、キャリアの長い歌手だけに、歌い方も時代により変化している。より初期の方が、この解説はクッキリとわかる歌い方をしている。
ちなみに同じ都はるみの歌う「アンコ椿は恋の花」1990年版はこちら(→Youtube)。喉を酷使する演歌歌手でありながら、長い歌手生活を経て声の輝きと透明さを失うどころか、むしろ増している。いかに彼女が喉を大切にしているか、そのプロ根性が伺える歌声だ。
引用で欠けているのが、<整数次倍音>と[非整数次倍音]だろう。著者も長々と説明しているのだが、一発で分かるグラフが52頁~53頁の見開きにある。これが実にわかりやすい。
[非整数次倍音]が豊かな歌手として、トップに森進一、次いでもんたよしのり・八代亜紀・青江三奈・桑田圭祐だ。いわゆるガラガラ声である。<整数次倍音>が豊かな人は、黒柳徹子・郷ひろみをツートップとして、浜崎あゆみと倖田未来、オジサンのアイドル平山みきが続く。伸びのある華やかな声だろう。逆に倍音が少ないのは、クラシックの声楽と、ヨーデルなどで使う裏声(ファルセット)。
そして、 <整数次倍音>[非整数次倍音]ともに豊かなのが美空ひばり、次いで都はるみ。つまり、声色の点で、両者は圧倒的な幅を持ち、かつそれを使いこなしている、という事である。冒頭の引用は都はるみだが、これに続く美空ひばりの「川の流れのように」の解説は、ファンなら必読。
これを読んでから彼女の歌を聴くと、彼女の持つ超絶的なテクニックと、それを融通無碍に使いこなす表現力に悶絶するだろう(美空ひばりの「川の流れのように」→Youtube)。時には疲れたオバサン、時には甘える少女、時には優しい母親、そして時には明るく逞しく前向きなリーダーの声を、完璧なコントロールで乗りこなしながら、曲の流れにあわせ自然かつクッキリと使い分けているのがわかる。歌の巧さとは音程の安定だけじゃないのだ。
スラスラ読めない理由のひとつは、これだ。著者の説明は見事だが、実際の音源に触れると、更にそれが実感できる。そして Youtube には困ったことに、右サイドバーに「お薦め動画」の一覧がある。感動のあまりにサイドバーに手を出すと、キリがない。特に昭和生まれの人は要注意。気がつけばオフコースの「さよなら」が流れている。うわヤマハのSGだ、懐かしい…じゃなくて。
ここでは、<整数次倍音>と[非整数次倍音]を軸に、政治家の演説技術から漫才コンビの鉄則まで論じている。これが実に説得力があって、つい応用したくなる。倖田未来の例は、昭和生まれの人には中森明菜かなあ。話し声はガサガサなのに、歌声、特に高音部は俄然伸びのある声になるんだよね(北ウィング→Youtube)。
ああ、進まないw で、こういう倍音構成の豊かなバリエーションこそが日本の文化の大きな特徴であり、その原点には日本人の姿勢や、母音が大きな役割を果たす日本語の構造がある、と解き明かしてゆく。ここは、是非とも部屋の中で読もう。
「傘の絵」、「傘の柄」と発音してみてください。
これ、読むだけじゃなく、実際にやってみよう。それもボソボソとではなく、はっきり大きな声で。著者が何を言っているか、体でわかるから。そして、以後、日本語の特製が育てた、[非整数次倍音]を使いこなす日本の繊細で豊かな感情表現と、大量のオノマトペへと話がつながってゆく。日本人は感情表現が貧しいと言われるけど、実は表現方法が違うだけなのだ。
後半は声から離れ、音そのものの考察に入る。これまた、音質に拘る音楽ファンやオーディオ・マニアには感涙もののネタが次から次へと出てくる。特に生楽器の音に拘る人なら、なぜ自分が拘ってしまうのか、その謎の一端がわかるだろう。いやホント、ガット・ギターの持つふくよかな香りと情感って、マイクを通すとバッサリ消えちゃうんだよなあ。ここでも、日本人だけが合わせられる「イヨーッ、ポン」とか、音や声に潜む複雑さがよくわかるエピソードだ。
クラシックでもポップスでも民族音楽でも演歌でも、音楽や歌が好きなら読んで損はない。あなたが好きな歌手や演奏家に、きっと更に惚れこんでしまうだろう。
余談。だからと言って、歌が下手な人はダメ、なんて言う気は毛頭ないです、はい。Mountain の Never In My Life(→Youtube)がいい例で、この破壊力は Leslie West の獣の咆哮あってのもの。 Mississippi Queen とか、歌が上手な人が歌うと、途端に迫力がなくなっちゃったりする。ちなみに Mountain には、Felix Pappalardi ちゅう歌の上手な人もちゃんといます(→Youtube, Nantucket Sleighride)。
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