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2014年1月の16件の記事

2014年1月31日 (金)

ジェイムズ・D・スタイン「不可能、不確定、不完全」ハヤカワ文庫NF 熊谷玲美,田沢恭子,松井信彦訳

巡回セールスマン問題の多項式アルゴリズムの発見に挑戦すれば、富と名声を得られるかもしれないのに、不可能とわかっている「角の三等分」の問題にいまだに取り組んでいる人がいるのはなぜなのか、理解に苦しむ。

【どんな本?】

 ヴェルナー・ハイゼンベルグの不確定性原理「物体の位置と速度を同時に知ることはできない」
 クルト・ゲーデルの不完全性定理「無矛盾な公理系には、真偽を決定できない命題が存在する」
 ケネス・アローの不可能性定理「投票者の好みに基づき満足に表せる票の集計方式はない」

 いずれも20世紀の数学が導き出した、数学の限界を示す定理だ。それぞれ、一体何を言っているのか。なぜ、そうだとわかるのか。それにより、どんな影響があるのか。どんな経過で、それがわかったのか。有名な三つの定理・原理を中心に、そこに至るまでの数学者・科学者たちの苦闘や人間模様を織り交ぜ、P≠NP問題や計算機プログラムの停止問題など現代数学のトピックや、超ひも理論など最新物理学の用語を説明する、一般向けの数学・科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は HOW MATH EXPLAINS THE WORLD - A Guide to the Power of Numbers, from Car Repair to Modern Physics, by James D. Stein, 2008。日本語の正式な書名は "<数理を楽しむ>シリーズ 「できない」を証明する数学の力 不可能、不確定、不完全”。2011年1月に早川書房から単行本で刊行、2012年年11月15日に文庫本で発行。

 文庫本縦一段組みで本文約399頁+訳者あとがき5頁。9ポイント41行×18行×399頁=約294,462字、400字詰め原稿用紙で約737枚。長編小説なら長め。

 学者が書いた翻訳物の解説書だが、意外と訳文はこなれている。数学の本なので、多少の数式は出てくるが、中学卒業程度の知識があれば充分。最も難しいのは二次方程式の解の公式だが、別に解の公式を理解している必要はない。「解の公式を使えば二次方程式が解ける」程度に分かっていれば読みこなせる。

【構成は?】

  前置き/緒言
 序論 修理に出した車はなぜ約束の日にあがってこないのか?
第1部 宇宙の記述
 第1章 万物の尺度
 第2章 現実との整合性
 第3章 すべてのもの、大なるも、小なるも
第2部 不完全な道具箱
 第4章 不可能な作図
 第5章 数学のホープ・ダイヤモンド
 第6章 その二つ、決して見えず
 第7章 論理にさえ限界がある
 第8章 空間と時間――これで全部?
第3部 ゴルディロックスのジレンマ
 第9章 マーフィーの法則
 第10章 秩序なき宇宙
 第11章 宇宙の原材料
第4部 到達できないユートピア
 第12章 基準の亀裂
 第13章 密談の部屋
 第14章 鏡のなかにおぼろげに
  訳者あとがき/原註

 全般的に前の章の内容を受けて次の賞が展開する形なので、素直に頭から読んだほうがいい。ただし、数学の本といっても教科書じゃないので、完全に理解する必要はない。もし数式を見て頭が痛くなったら、そこは読み飛ばそう。地の文だけを読んでも楽しめるし、だいたいの雰囲気は掴める。

【感想は?】

 一般向けの数学の解説書としては、かなり数式が多い部類の本だろう。だが、恐れることはない。ハッキリ言って、面倒くさかったら数式は無視して構わない。むしろ、地の文でこそ、著者の芸が発揮されている本だから。

 やはり、この手の本を読む以上、何かがわかった気分になりたい。少し自分が賢くなったと思うと、気分がいい。そういう点では、数学でいう「群」が、私はなんとなくわかった気になった。いやきっと数学者の前で説明したら零点を食らうだろうけど。ま、アレでしょ、LISPでもCでも出来ることはたいして変わらない、みたいな←きっと間違ってる

 昔から「これ、なんか違うよな」と直感的に思ってたのが、数学者からお墨付きを貰ったのも嬉しい。何かと言うと、三角関数だ。あれ、二次方程式とかとは何か別物だよな、と思っていた。で、この本によると…

多項式は私たちが計算できる唯一の関数で、計算に加減乗除しか要さない。まれな例外を除き、対数や角度の正弦などの値を(たとえば電卓を使って)計算するとき、対数や正弦は多項式によって近似されており、計算されるのは近似値である。

 そんな感じで、他にも無限のアレフ0とか、全く意味不明だったのが、なんかわかった気になった。P≠NP問題も同じで、つまりは計算量が爆発的に増えていく類の問題ですね。有名なのが巡回セールスマン問題だけど、チェスや将棋もコレじゃないかなあ。しかし Yahoo!路線情報とかの路線探索って、どうやってるんだろ。

 ってな身近な事柄が出てくると、やはり読んでいて興味が湧く。P≠NP問題も「修理に出した車はなぜ約束の日にあがってこないのか?」を引き合いに出し、自動車の修理の工程配分からP≠NP問題に繋げてゆく手腕は見事。

 車の修理でピンとこなければ、料理でもよいです。晩飯の準備をする際、慣れた人は、ガスコンロの口の数と鍋やフライパンなど調理器具、そして煮たり切ったりの調理の手間を考え、無意識に頭の中でスケジューリングしてるはず。時間がかかる煮物は早めに手をつけ、コトコト煮てる間に焼き物や生ものを捌くとか。手際のいい人にとっては「慣れと修行」なんだろうけど、計算機で適切な手順を見つけるのって、実は大変なんですよ、はい。家事って、実はかなり頭を使う仕事なんです。

 やはり身近な応用例では、グラフの色分け問題(→Wikipedia)を挙げてる。純粋な数学の問題だと思ってたら、「移動電話や携帯電話などのユーザーに電波を割り当てる際にも応用されている」。言われてみれば確かに似た問題だ。Wikipedia を見たら、コンパイラのレジスタ割り当てもそうだとか。ああ、つまり、条件付で共有可能なリソースをどう配分するか、って問題なのか。

 みたいな真面目な話もあれば、ユーモアも忘れないのがアメリカ人らしいところ。皮肉な物言いで有名なジョナサン・スウィフトの「ある者が天才かどうかは凡人が邪魔立てするかどうかでわかる」とか。皮肉が効いてると思うのは、こんなのもある。

何人かの数学者に「群」という専門用語の定義を質問すれば、全員がほとんど同じ定義を答えるだろう。しかし、心理学者に「愛」の定義を質問すると、おそらく、その回答者が支持する心理学の学派によって、いくつか違った答えが出てくるはずだ。

 数学の本ではあるが、中では量子力学や熱力学も扱っている。視野の広い人らしく、門外漢に対し説明するのに慣れているのか、ハイゼンベルグの不確定性原理の説明などは、そこらの物理学の本よりわかりやすかったりする。特に視野の広さが功を奏しているのは、最終章で「不可能」を分類しているところ。不可能を分類しつつ、その克服のパターンも示していて、転んでもただじゃ起きない学者さんのしたたかさを感じさせる。

 数学関係の一般向け解説書としては、比較的に初心者向けになるだろう。ユーモラスでとっつきやすいながらも、現代的なトピックはちゃんと押さえた、肩肘はらずに読める楽しい数学の本だ。

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2014年1月29日 (水)

SFマガジン2014年3月号

意識的に構築された表記表現でありながらも日常的に感じられるというありように端的に示されているように、口語体は著者の作為性を隠蔽することによって文語文以上に「真実らしさ」を技巧的に捏造する技法だということもできる。
  ――長山靖生 SFのある文学誌 第27回
      もう一つの言文一致 「演説小説」というスタイル『黄金時代』そのほか

 280頁の標準サイズ。ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞などを受け、特集は橋本輝幸監修の英米SF受賞作特集。パット・キャディガンの「スシになろうとした女」,アリエット・ボダールの「没入」,ジョーン・マクマレンの「九万頭の馬」。もうひとつ、映画「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」公開記念小特集でインタビュウ四人、ケビン・ファイギ/アラン・テイラー/クリス・ヘムズワース/トム・ヒドルストンに加え、堺三保「アメコミにおけるマイティ・ソー」と映画情報。小説は他に連載の夢枕獏「小角の城」&神林長平「絞首台の黙示録」と、読み切りの深堀骨「廿日鼢と人間」。

 パット・キャディガン「スシになろうとした女」嶋田洋一訳。ヒューゴー賞ノヴェレット部門&ローカス賞ノヴェレット部門受賞。あと一旬でオケケ・ハイタワー彗星が木星に衝突し、世紀のショウが始まる時期に、フライが木星の主環の氷山にぶつかって脚を折った。二足歩行者の中ではコンセンサス言語の習得が早いフライだったけど、とんでもない事を言い出した。「ねえ、アルター、わたしここまでだわ」「わたし、スシになろうと思う」
 「スシ」って何なのかと思ったら。木星はビッグJ、地球は泥球。ま、そういう言語感覚です。政治的な意図を深読みし始めるとキリがない。最初は独立戦争当事のイギリスとアメリカを思い浮かべたけど、アメリカとフィリピンかもしれないし、アメリカ国内の白人と黒人かもしれない。大陸横断超特急(→Wikipedia)はシャレが効いてて面白かったなあ。

 アリエット・ボダール「没入」小川隆訳。ネビュラ賞ショート・ストーリー部門&ローカス賞ショート・ストーリー部門受賞。鏡に映るあなたは、あなたが見たいと思うあなたの姿。もう自分が誰なのか思い出せない。アヴァターは、あなたを旅なれておしゃれな女にしてくれる。小柄でずんぐりした姿じゃなく。
 これまた、「スシになろうとした女」同様、深読み始めるとキリがない作品。ある意味では同じテーマ、つまり異なった文化の衝突を描いたもの。いずれの作品も、政治的・外交的に優位な方がアメリカを思わせるのも、共通している。「没入」は、もしかしてキャロル・エムシュウィラーの「順応性」と同じテーマなのかも。

 ジョーン・マクマレン「九万頭の馬」小野田和子訳。アナログ誌読者賞ノヴェレット部門受賞。1899年6月30日、ウォルター・シェルトンはヨークシャー・ダウンズで父親に復讐した。その事実は誰にも知られずにきた…1943年の今日に至るまで。だが、ついに沈黙を破るときがきた。なぜなら、この秘密には、英国の命運がかかっているのだから。
 「十九世紀最後の六月の最後の日」なんて言い回しが、いかにも大時代な英国を感じさせるスチーム・パンク。読み終えて思い返すと、複数の階層でスパイ物になってる、技巧を凝らした作品だ。ミステリとしては、かなり初めにネタが割れてる。むしろ焦点は、いかにして探偵がネタにたどり着くか、という点。この手の盲点って、現場だと、意外と思いつかなかったりする。ええ、私にもいくつか思い当たる経験があります。

 受賞作の長編部門は、ヒューゴー賞・ローカス賞がジョン・スコルジーの「レッドスーツ」で、ネビュラ賞がキム・スタンリー・ロビンスンの「2312」。「レッドスーツ」がネビュラ賞だとカスりもしてないのが、作品の傾向と賞の性質をよく現してる。つか、ブルー・マーズは出るのか?その「レッドスーツ」、作品紹介が笑える。

宇宙連邦の主力艦イントレビット号には妙な点がある。遠征チームはいつも危機に陥り、艦長ら特定士官の周りではやたら人が死ぬが、上級士官は誰も死なない。新任少尉のアンドルー・ダールはイントレビットに配属され…

 こうやって改めて考えると、確かに怪しい艦と連中だよなあ。

 友成純一の人間廃業宣言、シチェス・ファンタ2013レポート後編。ジェイド・カストロ監督のフィリピン映画「レミントンとオカマゾンビの呪い」が酷い←誉めてます。タイトルで想像つくように、問い詰められた小学生がその場しのぎの思いつきで書いたような、テキトーで意味不明で無茶苦茶なお話。学生が映研で作る類の、ノリが大事な映画なんだろうなあ。

 神林長平「絞首台の黙示録」連載第二回。父親の行方不明の報を受け、長野県の松本から実家の新潟へマツダ・ロードスターを走らせる作家のタクミ。やはりたどり着いた実家は無人で、父の姿はない。そして、客間には見慣れぬ仏壇。なぜか香炉の向うには、ぼく自身の写真が…
 前半のマツダ・ロードスターを走らせる場面が、クルマへの愛に溢れてて可愛い。こういう、ハンドリングやギア・チェンジの際のクセとかが、好きな人には愛おしいんだろうなあ。とか思ってると、出ましたよ神林節。ええ、やっぱりこうでなくちゃ。フムン。

長山靖生「SFのある文学誌」もう一つの言文一致 「演説小説」というスタイル『黄金時代』そのほか。杉山藤次郎の「文明之花」、お話はともかく、二院制で男議院と女議院って発想に驚いた。やってみたら面白いかも。それに続く、「話す言葉」と「読み書きする言葉」の分析が興味深い。日常で2ちゃん語を思わず使って冷や汗かいた経験が、私にもあります、はい。

 マイティ・ソー/ダーク・ワールド小特集のインタビュウ、アラン・テイラー。「最高に好きなのはラリイ・ニーヴン」って、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。好きな映画がキューブリックの「2001年宇宙の旅」とタルコフスキーの「ストーカー」って、もうSFにドップリ浸かってる人だな。

 堺三保「アメリカン・ゴシップ」、デベロップメント・ヘルって何? として、ハリウッドが原作を買っても、なかなか作品ができない、そして作品ができても原作とは似ても似つかないシロモノになる経緯の解説。うーん、これじゃ AKIRA の金田がオッサンになるのも分かる気が…。なんつーか、集団制作が向くモノと向かないモノがあるんだよなあ。でも、じゃなぜパシフィック・リムなんて偏りまくった作品が出来たんだろ?

 深堀骨「廿日鼢と人間」。我蠅は主張する。未だ発見されていない生物、それは廿日鼢(はつかもぐら)である、と。なぜ見つからないか。それには二つの理由がある。廿日鼢は寿命が短く、わずか廿日の生涯であること。そして、廿日鼢は人の目の届かぬ地中に住んでいること。そこで我蠅は廿日鼢を発見し…
 狂った発想の狂った人しか出てこない深堀作品、今回もやっぱり変な人しか出てこない。居酒屋で酔っ払いがクダ巻いてるかのような、イチャモンつけまくりでケンカ腰、しかも「なぜソコに拘る?」と変なモノに拘るオッサン臭い会話も相変わらず。

 吉富昭二「ニュートラルハーツ File2 電気少女の欲望」16頁。前回の衝撃的な最終頁を素直に受ける続き。4頁~5頁目、父娘の会話の両者の顔の向きに注目。5頁目、中段は右向きで下段は左向き。これだと、読者の視線は思わず左に向かい、自然と頁をめくってしまう。こういう、読者に頁をめくらせ無意識に次を読ませる仕掛けは、計算したのか偶然なのか。やはり7頁目の最後のコマ、5頁目では向き合っていたトーチャンと明美が、こっちじゃ同じ方向を向いている。これも二人の気持ちを表しているのか、偶然なのか。意図したものなら、魅惑のチッスお願いします。

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2014年1月27日 (月)

米陸軍省編「米陸軍サバイバル全書」並木書房 三島瑞穂監訳 鄭仁和訳

東部は常に覆っておかなければいけない。帽子を被っていない東部から失われる体熱は全体の40~45%で、裸の首筋や手首、足首から失われる体熱より多い。(略)なぜなら、多量の血液循環のほとんどが頭皮近くで行なわれているからで、そのため頭部を覆わなければ急速に熱を失うことになる。
  ――寒冷地サバイバルの基本 より

【どんな本?】

 文明から離れた地域で孤立したら、どうやって生き延びればいいんだろう? 砂漠で水はどうやって手に入れる? 暑さ・寒さは、どうやって防ぐ? 何が食べられて、何が毒になる? 動物は、どうやって仕留める? 快適な寝床は、どうやって作る?

 アメリカ陸軍,海軍,空軍,海兵隊,沿岸警備隊,パーク・レンジャー,運輸省,FBIを含む司法省,ボーイスカウト,ガールスカウトをはじめ友好国の軍や各省庁で参考にしている、アウトドア教本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は U.S. ARMY SURVIVAL FM21-76、1992年6月版。日本語版は2002年4月15日発行。実は2011年11月に新版がでている。単行本ソフトカバー縦三段組で本文約389頁+訳者あとがき4頁。9ポイント17字×24行×3段×389頁=約476,136字、400字詰め原稿用紙で約1191枚、長編小説なら2冊分だが、イラストや写真を豊富に収録しているので、文字の量は6~7割ぐらいか。

 文章そのものは比較的に読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。一応、カテゴリは軍事/外交としたが、兵器や軍事に疎くても別に問題はない。それより、基本的にアウトドア生活の手引書なので、小学校卒業程度の理科の知識や、釣り・キャンプ・山菜取り・山歩き・潮干狩りなど野外での遊びや仕事の経験が役に立つ。

 アメリカの本なので恐らく原書はヤード・ポンド法だろうが、日本語版は全てメートル法だ。たぶんこれは訳者が気を利かせたんだろう。

【構成は?】

 監訳者のことば
第1章 はじめに
第2章 サバイバルの心理学
第3章 サバイバル・プランニングとサバイバル・キット
第4章 基本的なサバイバル医療
第5章 シェルターを作る
第6章 飲料水を確保する
第7章 火を使いこなす
第8章 食料を調達する
第9章 植物のサバイバル利用法
第10章 有毒植物から身を守る
第11章 危険な動物を避ける
第12章 武器・道具・装備を確保する
第13章 砂漠でのサバイバル
第14章 熱帯でのサバイバル
第15章 寒冷地でのサバイバル
第16章 海上でのサバイバル

第17章 渡河技術をマスターする
第18章 野外で方位を確認する
第19章 救助信号を送る
第20章 非有効地域でのサバイバル
第21章 偽装技術を学ぶ
第22章 現地住民と接触する
第23章 核・生物化学兵器から身を守る
 付録A サバイバル・キット
 付録B 可食性植物と薬用植物
 付録C 有毒植物
 付録D 危険な虫・クモ・サソリ・ダニ
 付録E 危険なヘビと爬虫類
 付録F 危険な魚と軟体動物
 付録G 雲による観展望気
 付録H 事前想定対処計画の書式
  訳者あとがき

 各章は、ほぼ独立している。また章内も1~数頁の独立した記事からなっている。全般的な事・基本的な事を前の方で説明し、状況別や目的別の事柄を後に置いているので、全部を読み通すつもりなら、素直に最初から読もう。または、百科事典のつもりで、好みの記事だけ拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 男の子のバイブル。夏休みの宿題のネタとしても面白いだろう。

 役に立つか、と言われると、実は結構疑問だ。書いてある事は軍で実際に採用している事柄なので、現在分かっている限り最も正確な知識や有効な方法なんだろうけど、想定している状況が、あまりに過酷過ぎて、普通に生きている人が、こんな状況に陥るとは、ちと考えにくい…たとえ登山などアウトドアな趣味を持っていようとも。遭難したなら話は罰だが。

 何度か強調しているのが、サバイバルの3要素だ。飲料水・食料・シェルター(寝床)。つまり水もない状況での生存方法を書いた本で、火の起こし方や水の浄化方法が書いてある。いくらキャンプが趣味の人でも、最近は固形燃料と鍋ぐらい持っていくだろう。竹を切って飯盒にする人はおるまい。つか勝手に竹を切ったらマズいよね。

 とは言うものの、やっぱり読んでて楽しいのだ。ついつい、実際にやりたくなる。キャンプが好きな人なら分かると思うが、同じメシでも屋外で食べると一味違うし、いつもと違う寝床で寝るってだけで、なんかワクワクするのだ。文明人ぶっちゃいるけど、んなモンたかだか数千年。その前の百万年はずっと野宿だったわけで、ケダモノの血が騒ぐというか。なんでキャンプのカレーって、あんなに美味しいんだろうね。

 構成の項に書いたように、各章が独立している上に、章内も短い記事が続く形だ。全般を通し連続する物語があるわけじゃないので、個々の記事を事典のように楽しむ形で読む事になる。

 そんなわけで、どうでもいい知識や、普通に生きていればまず役に立たないトリビアを無駄に仕入れてしまう。例えば、パラシュートと木切れで作るシェルター(寝床)とか、「うわ面白そう、ちと試してみたい」って気になる。担架の四隅を柱で支えたようなスワンプ・ベッドとかも、一度は寝てみたい。かつて秘密基地を作って遊んでいた男の子なら、血が騒いで仕方がないだろう。

 残念なのが、書いてある事の多くが、今の日本じゃ違法なこと。弓や罠の作り方も出て来て、「リスの棒柱ワナ」とかは仕掛けも簡単だし是非試してみたいんだが、きっと今の日本じゃ違法だろう。ノネズミを捕まえる底広ワナなんて、モロに「落とし穴」。穴を円錐形にして登れないようにするのがミソ。でも下手すっと蛇の巣になりますw

 まあ、全く役に立たないわけでもなく、例えばこの記事の最初の引用などは、スキーをする人には意味があるだろうし、便秘に悩む人には「果物は便を緩める」とある。逆に下痢気味の人には「お茶に含まれるタンニン酸には下痢を抑制する効果がある」。あと、トウガラシは「腸内に寄生虫を寄せ付けない環境になる」。

 意外なのがセイヨウタンポポで、「全部位が食べられる。葉は生か調理して食べる。根は煮て野菜として食べる。炒って粉にした根はコーヒーの代用として最適である」。んじゃ今度試してみよう…と思ったら「人家と人が住んでいたビルの近くや、道路脇に生えている植物は、殺虫剤が散布されていた可能性がある」。住宅地だと犬の小便を被ってたりもするし。

 役に立つという点では、「第4章 基本的なサバイバル医療」は重要かも。例えば細かいのでは、慣れない靴や行軍で足にできる水ぶくれ。小さいなら潰さないようにしよう。大きいなら、糸を通した裁縫用の針を消毒し、水泡に通すと、糸が水を吸い取ります。ってな細かいのから、救命手順はあらゆる事故に役立つ。意識がない時の寝かせ方は知らなかった。

横向きかうつ伏せに寝かせ、嘔吐物や出血などで窒息するのを防ぐために、顔を横向きにする。

 これは泥酔した人も同じだろう。確か元レッド・ツェッペリンのドラマー,ボンゾことジョン・ボーナム(→Wikipedia)も、深酒で吐き窒息で死んでる(Youtube, →Mobby Dick)。

 海外旅行で役立ちそうなのが、現地の人と仲良くなる方法。なるため現地の言葉を覚えとく方がいいのは当然として、そうでなくても、「誰かの言葉を真似して話そうとする行為は、彼らの文化に敬意を払っていることを示す最上の方法の一つである」。うんうん、日本語を覚えようとするガイジンは、やっぱ感じいいよね。

 など緊急時には役に立つ知識から、日常の体調管理に使えそうな小技、そして出来れば一生使いたくない生死のかかる智恵まで、雑多な豆知識の集大成として楽しめる本だった。しかしアザラシ狩りには笑った。「腕を体につけて、できるだけ自分がアザラシに見えるようにして接近する」って、おい。SEALsの訓練でも、アザラシの真似するのかなw

 最後に。いかにも合理主義のアメリカだな、と思ったのが、恐怖や欝への対処。「ほとんどの兵士がさまざまな度合いの恐怖感を抱くことだろう。これは恥ずべきことではない!」としている点。こうやって現実を直視し、管理職が楽できる精神論に逃げない姿勢が、アメリカの強みだよなあ。

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2014年1月25日 (土)

山本弘「MM9 destruction」東京創元社

「これはヒメの運命だけじゃなく、地球の運命を決める戦いだ――まさい地球最大の決戦だよ」

【どんな本?】

 舞台はこの世界とは少し違い、巨大怪獣が出現する世界。怪獣災害に対応するは、気特対こと気象庁特異生物対策部。歴史の裏でうごめく者達の手引きで襲来した宇宙怪獣を、再度のヒメの降臨でなんとか撃退したのはいいが、手引きした連中の正体は未だ不明なまま。そして、ヒメに隠された秘密とは…

 かつての怪獣少年やSF者を狂喜させる綿密な考証に加え、オカルト・マニアを唸らせる怪しげな歴史考察も織り交ぜ、煩悩まみれの少年少女が活躍する爽快娯楽怪獣小説シリーズ第3弾。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は Webミステリーズ!2011年4月号~2012年8月号。書籍は2013年5月30日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約385頁。9ポイント43字×20行×385頁=約331,100字、400字詰め原稿用紙で約828枚。長編小説としては長め。

 ベテランだけあって、文章はスラスラ読める。山本氏独特のアクも薄まっているので、比較的にクセがない。科学的にかなり突っ込んだ話も出てくる割に、スルスルと頭に入ってくるのが、この著者の強み。小学校卒業程度の理科の素養があれば、充分に理解できます。ただ、話も登場人物も素直に前の「MM9 invation」からつながっているので、出来れば「MM9 invation」から読んだほうがいいだろう。

 なにせ怪獣モノなので、昔の怪獣・特撮番組に詳しい人ほど楽しめるのは、まあ仕方がないw 主な舞台が茨城県の海岸沿いなので、地元の人は更に楽しめる。 ただ、巻末の地図は冒頭につけて欲しかった。

【どんな話?】

 案野一騎は、母の悠里・恋人の酒井田亜紀子とともに、リムジンに乗って常磐道を北へ向かっている。数人の私服警官に有無を言わさず連行されたのだ。ヒメと関係が深い以上、VIPとして保護する必要がある、という理由だ。行く先は知らされていないが、ヒメも同じ所に向かっているという。ヒメに聞いても、(着いてからのお楽しみです)とはぐらかされるばかりで…

【感想は?】

 前巻では曰くありげに匂わされたヒメの秘密が、いよいよ明らかになる興奮の第三巻。

 怪獣なんぞというゲテモノなシロモノを、出来る限り誠実かつリアルに描くこのシリーズ、今回も無駄に丁寧な考察が序盤から展開する。怪獣の死体の後始末だ。

 なんたって、身長50m、重量三千トンもの肉だ。放置したら大変なことになる。悪臭は漂い虫や細菌が繁殖し、近隣の衛生状態は最悪になってしまう。ってことで、誰かがなんとか始末しなきゃいけない。始末はなるたけ早いほうがいいが、怪獣の研究をしたい気特対はなるたけ資料が欲しい。この辺は、事故の後処理と共通するジレンマらしい。

 ってんで、活躍するはお馴染みの方々。肉はどうやって切るのか、骨はどうするのか。こういう下世話で現実的な場面の描写が、このシリーズの楽しいところ。

 これは最後のバトルも同じで、前巻じゃ意外なシロモノが活躍を見せた。昔の特撮怪獣シリーズだと、地球防衛隊とかは単なる露払いで、肝心の怪獣相手にはあまり活躍しない。ところが、このシリーズでは自衛隊が堂々としたバトルを展開するのが嬉しいところ。今回も、地味な準備作業から、ド派手なバトルまで、見せ場がたっぷり用意されてる。やっぱりね、緊急時の対応で見せる柔軟性は、彼らならでは。

 などといった前巻までの魅力に加え、この巻では新たな要素が大胆に導入されている。

 カバーに鳥居があるように、伝奇だ。異端の研究者・伴野英世が残した著書が「ヤマトタケルは女だった」。いいねえ、このネーミング・センス。昭和のカッパ・ノベルスに、いかにもありそうな扇情的な書名。と学会の会長を務めるだけあって、ソレっぽいセンスもキチンと抑えてる。内容も、なかなかアレで、なんとギリシア神話から始まる。

 うんうん、やっぱり神話・伝説の類は欠かせない。こういうモノから、予め想定した世界観に基づき、何を読み取り、何を歪め、何を切り捨てるか。真面目な学会などで比較的に支持されている説をうまいこと折り込み、それに独自の(そして往々にしてワンパターンの)強引な解釈を加え、奇矯な世界を再現してゆく。

 神話に出てくる神や怪物が、大抵は何らかの形で変形されているのは、かなり受け入れられやすい説だ。やたらとスケベで浮気に描かれるゼウスも、元は独立していた各部族・民族などの神々を、無理矢理に一つの神話に押し込めるため、「お前の部族の神様はゼウスの子なんだよ」的に懐柔し統合していった、みたいな解釈は多い。

 ここまでは、まあ常識的でよくある話なのだが、そこに伴野先生は一ひねりを加える。すると…。うんうん、オカルトかますなら、これぐらいのヒネリは見せてくれないと。そんな感じで、古の神々や英雄・怪物がゾロゾロと出てくるのが、この巻の美味しいところ。果たしてギリシア神話と鳥居と宇宙怪獣がどう繋がるのか。

 などのダイナミックな楽しみとは別に、ライトノベルの定番で、一騎少年の恥ずかしい煩悩も描かれているあたり、サービス精神旺盛というかなんというか。

 ヒメの正体、彼女の謎を握る美少女、宇宙怪獣襲来の目的、それを手引きする者たちの思惑。全ての謎が明らかになる、MM9シリーズの壮大なクライマックス。お馬鹿な設定を真面目かつ誠実に考証する、オタク魂あふれる熱くて暑苦しい小説だ。

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2014年1月23日 (木)

ダニエル・C・デネット「解明される宗教 進化論的アプローチ」青土社 阿部文彦訳

ミームは、その宿主である人間という伝達媒体の遺伝的適応度に貢献しようがしまいが、自己複製子として自らの適応度を持っている。

【どんな本?】

 そもそも、宗教とは何だろう?いつ、どのように生まれ、どの様に変化し、どんな役割を果たして来たんだろう?それは人類にとっていいものなのか、悪いものなのか?これだけ科学が発達しているのに、なぜ宗教は生き延びているんだろう?なぜ宗教に熱中する人がいるんだろう?なぜ宗教が絡むと議論が感情的になるんだろう?

 無神論者の哲学者である著者が、リチャード・ドーキンスの唱える「ミーム」の概念を元に、「科学的な手法で宗教を解明し理解しよう、それは社会全体ばかりでなく、(穏健な)宗教にとっても利益になる」と説く、強いメッセージの詰まった本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Breaking the Spell : Religion as a Natural Phenomenon, by Daniel C. Dennett, 2006。日本語版は2010年9月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約444頁+補論64頁=約508頁に加え訳者あとがき7頁。9ポイント47字×19行×508頁=約453,644字、400字詰め原稿用紙で約1135枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は翻訳物のノンフクションとしては標準的な読みやすさ。無駄に難しい言い回しが多い哲学の本の中では、かなり親しみやすい方だろう…いや私はあまし哲学の本って知らないんだけど。

 内要も、特に前提知識は要らないだろう。ただ、本書内で展開する議論そのものは、かなりややこしい。例えば、「神の存在を信じること」と「神の存在を信じることに価値があると考えること」の違いが、議論になってたりする。充分に時間と気持ちの余裕を持って読もう。それだけの価値がある。

【構成は?】

 はじめに
第1部 パンドラの箱を開ける
 第1章 どの呪縛を解くべきか
 第2章 科学に関する諸問題
 第3章 なぜ良いことが起こるのか
第2部 宗教の進化
 第4章 宗教のルーツ
 第5章 宗教、その黎明期
 第6章 管理運営の進化
 第7章 団体精神の発明
 第8章 信じることに価値がある
第3部 今日の宗教
 第9章 宗教選びの手引き
 第10章 道徳と宗教
 第11章 今何をしれば良いのか
  補論A 新しい自己複製子
  補論B 科学に関する諸問題
  補論C ベルボーイとタックという名の女性
  補論D 根底的解釈の不確定性の実例としてのキム・フィルビー
   原註/訳註/訳者あとがき/参考文献/人名索引/事項索引

 全般的に、前の章の内容を基礎に次の章が展開してゆく形なので、素直に頭から読むほうがいい。現代のアメリカ人向けに書かれているため、日本人には少々クドく感じる部分もあるが、そこは仕方がない。

【感想は?】

 無茶を承知で著者のメッセージをまとめると、こんな感じだろう。

リチャード・ドーキンスの唱えたミームを少し改良したモノをモデルに、私なりに宗教の解明を試みました。その手法も公開します。穴だらけだし、きっと間違いも沢山あります。手法も不適切な部分があるでしょう。それでも、叩き台としては役に立つと思います。是非今後の議論にお役立て下さい。

 著者は無神論者だが、戦闘的な無神論者のリチャード・ドーキンスとは少し立場が違う。著者自身は「ブライト」と言っている。これも大雑把に言えば「穏健派」。無神論と不可知論を含む人々で、「宗教は善か悪か(今は)分からない、だからちゃんと調べましょう」みたいな立場だ。

 宗教を云々する本なので、読者の宗教的な立ち位置により評価は大きく違うと思う。特に敬虔な信者を自認する人なら、不愉快に感じる人も多いだろう。それを考え、私の立場を明らかにしておく。

 私は「なんちゃって仏教徒」だ。実家はどこぞの寺の檀家だし。でも経はひとつも読めないし、初詣は神社に行く。法事には顔を出さないけど。よって宗教調査などで厳密に言うと、仏教徒になると思う。思想的には無神論に近い。というか、あまし自分の事として真剣に考えてない。観光地でお寺・神社・教会に行くと、失礼のないよう心がけ…名物に舌鼓をうつ。そういう、不真面目で付和雷同型のいい加減な立場です。親が神社の氏子なら、きっと神道になっていたでしょう。

 で、そういう立場で読むと、「おお、なるほど!」と思う所もあれば、「このアプローチは面白い」と感じる部分もあるし、「ソレはちょっと違うんじゃね?」とか「この視点が欠けてるなあ」と演説ぶちたくなる箇所もあって、見事に著者の思惑に嵌ってしまった。

 つまりは宗教をミーム(→Wikipedia)として考えるのが、本書の基本姿勢だ。ただ、ドーキンスは敵意を込めて命名したのに対し、著者は中立的な意味で使う。ヒトの体内・体表に住む菌と似て、ソレは益にも害にもなるが、極端な害があるモノは滅びる、そんな感じだ。

機械工学はミームに溢れている。車輪,歯車,クランク,ネジ,ばね,ベアリング…

 ただ、全般的に、ちと言い訳がクドい感がある。これは誰だってそうなんだが、自分の思想に異を唱えられるとムカついて屁理屈を並べるからだ。著者は主にアメリカの教会関係者と散々やりあってきたらしく、論を進めるたびに「頼むから冷静になってくれ、詭弁は止めてくれ」と、予想される反論を並べては叩き潰してゆく。おかげで読者は詭弁の手口に詳しくなるという、変なオマケがついてくる。

 毎週日曜日に教会に行く人も多いアメリカ人向けに書かれているため、ピンとこない部分も多いが、八百万の神がおわす日本人にも、ドキッとする部分がある。印象的だったのは、こんな部分だ、

民族宗教を実践する人々は、自分たちが宗教を実践しているとはまったく考えていない。彼らの「宗教的」実践は、狩猟や採取、耕作や収穫と同じ、現実世界と連続性を持つ部分なのである。

 「いや狩猟なんかしないし」と言う人、初詣には行きます?子どもの七五三は?町内会の盆踊りは?少し大きい工場にはたいてい鳥居があるし、葬式にはお坊さんが来る。そんな風に、宗教儀式は文化や様式の一環として溶け込んじゃってるわけです、特にこの国では。

 とまれ、真面目に侵攻している人には、やはり手厳しい部分が多いのは確かだ。そもそもミームとして捉えるって姿勢からして、敬虔な人には不愉快だろう。例えば…

潜在的ミームへの良いアドマイスは、何度も繰り返されたいなら(複製されたいなら)、重要であるように見えるべく努力せよ!というものである。

 とか、実に手厳しい。必要以上に重要である、または有益であると見せかけたほうが、ミームは繁殖しやすい(多くの信者を獲得しやすい)と言ってるわけで、「実は宗教って過大評価されてるんじゃね?」みたいな印象も与えかねない。その上で、「信じることが大事」というテーゼを茶化す無神論者にも、冷や水を浴びせるから意地が悪い。

私たちの多くは、民主主義を信じており、将来にわたって民主主義を守っていくためには民主主義を信じ続けていくことが決定的に重要だということを、知っている。

 かと思えば、返す刀で「信仰のない者に宗教の研究なんかできない」とする論に対し、「じゃロリコン以外は児童ポルノに口出しするな」と切り返す。

 哲学者の書いた本だけあって、かなりシチ面倒くさい議論を多く含んではいるが、読み終えると、「ちょっと俺にも一言いわせろ」と言いたくなる、なかなか刺激的な本だ。

余談

 ということで、私の一言。日本人から見たキリスト教の特徴を、著者は見落としてると思う。それは、社交の場、人と人を結びつける機能だ。真面目なキリスト教徒は、日曜日に教会に行く。そこでご近所の方々と挨拶し、井戸端会議に興じる。新しく引っ越してきた人も、教会に行けば近所の人と顔見知りになれる。この効果は大きい。

 アルコール・アノニマス、略してAAという組織がある。アルコール依存症の人が、互いに励ましあって禁酒を守るのが目的だ。毎週、定期的に集会を開くのだが、教会が場所を提供する場合もある。教会ってのがミソで、キリスト教圏で教会はご近所の集会所としての役割も担っている。一般に社会から排除されがちなアルコール依存症の者が、定期的に教会に通い始めたら、近隣の人はどう思うだろう?「あの人は真面目に立ち直ろうとしている」、そう考えるんじゃないだろうか。そういった目は、依存症の者が社会に復帰する大きな支援となる筈だ。

 といった有益な効果もあれば、極めて有害な効果もある。911の主犯モハメド・アタは、モスクでの礼拝の帰りにスカウトされた。こちらは、宗教施設・儀式が人と人を結びつける効果を、悪用された例だ。

 宗教(または宗教組織)は、人と人を結びつける。それは益にも害にもなる。これはハッキリと明言し、そのしくみと効果を明らかにする価値のある側面だろう…と思ったら、カート・ヴォネガットが既に扱っていた(→Wikipedia)。「フォーマ(無害な非真実)を生きるよるべとせよ」。ぐぬぬ。

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2014年1月20日 (月)

ピーター・ワッツ「ブラインドサイト 上・下」創元SF文庫 嶋田洋一訳

「じゃあ、統合者なのね。理解できない人たちのことを、無関係な人たちに説明する仕事」
おれはキューに従って微笑した。「むしろブレイクスルーをなし遂げる人々と、そいつらから手柄を横取りする人々のあいだに橋をかける仕事だな」

【どんな本?】

 カナダの海洋生物学者でもある著者による、人間の本質とファースト・コンタクトをテーマとした長編サイエンス・フィクション。突然の異星人からの理解不能なアプローチに驚愕した人類が、ファースト・コンタクトの外交官(または威力偵察)として選んだのは、奇妙な特徴を持つ四人組だった…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BLINDSIGHT, by Peter Watts, 2006。日本語版は2013年10月31日初版発行。文庫本で縦一段組み上下巻で本文約265頁+約248頁=約513頁に加え、豪華ゲストのテッド・チャンの日本語版特別解説5頁+訳者あとがき6頁+参考文献も大量38頁。8.5ポイント41字×17行×(265頁+248頁)=約357,561字、400字詰め原稿用紙で約894枚。豪華なオマケを考えれば、二分冊は妥当なところ。

 断言する。かなり読みにくい。文章も、内容も。文章の読みにくさは、著者・訳者ともに意図的なものだ。つまり、わざと読みにくい文章にしている。これは、この小説のテーマ&構成と重大な関わりがあり、読者にテーマの意味を伝える役割を、文体も担っているためだ。内容も科学・哲学的にかなり突っ込んだ(そして突飛な)問題を扱っていて、相応にSFや科学周辺書を読んでいないと、ついていくのは難しい。

 結論として、相当にスレたSF者向けだ。テッド・チャンやグレッグ・イーガンで随喜の涙を流すディープな変態向けであり、「ちょっとふしぎ」が欲しい人には向かない。人間が繰り広げる物語より、世界認識の変容が好きな人向け。

【どんな話?】

 2082年2月13日GMT10:35、人類は異星の文明と接触した。65536個のプローブ通称ホタルが地球を覆い、走査していった。正体は不明、目的も不明。恐れた人類は探査機を送り出す。無人機を二波、目標はバーンズ=コールフィールド彗星。しかし、第二波の接近時、バーンズ=コールフィールド彗星は消える。

 そこで第三の探査船が送り出される。今度は有人だ。目標はビッグ・ベン、オールトの雲の奥、木星の10倍の質量を持つ天体。主なメンバーは四人。脳の半分を失った統合者のシリ・キートン、肉体の多くを機械化した生物学者のアイザック・スピンデル、多重人格の言語学者のスーザン・ジェームズ、交渉を得意とする軍人のアマンダ・ベイツ、そして指揮官のユッカ・サラスティは…吸血鬼。

【感想は?】

 先にも書いたが、小説としては、かなり読むのがシンドイ。

 まず、登場人物の大半に感情移入できない。主な舞台は探査船内で、シリ・キートン/アイザック・スピンデル/スーザン・ジェームズ/アマンダ・ベイツ/ユッカ・サラスティの四人とも、かなり性格がおかしい。特にイカれてるのが、語り手のシリ・キートンなんだから辛い。

 私が最も共感できたのは、徹底した合理主義・利便主義な軍人のアマンダ・ベイツで、それでも上の四人の中じゃ一番普通で感情的なんだから凄い。アイザック・スピンデルもそれなりに感情を持ってるんだが、なにせ半分以上が機械。スーザン・ジェームズはオツの中に多くの人格を同居させてて、チョロチョロ入れ替わるからややこしい。

 特に何考えてるのか全くわからないのが、指揮官のユッカ・サラスティ。つか、なんだよ吸血鬼って…と思ったら、ちゃんと理屈がついてるのに笑った。おまけに十字架恐怖のオマケつき。わはは。ってな、「共感できない登場人物」も、実はテーマに深く関わってるから、この本はあなどれない。

 とまれ、これが本書の欠点ではなく、むしろ長所なのが、この本の特異なところ。語り手の異様な視点と価値観が、後に展開するファースト・コンタクトへの準備運動となっているのだ。いやもう、変人だらけのクルーとのコミュニケーションだけでも充分にセンス・オブ・ワンダーなのに、エイリアンの異質性は更にとんでもない事になっている。

 ってな感じで、全般的に上巻はケッタイなクルーで準備運動し、下巻で更にケッタイな異星人とご対面、みたいな構成だ。

 ところが、この準備運動からして、かなり厳しい。主人公で語り手のシリ・キートンも、かなり特異な世界に生きている。「統合者」ってのが意味深っぽいが、古株のSFファンならA・E・ヴァン・ヴォクトの名作「宇宙船ビーグル号」の情報総合学者エリオット=グローヴナーを連想するかもしれない。

 コンピュータでも宗教でもゲームでも、見慣れぬシロモノが大量の専門用語を伴って出てくると、ソレに深入りしてる人が熱中して話し始めると、門外漢には意味不明なハナモゲラになる。「NEPは捨てても勝手に帰ってくる」とか言われても、ゲームのガンパレード・マーチを知らない人には全く意味が通じない。

 クルーのメンバーも、それぞれが各部門の専門家なんで、お互いの会話がなかなか通じない。そこで主人公のキートンが仲介する役割らしい。これが実に皮肉が効いてる。同じ人間同士でさえコミュニケーションが取れないってのに、エイリアンとコミュニケーションなんかできるのか?

 おまけに仲介役のキートン君も、コミュニケーションには相当の難を持っていて。これは冒頭で親友のロバート・パグリーノとのエピソードで早速明らかになり、恋人のチェルシーとのやりとりで更にダメ押しされる。大丈夫かよ、こんな奴で。まあ、この辺は岡目八目とでもいうか。

 下巻に入ると、やっと異星人が登場してくる。これまた相当に無茶なスペックを持つ恐るべき怪物なんだが、いちいちソレに理屈をつけてるのが憎い。それこそ細胞を構成する物質から、体全体のデザイン、体内の様々なネットワーク、そして燃料とエンジンに至るまで。

 とか書いてるが、やっぱり面白いのは、本書のテーマそのもの。上巻からほのめかされたテーマが、エイリアンとの接触を通して次第に明らかになり、SFならではの不遜な世界観へとつながってゆく。読み終えてテッド・チャンの解説を読むと、彼が解説を書きたくなった気持ちがよくわかる。本書に賛同するにせよ反発するにせよ、とにかく何か言いたくなるのだ。

 エイリアンという鏡を通して、ヒトの姿に迫る。こういう方法でヒトの真実に切り込んでいく事ができるのは、SFならでは。SFが果たすべき、SFだけが果たせる役割を、無骨なまでに徹底的に追求した、ディープなSF者に捧げるディープなSF小説だ。

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2014年1月17日 (金)

ヘンリー・ペトロスキー「もっと長い橋、もっと丈夫なビル 未知の領域に挑んだ技術者たちの物語」朝日新聞社 松浦俊輔訳

「ファンタスティックという言葉は、技術について使われると、たんに『まだ実現していない』という意味にすぎない」
  ――ウィリー・レイ「技術者の夢」より

「あまり多くの人の言うことを聞いたのでは、要点に達することはない」
  ――橋梁設計家ヨルク・シュライヒ

【どんな本?】

 土木工学者の著者が、雑誌「アメリカン・サイエンティスト」誌に連載したエッセイをまとめたもの。金門橋やコンフェデレーション大橋などの橋や、ドリトン・アリーナなど独特のデザインの建築物を例に、どんな設計者・建築家が、どんな事情に配慮し、どんなポリシーでデザインしたかなど、エンジニアリング的な話に加え、その建築物を望む・望まない地元の事情や、地域の交通量や産業傾向など社会的な話も含め、土木・建築を中心とした話題を中心に、幅広い視点で主に技術者向けに書かれたエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Pushing the Limits : New Adventures in Engineering, Henry Petroski, 2004。日本語版は2006年8月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約317頁。9.5ポイント48字×18行×317頁=約273,888字、400字詰め原稿用紙で約685枚。長編小説なら少し長め。

 日本語の訳文は比較的にこなれている。内要も特に数式などは出てこないが、土木系の人が書いた本だけに、建築物、特に橋の形などある程度は知っておいた方が楽しめる。といっても、トラス橋・吊り橋・斜張橋ぐらいで充分だろう(→Wikipedia)。トラス橋は桁材を三角に組み合わせた、鉄道橋によくある形。吊り橋は明石海峡大橋、斜張橋は金門橋や横浜ベイブリッジが代表。また、様々な地域の著名な建築物が出てくるので、Google などで検索して写真を見ながら読むと、より実感がわく。

【構成は?】

 序文
橋――BRIDGES
 1 鋼鉄の芸術 芸術家を魅了した橋、芸術家が造った橋
 2 アメリカの橋さまざま 人々が描いた夢
 3 ベンジャミン・フランクリン橋 大きな橋を架ける前に
 4 浮体橋 長い橋を手早く架ける
 5 コンフェデレーション大橋 建設を望む人々、望まない人々
 6 ノルマンディー大橋 フランスの自信の元
 7 ブリタニア橋 不確実な状況での設計
 8 タワーブリッジ 分類しににくい変わった橋
 9 跳ね橋 コンペを勝ち抜いた設計
 10 ミレニアム橋 目をみはる橋
 11 ミレニアムの遺産 節目にふさわしいデザインと技術
 12 壊れた橋 自信から得た教訓
 13 新しい橋、未来の橋

その他もろもろ――AND OTHER THINGS
 14 ドルトン・アリーナ 引っ張りあって立つ建造物
 15 ビルバオ 地域再生の象徴
 16 サンチャゴ・カラトラバ 公共空間の造形家
 17 ファズラー・カーン アメリカでの挑戦
 18 摩天楼の崩壊 安全な高層ビルという矛盾
 19 かがり火の虚栄 伝承の弱点
 20 セントフランシス・ダム 経験の落とし穴
 21 三峡ダム 影を払いのける巨大建設
 22 燃料電池 クリーンで静かなエネルギーとその現状
 23 技術者の夢 かつての夢のその跡
 24 技術者の成果 見る時間が違えば……
 謝辞/訳者あとがき/参考文献/索引

 各章おだやかにつながりつつも、ほとんど独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 カタチあるものを設計するってのは、大変そうではあるけれど、やはり面白そう。

 一般に橋は川や海など、水の上に架ける場合が多い。橋が必要な場所は大抵が交通の要所でもあり、水運も盛んだったりする。そのため、単に橋の強度だけでなく、水上を運行する船の航行を妨げないように工夫する必要がある。

 そこで様々な解が出てくる。一つは橋そのものを高い所に架ける案。これだと橋に可動部が要らない。反面、例えば列車を通すなら、橋に至るまでの経路を充分に長く取る必要があって、用地買収などで予算が嵩む。かといって跳ね橋とかにしたら、動力を確保しなきゃいけないし、可動部があるので設計も難しい。

 タコマ橋(→Youtube)で有名なように、共振も怖い。斜張橋のノルマンディー大橋(→Wikipedia)だと…

長いケーブルは、無視できない振動を見せたので、振動を抑えるロープをかけてケーブルを連結する作業をするために、登山家が雇われた。ケーブルの長さはそれぞれ違うので、固有振動数も異なる。したがって、連結されたケーブルは、互いに相手の振動を抑制するように機能する。

 最近は斜張橋が多いのも、そういう理由なんだろうか。タコマ橋の原因は風…かと思ったら空気の渦かあ(→Wikipedia)。ちょっと変わった共振だと、イギリスのミレニアム橋(→Youtube)。この原因は、歩行者。群集誘発型動的歩行負荷って難しい名前がついてる。

 混んだ所だと、自然と人は歩調があっちゃう。たまたま歩調があうと端が揺れる。人は揺れを感じると、揺れにあわせて体が動く。これが揺れを増幅する上に、揺れが大きくなると、手すりにつかまって横の動きを増やす。歩調を合わせて行進する軍隊さんはこの現象を知っているらしい。

19世紀の吊り橋は、歩調をそろえて兵士が行進したことで落ちた例があるし、現代でも、渡るときは兵士に歩調を合わせるのをやめるように警告している橋もある。

 橋以外の建築物で、いきなり感心したのが J.S.ドルトン・アリーナ(→Google画像検索)。馬の品評会ができるぐらい広い空間を、柱なしで作るという無茶な要求を、独創的な発想で実現した建物。この理屈は…と考えたら、携帯用の椅子が近い(→ドッペルギャンガー ウルトラライトマイクロチェア C1-54)。

 まさしく、二つの引っ張り合うアーチが建物を支え、天井はアーチ間に垂れ下がる形だ。懸念は天井が風で煽られ吹き飛ばされることで、「風で上へ引き上げられる力は、1㎡あたり78kgほどと見込まれた」。東京ドームはどうやって対処してるんだろう?

 とはいえ、ケッタイな形をしてりゃいいってもんじゃない。槍玉にあげてるのが、シドニーのオペラハウス(→Wikipedia)で、「最終的な費用は当初の見積もりの15倍近くになった」「大規模なオペラがきちんと上演できず、オペラ愛好家をがっかりさせている」とコキおろしている。

 事故の話では、911で貿易センタービル崩落の原因を分析する所も興味深いが、「かがり火の虚栄」のテーマのテキサス農工大ボンファイア事件(→英語版Wikipedia)は、実にありがち。

 元はテキサス大学オースティン校とのアメリカン・フットボールの試合の後に、打ち上げとかのキャンプファイアみたいな感じでゴミを燃やしたのが始まり。それが次第に大きくなり、丸太を切り出しすようになり、しまいにゃウエディング・ケーキ状に4段に積むまでになった…が、これが崩れて死者12名を出す事故になる。

 つまりは学生がノリでやってたわけで、そもそも構造設計や安全対策なんか誰もやってない。「今まで巧くいってたんだから大丈夫だろ、つかもちっとデカくしようぜ」な感じで、どんどん危険な方向に突っ走っていく。学生なんてどの国でも無茶やるもんだが、実は企業でも似たような事は…ゲフンゲフン。

 ちなみに世の中にはトンネル派と橋派があるみたいで、著者は完全な橋派の模様。基本はエッセイ集なんだけど、土木系の人だけあって、読んでいると頭の中で梁にかかる力がなんとなくイメージできてくる。橋や大きな建物を見る目が少しだけ違ってくる、そんな本だ。

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2014年1月15日 (水)

飯干晃一「仁義なき戦い 死闘篇・決戦篇」角川文庫

「兄貴あんたに言うとってあげるが、なんぼあんたに力がある言うたところで、気をつけないよ。狙う方と狙われる方いうたら、どうしたって、狙う方が強いけん、のう」

【どんな本?】

 広島抗争(→Wikipedia)と言われる呉・広島で発生した暴力団同士の抗争を題にとり、その中心にいた美能組元組長・美能幸三の手記をもとに、綿密な取材と広範な資料によって裏付けた迫真のドキュメンダリー・ノベル。

 扱う時代は戦後~1963年頃まで、いわゆる第二次広島抗争までを中心とし、戦後に急成長した暴力団の内幕と、そこに生きるヤクザの実態、および暴力団・政治家・芸能界・実業界の交友も含め、全て実名を掲載する徹底したリアリズムを貫いた昭和の問題作であり、深作欣二監督による映画も空前の大ヒットをとばし、俳優・菅原文太を一躍スターに押し上げた。

 なお、カバーによると、正式な書名は以下。死闘篇・決戦篇とあるが、内要は素直に続いているので、実質的には上下巻と見ていい。

  • 広島やくざ流血20年の記録 仁義なき戦い 死闘篇 「美能組」元組長 美能幸三の手記より
  • 広島やくざ流血20年の記録 仁義なき戦い 決戦篇 「美能組」元組長 美能幸三の手記より

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原型は、抗争の中心部にいた美能組元組長・美能幸三が獄中で書き上げた手記である。これを題材に、元読売新聞の社会部記者の著者が、1972年5月19日から週間サンケイに46回にわたり連載したものを、書籍化にあたり再構成した。1980年3月20日初版発行、私が読んだのは死闘篇が1999年4月20日の26版、決戦篇が2001年8月20日の31版。着実に版を重ねてます。

 文庫本縦一段組みで本文約249頁+約303頁=約552頁に加えあとがき7頁。8ポイント43字×17行×(249頁+303頁)=約403,512字、400字詰め原稿用紙で約1009枚。文庫本二冊としては妥当な分量。

 元ブンヤさんが書いただけあって、基本的に文章はこなれている。が、シロウトが読みこなすのは、かなりシンドい。これにはちゃんと理由がある。

  1. 暴力団の内幕を描いた本なので、多少の専門知識が必要。テキヤとグレン隊の違いがわかれば充分で、もう少し突っ込んだ「兄弟杯(松江地区建設業暴力追放対策協議会暴力団ミニ講座)」などは、本書中で説明がある。
  2. 大量の組織や人が出て来る上に、関係が入りくんでおり、かつ人物の地位や関係が刻々と変わってゆく。できれば登場人物一覧が欲しかった。
  3. 台詞の大半が慣れない広島弁である。

 と書くと欠点だらけのようだが、実はこの三点こそが、この本の最大の魅力でもあるのだ。詳細は追って。

【どんな話?】

 1952年、広島で大きな勢力を誇る岡組組長の岡敏夫が引退を表明する。組内の有力な幹部や、同じ広島に勢力を持つ打越会会長の打越信夫を差し置き、なんと呉の山村組を率いる山村辰雄が跡を継ぐことになった。打越と山村の対立は、全国制覇を狙う神戸の山口組と、それを阻止せんとする本多会の代理戦争の様相を呈し…

【感想は?】

 下敷きになったのは美能幸三の手記だが、同時に著者の飯干晃一による細部の検証も凄まじい。いつ・どこで・誰と誰が会い・どんな会話を交わしたか、こういった事柄まで手記に出てくるとは思えないので、著者が独自に調査したものだろう。

 個々の襲撃事件にしても、いつ・誰が・どんな動機で・どんな凶器を・どんな経路で手に入れ・どれぐらいの距離で使ったかなど、再現映像を見ているかのように詳しく書き込んである。抗争に巻き込まれた刑事や警官が何人か殉職しているが、彼らについても詳しく説明がなされている。相当に綿密な取材と調査をしただろうことが伺える。

 上で読みにくさの理由を3つ挙げたが、読み終えてみると、逆にこの3点こそが本書の特異な地位を支える柱になっている。

 まずは多少の説明不足だが、これは当事の読者層にあわせたものだろう。不要な説明や冗長な修飾を省き、簡潔かつ明瞭に事実を記述するスタイルをとることで、たいへんに内容の濃い本となった。元新聞記者という経歴のためもあるだろうが、多くのヤクザの死を淡々と描くことで、かえって暴力団の世界の無情さが伝わってくる。

 次に内容の複雑さ。これはもともとの事件が入り組んでいるためだ。と同時に、本書のテーマである「暴力団の実態」と密接に関わっている。基本的に暴力団は利害で動いているが、横のつながりもある。戦国時代の武将がそれぞれに姻戚関係を結んだように、暴力団も兄弟杯などで他組織と協力関係を築こうとする。

 また、同じ組でも内部で争いがあり、トップと幹部との反目もある。江戸時代の武士のように一本気な忠義とは無縁の社会であり、トップと反目する幹部は対立する組の者と組む場合もあるし、対立組織内の反目を煽るため内紛の種を撒く者もいる。暴力団の陰湿な権力闘争をリアルに描く以上、複雑になるのは仕方がない。

 そして最後に広島弁。これは私が云々するより、菅原文太さんの名演技を思い浮かべていただくのが一番いい(→Youtube)。あんまりにもハマりすぎてるんで、当時は広島弁=暴力団みたいな、妙な印象が世間に流布してしまった。

 話の大きな流れとしては、呉の小勢力だった山村辰雄が、広島の一大勢力としてのし上がって行く過程を描いた物語となっている。だが、山村の人物像は、マリオ・プーヅォの「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネと全く異なり、カネに汚く見栄っ張りで後先考えず、そのくせ口先だけは巧くて、いつだってその場しのぎで誤魔化しながら世間を泳いでゆく、どうにもいけすかない奴に描かれているのが、この作品の大きな特徴だ。

 つまりはヤクザをカッコよく描く本ではない。いかに暴力団が人間のクズか、それを徹底的に暴露する本だ。

 力をつけてきた組の幹部同士の争いを煽り、自分の地位の保全を図る山村も相当に酷いが、山村と対立する村越もかなりの腰抜けの上に、自分の嘘の責任を手下に押し付ける腐りきった男に描かれている。いずれも美能の立場からすれば面白くない人物なので、相応の色はついているだろうが、暴力団の内幕としては大きく異なってはいまい。

 そんな局地的な抗争を、山口組などの広域暴力団がどのように利用し、系列化・組織化してきたか、その過程の物語としても重要な資料である。つまりは地域の紛争に介入し、一方の組に肩入れして地域の制覇を目論み、自分の組織を広げていくわけだ。かつて西欧が植民地支配で使った手口であり、冷戦時に西側・東側双方が使った手でもある。

 いわゆる独裁国家の内幕がわかりにくい理由も、情報が出てこない事に加え、この本が描く暴力団内部の人間関係のような事柄が、政府内で繰り広げられているためだろう。この本では、山村の下のはずの美能が、敵対する村越と山口組の仲を取り持っている。

 などの暴力団内部の話だけでなく、彼らと政治家や芸能界の関係もあけすけに描かれているのも、本書の重要さを際立たせている。港湾業務の人足管理、美空ひばりと田岡一雄の交際や、プロレス興行の仕切り、公営ギャンブル利権への食い込み、旧軍物資の横流し、朝鮮戦争当事の米軍業務などに加え、議員とのつながりどころか、組長が議員になってる例まである。

 暴力団の内部事情や抗争を描いた本としても勿論面白いし、同時に、この国の社会・権力構造と暴力団の関係が見えてくるのにも興奮する。もはや過去となった昭和だが、その頃に作られた人脈や社会構造は、今でも生きている。単に暴力団を糾弾するだけの本ではない。権力闘争の生臭さと、戦後のこの国がどう作られたか、それを描く物語としても、一級品の価値をこの本は持っている。

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2014年1月13日 (月)

マイケル・バー=ゾウハー&ニシム・ミシャル「モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝」早川書房 上野元美訳

「私は、舞台で演じるようなつもりで姿を変え、化粧をして、モサドの多数の作戦に臨んだ。それ以外では、芝居の演出家のような気持ちで作戦に参加した。脚本だと思って作戦指令を書き上げた」
  ――ラフィ・エイタン

【どんな本?】

 エジプト・シリア・イラクと軍事大国である敵に囲まれ、またPLOなどの非国家の武装組織も敵に回すイスラエルが誇る情報機関、モサド。その名はCIA・KGB・MI6 と並び有名であり、優れた能力と容赦ない作戦で悪名が鳴り響いている。

 作家でもあるマイケル・バー=ゾウハーと、ジャーナリストのニシム・ミシャルの二人のイスラエル人が組み、元ナチスのアドルフ・アイヒマン捕獲・フルシチョフのスターリン批判演説記録の入手・イラクのミグ21入手など数々の成功例のほかに、記録を取られたドバイでのハマス幹部の殺害や、シリアの高官に食い込んだエリ・コーヘンの露見などの無様な失敗例もあげ、現代の国際社会におけるスパイの活動を生々しく描くドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MOSSAD, The Greatest Missions of the Israeli Secret Service, by Michael Bar-Zohar and Nissim Mishal, 2012。日本語版は2013年1月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約398頁。9.5ポイント45字×20行×398頁=約358,200字、400字詰め原稿用紙で約896枚。長編小説なら2冊分に少し足りないぐらい。

 翻訳物のドキュメンタリーのわりに、文章は拍子抜けするぐらい読みやすい。ジャーナリストと作家のコンビによるものだけあって、内容的にも比較的にこなれている。とまれ、スパイ物の常で、多数の人物が偽名を使うのがややこしいかも。それ以上に重要なのが、イスラエルを中心とした中東の国際事情。だいたい1960年代あたりからのエジプト・イラク・イラン・シリア・レバノンの情勢の変転がわかっていると、より楽しめる。

 著者は二人ともイスラエル人であり、徹底してイスラエル贔屓の立場で書いている。PLOやハマスは遠慮なく「テロリスト」と表現しており、パレスチナ問題などでアラブ贔屓な人は、かなり不愉快な本だろう。

【構成は?】

序文 ライオンの巣穴に一人で飛び込む
第1章 闇世界の帝王
第2章 テヘランの葬儀
第3章 バグダッドの処刑
第4章 ソ連のスパイと海に浮かんだ死体
第5章 「ああ、それ?フルシチョフの演説よ…」
第6章 「アイヒマンを連れてこい!生死は問わない」
第7章 ヨセレはどこだ?
第8章 モサドに尽くすナチスの英雄
第9章 ダマスカスの男
第10章 「ミグ21が欲しい!」
第11章 決して忘れない人々

第12章 赤い王子をさがす旅
第13章 シリアの乙女たち
第14章 「きょう、戦争になる!」
第15章 アトム・スパイの甘いわな
第16章 サダムのスーパーガン
第17章 アンマンの大失敗
第18章 北朝鮮より愛をこめて
第19章 午後の愛と死
第20章 カメラはまわっていた
第21章 シバの女王の国から
終章 イランと戦争か?
 謝辞/参考文献およびソース

 原則として時系列順に話が進むが、各章はそれぞれ一つの作戦を記しており、ほぼ独立しているので、興味のある所だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 まるきしスパイ物の漫画だが、どうも大半が事実らしい。

 特に凄いのが、「第16章 サダムのスーパーガン」。第一次世界大戦でドイツが使ったパリ砲(→Wikipedia)で幕をあける。砲弾の全長3.5m、射程距離128km。三基作られ一基は暴発して自爆、「それ以外の二基は、戦争の終結とともに跡形もなく消えた」。鉄人28号かよ。ちなみに戦艦大和の主砲46cm砲は射程距離約42km(→Wikipedia)。

 その設計図が、1965年に出てくる。クルップ工業の設計部長フリッツ・ローゼンバーガーの親戚の老婦人が、家の古文書から発掘し、カナダのジェラルド・ブル博士の手に渡る。この人が、しょうもない大砲オタクで。

 全長36m口径424mm射程40kmの大砲を試作し成功するが、アメリカ・カナダとも政府は興味を失う。しかしブル博士の大砲作りの執念は燃え上がり、南アフリカに売り込むが、不法兵器取引でお縄。懲りるどころか怒り狂った博士、「俺を無視した学会に復讐してやるんじゃあ~!」とばかりに、なんとイランと戦争中のサダム・フセインにバビロン計画を売り込む。長さ150m、重さ2100トン、口径1mの怪物だ。まさにマッド・サイエンティスト。アメリカ・イギリス・イスラエル、そしてイランと世界中の恨みを買ったブル博士は…

 この章では、PFLP(パレスチナ人民解放戦線)の大物でエンテベ事件(→Wikipedia)の黒幕ワディ・ハダド博士の暗殺も、なかなかのコミック調。

 彼の側近を懐柔したモサドは、彼がチョコレートに目がない事を聞きだす。名門ゴディヴァ(→ゴディヴァジャパン)のチョコレートに生物毒を仕込み、おみやげに持ちかえらせる。「ゴディヴァに目のないハダドは、チョコレートをだれにも分けずに一人占めするはずだと推測された」。がめついやっちゃ。そんなに美味しいのかゴディヴァ。今度買ってこよう。

 日本人として気になる章は、「第18章 北朝鮮より愛をこめて」。ここでは、シリア・イラン・北朝鮮の三国が協力した核兵器開発と、それを妨害するモサド&イスラエル軍の活躍を描いている。ここを読むと、シリア内戦がヒトゴトじゃないのが実感できるだろう。なんたって、イランが資金を、北朝鮮が技術を提供している。

2007年7月、イスラエルは、オフェク7スパイ衛星で原子炉施設を高高度から写真撮影した。アメリカとイスラエルの専門家がそのときに撮影された写真を分析した結果、シリアが建設中の原子炉は、北朝鮮の寧辺(ニヨンビヨン)にある核施設と酷似していることが明確になった。

 北朝鮮とシリアの核兵器開発の話は遅くとも2000年には始まってる。つまり、現大統領バシャル・アル=アサド(→Wikipedia)も関わっていると明記してある。

2006年6月のハフェズ・アル=アサド大統領の葬儀の際、その息子にして後継者のバシャル・アル=アサド大統領は、北朝鮮代表団と対面した。その後、シリア科学研究庁の監督のもとでシリアに核施設を建設することに関して、秘密会談が行なわれた。2002年7月、今度はダマスカスで、シリアとイランと北朝鮮の高官が参加した秘密会談がひらかれ、三国は合意に達した。

 この事件の結末は、まるきしトム・クランシーの「合衆国崩壊」(→Wikipedia)の結末にソックリ。

 情報機関にもお国柄があって、例えばイギリスの MI6 はスマートな情報収集、CIA は政府転覆など大掛かりなもの、KGB は情報政治軍事暗殺となんでもあり、そしてモサドは精鋭によるチームプレーと暗殺の印象が強い。その印象を変えたいのか、ちょっと面白い事件も取り上げている。

 「第7章 ヨセレはどこだ?」は、なんとイスラエル国内のユダヤ教超正統派との争い。アイダとアルターのシュクマッカー夫妻は、生活費に困り父のナーマン老に8歳の息子ヨセレを預ける。誤解から激高したナーマン、ヨセレを奪い…。イスラエル国内の大ニュースとなり、世俗派と超正統派の暴力的衝突にまで発展した事件のケリをつけるため、首相ベングリオンがモサド長官イサク・ハルエルに話を持ちかける。「きみに子どもを見つけられるか?」

 第四次中東戦争を予告した「エンジェル」の意外な正体、アサド政権の高官候補にまでなったド派手な潜入スパイ、イラン国内での狡猾な活動、男の哀愁が身に染みるハニートラップ、ゴルゴ13みたいな暗殺事件など、刺激的なエピソードがギッシリ詰まっている。野次馬根性で読んでも楽しめるし、熾烈な諜報活動の実情を知るにも役に立つ。スパイ物が好きな人、国際関係の裏を知りたい人には、文句なしにお勧めの一冊だ。

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2014年1月12日 (日)

宮部みゆき「日暮らし 上・中・下」講談社文庫

「そりゃ修行したおかげで、あたしは豪勢な料理をつくれるようになりました。けどね、それを親父にもおふくろにも、兄弟たちにも食わしてやることなんかできなかったよ。あたしのもらってる給金じゃ、石和屋の料理は食えねえんだ。そんなんじゃさ、あたしは二十年以上も、いったい何をやってきたんだろうって思っちまうのも、しょうがないでしょう」

【どんな本?】

 直木賞をはじめ数々の賞に輝くベストセラー作家・宮部みゆきが存分に本領を発揮した、ミステリ仕立ての人情時代小説シリーズ、第二弾。シリーズ開幕の「ぼんくら」でも活躍?した怠け者の同心・井筒平四郎と、彼が関わった本所深川の鉄瓶長屋に住んでいたお徳・佐吉など懐かしい面々が再登場し、江戸の長屋で逞しく生きる人々の暮らしと想いを描き出す。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2004年12月に単行本上下巻で刊行。私が読んだのは講談社文庫版で2008年11月14日発行の第1刷。文庫本縦一段組みで上中下の三巻、それぞれ本文約298頁+269頁+268頁=約835頁に加え、末國善己の解説8頁。9ポイント38字×17行×(298頁+269頁+268頁)=約539,410字、400字詰め原稿用紙で約1349枚の大作。

 ベストセラー作家の作品だけあって、文章の読みやすさは抜群。単にわかりやすいだけじゃなく、微妙なリズムがあって、読んでいてやたらと気持ちがいい。内容も特に難しくはないが、人の生き様と心持ちを描く作品だ。個々の登場人物の背景事情が重要な意味を持ので、素直に前作の「ぼんくら」から読もう。

【どんな話?】

 暑さにへばっているぼんくら同心・井筒平四郎を訪ねてきた町医者の幸庵先生がいうことには、岡っ引きの政五郎のところのおでここと三太郎が倒れたという。数日前から飯を食わず、水ばかり飲んで、ついに寝込んでしまった。政五郎も女房のお紺も心配し、幸庵先生を呼んだが、どうにもらちがあかない。面倒くさがる平四郎に、追い討ちをかける幸庵先生。

「井筒様には、頼もしい味方がおられるでしょう」

【収録作は?】

上巻: おまんま/嫌いの虫/子盗り鬼/なけなし三昧
中巻: 日暮らし
下巻: 日暮らし/鬼は外、福は内  解説(末國善己)

【感想は?】

 一応、主人公は、ぼんくら同心の井筒平四郎だが、彼はむしろ狂言まわしみたいなモンで。

 今回は、おでこさんこと三太郎の病で幕があく。前作「ぼんくら」を読んだ人には、むしろここで「おお、懐かしい」となる所。平四郎は、どうにも影が薄い…おそらくは、意図的に。というのも、平四郎の周りの人たちのキャラがやたらと濃いのだ。そこに濃いキャラを突っ込んだら衝突してしまう所を、平四郎のぼんくらっぷりが巧いこと中和している。

 最初の「おまんま」から、おでこさんのキャラクターが、やたら強烈だし。おでこさんこと三太郎、齢十三の男の子。この時代だと、ぼちぼち働きに出てもいい年頃だ。ところが政五郎もお紺も、おでこさんを猫かわいがりで、滅多なことじゃ嫌味のひとつもいいやしない。寝込んだおでこさんに対する政五郎とお紺の気遣い方が、これまたそれぞれの性格を伺わせて、読者は「うん、そうだよね」と納得してしまう。

 続く「嫌いの虫」では、前作でいなせな姿を見せた佐吉の兄貴が登場する。女性ファンには悔しい事に、なんと所帯持ちだ。ここでは、新婚さんの悩みがテーマとなる。先の「おまんま」に登場した政五郎とお紺は、絵に描いたようなベテランの夫婦なのに対し、佐吉とお恵は若いだけあって…。

 次の「子盗り鬼」では、二人の女の子を女手一つで育てる新キャラクター・お六が登場し、現代日本でも話題になっているしち面倒くさい輩がテーマになると同時に、このシリーズ全体を通して影のようにつきまとう、湊屋の因縁も色濃くなってくる。これがまた、前作「ぼんくら」でも重要な役を担う、意外な人の意外な素顔に驚かされる。

 そして「なけなし三昧」。ついに出ました、このシリーズの真の主役、お徳さん。元気です。亭主と共に煮売屋を始めたものの、病で亭主を失い、それでも一人で店を切り盛りし、鉄瓶長屋から幸兵衛長屋に店を移しても、相変わらずの腕ときっぷのよさで大繁盛…かと思いきや。

 もうね。あたしゃ、お徳さんが出てくるだけで嬉しくなっちゃう。お六もそうだけど、こういう逞しく生きるオバサンを描かせたら、宮部みゆきの筆は冴える冴える。どんな所で怒るか、どんな時に意地を張るか、どんな時に踏ん張るか、そしてどんな時にヘコんで、どんな時に弱気になるか。

 お六も、その生き様を読めば、なかなか逞しい人なのに、こういう危機にはとことん弱い。やっぱり似たような形で、きっぷのいいお徳さんも、尻込みしちゃったり、よせばいいのに余計なちょっかいをしちゃったり。そのあたりを飲み込んで気を使う平四郎たちも、なかなかのオトナだ。

 そんなお徳さん贔屓な私が、スカッとしたのが、平四郎が奥様とお徳にドヤされる場面。主人公がいじめられて、なんでこんなに気持ちがいいんだろうw やっぱり平四郎が奥様に睨まれて冷や汗をかく場面も、実に心地いい。綺麗な奥様の笑顔って、やっぱし怖いよねえ。ざまあ←ひがんでます

 新キャラクターでは、少ない出番と台詞で強烈な印象を残す、同心の佐伯錠之介がいい感じ。

とにかく長身だ。そして痩せている。頭が長い顎が長い首が長い。指まで長い。

 と、ルックスもさることながら、その性格が、これまたケッタイな奴で。中巻あたりから事件の推移に関わってくる人なんだが、何を考えてるのか、なかなかわからない。でも職務を考えると、それなりに適切な性格なのかもしれないし、実は平四郎の同類なのかもしれない。

 などのレギュラー陣の中で、幼いながらも名探偵振りを発揮するのが、弓之助。跡取りの話も平四郎は次第に乗り気になり、まんまと奥様の術中にはまりつつある。イケメンすぎると平四郎の奥様は心配しているが、ちゃんと自分の視野の具合はわかっている様子。おでこさんとのコンビもいい具合で、ラストには鮮やかな見せ場がちゃんと用意されてる。

 一応はミステリ仕立てだけど、面白いのはむしろ夫婦の機微や職場での軋轢、気がいい故に面倒に巻き込まれちゃう人々など、普通に生きてる人が普通に経験し感じている事柄が、生き生きと描かれていること。読みやすさは抜群だし、ぜひ前作の「ぼんくら」から続けてお読みいただきたい。

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2014年1月 9日 (木)

中村明一「倍音 音・ことば・身体の文化誌」春秋社

 都はるみは、ひとつのフレーズの中で、三点を自由に行き来しています。「アンコ椿は恋の花」という歌の「あんこ~♪」の部分を見てみると、「あ」で<整数次倍音>を出し、「ん」と唸る部分では[非整数次倍音]が強く、最後の「こ~」というところは倍音の少ない裏声にぬけていく。大歌手たるゆえんでしょう。

【どんな本?】

 楽器には音色があり、声には声色がある。音や声の質の違いをもたらす要因としての倍音に注目し、我々に馴染み深い歌手の森進一や浜崎あゆみ、特徴的な声の田中角栄や小泉潤一郎、そしてコント55号やウッチャンナンチャンなどを引き合いにして、倍音の持つ効果を明らかにするとともに、西洋と日本における倍音の扱いの違いと、それがもたらす音楽やコミュニケーションのありかたの違いを解き明かし、音楽の持つ豊かさを科学によって掘り起こしてゆく。

 工学部出身で尺八を学び、バークリー音楽院でジャズ理論を修めるなど多彩な背景を持つ、著者ならではの多角的な視点によって、音楽の魅力と豊かさを開明する、楽しくて親しみやすい科学と文化と音楽の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年10月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約242頁。10ポイントの読みやすい大きな字で40字×16行×242頁=約154,880字、400字詰め原稿用紙で約388枚だが、写真・グラフ・図表を豊富に収録しているので、実際の文字数は8~9割ぐらいだろう。小説なら中編~長編の分量。

 著作が専門の人ではないが、文章はとてもこなれていて読みやすい。科学・音楽・文化論と多岐に渡る内容ではあるが、八代亜紀や郷ひろみなど親しみやすく特徴ある声の芸能人を例に出して読者を引きずりこむ工夫が見事に効を奏していて、中身も体感的に理解しやすい。では、スラスラ読めるか、というと…

【構成は?】

 はじめに 第三の耳――最後に残された「魔法」
第1章 不思議な現象
第2章 倍音とは何か
第3章 メディアを席巻する倍音
第4章 日本という環境・身体・言語
第5章 日本文化の構造
第6章 超倍音楽器、尺八
第7章 人間にとって音、音楽とは何か
終章 未来の響きに耳を澄ます
 あとがき/参考文献一覧/著者紹介

【感想は?】

 歌が好きな人、音楽が好きな人なら、ぜひ読もう。なぜ美空ひばりが国民的歌手なのか、よくわかる。

 冒頭の引用は、都はるみの「アンコ椿は恋の花」(→Youtube)を例に、上手な歌手がいかに倍音を使いこなしているかを解説する部分だ。今少しYoutubeを漁ったが、キャリアの長い歌手だけに、歌い方も時代により変化している。より初期の方が、この解説はクッキリとわかる歌い方をしている。

ちなみに同じ都はるみの歌う「アンコ椿は恋の花」1990年版はこちら(→Youtube)。喉を酷使する演歌歌手でありながら、長い歌手生活を経て声の輝きと透明さを失うどころか、むしろ増している。いかに彼女が喉を大切にしているか、そのプロ根性が伺える歌声だ。

 引用で欠けているのが、<整数次倍音>と[非整数次倍音]だろう。著者も長々と説明しているのだが、一発で分かるグラフが52頁~53頁の見開きにある。これが実にわかりやすい。

 [非整数次倍音]が豊かな歌手として、トップに森進一、次いでもんたよしのり・八代亜紀・青江三奈・桑田圭祐だ。いわゆるガラガラ声である。<整数次倍音>が豊かな人は、黒柳徹子・郷ひろみをツートップとして、浜崎あゆみと倖田未来、オジサンのアイドル平山みきが続く。伸びのある華やかな声だろう。逆に倍音が少ないのは、クラシックの声楽と、ヨーデルなどで使う裏声(ファルセット)。

 そして、 <整数次倍音>[非整数次倍音]ともに豊かなのが美空ひばり、次いで都はるみ。つまり、声色の点で、両者は圧倒的な幅を持ち、かつそれを使いこなしている、という事である。冒頭の引用は都はるみだが、これに続く美空ひばりの「川の流れのように」の解説は、ファンなら必読。

 これを読んでから彼女の歌を聴くと、彼女の持つ超絶的なテクニックと、それを融通無碍に使いこなす表現力に悶絶するだろう(美空ひばりの「川の流れのように」→Youtube)。時には疲れたオバサン、時には甘える少女、時には優しい母親、そして時には明るく逞しく前向きなリーダーの声を、完璧なコントロールで乗りこなしながら、曲の流れにあわせ自然かつクッキリと使い分けているのがわかる。歌の巧さとは音程の安定だけじゃないのだ。

 スラスラ読めない理由のひとつは、これだ。著者の説明は見事だが、実際の音源に触れると、更にそれが実感できる。そして Youtube には困ったことに、右サイドバーに「お薦め動画」の一覧がある。感動のあまりにサイドバーに手を出すと、キリがない。特に昭和生まれの人は要注意。気がつけばオフコースの「さよなら」が流れている。うわヤマハのSGだ、懐かしい…じゃなくて。

 ここでは、<整数次倍音>と[非整数次倍音]を軸に、政治家の演説技術から漫才コンビの鉄則まで論じている。これが実に説得力があって、つい応用したくなる。倖田未来の例は、昭和生まれの人には中森明菜かなあ。話し声はガサガサなのに、歌声、特に高音部は俄然伸びのある声になるんだよね(北ウィング→Youtube)。

 ああ、進まないw で、こういう倍音構成の豊かなバリエーションこそが日本の文化の大きな特徴であり、その原点には日本人の姿勢や、母音が大きな役割を果たす日本語の構造がある、と解き明かしてゆく。ここは、是非とも部屋の中で読もう。

「傘の絵」、「傘の柄」と発音してみてください。

 これ、読むだけじゃなく、実際にやってみよう。それもボソボソとではなく、はっきり大きな声で。著者が何を言っているか、体でわかるから。そして、以後、日本語の特製が育てた、[非整数次倍音]を使いこなす日本の繊細で豊かな感情表現と、大量のオノマトペへと話がつながってゆく。日本人は感情表現が貧しいと言われるけど、実は表現方法が違うだけなのだ。

 後半は声から離れ、音そのものの考察に入る。これまた、音質に拘る音楽ファンやオーディオ・マニアには感涙もののネタが次から次へと出てくる。特に生楽器の音に拘る人なら、なぜ自分が拘ってしまうのか、その謎の一端がわかるだろう。いやホント、ガット・ギターの持つふくよかな香りと情感って、マイクを通すとバッサリ消えちゃうんだよなあ。ここでも、日本人だけが合わせられる「イヨーッ、ポン」とか、音や声に潜む複雑さがよくわかるエピソードだ。

 クラシックでもポップスでも民族音楽でも演歌でも、音楽や歌が好きなら読んで損はない。あなたが好きな歌手や演奏家に、きっと更に惚れこんでしまうだろう。

余談。だからと言って、歌が下手な人はダメ、なんて言う気は毛頭ないです、はい。Mountain の Never In My Life(→Youtube)がいい例で、この破壊力は Leslie West の獣の咆哮あってのもの。 Mississippi Queen とか、歌が上手な人が歌うと、途端に迫力がなくなっちゃったりする。ちなみに Mountain には、Felix Pappalardi ちゅう歌の上手な人もちゃんといます(→Youtube, Nantucket Sleighride)。

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2014年1月 8日 (水)

ジェフ・ライマン「夢の終わりに…」早川書房 古沢嘉通訳

「ドティは幸せなんです。たいていのときは、本当に幸せなんです」ビルはいった。「彼女を不幸にするたったひとつのものがぼくたちなんです」

【どんな本?】

 カナダ生まれのSF/ファンタジイ作家、ジェッフ・ライマンによる、「オズの魔法使い」をテーマにした長編ファンタジイ小説。「オズの魔法使い」の主人公となった少女ドロシーにはモデルがいたとする設定で、19世紀末のカンザス州の田舎ジーンデールに住む少女ドロシーと、その周囲の人々の生活に絡め、映画「オズの魔法使い」で主役を演じたジュディ・ガーランドや、現代のホラー映画スターであるジョナサンの人生を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は 'WAS...', by Geoff Ryman, 1992。日本語版は1995年8月31日初版発行。単行本ハードカバー縦2段組で本文約419頁。8.5ポイント25字×22行×2段×419頁=約460,900字、400字詰め原稿用紙で約1153枚。普通の長編小説なら2冊分ちょい。

 文章は翻訳物の小説としては、比較的にこなれている部類だろう。内容も特に難しい部分はない。ただ、すんなり読めるか、というと…

【どんな話?】

 1875年9月。セントルイスに住んでいた幼い少女ドロシーは、ジフテリアで家族を失う。ジーンデールに住む伯母エマ・ガルチを頼り、ドロシーは愛犬トトと共にカンザス州マンハッタンまで列車でやってきた。ジーンデールは、マンハッタンから更に馬車で一時間ほどかかる村だった。そこで始まったドロシーの生活は…

【感想は?】

 「オズの魔法使い」の明るい雰囲気は、きっぱり忘れよう。かなりシンドく悲しい話だ。

 表紙からして、水色を基調とした妙に寂しい感じの絵だ。この話の調子を上手く捉えている。というのも、ジーンデールでのドロシーの生活は、とてもじゃないが「のびのびとした田舎の生活」なんてもんじゃない。

 冒頭、ドロシーがマンハッタンの駅に降りる場面から、不穏な空気が漂っている。ドロシーはひとりぼっちで、誰も彼女の事を気にかけない。たった一人、ドロシーを気遣う若い女性エッタ・パーカスンがいるが、すぐに引き離されてしまう。他ならぬ保護者である伯母エマ・ガルチによって。

 おまけに、ドロシーに残された、かつての生活の名残りであるトトまで、エマとはしっくりいかない…どころか、初対面から敵認定されてしまう。最悪のスタートである。

 不安たっぷりに始まった物語は、進むに従い…。この辺は、幼いドロシーの目を通して展開する周囲の出来事や、それに対するドロシーの反応を、じっくり描くジェフ・ライマンの手腕が見事なだけに、読んでいてなかなかキツいもんがある。物語が始まってから、ドロシーは大切なモノを、圧倒的な力で次々と奪われてゆくのだから。

 ドロシーのたった一人の理解者だったウィルバーも、エマおばさんには気に入らない。己の無力さを実感して次第に無口になっていくドロシー、それをおとなしいと解釈するエマ。諦めきっているドロシー、礼儀正しく従順と解釈するエマ。被保護者であるドロシーと、保護者であるエマ。同じ事象を、なんだってこうも正反対に解釈できることやら。

 読み終えて改めて考えると、エマは単に子供の扱いに慣れてなかっただけ、とも解釈できるんだが、読んでる最中は、ひたすらエマが憎たらしくてしょうがない。これもまた、主人公に感情移入させてしまう著者の実力だろう。

 子供という立場の逃げ場のなさを、容赦なく思い知らされるのが、マンハッタンの学校の場面。失うものがないドロシーの、やぶれかぶれな戦い。代用教員とドロシーの場面。彼女の作文「トト」に始まる騒動、そしてドロシーが突き当たる、どうしようもない壁。悲しい事に、この壁は、現代の日本にだって消えちゃいなかったりする。

 追われてゆくもの、滅びてゆくもの、消えてゆくものへの共感が、この本には満ちている。インディアン,バッファーロー,そして古い町並み。そして、ドロシーもまた、そんなものたちと共に行きたいと願う。「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌った「Over the Rainbow」→Youtube も、これを読むと全く違って聞こえてくる。

 そんなものを追いかける一人が、もう一人の主人公ジョナサン。古い建物や町並みに興味を示す、ホラー映画のスター。相応の頭脳と演技力を持ちながら、彼がホラーを好む理由というのが、これまた切ない。

 やはり映画界から登場する、もう一人の重要人物、フランシスことジュディ・ガーランド(→Wikipedia)。映画「オズの魔法使い」でドロシーを演ずる役者だ。大好きなパパのフランク・ガム、ママのエセル、お姉ちゃんのメアリ=ジェーンとジニー。幸せいっぱいに見えるフランシスだが、最初の上映会の場面から、一筋縄じゃいかない家族間の緊張が漂っている。彼女については、先の Wikipedia が必読。なかなか重たい内容だが、この本に相応しい生き方でもある。

 お話の大半は、徹底したリアリティに満ちている。ファンタジイか普通小説なのか、それは結末の解釈によって分かれるだろう。いずれにせよ、物語ではファンタジイそのものの意味が重要なテーマとなっている。かなり重たい内容の小説なので、覚悟して読もう。

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2014年1月 6日 (月)

人工知能学会誌2014/1 vol.29 表紙の話 2

 前回は、機能だけを見てきた。今度は別の方向から見ていこう。なんで、Rはあの形をしているのか。

 まず、なぜ人の形をしているのか、という点。これは互換性の問題だろう。ヒトの形をしていれば、ヒトが作った道具を使える。そう、本・箒・スリッパなどだ。機械のために、なんで専用の道具を買わねばならんのだ。R専用掃除機とか買い揃えるのは面倒だ。ソコにあるモノを使ってくれれば、安上がりじゃないか。メーカー純正ってのは、大抵が無駄に高いし。

 仕事の手順にしたって、大抵の仕事はヒトむけに手順を考えられてる。他の形にしたら、また手順を考え直さなきゃいけない。それじゃ面倒くさいではないか。まあ、私は、家事やってる時は、尻尾が欲しいと思う事がよくあるけど。いや尻尾があれば、両手が塞がってても扉を開け閉めできるでしょ。

 話が逸れた。家事は、家の中でする。というか、ヒトがやる仕事は、たいてい「ヒトがいると仮定した環境」で行なわれる。とすると、ヒトの仕事を肩代わりするモノは、ヒトと似たような姿形の方が、移動しやすい。ヒトより大きかったり小さかったりすると、移動に支障をきたす。

 という事で、人型の方が、色々と便利だ。だから、Rは人の形をしている。

 人型でも、大きく分けて二つの方向性がある。メカメカしく一発で機械と分かる形にするか、なるたけヒトに似せるか。例えば、スターウォーズのC-3POや、漫画コブラに出てくるクリスタルボーイみたいな形だったら、どうだろう?

 実は、機能だけ考えると、ツンツルテンのメカメカしい形の方が便利だったりする。これは家庭電化製品でもそうなんだけど、なるたけ簡単な格好の方が、安全で汚れにくく使いやすい。トンガってる所があると、刺さる危険がある。窪みがあると、ゴミが溜まって汚れやすいし、故障の原因になりやすい。出っ張ってると、折れるかもしれない。なるたけノッペリした形の方が、壊れにくく汚れにくく保守しやすい。特に髪の毛なんて最悪で、汚れを落とすのがどれほど大変な事か。そう考えると、C-3POよりクリスタルボーイの方が、より機能的だ。顔も鼻や口がなくて真ん丸なボール型なら、もっといい。

 ただ、ノッペリした機械が、家の中をウロチョロするのって、ヒトの側からすると、どうなんだろう。

 ヒトの形をしたモノだと、やっぱりヒトは擬人化して見てしまう。例えメカっぽくても、裸でウロチョロされたら、やっぱり落ち着かない。結局、何か服を着せるんじゃなかろか。じゃ、どんなのを着せる? 汚い作業着? 汚い作業着を着たロボットに家の中をウロチョロして欲しい? できれば、清潔な服を着て欲しくなるでしょ、やっぱり。

 で、服を着せるとなると、ソレナリに人間っぽい形の方が、使う人にウケるんじゃないだろうか。結局は、人間そっくりな方が、市場を制覇するって気がする。それも、不細工ではない顔形のデザインで。掃除できるぐらい賢いなら、自分のボディも自分で入浴して保守できるだろうし。

 実は、機能的にも、人間ソックリにする利点があるのだ。それは、表情をつけられる事。

 今だって、コンピュータは、使ってるヒトに向けて様々なメッセージを発してる。私がキーを打てば、打ったキーが何かをモニタに映す。マウスを動かせば、モニタ上のマウス・カーソルも動く。「当たり前じゃないか」と思うかもしれない。でも、コンピュータの中では、いちいち「字を描け」とか「マウス・カーソルを動かせ」とかの命令が走ってる。そうやって、ヒトに向けて「あなたは今キーを打ちました」「あなたは今マウスを動かしました」と、メッセージを送っているのだ。

 今のお馬鹿なコンピュータでさえ、頻繁にヒトとメッセージを交換しているのである。もっと進歩したら、もっと多くのメッセージを交換するだろう。

 ところで、ヒトは情報の多くを視覚から得ている。特に表情には敏感で、ちょっと眉を動かしたり、唇の端を上げ下げするだけでも、多くの情報を受け取るように出来ている。社会的な動物として進化してくる過程で、他のヒトの感情を読み取る能力が、生き残るために重要な要素だったのだ。

 そんなヒトの特性に合わせるには、やっぱり表情でメッセージを伝えられると、都合がいい。より少ないアクション、すなわちより少ないエネルギーと時間で、より多くのメッセージを伝えられる。そして、表情でメッセージを伝えるなら、なるたけヒトに似ている方が都合がいい。

 となれば、後は「どんな人に似せるか」だ。つまりは「女性型か青年型か」みたいな話になってしまう。現実には、様々な型が売り出されて、評判のいい形に収束していくんだろうけど。

 たぶん、まずは男女両方の型が出るだろう。いずれも、若い人に見えるデザインだと思う。年配者に見えると、ちょっと頼りなさげに見えて、力仕事は任せる気になれない。若くて体力がある、そんな雰囲気が欲しい。では、男女のどっちがいいか。実はこれ、ビンボな男って私の立場で考えると、男型の方が維持費が安くあがる。

 なぜか。簡単な話だ。Rには衣装を着せる。そして、一般に服は女物より男物の方が安い。ついでに言うと、私がR(みたいな製品)を買うなら、背格好が私に似た製品がいい。それなら、私のお古を着せれば衣装代が要らないし、私の代わりに服の買い物ができる。そのかわり、あましスタイルのいい製品は望めないが orz

 とか考えると、一般には持ち主と同性の製品を選ぶ傾向が強いんじゃないか、と思う。なら、Rの持ち主は女性だろう。それも、恐らく年配の女性だ。

 あの絵は、未来を描いている。にも関わらず、箒や紙の本がある。電子ブックが普及しつつある現在、紙の本を持つ人は、今後あまり増えないだろう。紙にしがみつくのは、紙の本で育った人たちだ。つまり、Rの持ち主は、紙の本が主流だった時代の人だろう。フレーム問題に解決の糸口が見つからない現状を考えると、掃除ができるロボットが実現するのは、かなり先の話になる。そういう時代背景を考えると、持ち主は年配者の可能性が高い。

 とすると、Rは、介護機能も持っているのかもしれない。今も介護用のパワードスーツの研究がされているし、むしろ持っていると考えるべきだろう。

 まあいい。そんな風に、ヒトそっくりに作る利点もあるのはわかった。でも、私ならアホ毛をつけるけどね。いやコレにはちゃんと意味があって。

 ヒトの形をしているからといって、それぞれの部品にヒトと同じ機能を持たせる必要はない。ヒトにとって目はモノを見る器官、すなわち視覚センサーだけど、機械がそうである必要はない。というか、ヒトの目ってのは、工業デザイン的に、あましいい配置じゃない。改善の余地がある。

 可視光線のセンサーとしては、なるたけ上にあった方がいい。その方が視野が広くなり、遠くまで見渡せる。そういう点じゃ今のヒトの目はいい位置につけてるけど、大きな問題がある。前に二つだけなんで、後ろが見えない。

 が、ヒト型で、後ろに目をつけたら、気味が悪い。そこでアホ毛だ。ニョッキリ2~3本のアホ毛を立てて、忙しく動かす。そうすれば、高い位置から全周囲360度が見渡せる。いやもしかしたら、先に最悪と言った髪の毛、実は全部がセンサーかも知れない。光センサー・音センサー・温度センサー・湿度センサー・風センサーなど。髪が長いのは、そのためかも。なら、男性型より女性型の方が都合がいい。

 じゃ、なんで前に目が必要なのか。あれは、視覚センサーではない。ヒトに表情を伝えるための道具なのだ。今のコンピュータでいえば、モニタの機能の一部を担う部品である。ヒトが勝手に「目だ」と思っている、それだけの話だ。実のところ、壊れても機能に大きな影響はない。そう、目に見えるからといって、視覚器官とは限らないのだ。

 それでも、形がヒトに似ていると、ヒトはそれをヒトに見立ててしまう。擬人化バイアスとでも言うか。そして、そんなヒトの傾向もまた、人工知能研究の重要なテーマになる。今回の論戦も、それを見越した学会の陰謀かもしれない…きっと考えすぎだけど。

 とか書いてきたが、実際のイラストレーターの意図は、もっと単純だろうと思う。リニューアルの趣旨から考えて、なるべく親しみやすい雰囲気にしたい。ならメカメカしいのより、人間っぽい方がいい。男か女かなら、女性型の方が柔らかい印象を与える。じゃ女性型にしよう、そんなところだろう。

 その上で。Rが持っている箒と本は、人工知能研究が抱えている大きな問題、つまりフレーム問題と機械学習を示していると感じる。というか、第一印象で、そう思い込んでしまった。人工知能って文脈で見ると、そうとしか思えない。

 まあ、とりあえず、「どんな形のロボットが消費者にウケるか」を考えるのは、なかなか楽しかった。現実には、どうなるんだろう? まず当たり障りのないメカメカしい形から始まり、次第にヒトに似てくると思うんだけど。

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2014年1月 5日 (日)

マーク・カーランスキー「『塩』の世界史 歴史を動かした、小さな粒」扶桑社 山本光伸訳

ピレネー山脈ではインポテンツを避けるために、新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会にいく習慣があった。フランスでは地方により、新郎だけが塩を持っていくところと、新婦だけが持っていくところがあった。ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった。

【どんな本?】

 塩は便利だ。漬物には欠かせないし、甘いものに一つまみ入れれば甘さが増す。いい肉は軽く塩と胡椒をふって焼けば美味しいステーキになる。儀式的な意味もあって、日本じゃ「清めの塩」なんて発想もある。生活必需品でもあり、「敵に塩を送る」なんて故事来歴に基づく言葉もある。往々にして、塩は歴史上で重要な役割を演じてきた。

 ヒトはいつ、どこで、どんな風に塩を作り、どう運び、どう使ってきたのか。塩の生産・運搬・利用は、経済・産業・軍事・政治にどんな影響を与え、歴史と食卓をどう彩ってきたのか。中国・古代エジプトからローマを通し、タラやニシンが変えたグランド・バンクスの価値からアメリカ独立、そしてインドのガンジーの「塩の行進」を経て現代の塩類の利用まで、塩と歴史と食卓を巡る物語を豊富なエピソードとレシピで綴る、一般向けの美味しい歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SALT : A World History, by Mark Kurlansky, 2002。日本語版は2005年12月30日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約431頁。9.5ポイント46字×19行×431頁=約376,694字、400字詰め原稿用紙で約942枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は翻訳物ノンフィクションとしては比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に前提知識は要らないが、世界中を駆け巡る本であり、また輸送経路が重要な意味を持つ内容なので、世界地図帳か Google Map を見ながら読むと、楽しさが増す。歴史の本でもあるので、世界史に詳しい人ほど楽しめるだろう。

【構成は?】

 序章 岩
第一部 塩、死体、そしてピリッとしたソースにまつわる議論
 第一章 塩に託されたもの
 第二章 塩、家禽、そしてファラオ
 第三章 タラのように固い塩漬け男
 第四章 塩ふりサラダの日々
 第五章 アドリア海じゅうで塩漬けを
 第六章 二つの港にはさまれたプロシュート
第二部 ニシンのかがやきと征服の香り
 第七章 金曜日の塩
 第八章 北方の夢
 第九章 塩たっぷりの六角形
 第十章 ハプスブルグ家の漬物
 第十一章 リヴァプール発
 第十二章 アメリカの塩戦争
 第十三章 塩と独立
 第十四章 自由、平等、免税
 第十五章 独立の維持
 第十六章 塩をめぐる戦い
 第十七章 赤い塩
第三部 ナトリウムの完璧な融合
 第十八章 ナトリウムの悪評
 第十九章 地質学という神話
 第二十章 沈みゆく地盤
 第二十一章 塩と偉大な魂
 第二十二章 振り返らずに
 第二十三章 自貢最後の塩の日々
 第二十四章 マー、ラーそして毛
 第二十五章 魚より塩をたくさん
 第二十六章 大量の塩、小粒の塩
  謝辞/訳者あとがき

 歴史の本なので、基本的に時系列順に話が進む。素直に最初から読もう。

【感想は?】

 今さらながら、「塩ってのは重要な戦略物資なのだなあ」と思い知った。

 現代の日本に住んでいると、どうも塩のありがたみが分からない。切れたところで、少し歩けば深夜だってコンビニで売ってるし、目的によっちゃ味噌か醤油で代用できる。買う時だって、まず品質なんか気にしない。というか、今の日本人の多くは、塩って真っ白なもんだと思ってる。いつでも簡単に手に入るから、生活必需品って気がしない。

 おまけに、加工食品にも多くの塩が入ってるんで、緊急時の食料として備蓄する必要までなくなってしまった。ところが、昔は冷蔵庫なんかなかったから、食料を長持ちさせようと思ったら、塩漬けにするしかなかった。単なる調味料じゃないのだ。チーズやバターはもちろん、パンを作るのにだって塩は必要だし。

 ってんで、この本、塩と同時に、実はタラやニシンも重要な役割を担う。まずはタラだ。白身に脂が少ないため、塩が浸透しやすく、塩漬けに向いていて効果も大きい。九世紀ごろに大西洋でタラの漁場が見つかった事から、ヴァイキングとバスク人がタラ漁に乗り出し、同時に塩の需要も大幅に増える。ちなみにバスク人、タの前はクジラを捕ってました。

 この辺から、漁場と塩を巡る西欧諸国の複雑怪奇な駆け引きが始まる。当然、魚だけじゃなくてチーズや野菜にも塩を使うわけで、特に料理大国フランスのネタはなかなか愉快だ。例えばシャルル・ドゴール曰く

「チーズが265種類もある国をまとめるのは、至難の業だ」

 愚痴ってるのか、自慢してるのか。やはりドイツとの勘定は複雑で、シュークルート(塩漬けキャベツ、→Wikipedia)と女優サラ・ベルナールのジョークとかは、「ったく、フランス人ってのは」と呆れるやら感心するやら。いやどう見てもザワークラウトだろw

 一般に塩は二つの産地がある。一つは海水、もう一つは岩塩。ローマ人は陶器に入れた海水を煮立て蒸発させ、陶器を割って塩を取り出した。もう一つの岩塩、というか塩鉱山なんだが、こっちから取り出す方法は様々。

 ポーランドのヴィエリチカとボフニアじゃ岩塩をそのまま掘り出してて、数世紀にわたり岩塩を掘り出した鉱山は地下深くに巨大なホールとなる。地下90mに礼拝堂を作り、「塩の結晶でできた精巧なシャンデリアもある」。17世紀初頭からポーランド王は来賓を招き…

坑内の舞踏室で踊り、食堂で食事をし、地下の池で舟に乗った。現在も活動中のヴィエリチカ塩鉱楽団は、坑内の音響効果のすばらしさから1830年に結成されたものだ。

 と、鉱山の中にオーケストラ・ホールまで作ってしまう。
 地中の塩のもう一つの取り出し方は塩井。地下から塩水が染み出してくる。こっちはなんと、紀元前三千年から中国四川で製塩が始まってる。井戸を掘って塩水をくみ出し始めたのは紀元前252年、蜀の太守・李冰(→コトバンク)。地下の岩塩層と石油・天然ガスは関係が深く、ここでも「大爆発が起きて作業員全員が死ぬこともあれば、穴から炎が噴出すこともあった」。ところがヒトってのは逞しいもので…

悪霊が出る穴を見つけると火をつけ、近くに鍋を置いた。それで料理をすることができた。まもなく泥と塩水で竹管を断熱し、その導管を使って目に見えないエネルギーを煮沸小屋に送ることも覚えた。(略)史上初の天然ガス利用だ。

 先の魚に戻る。イギリスは新大陸アメリカに宗主国として大きな影響力を持ち、リヴァプール産の塩で市場の独占を図る。これがやがて独立戦争で重要な懸念となり、また南北戦争でも北軍は南部の製塩所を目の敵にする。

 政治的な話では、塩税と密輸の横行や、ガンジーの「塩の行進」なども出てくる。と同時に、シェフでもあった著者の趣味か、様々なレシピがふんだんに引用されていて、これが実に食欲をそそる。いやさすがにラップランド人の塩入りコーヒーはどうかと思うが。ええ、実際に試して酷い目にあいました、はい。

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2014年1月 3日 (金)

チャールズ・A・リンドバーグ「翼よ、あれがパリの灯だ」恒文社 佐藤亮一訳

「ひとりはひとり、ふたりになると半人前、三人ではゼロになる」

【どんな本?】

 1927年5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場から一機の単発飛行機が飛び立つ。セント・ルイス号、郵便パイロットのチャールズ・リンドバーグが世界初の単独無着陸大西洋横断を賭けて創った、高翼の単葉機だ。

 彼を無謀な挑戦に駆り立てたのは何か。どうやって計画を立て、支援者を募ったのか。なぜ機体に無名のライアン社を選んだのか。リンドバーグとはどんな青年で、どのように育ったのか。そして、飛行中にはどんな困難があり、どうやって克服したのか。1954年ピュリッツアー賞を受賞した、記録文学の傑作であり、飛行機文学の金字塔の全訳版。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Split of St. Louis, by Charles A. Lindbergh, 1953。日本語版は1991年10月20日発行の第1版第1刷。Wikipedia の訳者の項を見ると、1955年に出版共同社、1980年に旺文社文庫から出ているが、いずれも抄訳版で、全訳版は恐らく1991年の恒文社版が最初。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約545頁。8ポイント27字×19行×2段×545頁=約559,170字、400字詰め原稿用紙で約1398枚。そこらの長編小説2~3冊分の大ボリューム。

 翻訳物にしては、日本語は比較的に素直で読みやすい部類。著者がアメリカ人だからか、飛行機乗りの性なのか、表現が素直で明確なのも原因だろう。内容的に引っかかりそうな所は四つ。

  1. 単位系がヤード・ポンド系。だいたい1フィート=30cm、1マイル=1.6km、1ポンド=454g。
  2. 当事の飛行機のしくみと操縦。昔は尾翼や補助翼の角度をヒトが制御して、飛行機の姿勢や方向を変えてたんです。
  3. 航法。大西洋横断はだいたい東に向かって飛べばいいんだが、地球は球面だし機体は風に流される。だもんで、当時は「そもそも洋上で自分がドコにいるのか」すらよーわからん状況だった。
  4. 当事の社会・技術背景。第一次世界大戦後。GPSなんかないし、ラジオや無線機も真空管式で10kgを越える重さ。当然、iPhone なんかありません。

 まあ、この辺は飛行機や冒険物が好きなら覚悟して当たり前の事なんで、そういうのが好きなら、中学生でも充分に読みこなせるだろう。というか、むしろ技術的な細かい部分の書き込みこそ、この本の欠かせない魅力。

【どんな話?】

 第一次世界大戦の戦禍も癒えつつあるアメリカ、セントルイス。合衆国陸軍航空隊の大尉の肩書きを持つ若き郵便パイロット、チャールズ・リンドバーグは職務での飛行中に、ひとつのアイデアを思いつく。「ライト・ベランカ機なら、シカゴを経由せず直接ニューヨークに飛べ…いや、充分にガソリンを積めば、パリにだって飛べるぞ」。

 そして、青年の挑戦が始まった。

【感想は?】

 読み応えは充分。リンドバーグの独特の人物像もさることながら、飛行機文学としての魅力に溢れている。

 やはり、最初に目に付くのは、いかにもアメリカが育てた航空機パイロットらしいリンドバーグの人柄だろう。単独大西洋横断という無茶な計画を思いつく熱情と、それを実現させる冷静な計画性。一見、相反する二つの面が、彼の中では矛盾なく同居している。

 激情に駆られ走り出すわけじゃない。最初に彼の頭に浮かぶのは、「金がない」だ。ま、常識だよね。一応、最初にやり遂げればオーティング賞の賞金2万5千ドルが手に入る。必要な費用は多くて1万5千ドルだから、成功すればモトは取れる計算だけど、それで納得するスポンサーなんか、まずいない。

 ってんで、「どうやってスポンサーを口説くか」が、最初の関門になる。最初に相談したのが、飛行機学校の生徒で保険会社社長のアール・トンプソン。航空機に興味があり、かつセントルイスの実業界に影響力がある人物だ。最初にトンプソンを選ぶ目もいいし、トンプソンに持ちかける話し方も、なかなか気が利いてる。

「私はいま考えている計画について、あなたのご意見を伺いたくてまいりました」

 「あなたのご意見を伺いたくてまいりました」が、上手いなあ、と感心するところ。こう言われて悪い気がする人は、まずいない。もちろん、その後に細かい費用や技術の話が出るんだが、ちゃんとソコも前もって検討してある。残念ながら、最初の話し合いじゃ決まらないけど、ちゃんと興味を持たせる事には成功し、やがて最高・最強の支援組織が出来上がる。

 この支援組織との絆は、オーティング賞の賞金がかかる土壇場の危機で、後援者の一人ハリー・ナイトの見事な啖呵となってリンドバーグの背中を押す。二部構成のこの物語の、前半で最も盛り上がる場面だ。

 こういう思い切りの良さは、サンディエゴの小さな航空機会社ライアン社でも、随所に現れてくる。モノを創る立場として、リンドバーグは理想的な顧客と言っていい。「自分が欲しいモノ」がハッキリ分かっていて、技術にも運用にも詳しい。何より、要求仕様の優先順位が明確で、「何を求め、何を切り捨てるか」の基準をキッチリ示してくれる。

 とにかく航続距離を優先、次にパイロットの安全。だから重くなる燃料計は要らない。でも緊急時の救命ボートは必要。この辺の、現場で多くの事故を目撃・経験したパイロットらしい、絶妙のバランス感覚がうかがえる。

 だからと言って、「全てを一つに賭ける」とはしないのも、リンドバーグの複雑な所。

 私は飛行のための予備を、二つに分けていた。第一を成功のための予備とし、第二を失敗した場合の予備とした。

 と、合理的にモノゴトを進め、箇条書きを好むアメリカ人らしい計画性が、彼の複雑な一面をうかがわせる。

 第二部は飛び立つまで、第二部は大西洋横断飛行の記録に、リンドバーグの半生の回想が重なる。単調になりがちな飛行記録に、回想を混ぜたのは、常套手段ながらも上手い工夫だろう。とまれ、私は飛行記録に熱中して「早く次の場面にならないかなあ」と最初は思っていたんだが。

 とにかく、飛行機の細かい描写が面白くてたまらない。セントルイス号は、大西洋単独横断のため、様々な部分が特別性だ。分かりやすいのが燃料タンクで、機首・左翼・翼中央・右翼・胴体と、五個も積んでる。シビれたのは、軽量化の工夫で、補助翼が短い事と、その影響。こういう記述は、私のような生半可な飛行機好きでも、たまらなく嬉しい。

 改めてセントルイス号を見ると、かなり無茶な形をしている。操縦席の前と上を燃料タンクが塞いで、前も上も全く見えない。これはリンドバーグのアイデアによるもので、ちゃんと彼の設計思想を反映しているのだ。

 実際の飛行記録を読むと、「やっぱし大型機によるチーム飛行の方がいいんじゃね?」と思う場面がしばしば出てくる。アイルランドにたどり着くまでは危機また危機で、それこそ冒険小説の面白さだ。まず最初の恐怖は眠気で、なんと飛行前夜、彼はマスコミに悩まされて全く寝ていない。昔っからマスコミってのはw

 慎重に計画を立てたにも関わらず、随所で霧や雲に入り込み、計器だけを便りに飛び続ける。真っ暗闇の中で、機体の方向すらわからない状態が続く。おまけに、疲労と睡眠不足がもたらす判断力の低下。これを、本人がキチンと把握し、予め手を打ってあるのも凄い。

 最初は「うう、早く次の展開を」とか思ってた回想場面も、アメリカの航空機の黎明期がわかって、次第に面白くなってくる。特に、リンドバーグがジプシー飛行士として国内を飛び回り、ドサ周りで稼ぐ場面は、国土の広いアメリカがしみじみ羨ましくなる。ミシシッピ州で、最初の顧客モースを乗せる場面は、いかにも「古き良きアメリカ」な読みどころ。

 かつて少年向けの抄訳版が出ていたために、「いい子ちゃん向けの教科書的なお話」だと思ってたら、とんでもない。確かに優等生ではあるものの、最終的には孤独を愛する飛行気乗りの複雑な気質や、それを育てた若いアメリカの荒々しい環境、そして設計・整備・操縦にまで通じた当事の飛行気乗りだからこそ書ける、圧倒的なディテールの航空機の描写。飛行機が好きなら、是非とも読んでおこう。

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2014年1月 2日 (木)

マリオ・リヴィオ「黄金比はすべてを美しくするか? 最も謎めいた比率をめぐる数学物語」早川書房 斉藤隆央訳

「理性的な人間は世界に自分を合わせていくが、理性を欠いた人間はあくまでも自分に世界を合わせようとする。だからすべての進歩は、理性を欠いた人間にかかっている」
  ――ジョージ・バーナード・ショー

【どんな本?】

 φ(ファイ)。黄金比。1.6180339887…。点ABCが一つの線分にあるとき、距離AB/距離AC=距離BC/距離ABとなるわけ方。ピラミッドやパルテノン神殿など古代の有名な建築物に隠されているとされ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画やヨハン・セバスティアン・バッハの名曲にも埋め込まれているといわれる。

 人工物ばかりではない。オウムガイの殻、雄羊の角、ヒマワリの種、ハヤブサの飛び方、そして銀河系の渦の形など、自然界の様々な所で黄金比が顔を出す。

 なぜそんな数に意味があるのか。誰が、いつ、何を考えてφを見つけたのか。φの発見は、どんな騒動を巻き起こしたのか。どんな人がφに関わったのか。そして、なぜ黄金比が自然界の様々な現象に表れるのか。

 黄金比をきっかけに、その性質、それに関わった人々、自然界の現象、数学と音楽との関わり、そして数学の歴史などを紹介しながら数学の面白さを解く、一般向けの数学の啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE GOLDEN RATIO, The Story of Phi, the World's Most Astonishing Number, by Mario Livio, 2002。日本語版は2005年12月15日初版発行。私が読んだのは2006年1月31日の再版。今はハヤカワ文庫NFより文庫版が出ている。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約306頁。9ポイント45字×20行×306頁=約275,400字、400字詰め原稿用紙で約689枚。やや長めの長編小説の分量。

 翻訳物の一般向け数学解説書にしては、かなり日本語はこなれている部類。数学の本だけあって、アチコチに数式が出てくるが、必要なのは加減乗除と累乗と平方根ぐらい。しかも、面倒くさかったら読み飛ばしてもいい。

 時おり連分数が出てくるが、ハッキリ言って分かんなくても構わない。「なんか規則正しいな」ぐらいで充分に雰囲気は掴める…というか、重要なのは数学の能力より、「規則正しい数列」に心地よさを感じる感性だろう。義務教育修了程度の数学がわかれば、充分に楽しめるだろう。「数学は得意だ」という人向けには、巻末の付録に歯ごたえのある証明過程が載っている。

【構成は?】

 はじめに
1 φへのプレリュード
2 音程と五芒星形
3 星を示すピラミッドの下に
4 第二の宝
5 気立てのよい息子
6 神聖な比率
7 学者と詩人はどんな思い切ったこともやってよい
8 タイルから天空まで
9 神は数学者なのか?
 訳者あとがき・図版/引用出典/参考文献/付録

【感想は?】

 私が今まで読んだ一般向けの数学の啓蒙書の中では、恐らく最も数式が沢山出てくる。にもかかわらず、読みやすさも最高レベルだし、ユーモアも伝わってくる。これは訳者の腕だろう。著者がアメリカ人なのも関係あるかもしれない。ヨーロッパ系の人のユーモアは、一回りヒネててオチが分かりにくいんだけど、この人のユーモアは素直に伝わってくる。

 数学の歴史も扱ってるだけあって、古代ギリシャから沢山の数学者が出てくる。ユークリッド(→Wikipedia)なんて、現代に生きていたら世界一の大富豪になっていただろう。なんたって、彼が著した「原論」は、世界第二のベストセラーなんだから。にも関わらず謙虚な人らしく、「自分が最初に出したのでない成果については、いっさい名誉にあずかろうとしていない」。ちなみに世界最高のベストセラーは聖書。

 とまれ、私が最も深い印象を受けたのは、レオナルド・フィボナッチ(→Wikipedia)。1・1・2・3・5・8・13・21…と続く、コンピュータ関係の本じゃしょっちゅう出てくる、フィボナッチ数列(→Wikipedia)を考え出した人。前の二つを足すと今の数になる、そーゆー数列です。偉そうに書くと n0+n1=n2 みたいな。

 なんで黄金率の本にフィボナッチ数列が関係あるのか、って疑問はもっともだけど、それは本を読んでもらうとして。印象に残ったのは、ソレとは別の業績。12世紀イタリアの港湾都市ピサで関税・貿易官の息子として生まれた彼は、「位取り」の記法を著書「算盤の書」で紹介する。なんと、最初の7章を「アラビア数字とその用途の説明にあてた」。数字の読み方・書き方だけに、7章も使っているのだ。

 当事のピサは繁盛した港町で、当然ながら商人や役人も沢山いて、数字を扱う人が多かった。当事のピサで使われてたのは、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ…というローマ数字。やってみりゃわかるが、これで計算するのはやたら面倒くさい。

たとえば3786と3842の和を求めようとしたら、MMMDCCLXXⅥ と MMMDCCXLⅢ を足さなければならなくなる。

 いわゆるアラビア数字の記法に慣れた我々は、「こんなの簡単じゃん、なんでそんなのを説明するのに7章もかけるんだ?」と思う。小学校1年生だってスグに覚えられるほど簡単なルールだし。でも当時の人から見たら、位取りってのは、えらくケッタイな仕掛けに思えたんだろうし、一旦覚えちゃったローマ数字の記法から抜け出すには、それぐらい大変な事だったんだろう。

 と同時に、それ以前の人々、例えば先のユークリッドなどは、位取り記法を使わずに数学を扱ってたわけで、それはそれで凄いよなあ、と思ってしまう。「アポロ宇宙船のコンピュータはファミコン未満の性能だった」に似た感動がある。

 なんて小難しい話も面白いが、数学者や物理学者をネタにしたジョークも楽しい。例えば物理学者ポール・ディラック(→Wikipedia)のネタ。二個の電子間に働く電磁力の強さを決める微細構造定数は、ほぼ1/137で、物理学者はその理由で悩んでいた。ジョークは。

天国に着いたディラックに、何か訊きたいことはあるかと神が言った。そこで彼は質問した。
「なぜ1/137なんですか?」

 もしかしたらダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」の42の元ネタは、これかもしれない。

 数字も数式も沢山出てくるけど、ビビっちゃもったいない。ぶっちゃけ、この本を楽しむのに、数式の意味を理解する必要はない。「なんかパターンがあるな」で充分だ。この記事では割愛したけど、音楽や絵画のネタも沢山あって、特に遠近法の部分では美術と数学の意外な関係に気づかされたり。あまり構えず、リラックスして読もう。

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