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2014年1月 6日 (月)

人工知能学会誌2014/1 vol.29 表紙の話 2

 前回は、機能だけを見てきた。今度は別の方向から見ていこう。なんで、Rはあの形をしているのか。

 まず、なぜ人の形をしているのか、という点。これは互換性の問題だろう。ヒトの形をしていれば、ヒトが作った道具を使える。そう、本・箒・スリッパなどだ。機械のために、なんで専用の道具を買わねばならんのだ。R専用掃除機とか買い揃えるのは面倒だ。ソコにあるモノを使ってくれれば、安上がりじゃないか。メーカー純正ってのは、大抵が無駄に高いし。

 仕事の手順にしたって、大抵の仕事はヒトむけに手順を考えられてる。他の形にしたら、また手順を考え直さなきゃいけない。それじゃ面倒くさいではないか。まあ、私は、家事やってる時は、尻尾が欲しいと思う事がよくあるけど。いや尻尾があれば、両手が塞がってても扉を開け閉めできるでしょ。

 話が逸れた。家事は、家の中でする。というか、ヒトがやる仕事は、たいてい「ヒトがいると仮定した環境」で行なわれる。とすると、ヒトの仕事を肩代わりするモノは、ヒトと似たような姿形の方が、移動しやすい。ヒトより大きかったり小さかったりすると、移動に支障をきたす。

 という事で、人型の方が、色々と便利だ。だから、Rは人の形をしている。

 人型でも、大きく分けて二つの方向性がある。メカメカしく一発で機械と分かる形にするか、なるたけヒトに似せるか。例えば、スターウォーズのC-3POや、漫画コブラに出てくるクリスタルボーイみたいな形だったら、どうだろう?

 実は、機能だけ考えると、ツンツルテンのメカメカしい形の方が便利だったりする。これは家庭電化製品でもそうなんだけど、なるたけ簡単な格好の方が、安全で汚れにくく使いやすい。トンガってる所があると、刺さる危険がある。窪みがあると、ゴミが溜まって汚れやすいし、故障の原因になりやすい。出っ張ってると、折れるかもしれない。なるたけノッペリした形の方が、壊れにくく汚れにくく保守しやすい。特に髪の毛なんて最悪で、汚れを落とすのがどれほど大変な事か。そう考えると、C-3POよりクリスタルボーイの方が、より機能的だ。顔も鼻や口がなくて真ん丸なボール型なら、もっといい。

 ただ、ノッペリした機械が、家の中をウロチョロするのって、ヒトの側からすると、どうなんだろう。

 ヒトの形をしたモノだと、やっぱりヒトは擬人化して見てしまう。例えメカっぽくても、裸でウロチョロされたら、やっぱり落ち着かない。結局、何か服を着せるんじゃなかろか。じゃ、どんなのを着せる? 汚い作業着? 汚い作業着を着たロボットに家の中をウロチョロして欲しい? できれば、清潔な服を着て欲しくなるでしょ、やっぱり。

 で、服を着せるとなると、ソレナリに人間っぽい形の方が、使う人にウケるんじゃないだろうか。結局は、人間そっくりな方が、市場を制覇するって気がする。それも、不細工ではない顔形のデザインで。掃除できるぐらい賢いなら、自分のボディも自分で入浴して保守できるだろうし。

 実は、機能的にも、人間ソックリにする利点があるのだ。それは、表情をつけられる事。

 今だって、コンピュータは、使ってるヒトに向けて様々なメッセージを発してる。私がキーを打てば、打ったキーが何かをモニタに映す。マウスを動かせば、モニタ上のマウス・カーソルも動く。「当たり前じゃないか」と思うかもしれない。でも、コンピュータの中では、いちいち「字を描け」とか「マウス・カーソルを動かせ」とかの命令が走ってる。そうやって、ヒトに向けて「あなたは今キーを打ちました」「あなたは今マウスを動かしました」と、メッセージを送っているのだ。

 今のお馬鹿なコンピュータでさえ、頻繁にヒトとメッセージを交換しているのである。もっと進歩したら、もっと多くのメッセージを交換するだろう。

 ところで、ヒトは情報の多くを視覚から得ている。特に表情には敏感で、ちょっと眉を動かしたり、唇の端を上げ下げするだけでも、多くの情報を受け取るように出来ている。社会的な動物として進化してくる過程で、他のヒトの感情を読み取る能力が、生き残るために重要な要素だったのだ。

 そんなヒトの特性に合わせるには、やっぱり表情でメッセージを伝えられると、都合がいい。より少ないアクション、すなわちより少ないエネルギーと時間で、より多くのメッセージを伝えられる。そして、表情でメッセージを伝えるなら、なるたけヒトに似ている方が都合がいい。

 となれば、後は「どんな人に似せるか」だ。つまりは「女性型か青年型か」みたいな話になってしまう。現実には、様々な型が売り出されて、評判のいい形に収束していくんだろうけど。

 たぶん、まずは男女両方の型が出るだろう。いずれも、若い人に見えるデザインだと思う。年配者に見えると、ちょっと頼りなさげに見えて、力仕事は任せる気になれない。若くて体力がある、そんな雰囲気が欲しい。では、男女のどっちがいいか。実はこれ、ビンボな男って私の立場で考えると、男型の方が維持費が安くあがる。

 なぜか。簡単な話だ。Rには衣装を着せる。そして、一般に服は女物より男物の方が安い。ついでに言うと、私がR(みたいな製品)を買うなら、背格好が私に似た製品がいい。それなら、私のお古を着せれば衣装代が要らないし、私の代わりに服の買い物ができる。そのかわり、あましスタイルのいい製品は望めないが orz

 とか考えると、一般には持ち主と同性の製品を選ぶ傾向が強いんじゃないか、と思う。なら、Rの持ち主は女性だろう。それも、恐らく年配の女性だ。

 あの絵は、未来を描いている。にも関わらず、箒や紙の本がある。電子ブックが普及しつつある現在、紙の本を持つ人は、今後あまり増えないだろう。紙にしがみつくのは、紙の本で育った人たちだ。つまり、Rの持ち主は、紙の本が主流だった時代の人だろう。フレーム問題に解決の糸口が見つからない現状を考えると、掃除ができるロボットが実現するのは、かなり先の話になる。そういう時代背景を考えると、持ち主は年配者の可能性が高い。

 とすると、Rは、介護機能も持っているのかもしれない。今も介護用のパワードスーツの研究がされているし、むしろ持っていると考えるべきだろう。

 まあいい。そんな風に、ヒトそっくりに作る利点もあるのはわかった。でも、私ならアホ毛をつけるけどね。いやコレにはちゃんと意味があって。

 ヒトの形をしているからといって、それぞれの部品にヒトと同じ機能を持たせる必要はない。ヒトにとって目はモノを見る器官、すなわち視覚センサーだけど、機械がそうである必要はない。というか、ヒトの目ってのは、工業デザイン的に、あましいい配置じゃない。改善の余地がある。

 可視光線のセンサーとしては、なるたけ上にあった方がいい。その方が視野が広くなり、遠くまで見渡せる。そういう点じゃ今のヒトの目はいい位置につけてるけど、大きな問題がある。前に二つだけなんで、後ろが見えない。

 が、ヒト型で、後ろに目をつけたら、気味が悪い。そこでアホ毛だ。ニョッキリ2~3本のアホ毛を立てて、忙しく動かす。そうすれば、高い位置から全周囲360度が見渡せる。いやもしかしたら、先に最悪と言った髪の毛、実は全部がセンサーかも知れない。光センサー・音センサー・温度センサー・湿度センサー・風センサーなど。髪が長いのは、そのためかも。なら、男性型より女性型の方が都合がいい。

 じゃ、なんで前に目が必要なのか。あれは、視覚センサーではない。ヒトに表情を伝えるための道具なのだ。今のコンピュータでいえば、モニタの機能の一部を担う部品である。ヒトが勝手に「目だ」と思っている、それだけの話だ。実のところ、壊れても機能に大きな影響はない。そう、目に見えるからといって、視覚器官とは限らないのだ。

 それでも、形がヒトに似ていると、ヒトはそれをヒトに見立ててしまう。擬人化バイアスとでも言うか。そして、そんなヒトの傾向もまた、人工知能研究の重要なテーマになる。今回の論戦も、それを見越した学会の陰謀かもしれない…きっと考えすぎだけど。

 とか書いてきたが、実際のイラストレーターの意図は、もっと単純だろうと思う。リニューアルの趣旨から考えて、なるべく親しみやすい雰囲気にしたい。ならメカメカしいのより、人間っぽい方がいい。男か女かなら、女性型の方が柔らかい印象を与える。じゃ女性型にしよう、そんなところだろう。

 その上で。Rが持っている箒と本は、人工知能研究が抱えている大きな問題、つまりフレーム問題と機械学習を示していると感じる。というか、第一印象で、そう思い込んでしまった。人工知能って文脈で見ると、そうとしか思えない。

 まあ、とりあえず、「どんな形のロボットが消費者にウケるか」を考えるのは、なかなか楽しかった。現実には、どうなるんだろう? まず当たり障りのないメカメカしい形から始まり、次第にヒトに似てくると思うんだけど。

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