藤原稜三「格闘技の歴史」ベースボールマガジン社
(古代エジプトの)格闘技関係の出土品の中で、最も古い史料とされているのは、サッカーラのブィジェル・プタ・ホテップ(前2300年頃)の墓から出土した「六組の少年レスリング画」と呼ばれる石灰岩のレリーフで、拳闘画の方は、第二中間期(ヒクソス王朝)以前のものは出土していない。
【どんな本?】
空手・柔道・ボクシング・レスリングなどの格闘技は、いつ・どこで・どのように生まれ、どう変化し、どう受け継がれてきたのか。どんな地域で、どんな環境で発達し、どんな時に廃れるのか。歴史上の偉大な格闘家は、どんな人がいたのか。現存している様々な格闘技や流派は、いつ・誰が・どのように編み出したのか。
古代文明のレリーフや古文書を基礎にしながら、当事の軍事・政治勢力や文化・制度・技術など時代背景に配慮しつつ、綿密な調査と広範な史料を元に、誠実な姿勢で描く歴史研究書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1990年3月30日第1版第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約723頁。9ポイント49字×19行×723頁=約673,113字、400字詰め原稿用紙で約1683枚だが、写真やイラストを豊富に収録しているので、文字の量は9割ぐらいか。それでも長編小説なら3冊分の力作。
やや古風な言い回しの多い文章だが、それが逆に心地よいリズムを生み出していて、意外と読みやすい。内要は極めて真面目で、充分な資料が得られぬ所では素直に「わからない」と書いている。素人目にはこれが煮え切らないとも感じるが、研究書としては誠実な姿勢だろう。
内容的には、背景となる歴史事情に多くの筆を費やしているので、古代史・西洋史・東洋史・中国史など世界史に詳しい人ほど楽しめる。もちろん、格闘技の技術的な変転の話もあるので、格闘技、それも主に空手などの全身を使う打撃系に詳しい人ほど、深く味わえる。
【構成は?】
序にかえて スポーツと格闘技 闘争の起源と拳闘技 《欧亜編》 古代メソポタミア地方の拳闘技 ミノア時代の格闘技 古代エジプトの格闘技 古代ギリシア人の拳闘物語 古代オリンピックの格闘技 レスリングとパンクラチオンの由来と技法 ヘレニズム期とローマ人の格闘競技 西方地域の格闘技 インド人の格闘技 ヨーロッパの格闘技 |
《中国編》 古代中国の手博と角抵 戦国策と武経七書の周辺 五胡十六国時代の格闘技 南北朝時代と達磨の入来 禅の思想と格闘技 随唐時代と五代十国期の格闘技 中国の異技と禁術 宋の建国と趙家拳 南宋政権と岳門拳 元朝期の禅林と格闘技 明朝の成立と塩徒と倭寇 清朝と拳匪の乱 |
《日本編》 日本古代の武技 武芸十八般の種目と思想 異人と武術 素手格闘家の始原 古代拳法の流派考 格闘術の流派と流祖 近代空手と道と琉球唐手術 幕府武講所と大日本武徳会 終章・攻防の真髄 参考文献一覧 東西格闘技年表 |
量的には大雑把に欧亜編1:中国編2:日本編3ぐらいの分量。単に地理的に分けただけではなく、実はちゃんと内容的にも連続しているので、できれば最初から読むほうがいい。特に日本編は中国編との関係が深いので、素直に頭から読もう。なお、日本編は、ほとんど空手の話が中心。
【感想は?】
書名は「格闘技の歴史」だが、実質的には「ユーラシアの歴史」ぐらいの壮大な内容だ。
さすがに世界全般を扱うのではなく、例えば南北アメリカ大陸は出てこないし、アフリカもサハラ以南は割愛している。いくら700頁以上にわたるとはいえ、古代メソポタミアから話が始まるので、そこまで手を広げては収集がつかないんだろう。
ということで、話のあらすじとしては、古代メソポタミア→古代エジプト→古代ギリシア→ローマ→中央アジアの騎馬民族→中国→琉球→日本の空手みたいな形で展開してゆく。と書くと「空手のルーツはメソポタミア」なんて短絡されそうだが、もちろんそんな単純な話ではない。
著者は格闘技を大きく二つの系統に分けている。空手やボクシングなどの打撃系と、レスリングや相撲などの「組む」ものだ。全般的に、この本は打撃系が中心で、特に中国編・日本編は拳法が中心となる。とまれ、現代でも総合格闘技なんてのが出てきてるように、昔も似たような話はあったりする。
キチンと記録に残っているのは、かの有名なギリシアの古代オリンピック。最初は前708年の18回大会にレスリング、ボクシングは前688年の23回大会から始まる。と、最初は分かれていた両者、前648年の33回大会で統合したパンクラチオンが登場している。この時の優勝者はシュラクサイ人のリュグダミス。
著者はローマが嫌いなようで、ローマ時代の競技会は悪し様に罵っている。それまで市民の嗜みだった格闘技が、ローマに入ると見世物になり、選手も職業選手に独占されるようになった、と。とまれ、職業として成立したお陰で、選手の組合や訓練所ができて、ローマの支配下となった地域にも広がり、ローマのサンボやモンゴル相撲へと影響を与えてゆく。
歴史上の偉人も実は格闘技の達人だった、みたいな話がアチコチに出てくるのも面白い。哲学者のプラトンはイストモス大会のレスリング競技会に出場してるし、西遊記の玄奘も「六尺余の大男で、拳法の名手だったともいう」。そもそも僧が持つ杖も自衛用の武器だったとか。でないと、物騒な西域を越えて旅なんかできないって。どころか。
インドの格闘技に関しては、仏教経典の中にも、拳法や相撲の存在を示す事実が述べられており、仏祖の釈尊自身が、拳法の名手だったことはほとんど疑う余地がないのである。
ときた。おまけに中国の少林寺も、達磨が祖といわれてたり。この説に著者は「いやもっと古いんじゃね」と異論を呈してるけど。
この辺の中国編は、ほとんど「駆け足で語る中国の歴史」になっちゃってるのが凄い。つまりは背景となる社会情勢や軍事技術から語り起こす姿勢なので、どうしても歴史の話が必要なんだけど、なにせ中国の歴史は莫大な上に、戦争ばっかししてるし。いや戦争中って、あんまし素手の格闘は重視されず、弓や槍を使う「戦闘技術」に重点が移るから。この戦闘技術の分析も、鏃の形を巡る鋭い視点などがあって興味深いところ。
とまれ、ここはギボンの「ローマ帝国衰亡史」と対比させると、実にパターンがよく似てる。つまりは中央政権が成熟してゆくと、周辺の騎馬民族の侵入に悩む。やがて弱体化した帝国は騎馬民族に蹂躙されるが、定住を始めた騎馬民族は都市化して、かつての野生を失い…ってなパターン。
私は「史記」を読んで「秦って、地域的にも西域に近いし、もしかして…」と思ってたんだが、著者も同じ疑念を持ってるらしく。
戦国時代の覇者となった「秦」や「趙」なども、その二~三代前は、遊牧騎馬民族からの転向組だったのではないかと思う。
とかあって、嬉しくなる。そんなわけで、中国の格闘技も、西域からの僧や「匈奴・突厥・商胡などによって、継続的に持ち込まれ」たと考えている模様。ここで格闘技の専門家らしい分析が鋭い。足技は遊牧民族より、手技は海洋民族より発達した、と。これは生活形態や使う道具によるもの。つまり槍や剣を持たぬ物が、手近な得物で戦うのが格闘技だ、というわけ。
中国編も元の席巻を経て倭寇が暴れ出すあたりから、日本もボチボチ出てきて、これが日本編への布石となり…
と、「格闘技の歴史」というより、「格闘技を通してみるユーラシアの歴史」みたいな、壮大な視点の本だった。格闘技好きはもちろん、歴史好きにもかなり濃厚な話が沢山出てくるし、戦闘技術や軍組織のネタも多くて軍ヲタにも美味しいエピソードが一杯ある。また日本編では琉球が重要な役割を果たすので、沖縄の人も楽しめると思う。大作だけあって、色とりどりの面白さが詰まった本だ。
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