アラン・ワイズマン「人類が消えた世界」ハヤカワ文庫NF 鬼澤忍訳
「考古学の対象はぴかぴかの財宝ではありません――その背景にあるコンテクストなのです。わたしたちもそうしたコンテクストの一部です。焼き畑をしている発掘作業員も、マラリアに罹っている彼らの子供もコンテクストです。私たちは古代文明の研究にきていますが、結局は現在について学ぶことになるのです」
――考古学者アーサー・デマレスト
【どんな本?】
遠い未来を舞台にしたSF漫画・SF映画などでは、ニューヨークなどの都市の廃墟が描かれる事がある。海や湖から、窓が割れ崩れかけたビルがニョッキリと突き出している光景は、どの程度、科学的に妥当性なのだろう。アスファルトに覆われた都市は、砂漠になるのだろうか。「自由の女神」やブルックリン橋などの人工物は、どうなるのだろう。そして、そこには、どんな生物が闊歩するのだろうか。犬や猫などのペットは、生きていけるのだろうか。
ビルや橋などの建造物の弱点や、都市を支える知られざるインフラ、人間が作り出しているプラスチックなどの廃棄物、農地や山林に代表される「人工的な自然」環境、ゾウや蚊が環境に及ぼす影響など、土木・工学・化学・生物学と多彩な専門家のインタビューを交えながら、人類が消えた世界がどうなるかを描くと共に、現代社会がどのように支えられているか、環境にどんな影響を与えているかを描く、一般向けの科学啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The World Without Us, by Alan Weisman, 2007。日本語版は2008年5月に早川書房から単行本で刊行、2009年7月15日にハヤカワ文庫NFから文庫版で発行。縦一段組みで本文約454頁+訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×454頁=約335,052字、400字詰め原稿用紙で約838枚。長編小説なら長め。
文章は翻訳物の科学解説書としては比較的にこなれている部類だが、一般読者向けとしては少し硬いかも。数式や分子式も出てこないので、あまり高度な前提知識は要らない。元素表を見た事があれば充分(中身は思えてなくても構わんです)なので、中学生程度の理科の素養があれば読みこなせるだろう。ひっかかりそうなのは、次の三点ぐらい。
- トネリコ・ヌー・ウォーターバックなど、動植物の名前が頻繁に出てくる。読み飛ばしてもいいが、気になる人は動物図鑑や植物図鑑を見ながら読むか、Wikipedia などで調べながら読む羽目になり、なかなか進まない。
- 地名もたくさん出てくる。マンハッタンやブルックリン橋はともかく、サンブル砂漠やパルミア環礁など、マニアックな地名も、気になる人は(以下略)
- 酸性・アルカリ性をあらわす pH(→Wikipedia)。7が中性で、それより小さいのが酸性、大きいのがアルカリ性って程度で充分。
【構成は?】
サルの考案 第1部 1 エデンの園の残り香 2 崩壊する家 3 人類が消えた街 4 人類誕生直前の世界 5 消えた珍獣たち 6 アフリカのパラドクス 第2部 7 崩れゆくもの 8 持ちこたえるもの 9 プラスチックは永遠なり 10 世界最大の石油化学工業地帯 11 農地が消えた世界 |
第3部 12 古代と現代の世界七不思議がたどる運命 13 戦争のない世界 14 人類が消えた世界の鳥たち 15 放射能を帯びた遺産 16 大地に刻まれた歴史 第4部 17 私たちはこれからどこに行くのか? 18 時を超える芸術 19 海のゆりかご 私たちの地球、私たちの魂 訳者あとがき |
基本的に各章は独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。
【感想は?】
これは発想の勝利。野次馬根性で読んでも面白いし、皮肉な現実を示すエピソードも多い。
例えば、映画「猿の惑星」だと、「ココが地球である」由を示すために、自由の女神を使っている。では、本当に自由の女神は、数百年も崩れずに今の姿を留められるんだろうか。
まず驚いたのは、「3 人類が消えた街」。ニューヨークの意外な素顔が明らかになる。なんと、常時水を汲みださないと、「おそらくはニューヨーク・シティの大部分も水没してしまうだろう」。パオロ・バチガルピの「第六ポンプ」は、かなり現実のニューヨークを反映した作品だったのだ。すんません、ナメてましたバチガルピさん。
ってな感じに、まず納得するのは、「現在の文明社会は不断のメンテナンスが必要だ」、という点。SFにありがちな設定で、無人の街に独り取り残される、みたいな話があるけど、なぜか水道や電気は生きてたりする。あれ、かなり違和感があったんだよね。だって取水場や発電所・変電所で働いてる人だっているんだし。
と思ったら、ちゃんと発電所も出てきた。しかも、原子力発電所。モデルはアリゾナ州フェニックス、パロヴェルデ原子力発電所。「職員の数は2000人に上るばかりか、(略)独自の警察と消防署まである」。デリケートなシステムを管理する彼らが消えたら…
という所で、チェルノブイリに場面を移すあたりが憎い。なんと、「ヨーロッパ有数のバードウォッチング・エリアとなっている」。人がこなくなって、野生の王国になり希少種も姿を見せている、と。まあ影響はあったらしく、「色素欠乏による白い羽が点々とあるツバメのヒナが多数生まれた」「ハタネズミは短命になったが性的成熟と出産も早くなった」。希少なヨーロッパ・バイソンを連れ戻す計画まであるってんだから、災い転じてなんとやら。
人為的な原因で無人の地となった例は、他にも出てくる。キプロスだ。いずれも戦争により非武装地帯となり、人間が消えた土地。キプロスはギリシャ系 vs トルコ系の戦いで、興味深いことに、ホテルが立ち並ぶリゾート地ヴォロシャが無人の地となった。ここでは、鉄筋コンクリートのホテルが、どうやって朽ちてゆくかが描かれる。シクラメンのなんと逞しいことよ。
やはり無人の地となっているのが、朝鮮半島の38度線。こっちは「打ち捨てられた水田に。地雷がびっしりと埋められている」とあるから、元は農地。両軍の兵が互いに迫撃砲を構え睨みあい、大型スピーカーでやかましく宣伝合戦を繰り広げる一方で、貴重なタンチョウが繁殖している。
だもんで、生物学者のE・O・ウィルソン曰く「いっそ両国共有の自然公園にしてして観光収入を分けあえばいんじゃね?」。でも逞しい開発業者が、分譲地にしようと手ぐすねひいてます。政治的な影響力を考えると、終戦を実現させるとしたら、不動産会社の方が可能性は高そう。一触即発のタンチョウの天国と、平和な分譲地、どっちがいいんだろ。
環境への影響という点で怖いのが、プラスチック。寒暖の差や紫外線などで劣化はするものの、物質そのものは分解されない。岩が風化などで砂になる要領で、どんどん細かくなってゆく。「小さくなればなるほど、より大きな問題を引き起こすことに気づいたのです」と語る海洋学者のリチャード・トンプソン。動物がプラスチック片を飲み込むと便秘になる。なら、動物プランクトンがプラスチックの粉を飲み込んだら?
などの真面目な話の他に、終盤で出てくるヘンな人たちも面白い。100万年壊れない棺桶を造るウィルバート葬儀社、人類が破滅する確率を計算するニック・ボストロム、VHEMT(自発的な人類絶滅運動)の創設者レス・ナイト、仮想空間に精神をアップロードしようとするトランスヒューマニスト。その自由で奔放な発想は、いかにもアメリカらしい。
日本に住んでいるなら、春や夏に読むといいだろう。アスファルトを破ってタンポポがニョッキリと顔を出す季節。庭の手入れに苦労している人なら、植物の旺盛な生命力を嫌というほど実感しているはず。本書が描く都市が侵食されてゆく様子が、体で感じられると思う。
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