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2013年12月の16件の記事

2013年12月31日 (火)

人工知能学会誌2014/1 vol.29 表紙の話

 少しプ人工知能について知っているつもりの者が、この表紙を見て、どんなメッセージを受け取るか、という話。

 私はSFが好きなので、人工知能関係のトピックを少し知っている。ちゃんとした人工知能の学術的な基盤は持ってないのだけど、研究者や技術者があの絵を見でどんなメッセージをを受け取るか、半ば妄想で書いてみた。もし研究してる方から「それは違う」みたいな突っ込みがあれば、是非お願いします。

 とりあえず、箒と本を持ってるロボットらしきモノを、Rと呼ぼう。

 Rは箒と本を持っている。どうもこれは不自然だ。掃除をしているのか、本を読んでいるのか、判然としない。で、私は、この不自然さを、「メッセージを伝えるための意図的なもの」と受け取った。描き手は、ソコにメッセージがあると伝えるために、わざとヘンな絵を描いているのだ。そのメッセージは、Rが持っているモノ、箒と紙の本が表している。私はそこに、三つのメッセージを見出した。

 まずは、互換性

 私のパソコンは、LPレコードが読めない。CDは読めるけど。お陰で Mediterranea の Ecce Rock(→Youtube)はお預け状態だ…LPしか出ていないので。頑張ってエアチェックしたカセットも読めない。貴重なジェフ・ベックの歌声だって入ってるのに。いやあの人は歌わないほうがカッコいんだけど。

 今のコンピュータは、過去のモノと互換性がない。最近はBDもCDも読めるドライブが多いけど、それ以前のアナログな媒体を切り捨てた所に成立してる。

 でも、Rは箒と本を持ち、使っている。過去の道具と、上手いこと互換性を維持している。掃除機ではなく、箒ってのも嬉しい。かなり古い道具とも互換性が取れる事を示している。腰のプラグが何なのかよくわからないが、仮に電源などのエネルギーなら、エネルギー供給の問題を解決すれば、インフラが整っていない発展途上国でも活躍できるって事だ。

 そして「紙の本」。今は電子ブックが流行りつつあるけど、私の蔵書は大半が紙の本だ。「自炊」って手もあるけど、今の自炊はいったん本をバラさなきゃいけない。Rは本を「読んで」いる。壊さなくて済むのだ。そもそも、本を壊してスキャナにセットするとか、なんでヒトサマがやらにゃならんのか。「自炊しとけ」と命じたら、勝手にやってくれてもいいじゃないか。ヒトの手間を減らしてこそ、コンピュータではないのか。コンピュータに本を読ませるのに、なんだって大切な蔵書を壊さにゃならんのか。納得いかん。

 という不満を、Rは見事に解決している。「読んどけ」と命じるだけでいい。なんと便利なことか。

 次に、学習能力。人工知能研究の言葉で言えば、機械学習(→Wikipedia)だ。

 今は、コンピュータに仕事をさせたければ、プログラムを組まにゃならん。まあ一旦作ったプログラムは何度でも使えるけど、別の仕事をさせたければ、別のプログラムが必要になる。実に鬱陶しい。なんで HTML だの CSS だの JavaScript だの、新しいモノが出てくる度に覚えにゃならんのか。んなもん、コンピュータが自動でやればいいじゃないか。

 で、本だ。Rは、本を読んでいる。今は、新しい状況が出てくる度に、ヒトがコンピュータに教えなきゃならない。でも、Rは、自分で勝手に本を読んで覚える。手に入る情報ツールを活用し、自動的に賢くなる。たとえその情報ツールが、デジタル化されていない古いメディアであろうとも。ラッキー。

 最後に、掃除だ。

 今のコンピュータは、チェスの世界王者にだって勝てる。寿司だって握れるし、航空機の操縦もできる。大型ジェット旅客機の巡航中はほとんど自動操縦だし、スペースシャトルなんか、パイロットの仕事は、例えば帰還の際は「着陸用の脚を出すボタンを押す」だけで、大半はコンピュータが操縦している。なんか、とっても賢そうだけど。

 ずっと昔は、家事なんか簡単な仕事で、すぐに自動化できると思われていた。例えば1956年発表のロバート・A・ハインラインのSF小説「夏への扉」には、「文化女中器」なんてのが出てくる。

 でも、現実には違った。自動化できるのは、高度に専門化された仕事ばっかりだ。チェスだったり、航空機パイロットだったり、コンパイラやインタプリンタだったり(昔はjヒトが機械語でプログラムを作ってたんです)。

 なんでか。研究者が家事を馬鹿にしてるから? うんにゃ。市場は、家事=家庭電化製品の方が、桁違いに大きい。研究者も企業も、できれば家事を代行する機械を作りたい。じゃ、なんで作らないのか。答えは簡単。作れないから。出来ないから。家事を担える機械を作るには、学術的にも技術的にも、凄まじく難しい問題を山ほど解かなきゃいけないから。

 ホンダの ASIMO よりずっと前から、大型旅客機の操縦は自動化されてた。でも、話題は ASIMO の方が大きい。単に二本の足で歩く、それだけの事なのに。ヒトにとっては、歩くなんて簡単で、飛ぶ方が遥かに難しい。でも機械にとっては逆だ。飛ぶのは簡単だけど、歩くのは難しい。ヒトの「簡単」と、機械の「簡単」は、全く違う。

 掃除には、どんな問題があるか。ありすぎて困るんだけど、例えば、ゴミとゴミでないものを区別するって問題を考えよう。どうやって区別する? 床に落ちてる紙は、ゴミかもしれない。でも、実は大事なメモかもしれない。というか、「コレは何か」を、その前に判断しなきゃいけない。

 カメラには、なんか白いモノが写った。ソレは紙かもしれないし、床の模様かもしれない。ハンカチかもしれない。紙とハンカチは、どうやって区別する? 区別するには、「ハンカチ」って概念を持ってなきゃいけない。では、Rに掃除をさせる前に、あなたの部屋の中にあるモノを、全てRに教え込むのか? 何かを買ったり借りたりしたら、イチイチRに「コレはゴミではない」と釘を刺さねばならんのか。 

 ヒトは、パッと見れば、ソレが何なのか判断がつく。でも、機械にソレをやらせるのは、とても難しい。ヒトは見ただけで、ソレが硬いか柔らかいか判断できる。でも、なぜ判断できるんだろう? モノを持つときも、ソレが重いか軽いか、大体のアタリをつけられる。なぜ分かるんだろう? どういう基準で判断しているんだろう? ヒトは、犬のぬいぐるみと犬の違いもわかし、扱い方も変える。なぜ分かるんだろう?

 そういうのって、一見コマゴマとした問題に思えるけど。実は根底に、「ヒトは世界をどうやって認識してるんだろう」という、とんでもなく大掛かりな問題が潜んでいる。この辺は、恐らく1960年代あたりから認識されてきて、今でも人工知能の研究者の鼻先に突きつけられている。フレーム問題(→Wikipedia)が、その一つだ。半世紀たったにも関わらず、今でも解決できていない。

 専門的な仕事が自動化しやすい理由の一つは、フレーム問題を回避できているからだ。チェスが強い DeepBlue なら、駒の配置だけを考えればいい。対戦相手の服装や、部屋の照明などは無視できる、というか無視している。専門的な仕事ってのは、無視していい事柄が沢山あって、考えなきゃいけない事柄は、とても狭い範囲に収まる。

 でも、家事はそうじゃない。ゴミか否かを判断するには、結局のところ、ヒトの価値観を理解しなきゃいけない。モノの価値の判断基準のひとつは市場価値だけど、例えば私の記念写真の市場価値なんてゼロだろう。でも私には大切なモノなのだ。カレンダーも難しい。今年のカレンダーは12月31日までは役に立つけど、年を越したらゴミになる。モノの価値は、状況によって常に変わっていく。ソレを、どうやってプログラミングするのか。というか、個々のモノについて、いちいちプログラミングなんかやってられない。

 解の一つが、先の学習能力だ。Rが自動で本を読んで、勝手に勉強して賢くなればいい。または、自分でモノを触り動かして、モノの見た目と重さ・硬さの関係を、体験を通じて覚えてくれればいい。

 そう、もう一つ、スリッパも重要な意味がある。あそこでスリッパを履いてるなら、他の所では靴を履いてるかもしれない。恐らく、状況を自動的に判断して、適切な行動パターンを選んでいるんだろう。ヒトなら自然にやってる事なんだけど、これを機械にやらせるとなると、一気に開発の手間が数倍に増える。「場合の数」が爆発的に増えていくのだ。

 と、まあ、そんな山ほどある難問を、綺麗に解決した向うにある風景が、あの表紙だ。別の言い方をすると、あの表紙は、現在のコンピュータや人工知能研究が抱えている、様々な問題を鮮やかに表現している。そういう点では、読者に問題を突きつける、かなり厳しい表紙なのかもしれない。

 とまれ、こんな事を書いても、私の汚部屋は綺麗にならないわけで。さて、どこから手をつけたものやら。

 次回に続きます。

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2013年12月28日 (土)

SFマガジン2014年2月号

あまりおもしろいものばかり摂取していると、知らないうちにその作家に対する期待値が上がってしまうものなのだ。
  ――若島正「乱視読者の小説千一夜」きみはカーペンターを知らない

 280頁の標準サイズ。特集は二本。ひとつは日本作家特集で、扇智史「ナスターシャの遍歴」,オキシタケヒコ「亡霊と天使のビート」,松永天馬「自撮者たち」,森田季節「カケルの世界」。もうひとつは「エンダーのゲーム」映画化記念小特集でご本家オーソン・スコット・カードによるエンダー・シリーズの短編「かわいい子」,堺三保「エンダーとその世界」,編集部による年表,ギャヴィン・フッド監督インタビュウ。それとは別に、季節柄かクリスマスに因んだ短編小説「ウィンター・ツリーを登る汽車」アイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック。

 扇智史「ナスターシャの遍歴」。この街に住んで30年以上になる繭子は、散歩に出かける。いつものように、彼女に寄り添うのは姪の春那。なにかと気遣ってくれるのだが、どこか保護者気取りな所も見える。その日、繭子は懐かしい人に出遭った。ナスターシャだ。幼い頃、いつも一緒に遊んでいた。
 繭子を気遣いながらも、どこかよそよそしい春那。長く同じ街に住んでいながら、妙に街に馴染んでいない繭子。そして、日常風景に突然の乱入者ナスターシャ。彼女の語る「お話」は、何かを暗示しているようで…

 オキシタケヒコ「亡霊と天使のビート」。武佐音研シリーズ第二弾。依頼人は、四十代の夫妻。古い洋館の子供部屋に、なんと幽霊が出るのだという。その部屋で眠る九歳の少年は夜な夜なうなされ、やせ細ってゆく。そこで確かに聞こえる死者の囀りは、なぜか全く録音できない。不在の所長に変わり対応した、武佐音研きっての常識人・鏑島カリンが出動し…
 音に関する問題なら何でもござれの武佐音研が、鮮やかに問題を解決するシリーズ第二弾。オーディオや楽器が好きな人なら、随喜の涙とヨダレをタレ流す悶絶の一編。お話の中核をなすネタもさる事ながら、今回は私が大好きなアイルランドのネタまで入ってるんだからたまらない。ケルト音楽と若い女性が好きな人は、この動画をご覧あれ→Youtube
  「ヴァイオリンは歌うが、フィドルは踊るんだ」が心地いい。

 松永天馬「自撮者たち」。地下八百階で72億人収容のJST劇場で、わたしと舞舞子は殺影会を行なう。女の子が一対一で戦うゲームだ。わたしたちがいつも持ち歩くアイポンは、単なる情報端末だけでなく、アプリをインストールすれば兵器にだってなる。
 相変わらずエキセントリックで軽薄で悪趣味なシーンや言葉を次から次へと繰り出し、エスカレートするパパラッチや炎上Tweetを揶揄しながら、斜め上の解釈でイれた世界を語ってゆく。かと思えば「創作」に関する面白い視点や、過激な炎上対策もあったり。

 森田季節「カケルの世界」。八方美人で、波風立てずに生きてきた翔(かける)。特に好きなものもなく、周りに合わせてやってきた翔を、色々と引っ張ってくれたのが、親友の春奈。中学から五年、お互いにフォローしあってやってきた。来週からの実力テストを前に愚痴をこぼす春奈に、フォローする翔。けど、その日、春奈は…
 紙面を見れば分かるように、上下二段で別々の話が進む。かんべむさしが「決戦・日本シリーズ」で使った手法だ。女子高生の学園生活を描く話かと思ったら、ナニやらデムパなネタが出てきて「うわ怪しい」といぶかり、最後まで読むと、もっと怪しい物語だった。大変な問題作だと思うんだが、下手に感想を書くとネタバレになるんで、もどかしい。ぐぬぬ。

 アイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック「ウィンター・ツリーを登る汽車」。クリスマス・イブの夜。エルフが鏡から抜け出し、おとなを皆殺しにして、成り代わった。そして朝。最初に起きたのは七歳のローランドだ。大きくそびえるクリスマス・ツリーを見上げ、そのなかを走る汽車に驚いた。
 エルフといっても、「ホビットの冒険」に出てくる温和な連中とは一味違う。アッチなら、むしろゴブリンに近い凶悪で残忍で狡知に長けた連中だ。衝撃的な開幕と、おとぎ話のように不思議と冒険に満ちた中盤を過ぎて辿りつくのは…。

 オーソン・スコット・カード「かわいい子」。父のアマーロは弁護士で、我が国スペインを誇りに思っていた。快活で弁が立ち、家にはいつも友人が沢山集まってきた。息子のボニートが二歳になる前にIF(国際艦隊)がテストをした際は、ボニートを奪われまいとしながらも、IFの目に止まったボニートを勲章に感じていた。
 聡明で早熟な子供ボニートの目を通して見る、家庭内の人間関係が鮮やかな一編。幼いながらも天才というボニートの特質を見事に活かし、少ない人生経験と知識から、鋭い推理力で家族の関係や父母の気持ちを悟ってゆくボニートが、切ないやら恐ろしいやら。こういう、親密ながらも緊張した人間関係を描くカードの筆が冴え渡る作品。SFかと言われると首をひねるけど、小説としては熟練の技が堪能できる作品。

 若島正「乱視読者の小説千一夜」きみはカーペンターを知らない。古本屋を漁って掘り出し物を見つけては喜んでる者にとって、電子書籍がどんな意味を持つかというと…。うん、まあ、アレです。欲しい本がスグに手に入るのはいいけど、掘り出し物を探すトレジャー・ハンター的な喜びもあるわけで。絶版直後に諦めていたキース・ロバーツの「パヴァーヌ」を定価以下で発掘した時は、わが目を疑ったなあ。いや今は復刊してるけど、パヴァーヌ。名作だよ~。

 岡和田晃と大野万紀による、上田早夕里「真紅の碑文」レビュー。著者が「シリーズの長編はこれで終わり」としているのに対し、二人とも「なら中編と短編はあるんだよね」とプレッシャーをかけてるのが楽しい。

 大森望「新SF観光局」日本ファンタジーノベル大賞の二十五年。「企画段階では、おそらく“子供に夢を与えるファンタジー”をイメージしていたのだろうが」って、その基準なら「星虫」でしょ、なんで「後宮小説」なんだw まあ作品の面白さじゃ後宮小説は無視できないインパクトを持っていたわけで、受賞作が賞の方向性を決めるという、なかなか楽しい経過だったなあ。人気作家を続出した、貴重な賞でありました、はい。

 大野典宏「サイバーカルチャートレンド」白金の指輪は日本だとモバイル通信の品質になるという話。噂のプラチナバンドの解説なんだが、いきなりエアコンの話で大笑い。
 「この製品にマイナスイオンってあるんですけど、これって何ですか?」
 「さあ? そんな回路を入れた覚えはないんですけど…」

 次回は久しぶりの吉富昭仁「ニュートラルハーツ」第2回に期待。

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2013年12月26日 (木)

藤原稜三「格闘技の歴史」ベースボールマガジン社

(古代エジプトの)格闘技関係の出土品の中で、最も古い史料とされているのは、サッカーラのブィジェル・プタ・ホテップ(前2300年頃)の墓から出土した「六組の少年ネスリング画」と呼ばれる石灰岩のレリーフで、拳闘画の方は、第二中間期(ヒクソス王朝)以前のものは出土していない。

【どんな本?】

 空手・柔道・ボクシング・レスリングなどの格闘技は、いつ・どこで・どのように生まれ、どう変化し、どう受け継がれてきたのか。どんな地域で、どんな環境で発達し、どんな時に廃れるのか。歴史上の偉大な格闘家は、どんな人がいたのか。現存している様々な格闘技や流派は、いつ・誰が・どのように編み出したのか。

 古代文明のレリーフや古文書を基礎にしながら、当事の軍事・政治勢力や文化・制度・技術など時代背景に配慮しつつ、綿密な調査と広範な史料を元に、誠実な姿勢で描く歴史研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1990年3月30日第1版第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約723頁。9ポイント49字×19行×723頁=約673,113字、400字詰め原稿用紙で約1683枚だが、写真やイラストを豊富に収録しているので、文字の量は9割ぐらいか。それでも長編小説なら3冊分の力作。

 やや古風な言い回しの多い文章だが、それが逆に心地よいリズムを生み出していて、意外と読みやすい。内要は極めて真面目で、充分な資料が得られぬ所では素直に「わからない」と書いている。素人目にはこれが煮え切らないとも感じるが、研究書としては誠実な姿勢だろう。

 内容的には、背景となる歴史事情に多くの筆を費やしているので、古代史・西洋史・東洋史・中国史など世界史に詳しい人ほど楽しめる。もちろん、格闘技の技術的な変転の話もあるので、格闘技、それも主に空手などの全身を使う打撃系に詳しい人ほど、深く味わえる。

【構成は?】

 序にかえて スポーツと格闘技
 闘争の起源と拳闘技

 《欧亜編
古代メソポタミア地方の拳闘技
ミノア時代の格闘技
古代エジプトの格闘技
古代ギリシア人の拳闘物語
古代オリンピックの格闘技
レスリングとパンクラチオンの由来と技法
ヘレニズム期とローマ人の格闘競技
西方地域の格闘技
インド人の格闘技
ヨーロッパの格闘技
 《中国編
古代中国の手博と角抵
戦国策と武経七書の周辺
五胡十六国時代の格闘技
南北朝時代と達磨の入来
禅の思想と格闘技
随唐時代と五代十国期の格闘技
中国の異技と禁術
宋の建国と趙家拳
南宋政権と岳門拳
元朝期の禅林と格闘技
明朝の成立と塩徒と倭寇
清朝と拳匪の乱
 《日本編
日本古代の武技
武芸十八般の種目と思想
異人と武術
素手格闘家の始原
古代拳法の流派考
格闘術の流派と流祖
近代空手と道と琉球唐手術
幕府武講所と大日本武徳会
終章・攻防の真髄

 参考文献一覧
 東西格闘技年表

 量的には大雑把に欧亜編1:中国編2:日本編3ぐらいの分量。単に地理的に分けただけではなく、実はちゃんと内容的にも連続しているので、できれば最初から読むほうがいい。特に日本編は中国編との関係が深いので、素直に頭から読もう。なお、日本編は、ほとんど空手の話が中心。

【感想は?】

 書名は「格闘技の歴史」だが、実質的には「ユーラシアの歴史」ぐらいの壮大な内容だ。

 さすがに世界全般を扱うのではなく、例えば南北アメリカ大陸は出てこないし、アフリカもサハラ以南は割愛している。いくら700頁以上にわたるとはいえ、古代メソポタミアから話が始まるので、そこまで手を広げては収集がつかないんだろう。

 ということで、話のわらすじとしては、古代メソポタミア→古代エジプト→古代ギリシア→ローマ→中央アジアの騎馬民族→中国→琉球→日本の空手みたいな形で展開してゆく。と書くと「空手のルーツはメソポタミア」なんて短絡されそうだが、もちろんそんな単純な話ではない。

 著者は格闘技を大きく二つの系統に分けている。空手やボクシングなどの打撃系と、レスリングや相撲などの「組む」ものだ。全般的に、この本は打撃系が中心で、特に中国編・日本編は拳法が中心となる。とまれ、現代でも総合格闘技なんてのが出てきてるように、昔も似たような話はあったりする。

 キチンと記録に残っているのは、かの有名なギリシアの古代オリンピック。最初は前708年の18回大会にレスリング、ボクシングは前688年の23回大会から始まる。と、最初は分かれていた両者、前648年の33回大会で統合したパンクラチオンが登場している。この時の優勝者はシュラクサイ人のリュグダミス。

 著者はローマが嫌いなようで、ローマ時代の競技会は悪し様に罵っている。それまで市民の嗜みだった格闘技が、ローマに入ると見世物になり、選手も職業選手に独占されるようになった、と。とまれ、職業として成立したお陰で、選手のk見合いや訓練所ができて、ローマの支配下となった地域にも広がり、ローマのサンボやモンゴル相撲へと影響を与えてゆく。

 歴史上の偉人も実は格闘技の達人だった、みたいな話がアチコチに出てくるのも面白い。哲学者のプラトンはイストモス大会のレスリング競技会に出場してるし、西遊記の玄奘も「六尺余の大男で、拳法の名手だったともいう」。そもそも僧が持つ杖も自衛用の武器だったとか。でないと、物騒な西域を越えて旅なんかできないって。どころか。

インドの格闘技に関しては、仏教経典の中にも、拳法や相撲の存在を示す事実が述べられており、仏祖の釈尊自身が、拳法の名手だったことはほとんど疑う余地がないのである。

 ときた。おまけに中国の少林寺も、達磨が祖といわれてたり。この説に著者は「いやもっと古いんじゃね」と異論を呈してるけど。

 この辺の中国編は、ほとんど「駆け足で語る中国の歴史」になっちゃってるのが凄い。つまりは背景となる社会情勢や軍事技術から語り起こす姿勢なので、どうしても歴史の話が必要なんだけど、なにせ中国の歴史は莫大な上に、戦争ばっかししてるし。いや戦争中って、あんまし素手の格闘は重視されず、弓や槍を使う「戦闘技術」に重点が移るから。この戦闘技術の分析も、鏃の形を巡る鋭い視点などがあって興味深いところ。

 とまれ、ここはギボンの「ローマ帝国衰亡史」と対比させると、実にパターンがよく似てる。つまりは中央政権が成熟してゆくと、周辺の騎馬民族の侵入に悩む。やがて弱体化した帝国は騎馬民族に蹂躙されるが、定住を始めた騎馬民族は都市化して、かつての野生を失い…ってなパターン。

 私は「史記」を読んで「秦って、地域的にも西域に近いし、もしかして…」と思ってたんだが、著者も同じ疑念を持ってるらしく。

戦国時代の覇者となった「秦」や「趙」なども、その二~三代前は、遊牧騎馬民族からの転向組だったのではないかと思う。

 とかあって、嬉しくなる。そんなわけで、中国の格闘技も、西域からの僧や「匈奴・突厥・商胡などによって、継続的に持ち込まれ」たと考えている模様。ここで格闘技の専門家らしい分析が鋭い。足技は遊牧民族より、手技は海洋民族より発達した、と。これは生活形態や使う道具によるもの。つまり槍や剣を持たぬ物が、手近な得物で戦うのが格闘技だ、というわけ。

 中国編も元の席巻を経て倭寇が暴れ出すあたりから、日本もボチボチ出てきて、これが日本編への布石となり…

 と、「格闘技の歴史」というより、「格闘技を通してみるユーラシアの歴史」みたいな、壮大な視点の本だった。格闘技好きはもちろん、歴史好きにもかなり濃厚な話が沢山出てくるし、戦闘技術や軍組織のネタも多くて軍ヲタにも美味しいエピソードが一杯ある。また日本編では琉球が重要な役割を果たすので、沖縄の人も楽しめると思う。大作だけあって、色とりどりの面白さが詰まった本だ。

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2013年12月25日 (水)

流行歌に疎い俺が南アフリカのポップミュージックを紹介するぜ

 先に紹介したSF小説ローレン・ビュークス「ズー・シティ」は、南アフリカ、特にヨハネスブルグの現代のポップ・ミュージック・シーンが重要な要素になってる。「どんなんだろ?」と思って Youtube を漁り、SKYROOMLIVE(→サイト、勝手に動画再生が始まるので注意)を見つけた。

 南アフリカのトップ・ミュージシャンを高層ビルの屋上のスタジオに招き、ライブ演奏する企画らしい。Youtube の SKYROOMLIVE チャンネルとかを見ながら、見かけたミュージシャンを紹介する。

 全般的にやはりヒップホップの勢いがあって、半分ぐらいはラップかも。面白いのは、いわゆる打ち込みの人もいるけど、強靭なリズムを叩き出す生バンドをバックにする人もいること。HHPとか。それ以外は、やはり黒人音楽をベースにした感じの音が多い…と言えばわかったような気になるが、これが実にバラエティ豊かで、フュージョンっぽいジャズや都会的なソウルに、現地のリズムや旋律が混じってて、ソウルよりのAORというか、そんな雰囲気がある。

 かと思うと、白人のオッサンがべらんめえ調の発音でロシアン・フォークっぽい歌やってたり、やっぱり白人アンチャンがガレージ・ロックみたいのやってたり。ただ、ヘヴィ・メタルやプログレ風ロックが見当たらないのが、大きな特徴かも。ディープなブルースも見ないな。あと、6弦ベースがやたらと多い。流行ってるのかな?

 とはいえ、私は最近のオリコンもビルボードもチャートに載ってる歌手を全く知らない野暮天なんで、かなりピント外れなことを書くと思う。特にテクノやヒップホップは疎いんで、タップリ眉に唾つけてご覧下さい。

目次

HHP
AFROTRACTION
TEARGAS
TOKOLLO
ZULUBOY
MONEOA
MAPAPUTSI
REASON IN LA
MI CASA
Notshi

BRIAN TEMBA
ZAKWE
NADINE
ZUBZ
ELVIS BLUE
DOZI
SOL PHENDUKA
BRENDA MTAMBO
JR
JACK PAROW

DEEPA TRYBZ
HASH ONE
NANCY G
PU2MA
SAI AND RIBATONE
NOTHENDE
ARNO CARSTENS
SHORTSTRAW
CRASHCARBURN
ZWAI BALA

VAN COKE KARTEL
AKING
MAX-HOBA
BUSISWA
ISHMAEL
SES SNARE
PESTROY
JOZI
ISABEL NOVELLA
CASH TIME FAM

【HHP】

 ダミ声の黒人ヒップホップ・シンガー。けっこうオジサン。意外な事に音はかつてのスティーヴ・ガッドがやってたスタッフに似た、都会的で洗練された雰囲気がする。ドラム・パーカッション・ベース・ギター・キーボード・DJの6人組。特にギターがコーネル・デュプリーみたいでクール。

【AFROTRACTION】

 キーボード弾きながら歌う黒人のオッサン。スタイリスティックスみたいなソフトでエロい歌声。バックはドラム・ベース・サックス・コーラスの四人組で、都会的なソウル・ミュージック。

【TEARGAS】

 黒人男性の典型的なラップ・グループ。3人のシンガーとキーボードとDJ、音はスカだったりテクノだったり。観客は黒人男性ばかり。

【TOKOLLO】

 黒人男性3人組のラップ。バックはDJ1人、何やってんのかわかんないのが一人←をいw 音はファンクっぽいテクノ。

【ZULUBOY】

 坊主頭の黒人男性ラッパー。バックはヅラム・ベース・ギターにコーラス、打ち込みも使ってる。いきなり生ギターでのスカな、なかなか斬新な試み。歌こそラップだけど、音は正統派のソウルを感じるなあ。

【MONEOA】

 黒人女性シンガー。ポール・サイモンの「グレイスランド」の元ネタを思わせる、軽やかなリズムと力強いコーラス。バンドはドラム・ベース・ギター・サックス・キーボードにコーラス三人。歌い方はソウルっぽいが、力強さより繊細さを感じさせる。

【MAPAPUTSI】

 黒人男性ラッパー。いきなりギターだけのバックで始まる。かと思ったら、2曲目からSJが入りシンガーも3人になった。野太い声に後ノリのスカっぽいリズム。打ち込みっぽいデジタル音は私のようなオッサンには辛いが、、ミュート効かせたギターはイカす。

【REASON IN LA】

 黒人男性ラッパー。声は若いなあ。バックはDJ二人。かなりの早口でまくしたてる。音はテクノっぽい。

【MI CASA】

 スケベったらしい顎鬚の白人シンガーと坊主頭の黒人トランペット&キーボードの三人組で、バックはみんな黒人。オサレなシティAORっぽい。

【Notshi】

 野球帽被った黒人のアンチャン。音はリズム隊を中心としたシンプルで正統派?のラップ。ただし歌は現地の言語なので何言ってるのかサッパリわからんw

【BRIAN TEMBA】

 坊主頭の黒人シンガー。由緒正しい黒人男性シンガーの鍛えたソウルフルな歌声。本人が語るマービン・ゲイより、やや優等生っぽい綺麗な発声だと思う。音は一昔のフュージョンっぽいのに、335使ってるギターがディストーション効かしてるのが面白い。

【ZAKWE】

 坊主頭に野球帽被ったガタイのいい黒人ラッパー。MCは英語だけど、歌は現地の言葉らしく、何言ってるのかサッパリわからんw ドラム・パーカッション・ベース・キーボードとリズム重視でシンプルなカルテット編成のくせに、出す音はスカや小洒落たバラード風シティ・ポップもある。

【NADINE】

 爽やかで聞きやすいカントリー調ロックの白人女性ポップス・シンガー。テイラー・スウィフトを思い浮かべてくれればいい。MCはアフリカーンスなのか、訛りなのか。バックはドラム・ベース・キーボード・ギター×2とナイト・レンジャーに同じで、みんな白人。ギターの一人が黒のテレキャスターなのがいい感じ。さすがにブリッジはストラト用に変えてるけど。

【ZUBZ】

 不精ヒゲで野球帽被った黒人男性ラッパー。バックはやる気なさげな白人男性DJが操るテクノ,白人男性のギター,白人女性コーラス。音は今風のテクノ、なのかな?すんません、最近の音楽はようわからんです。

【ELVIS BLUE】

 育ちよさげな白人男性フォーク・シンガー。バックはドラム・ベース・ギター・サックス・キーボードの4人。ちょっとブライアン・アダムスを思わせる、飾り気を排したストレートな音と歌が持ち味。

【DOZI】

 白人のおっさんフォーク・シンガー。ロシアによくいそうな雰囲気の巻き舌の歌い方。言葉はアフリカーンスなのかな?バックはドラム・ベース・ギターの三人とシンプルな編成。いきなりスライド・ギターで始まるのが心地良い。「タイコはプロのキックボクサーだ」って、ホンマかいなw

【SOL PHENDUKA】

  ドラム・ベース・トランペット・キーボードとDJ。DJのオッサンがSOL PHENDUKAなのかな?ナベサダみたいなクールで都会的なジャズをバックに、たぶんゲストのシンガーがソウルフルな歌声を聞かせる。珍しくインスト重視なのが嬉しい。アフリカっぽいリズムを入れてるあたりじゃ、むしろプログレっぽい香りがしたり。

【BRENDA MTAMBO】

 ジャズに民族音楽を取り入れた感じかな?シンガーのオバサンが BRENDA MTAMBO だと思う。発声法や節回しに、少し日本の民謡に似た部分がある。低音部じゃ凄みのある声が、高音部では芯のある伸びた声になって、かなり鍛えられた喉だと思う。バックはドラム・ベース・ギター・キーボードにコーラスガール3人。

【JR】

  黒人の男性ラップ。バックはキーボード2人とDJ。歌い方はヒップホップなのに、バックの音はバラードっぽいシンセだったり、サンプリングしたスカだったり。

【JACK PAROW】

 フードの下にやたらひさしの長い帽子を被る、ケッタイなファッションで登場する口ひげの白人男性ラッパー。バンドはドラム・ベース・ギター・DJ。歌はラップだけど、音は正統派のロックンロール。

【DEEPA TRYBZ】

 鍛えられた、だが爽やかな声の黒人男性シンガー。キーボードを弾きながら歌う姿は、スティービー・ワンダーを連想させるが、キーボードはラテンっぽくてグレッグ・ローリーを思わせる。バックはパーカッション・ベース・DJ。

【HASH ONE】

 男性黒人3人のラップ・グループ。バックはドラム・ベース・ギター・キーボード・DJ。リー・リトナーやパット・メセニーを思わせるオサレなAORをベースした音なのに、なぜか歌はラップ。特にギターは相当にブルースをやり込んでる感じ。

【NANCY G】

 ドラム・ベース・ギターのシンプルな編成をバックに歌う、黒人女性シンガー。スザンヌ・ヴェガやインディゴ・ガールズを後ノリにしてロック寄りにした感じ。シングルコイルの乾いた音をストレートに活かした、飾り気のないギターが心地いい。

【PU2MA】

 黒人女性シンガー。ソウルフルに歌い上げる感じの都会的なジャズだけど、発声など微妙に民族音楽が混じってる。バックはドラム・パーカッション・ベース・サックス・キーボード・ギターに、黒人男性コーラス2名。

【SAI AND RIBATONE】

 黒人男性二人組み。SAI が DJ でキーボード&ボーカルが RIBATONE。この動画ではゲストにサックスが一人。ジャンルはハウスなのかな?でも音は都会的なジャズ。RIBATONE の声は柔らかく優しげでソウルフル。

【NOTHENDE】

 黒人女性シンガー。正統派のジャズ・ソウルっぽい鍛えた声に、微妙な民族音楽っぽいリズムが混じる。バックはドラム・ベース・ギター・キーボードに加え、男性1名と女性1名のコーラス。ジョージ・ベンソンみたいな柔らかく弾けるギターがいい。

【ARNO CARSTENS】

 白人のオッサン・バンド。音は正統的なフォーク・ロック。ボブ・シーガとかブルース・スプリングスティーンとか、そーゆー感じ。バックはドラム・ベース・フィドル兼キーボード・ギター×2。

【SHORTSTRAW】

 アイドルっぽい白人男性バンド。ドラム・ベース・ギター・キーボードにシンガー。The Knack や初期のビートルズみたいな親しみやすいメロディーにリズム。最も特徴的なのはコーラス。決して巧くはないが、リバプール・サウンドの教科書的な使い方で、効果的に曲を盛り上げている。

【CRASHCARBURN】

 白人男性4人のロックンロール・バンド。ドラム・ベース・ギター×2のシンプルな編成。グランジ以前のパワーポップというか。でもベースは、明らかにシド・ヴィシャスを意識してるよなあ。肌の色艶は随分と健康的だけどw

【ZWAI BALA】

 黒人男性シンガー。ドラム・パーカッション・ベース・ギター・キーボードとリズムを重視した編成にコーラス3人。編成でわかるように、ラテン系の強力なリズムに、ソウルフルながらシッカリした基礎を感じさせる、しなやかで太い声だ。

【VAN COKE KARTEL】

 白人のオッサンのロックンロール・バンド。ドラム・ベース・ギター×2のベーシックな編成。音はパンクっぽいけど、黒のストラトのギタリストのソロはヘビメタっぽい。31:40~のマイケル・センベロのマニアックとか、懐かしいw

【AKING】

 白人のロックンロール・シンガー。歌い方も発音もブルース・スプリングスティーンの強い影響…つか、そのまんま。このなりきりっぷりは、ある意味、潔さすら感じさせる。バックはドラム・ベース・ギター・キーボード。

【MAX-HOBA】

 黒人男性シンガー。スタンダードなジャズ・ソウル系の音に、ラテンと地元の音楽を混ぜた音に、やや低いながらもジェントリーで基礎ができてる歌い方。ドラム・パーカッション・ベース・キーボード×2にコーラス。バスドラムやフロアタムなど低音を強調した手数の多いドラムが、すんげえ俺好み。

【BUSISWA】

 黒人女性シンガー×2+黒人男性シンガーの三人組。バックはドラム・キーボード・DJとシンプルな編成。ダンサブルで少し民族音楽なリズムにポップでファンキーな歌声とスカスカの電子音の組合わせ。やたら繰り返しが多いのはトランスって言うのかな?

【ISHMAEL】

 黒人男性シンガー。バックはDJとパーカッションという異色の編成。曲調はディスコ調の歌謡曲に現地の素材を混ぜ、テクノとヒップホップで味付けした感じで、オジサンにも聞きやすいけど、ちょっとバックの音が薄いかな。お客さんも若い人が多いみたい。スケベったらしい音と、ラフで飾り気のない清潔感漂う服装のギャップが不思議。

【SES SNARE】

 白人のオッサン6人の生ギター&コーラス・バンド。曲はカントリー&ブルース&フォーク調に南欧の香りが入ってる。四本弦の生ベースギターなんて面白い楽器もある。

【PESTROY】

 白人男性5人組のデスメタル・バンド。ドラム・ベース・ギター×2+シンガー。

【JOZI】

 黒人男性二人のラップ・グループ。バックはドラムとベースとDJ。音楽的にはスカなのかな?やっぱり生のドラムがあるとリズムが生き生きしてくるなあ。

【ISABEL NOVELLA】

 黒人女性シンガー。バックはドラム・ベース・ギター・パーカッション・キーボード。現地の音楽とジャズの混ざった上品な音。高音部の澄んだ綺麗な声が素敵。七色の声を駆使したベースとのかけあいが聴き所。顔立ちも綺麗でスタイルがいい上に音も上品だし、来日したら人気が出そう。

【CASH TIME FAM】

 黒人男性2人+DJのラップ・グループ。シンプルでチープなバック、明るい曲調、落ち着きがなく微妙に不器用な動作など、手探りで自分たちの音を追及してるように見える。

 以上、アメリカとも日本とも様子が違う、南アフリカのポップ・ミュージック・シーンの紹介でした。

更新履歴

2013.12.25 初版
2014.02.18 目次を追加
2014.04.08 追加:BRENDA MTAMBO~CASH TIME FAM

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2013年12月22日 (日)

ローレン・ビュークス「ズー・シティ」ハヤカワ文庫SF 和爾桃子訳

 帰宅途中、電子レンジのポップコーンばりに自動小銃の鈍い炸裂音が響いたので、他の賢明な歩行者群にまじって、もよりのパリセーズ・ショッピングアーケードへあたふた非難した。

【どんな本?】

 南アフリカ共和国ヨハネスブルグ出身の著者による、近未来(または現実とは少しだけ違う世界)のヨハネスブルグを舞台とに、探し物を生業とする元ジャーナリストの前科者の女ジンジ・ディッセンバーが、不法移民と犯罪者が渦巻く都市を徘徊するハードボイルド・ミステリ。2011年アーサー・C・クラーク賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ZOO CITY, by Lauren Beukes, 2010。日本語版は2013年6月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約431頁+訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×431頁=約318,078字、400字詰め原稿用紙で約796枚。長編小説としてはやや長め。

 小説としては、かなり読みにくい。原文がそっけない文体なのか、文章や描写の流れがブツブツ切れてる感じがあって、どうも乗り切れない。台詞も地の文もハードボイルド調で、もってまわったスカした悪態交じりの表現が多く、意味を掴むのに苦労する。カタカナのブランド名や固有名詞が頻繁に出て来るんだが、なにせ舞台が南アフリカなので、どうにもピンとこない。

 といった文章ばかりでなく、内容的にも、背景事情が現代の南アフリカの社会・国際状況を色濃く反映している。かつてのアパルトヘイトやホームランドなど、南アフリカだけでも充分に複雑な上に、他国からの難民や不法移民も多く登場し、彼らの背景が重要な伏線であり、サハラ以南のアフリカの国内・国債情勢の知識も必要となる。南アフリカについては訳者あとがきが役に立つが、中央アフリカの情勢も終盤になって重要な意味を持ってくる。

 ハヤカワ文庫SFには珍しく、カバー裏に登場人物一覧があるのは嬉しい心遣い。日本人には馴染みのない南アフリカ人の姓名なので、これがなければ物語はほとんど理解できないだろう。

【どんな話?】

 南アフリカ共和国の大都市ヨハネスブルグ。治安は崩壊し、アパートなどの警護は民間警備会社が請け負っている。元ジャーナリストの女ジンジ・ディッセンバーは、特技を活かした失せ物探しの仕事をしながら、民間警備員のブノワ・ボカンガと、動物連れの街ズー・シティで同棲している。

 凶悪犯罪者には、何かの動物が付きまとう。ジンジはナマケモノ、ブノワはマングース。そして、一つだけ特殊能力が与えられる。ラデツキー夫人に捜索を依頼されていた指輪を届けに出かけたジンジ。だが、彼女の家の周囲には警察と救急車が集まっていた。夫人が殺されたのだ。

【感想は?】

 SFを期待しないように。「動物連れ」や特殊能力などの、ちょっと変わった仕掛けはあるが、物語の筋にはあまり影響しない。せいぜい、「動物連れは一目で前科者とわかる」ってぐらい。その為に世間じゃ元犯罪者は色眼鏡で見られるので、ジンジも色々と苦労するんだが。

 むしろ、現代のヨハネスブルグを舞台としたハードボイルド・ノワールと思った方がいい。とまれ、この舞台が一筋縄じゃいかない。南アフリカの国内事情は解説を読んでもらうとして、もう一つ、この作品には大事な背景がある。

 コンゴ・ウガンダ・ルワンダ・フルンジなどアフリカ中央部は戦乱続きで、大量の難民が出ている。日本じゃあまり印象の良くない南アフリカ共和国だが、サハラ以南のアフリカじゃかなりマシなので、各国の難民が南アフリカに押し寄せ、または不法移民として住み着いちゃっている。祖国じゃ仕事どころじゃないが、とりあえずヨハネスブルグなら食っていけそうだし。

 なにせ祖国は酷い有様で。この辺はルワンダ虐殺(→Wikipedia)や神の抵抗軍(→Wikipedia)をご覧いただきたい。子供を攫い暴力と薬物で兵士に仕立て上げ、故郷の村を襲わせて帰る家を失わせるのだ。詳しくは松本仁一の「カラシニコフ」あたりを読んで欲しい。

 とまれ、ヨハネスブルグに流れ着いた彼らは、しおれてるわけじゃない。とりあえず食ってかにゃならんので、手段を選ばず生き延びる。詐欺・窃盗・暴力が渦巻くヨハネスブルグのダウンタウン、犯罪者が住み着くズー・シティことヒルブロウ地区のデンジャラスな空気が、この作品の大きな特徴。一部で有名な「ヨハネスブルグのガイドライン」のコピペを思い浮かべていただきたい(→ニコニコ大百科)。この記事の冒頭の引用のように、全編がそんな雰囲気だ。

 手段を選ばないのは主人公のジンジも同じで、本業?の失せ物探しの他に、かなりアレな副業も請け負ってる。本場はナイジェリアだと思ったが、困っている人も多いはず(ちょっとだけネタバレ、→Wikipedia)。日本じゃ、これ(→はてなキーワード)が有名だね。なんというか、典型的な才能の無駄遣い。私は「ママさんバレー」が傑作だと思うw

 さて、肝心のお話は。探偵役のジンジが、ラデツキー夫人の依頼をきっかけに、大掛かりな事件に巻き込まれる、というもの。ダシール・ハメットの「マルタの鷹」やレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」みたく、陰謀に巻き込まれた探偵が大暴れする、ハードボイルド・ミステリの典型的なパターン。

 ただし、主人公のジンジが、とてもじゃないがサム・スペードやフィリップ・マーロウみたいにカッコつけてる余裕がないのが、大きな違い。そりゃもう、経済的にも社会的にも精神的にも。ケッタイな副業が示すように、探偵役としての矜持すら持たず、はっきり言ってあまし感情移入できない人物だ。この辺が、小説としては読んでいて辛いところ。

 むしろ、魅力を感じるのは、荒みきったヨハネスブルグの街そのものだろう。実のところ「動物連れ」ってギミックはSFというよりファンタジイで、ぶっちゃけお話作りの都合としか思えないんだが、ビジュアルな効果は大きい。ビルの窓は割れエレベータは壊れ、道にはゴミがアチコチに散らばり物騒な輩がタムロしてる。しかも、ナマケモノやマングースを抱えて。もうね、これぞ南アフリカだ、って風景だろう。

 そんな現代的にデンジャラスな風景に、終盤になるとアフリカならではの影が大きくさしてくる。「現代的な顔をしてるけど、一皮剥けばこんなもんよ」ってな著者のメッセージが…あるのかなあ。

 中盤以降は、現代アフリカのポップ・ミュージック・シーンにフォーカスがあたる。ポール・サイモンのグレイスランドなんて分かりやすいシロモノじゃなく、ヒップホップやテクノやグランジも混じって、ワケわからん状況になってるっぽい。今ちょっと検索してみたら、実在のミュージシャンも混じってる模様。Youtube で見つけたのを貼っとく。→HHP、→HoneyB、→SPOEK MATHAMBO

  おぢさんは「アル・スチュアート株式会社」に「おや?」となったけど、多分偶然だろうなあ。古い上に傾向が違いすぎるし(→Youtube)。つかテレキャスター・シンラインなんか持ってたのか。

 あ、そうそう、参考資料としちゃ、これを貼っとかないと。スティーヴ・ビコ(→Wikipedia)

追記:

 先の HHP を暫く聞いてて気づいた。今までヒップホップって苦手だったけど、この人のバック・バンド、意外と腕っこきが揃ってるわ。最初は6弦ベースのオバチャンに思わず注目しちゃったが、赤いストラトのギターも業師だし、ドラムも盛り上がった時のリズムがやたら気持ちいい。歌は何言ってるのかサッパリわかんないけどw

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2013年12月20日 (金)

Windows用:バックアップを取ってエディタを起動するVBScript

 ちょっとした文章を書くとき、KeEditor(K2 Software's Page) を使っている。高機能なのに軽快なのが嬉しい。おまけに HTML や JavaScript などの構造化テキストにも対応してて、便利極まりない。

 その K2Editor で、しょっちゅう弄ってるテキスト・ファイルがある。メモ用の文書で、仮に名前を memo.txt としよう。ほとんと毎日、何行か追加して別の行を削除している。間違って重要な行を削除して保存しちゃったら困るんで、できれば memo.txt を開いたら、自動でバックアップを取って欲しい。

 たぶん K2Editor の設定かマクロでも出来ると思う。機能が豊富なヴァージョン管理システムもあるけど、私が欲しいのはそこまで大袈裟なシロモノじゃないし、何より K2Editor の優れた魅力である「軽快さ」が失われてしまう。

 など色々あって、結局は Windows の VBScript で作った。なんたって初めて作った VBScript だ。ブログのネタにもなるし、恥を晒してみる。せいぜい笑ってください。

【何をするのか】

  • テキスト・ファイル(仮に memo.txt)を Drag&Drop して起動する。
  • memo.txt を、デスクトップの backup フォルダにバックアップする。
  • テキスト・エディタ(今回は K2Editor)を起動して、memo.txt を開く。

 副作用:デスクトップにフォルダ backup がない場合は、勝手に backup を作る。

【動作環境】

 以下の環境で作り、動作確認した。

  • OS:Windows 7 Home Premium / Service Pack 1
  • K2Editor:r。1.5.9 Build 522

【必要な物】

  • Windows7 およびソレが動くパソコン
  • テキスト・エディタ:Windows 付属の「メモ帳」でもイケます、ちょっと弄る必要があるけど

【インストール】

  1. テキスト・エディタを起動する。
  2. 次に示すソース・プログラムをコピー&ペーストする。
  3. 拡張子 .vbs で保存する。仮にここでは、k2.vbs としよう。
  4. テキスト・エディタを終了する。

以上です。

【ソース・プログラム】

' 2013.12.14 make backup file and kick K2Editor
' Drag&Dropしたファイルやショートカットを、
' デスクトップのbackupフォルダにコピーしエディタ(K2E.exe)を起動する
Option Explicit
Dim WSH, FSYS, iName, oName, oFolder
Const backUpFolder = "backup"                    ' バックアップ先のフォルダ名
Const editor = """C:\Program Files (x86)\k2e\K2E.exe""" ' K2Editorを使うとき
'Const editor = "C:/WINDOWS/system32/notepad.exe"        ' notepadを使うとき

Set WSH = WScript.CreateObject("Wscript.shell")
' ダブルクリックで起動したら使い方を表示して終わる
if WScript.Arguments.length <= 0 then
    Call MsgBox( "Drag&DropしたファイルをバックアップしてK2Eを起動します" )
    WScript.Quit
end if

Set FSYS = WScript.CreateObject("Scripting.FileSystemObject")
iName = getTarget( WScript.Arguments.Item(0) ) 'ショートカットなら実体に変換
' バックアップ先のフォルダがなければ作る
oFolder = "C:\Users\" + WSH.ExpandEnvironmentStrings("%USERNAME%") + "\Desktop\" + backUpFolder
if not FSYS.FolderExists( oFolder ) then
    FSYS.CreateFolder( oFolder )
end if

oName = oFolder + "\" + FSYS.getFileName( iName )
FSYS.CopyFile iName, oName 'バックアップを作る
WSH.Run editor + " " + WScript.Arguments.Item(0) 'エディタを起動
'Call MsgBox( oName )

' getTarget( arg ) argがショートカットなら実体を見つけて返す
Function getTarget( arg )
    Do while FSYS.GetExtensionName( arg ) = "lnk"
        arg = WSH.CreateShortcut( arg ).TargetPath
    Loop
    getTarget = arg
end Function

【使い方】

 編集したいテキスト・ファイルを、k2.vbs に Drag&Drop する。
 →デスクトップのフォルダ backup にテキスト・ファイルの複製を作り、K2Editor が起動する。

【副作用】

 勝手にデスクトップに backup というフォルダができます。
 バックアップしたファイルは、このフォルダの中にあります。

【使用上の注意】

 仮に使って何か被害を受けたとしても、私は一切関知しません。

【よくある(と思われる)質問】

Q:K2Editor 以外のテキスト・エディタを使いたいんだけど。Windows 付属のメモ帳とか。
A:7行目と8行目が、こうなってますね。

Const editor = """C:\Program Files (x86)\k2e\K2E.exe""" ' K2Editorを使うとき
'Const editor = "C:/WINDOWS/system32/notepad.exe"        ' notepadを使うとき

 それを、こんな風に変えてください。私が試した時は動きました。

'Const editor = """C:\Program Files (x86)\k2e\K2E.exe""" ' K2Editorを使うとき
Const editor = "C:/WINDOWS/system32/notepad.exe"        ' notepadを使うとき

Q:こんなん、バッチ・ファイル(.bat)で充分じゃね?
A:私も最初はそう思って、バッチファイルで作り始めました。
 ところが、状況によって思うように動かない場合があるんです。
 テキスト・ファイルではなく、ショート・カットを Drag&Drop すると、
 バックアップを取る際に本体のテキスト・ファイルではなく、
 ショート・カット(.lnk)をコピーしちゃうんです。

Q:ちゃんと動かないんだけど。
A:そういう事もあります。

【愚痴】

 まあ、アレだ。先に書いたように、最初は「お、簡単じゃん、copy してエディタを起動するだけだろ、.bat でイケるじゃん」とか思ってやてみたら、大コケ。xcopy とか調べたけど、結局はダメだった。

 ってんで、「Windows ショートカット 実体」とかで検索しまくって、「なんか VBScript ってのがあるらしい」ってのに気がつくまで約半日。うはは、VBScript も知らないとは恥ずかしい。今は Windows Power Shell なんてのもあるとかで、世の中は便利になってるなあ。

 それで何も知らない状況で、とりあえず作り始めたけど、なんたって文法すら知らないプログラム言語でモノを作ろうってんだから、吾ながら無謀さに呆れる。まあこれで拡張子 .vbs n意味がわかった。やあめでたい。

 「よーわからんが基本BASICだよね」とか思ってるから、Dim は「なんか変数を定義してるんだろうなあ」、Set は「たぶん代入だよね」と見当つくのはいいが。最初は注釈の書き方すら分からなかった。たぶんシングル・クォートから行末までなんだろう。ちなみに今でも、1ステートメントが複数行に跨る場合の書き方はわからんです。

 アチコチの資料サイトを漁ってサンプルから1行づつコピーしちゃ、MsgBox で確認しながら進めてくナメてると、いきなり WScript.CreateObject とか、「なんじゃそりゃあぁ!」と驚いたり。今はやりのオブジェクト指向なんだろうけど。いや便利だよね、MsgBox。

 とまれ、実は言語仕様なんて障壁としちゃ簡単な方で。やっぱりね、シンドイのはOSやファイル・システムのサービスを使う API。もうね、1行書くごとに検索して API を調べるような有様。ああ情けない。

 API ったって、昔みたいにサービス・ルーチンの入り口名と引数だけ調べりゃいいってモンじゃない。オブジェクト指向だから、各オブジェクトの意味から構造まで調べなきゃいけない。オブジェクト指向って、便利なようだけど、シロウトには敷居が高くなっちゃってるよなあ。ってんで、調べたのはこの辺。

Drag&Drop したモノを、どうやって知るのか。
WScript.Arguments に、イロイロ入ってるらしい。
数は WScript.Argument.length。なければ値は負数、1個ならゼロ。
モノは、 WScript.Arguments.Item(n)にある。nはゼロから。

モノがショートカットかどうか、どうやって調べる?
他の方法もあるようだけど、今回は拡張子が .lnk ならショートカットと判断した。

拡張子は、どうやって調べる?
ファイル・システム・オブジェクト.GetExtensionName( フルパス名 )

ショートカットから、どうやって実体を探す?
シェル・オブジェクト.CreateShortcut( ショートカット )でショートカット・オブジェクト(仮に s とする)を作り、
s.TargetPath で実体のフルパスがわかる。

デスクトップのフルパスは、どうやって得る?
C:\Users\ユーザ名\Desktop
# 今 set コマンドで調べたら、 %HOMEDRIVE%:\HOMEPATH\Desktop の方がよさそうだなあ

ユーザ名は、どうやって得る?
環境変数 USERNAME に入ってる。

環境変数の中身は、どうやって得る?
シェル・オブジェクト.ExpandEnvironmentStrings("%環境変数名%")

backup フォルダの有無は、どうやって調べる?
フォルダの有無は ファイル・システム・オブエクト.FolderExists( フォルダ名 )でわかるよ

フォルダはどうやって作る?
ファイル・システム・オブジェクト.CreateFolder( フォルダ名 )

ファイルのコピーはどうすんの?
ファイル・システム・オブジェクト.CopyFile 元ファイル, 新ファイル

エディタはどうやって起動する?
シェル・オブジェクト.Run "エディタのフルパス 引数”

エディタのフルパス中に空白があるんだけど?
三重のダブルクォートで囲もう。

メモ帳はどこにある?
たいてい C:\WINDOWS\system32\notepad.exe

と、まあ、そんな風に、最近のプログラムってのは敷居が高くなっちゃってるなあ。いや私の足が短いだけなのかも知れないけど。

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2013年12月19日 (木)

H.W.ハインリッヒ/D.ピーターセン/N.ルース「産業災害防止論」海文堂 井上威恭監修 (財)総合安全工学研究所編訳

潜在的有傷災害の頻度に関するデータから、同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち、300件は無傷で、29件は軽い傷害を伴い、1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。

【どんな本?】

 安全管理・品質管理のバイブル、第5版。

 損害保険会社に勤めていたハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(→Wikipedia)が、その経験から得た教訓を元に著した論文を元に、産業における災害の定義・災害の原因・災害の影響などを、主に経営者・監督者・安全管理責任者に向け、災害を災害を防ぐ効果的な方法を、多くの具体例をひいて解説し、安全管理の重要性を啓蒙する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Industrial Accident Prevention 5th ed. , by H.W.Heinrich & Dan Petersen & Nestor Roos, 1980/1959/1950/1941/1931。日本語版は1982年4月25日初版発行。私が読んだのは1987年9月25日発行の2版。
 単行本ハードカバー横一段組みで本文約303頁。9ポイント35字×28行×303頁=約296,940字、400字詰め原稿用紙で約743枚。長めの長編小説の分量。

 文章は、かなり読みにくい。恐らく安全管理や災害防止が専門で、著述は専門でない人が訳しているんだろう、直訳風で、言葉の言い回しが硬く、読みやすさは配慮していない。例えば音読みの言葉「除去する」を、訓読みの言葉「取り除く」にするだけでも、だいぶ親しみやすくなるんだが。なお、訳者は以下。

 井上威恭/上原陽一/近藤太二/武井勲/朝倉祝治/小木曽千秋/前田豊/佐藤吉信

 内要は難しくない。ただ、テーマが「産業界での災害」なので、民間企業の職場内の話が多く、働いた経験のない中学生や高校生にはピンとこない例が多いだろう。主に企業の経営者・監督者・安全管理担当者向けの本だが、もちろん労働者にも役に立つ。

【構成は?】

第Ⅰ部 災害防止の基礎と理念
 第1章 災害防止の基礎理念
 第2章 災害防止の原則
第Ⅱ部 災害防止法
 第3章 安全管理流れ図
 第4章 データ収集と解析
 第5章 システム安全
 第6章 事故解析
 第7章 対策の選択
 第8章 安全対策の適用――矯正策
 第9章 モニタリング
 第10章 関心の喚起と維持
 第11章 同期づけモデル
 第12章 安全訓練
 第13章 監督者についての法則
第Ⅲ部 特殊課題
 第14章 安全専門家の法的責任
 第15章 保険会社の役割
 第16章 リスク・マネジメント
 第17章 損害実績に基づく保険料率の決定
  付録 機械の接触予防装置の原理

【感想は?】

 冒頭に引用した 1:29:300 の「ハインリッヒの法則」で、あまりに有名な本。ここから「不安全行動と不安全状態をなくせば災害も傷害もなくなる」とよくいわれるし、この本にも教訓として載っているが、ハインリッヒは別の事も言っている。

 統計をみると、度数率を減らすことによって強度率を減らそうとした場合は、前に述べたように、部分的にしか成功しない。

 つまり、「小さい事故や災害は減っても、大事故・大災害が減るとは限らない」と忠告してたりする。案外と単純ではないのだ、安全管理ってのは。

 「管理」というからには、相応にシステマチックな印象がある。本書も、実際に報告書や帳票のサンプルを載せたり、手順を流れ図で示したりと、なんとか定型化しようと努力している点が多い。教科書としては、そういう部分が重要なんだろうが、野次馬として読んでて面白いのは、やはり様々なエピソードだ。

 で、載っているエピソードは、とてもじゃないがシステマチックな雰囲気ではなく、むしろ人間らしい心がけが重要だったりする。とまれ、根本に共通する原理はあって、「結局、動くのも動かすのも人だよね」ってこと。

 例えば、「従業員が食事の前に手を洗わない」って問題。いくら指導してもいう事を聞かない。原因は、手洗い所に隙間風が入って寒く、水も冷たかったから。そこで、すきまを塞ぎ石鹸を支給しお湯が出るようにしたら、「すぐに従業員は手を洗うようになった」。いや偉そうに説教する前に現場の声を聞けよ、と突っ込みたくなる。

 こういった安全管理の指導が現場に嫌われるのは、たいてい何か理由がある。曰く…

災害の二次的原因や、なぜ人々が不安全行動に固執するのかとか、なぜ不安全な機械的状態が繰り返し存在するのか、とかの理由が決定されなければならない

 なんか小難しい事を言ってるようだが、「現場の人が危ない真似をするのは、たいていスジの通った理由がある」みたいな意味だろう。
 別のエピソードじゃタイヤ工場の例で、事故は多発してるけど共通した原因は見つからない。ところが「総合的な原因解析から、事故の60%は職場が過密であることに原因があることが明らかになった」って、切ないねえ。

ちなみに、プログラマの生産効率で面白い話をどこかで読んだ覚えがある。プログラミング言語や給料などを調べたが、あまり相関は見られなかった。ただ一つ、強い相関を示したモノがあった。それは、職場の人口密度。つまり、プログラマに与える空間が広いほど、開発効率が高かった。

 なんて職場の話もあるけど、どうしようもない問題もある。「生活変化単位(LCU, Life Change Unit)」として、労働者の個人生活の変化で、病気やけがをしやすくなる、なんて表も出てくる。与える影響を数値化したものの一部を引用すると…

配偶者の死:100
離婚:73
別居:65
刑務所に入る:63
近親者の死:63
けが、病気:53
結婚:50
 …etc

 「結婚」なんてめでたいのもあるけど、上位は不幸な出来事で占められてる。企業にとっちゃ、忌引きや結婚休暇は、キチンと取らせた方が、安全管理上は得なのかも。

 「損得で考えても安全管理をチャンとやった方が得だよ」と主張しているのも、この本の特徴。基本的に動機付け、つまり「ソノ気にさせる」事を重要視している本だけに、読者で最も影響力の大きい経営者を「ソノ気にさせる」事も忘れちゃいない。曰く…

 災害のコストは(賠償金などの)直接コストだけじゃない。むしろ間接コストが大きくて、「直接コストの4倍であると見積もられてきた」。従業員が大怪我したら、ラインが止まって野次馬が集まる。その間、経営者は野次馬に無駄な給料を払ってるし、止まったラインは納期を食いつぶす。そういう「1件あたりのコストは低くとも件数が多い小傷害によって、主として構成される」。

 とまれ、訳文はかなり硬い。恐らく読者の多くは、私のような野次馬根性の道楽者ではなく、職務の一環として読む人だろう。安全管理は組織的にするものであって、個人の努力でどうなるモンでもない。安全教育の一環として抜粋を配ることもあるだろう。その辺を考えて、もう少し親しみやすい文章にして欲しかった。

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2013年12月18日 (水)

半数以上のブログはアクセス数3以下?

ココログのサービス「ココログ広場」には、沢山の楽しい機能がある。
その一つは、アクセス数での自分の順位がわかる点だ。
そこでアクセス数1~50のブログの順位データを手に入れたので、大幅な憶測を加え分析してみた。

【大幅な憶測交じりの結論】

G1

アクセス数 ブログ数 割合
0 約30000 23.3%
1 約20000 15.5%
2 13251 10.3%
3 8175 6.3%
4 6417 5.0
5~9 14915 11.6%
10~20 11013 8.5%
21~50 11988 9.3%
51以上 13211 10.2%
表1:アクセス数とブログ数

 左の表1と右のグラフ1が示すように、アクセス数3以下のブログが、全体の半分以上(55.4%)を占める。

 ただし、これは大幅な憶測交じりの推測だ。

 次に、使ったデータと、憶測の詳細を示そう。

表2:元データ
アクセス数 順位
1 80535
2 67284
3 59109
4 52692
5 47528
6 43705
7 42568
8 40360
9 37777
10 36213
15 28152
20 25200
25 22582
30 19163
40 15516
50 13212

【使ったデータ】

 根拠は、ココログ広場のランキングだ。
アクセス数1~50で、それぞれの順位のデータを手に入れた。
右の表2が、それだ。

 この表から、アクセス数ごとのブログの数を計算する。
例えば、アクセス数2のブログは67284位で、アクセス数1のブログは80535位だ。
なら、アクセス数2のブログの数は、80535-67284=13251個だろう。

 同様に、それぞれのアクセス数のブログ数を計算して、上の表1を作り、
表1を基にグラフ1を書いた。

【憶測の詳細】

G2

 上の表1で、赤い文字の部分が、憶測だ。
アクセス数0のブログ数とアクセス数1のブログ数を、推測で決めている。

 グラフ1で最も大きな面積を占める部分を、憶測で書いている。「なんてデタラメな!」と思われるだろうが、一応の根拠はある。

 右のグラフ2は、アクセス数とブログ数の関係を示す。赤い棒が、憶測で設定した部分だ。いかにもソレっぽく見えるだろう。

 アクセス数が増えるほど、該当するブログは減る傾向がある。両者の関係は、大雑把に言って、反比例に近い。アクセス数が倍になると、対応するブログの数は半分になる、そんな関係だ。

 この傾向を配慮して、アクセス数1とアクセス数0のブログ数を推定し、上の円グラフを作った。

【なんか胡散臭いなあ】

 と思う人も多いだろうし、正直言って私も「この書き方じゃ怪しさ大ヒットだよなあ」と思っている。
以下に、よくある(と思われる)質問(というか突っ込み)と、返答をあげておく。

そもそも、データは信用できるの?あなたがデッチあげた数字じゃない?
事実だと主張はしますが、第三者が確認できる形での提示はできません。
もしあなたがアクセス数とランキングの情報を得られるブログ・サービスをお使いなら、
履歴をメモしてご確認下さい。
アクセス数と順位で散布図を描くと、両者の関係が分かりやすいでしょう。
アクセス数が0のブログも色々あるだろ。三日坊主のブログ主に捨てられた野良ブログとか。
そういうブログを計算から外すと、結論はだいぶ違うんじゃね?
その通りです。
「更新は止めたけどアカウントは削除してない」ブログも、勘定に入っています。
例えば、「最近1ヶ月で更新があったブログの数」などが分かれば便利なんですが。
もし調べる手段をご存知でしたら、教えて下さい。
アクセス数1のブログって、本人だけがアクセスしてるブログだろ。
備忘録代わりにやってるとか、そういう「人から見られる事を意識してないブログ」は、集計から外すべきじゃね?
一理あると思います。
ただ、残念ながら、今の所、そういうブログを区別する手段がわかりません。
もしかしてココログ広場の順位って、URL が http://*.cocolog-nifty.com/ のブログだけじゃね?
独自ドメインのブログは、集計に入ってないかも。
とすっと、気合入っててアクセスが多いブログが、集計から漏れてる事になるんだが。
この辺がどうなってるのかは、私にもわかりません。
ご存知の方は教えて頂ければ助かります。
ココログ広場って、登録した人だけが使えるんだよね。
つまり、「ココログは使ってるけどココログ広場は登録してない」人は、集計されないんじゃないの?
これも私にはわかりません。
アクセス数0やアクセス数1のブログの数を、多く見積もりすぎじゃないの?
そうかも知れません。
今の所、測る方法が思い浮かばないんです。
データ数が16個って、少なすぎるだろ。
はい。少ないと思います。

【終わりに】

 アクセス数が100を超えるブログの分布は、別記事『「半分以上のブログはアクセス数30以下,50以上は2割,100以上は1割」を検証』をご覧ください。なんかソッチの記事と結論がだいぶ違っちゃってますが、その原因の一つは「ブログの総数」の推定にあります。

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2013年12月17日 (火)

V・K・アルセニエフ「デルス・ウザラ」小学館地球人ライブラリー 安岡治子訳

「本当にわからないか、カピタン?」デルスはまだ呆れていた。「若い人爪先から先に足運ぶ。年寄り必ず踵擦り減らす」

【どんな本?】

 著者アルセニエフが1907年の夏から冬にかけ行なった、ロシア沿海州の日本海に面したシホテ・アリニ山脈の探検旅行の報告書「ウスリー地方の密林で」の一部。

 探検旅行には、著者のほか植物学者や軍の射撃兵、そして現地のガイドとしてベテラン猟師のデルス・ウザラが同行する。豊かな生物層を誇る密林にはクロテン・ノロジカなどの獲物もいれば、虎・熊・狼など危険な猛獣も潜んでいる。元から住んでいたターズ、増えてきた中国人、入植を始めたロシア人など様々な人が、それぞれのスタイルで生活している。

 生粋の狩人デルスを案内人として、当事の沿海州の密林の様子を伝える自然史であり、そこに住む人の生活を綴る生活史であり、また森の中で獲物を追う狩人デルスの優れた知性と能力と独特の世界観を描く物語でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は В дебрях Уссурийского края(ウスリー地方の密林にて), Влади́мир Кла́вдиевич,  Арсе́ньев, 1926 収録のДерсу Узала。翻訳の底本は1987年にモスクワのムィスリ社より刊行のもの。私が読んだ小学館版は2001年11月20日初版第一刷発行の抄訳版。角川文庫版や東洋文庫版が完訳らしい。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約259頁。9.5ポイント44字×19行×259頁=約216,524字、400字詰め原稿用紙で約542枚。標準的な長編小説の分量。

 とっつきにくい印象のあるロシア文学とは思えぬほど、日本語はこなれていて読みやすい。親しみやすさは、翻訳者が豊富なアメリカ文学の平均を上回っている。話そのものも、探検旅行なのでわかりやすい。その上で、植物や動物や地形に詳しいと、更に迫力を増すだろう。

【どんな話?】

 1907年の夏、著者アルセニエフら一行は、沿海州たシホテ・アリニ山脈の探検に出かける。ガイドは、馴染みのデルス・ウザラだ。経験豊かな猟師のデルスは、沿海州の密林では実に頼りになる。天候の変化や動植物の生態に詳しく、危険な野営地はすぐに見抜く。顔が広く、近隣の集落でも彼がいれば信用してもらえる。そして、森に生きる者として価値観も独特で…

【感想は?】

 物語としては短いながら、ロシアで長い人気を誇るのもよくわかる。

 いわゆる小難しいロシア文学とは、全くちがう。むしろハインリヒ・ヒラーの「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のような、人里を遠く離れた秘境探検物語だ。比較的に植生が貧しいチベットと違い、こっちはシベリアの密林で、植物も魚も鳥も獣も豊かで、中には虎や熊や猪など獰猛なのもいる。とてもダイナミックで生命力に溢れているのだ。

 もう一つの違いが、タイトル・ロールのデルス・ウザラ。地元ツングース系のベテラン猟師で、この地ではとても頼れる男。意図的に舌足らずに訳した彼の台詞は、物語が進むに従い大きな効果をあげてゆく。

 人ってのは愚かなもので、舌足らずな話し方をする者は賢くないと思い込んでしまう。加えて冒頭では中国人に騙されたりと、ちと頼りなげに見えるデルス。それが森に入ると、知識の広さ,注意力の細やかさ,そして洞察力の鋭さに驚かされる。冒頭の引用は、野営地の跡を見て、どんな者がどんな風に野営したのかを当てる所。足跡一つから、彼がどれほど多くの情報を読み取ることか。

 現代の日本に住んでいれば、生活に必要なものは大抵手に入る。夜だって、少し歩けばコンビニエンス・ストアがある。それがどれだけ恵まれているかは、冒頭で紹介されるデルスの取引で実感させられる。彼が獲物のクロテン二匹と引き換えに手に入れたのは、毛布・斧・鍋・湯沸し・薬莢、そして錐(はり)。つまり、当事の沿海州は、テントや衣服を繕う針すら、手に入らない環境なわけだ。

 そういう環境で生きてきたデルスだから、大抵のモノは自分で作ってしまう。これは著者のアルセニエフも同じで、探検旅行に持ってゆくモノも冒頭に出て来て、錐・鉋・鑿・やすり・鋸など大工道具まで持ってゆく。「んなモン、何の役に立つんだ?」と思ってたら、ちゃんと役立つ場面が何度か出てきた。

 なんというか、「旅行」という言葉の意味が、私が考えるのと全く違うのだ。基本的に行程は徒歩だし。時として、一日かけて4kmちょいしか進めない、なんて所もある。食料だって、多くは自前だし。

 沿海州なんて寒そうな所に、どれほど獲物がいるのかと思ったら、とんでもない。ノロジカはしょっちゅう出てくるし、体重200kmを超えるヘラジカもいる。後半でデルスが披露するシカの調理法には、思わす涎がダダ漏れになる。とまれ、それだけ獲物が多けりゃ、ソレを狙うのは人ばかりじゃない。そう、虎も…。

 ってな豊かな自然の描写に加え、その中で生きる人々の物語も、この本の欠かせない魅力。これがまたロシア・中国・朝鮮の国境が近いためかバラエティ豊かで、元から住んでいるターズ(韃子),最近の進出が著しい中国人と朝鮮人,ロシア人の入植者などが入り乱れてる上に、日本人の商人まで入り込んできている。

 そんな人々の人生が、この本にはギッシリと詰まっている。特に心に残るのは、第九章に出てくる、狩猟小屋に独りで住む老いた中国人リ・ツンビンの物語。細長い指は、特別な育ちを感じさせる。そんな男が、なぜこんな辺鄙な所で独りで住んでいるのか。連続物のTVドラマなら、この場面だけでも泣ける回になるだろう。

 かと思うと、意外と豊かな生活をしているロシア人の集落があったりする。馬や牛を多く飼っていて、「寒さの厳しい沿海州で冬の飼葉はどうすんの?」と思ったら、これが意外な事に…

 旅行ってのは、才覚がモノを言う。一般に旅慣れた人ほど、荷物が少ない。オツムが軽いほど荷が重くなるのが旅行で、お陰で私はいつもヒイコラ重たい荷物を抱えている。軽装で出かける人に憧れるのだが、なかなかそうは行かない。これを実感させられるのが、やはり冒頭のデルスの言葉。

 「貧しい猟師が逃がしてやった魚の恩返しで金持ちになるが、欲深い女房のせいですべてを失う話」に対する、デルスの感想が、あまりに見事。そういう生き方が出来る人には、やっぱり憧れてしまう。

 ロシア文学というと、難しくてお堅い印象があるが、この作品は全く違う。未開の大地をさすらう冒険物語であり、意外と豊かで野生に満ちたタイガを描く風物詩であり、また人里離れたタイガの中で逞しく生きる人々の様々な人生のエピソードも面白い。山が好きな人、旅行が好きな人、動植物が好きな人、異郷や冒険に憧れる人なら、きっと楽しめる、ダイナミックな冒険物語だ。

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2013年12月16日 (月)

ヴェルナー・ゾンバルト「戦争と資本主義」論創社 金森誠也訳

戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった。戦争は資本主義の組織をたんに破壊したばかりではない。戦争は資本主義の発展をたんに阻んだばかりではない。それと同様に戦争は資本主義の発展を促進した。いやそればかりか――戦争はその発展をはじめて可能にした。

「一般に、国王陛下がお買い求めになると、材料をはじめすべてが品不足になり、価格が上がる。また陛下がこれをお売りになると、すべての材料が満ちあふれ、価格が下落する」

【どんな本?】

 ドイツ生まれの社会学者・経済学者ヴェルナー・ゾンバルト(→Wikipedia)が、第一次世界大戦直前の1913年に出版した、中世~現代にかけてのヨーロッパ経済史の研究書。軍や戦争が国家に与えた経済的・社会的影響を、大量の資料から掘り起こし、軍が現代的な姿に変貌する過程が資本主義を発達させたのだ、と説く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Krieg Und Kapitalismus,  Werner Sombart, 1913。日本語版は1996年4月5日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約289頁+訳者あとがき10頁。9ポイント43字×17行×289頁=約211,259字、400字詰め原稿用紙で約529枚。長編小説なら標準的な分量。

 元が古い本のためか、日本語の文章もやや硬い。中世以降のヨーロッパの歴史から自らの仮説を検証する内容のため、例として西洋史上の出来事や人物が頻繁に出てくる。また、「連隊」や「口径」などの軍事関係の用語も必須だし、高炉など製鉄の技術と歴史や、帆船など船舶の技術も出てくる。真面目に読み込むと、幅広い知識が要求される。また、出てくる単位が「ポンド」「ターレル」「ツェントナー」「ラスト」「エレ」と様々な上に見慣れぬ単位が多い。

 とまれ、各章は 1)最初に仮説を提唱し 2)次にそれを裏付けるデータを提示する 構造なので、面倒くさかったら検証データの部分は読み飛ばしても、著者の主張は理解できる。というか、私は読み飛ばしました、はい。

【構成は?】

 はじめに/序文
第一章 近代的軍隊の誕生
第二章 軍隊の維持
第三章 装備
第四章 軍隊の給養
第五章 軍隊の被服
第六章 造船
 参考書目と文献/訳者あとがき

【感想は?】

 ちと古い本ではあるが、執筆の姿勢は極めて誠実で、かなりの労作だ。

 著者の主張は冒頭の引用どおり。ヨーロッパ社会が中世の封建社会から現代の資本主義社会に移行する際に、戦争が重要な役割を果たした、と言っている。読んだ感想としては、役割を演じたいは、戦争というより「現代的な軍」だけど。

 当然だが、戦争は経済活動を破壊する。著者もそれは充分に認めている。と同時に、資本主義を育てもしたのだ。

 そのひとつは、軍の組織だ。かつては騎士と傭兵だった。それぞれの武器・防具や糧食は、騎士や兵が自前で用意した。傭兵などは、隊長が用意して兵に有料で貸し与える場合も多かった。服も、兵ごとにバラバラだった。つまり、見ただけじゃ敵か見方か区別がつかない。

 これが、次第に国家の常備軍へと変わってゆく。まずは武器の国有化で、国家が兵に武器を貸す形になる。当然、国家は大量の武器を用意しなきゃいけない。特に砲と銃と弾薬だ。従来の職人仕事じゃ、とても大量の要求には応えられない。そこで、幾つかの動きが出てくる。

 砲ごとに弾丸が違ってたら、面倒くさくてしょうがない。そこで口径=規格化の概念が出てくる。すなわち「商品の統一化」だ。1540年にニュルンベルクのハルトマンが口径の基準を考案し、フランソワ一世とアンリ二世がカノン砲の口径を六種に限定する。これは銃も同じだ。

 小銃は大量に必要になる。職人が手仕事でやってたんじゃ、間に合わない。買い付けに走り回る商人が、従来の手工業から、「資本主義的武器産業の組織者」になり、「請負制度と大企業」が育ち始める。特に大量に必要なのは弾薬で、弾丸鋳造所と火薬工場ができる。フランスとドイツは国家独占企業で、イギリスは民間企業となる。つまり、大企業の発生だ。

 銃と砲は、製鉄技術の発達も促す。「製鉄のなかへの高炉方式導入の強制として作用した」。また、「金属製中ぐり機と旋盤の発展はなにはともあれ大砲製造のおかげである」。

 軍ヲタとしては、今さらながら当事の軍艦の砲の数に驚いた。90門とか100門とか。第二次世界大戦時のように甲板に回転する三連砲を置くんじゃなく、舷側にズラリと並べたんだろう。改めて考えると、当然ながらこれは海戦の様子も変えてゆく。当時は舷側を敵に向けなきゃ攻撃できないから、敵味方の艦の向きが重要だけど、砲台が回転するなら向きはあまり意味がない。

 この大量発注は、糧食や被服でも同様に働く。つまり徴集兵や傭兵隊長が自前で用意するのではなく、国家が兵に供給する形へと変わってゆく。とまれ、その動きは、近衛兵から始まり、中隊ごと・連隊ごととかの過程を経るんだけど。と同時に、軍服は二つの効果を持つ。

 ひとつは、敵味方の識別が簡単になること。もうひとつは、帰属感。「同じ衣服を着ていないと、どうしても保持しえない団結間を抱かせた」。

 発注側としては、同じ品質の物を大量に安く仕入れたい。これが均一化・大量生産を促進する。また、軍がいちいち買い付けてたらやってらんないから、御用商人も育てる。国は一括発注して、調達は商人に任せるわけだ。「巨大な購買力を備えた陸軍の活発な影響力がもしなかったとすれば、資本主義が始まるまでに、おそらく百年は待たねばなかったろう」。

 国軍化・常備軍化は、都市も育てる。大人数が特定の場所に定住すりゃ、衣食住すべてに多くの需要が生まれる。

ベルリン自体も、18世紀末までは、純粋に軍の駐屯都市であった。1740年、軍関係者の人口は21,309人であった。その頃の全人口は約9万人である。もし、あらゆる軍関係者には、かならず第二の人物が付随していることを認めたとすれば、この都市人口の半数は、軍隊の駐屯によって生じたことになるだろう。

 そんな軍の影響は、どれぐらいあったのか。「計算によればその頃(1610年ごろ)のスペイン国家歳入のほとんど93%にあたる軍事目的用の支出の中味がこの債務の利息支払い」というから、凄まじい。これは極端にしても、フランスのルイ14世やプロイセンの大選帝侯じゃ「国の歳入全体の2/3」だったりする。

 で、そんな大金を調達するために、国家は債券を発行する。海外貿易会社の株式をきっかけに生まれた有価証券取引は、公債の請求権も扱い始め、証券取引所を作り出し、ロスチャイルドなどの金融家を育ててゆく。

 なんて話を読んでると、著者の主張以前に、ヨーロッパにおける国家の概念そのものが、戦争を通じて創られてきたんじゃないか、なんて気になってくる。そして日本は、ちょっとした著者への反証になってるかも。徳川300年の歴史で、大阪に先物取引所が出来て、先物取引や手形取引が発達してたりする。

 軍需産業が資本主義を育てた、みたいな主張なわけで、なんとも気に食わないけど、豊富な資料の裏づけはかなりの説得力がある。今でも自動小銃を輸入に頼ってる国は、なんか国家制度や為政者が信用できないと私は感じてしまう。緻密な資料で経済史と軍事史の深い関係を暴く、衝撃的な本だった。

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2013年12月13日 (金)

藤井太洋「Gene Mapper - full Build -」ハヤカワ文庫JA

 2010年代に流行った農薬耐性や二次不稔種などを実現するために自然植物を部分的に変更した遺伝子組み換え作物(GMO)は時代遅れになった。
 目的とする植物のすべての遺伝子を調査し、必要なものだけを残して新たな機能を付け加えた、人工の植物、蒸留作物に置き換えられてしまったのだ。

【どんな本?】

 個人出版の電子書籍として出版され、Best of Kindle Books 2012 の小説・文芸部門で一位に輝いた話題の作品「Gene Mapper」を完全改稿し、ハヤカワ文庫JAより紙の書籍として出た、新人作家・藤井太洋による話題の長編SF小説。

 遺伝子改造技術が大きく進歩した近未来を舞台に、新種のイネの農場で発生したトラブルをきっかけとした事件を、斬新なヒューマン・マシン・インタフェースが溢れた世界とを背景に描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原型となった電子書籍版の Gene Mapper は2012年に出版。完全改稿した書籍版は 2013年4月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約349頁。9ポイント40字×17行×349頁=約237,320字、400字詰め原稿用紙で約594枚。長編小説としては標準的な分量。

 新人SF作家とは思えぬほど、文章そのものはこなれていて読みやすい。もっとも、内容がとても私好みなので、採点が甘くなってる可能性はある。肝心の内容は、かなりSF度が濃い。仮想現実技術を基本としたコンピュータ関連用語が全編で頻発するし、中心となる遺伝子操作技術も、ちょっとした頭の切り替えが必要なアイデアを絡ませてある。それなりにSFに適応した人向け。

【どんな話?】

 フリーのジーン・マッパー(遺伝子設計技術者)の林田は、夜中のアラームに叩き起こされた。「L&Bコーポレーションに納品したイネの最新モデルSR06が、遺伝子崩壊を起こした可能性がある。明日の会議に出席して欲しい」と。航空写真を見ると、確かに北の端で色が変わっている。現地からの情報によると、バッタの被害も出ているらしい。L&B側の担当者・黒川と打ち合わせた林田は、さっそく原因の検証に入るが…

【感想は?】

 とても新人とは思えぬ巧みさ。出だしの「ちょっと進歩した仮想現実技術」から始まる魅力的なガジェットもさることながら、お話の動かし方も見事で、ちょっと味見のつもりで読み始めたら、途中で止められなくなってしまった。

 まず、冒頭の林田と黒川の会議の場面が、実に上手い。仮想現実技術が身近になり、ソフトウェア・エージェントが浸透した世界が舞台なのだが、これが実際に日本のビジネスマンにどう使われるか。

 今でも、電子メールには、様々な「お作法」がある。これが、計算屋の社会と事務屋の社会じゃ、細々としたお作法が違ったりする。一般に計算屋だと、長いシグネチャは嫌われるし、不要な添付書類も好まない。Microsoft Word(*1) の文書を添付したりすると、「んなモン、メールの本文に書け」と怒ったりする。理由?トラフィックの無駄じゃん(*2)。

*1:ちなみに Word って言い方も、煩い人は嫌います。「Microsoft Word と言え!」と。Microsoft 社以外にも、~ワードって製品を出してる会社があったんです。今はわかんないけど。

*2:どのみちテキストなら本文に書けば、読む人はアプリケーションを起動する手間が省けるし、ウィルスに感染する危険もありません。またメールの容量も数倍に膨れ上がり、その分メールサーバの負担も重くなります。そもそも相手が Microsoft Word を持っているとは限りません。Macintosh や Linux を使っているかも。

 逆に事務屋さんだと、ある程度はシグネチャに凝った方が受けがいいし、職場によっては cc: の順番にも煩い規則があったり、メール・アドレスにもキチンと役職をつけなきゃいけない。文面も季節の挨拶から入るとか、計算屋から見ると意味不明どころか有害でしかないローカル・ルールが乱立してたり。つか、なんで電子メールに即時返信せにゃならんのか。即時返信か必要ならIRC使えよっ!←アツくなるなよ

 まあ、そんな風に、現代のビジネス社会では、コンピュータが提供するコミュニケーション・ツールにも、従来のビジネス上のルールが、多少アレンジされて持ち込まれている。こういったあたりを、フリーランスの林田と会社勤めの黒川が<拡張現実>を使って会議をする場面で、ちょっとしたしぐさ・服装・<アバター>を介し、見事に表現している。

  こういう、詳しい人へのクスグリは多々あって。まさかあの方が出てくるとは。今やペンギンからロボットにまで進化してるんだよなあ。確か奥さんは空手の名手の筈。

 ってな会議の場面だけでも、私のように狭いモニタで確認しながらシコシコとキーボードを打ってる者には、涎がダラダラ出て止まらない羨ましい仕掛けが一杯。いやホント、広いモニタ欲しいよねえ。最近は電子ペーパーとかもあるけど、場所取るし。となると、当然…

 こういった、「おお、わかってるじゃん!」的な仕掛けは、肝心の遺伝子設計の部分にも充分に活きてて。林田が問題の作物を解析する場面でも、「うひゃひゃ、そうきたかぁ~」なガジェットがいきなり飛び出す。そりゃね、自分が関わったプロジェクトで問題が起きたとなると、まずは他人のせいにするのがプログラマです。

 なんてマニアックなネタばかりでなく、遺伝子改造にまつわる部分も、従来技術からイカれたガジェットまで、ふんだんに盛り付けてあるから、SF者としてはたまらない。後に出てくる「防護服」のネタも、「うんうん」と唸りつつ、「うはは、らしいや」と思わず笑っちゃったり。

 なんて細かいガジェットは、文句なしに21世紀を感じさせる斬新なアイデアに溢れていながら、お話そのものは、実に古典的な「テクノロジーと人間」という王道のテーマなのが嬉しい。第二部のホーチミン市の描写は、ハイテクと活気ある庶民の生活がイアン・マクドナルドの「サイバラバード・デイズ」を彷彿とさせつつ、厳しい競争社会のインドに対し、勤勉で穏やかな気質のベトナムの違いを味わおう。

 この王道テーマが、エピローグで、かの有名作家へのオマージュと共に炸裂するあたりは、ホント読んでて嬉しくなったなあ。最後まで「ドッチに転ぶんだろう」とハラハラしながら読んで、ドッカーンとコレだもん。

 最新のガジェットをふんだんに取り入れつつ、豪快な黄金期のSFの味わいを鮮やかに再生した、SFの王道を行く傑作。こういう作品が出てくるなら、SFの未来は明るい。

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2013年12月12日 (木)

鵜飼保雄・大澤良編「品種改良の日本史 作物と日本人の歴史物語」悠書館

 江戸時代末期から明治時代にかけて、欧米からリンゴが導入されるまで、日本の秋の代表的果物はナシとカキであった。とくにナシは「果物の女王」とされてきた。
  ――梶浦一郎

【どんな本?】

 イネ・コムギなど主食となる穀物、味噌や豆腐など食卓で大活躍するダイズ、鍋物には欠かせないハクサイ、秋を感じさせるナシとカキ。我々の食卓を彩り、生活に潤いをもたらす作物は、いつ、誰が、どのように持ち込み、どう栽培され、どう改良されてきたのか。それぞれの作物には、どんな品種と特徴があり、栽培にはどんな苦労と工夫があり、どんな目的に向かって、どんな方法で改良されてきたのか。そして、現代の日本の産地と市場では、どんな変化が起きているのか。

 多くの日本人が身近に馴染んでいる作物を取り上げ、それぞれの作物の由来や品種改良の歴史と手法を通し、日本の農業の過去と現在を伝える、真面目で美味しい品種改良の啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年5月1日第1刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約468頁。9.5ポイント48字×19行×468頁=約426,816字、400字詰め原稿用紙で約1067枚。長編小説なら約2冊分。

 著者の多くは農学者だが、意外と文章はこなれている。内容でつまずきそうなのは、生殖に関する生物学の知識。「倍数体」や「自家不和合成」などの言葉が出てくるが、ちゃんと本書中で説明がある。まあ、わからなくても楽しめる部分は多いが、分かると先人たちの苦労が実感できる。中学卒業程度の理科の素養があれば、理解できるだろう。

 むしろ、必要なのは、八百屋やスーパーで野菜や果物を買い、自分で調理した経験かもしれない。日頃からよく見かける品種の味やクセ・市場の移り変わりを体感していると、内容が身近に感じられ、より楽しく美味しく切実に読める。

 ただし。体重が気になる人には、深夜、お腹が空く時間に読むのは、お薦めできない。

【構成は?】

 はじめに
第1章 イネ 横尾政雄
第2章 コムギ 藤田雅也
第3章 トウモロコシ 濃沼圭一
第4章 ダイズ 高橋信夫
第5章 サツマイモ 吉永優
第6章 トマト 加屋隆士
第7章 イチゴ 望月龍也
第8章 ハクサイ 生井兵治
第9章 タマネギとネギ 小島昭夫
第10章 ダイコン 金子幸雄
第11章 ブドウ 佐藤明彦
第12章 カンキツ 國賀武
第13章 リンゴ 安倍和幸
第14章 ナシ 梶浦一郎
第15章 カキ 山田昌彦
 参考(引用)文献/索引/著者略歴

 各章は独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。章の合間に1頁のコラムがあり、ちょっとした気分転換になる。

【感想は?】

 昔から不思議に思っていた。梨の事だ。

 西洋の昔話には、リンゴがよく出てくる。だが、梨は出てこない。確かにリンゴは美味しい。それは認める。しかし、私は果物じゃ梨が一番好きなのだ。残暑厳しい時期にかじる冷やした梨は、最高に贅沢なスイーツだろう。なんであんなに美味しい果物が、物語に出てこないのか。おかしいではないか。検閲でもされているのか。

 この本を読んで、疑問が氷解した。ないのだ、西洋には。諸説あるが、今は日本固有とする説が主流らしい。岩手や青森には野生の群落があるとかで、なんと羨ましい。日本に生まれてよかった。でも「米国西部、ニュージーランド、オーストラリアなどで小規模に栽培され」、韓国・中国・台湾でも馴染まれているらしい。最近じゃ英語でも Nashi で通じるとか。

 これはマズい。特にアラブじゃ果物は贅沢品と見なされる。ジューシーでサッパリした梨の美味が、水の貴重な砂漠の民であるオイル・マネーに知れたら、買い占められて大変な事になる。和食を売り込むのはいいが、梨の秘密は守って頂きたい。確実に価格が暴騰し、貧しい私の口に入らなくなってしまう。

 ってな冗談はさておき、梨の品種改良は難しいようで、「ヘテロ接合性が高い」上に「自分の花粉じゃ受粉しない」ために、種を植えても、まず同じにはならない。幸い「接ぎ木で増殖する」ので、「接ぎ木の技術は江戸時代からあり、接ぎ木職人と苗木屋が出現している」。昔から農家は品種改良に熱心だったんだなあ。

 品種改良では、松戸覚之助と二十世紀の話がドラマチック。なんと親戚の家のゴミ箱にあった苗を譲り受けて育てたら、前世紀を代表する傑作が出来てしまった。

 なんて幸運もあるが、現代の品種改良は大変で、「育種担当者は(略)多いときで一日あたり約2キログラムに達する量を試食しなければならない」「血糖値が上がって糖尿病を発症する担当者が珍しくない」。梨の特徴は、独特のザラザラ感。だから、食べないとイカンのだ。食べ物の美味しさってのは、食感も重要なんだなあ、とつくづく思い知る。

しかも「選抜に成功してから消費者の口に入るまでに、最短で15年、長ければ25年は過ぎてしまう」ってんで、えらく辛抱が必要な作物なのだ。そんなに手間がかかる品種開発なのに、品種の移り変わりは速い。1970年代は代表的だった長十郎、1997年には幸水と豊水にシェアを完全に食われている。

 なお、今は梨狩りも多いんで、専用の品種もあるとか。営業期間を長くするために、「収穫期をずらして多くの果実品種が良い品種を揃えるようになった」と、農家も色々と工夫している。なお、梨は「南に面した部分の糖度が高くなる」そうです。

 などと梨が美味しい故に梨ばっかし取り上げちゃったが、やはり書名どおり品種改良の歴史と現代がわかるのも、この本の面白い所。例えばコムギの項では、「伊勢神宮の神田(しんでん)には全国から稲穂の種子が集まり、農民たちはそこで優れた新種の種子をもち帰った」とある。お伊勢参りってのは、単なる行楽だけじゃなかったのだ。

 現代の品種改良の手続きが見えるのは、ダイズの章。まず「どんな品種を育成するのか」と目標を決め、相応しい両親を求め、計画的に交配・選抜してゆく。品種になるまで、例えばイネじゃ7年~15年かかる。育種担当者・栽培管理者・育成/品質を調査する人などのチームで進め、「最初から品種になるまで一貫して携わる人は多くない」。

 目標を立てる際にも、考慮するのは味だけじゃない。やはりイネだと耐冷性は勿論、倒れにくいように丈が短いものがいい。市場も考慮し、ネギは核家族化にあわせ丈の短い「ふゆわらべ」を生み出す。そして、全ての種に共通しているのが、病気や害虫への耐性。

 などと苦労して品種を育てても、市場は無情に変化してゆく。イネは1970年代日本晴が最強だったが、ほんの10年でコシヒカリに首位を奪われる。栽培面積の変化は更に目まぐるしく、1970年ごろにトップのレイホウは5年ほどでキヨニシキに首位を明け渡し、四年後にはアキヒカリに奪われる。

 とすっと、日本の農家は、毎年同じ事をやってるわけじゃなく、常に品種と市場を見ながら生産計画を立ててるって事になる。しかも、品種によって特性があり、適切な育成方法が違ったりする。かなりダイナミックに変化していく仕事なのだ。すんません、農家ナメてました。

 それぞれの章の著者が、担当する品種に抱く深い愛情を感じるのも、この本の楽しいところ。トマトを担当する加屋隆士氏なんか、いきなり「トマトは世界一の野菜である」とカマしてくる。子煩悩なお父さんみたいで、実に微笑ましい。

 まあ、そんなわけで、まずは自分が好きな作物の章を味見してみよう。

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2013年12月 9日 (月)

谷甲州「NOVA COLLECTION 星を創る者たち」河出書房新社

 堂嶋主任の視線が、そのうちの一本にむけられた。軽量級輸送機のために用意された三号膠着施設だった。あまり使われていないらしく、その施設だけは汚れが少なかった。だが現場から送られてきた画像には、明瞭な違いはなかったように思う。
  ――メデューサ複合体

【どんな本?】

 緻密な考証で名高いベテランSF作家・谷甲州による、太陽系を舞台とした土木SF連作短編集。人類が太陽系に進出しはじめた世界を舞台として、民間の建築会社に勤める技術者たちを主人公に、月・火星・水星・木星・金星など過酷な環境の中で、宇宙開発の先端を切り開く者達に襲い掛かる危機と試練を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年9月30日初版発行。ソフトカバー単行本で縦一段組み、本文約351頁+あとがき2頁。9.5ポイント40字×18行×351頁=約252,720字、400字詰め原稿用紙で約506枚。標準的な長編小説の分量。

 クールでぶっきらぼうながら、簡潔で要領を得た頭に入りやすい文章が、この人の欠かせない魅力の一つ。内要はガチガチの科学・工学・土木作品なので、詳しい人ほど楽しめる。

【収録作は?】

コペルニクス隧道 / 小説奇想天外3号 1988年4月 大幅改稿
コペルニクス隧道(ずいどう)は、月の都市間をつなぐリニアモータ路線用のトンネルとして計画された、全長120キロにおよぶ長大トンネルだ。山崎主任とクリシュナは、先進導坑の一つの面倒を見る技術者として、現場に詰めている。作業の大半は自動化されているが、不断の整備が必要だし、不測の事態に備える意味もある。今日もズリの圧送システムの調子が悪く…
冒頭から谷甲州節全開の作品。いきなしズリだの切り羽だの。ズリはトンネルを掘った際に出る土砂・岩石、切り羽は掘ってるトンネルの先端。そういう土木の現場っぽい世界観に加え、地球とは違う月の条件を思わせる、トンネル内に細かい砂が落ちてくる情景もゾクゾクくる。うんうん、空気ないしねえ。ちょっと前に「トンネルものがたり」を読んだために、面白さが倍増した作品だった。古いSF者は、A・C・クラークの古典的名作を思い出すかも。
極冠コンビナート / 小説奇想天外4号 1988年6月 大幅改稿
火星の極冠で建設中の北の平原水資源総合開発プロジェクト、通称極冠コンビナートの第二期工事で、機材主任と安全管理責任者を兼務する立川は、ドーム内のわずかな二酸化炭素濃度の上昇を見つける。外気は地球の1/100の二酸化炭素。火災はもちろん、空調の不具合でも事故につながりかねない。統合防災システムは渓谷を出していないが、気になった立川は…
基本的に登場人物がたった二人の「コペルニクス隧道」と打ってかわり、この作品では多数の会社(くみ)が出入りする大規模な建築現場の活気ある様子が描かれる。多くの会社が集まり複雑な社会が形成される現場で、安全管理なんて一見非生産的・非効率的なモンを徹底させる難しさは、相応の規模の仕事を担当した人なら、否応なしに実感できるだろう。与圧服にまつわるネタも、思わずニヤニヤしてしまう。
熱極基準点 / 小説奇想天外6号 1988年10月 大幅改稿
水星で計画中の大型射出軌道(マスドライバー)。その建設予定地の多角測量を調べる常駐技術員の秋山は、誤差の奇妙な偏りに気づく。ランダムに分散しているなら無視できるが、明らかに一方向に偏っている。基地の探査課の物理探査技師バモオに相談し、現場に向かうつもりだったが…
これもタイミングよく「確率と統計のパラドックス」を読んだ直後なので、冒頭から引き込まれた。SFでもあまり取り上げられない水星が舞台なのは貴重。0.2と大きい離心率、2:3という特異な公転周期と自転周期の比率、そして近日点移動を巡る伝説など、マニアには美味しい作品。
メデューサ複合体 / 書き下ろし日本SFコレクション NOVA3 2010年12月
木星大気の上空で建設中のメデューサ複合体は、すでに全長100キロに達する巨大な浮遊物で、上空とはいえ重力は2.5Gに達する。以前から部材の寸法違いや工程管理のミスなど細かい齟齬が続いた上に、定期検査で主構造体にひずみが見つかった。現場に向かう堂嶋主任は…
高重力な上に磁気嵐が渦巻く木星の様子が堪能できる作品。やはり問題となるのは高重力で、んな所で誰がどうやって作業するのかってのもあるし、どうやって浮かすのかって問題もある。それでも上手く開発できれば水素取り放題の美味しい星なんだけど。冒頭に出てくるレーザ・ロケットも、路線が決まってるなら面白いアイデア。お話の元ネタは、工学系の人には有名なコレ(要注意、ネタバレです→Youtube)。
灼熱のヴィーナス / 書き下ろし日本SFコレクション NOVA7 2012年3月
重機械を管理する汎用級整備士の埴田は、金星の現場を視察し、工程の変更を検討する。その時、奇妙な音を聞く。たまたま現場に出ていたため第一報を聞き逃し、状況を全く把握できない埴田に、当直担当者は無茶な要求を突きつける。「応急工事に投入できる重機械の員数と性能を知らせよ」と。
やはり滅多に舞台にならない金星、それも地表を描く貴重な作品。厚い雲に覆われた金星の様子は、なかなかわからないだけに、こういう連作でもなければ、滅多にお目にかかれない。酸と灼熱に苛まされる地獄の世界ではあるものの、重力とは不釣合いに高い大気圧を活かした発想は見事。
ダマスカス第三工区 / 書き下ろし日本SFコレクション NOVA9 2013年1月
土星の衛星エンケラドゥスで、問題が起きた。保安部は厳格な情報管制をしき、実際に何が起きたのかは全く解らない。勤務者リストにかつての同僚の名を見つけた山崎部長は、自らエンケラドゥスに向かう。だが、実際に事故の状況を見た山崎部長も、なぜ事故が起きたのか、全くわからなかった。
土星の衛星エンケラドゥス(→Wikipedia)。重力は地球の1/100、表面は水の氷で覆われた、気温-100℃の極寒の地。最初の「コペルニクス隧道」で主任だった山崎が部長になって出てくるのが懐かしい。ばかりでなく、やはり読み所は水の氷が零下100℃でどうなるか。水さえあれば「コペルニクス隧道」で苦労せずに済んだ山崎が、ここでは水の氷に苦しめられるのが、なかなかの皮肉。
星を創る者たち / 書き下ろし
この連作短編集のフィナーレを飾るに相応しい、スケールの大きなエンディング。多くは述べません。奇想天外やNOVA でシリーズを読んでいた人には、驚愕の展開が待ってる。

 冒頭の「コペルニクス隧道」から、思いっきり泥臭い現場の匂いがプンプン漂うのが、この連作短編の魅力。決して予定通りにはいかない工程、必ず起こる不測の事態、普通に使ってるだけでも寿命が減ってゆく機械類。この記事の冒頭の引用のように、ちょっとした汚れの違いや、音の変化で不調を見極める、現場に通じた技術屋の目が、キッチリ描かれているのも、技術畑の人には嬉しい所だろう。

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2013年12月 8日 (日)

スティーヴン・セン「確率と統計のパラドックス 生と死のサイコロ」青土社 松浦俊輔訳

数字は嘘をつくというが、それは違う。嘘つきも数字を使うことがあるということだ。
  ――モーリス・ケンダル

科学の科学らしい特徴は、間違わないことではなく、自己修正できるところである。

単純にいってしまえば、確率論は想定されるモデルから可能性のあるデータへと論証していく仕事であるのに対し、統計学は、既知のデータからモデルを推測する仕事である。

【どんな本?】

 スイス生まれでイギリスで活躍する医学統計学者の著者による、統計学を題材にしたエッセイ集であり、また一般向けの啓蒙書。

 イギリス風の皮肉なユーモアを交えつつ、確率論と統計学の違い,代表的な統計学者の生涯と業績,主な統計学の学派とその主張などに加え、三種混合ワクチンと自閉症の関係,O・J・シンプソン事件,シリコン豊胸術と結合組織疾患など有名な事件を題に取り、分散・偏差・ポアソン分布など統計の基礎概念を解説する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Dicing with Death - Chance, Risk and Health, by Stephen Senn, 2003。日本語版は2005年1月15日第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約336頁+訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×336頁=約300,048字、400字詰め原稿用紙で約751頁。長めの長編小説の分量。

 一般向けの本だが、かなり歯ごたえがある。イギリス風のヒネたユーモアが横溢した文章で、ユーモラスなのはいいが、その分、かなりまだるっこしい表現が多く、真意を掴むのに苦労する。内容もアチコチに数式が出てくるので、数式にアレルギーがある人には辛いだろう。必要な数学の素養は、微分が一部に入るので、中学卒業じゃ少し辛いかも。具体的には以下三個程度。

  1. 自然対数の底 e。
  2. f(x)=... みたいな書式や θ・γ などのギリシャ文字、∩(かつ)などの記号にビビらない度胸。
  3. 微分の概念:「グラフの曲線の傾きを表す」ぐらいの認識で充分。

 とまれ、難しい部分には、その由の警告があり、「数学は勘弁という人は、飛ばしても差し支えない」とあるので、数式がわからなければ遠慮なく読み飛ばそう。かくいう私も、かなり読み飛ばしました、はい。

【構成は?】

 序文
1 角を丸める
2 サイコロ振り登場
3 生命の試験
4 サイコロと人間について
5 性別と個別の患者
6 薬(など)についての衰えぬ見方
7 時間の表
8 プールでひと泳ぎ
9 悩みのたね
10 間抜けな法律
11 太陽の帝国
 註/訳者あとがき/索引

 基本的に各章は独立しているが、そこはやはり数学の本。前の章を基礎として後の章が展開する構造なので、なるべく前から順に読むほうがいい。

【感想は?】

 昔から確率は苦手だった。これを読んでも、やっぱり苦手だ。それでも、とりあえず、確率と統計の違いはわかった…気がする。

統計学者と確率学者の違いは、確率学者はこれが正しくなるように問題を定義するが、統計学者は、それが正しいかどうかを検討し、それが正しいかどうかを検査するデータを得る事になる。

 …やっぱりわかんないね。確率は「こうなるはずだ」とモデルから結果を予想するのに対し、統計は「こうなった」という結果からモデルを見つけ出す学問なんだろう。当然、統計の基礎には確率論が必要。

 数学の一分野である統計の本ではあるが、やはり読んでて楽しいのは、統計学者の様々なエピソードや、統計に関する誤解を解く部分。まあ、誤解をなくす部分は、やっぱり統計がわかってないと辛いんだけど。やはり痛快なのは、イギリスの週刊誌「ビッグ・イシュー」と著者の論戦。

 ビッグ・イシュー曰く「この薬と年に31人の死亡者の関係」として、「イギリスで認可を受けて一年の間に31人が死亡している。誰のせいなのか」。著者は反論する。「死神はしかるべき数の人間としかるべき期間があれば、そういうふうにふるまうものだ」。

 著者は何が言いたいのか。別にバイアグラがあろうとなかろうと、一定数の人を一定期間観測すれば、その中の何人かは死ぬ。100年もすれば、みな死んでいるだろう。バイアグラを使った人と、使わなかった人の死亡率を比べなければ、31人という数字には何の意味もない。著者は、この点を辛らつに批判した投書を編集部に送る。なお、ビッグ・イシュー誌は、タイトルこそいじったものの、ちゃんと掲載したそうだ。

 人物伝もユーモラスなのが揃ってる。例えばポアソン分布(→Wikipedia)で有名なシメオン=ドニ・ポアソン(→Wikipedia)。幼い頃、乳母に預けられたポアソン君。乳母がお使いに出るときは、ポアソンの安全のため、釘にひっかけてぶらさげておいた。そしてポアソンは…

自分が振り子の物理学に興味を抱いたのは、幼い頃のこの経験のせいだと言っていた。

 そのポアソン分布にもオチがついてる。「スティグラーの命名の法則」に曰く。

ある発見に誰かの名前がついているときは、きっとその人は本当は見つけていないという法則だ。実際に、ポアソン分布はすでにド・モアブルが知っていた。

 肝心の統計に関しても、面白いネタが出てくる。「嫉妬深い夫のジレンマ」は、ミステリのネタにありがちな話。
 嫉妬深い夫が妻の浮気を疑い、探偵を雇う。何週間か徹底して調べ、詳しい報告書で探偵は結論を述べる。「奥さんはシロです」。一時は安心した夫だが、後で見落としに気がつく。「妻の浮気相手があの探偵だったらどうなるんだ?」

 ちょっと難しかったが、興味深いのが、伝染病の感染の話。感染者の割合が同じでも、単純に人口が多いほど、早く蔓延する。

 これを示す微分方程式がちゃんとあって、「100万の感染可能者がいて、1000人が感染していれば、この流行病は、1000人の村に1人の感染者がいる場合の100万倍の速さで(一日に増える感染者数で見て)広がることになる」「一人当たりの速さで見れば1000倍ということになる」。いや結局、式の中身はわかんなかったけど←をい

 真面目な統計の話としては、分散を求める際に、なぜ二乗するのか、をキチンと説明しているのがあり難かった。品質管理などで統計を学ぶ事は多いのだが、大抵は式を丸覚えするだけで、その意味までは教えてくれない。なぜバラつくのか、それをどう排除するのかに踏み込んで説明してくれるのは嬉しい…理解はできなかったが(←こればっかりだな)。

 最後は著者らしい皮肉が効いた文章を引用して終わりにしよう。シリコン挿入による豊胸手術を受けた女性が結合組織病にかかり、その原因は豊胸手術であるとして損害賠償を求める訴訟を起こした件で、原告と弁護士の会話を、こう想像している。

弁護士「15年前に豊胸手術を受けましたか?」
原告 「受けた」
弁護士「五年前、結合組織病にかかりましたか?」
原告 「かかった」
弁護士「なるほど。豊胸手術が結合組織病の原因になったのは、弁護士報酬ほど明らかですな」

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2013年12月 5日 (木)

チャイナ・ミエヴィル「クラーケン 上・下」ハヤカワ文庫SF 日暮雅道訳

 ロンドンのような街では……
 やめておこう。考えても助けにはならない。なぜなら、ロンドンのような街はほかにはないからだ。重要なのはそこだ。

【どんな本?】

 「ペルディード・ストリート・ステーション」「都市と都市」「言語都市」とヒットを連発したイギリスの新鋭SF作家チャイナ・ミエヴィルによる、ローカス賞受賞の長編SF/ファンタジイ小説。現代のロンドンを舞台として、展示中に自然史博物館から忽然と消えた巨大ダイオウイカの標本を巡り、様々な勢力が入り乱れてチェイスとバトルロイヤルを繰り広げる娯楽大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KRAKEN, by China Mieville, 2010。日本語版は2013年7月25日発行。文庫本上下巻で縦一段組み、本文約411頁+約426頁=837頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×(411頁+426頁)=約617,706字、400字詰め原稿用紙で約1,545枚。そこらの長編小説なら三冊分の大容量。

 文章はかなりクセが強く、ゴツゴツした雰囲気がある。恐らくこれは原文の影響もあるんだろう。というのも、漫画やライトノベルばりにケッタイな話し方をする人物が多く、また Squid-nap などの地口っぽい語呂合わせも頻繁に出てくるからだ。

 また内容もスタートレックから魔術師アレイスター・クローリーまで、オタク心をくすぐる小道具が満載なので、そっちの怪しげなシロモノの知識が豊富な人ほど楽しめる。とまれ、そこはミエヴィル。従来のファンタジイにありがちな化け物や魔術がそのまま出てくるわけではなく、彼一流のヒネたアレンジがなされているので、正統派の知識に疎くても充分に楽しめる。というか、ファンタジイが苦手な私も、奇想に悶絶しながら楽しみました、はい。

【どんな話?】

 ロンドンの自然史博物館ダーウィン・センター。海洋軟体動物専門の若きキュレーターのビリー・ハロウは、当番のツアーガイド役として、客の集団を誘導していた。彼らのお目当ては、わかっている。2004年にフォークランド諸島沖で発見されたアルキテウティス・ドゥクス、全長8.62メートルの巨大ダイオウイカだ。チャールズ・ダーウィン本人が集めた標本の棚を過ぎ、問題のダイオウイカの水槽がある部屋の扉を開けたとき、ビリーが見たのは…

 からっぽの部屋だった。全長9メートルの水槽ごと、巨大ダイオウイカが消えていた。

【感想は?】

 ロンドン版・帝都物語。

 お話は、先に書いたように、巨大ダイオウイカの盗難事件で始まる。一見ミステリ仕立てだが、とんでもない。奇形・怪人・怪獣大好きミエヴィルの趣味満開の、妖怪大行進へと話は突き進む。

 ケッタイな事件に巻き込まれたビリーはともかく、次に出てくる警察も、いわゆるスコットランド・ヤードとはだいぶズレた、FSRCと名乗る怪しげな連中だ。探偵物なら明智小五郎や金田一耕介にあたるパトリック・ヴァーディの専門も、修士課程は神学と言いつつ…。彼の調査助手が収集しているものと収集方法じゃ、いきなり吹きだしてしまった。

 そう、なんか重厚な雰囲気のカバーだけど、あまし真面目に読む小説じゃない。発端が巨大ダイオウイカの盗難事件とおバカ丸出しで、以降の進展や登場人物も、徹底して無茶苦茶やらかしてる。

 レーベルこそハヤカワ文庫SFだが、むしろファンタジイだろう。ファンタジイってのは、一見なんでも出来そうだけど、小説世界のルールを読者に納得させるのが難しい。特にミステリとは相性が悪くて、厳密な論理性を要求されるミステリと、魔法ありのファンタジイは、よっぽど上手く世界のルールを読者に伝えないと、ただの手抜きに見えてしまう。

 で、この作品。現代の都会を舞台としたロウ・ファンタジイだが、ファンタジイ度は濃い。次々と出てくる魔法使いや魔法も、徹底してミエヴィル流にアレンジされていて、その独特の理屈に笑うやら呆れるやら。ロウ・ファンタジイの魅力の一つは、科学・工学と資本主義が発達した現代社会と、その理屈から外れた魔法のミスマッチだろう。上巻では、大英図書館の前で行進する猫の集団に大笑い。そういえば、マルクスが資本論を書いたのも、ここだっけ。

 上巻も中盤以降から、クリーチャーわんさかの怪人大行進と様相を変えてゆく。メインストリームのファッションをリードするパリとは異なり、モッズ,パンク,ニューロマンティックとサブカル的・破壊的・革命的な若者ファッションをリードしてきたロンドンだけあって、出てくる連中も、そういうセンスで見れば、とってもオシャレでクールな奴ら。

 連中がクラブに集まる場面は、ある意味スターウォーズでルークがハン・ソロと出会う酒場の場面のように、この作品の価値を象徴する部分だろう…と思ったら、このお話の筋も、なんかスターウォーズっぽく思えてきた。

 スターウォーズだと、クリーチャーどもはエイリアンだ。それがこの作品だと、カルト組織や魔法使いどもに該当する。このカルト組織の設定が、これまた絶妙で。<カオス・ナチス>だの<ガンファーマーズ>だの。<ナックルヘッズ>には呆れるやら笑うやら。映像になったら、インパクトは凄いだろうなあ。<イエスの仏教徒>とか、本当にありそうで怖い。

 で、この連中が入り乱れてバトルロイヤルになる下巻後半のバトルは、なかなかの読みどころ。私は1979年の映画「ウォリアーズ」(→Wikipedia)を連想したけど、あんまし知ってる人はいないと思う。ウォリアーズはチンピラ同士のケンカだけど、この作品は奇妙な得物や魔術を使ったマジック・バトル。とまれ、妙に現代の電化製品を使ってるのが笑えて、もわず「ゴースト・バスターズかよっ!」と突っ込んだり。

 ってな無茶苦茶な設定ながら、なんとなく納得してしまうのも、舞台がロンドンのせいだろう。なんたって、下手すりゃ生きてる人間より幽霊の方が多いと噂の街だ。奇妙な連中がウロついても、飲み込んでしまう奥の深さがある。若者のファッションも過激で、どんな格好で歩いても「クールじゃん」で済んでしまうカオスな街。

 と同時に、ロンドン塔や切り裂きジャックに象徴される長い血塗られた歴史も背負っていて、裏道には何が潜んでるかわからない不気味さもある。こういうロンドンの魅力が、この作品を充分に引き立てている。上巻の前半は大英博物館や大英図書館など表の姿を見せるが、その大英博物館にしても、中東や北アフリカからの略奪品が満載だ。持ってきたのはモノばかりとは限らず…

 そんな風に、ロンドンの表玄関で始まった物語は、後半に入ると裏通りへと舞台を移す。古い建物や通りが多いロンドン、どこにどんな奴が住んでるか、わかったもんじゃない。<大使館>とか、どっからそんな発想が出てくるんだか。

 と、まあ、ハヤカワの青背と、媒体こそ妙に威圧感はあるけど、中身はおバカで狂騒的な娯楽作品。ミエヴィルのイカれたアイデアに翻弄されつつ、クリーチャー大行進の狂ったビジョンを存分に堪能しようじゃなイカ。

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2013年12月 2日 (月)

アラン・ワイズマン「人類が消えた世界」ハヤカワ文庫NF 鬼澤忍訳

「考古学の対象はぴかぴかの財宝ではありません――その背景にあるコンテクストなのです。わたしたちもそうしたコンテクストの一部です。焼き畑をしている発掘作業員も、マラリアに罹っている彼らの子供もコンテクストです。私たちは古代文明の研究にきていますが、結局は現在について学ぶことになるのです」
  ――考古学者アーサー・デマレスト

【どんな本?】

 遠い未来を舞台にしたSF漫画・SF映画などでは、ニューヨークなどの都市の廃墟が描かれる事がある。海や湖から、窓が割れ崩れかけたビルがニョッキリと突き出している光景は、どの程度、科学的に妥当性なのだろう。アスファルトに覆われた都市は、砂漠になるのだろうか。「自由の女神」やブルックリン橋などの人工物は、どうなるのだろう。そして、そこには、どんな生物が闊歩するのだろうか。犬や猫などのペットは、生きていけるのだろうか。

 ビルや橋などの建造物の弱点や、都市を支える知られざるインフラ、人間が作り出しているプラスチックなどの廃棄物、農地や山林に代表される「人工的な自然」環境、ゾウや蚊が環境に及ぼす影響など、土木・工学・化学・生物学と多彩な専門家のインタビューを交えながら、人類が消えた世界がどうなるかを描くと共に、現代社会がどのように支えられているか、環境にどんな影響を与えているかを描く、一般向けの科学啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The World Without Us, by Alan Weisman, 2007。日本語版は2008年5月に早川書房から単行本で刊行、2009年7月15日にハヤカワ文庫NFから文庫版で発行。縦一段組みで本文約454頁+訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×454頁=約335,052字、400字詰め原稿用紙で約838枚。長編小説なら長め。

 文章は翻訳物の科学解説書としては比較的にこなれている部類だが、一般読者向けとしては少し硬いかも。数式や分子式も出てこないので、あまり高度な前提知識は要らない。元素表を見た事があれば充分(中身は思えてなくても構わんです)なので、中学生程度の理科の素養があれば読みこなせるだろう。ひっかかりそうなのは、次の三点ぐらい。

  1. トネリコ・ヌー・ウォーターバックなど、動植物の名前が頻繁に出てくる。読み飛ばしてもいいが、気になる人は動物図鑑や植物図鑑を見ながら読むか、Wikipedia などで調べながら読む羽目になり、なかなか進まない。
  2. 地名もたくさん出てくる。マンハッタンやブルックリン橋はともかく、サンブル砂漠やパルミア環礁など、マニアックな地名も、気になる人は(以下略)
  3. 酸性・アルカリ性をあらわす pH(→Wikipedia)。7が中性で、それより小さいのが酸性、大きいのがアルカリ性って程度で充分。

【構成は?】

 サルの考案
第1部
 1 エデンの園の残り香
 2 崩壊する家
 3 人類が消えた街
 4 人類誕生直前の世界
 5 消えた珍獣たち
 6 アフリカのパラドクス
第2部
 7 崩れゆくもの
 8 持ちこたえるもの
 9 プラスチックは永遠なり
 10 世界最大の石油化学工業地帯
 11 農地が消えた世界
第3部
 12 古代と現代の世界七不思議がたどる運命
 13 戦争のない世界
 14 人類が消えた世界の鳥たち
 15 放射能を帯びた遺産
 16 大地に刻まれた歴史
第4部
 17 私たちはこれからどこに行くのか?
 18 時を超える芸術
 19 海のゆりかご
 私たちの地球、私たちの魂
  訳者あとがき

 基本的に各章は独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 これは発想の勝利。野次馬根性で読んでも面白いし、皮肉な現実を示すエピソードも多い。

 例えば、映画「猿の惑星」だと、「ココが地球である」由を示すために、自由の女神を使っている。では、本当に自由の女神は、数百年も崩れずに今の姿を留められるんだろうか。

 まず驚いたのは、「3 人類が消えた街」。ニューヨークの意外な素顔が明らかになる。なんと、常時水を汲みださないと、「おそらくはニューヨーク・シティの大部分も水没してしまうだろう」。パオロ・バチガルピの「第六ポンプ」は、かなり現実のニューヨークを反映した作品だったのだ。すんません、ナメてましたバチガルピさん。

 ってな感じに、まず納得するのは、「現在の文明社会は不断のメンテナンスが必要なだ」、という点。SFにありがちな設定で、無人の街に独り取り残される、みたいな話があるけど、なぜか水道や電気は生きてたりする。あれ、かなり違和感があったんだよね。だって取水場や発電所・変電所で働いてる人だっているんだし。

 と思ったら、ちゃんと発電所も出てきた。しかも、原子力発電所。モデルはアリゾナ州フェニックス、パロヴェルデ原子力発電所。「職員の数は2000人に上るばかりか、(略)独自の警察と消防署まである」。デリケートなシステムを管理する彼らが消えたら…

 という所で、チェルノブイリに場面を移すあたりが憎い。なんと、「ヨーロッパ有数のバードウォッチング・エリアとなっている」。人がこなくなって、野生の王国になり希少種も姿を見せている、と。まあ影響はあったらしく、「色素欠乏による白い羽が点々とあるツバメのヒナが多数生まれた」「ハタネズミは短命になったが性的成熟と出産も早くなった」。希少なヨーロッパ・バイソンを連れ戻す計画まであるってんだから、災い転じてなんとやら。

 人為的な原因で無人の地となった例は、他にも出てくる。キプロスだ。いずれも戦争により非武装地帯となり、人間が消えた土地。キプロスはギリシャ系 vs トルコ系の戦いで、興味深いことに、ホテルが立ち並ぶリゾート地ヴォロシャが無人の地となった。ここでは、鉄筋コンクリートのホテルが、どうやって朽ちてゆくかが描かれる。シクラメンのなんと逞しいことよ。

 やはり無人の地となっているのが、朝鮮半島の38度線。こっちは「打ち捨てられた水田に。地雷がびっしりと埋められている」とあるから、元は農地。両軍の兵が互いに迫撃砲を構え睨みあい、大型スピーカーでやかましく宣伝合戦を繰り広げる一方で、貴重なタンチョウが繁殖している。

 だもんで、生物学者のE・O・ウィルソン曰く「いっそ両国共有の自然公園にしてして観光収入を分けあえばいんじゃね?」。でも逞しい開発業者が、分譲地にしようと手ぐすねひいてます。政治的な影響力を考えると、終戦を実現させるとしたら、不動産会社の方が可能性は高そう。一触即発のタンチョウの天国と、平和な分譲地、どっちがいいんだろ。

 環境への影響という点で怖いのが、プラスチック。寒暖の差や紫外線などで劣化はするものの、物質そのものは分解されない。岩が風化などで砂になる要領で、どんどん細かくなってゆく。「小さくなればなるほど、より大きな問題を引き起こすことに気づいたのです」と語る海洋学者のリチャード・トンプソン。動物がプラスチック片を飲み込むと便秘になる。なら、動物プランクトンがプラスチックの粉を飲み込んだら?

 などの真面目な話の他に、終盤で出てくるヘンな人たちも面白い。100万年壊れない棺桶を造るウィルバート葬儀社、人類が破滅する確率を計算するニック・ボストロム、VHEMT(自発的な人類絶滅運動)の創設者レス・ナイト、仮想空間に精神をアップロードしようとするトランスヒューマニスト。その自由で奔放な発想は、いかにもアメリカらしい。

 日本に住んでいるなら、春や夏に読むといいだろう。アスファルトを破ってタンポポがニョッキリと顔を出す季節。庭の手入れに苦労している人なら、植物の旺盛な生命力を嫌というほど実感しているはず。本書が描く都市が侵食されてゆく様子が、体で感じられると思う。

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