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2013年11月の16件の記事

2013年11月29日 (金)

SFマガジン2014年1月号

山田正紀「PCだといつまでも直してしまう。でも原稿を直している時間は生産していない。新しく書く事からひたすら逃げているだけだ」
――池澤春菜 SFのSは、ステキのS 第42回 手書きの書に捧げる先行投資

 280頁の標準サイズ。特集は二つ。一つは「第1回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作発表!」として大賞受賞の六冬和生「みずは無間」第一部,最終候補作の下永聖高「オニキス」に加え、六冬和生インタビュウと最終選考委員選評。もう一つは《グイン・サーガ》正篇刊行再開記念小特集のクロス・レビュウとエッセイ。小説は他に神林長平の新連載「絞首台の黙示録」,夢枕獏の「小角の城」,森岡浩之の「星界の断章 岐路」。

 六冬和生「みずは無間」第一部。太陽系の彼方、ヘリオポーズを超え、黙々と外宇宙へと進む俺=探査機。少し前までは地球の時事ニュースも届いていたが、今は静かに思索にふけるAI…ではなく、なぜか会話の相手がいる。80年後に射出された、同じく探査機のAI、サーフだ。これが小うるさい17歳の小娘で…
 深宇宙を探索しつつ、退屈を紛らわすために自己を改造してゆく「俺」のパートと、「俺」の回想で描かれるちょいメンヘル入った恋人みずはとの生臭いパートが、鮮やかな対照をなしている。「俺」パートでは、まずサーフとの長距離会話のトリックに感じ入った。キャスリン・シュルツの「まちがっている エラーの心理学、誤りのパラドックス」に、ヒトの脳も似たような事をやってる、みたいな話があって、「おお、上手い」と感心したなあ。恋人パートは、最初は「なんか可愛いじゃん」と思ったみずはが、少しづつ印象が変わっていく語り口が巧い。東浩紀の選評にある「あまりに個性的な作品なので(略)今後の応募作の方向を狭めかねない」など、先が気になる。

 下永聖高「オニキス」。いつものように、通勤列車の中で本を読む由良。ちょうど百頁目で乗換駅に着いた。文庫本にしおりをはさみ、モノレールに乗り換える…と、「書き換え」に気がついた。さっきのしおりは百頁だったのが、今は98頁にある。記憶が書き換えられたのではない。現実が書き換えられたのだ。それに由良が気づいたのは、後頭部に差し込まれた小さな記憶保持装置のためだ。
 過去を改変してしまう物質「マナ」の発見と、それを巡る実験のモニタに参加した者たちを通して、タイム・パラドックスに挑む作品。ちょっとラファティの「われらかくシャッルルマーニュを悩ませり」を思わせるトリックだけど、放り投げちゃってるラファティに対し、この作品はキッチリと正面から向き合って描きこんでいる。

 両者とも、新人とは思えぬほど文章が巧く、読みやすい。特に「オニキス」は、ありがちな日常から入るためとっつきやすい。そこでナメてテキトーに読んでると、実はかなり込み入った構造の話なので、頭のギアの切り替えに苦労する。

 神林長平「絞首台の黙示録」。死刑が確定したおれは、残された少ない権利のひとつを行使して、宗教教誨師を要求した。別に今さら悔い改めたいわけじゃない。宗教に代表される<幻想>を、人が後生大事に信じているものを、叩き潰したかった、それだけだ。
 新連載の一回目なので、どっちに話が向かうのか見当もつかないんだが、今回は「人の死」がテーマになっているようだ。最初から死刑囚の独白で始まる上に、作品名も相まって、いかにも禍々しく陰鬱な雰囲気が漂う。とまれ文章はいつもの神林節のため、飄々とした軽さを生み出していて、暗いテーマの割に口当たりはいい。

 森岡浩之「星界の断章 岐路」。<アーヴによる人類帝国>の都ラクファカール陥落を目前として、その門のひとつクリューヴ門の防衛の任につく特設第1052独立戦隊。といっても、属するのは特設工作艦<クニュムラゲール>だけ。指揮を執る司令官はコリュア・ウェフ=ボーザク・コンサ千翔長。その任務は住民を避難させること、もう一つは軌道館のひとつを要塞に改造すること。改造するのは生家のコリュア館にしようと決めていたコンサだが…
 本編でも絶大な人気を誇る人物の秘話…って、扉でバレてますがな。相変わらずユーモラスな会話を書かせたら独自の味を出す森岡氏、今回もコンサとの会話(というより掛け合い漫才)は、絶妙のテンポで進む…というか、ボケとツッコミの応酬で話が進まないというかw

 池澤春菜「SFのSは、ステキのS」。山田正紀氏の言葉に頷くことしきり。いやホント、これプログラムも同じで、手元において改善してる間は、いつまでたっても完成しないんだよね。必ず直したい所が見つかる。だから、私の記事で誤字脱字があっても大目に見てください←結局それかい

 SF BOOK SCOPE/海老原豊のOVERSEAS。なんと河出文庫からマイクル・コーニイの「ハローサマー、グッドバイ」の続編「バクーラシの記憶」山岸真訳が出てる。何年ぶりだろ?

 MEDIA SHOWCASE/飯田一史のMUSIC。今回は Supercell の「ZIGAEXPERIENTIA」と Sound Horizon の「ハロウィンと夜の物語」。両者の共通点として三つ、キャッチーなメロディ・二次利用に寛容・私生活が謎めいてる点をあげてるのが印象的。作品は拡散させるけど、ミュージシャン自身のプライベートは守る、その対照が面白い。

 長山靖生「SFのある文学誌」、第25回は『蜃気楼』――女性の権利としての娼妓廃止議論と演劇改良。宇田川文海の明示19年の作品『蜃気楼』をネタに、当事の女子参政権問題と娼妓廃止議論を扱っている。ここで唸ったのが「粋と野暮」の話で、徹底した野暮はそれなりに認められるけど、半可通は嗤われる、って話。ああ、耳が痛い。思い当たる節が沢山あるんだよなあ、ニワカ軍ヲタだし。まあ軍ヲタはニワカを自認してるからいいけど、他にも色々と…

 SF MAGAZINE WORKSHOP 香山リカ「精神の中の物語」/プラナリアに思う「脳の外の記憶」。増頁かと思ったら、新連載なのね。二つにちょん切ったら二つとも再生するプラナリア。光を嫌うプラナリアに「光の方にエサがある」と仕込み、胴体から前後に切って再生すると、頭から再生した方は条件反射を思えてる。尾の方は条件反射を覚えちゃないけど、同じ条件反射を仕込むとモノ覚えが早い。ってんで、「カラダにも記憶があるんじゃね?」って話。
 体感的にも、暫く自転車に乗ってなくて、久しぶりに乗っても、ちゃんと体が覚えてるし、スキーも同じだって話がある。こういう「体中の筋肉を統合して動かす運動」ってのは、統合の具合をノーミソ以外の所が覚えてるのかも。

 SF MAGAZINE WORKSHOP 鹿野司「サはサイエンスのサ」/目で見ることと感じること(その3)。お話そのものも面白いが、それ以上に、自分の体験をキッカケに深く細かく調べ上げ、レポートとして読み物に仕上げる姿勢に感服。こういう、キッカケを掴んでは好奇心を発揮して調べモノにしていくあたりが、さすがプロだよなあ。 

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2013年11月28日 (木)

ブログの表示を速くしたくてTweetボタンを外した

 ご覧のとおり、このブログは無愛想なデザインなんだけど、その言い訳を。

 なんで無愛想かというと、別に無愛想を目指しているわけではなく、読みやすいブログを追求したら、無愛想になってしまったのだ、という話。

 このブログは書評が中心で、どうしても文字が中心になる。じゃ文字中心のサイトは、どんなのが読みやすいか。デザインは素人だけど、素人なりに考えて、こんな項目を挙げた。

  • ある程度、文字は大きい方がいい。小さい文字が沢山あると、目にキツい。
  • 濃い地に淡い色の文字より、淡い色の地に濃い色の文字の方が、目に優しい。
  • ブログのタイトル・サブタイトル部分(「ちくわぶ」「SF/歴史/科学/軍事の書評と、たまにiTunes/iPod」)は、あまし場所を取らない方がいい。ブログを表示したら、すぐに記事が目に入るデザインにしたい。
  • lynx などのテキスト・ブラウザだと、左のサイドバーが邪魔だ;本文を読む前に何回かスクロールしなきゃいけない。だから、サイドバーは右だけにしよう。

 など見た目の問題もあるけど、読みやすさいは、もう一つ重要な要素がある。「なるべく読者を待たせないこと」だ。クリックしたら、スグに表示して欲しい。ダラダラと待つのは、誰だって嫌いだ。最近はワンクリック詐欺とかコンピュータ・ウイルスとかもあるし、あまし表示に時間がかかると、「このサイト、なんかヤバいモン仕込んでるんじゃないか」と不安になる。

 では、表示を速くするにはどうすればいいか。実は今の所、HTML3 とかの古い規格で作ったサイトが、最も表示が速い。徹底して速さを追及するなら、HTML+CSS+JavaScript をベースにしたブログより、シンプルな Web サイトこそ理想だったりする。ただ、作る側の都合でブログは便利なので、ブログの中で速さを追求することにした。

 構成も、読みやすさを求めて、色々と試してみた。例えば先頭頁(http://chikuwablog.cocolog-nifty.com/)。今は「最近の5記事を全文表示する」設定だ。一時期は、試しに「先頭頁は日付と記事タイトルだけを30記事分表示する」設定にした。ところが、これが大失敗。

 遅い。とにかく、表示に時間がかかる。奇妙に思ってページのソースを開いてみたら…

 日付と記事タイトルしかない頁なのに、やたらソースが長い。ソースの大半は、Tweet ボタンの JavaScript が占めていた。プログラムの長さと処理時間は、単純に比例するわけじゃないけど、JavaScript はブラウザが読んでから解釈するわけで、長いプログラムは当然ながら解釈にも時間がかかる。マシンのメモリ容量や回線によっては、頁全体を伝送する時間もバカになるまい。

 この辺、裏を取るには、キチンとプロファイラとかを使って処理時間を測るのが適切な方法なんだけど、この時は面倒なんで「Tweet ボタンが悪い」と決め付けた。ちなみに、今だに処理時間は測ってないです、はい。

 とかもあって、ブログから余計なアクセサリを外す方向でデザインし直した。Tweet ボタンは重いから外そう。各記事は独立してて日付はあまり意味ないからカレンダーは要らないよね。どうせコメントは滅多に貰えないから「最近のコメント」はなくそう。トラックバックも…

 などといじり回したら、無愛想なデザインになってしまった。そんなわけで、別に Tweet されるのが嫌なわけでも、コミュニケーションを拒否してるわけでもないです。なるたけ表示を速くしたい、だから余計なモノを削った、その結果として無愛想になってしまった、そういう事です、はい。

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2013年11月27日 (水)

「WWセレクション 始まりと終わり ドイツ空軍の栄光 アドルフ・ガランド自伝」学研 並木均訳

 ジェット推進で初めて空を飛んだぞ! エンジンの振動はない。トルクもないし、鞭打つようなプロペラ音もない。汽笛のような音を伴って、私のターボ(トウルボ)は空中を突き進む。――後に、どんな感じだったかを問われ、「まるで天使が押してくれるようだ」と答えたものだ。
  ――残された可能性とは

【どんな本?】

 第二次世界大戦のドイツ空軍において、開戦当初は戦闘機のエースとして活躍し、1941年12月からは戦闘機隊総監としてドイツ空軍の戦闘機部隊を率い、ドイツ空軍の揺籃期から崩壊までを見取った著者アドルフ・ガランド(→Wikipedia)による、第二次世界大戦ドイツ空軍戦闘機部隊の熾烈な戦いの記録。

 華々しくデビューを飾ったスペイン内戦、ドイツ空軍の根本的な弱点が露わになったバトル・オブ・ブリテン、新鋭のドイツ空海軍が天下の大英帝国海軍に目のもの見せた雷電作戦、怒涛のように押し寄せる米英連合国の戦略爆撃、何も出来なかったノルマンディー上陸作戦、崩壊寸前の最後の輝き第44戦闘団まで、西部戦線を中心に語るドイツ戦闘機部隊の栄光と終焉の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Die Ersten und die Letzten - Jagdfleger im Zueiten Weltkrieg, by Adolf Galland, 1953。日本語版は1972年にフジ出版社から「始まりと終り」として出たが、これはドイツ語→英語→日本語の重訳の上に、一部が割愛された抄訳版。学研版は2013年5月14日第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約691頁+訳者あとがき4頁。9ポイント46字×16行×691頁=約508,576字、400字詰め原稿用紙で約1272枚。長編小説なら堂々2冊分の大ボリューム。

 お堅い印象のドイツ語からの翻訳のわりに、意外と日本語はこなれていて、とっつきやすい。内要は軍記物なだけに、やはり第二次世界大戦の西部戦線の知識が多い人ほど楽しく読める。特にこの作品は空軍の話であり、第二次世界大戦当事のドイツ・イギリス・アメリカの軍用機が続々と出てくるので、レシプロ機マニアにはたまらない。

 自伝なので視点は限られる。とまれ、戦闘機隊総監としてドイツ空軍の戦闘機部隊を俯瞰する立場なので、当事のドイツの空の戦いは、ドイツ軍・連合軍ともに比較的に俯瞰した目で見ている。ただし、東部戦線の話は少なく、西部戦線の話が中心となる。

【構成は?】

KAPITEL 01 アルゼンチンの地の上で
KAPITEL 02 パイロットになろう……
KAPITEL 03 人生の厳しさは徐々に
KAPITEL 04 グライダーから動力機へ
KAPITEL 05 「『現役』にならんかね」
KAPITEL 06 「飛行士不適格」
KAPITEL 07 コンドル軍団に呼集
KAPITEL 08 共産勢力への低空攻撃
KAPITEL 09 スペイン内戦から閲兵式までの間
KAPITEL 10 西方戦役における戦闘機隊
KAPITEL 11 「バトル・オブ・ブリテン」の開始
KAPITEL 12 生死を賭した戦い
KAPITEL 13 『英国空爆』
KAPITEL 14 「アシカ」から「バルバロッサ」までの間
KAPITEL 15 戦略的新天地の上で
KAPITEL 16 悪夢が現実となる……二正面作戦
KAPITEL 17 東部戦線――空のヴェルダン
KAPITEL 18 戦争はクリケットの試合ではない
KAPITEL 19 陰鬱な出来事
KAPITEL 20 前進か後退か
KAPITEL 21 「雷電(ドナーカイル)作戦」
KAPITEL 22 突破
KAPITEL 23 ノルウェー戦からアフリカ戦までの間
KAPITEL 24 対岸観望
KAPITEL 25 本土防衛の時来たる
KAPITEL 26 爆弾の後追い
KAPITEL 27 屋根のない家
KAPITEL 28 ハンブルク――ドイツ空軍の分水嶺
KAPITEL 29 一難さってまた一難
KAPITEL 30 敵と指導部相手の戦い
KAPITEL 31 往復空襲に板ばさみのドイツ
KAPITEL 32 天罰
KAPITEL 33 ヨーロッパ侵攻作戦――終わりの始まり
KAPITEL 34 「ルフトヴァッフェはどこにいる」
KAPITEL 35 「大打撃」
KAPITEL 36 残された可能性とは
KAPITEL 37 ジェット戦闘機の悲劇
KAPITEL 38 終わり
 訳者あとがき/著者参考文献/アドルフ・ガランド略年譜

 最初の「アルゼンチンの地の上で」を除き、基本的に時系列順に話が進む。編注は各章の末尾にあるので、複数の栞を用意しておこう。できれば索引が欲しかったなあ。

【感想は?】

 歯に衣を着せぬ著者の作品だけあって、最高にドラマチック。

 ギムナジウムじゃ物理・技術・自然とスポーツが好きで、ラテン語とギリシャ語が嫌い。グライダーにうつつをぬかし、「必然的に、なんとも素晴らしいというか、1927年の春、私は落第した」。

 飛行気乗りってのは我が強い人が多いのか、この人も親爺さんの反対を押し切ってパイロットになり、軍に志願してる。何回か事故で頭に傷を負い、左目の視力が落ち、視力検査で窮地に陥るが、「左眼も全く問題ない」とお墨付きを貰う。「親友がこっそり入手してくれた視力検査表を、何週間もかけて徹頭徹尾、完璧に頭に叩き込んでいたのである」。

 スペイン内戦から、個人より組織よりの視点が入ってくる。ここでは旧式の He51(→Wikipedia) に苦労しつつ、若く柔軟な組織らしく、戦いの中から戦法・戦術を編み出し、洗練させてゆく。「今日のナパーム弾の先駆けも、私の整備員が発明したものだ」。頻繁な移動・設営に懲りて列車を常設本部に作り変えたり、偽装の重要性を体験したり。

 などと初期の部分は活気に満ちてユーモラス。これが中盤以降は立場も変わり口が多くなり、終盤では痛烈な毒舌へと変わってゆく。

 というのも、当事のドイツ空軍の性格によるもの。「ドイツでは、空軍を攻撃手段と見なす戦略概念が支配的だった。したがって、まずは爆撃機が必要とされたのである」。航空優勢や制空権の確立を求める戦闘機は軽視され、必然的に戦闘機部隊は冷や飯食らいとなり、防空用の戦闘機増強を望むガランドの意見は冷遇されてしまう。

 基本的に空軍を「射程距離の長い砲」として想定していたドイツ空軍は軽爆撃機ばかり、落下増槽もない戦闘機 Me109(→Wikipedia)も大陸でこそ活躍できたものの、ドーバー海峡を越える敵地では20分程度しか戦えない。イギリスの優秀なレーダー技術もあり苦戦したガランド、ゲーリングの「何が欲しい?」との問に思わず…

「わが航空団にスピットファイア(→Wikipedia)を装備していただければ」

 結局、バトル・オブ・ブリテンは挫折、バルバロッサ作戦が発動して恐れていた二正面作戦となる。などと苦しい状況が続く中で、一時の栄光が雷電(ドナーカイル・ツェルベルス)作戦(→Wikipedia)。

 フランスはブルターニュ半島の端ブレストにいる巡洋戦艦「グナイゼナウ(→Wikipedia)」「シャルンホルスト(→Wikipedia)」および重巡洋艦「プリンツ・オイゲン(→Wikipedia)」を、イギリスの鼻先ドーヴァー海峡をすり抜けノルウェイへ移す、というもの。いいトコなしのドイツ空軍戦闘機部隊にとって、このあたりは数少ない脚光を浴びる場面だ。

 が、以降は米英両国の四発重爆撃機に蹂躙される記述が続く。なぜにそこまでドイツの防空体制が無力だったのか、その理由が後半で明らかになる。つまりはドイツ軍そのものの性格だ。攻撃のみを重視し、防衛は考えない。だから防衛的任務の戦闘機は軽視する。また空軍は陸軍の支援的な役割に特化していて、軽爆撃機はあっても重爆撃機はない。

 その根本にヒトラーの考え方がある由を、鮮やかに象徴するのが悲劇のジェット戦闘機 Me262(→Wikipedia)。卓越した能力を誇りながらも、あまりに遅れた登場で戦局を覆すには至らず、その多くは敵に制空権を奪われた地上で破壊されてゆく。

 Me262 と、エース・パイロットを集めたJV44こと第44戦闘団の物語は、崩壊してゆく第三帝国の中で一瞬の閃光を放つ。軍ヲタなら、最後の3章だけでも一晩語り明かすだろう。ちょっと長いが、第44戦闘団の編成を命じられた際の、著者のパイロット魂が炸裂する言葉を引用して終わろう。

私は中尉として、中隊長としてこの戦争に臨んだ。そして中将として、中隊長として軍歴を終えるのだ! それが私に課せられた運命なのだ! 管轄に縛られることなく、いわば自由に空を飛べる戦闘機隊! 戦闘機隊のエリートとして選抜されるごく小数のパイロット! 現下の世界でこれ以上優秀なものはないとわれわれが信じて疑わないジェット戦闘機! そして、戦史上特筆すべき戦闘機中隊を編成し、指揮することを許された私という幸運な男!

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2013年11月25日 (月)

籘真千歳「スワロウテイル/初夜の果実を接ぐもの」ハヤカワ文庫JA

「それでは皆様、遭難のお準備はお済みですか?」

【どんな本?】

 新鋭SF作家・籘真千歳のスワロウテイル・シリーズ四部作の最新作。舞台は関東平野が水没した未来。日本から半独立的な地位を勝ち得た人工的な海上都市「東京自治区」は、<種のアポートシス>に感染した者が、人が創りあげた知性体・人工妖精と共に住んでいる。

 そんな人間のひとり、優れた才能と極悪な性格を同居させた精神原型師・詩藤鏡子は、行くあてのない人工妖精・揚羽を養育者の名目で保護しつつ、今日も容赦なく揚羽を虐待して鬱憤をはらすのであった。

 …なんか違う気がするけど、ま、いっか。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年7月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約542頁+あとがき6頁。9ポイント41字×18行×542頁=約399,996字、400字詰め原稿用紙で約1000枚。普通の長編小説なら2冊分ぐらいの大容量。

 文章は独特のスタイルで、少々硬い。精神原型師にアーキタイプとルビを振るなど、黒丸尚以降を感じさせる現代的な文体だ。内容も古細菌類から巨大回転蓄電器などガジェットが頻出しSF分は濃く、一部ではニーチェを巡る解釈論が展開するなど、歯ごたえのなる作品に仕上がっている。お話の仕掛けで意図的にストーリーをシャッフルしている部分もあるので、じっくり腰を据えて読もう。

 設定や登場人物も、前の三作「人工少女販売処」「幼形成熟の終わり」「人工処女受胎」を引きついでいて、この巻から読むのは少々厳しい。刊行順なら「人工少女販売処」→「幼形成熟の終わり」→「人工処女受胎」となるが、とっつきやすさを優先すれば時系列順に「人工処女受胎」→「人工少女販売処」→「幼形成熟の終わり」もいいかも。

【どんな話?】

 古細菌類の侵食で関東平野は水没した。同時に人類は古細菌類を培養した微細機械(マイクロマシン)を開発し、繁栄を謳歌したが、同時に疫病<種のアポートシス>の危機に直面する。関東湾の中央の海上都市・東京人工島は、<種のアポートシス>感染者を隔離する牢獄でありながら、同時に日本国から一定の自治権を勝ち得る半独立国として、主に知的財産権を収入源として相応の経済規模を誇る。

 東京自治区は、火属性の人工妖精・椛子が総裁として君臨し、圧倒的な軍事力を誇る列強と、頼りにならぬ宗主国・二本の間で危うい独立を維持している。その補佐役であり護衛でもある武芸に秀でた十本指のうち、なんと七人までが一人の暗殺者に始末され、最強を誇る親指も危機に陥っていた。

【感想は?】

 注意深く読もう。この巻は、意図的に読者を混乱させる構成になっている。仕掛けの一つは、前々作の「幼形成熟の終わり」を読んだ人ならわかるだろう。

 「人工少女販売処」「幼形成熟の終わり」ともに、静謐な水上シーンが印象的だったこのシリーズ、今回も(短い寓話に続いて)蒼い水上の場面で始まる。ただ、今までの水の場面が寒々しい印象だったのに対し、今回は爽やかに晴れ上がった空の下に広がる海。絵としては健康的なんだが、素直に自然礼拝とはいかないのが、クセ者の作者らしい。

 今までも圧倒的な傍若無人振りを発揮してきたマッド・サイテンティストの鑑・詩藤鏡子、この巻でも見事な唯我独尊ぶりを発揮し、揚羽を虐待しまくる。と同時に、その博覧強記で解説するニーチェ思想の概要は、なんとなく読者を「わかった気持ち」にさせるから、案外と教師としても優秀なのかも。いや授業は受けたくないけど。

 そんな鏡子さんに対し、一歩も譲らぬどころか、逆にタジタジとさせる強敵が現れるからこの巻は楽しい。いやあ、あのお方の登場場面のなんと嬉しいことか。どうなる事かと思ったら、更にパワーアップしている様子で…。

 このシリーズの重要な要素が、人工妖精の精神構造。精神原型師が職人仕事で創りあげるわけだが、基本的なバリエーションが四つあって、相応のクセがないと、キチンと「意識」が動作しない、そういう設定になっている。クセは四つのバリエーションがあって、曰く水・土・火・風。

 温和で従順な水、理性的で求道的な土、情緒豊かな火、気まぐれで行動力に溢れる風。一応は四つに分類されてるようだが、あのお方の場合は…まあ、あれだ、地上の土にしたって、全てを飲み込む泥湿地・全てを凍らせる永久凍土・全てを干上がらせる砂丘があるように、同じ気質にも色々あるんだろうなあ、うん。

 というわけで、毒舌でも世界最高峰を誇るであろう詩藤鏡子に対し、一歩も惹かぬ手腕を見せ、なおかつ手段を選ばず己の規範を断固として押し付ける毅然とした態度と能力は見事なもの。全般的に陰鬱な雰囲気が漂うこの巻の中で、明るく軽やかで貴重なコメディ・パートとなっている。あの方には、是非とも他の作品などで再登場を願いたい。

 などとコメディに仕立てているが、改めて考えると、あの方の行動は、このシリーズのテーマにも関わっていたりする。つまりは人類と「別の知性」の共存だ。

 神でも異星人でもロボットでも、人類は別の知性との会合を求めてきた。今の所、神様は見つかっていないし、異星人も望み薄だ。じゃ自分で作ってしまえ、というのがロボット。現実に Google などは統計的な手法で検索システムの精度を上げているし、IBM もワトソン(→Wikipedia)がクイズ王となった。だが、ヒトが求めているのは、そういうものじゃない。

 単に有能なだけでなく、ちゃんと感情を持った存在が欲しい。だが優秀で感情を持つ存在が、人の奴隷としての地位に甘んじているだろうか。このシリーズでは、あっさりと我々の思い込みを覆す設定にしている。つまり、東京自治区に君臨するのは、火属性の人工妖精である、椛子閣下だ。ロボットがヒトの上に君臨する形となっている。

 あの方の場合も、そんなわけで、我々の思い込みを見事にひっくり返す原理に従って行動している…あれ?もしかして、この行動原理を徹底的に突き詰めたら、なんか凄まじい世界になりそうな気が。その気になれば出来ちゃいそうなお方だけに、次のシリーズでは堂々と主役に…無理かな。

 「シリーズ4作のフィナーレ」とあるだけに、なんかモヤモヤしてた揚羽の秘密が明らかになると同時に、今までのシリーズで散りばめられた壮大な仕掛けが終盤に炸裂してゆくと共に、この巻の錯綜した構成もスルスルと解けてゆく。いや私は少し考え込んで、やっと「おお、そうか!」と納得したんだけど。

 凝った構成、深遠な哲学論議、破壊的なコメディ、そして可愛い女の子が一杯の新世代のSFシリーズ、これにて一応の完結。

 でもやっぱり、あのお方の活躍がもっと読みたいぞ、私は。

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2013年11月22日 (金)

ムハマド・ユヌス「貧困のない世界を創る ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義」早川書房 猪熊弘子訳

 過去において、経済的な団体はいつも自問していた。「貧しい人々は信用に値するだろうか?」いつも答えはノーだった。その結果、貧しい人々はまるで彼らが存在しないかのように、金融システムから単に無視され、排除されてきた。私は逆の質問を返した。「銀行は人々にとって価値があるのだろうか?」と。

【どんな本?】

 ムハマド・ユヌス(→Wikipedia)は、2005年ノーベル平和賞受賞者。バングラデシュで貧しい人を対象としたマイクロ・クレジット(→Wikipedia)のグラミン銀行(→Wikipedia)を創設・運営し、軌道に乗せた。そして今は、グラミン銀行の理念を更に拡張したソーシャル・ビジネス(→Wikipedia)を提言し、推進している。また、彼が提言するマイクロ・クレジットやソーシャル・ビジネスは世界中の発展途上国で芽吹き、成果をあげつつある。

 なぜ貧しい人向けのビジネスを始めたのか。なぜマイクロ・クレジットは成功したのか。そのために、どんな工夫をしたのか。そもそもソーシャル・ビジネスとは何か。どんなソーシャル・ビジネスを、どのように行って、どう成功または失敗したのか。それはチャリティーやNGO、政府開発援助(ODA、→Wikipedia)と何が違うのか。

 現在の経済学に新たな概念「ソーシャル・ビジネス」を導入し、その過去・現在・未来を見通す、理想と興奮に満ちたノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Creating a World Without Poverty, by Muhammad Yunus, 2007。日本語版は2008年10月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約365頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント45字×17行×365頁=約279,225字、400字詰め原稿用紙で約698枚。長編小説なら少し長め。

 翻訳物だが、文章は比較的にこなれている。内容も比較的にわかりやすい。全体の9割、つまりソーシャル・ビジネスの理念と、その成功の秘訣は中学生でも理解できるだろう。ただ、残りの1割、後半になって一部で出てくる資金の調達・運営の話では、株式や証券・債券など、現代金融の基礎的な概念が必要になるので、高校卒業程度の経済の知識が必要だろう。

【構成は?】

 プロローグ 始まりは握手から
第一部 ソーシャル・ビジネスの約束
 1 新しい業種
 2 ソーシャル・ビジネス――それはどのようなものなのか
第二部
 3 マイクロクレジット革命
 4 マイクロクレジットからソーシャル・ビジネスへ
 5 貧困との闘い――バングラデシュ、そしてさらに遠くへ
 6 神は細部に宿る
 7 カップ一杯のヨーグルトが世界を救う
第三部
 8 広がりゆく市場
 9 情報技術、グローバル化、そして変容した世界
 10 繁栄の危険
 11 貧困は博物館に
 エピローグ 貧困は平和への脅威である
  訳者あとがき

【感想は?】

 経済学は、今、革命期に来ている。

 物理学なら、ニュートン力学の世界にアインシュタインの相対性理論が来たような、そんな革命が始まっていると思う。ニュートン力学を否定するのではなく、その土台の下に革命的なシロモノが潜りこみ、応用範囲を大きく広げる、そんな変化が同時多発的に起きていると思う。

 というのも、ここ何年かで読んだ一般向けの政治・経済系の本は、同じ傾向があるのだ。現在の経済学は、人の欲望を「富の最大化」のみに絞っている。ところが、例えばブライアン・カプランの「選挙の経済学」では、こう主張している。「人は宗教的・政治的な信念を守る為にも代価を支払う」と。

 そして、この本も、似たような事を主張している。「人は社会に貢献するためにも財を差し出す」と。面白い事に、論調と読後感は正反対なぐらいに違うんだが、「人は気持ちの為にカネを出す」という基本的な理屈は共通している。

 本題であるソーシャル・ビジネスの概念を理解するには、具体例から入るのがいいだろう。グラミン銀行創設の物語だ。発端はソフィア・ベガムという貧しい女性で、家族のために一日中、竹の椅子を編んでいたが、一日の儲けはたった2セント。なぜか。

 椅子を作るには材料の竹が必要だ。仕入れの元手は、近所の高利貸しに借りた…はいいが、コイツが悪徳で、仕上がった椅子は高利貸しが独占して買い叩く。高利貸しの被害者は同じ村で42世帯、借り入れ金額は856タカ=27ドル。ポケットマネーを貸して彼女らを救った著者は、同じ事をするよう銀行に掛け合うが、相手にされない。担保がなきゃバングラデシュの銀行は金を貸さないのだ。まあ、それは日本の銀行も同じだけど。

 「オーケー、じゃ俺がやってもいいのね?」と仲間と組み小額融資のグラミン(村)銀行を始める。年率20%の単利。日本の消費者金融と同程度だから「高いじゃん!」と思うかも知れないが、バングラデシュじゃこれでも低金利。高利貸しはどれだけ暴利をむさぼってたんだか。まあいい。この本によると、グラミン銀行の返済率は98.6%。利息が20%なら、充分に営利企業として利益を出せる水準だ。

 ここで巧妙なのが、返済率を高めるための工夫。まず、貸し出す相手は女性が多い。曰く「男は時運のために金を使う。女は家族、特に子供のために使う」。また借り手は五人組を作り、毎週ミーティングして相談しあう。踏み倒さない最もありがちな理由は、「グループの他のメンバーを失望させるのがいやだから」。他にも「16の決意」などで、借り手に貧困から抜け出すアドバイスを与えてゆく。

この想いを、先のブライアン・カプランなら見栄と呼ぶだろう。そしてムハマド・ユヌスは誇りと呼んでいる。

 まあ、ここまでなら、ちょっと変わった、でも急成長する成功した営利企業と同じに見える。ソーシャル・ビジネスが違うのは、利益の使い方だ。グラミン銀行は、利益を組織の拡大に再投資する。株主・出資者への配当はない。じゃ施しと何が違うのか。出資者は、いつでも資金を引き上げていい。カネを与えるんじゃない。一時的に預けるだけだ。

 グラミン銀行は、金融だけだった。これを、別の商売に応用したのが、ソーシャル・ビジネスだ。この本では、日本でもユーグルトで有名なフランスの企業ダノン(→ダノンジャパン)と創った合弁会社グラミン・ダノンの創立経緯で幕を開ける。

 例えばテレフォン・レディ、携帯電話版のヤクルトおばさん。彼女は携帯電話を持つ。利用者は電話をかける際、代金を払って一時的に彼女から借りる。人間公衆電話だね。バングラデシュには有線電話が普及していないので、需要は多かった。

 それまで農民は作物を市場に持ってゆき、言い値で売るしかなかった。農機具やポンプを買うのも、市場に出かけ言い値で買う。今は、まず複数の業者に電話をかけ価格を聞き、最も有利な条件で取引ができる。とまれ、最近は携帯電話が普及したため、苦戦しているようだが、著者はインターネットと組み合わせた新ビジネスを考えている。

 終盤では、発展途上国向けIT技術の要求仕様を出している、これが、実は Google や Apple の野望と近い所を突いてるのがエキサイティング。

 例えば「字が読めない人にも使えるように声で動かないか?」音声認識はまた研究段階だけど、アイコン起動は既に当たり前になってるし、読み上げも既に登場している。「英語じゃわからん、翻訳してよ」。自動翻訳も、Google 翻訳が動いている。精度は改善の余地が大きいが、今後改善するのは確実だ。そして、ソレをネットワークに繋ぐスマートフォン。テレフォン・レディーが iPhone を持ったら、何が起きるんだろう。

 とまれ、著者は従来の政府開発援助や営利企業も否定していない。例えばメガポート構想。チッタゴン沖に大港湾設備を作る発想だ。地図(→GoogleMap)を見て欲しい。最大の利益を得るのはバングラデシュだが、同時にアッサムやナガランドなどインド東北部・ミャンマー・ブータン・ネパールにも利益がある…そして、チベットにも、だ。

 ソーシャル・ビジネスは、誕生したばかりの概念だ。今後、政府や営利企業との関係など、様々なバリエーションが生まれてくるだろう。ユヌス氏の野望は壮大だ。今は大法螺に見えるが、世界中で着実に成果をあげているのも事実。エキサイティングで希望にあふれた本だった。

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2013年11月20日 (水)

ジョン・スコルジー「アンドロイドの夢の羊」ハヤカワ文庫SF 内田昌之訳

 ダーク・モラーには、おならで重大な外交上の事件を引き起こせるという確信はなかった。だが、それを身をもって知る覚悟はできていた。

【どんな本?】

 「老人と宇宙」シリーズで颯爽とデビューしたアメリカのSF作家ジョン・スコルジーによる、未来を舞台にした愉快で爽快な長編SF小説。地球とニドゥ族の戦争につながりかねない外交対立の焦点となった特殊な羊の捜索に駆りだされた退役兵ハリス・クリークの冒険を、アクションとユーモアと楽しいガジェット満載で描く娯楽SF長編。

 SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2013年版」のベストSF2012海外篇9位に加え、第44回(2013年)星雲賞海外長編部門に輝いた人気作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Android's Dream, by John Scalzi, 2006。日本語版は2012年10月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約557頁+訳者あとがき5頁。9ポイント40字×17行×557頁=約378,760字、400字詰め原稿用紙で約947枚。普通の長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 翻訳物のSF小説としては、日本語は比較的にこなれている部類。奇矯なエイリアンやガジェットが続々と出てくるんで、SFとしては濃い方だろう。とはいえ、難しい理屈に頭を悩ます類の話ではなく、アイデアとユーモアとアクションを楽しむ娯楽作なので、あまり構える必要はない。

 タイトルでわかるように、随所に古いSFを匂わせるネタをまぶしてあるので、苔の生えたSF者は随所でニヤニヤする。とまれ、わからなくても大筋を追うには問題ないので、若い人も安心して読める。ただ、登場人物がやたらと多く、ハヤカワ文庫SFには珍しくカバー裏に登場人物一覧がついている。自分のブックカバーをつけて読む人は、注意しよう。

【どんな話?】

 人類が宇宙に進出し、銀河には多くの異星人が群雄割拠している未来。人類とニドゥ族は、共に大銀河連邦の弱小種族として同盟関係にありながらも、テーブルの下では足を蹴りあっている。人類の連邦政府内でもニドゥ族との外交関係には様々な意見があるが、現政権は友好的な方針となった。だが、貿易交渉の席上で、前代未聞の騒ぎが持ち上がり…

【感想は?】

 出だしから大笑い。まさか、こんなバカなネタで始まるとは。

 おならですよ、おなら。んなネタで32頁もひっぱるとは。とまれ、ギャグばかりでなく、同時にちゃんと世界背景の説明も入れ、またSFの醍醐味であるケッタイなガジェットと奇矯なエイリアンもちゃんと出てくる。うん、まあ、んなケッタイなシロモノを自ら使おうなんて奴は、まずいないだろうなあ。

 しかも、ここで紹介されるダーク・モラーの父ちゃんのエピソードを通じ、ちゃんと物語の敵役であるニドゥ族のキャラクターまでわかる仕掛けになっている。

 全編を通して敵役となるニドゥ族が、徹底してわかりやすい「イヤな奴」なのも、この作品のカラーをよく表している。相手を騙すことを何とも思わない、卑劣で非情なエイリアン種族。その最初に出てくるラーズ=ウィン=ゲタグは、名門出身のボンボンで激高しやすい無能な奴で、そこはかとなく小物臭が漂うのも、娯楽物語の定石どおり。

 こういう、ちょっとした本筋に関係ないエピソードが、なかなか楽しく気が利いてて、この本の著作姿勢をよく表している。。やはり冒頭近く、主人公のハリス・クリーク登場場面で出てくるカサンギ族の話も、3頁ほどで相当のドラマが展開する。いや短い分、情緒たっぷりとはいかず、むしろドタバタ活劇なんだが、この世界の混乱振りがしみじみ伝わってくる。というか、この話、何かのパニックSF映画のパロディなんじゃないかな。

 書名でわかるように、パロディっぽい場面は他にもチラホラあって。やはり序盤に出てくる<進化した羊の教会>も、トム・クルーズが入れ込んだという某作家某組織っぽい。実はこのネタにはもう一つ仕掛けがあって、何かのSF小説を下敷きにしてると思うんだが、どうにも思い出せない。「完璧な赤い牡牛を求める(宗教)組織」が重要な役割を果たす話なんだが、うーん、何だったんだろう。

 巧く作ってあるな、と思ったのが、テッドの敵に加わるハッカー、アーチー・マクレランの造形。彼が農務省で出会う巨体は、今でこそ影が薄いが、それこそ戦艦大和並みの傑作で、日本のコンピューター・メーカーも散々模倣したシロモノ。さすがに現役機は動いていないだろうが、システム上で開発されたプログラムは、今でも恐らく後継機で稼動しているはず。主に金融機関や、大きな組織の事務処理で。

 また、アーチーの好む飲み物にも注目。こういう細かい所まで目が届いてるのも、この作品のうれしい所。たぶん、コリイ・ドクトロウが協力したんだろうなあ。

 やっぱりコンピュータ関係で笑っちゃったのが、知的エージェントの話。「お薦め情報」のネタは、いかにもありそうで大笑い。例えば、今ちょっと Google で「夫△」(△は半角の空白)を検索しようとしたら…。あなたが既婚の男性なら、試さないほうが家庭は安泰です。まあ、そんなわけで、コンピュータってのは、どうにも気が利かない所があって。

 ってなギャグで前半は引っ張りつつ、中盤からはハードボイルドな「探偵と依頼人の女性」っぽいパターンで話が進む。最初の登場では冴えない特殊技能の持ち主に見えた主人公のハリー・クリークが、段々とカッコよくなり、どっかの私立探偵みたいなタフな活躍を見せてくれる。この辺でも、アーチーとの知恵比べは、なかなかの読みどころ。

 娯楽作品だけに、終盤に入ると「お約束」な展開が多くなってくる。特にかつての戦友たちが集まるあたりから、「いつくるか、いつくるか」と期待しながら私は読んだ。彼らがそれぞれ自己紹介するあたりから、「おお、盛り上がってきたぞ」とワクワクしながら読んでたら…。

 散々な目にあいながらもめげないタフな主人公、卑劣で狡猾で冷酷で憎ったらしい敵役、足をひっぱるしか能のないドジ踏み役、敵ながら妙に憎めない奴、逃亡劇の途中で出会う変わり者など、魅力的なキャラクターが続々と登場するアクション娯楽活劇で、セリフもハリウッド風に気が利いてる。読了感は最高に爽快。黄金期のSFが帰ってきた、そんな感じの気持ちのいい作品。

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2013年11月18日 (月)

ジャレド・ダイアモンド「昨日までの世界 上・下」日本経済新聞出版社 倉骨彰訳

彼ら(伝統的社会の人びと)のあいだで重要だったのは、物々交換が彼らの個人的関係の強化に役立つことだった。その重要さに比べれば、物々交換で入手できた物品に彼らがみいだす値打ちは、それこそ、無視できる程度の値打ちに過ぎなかったのである。

【どんな本?】

 ベストセラー「銃・病原菌・鉄」の著者による話題作。彼自身がフィールドワーク頻繁に訪れたニューギニアを中心に、ニューギニア高地人・南アフリカのクン族・アマゾン奥地のピダハン族など伝統的な生活を営む人びとと、現代アメリカや西欧の生活を比べ、かつての人類がどんな生活をしていたか・どんな事が変わってきたのか・違いは何を生み出し何を失ったのか・本当に昔は良かったのかなどを、多くの事例に基づいて改めて考える、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The World Until Yesterday : What Can We Lean from Traditional Societies?, by Jared Diamond, 2012。日本語版は2013年2月25日1版1刷。ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約403頁+約351頁=約754頁。9.5ポイント45字×19行×(403頁+351頁)=約587,366字、400字詰め原稿用紙で約1469枚。長編小説なら3冊分ぐらい。

 翻訳物としては、日本語は比較的にこなれている。原書のヤード・ポンド法を()内でメートル法で補っているのも、嬉しい気配りだ。ただ、訳者のクセか、語尾が少しまわりくどい。よくあるのが「…のである」「…なのである」で終わる文。例えばこの記事の最初の引用に2番目の文。

その重要さに比べれば、物々交換で入手できた物品に彼らがみいだす値打ちは、それこそ、無視できる程度の値打ちに過ぎなかったのである。

 これでもいいんじゃないかと思う。まあ、ここまでやっちゃうと、翻訳というより超訳だけど。

それに比べると、物々交換による経済的な利益は、ほとんど「おまけ」に過ぎない。

 内容を理解するのに、特に専門的な知識は要らない。敢えて言えば、地理や行政などの社会科の素養だろうか。といっても小難しいことではなく、義務教育で「市役所のやくわり」などの副読本を読んだ程度で充分。翻訳調の文章を乗り越えられるなら、中学生でもなんとか読めるだろう。むしろ重要なのは、「おつかい」や「おそうじ」,幼い兄弟の子守など、家事・育児をした・手伝った経験があると、読んでいて切実さが増すだろう。

【構成は?】

上巻
   日本語版への序文
  プロローグ 空港にて
 第1部 空間を分割し、舞台を設定する
   第1章 友人、敵、見知らぬ他人、そして商人
 第2部 平和と戦争
   第2章 子どもの死に対する賠償
   第3章 小さな戦争についての短い話
   第4章 大きな戦争についての長い話
 第3部 子どもと高齢者
   第5章 子育て
   第6章 高齢者への対応――敬うか、遺棄するか、殺すか?
下巻
 第4部 危険とそれに対する反応
   第7章 有益な妄想
   第8章 ライオンその他の危険
 第5部 宗教、言語、健康
   第9章 デンキウナギが教える宗教の発展
   第10章 多くの言語を話す
   第11章 塩、砂糖、脂肪、怠惰
  エピローグ 別の空港にて
   謝辞/訳者あとがき/参考文献/索引

 テーマごとに部と賞が分かれていて、各章はかなり独立した内容となっており、気になった章だけを拾い読みしても、そこそこ楽しめる。ただ、下巻で参照する口絵が上巻にあったり、参考文献が下巻だけなのは、少し不便かも。でも一巻にまとめたらハードカバーで800頁近くになり、それはそれでシンドイしなあ。

【感想は?】

 この本の結論は簡単。「昔の生活にはいい所もあるし、わるい所もある」。

 ただ、いい所・悪い所が、我々の思い込みと違っているのが、この本の面白い所。パッと思い浮かぶいい所は、水道や冷暖房などの科学・技術・インフラかな、と思ったら、意外なことに、社会的な部分がかなり多い。

 これはプロローグの「空港にて」で、「え?」と考えさせられる。我々は道を歩く時や店で買い物をする際、互いに知らぬ人ばかりの状況でも、特に危険を感じることはない。初めて訪れる土地に行った時も、日本国内なら、スリや置き引きに注意はしても、いきなり地元の人に襲われるなんて心配はしない。だが…

1931年当時(のニューギニア)なら、そのような状況は想像もできなかっただろう。見知らぬ他人に出会う機会は稀であり、ひとたび会えばそれは危険を意味し、いつ暴力沙汰に発展してもおかしくなかった。

 つまり、現代の都市に住む我々は、人類史上、かなり珍しい生活をしている事になる。知らない人同士が平和に共存できるのは、かなり恵まれた社会なのだ。西欧がアフリカやアジアを植民地化した事は、「過酷な搾取」などと悪行のように言われるが、実はかなりの利益も与えていたりする。

 なぜ植民地化が悪く言われるのか。原因は沢山あるが、その一つは「白人が来なければ彼らは平和に暮していた」という幻想だ。そう、幻想なのだ。少なくとも現在知られている伝統的社会では、頻繁に戦争が起きている、または起きていた。

…調査対象の伝統的社会のなかで、戦争関連の年間死亡率がもっとも高かったのは、ニューギニアのダニ族、南スーダンのディンカ族、そして、北アメリカの先住民の二部族で、彼らの(戦争関連の年間平均死亡率の)数値は1%を超えていた。

 これは多いほうの数字だが、平均で見ても「現代国家社会の平均値は、伝統社会のそれのなんと1/10ほどである」。やたら戦争の報道が多いけど、実は現代って、すごく平和な時代だってこと。というか、むしろ伝統的な社会は、我々が思うよりはるかに殺伐としてデンジャラスなのだ。しかも、戦闘員と民間人の区別もあいまいで…

伝統的社会での戦争は敵方の集団の人間すべてが攻撃の対象とされる。つまり、男性、女性、壮年者、年寄り、子ども、そして赤ん坊までもが攻撃されるのである。

 捕虜は殺すし、民族浄化だってある。白人が来てボスになったために、敵を恐れず眠れるし、背中を気にせずメシが食える。そりゃ優れた武器が手に入ったため一時的に争いが激しくなる例もあるけど、全体としては平和になってる。って事は、今のアフリカの混乱は、それまで治安を守ってた宗主国のタガが外れたので、元に戻ったってだけなのかも。

 逆に、伝統的社会の智恵を感じさせるのが、下巻冒頭の「有益な妄想」。ここでは、枯れた巨木のたもとで眠る事を極度に恐れるニューギニア人の話が出てくる。枯れた木は倒れやすく、押しつぶされて死ぬ危険がある…せいぜい0.1%程度の確率だが。これ、現代社会でも、いわゆるプロが、滑稽なぐらい確認に手間隙をかけるのによく似ている。例えば駅員の指差喚呼(→Wikipedia)。なんかワザとらしいが、重大な意味があるのだ。

 著者が野営するのは、平均して年に数回ぐらいだろう。だがニューギニア人は年に100回以上野営する。千回枯れた巨木の下で野営した場合、10年後に彼が生きている確率は?今ちょっと表計算で試算したら、0.1%の事故率で36.77%、20年だと13.52%だった。つまり、頻繁にやる事は、ほんのわずかな危険でも、長い期間には大きな危険になってしまう。

 同様に、駅員も、毎日数十本もの列車を見送るし、日本全国には沢山の駅がある。わずかな危険も、長年の間・多くの駅で冒せば、事故の原因になりかねない。だから、滑稽なぐらい徹底して安全確認をする。

 ベテランが異様に注意深いのも、プロのしぐさがワザとらしいのも、そういう事だ。小さな危険でも、積もれば大きな危険になる。だから大袈裟に危険を避ける。これを著者は「建設的なパラノイア」と呼んでいる。安全管理や品質管理の世界じゃ、なんて呼ぶんだろう? まあいい。そういう智恵を、ニューギニア人は身につけている。

 下巻では、他にネットの議論好きな皆様が大喜びする宗教ネタも出てくる。この本の「進化の副作用」という説は、なかなか面白い。全般的に唯物論的な価値観の著者だが、ちゃんと祈ることの効用も書いてある。

 なんて小難しい話もあるが、我々から見たら伝統的社会とは、「変わった生活」の社会だ。すぐ傍の小川の水が汲めなかったり、無茶苦茶な育児法だったり、やたらおしゃべりだったり、柔軟な家族制度だったり、諍いの解決法だったり。納得できることもあるし、笑っちゃうエピソードも多い。「ヘンな話」を求め野次馬根性で読んでも、なかなか楽しめる本だ。

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2013年11月14日 (木)

宮部みゆき「ぼんくら 上・下」講談社文庫

「どんなに頭が切れても、それが他人にわからなければ、頭が切れるってことにはならねえわけだ。逆に、実はなまくらな頭でも、よく切れるように見せかけることさえできれば、それは頭が切れるってことになるわけだな……ああでも、なまくらを切れるように見せかけるなんてことは、やっぱり頭が切れなきゃできねえか」
「それは頭が切れなくたってできますよ。狡ければいいんです」

【どんな本?】

 直木賞作家でヒット・メーカー宮部みゆきによる、ミステリ仕立ての長編時代小説。夫の加吉に先立たれながらも威勢よく煮売屋を商うお徳・苦労人で物腰の柔らかい差配人の久兵衛・愚痴っぽい魚屋の蓑吉などが住む、本所深川の鉄瓶長屋で起きた惨事を中心に、ぼんくら同心の井筒平四郎と長屋の住人の交流を描く連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「小説現代」1996年3月号~2000年一月号に掲載。加筆・訂正の後、2000年4月に講談社より単行本が刊行。私が読んだのは講談社の文庫版上下巻で、2004年4月15日第1刷発行、2008年11月14日第25刷発行。安定して売れてます。文庫本上下巻で縦一段組み、本文約318頁+約283頁=601頁に加え、北上次郎の解説6頁。8.5ポイント41字×17行×(318頁+283頁)=約418,897字、400字詰め原稿用紙で約1046枚。長編小説2冊分の分量。

 ベストセラー作家だけあって、文章の読みやすさは抜群。江戸時代の深川を舞台とした小説だが、特に歴史の知識も要らない。当事の制度や風習に関わる設定がアチコチに出てくるが、文中で充分に説明があるので、全く問題ない。せいぜい「士農工商」の身分制度を知っている程度で、充分に読みこなせる。読みにくい漢字にはルビが振ってあるし、小学生でも高学年なら楽しめるだろう。

【収録作は?】

 殺し屋/博打うち/通い番頭/ひさぐ女/拝む男/長い影(長編)/幽霊

【どんな話?】

 江戸は本所の深川、鉄瓶長屋。夫婦で始めた煮売屋を、夫の加吉に先立たれながらも一人で切り盛りするお徳は、明け方に起きだした。裏道を走る足音に目を覚ましたのだ。明かりが灯る差配人の久兵衛の家に向かうと、八百屋の娘のお露が打ちひしがれている。寝込んだきりの父親・富平を支え、兄の太助と仲良く店を守ってきたお露だが、久兵衛の口から出た事実は、意外なものだった。

「死んだのは富平さんじゃない、太助の方だ」

【感想は?】

 つくづく、宮部みゆきって人は、オバサンを描くのが巧い。

 この作品の主人公は、タイトルロールでもあるぼんくら同心・井筒平四郎だ。物語も、基本的に平四郎の視点で進む。彼もなかなか魅力的なのだが、読み終えて最も印象に残るのは、煮売屋のお徳さん。

 夫婦で始めた煮売屋を、女手一つで守ってきた働き者。威勢のいい世話焼きで、長屋の女房連中のまとめ役。長屋の差配人(マンションやアパートの管理人に近いか?)の久兵衛とも持ちつ持たれつで、お互いに自然と役割を担いながら長屋をまとめてきた。学こそないがきっぷはよくて人情に厚い。

 と、まあ、口うるさいが世話焼きで、困った時には便りになる、典型的なオバサンだ。口は悪いが性根はまっすぐで、商売柄か歳の功か、それなりに人情も世間も知っている。彼女が絡む会話は、どれも歯切れが良くて気持ちいい。主人公の平四郎を差し置いて、最初から最後まで逞しい存在感を発揮する。

 そんなお徳に軽んじられながらも、なんとかお役目を務めるのが、主人公の井筒平四郎。ミステリの探偵役なのに、どうにも頼りない。書名からして「ぼんくら」だし。歳は四十半ば。仕事にも出世にも不熱心で、なにかというと「めんどくせえ」と考える怠け者。役目を悪用して荒稼ぎするでもなく、もめ事はなるべくなあなあで済ませる性質。

 武士としての忠義なんかどこへやら、むしろ大店に長年勤めていた久兵衛の方が、よっぽど主家に誠実なのが笑えるたりする。威厳もイマイチで、お徳の店でこんにゃくを食ってはお徳にやりこめられている。現代だと、近所の住民に親しまれている駐在さん、ぐらいの雰囲気かな。

 ミステリ仕立てだが、上巻はむしろ人情物語として話が進む。ここで面白いのが、幾つかの作品で親子関係が重要なテーマになっている事。

 主人公の平四郎は、武家の三男で、本来なら家を継ぐ立場じゃなかった。何の因果か跡継ぎになったものの、気性のせいもあって、父親とは巧くいかなかった過去を持つ。「博打うち」では、博打狂いの因業な親爺の権吉と、甲斐甲斐しい娘のお律が、物語の中心となる。

 この両者の間に立つ佐吉も、若いながら親子関係じゃ、そうとうに重い因果を背負ってる。それだけに、佐吉が下す権吉とお律の裁きは、かなりの読みどころ。

 などと人情話で話を進めつつ、主な登場人物の紹介を進める上巻に対し、下巻に入ると、今度はミステリとしての面白さが浮かび上がってくる。ここまで読み進めちゃうと、先が気になり途中で本を閉じるのが難しくなるので、翌朝が早い人は「ひさぐ女」あたりで、いったん本を閉じたほうがいい。「長い影」に入ると、まず途中じゃやめられない。

 全体の中心となる「長い影」、これまでの登場人物の総出演に加え、新たに魅力的な人物が続々と出てくる。まずは探偵役の弓之助。平四郎の妻の姉の子、つまりは甥にあたる。10歳の子供ながら、頭の働きは抜群で、加えてなかなかの美少年。ぼんくらな平四郎に代わり、とっさの機転と意外な特技で謎に迫ってゆく。

 美形という所で私は少し妬んだが、なかなかどうして気性もまっすぐだし、ケッタイな趣味も手伝って、可愛らしいじゃないか。

 可愛いというよりカッコいいのが、官九朗。黒ずくめのオシャレな姿に、赤いストライプが一本のいなせな姿。愛嬌のある黒い瞳で、身の軽さを活かし伝令役として大活躍。私はもちっと、彼の活躍する場面が見たかったなあ。

 他にも忠義者の小平次、ズレちゃいるけど憎めないおくめ、頼りになる親分さんの政五郎、おでこさんこと三太郎、鋭いツッコミが冴える奥様、そして見上げた根気の仁平など、魅力的な人物が続々とでてくる。ミステリ仕立てだけど、人間ドラマが面白い作品なので、ミステリが苦手な人にも自信を持ってお薦めできる。

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2013年11月12日 (火)

土木学会関西支部編「コンクリートなんでも小事典 固まるしくみから、強さの秘密まで」講談社ブルーバックス

なぜミキサー車がアジテータをぐるぐる回しながら走っているのかというと、生コンは、セメントと細骨材、粗骨材、水と、密度(比重)が大きく異なる材料が混ざってできているため、運んでいる間に生じる車の振動などで材料の分離という偏りが起こってしまうからです。

【どんな本?】

 建物や道路・橋・トンネルなど、我々の生活に欠かせない物となったコンクリート。それは、どんな原料から出来ているのか。なぜ固まるのか。固まるには、どれぐらいの時間がかかるのか。人はいつからコンクリートを使っているのか。どんな所で、どんな風に使われているのか。どんな性質があるのか。鉄筋コンクリートは何が嬉しいのか。コンクリートの建物はどれぐらい保つのか。高層ビルや長い橋はどうやって作るのか。今後もコンクリートは使われるのか。

 コンクリートに関わる基礎的な知識や意外なトリビアを集め、科学・技術・産業面を一般人向けに説明する入門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年12月20日第1刷発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約283頁+あとがき3頁。9ポイント43字×16行×283頁=約194,704字、400字詰め原稿用紙で約487枚。長編小説なら標準的な分量だが、イラスト・写真・グラフなどを豊富に掲載しているので、実際の文字量は8割程度。

 専門家が一般向けに書いた本としては、日本語の文章は悪くない。内要も特に前提知識はいらない。一部に分子式が出てくるが、解らなくても特に問題はない。力学の話も少し出てくるが、全てイラストつきで説明しているので、頭に入りやすい。必要な前提知識は、以下3つぐらいなので、小学校の理科が分かれば充分に読みこなせる。

  1. 酸性とアルカリ性:理科の授業でリトマス試験紙を使った程度で充分。
  2. 圧縮力と引張力:圧縮力は押しつぶそうとする力、引張力は引っ張ってちぎろうとする力。
  3. 電磁力の概念:プラスとマイナスは引き合う、程度で充分。

 なお、土木学会関西支部編とあるが、巻末に各章の著者を明記している。企画物にありがちな、著者の正体を隠すために集団編集を装った名称ではないので、ご安心いただきたい。

【構成は?】

 まえがき
第1章 コンクリートとはどんなもの? 久田真
第2章 コンクリートのルーツをたどる 久田真
第3章 コンクリートのレシピ 小林茂広
第4章 強さの秘密 井上晋・三方康弘
第5章 現場の不思議発見 横山雅臣
第6章 いろいろな構造物 森田雄三
第7章 コンクリートの診断 葛目和宏・鎌田敏郎
第8章 コンクリートの維持管理 北後征雄
第9章 コンクリートと環境・未来 綾野克紀・西島達雄・市坪誠・宮本裕
 あとがき/参考文献/著者略歴(執筆分担)/さくいん

【感想は?】

 工事現場や建物を眺めるのが、少し面白くなる本だ。

 いきなり、自分の無知を思い知らされる。コンクリート,セメント,モルタルと呼び名があるが、それぞれ意味が違うのね。いわゆるセメント袋に入ってる灰色の粉、あれがセメント。

  • セメントペースト:水+セメント
  • モルタル     :水+セメント+砂
  • コンクリート   :水+セメント+砂+砂利

 つまり、セメントは接着剤みたいなモンなのだな…と思ったら、「セメント(cement)という言葉ですが、英語の辞書には、動詞で『接着する』とか『固める』とかいった意味が記してあります」。なるほど。で、あれ、乾いて固まるのかと思ったら、全然違う。水和反応という化学反応なので、「水中でも固まることができます」。しかもすぐには終わらず、「50年も100年もの長い間、ゆっくり継続し続ける」。

 そのせいか、早く乾かしゃいいってモンでもない。表面が固まって暫くはむしろ潤いが必要で、「湿らせた養生用マットや布等で覆うか、散水養生等により水分を与えます」。言われてみれば、建物のリフォームや補修などで、出来上がったコンクリートの部分に散水するのを見かけるような気が。あれが、養生なのか。なんで乾きかけてるのに水撒くのか不思議だったけど。

 なんとなく現代建築の申し子のように思っていたコンクリート、実は歴史がやたらと長い。これも説が三つあって。

  • 二千~三千年前の古代ローマ:浴場・コロッセオ・水道橋など。
  • 五千年前の中国:料きょう石を焼いて粉末にしたセメント
  • 九千年前のイスラエル:石灰を焼いたセメント+石灰石の粒(砂)+水

 さすが土木ローマ。
 現代の土木建築でよく使われる鉄筋コンクリート、あれ何が嬉しいかというと、両者の長所を活かせるから。コンクリートは圧縮に強く、鉄筋は引っ張りに強い。不思議だったのは、鉄筋の表面が凸凹してること。あれにもちゃんと意味があって、つまりコンクリートとしっかりくっつくため。スベスベしてたら鉄筋がスルリと抜けちゃう。

 面白いのがプレストレスって発想。繰り返すがコンクリートは圧縮に強いけど引っ張りに弱い。だから橋や高架に使うと、上を車が走った時、裏側にヒビが入っちゃう。これを防ぐため、常に圧縮の力がかかるようにしておく。

 コンクリートに鉄筋を埋める際、鉄筋を思いっきり引っ張っておく。固まった後に鉄筋を引っ張るのをやめる。鉄筋は縮もうとするから、コンクリートにも圧縮の力がかかるんで、後で車が通って引っ張りの力が加わった時、鉄筋の引っ張る力と打ち消しあう。その分、圧縮の力が強くなるんだけど、コンクリートは圧縮に強いから大丈夫。まあ、この辺、本はイラストで分かりやすく説明してる。

 高層ビルを作るタワークレーンも、なかなかの工夫。あれ、地上からキョッキリ生えてるのかと思ったら、全然違った。いや最初は地上から生えてるんだ。でも数階造ったら、自分で上の階に這い上がる。そしてさらに上の階を造り…と、シロアリが塚を作る感じで、自給自足っぽい雰囲気で上に積み上げてゆく。ほとんどロボットだね。ちなみに降ろす時は…

自らを吊るすことができる小さなクレーンを組み立て、建物外部に吊り下ろされ、その後、より小さなクレーンを組み立てて、吊り降ろされます。この作業を繰り返し、最後は、人力で解体し台車に載せエレベーターで降ろします。

 最後は台車ってのが可愛い。
 長い橋をトコロテン式に作っていくプロセスも楽しいが、やっぱりこの手の本のハイライトは、最新技術と未来技術を紹介する最終章。空隙率25%とスカスカのポーラスコンクリートは、河の堤防に使えば草が生えてきて緑化に役立つし、ビルも緑化できてヒートアイランドを抑えられる。道路に使えば雨が土に染み込むんで水はけがよくなる。

 そしてクライマックスは月での建築。材料で足りないのは水だけ、これは極から持ってくるか鉱物から還元するか。それ以外の真空と少重力は、むしろコンクリートに有利で、地震がないのも嬉しい。ただ昼と夜の温度差が…

 などと、コンクリートばかりでなく、超高層ビルや橋など、巨大建築のトリビアも入っていて、なかなか楽しい本だった。SF者なら、最終章だけでも立ち読みしてみよう。谷甲州や小川一水が好きなら、きっと楽しめる。しかし土建屋さんの描く未来のビジョンって、なんでこんなにワクワクするんだろう。

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2013年11月11日 (月)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 西海岸編 3」電撃文庫

「そういうぬしゃが一番、理屈っぽいの。岩田、例のアレ、使えるかの?」

【どんな本?】

 始まりは2000年9月28日発売の SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。斬新なシステムと濃いキャラクターがマニアの支持を受け、宣伝費ゼロのハンデを乗り越えロングセラーとなり、2010年にはPSP用のアーカイブで復活、今なお新しいファンを獲得し続けている。

 そのノベライズとして2001年12月15日発売の短編集「5121小隊の日常」を皮切りに始まった榊涼介の小説シリーズ、ゲームのシナリオに準じたストーリーは「九州撤退戦」で一段落するが、その後も番外編的な位置づけの「もうひとつの撤退戦」をはさみ続行、「山口撤退戦」以降は榊氏オリジナルのストーリーが展開し、ガンパレ世界を広げながらこの巻へと続いている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年11月9日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約274頁。8ポイント42字×17行×274頁=約195,636字、400字詰め原稿用紙で約489枚。標準的な長編小説の分量。

 ライトノベルのわりに、地の文章は素直で読みやすい。壮大な設定を積み重ねたシリーズ物なので、いきなりこの巻から読むのはさすがに無茶だろう。販売順に短編集「5121小隊の日常」または時系列順に「episode ONE」から読むのが理想だが、30巻以上では躊躇する人もいるだろう。その場合は「5121小隊の日常Ⅲ」または「西海岸編 1」からにしよう。世界設定と中心となる5121小隊の面々は引きついでいるが、舞台が移り周辺人物も入れ替わったので、一部リセットした状態になっている。

【どんな話?】

 1945年に突然現れた幻獣により第二次世界大戦は終結した。食事が不要で圧倒的な兵力を誇る幻獣は人類を席巻、撤退を続ける人類はユーラシアを失い、南北アメリカと南アフリカの一部、そして日本列島のみとなる。

 1999年、幻獣は九州に上陸。日本政府は14歳~17歳の少年兵を招集し、捨て駒として戦線に投入する。少年らの消耗で稼いだ時間で自衛軍を立て直すする目論見だった。各隊で持て余されたはみだし者を集め組織した5121小隊は、キワモノ兵器の人型戦車・士魂号を与えられ、予想外の活躍を見せる。

 だが幻獣の攻勢は押しとどめられず、5121小隊の働きにより多くの学兵を救うものの、日本は九州を失う。恒例の夏季休戦を破り山口へと上陸を始めた幻獣だが、岩国・広島の死闘を経て自衛軍は初の防衛戦に成功、勢いをかって九州の奪還へと進み、幻獣の一部戦力との和平に漕ぎつけた。

 首都・東京の政変と東北への幻獣上陸、そして北海道独立と危機を戦い抜いた5121小隊は、新大陸アメリカへと渡る。東海岸のワシントン政府と西海岸のシアトル政府に分裂したアメリカ。東海岸レイクサイドヒルで幻獣に包囲された市民を、海兵隊と共に救出した5121小隊は英雄となり、シアトルでも歓迎される。

 日本政府はワシントン政府と正式な国交があるが、シアトルとはない。国交樹立を望む政府、経済交流を願う財界。視察も兼ねシアトル入りした5121小隊は、煩悩まみれの少年らしい騒動を起こしながらも市民との絆を築くが、四人組みの少年銀行強盗に巻き込まれ、シアトル政府と軍の暗部を垣間見る。

 視察の口実で前線である南部のサンディエゴへと赴いた5121小隊は、なし崩し的に戦闘に介入してゆく。戦闘の現場で確認した軍の内部は、後方のシアトルからは想像もつかない状況だった。

【感想は?】

 前巻に引き続き、善行の腹黒さが光る巻。

 5121小隊で陰険眼鏡といえば、なっちゃんこと狩谷だが、彼が陰険さを発揮する時はいかにも悪党面の上目遣いなのに対し、善行は人の良さそうな微笑に隠し、奇想天外で壮大で狡猾な企みを働かせるからタチが悪い。負けるな、なっちゃん。しかし素姐といい若様といい、なんだって5121には、さわやかな笑顔の陰謀屋が揃ってるんだ。

 さて、お話は。シアトル政府の代表のオルレイ氏、いかにも合理的な好人物に見えて、肝心の危険からは眼を逸らすばかり。防衛を担う軍は、第一軍を預かるジャクソン大将が正統派で腰が重く、前線で戦う銀狼師団を率いるリーランド中将は優秀ながら腹に一物あり、犬猿の仲。日本の学兵にあたる補助兵を預かるグラント閣下が、クセは強いながら話のわかる人物、といった状況。

 主役の5121小隊は日本政府からは強硬に撤収を命じられ、お先真っ暗な状況で話が始まる。だがそこははみだし者揃いの5121小隊、おとなしく大人の事情に従うはずもなく。

 まあ、そんなわけで、冒頭では狩谷と壬生屋の口論が展開する。直情径行な突進乙女の壬生屋と、理論的な秀才計算屋の狩谷。しかも両名ともに強情だからタチが悪い。どう考えても思いっきり相性の悪い両名、果たして決着はどうなることやら。しかしゲームの仲人プレイでも、両名の仲を取り持とうってプレイヤー、いるんだろうか。

 相変わらずのコメディアン振りを発揮している滝川、この巻の初登場場面こそ間が抜けているものの、ハイスクール・ギャルにモテモテになる絶好のチャンス。しかし北海道といい、微妙な加減が要求される状況で士魂号の扱いの器用さに関しては、意外と5121小隊でも最高の能力を持ってるんじゃなかろか。退役後は森さんと建築会社でも作るとか。獲物は超硬度大ツルハシ。

 ヒマがあるとロクでもない事しか仕出かさない整備班の中でも、最もタチが悪いのが中村と岩田。小隊の日常Ⅲで地獄を見た筈なのに、懲りもせずケッタイなギミックを画策している様子。しかしイワッチ、向うでもあの奇妙な白衣型作業服で通してるのか。一体、何着持ってるんだろ。

 奇矯なファッション・センスと言えば茜もなかなか。この巻では善行さんについて回り、まっとうな議論を奇怪な理論で混ぜっ返し、相手を浮き足立たせる役割を担う。しかし生徒会長閣下といい、茜にはまっとうなエリートを狂わせる不思議な能力があるようで。器の小さい人は「理解不能→不愉快」と感情が動くのに対し、頭のいい人は「理解不能→興味深い研究対象」となるんだろうか。

 護衛の蓑田サーカス、この巻では珍しく久萬にも台詞がある。もしかしたら中西より多いかも。久萬も滝川同様、ギャルにモテるチャンスなのに、気づいているのかいないのか。新大陸編でもウエイトレスにモテてたし、意外と年上キラーなのか?しかし、そろそろ中西にも美味しい所を用意してあげて下さい。

 さてシアトル側。リーランド中将、今までは単なる曲者だったのが、この巻では意外な面を見せてくる。やはり曲者なんだけど、タダの曲者じゃない。前例もあることだし、今後、思ったより重要な役割を担いそうな雰囲気がある。前巻では鮮やかな舞台を演じたグラント中将、ここでも彼なりの貴族趣味を覗かせる。

 短編「Take me out to the ball game」で堂々の主役を演じたセルジオ君、この巻でも出ずっぱりで動きまわる。まあ、サンディエゴがあの状態じゃパドレスはなさそうだけど。

 熾烈さを増すサンディエゴ前線、不気味な幻獣の動き、そして次第に姿を表す善行の凶悪な陰謀。今まで巻き込まれるばかりだった5121小隊が、ついに他人を巻き込む新展開を見せそうな次巻に期待。

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2013年11月10日 (日)

岡田哲「とんかつの誕生 明治洋食事始め」講談社選書メチエ179

和洋折衷という新しい食である「洋食」をつくりあげていったのは、やはr、庶民の創意と工夫の積み重ねであった。それには次のようなステップを踏むことになった。

  1. 庶民は、初体験の洋式調理にはなかなかなじめず、
  2. やがて牛肉を、食べ慣れた日本の調味料(味噌・醤油)で仕立てて、牛鍋やすき焼きを作りあげ、
  3. さらに、洋式調理のなかから、折衷料理という独特な洋食を、家庭料理のなかに取り込んでいった。

【どんな本?】

 現在の日本の食卓には、実にバラエティ豊かな食材な並び、またその調理法も和風・中華風・洋風と工夫に富んでいる。洋風にも色々あって、コロッケやとんかつは洋風のようでいて、実際は日本独特の料理だ。「洋食」という、欧米風を取り入れた、しかしれっきとした日本が創りあげた料理なのだ。

 明治維新は、同時に料理維新だった。それまでの野菜・穀物・魚介類を中心とした和食から、獣肉を扱う欧米風の食事へ。それまでの切る・煮る蒸す・・焼くに加え、油で炒める・揚げる調理法へ。明治政府主導のもと、食卓を欧化しようとする動きは、料理界の工夫や庶民の嗜好により、日本独自のジャンル「洋食」を生み出してゆく。

 千二百年に渡る肉食の禁忌を破り、いかに日本は欧米の食を取り入れていったのか。その過程で、どのような思惑があり、軋轢があったのか。パンにあう欧風料理を、コメに拘る日本人は、どうやって受け入れたのか。洋食の王者「とんかつ」の誕生に至るドラマを通し、明治以来の日本の食卓の歴史を描く、意外性に満ちた美味しい日本の近代史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2000年3月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約219頁+エピローグ10頁。今は講談社学術文庫から文庫版が出ている。9ポイント45字×17行×219頁=約167,535字、400字詰め原稿用紙で約419枚。長編小説なら少し短め。

 真面目な学術的な本だが、地の文は意外と読みやすい。また、この記事冒頭の引用が示すように、随所で箇条書きを使うなど、わかりやすさに充分に配慮している。明治の頃の文献を引用する際は、著者が句読点を補っており、当事の雰囲気を巧く伝えると同時に、読みやすくしようとする著者の心遣いがわかる。内容を理解するのに特に前提知識は要らないが、多少なりとも料理の心得があると、更に楽しめるだろう。

 あ、それと、体重が気になる人は、食後に読まないように。

【構成は?】

 プロローグ
第一章 明治五年正月、明治天皇獣肉を食す
第二章 牛肉を食わぬ奴は文明人でない
第三章 珍妙な食べ物、奇妙なマナー
第四章 あんパンが生まれた日
第五章 洋食の王者、とんかつ
第六章 洋食と日本人
 エピローグ
  参考文献/日本洋食年表/索引

【感想は?】

 日本人ってのは、柔軟なのか頑固なのか、よくわからくなった。

 洋食ってのも考えてみれば不思議な料理で、西洋料理では、ない。「とんかつ」なんてのは、フランスにもイギリスにもドイツにも、ない。かといって、伝統的な和食でもない。それはどこからどうやって出てきたのか。それが、この本のテーマだ。

 冒頭では、16世紀末に来日した宣教師と1863年にフランスに渡航した第三回遣外使節団を例に引き、相互の食文化の違いを印象づける。当事の宣教師の資格の一つが「粗食に耐えられること」で、日本の遣外使節団もフランスの食事に慣れず携行した米を海水で炊いた粥にかぶりつく。互いに相手の料理を食事と認識しなかった模様。それぐらいに断絶があったわけです。

 そこにやって来た黒船。明治維新以降、欧米に追いつくために、政府は全ての改革に手をつける。これは食事も同じで、「肉食を解禁し、西洋料理を普及させることで、体力的にも文化的にも、日本人の劣等感を払拭することが急務」と、西洋料理を取り入れ、陛下が「みずから肉食の範を示してもら」う。676年以来1200年に渡るタブーを破るには、それぐらいの覚悟とデモンストレーションが必要だった、と著者は説く。

 今気がついたんだが。この本だと、江戸時代の豚肉の話で、こんな事が書いてある。

江戸初期になると、豚は、中国から琉球を経て薩摩に伝えられる。薩摩汁(豚汁)がつくられると。九州の武士・蘭学者・蘭医が好み、薩摩汁も一緒に東上して江戸に伝えられる。

 維新の功臣は薩摩の人も多かったから、元々、肉食に慣れた人が多かったんじゃなかろか。とまれ、明治の肉食、最初は豚ではなく牛肉から始まっている。牛鍋ですね。とまれ、味付けはまず味噌、それから醤油と砂糖。ここに、日本人の柔軟さと頑固さが現れている。素材は洋物でも、味付けは和風。

米飯に合うおかずとして発展しはじめる。しかし、欧米の肉料理に共通する、香辛料の使用はまったく見られない。つまり牛鍋は、日本人の食卓を欧風化したのではない。洋風素材の牛肉を、和風鍋に取り込んだのである。

 材料の入手経路もあり、横浜や神戸など外国人居留地の近くで始まった肉食は、やがて日露戦争で従軍し牛肉に慣れた復員兵により、地方にも浸透してゆく。ここでも、陸軍の対応が興味深い。脚気予防では、西洋食を全面的に取り入れた海軍に対し、陸軍は米飯に麦を混ぜて食べている。

各地から兵を集める海軍に対し、地域ごとに編成する陸軍は、兵の結束力が強いんで、食事のように命に直結する部分は、あまし無茶できなかったんだろうか。それとも薩摩と長州の違いなんだろうか。

 まあ、なんにせよ。鹿鳴館などを使ったナイフとフォークによる欧風な食事の導入は、なかなか庶民に浸透せず、だが肉食そのものは様々な形で庶民に普及してゆく。結局、日本人ってのは、コメのメシさえ旨く食えれば、オカズは何だっていいんじゃなかろか。逆に言えば、全ての食材はコメのメシのオカズとして食われるんだろう。

 と思ってたら、この本は見事な例外も提示してくれる。あんパンだ。これを開発した木村安兵衛の執念も凄まじい。二度の火災で店を失いながらも、六年間の暗中模索で1874年にあんパンを売り出し、大人気となる。冷めても柔らかく美味しいのがまんじゅうとの違い。やがて山岡鉄舟を介し明治天皇にも献上され、「大変に喜ばれたという」。菓子パンという、コメのメシと対立しないポジションも幸いしたんだろうか。

 「第五章 洋食の王者、とんかつ」では、とんかつの調理法の独特さを、従来の和食の調理法と、欧風の調理法を引き合いに出し、細かく分析してゆく。ここで紹介されるとんかつの一般的なレシピが、どれほど創意工夫に富んでいる事か。そして、その材料であるパン粉から、調理法である揚げ方に至るまで、どれほどの試行錯誤が繰り返されたことか。

 材料こそ洋風だけど、コメのごはんのおかずであり、箸で食べられる洋食。明治維新の産物であり、同時に和食の伝統を受け継いだものでもある。柔軟に洋風の食材を取り入れながらも、コメと箸は頑として譲らない日本人と、そんな市場にあわせ欧米料理をアレンジしてきた料理人たち。お陰で我々は多様な食材を慣れたスタイルで美味しく食べられる。

 まあ、そんなわけで、読了後はヒレかつを美味しく頂ました。冷めたカツはアルミフォイルに乗せオーブンで温めるとよいです(→Yahoo!知恵袋)。

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2013年11月 8日 (金)

アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター「タイム・オデッセイ 火星の挽歌」早川書房 中村融訳

「あなたがたスペーサーは、コンピュータなみに理性的なんでしょうね」
「いや、とんでもない」アレクセイがにっこりした。
「新しい悩み一式にとり組んでいるところだよ」

【どんな本?】

 英国SFの長老アーサー・C・クラークが、同じく英国のサイエンス・フィクション作家スティーヴン・バクスターと組んで送るシリーズ<タイム・オデッセイ>三部作の最終作。舞台は前作の32年後の2069年。前作「太陽の盾」の危機を乗り越えた人類が、再び<眼>の容赦ない試練に晒される。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIRSTBORN, by Arthur C. Clarke and Stephen Baxter,2008。日本語版は2011年12月15日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約367頁。8.5ポイント25字×21行×2段×367頁=約385,350字、400字詰め原稿用紙で約964枚。普通の長編小説2冊分ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。気のせいか、このシリーズは尻上がりに文章が良くなっているような。内要はタイトルでわかるように、火星や宇宙空間を舞台としたサイエンス・フィクションなので、最近の宇宙開発に興味がある人は「おお!」と喜ぶが、そうでない人には少しキツいかも。特にキム・スタンリー・ロビンスンのレッド・マーズなど、充分に考証した火星SFが好きな人にはご馳走。

 ストーリー的には前作・前々作と素直につながっていて、両者の登場人物が作中で重要な役割を果たす。「時の眼」と「太陽の盾」は、どっちを先に読んでも構わないけど、「火星の挽歌」は前作・前々作を読んでからの方がいい。

【どんな話?】

 2069年2月、ビセサ・ダットは目覚めた。19年間も人口冬眠で眠っていたのだ。出迎えたのは娘のマイラ。目覚めた原因は、やはり魁種族<ファーストボーン>だ。タイタンのディープ・スペース・モニターが、潜んでいたそれを発見・接近し…そして、消えた。

 その頃、<ミール>のマルドゥク神殿では、ビセサが残したフォンが鳴った。

【感想は?】

 これは、風景を楽しむ作品だろう。

 小説としては、ちと知りきれトンボの感がある。バクスターがその気になったら、続きが出そうな雰囲気で終わる。前作でハッキリしたように、これは魁種族<ファーストボーン>との争いの物語なのだが…。まあ、バクスターは、こういった超種族との物語は既にジーリー・クロニクルで書いてるんで、続きはあまり期待できないかもしれない。

 そのジーリー・クロニクルで代表されるように、スティーヴン・バクスターは、ストーリーで読者を引っ張る作家じゃない。狂ったアイデアで先端科学を料理するのが魅力の作家だ。この作品も、ストーリーそのものより、様々なガジェットや火星の風景など、人物以外の小道具・大道具は魅力的なモノが揃っている。

 始まっていきなり展開するのは、土星の衛星タイタン(→Wikipedia)の風景。極寒の地だが、雨も降れば川もある。降るのはメタン、流れるのはエタンだけど。いずれも有機物だから…。

 風景も楽しいが、もう一つのお楽しみは、様々な乗り物。最初に出てくるスクラムジェット(→Wikipedia)、現在も開発が進んでる。問題はマッハ3以上じゃないと動作しない点で、今は普通のジェットエンジンと併用して実験してる。構造そのものは至極単純なんで、巧くいけば商業用の超音速のエンジンとして便利かも。

 次に出てくるのは無人自動車。まあ、これは今でも自動車メーカーが色々と実験してるし。

 いよいよ、その次が相撲で言う幕内。まずは<ヤコブの梯子>。といってもヒューイ・ルイス&ニュースじゃありません。前作の終幕で出てきた、軌道エレベーターです。ここでは、「宇宙旅行はエレベーターで」の設計に準じ、カーボン・ナノチューブ繊維を織った、細長くて平たい帯を、ロープウェイよろしく登ってゆくタイプを描いている。

 ガンダムとかに出てくる軌道エレベーターはかなり高速で昇降するけど、この作品のエレベーターは時速200kmほどで、ゆっくり登ってゆく。静止軌道まで3万6千kmなので、一週間以上かかるのだ。お陰で、途中の風景もじっくり堪能できる。先の「宇宙旅行はエレベーターで」を呼んでると、思わずニヤリとする描写がチラホラ。

 また、カーゴの名前がスパイダーなのもニヤリ。「楽園の泉」と並び有名なチャールズ・シェフィールドの「星々に架ける橋」にひっかけたんだろうなあ。乗り物は他にも光子帆船など様々な宇宙船や、火星のローヴァーなど、是非一度は乗ってみたいシロモノが次々とでてくる。

 これは<ミール>編も同じで、ケイシー・オシックがケッタイな乗り物を作ってる。え?と一瞬思ったけど、たぶん金属加工の精度と燃料の加工が問題なんじゃないかな。それと、なんでバクスターがこんなのを書いたのか謎だったけど、この本を読んでわかった気がする。つまり、好きなんだ、この人。

 乗り物とはちょっと違いけど、宇宙空間で自転で擬似重力を発生させてる状況での、重力の働きの描写に注目。私も少し宇宙空間での球技を妄想した事があるんだけど、かなり地上とは様子が変わるんだよね。仮に野球でセンター・2塁ベース・キャッチャーの線を回転軸に平行に作っても、レフトとライトで球の飛び方が変わってくるし。

 乗り物と並ぶもう一つの楽しさは、風景。特に面白いのが、火星の北極。火星にも極地には雪が降るのだ。ただし、ドライアイスだけど。水じゃないんで、色々とタチが悪い。これに続くステーションの様子も、ばかなか。特に「バーコードのような帯状装飾」には興奮した。同じモノを見ても、科学者は実に多くの情報を読み取るんだなあ。

 加えてワクワクするのが、タイタンの自律的な探索ロボットを初めとする、機械知性体の描写。前作でもアリスッテレスとタレスとアテナがけなげな踏ん張りを見せたように、この作品でも個性的なマシンが登場する。火星の北極基地では、自己顕示欲に満ちた口うるさいスーツ5号が可愛い。無機的で控えめだったHALとは大違いだ。押し付けがましいのは同じだけど。

 やはりガジェットでは、終盤に出てくる重力トラクターも面白い。これは笹本祐一の傑作「彗星狩り」と同じ問題を解決する、もう一つの手段。人物では、ちょい役だけどギフォード・オーカー教授の、浮世離れした能弁っぷりに好感が持てる。きっとモデルがいるんだろうなあ。

 SFの王道の舞台、火星をテーマとし、最近の科学の成果をふんだんに盛り込んだサイエンス・フィクション。お話はちと散漫だけど、宇宙開発とテクノロジーが好きな人には可愛いオモチャが続々と登場する楽しい作品。特に宇宙エレベータの描写は絶品。

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2013年11月 6日 (水)

吉村恒監修 横山章/下河原稔/須賀武「トンネルものがたり 技術の歩み」山海堂

「次男坊生まれたり 長男坊より出来がよし」

【どんな本?】

 大きな橋と長いトンネルには、夢がある。イランの地下水路ガナートや青の洞門など、トンネルは我々の生活を安全・便利にするが、同時にトンネル工事には岩盤の切り崩しや湧水など困難と危険が付きまとってきが、近年はナトム工法やシールド工法などの新技術開発で飛躍的に安全性が高まり、また人員削減や工期短縮にもつながっている。

 人はいつからトンネルを使っていたのか。どんな目的でトンネルを作ったのか。どうやって作ってきたのか。どんな不具合があり、どうやって克服したのか。現代では、どんな技術が使われているのか。日本国有鉄道などで多くの経験を積んだ著者らが、主に明治以降の日本の鉄道用トンネルを中心に、豊富なエピソードを交えて語る、トンネル技術の歴史と現在。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2001年12月15日第一般第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約260頁。9.5ポイント42字×16行×260頁=約174,720字、400字詰め原稿用紙で約437枚。標準的な長編小説の分量。イラストや写真を豊富に収録しているので、実際の文字数は9割ほどだろう。

 意外と文章はこなれている。内容も数式などは出てこないし、特に前提知識は不用。ただ、監修者・著者はいずれも知識・経験・実績ともに豊富な人だけに、「地山(じやま、→コトバンク)」や「切羽(きりは、→コトバンク)」などの初歩的な専門用語が説明なしに出てくる。まあ、だいたいは文脈でわかるんだけど。また洪積層(→Wikipedia)などの地質学用語も出てくる。

【構成は?】

 序文/まえがき
序章 トンネルについて
第一章 黎明期
第二章 トンネル技術の夜明け
第三章 丹那と関門トンネル
第四章 戦後の日本
第五章 自然を知る事が大切
第六章 大湧水や膨れてくる地質と戦う
第七章 二つの海底トンネル
第八章 ナトム工法―新しい支保概念の誕生
第九章 覆工コンクリートでは土圧を受けない
第十章 地下鉄トンネル―シールド工法の発明と発達
第十一章 トンネルは機械で掘ろう
第十二章 もうトンネル彫りは危ない仕事ではない
第十三章 21世紀のトンネルはどうなるか
 あとがき

【感想は?】

 監修者・著者は日本の鉄道を牽引してきた人たちだけに、明治以降の日本の鉄道トンネルの話が多い。幸いにして文明開化以後の日本のトンネル技術は、世界のトンネル技術の歴史を圧縮したような発展をしてきたので、そのままトンネル技術史になった感がある。

 冒頭でトンネル技術の3つのブレイクスルーをまとめているのがありがたい。曰く。

  1. ノーベルによるダイナマイトの発明:のみとハンマーに加え黒色火薬も使ってたけど、爆発力が弱い上に煙とガスが酷かった。
  2. 鋼製のアーチ支保工:トンネルには周囲から土圧がかかる。昔は、いったん松丸太で支え、煉瓦やコンクリートで覆工したんだが、松丸太を外す時が危なかった。
  3. ナトム工法:「トンネル空間を保持するのは地山自身であり、人工の支保はこれを補助するだけ」

 実はナトム、この本じゃいまいちピンとこない。Wikipedia にもあるが、私は Loschild's Pageナトムって何?がわかりやすかった。基本的には、掘ったらすぐ30~50cmの厚さに(無筋!)コンクリートを吹き付け、ロックボルトで補強するだけ…なんだが、実際には薬剤を注入したりして、地山自体を改造する場合も多いっぽい。

 この効果は凄くて、事故率が劇的に下がった上に、工期も短くなり費用も減った。長野新幹線の構造別建設費を見ると、kmあたりじゃトンネルが一番安く、高架橋・切取り&盛り土・橋梁と続く。切取り&盛り土は用地が高く、橋梁は架橋費用が高い。トンネルは用地が異様に安い。

 とまれ、ナトムは固い岩盤のオーストリアで生まれた技術。この本を読んでると、日本は複雑な地質になかり苦労し、独自の工夫をこらしてる。

 まず目に付くのが、湧水。水田がアチコチにあるぐらい水に恵まれた土地だけに、地下水も多い。「大きな問題となる地質条件は、大湧水と膨れてくる地形です」。地表に水が無くても、地下にはあるんですね。富士山みたく、裾野に多くの湖がある所は鬼門。山の中に帯水層があり、それが地表に出た所に泉ができるわけ。水はけがいい場所はかえって危険。

 で、これをポンプで汲み出し地下水位を下げるんだけど、下手すっと近所の井戸が枯れたりする。

 もう一つの「膨れてくる地形」ってのは、飴みたくトンネルが勝手にふさがっちゃうケース。「膨れてくる地山の地表では、ほとんど例外なく地すべりが起きています」。この原因分析が面白い。一つは圧力で押し出されてくる。次に土中のモンモリロナイト(→Wikipedia)など粘土鉱物が地下水と化学変化して膨れる。最後に土中のメタンガスの圧力。

 記録が残っている最古のトンネルが、バビロンのユーフラテス河底トンネルで紀元前2180~2160年頃ってのが凄い。幅4.6m高さ3.6m長さ900m、断面は馬蹄形で煉瓦&天然アスファルトで補強。よく作ったなあ。並行して橋もあるから、何に使ったのか謎。緊急時の軍事目的って説が有力らしい。

 青函トンネルも湧水に苦しんでるけど、「ズルい」と言いたくなるほどスンナリ言ってるのが、英仏海峡トンネル。これは運と事前調査がよくて、厚さ20mほどの「手ごろな硬さの不透水層の均質な柔岩」チョーク層(石灰岩)がある。海上から140本ほどボーリングして調べ、「忠実にこの地層の起伏に沿うよう」計画したんで、トンネル内に起伏があるとか。

 素人が見ても面白いのは、終盤に多数掲載されてるTBM(トンネル・ボーリング・マシン)とシールド掘削機の写真。つまりは地下を掘り進むドリルだが、大きさがハンパじゃない。ちょっと画像検索してみよう(→TBM、→シールド掘削機)。シールド工法は未来的で、掘削機が掘りながら背後のトンネルもセグメント(トンネルの外壁)で覆っていく。「現在、日本は世界のシールド工事の9割が集中するシールド大国です」。

 他にも青函トンネルの苦闘、御徒町トンネル事故の原因、環境重視のスイスの姿勢など、トリビアが満載。第一次世界大戦の微動計の関係や、いかにもクラウゼッツに心酔した明治の軍部の発想など、ニワカ軍ヲタとしての収穫もあった。

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2013年11月 5日 (火)

伊藤計劃×円城塔「屍者の帝国」河出書房新社

まず、わたしの仕事から説明せねばなるまい。
必要なのは、何をおいてもまず、屍体だ。

【どんな本?】

 「虐殺器官」「ハーモニー」と傑作SF小説を送り出しながら早逝した伊藤計劃の遺稿を、やはりSF界の新鋭・円城塔が引きついで完成させた2012年日本SFの最大の話題作。

 人間の遺体を屍者として使役が可能となった、もうひとつの19世紀を舞台に、ジョン・H・ワトソン(名探偵ホームズの相方),ヴァン・ヘルシング(ドラキュラの敵)など架空のなど架空の人物やロバート・ブルワー・リットン(→Wikipedia)や川路利良(→Wikipedia)など実在の人物を取り混ぜて描く、ゾンビ・スチームパンク。

 2013年第44回星雲賞日本長編部門を受賞のほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2013年版」でもベストSF2012国内編のトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年8月30日初版発行。私が読んだのは2012年9月21日発行の7刷。さすが話題作。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約452頁。9.5ポイント42字×18行×452頁=約341,712字、400字詰め原稿用紙で約855枚。長編小説としては長め。

 正直、かなり読みにくい。なんたってクセ者の円城塔だし。そう、文章は伊藤計劃じゃなくて円城塔だ。それでも、伊藤計劃の構想が骨組みとなっており、長編小説として普通にストーリーが進むので、Boy's SurfaceSelf Reference Engine よりは親しみやすい。

【どんな話?】

 19世紀、ロンドン大学医学部では、ジャック・セワード教授が招いたエイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授の指導による実習が始まった。死体に擬似霊素をインストールし、使役可能な屍者を作り出す。学生のジョン・H・ワトソンは両教授に誘われ、リージェント・パーク沿いの古い建物へ同行する。プレートには「ユニヴァーサル貿易」とあり…

【感想は?】

 伊藤計劃の遺作とはいうものの、そういう暗い気分で読むもんじゃない。プロローグから名探偵ホームズのワトソン君,吸血鬼ドラキュラのヴァン・ヘルシングとジャック・セワード,メアリー・シェリーのフランケンシュタイン,フランツ・アントン・メスメル(→Wikipedia)の動物磁気など、怪しげなシロモノが次々と出てくる。

 老婆心で付け加えると、「フランケンシュタイン」は怪物を作った研究者の名前で、怪物には名前がない。物語中で怪物は死ぬが、死の条件は明示されていない。また、ヴァン・ヘルシングが退治する吸血鬼ドラキュラは、本来、不死だ。プロローグから不死に関係深い名前が連発するのに注意しよう。

 ガジェットも、チャールズ・バベッジ(→Wikipedia)の解析機関(→Wikipedia)が実用化されてるし、コメディっぽいホラーの雰囲気で始まり、いきなり死体が動き出す。

 当事の怪しげな技術で死体を蘇生させる、という点では確かにフランケンシュタインの怪物を思わせるが、屍者の描写は、むしろゾンビだ。こう言っちゃなんだが、そもそもホラーってジャンルはB級感が付きまとう。それでも心理物は文藝っぽく持っていけるし、吸血鬼は耽美にできる。が、ゾンビは、モロにB級そのもの、というかむしろB級の王者だろう。

 深刻でシリアスな作品で度肝を抜いた伊藤計劃と、論理的っぽいが得体の知れない芸風の円城塔が、B級の王道ゾンビをどう扱うか。今まで両者の作品を楽しんできた読者としては、とても気になる所だ。

 成立過程としては、伊藤計劃がプロローグと大まかな骨格を残し、円城塔がプロローグだけを残して彼なりに料理したらしい(→河出書房の「屍者の帝国」あとがきに代えて)。

 プロローグは、コメディとして展開しそうな雰囲気がある。馴染みの人物の登場と、フランケンシュタインや解析機関のアレンジ、そしてウォルシンガム機関やMも、「おお、アレをそう使うか!」と、知っている人ならニヤニヤする仕掛けが随所に仕掛けられている。

 この仕掛けの巧みさ・濃さは円城塔パートも健在で、やがてアフガニスタンへ向かうワトソン君、こっちでもどっかで聞いたような人を相手に、どっかで聞いたような冒険に巻き込まれてゆく。この辺、細かい所が気になる人は、誰かの名前が出てくる度に、いちいち検索したりするんで、なかなか読み進められないかも。

 もともと円城塔って作家は、至極真面目な表情でやたら難しい哲学的・論理的な話をしながら、全く声も表情を変えずに狂ったギャグをかます悪いクセがある。これはこの作品も健在で、物語の大きな謎を提示し人類の未来がかかった第二部の冒頭で…いや、そのセリフをバーナビーに言わせるかw

 まあ、そういう話なのだ。人間の死体を屍者として蘇らせ、単純労働用の少し知的で燃費のいい使役動物として使っている世界。屍者と書けばシリアスだし、実際そういう文体で話は進むのだが、実態はゾンビだ。動きは不気味で不器用、多少傷ついても動き続け、意識はない。ゾンビを屍者と言い換え真面目な雰囲気にしてるが、絵柄はB級。そういう、かなりヒネくれたユーモアが漂う作品である。

 他にも、今まで短編を中心に書いてきた円城塔が、普通にストーリーがある長編をどうかくか、という興味もある。

 全体はプロローグ・第一部・第二部・第三部・エピローグの五部構成で、円城塔には珍しく同じ世界を舞台に時系列順に話が進む。しかも、全てワトソン君を中心に。おかげで、彼の作品にしては比較的に読みやすい部類になった。

 とまれ、あくまでも「円城塔の作品にしては」の但し書きつき。第一部はまだ大人しいし、第二部は馴染みのある場所が舞台なのでマシなのだが、肝心の謎が重要となる第三部以降は、かなり円城塔の色が濃くなり、読者はかなり注意深く読まなければ迷子になってしまう。まあ、それでも、世界観は一貫していて、物語としてマトモにストーリーが流れるので、なんとかSF小説の範疇に収まっている。ありがたや。

 19世紀の人工ゾンビなどというゲテモノなネタを生真面目に語り、大量のパロディで彩りつつ、思いっきり壮大でマッドなアイデアを繰り広げ、最後にはヒトの本質を考えさせる奇怪なキメラ作品。2012年最大の話題作に相応しい、歯ごたえとセンス・オブ・ワンダーとヒネくれたユーモアに満ちた作品。

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2013年11月 4日 (月)

リサイクルブック市

 図書館に出かけたら、楽しい行事をやっていた。リサイクルブック市だ。つまりは蔵書の処分なんだが、多くの本が段ボール箱に入って並んでいるのを見ると、つい興奮してしまう。古本市とかは、もうブラックホールだ。そう、多くの本が集まると、時空が歪むのである。

 まず、重力に異常が現れる。なぜかソコだけ異様に重力が強くなるのだ。だから、真っ直ぐ歩いているつもりなのに、自然とソコに足が向かってしまう。明らかに空間が歪んでいる…なぜか本好きにしか作用しないが、これは永遠の謎だ。

 次に、時間の流れがおかしい。ホンの数分しか滞在していない筈なのに、なぜか外では数時間が経過している。実に不思議だ。本当に数時間も滞在していたのなら、疲れるとか足が痛いなどの自覚症状が現れるはずなのに、そんな症状は全く現れない。

 そして、脱出が難しい。脱出した時は、たいてい荷物が重くなっている。不思議だ。きっと集まった情報は、物質と同じ作用をして、時空を歪めるのだ。そうに違いない。

 などと考えつつ、意外な掘り出し物に出会って今はホクホクしている。時間の関係で6冊しか救えなかったが、鼻血物のお宝もある。

 まず、逢坂剛の「カディスの赤い星」。いや彼の作品は読んだことはないんだけど、これは傑作との噂をよく聞く。「スペインを舞台にした小説」ぐらいしか今は知らないが、なかなか楽しみだ。

 次に、筒井康隆の「エロチック街道」。SF者として今まで読んでなかったのが申し訳ないぐらい有名な作品。

 最後に、内藤陳の「読まずに死ねるか!」。本人は「面白本のオススメ屋」と言っているが、私は彼の書評を目標にして書評を書いている。とにかく、彼がギャビン・ライアルやジャック・ヒギンズについて語る時、「ああ、ホントにこの人は好きなんだなあ」ってのが、ヒシヒシと伝わってくる。

 私は、そういう書評が書きたいのだ。私が伝えたいのは、「この本はいい本だ」じゃ、ない。「この本が好き」なんだ。勿論、芸風は内藤氏と全く違う。例えば、彼の一人称は原則として「俺」だ。「陳」だったり「陳メ」だったりするけど、基本的に「俺」が似合う文章だ。対象も違う。彼は冒険小説が中心だが、私はSFが多い。それでも、目指す所は、彼が目指した所と同じだと思っているし、なんとか彼の芸を盗みたいと思っている。

 と同時に、彼のシリーズは、ブックガイドとして役に立つ。「深夜プラス1」は、本当に面白かった。特にハーヴェイ・ロヴェルのカッコよさったら。「鷲は舞い降りた」は勿論、船戸与一を読み始めたのも彼に勧められたからだ。大藪春彦に凝った時は大変だった。早く次巻が読みたくて夜中に深夜営業の本屋を探し自転車で隣の市まで駆け回った。アホか、私は。

 とまれ、今は積ん読も溜まってるし、どうしたものやら。

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2013年11月 3日 (日)

キャスリン・シュルツ「まちがっている エラーの心理学、誤りのパラドックス」青土社 松浦俊輔訳

「誤りを認め、損失を減らし、道を変えるのは、政府では最も嫌われる選択肢である」
  ――バーバラ・タックマン(→Wikipedia)

「誰もが自分の記憶については不満を言うが、自分の判断いついて不満を言う人はいない」
  ――フランソワ・ド・ロシュフーコー(→Wikipedia)

【どんな本?】

 人は、いろいろと間違う。もちろん、私もだ。その「まちがい」には、どんな種類があるんだろう。どんな時に、まちがえるんだろう。そもそも、まちがうとは、どんなことなんだろう。なぜ、まちがえるんだろう。そして、まちがいに気づいた時、人の心は、どんな風に働くんだろう。頑として自分のまちがいを認めない人がいる。なぜ、そうなんだろう。

 「まちがい」そのもの、まちがえ方、まちがいに気づいた時、またはまちがいを指摘された時の対応…まちがいに関わる様々なエピソードを集め、それを分析・考察して、まちがいを通してヒトの姿に迫る、ちょっと変わった哲学的な本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Being Wrong : Adventures in the Margin of Error, by Kathryn Schulz, 2010。日本語版は2012年1月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約439頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント47字×19行×439頁=約392,027字、400字詰め原稿用紙で約980枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 正直言って、手こずった。翻訳文は、決して悪くない。特に前提知識が必要な内容でもない。にもかかわらず、手こずった理由は、二つ。ひとつは、テーマが半分哲学に関わる問題であり、前提知識は要らないが、ややこしいモノゴトを扱っている点。もう一つは、身につまされて身もだえする話が多いこと。詳細は追って。

【構成は?】

第1部 誤りとは
 第1章 間違い学
 第2章 間違いの二つのモデル
第2部 誤りの起源
 第3章 感覚
 第4章 自分の心、その一――知っている、知らない、でっち上げる
 第5章 自分の心、その二――信念
 第6章 自分の心、その三――証拠
 第7章 私たちの社会
 第8章 確実さの誘惑
第3部 誤りの経験
 第9章 間違っているということ
 第10章 どう間違っているか
 第11章 否認と受容
 第12章 傷心
 第13章 変容
第4部 誤りの受け入れ
 第14章 誤りのパラドックス
 第15章 歴史全体からの楽観的メタ帰納
  謝辞/訳者あとがき/註/索引

【感想は?】

 そう、少々手こずった。先にあげたように、理由は二つ。まずは、扱っている問題がややこしい、ということ。例えば、冒頭で、まちがっている時の状態を、こうまとめている。

人が間違っていることはありうる。あるいはそれを本人が知ることはできる。が、同時に両方はできないのだ。

 現在進行形でまちがっている時、人はまちがいに気がついていない。まちがいに気づいた時は、もう間違っていない。「だから何?」と言われればそれまでだが、この本は、そういった事柄を追求した本なのだ。

 むしろ「まちがい」の研究こそ実益につながる分野もある。品質管理・安全管理などだ。大抵の製造業では歩留まりが利益に重要な影響を及ぼす。建設業界や航空・鉄道などの運輸業界では、事故が多くの人命に関わる。プログラマはしつこいバグに苦しむ。この本でも末尾近くで少しだけ、「いかにまちがいを減らすか」という実用的な話も出てくる。

 が、大半は、あまり実用的な内容ではない。むしろ、思想的・哲学的な話が中心となる。なるべく親しみやすくしようと著者は努力しているが、根本的にややこしい問題を扱っているので、読むにはかなり頭を使う。

 で、頭を使って読み始めると、これまた苦しい思いをする。

 基本的な構成として、文献やインタビューなどで具体例を提示し、追って分析を加える形だ。これが、実に意地が悪い。「こんなまちがいをやらかした人がいます」と例を出す。読者はこう思う。「ドジだな」「意地っ張りだね」「根性がヒネてる」。ところが、分析の所で、「でも、あなただってそうなんですよ、思い当たるフシ、あるでしょ」。私はいきなりヤラれた。

自分の趣味が神の定めた真実であるかのようにふるまう大のおとなの例はすぐに見つかり、笑ってしまうものだ。マック・ファンは、ウィンドウズ・ユーザーを集団妄想の犠牲者みたいに扱う。

 ぐぬぬ。ああそうさ、私はアップル信者だ、悪いか!だって、だって、マックって…カッコいいじゃん←結局ソレかい。今は Windws7 を使ってるけど、マックを使ってた頃は、マック系の雑誌を読みネットじゃマック系のニュースを集めマック・ファンと語り。たまに爆弾でるけど*、そりゃ愛嬌です。

*爆弾:昔のWindowsのブルースクリーンみたいなモンで、リセットするのが最善策

 つまり、私の耳にはマックのいい話しか入ってこなかった。典型的な確信バイアス(→Wikipedia)状態。幸いにしてマック・ファンは心が広い人が多いので、私を裏切り者扱いはしない…しないよね、○○さん。

 まあマックか Windows か、なんてのは気楽な問題だけど、信心が絡むと難しい。ここでは1844年10月22日のウィリアム・ミラーの終末予想と、それが外れた後の取り繕いを例にとっている。ミラーらは「審判の日」を予言し、多くの信徒を集めた。信徒は家も財産も捨て、その日を待った。当然、何も起こらない。否応なしにまちがいを認めにゃならん羽目に陥った人びとは…

 ここで、「人がまちがいを受け入れる様々なパターン」を、実例を挙げて分類してゆく。その傾向としては、ドナルド・ノーマン曰く「誤りの修正(過程)は、考えられる最低の水準に発し、徐々に高い水準に移るらしい」。著者は言う。「私たちは誠実に誤りの大きさを測ろうとするよりも、狂信的に誤りを軽視しようとするものだ」。

 と言うとヒトゴトのようだが、その前に著者は読者にこう釘をさす。「間違って他人の車にキーを差し込んだ経験はないかい?」そんな時、人はどうするか。まず、もう一度試す。もっとシッカリ入れようとする。色々試して、「どうやら俺は車を間違えたらしい」と自分のまちがいを認めるのは、大抵最後だ。人間ってのは、「自分の間違いは些細なこと」にしたがるんです。

 ああ、耳が痛い。私もプログラミングを学び始めた頃は、かなり無茶苦茶な言い訳をした。曰く「直したはずなのに、エディタが悪い」「コンパイラがおかしい」「OSにバグがある」。ええ、みんな、私のミスでした。
 あまし関係ないけど、プログラミングってのは、「自分がいかに間違いやすいか」を実感させてくれる効果があるんだよね。

 他にも、勝手に話を作ってそれを信じ込んじゃうヒトの一般的な傾向とその原因、集団の信念が脅かされた時のありがちな対応、なぜ人は作り話に騙されるのか、意見が変わった際のよくある欺瞞、巧妙な反対意見の出し方など、「あるある」だったり「なるほど」だったり「それじゃしょうががないね」だったり、興味深いエピソードと考察が満載。

 冒頭はとっつきづらいけど、後に行くほど慣れて読みやすくなるし、少しだけ自分のドジを許せるようになるだろう。内要は重いけど、読み終えると少しだけ気持ちが軽くなる本だ。

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