畠中恵「しゃばけ」新潮文庫
「まったく、妖より恐ろしいのは人でございますよ。先刻私が申し上げたかったのは、そのことで」
【どんな本?】
江戸時代の廻船問屋・薬種問屋の大店・長崎屋の一人息子の一太郎、歳は十七。幼い頃から病気がちで家族には溺愛され、滅多に外出も許されない。甘やかされて育った世間知らずのお坊ちゃんだが、穏やかな性格で人の心の機微も知っている。彼には不思議な能力があり、妖が見える…どころか、長崎屋では妖が人に化けて働いていた。
大江戸を舞台に、妖が人に紛れて暮らす世界を描く、時代劇ファンタジーのシリーズ開幕編。2001年度・第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2001年12月に新潮社より単行本で刊行。私が読んだのは新潮文庫の文庫版で、2004年4月1日初版、2006年11月10日の18刷。売れてます。文庫本縦一段組みで本文約331頁+小谷真理の解説「かわいらしくてこわい江戸の幻想奇譚」7頁。9ポイント38字×16行×331頁=約201,248字、400字詰め原稿用紙で約504枚。長編小説としては標準的な長さ。
時代物だが、文章や言葉遣いは現代の読者に合わせてあるので心肺無用。特に前提知識は要らないし、中学生でも楽しく読めるだろう。敢えて言えば、時刻の表現が当時風なぐらいか(→Wikipedia)。
【どんな話?】
大店の長崎屋の若だんな一太郎は、生まれついての病弱がたたり、一人での外出もままならない。心配する家族や手代が許さないのだ。そこをなんとか抜け出し夜道を歩く一太郎、手代たちにバレたらコッテリ絞られる。そこに漂う血の匂い。なにやら物騒な気配と家路を急ぐが、背後から人の声が。
「香りがする……する、する……」
【感想は?】
鳴家(やなり、→Wikipedia)が可愛い。
冒頭から、登場人?物は人間より妖の方がにぎやかだったりする。神社の鈴の付喪神の鈴彦姫(→Wikipedia)。長崎屋の手代の両名、佐助はいかつい犬神(→Wikipedia)、仁吉は色男の白沢(→Wikipedia)。これに主人公の一太郎と、正体不明の殺人犯が登場する。
妖怪が次から次へと出てくるこのお話、柴田ゆうのユーモラスなイラストも手伝って、冒頭に引用した台詞のように、実は妖怪が全然怖くない。最初に出てくる鈴彦姫は妙にはかなげで小動物っぽいし、次に出てくる佐助と仁吉は、とっても頼りがいがある。いや一太郎は佐助と仁吉を怖がってるけど、これはカミナリ親爺や小言婆さんを怖がるようなもんで、恐怖とは違う。
どころか、後に出てくる屏風のぞき(→Wikipedia)や鳴家は「ウチにも出てこないかなあ」とすら思えてしまう。わらわらと出てくる鳴家が、ホントに可愛い。
読む前は日常系のホンワカした話を想像したんだが、これはいきなり裏切られた。なんたって、夜道の殺人事件だし。夜ったって、今とは違う。江戸時代だから、街灯なんか、ない。提灯がなければ真っ暗闇だ。この闇の怖さが、最初から巧く出ている。おまけに、正体不明の殺人犯が迫ってくる。
この時点で、読者は人間の殺人犯より鈴彦姫を頼りに感じてしまう。冒頭のたった6頁で、完全に作者の世界観にハマってしまった。
読み進めると、次第に一太郎の周囲が見えてくる。これまた日常系ファンタジーっぽい。病弱な一太郎と、彼を慕い心配する佐助と仁吉をはじめとする妖怪たち。その佐助と仁吉は、ヒトのふりして店を切り盛りしてる。それも、なかなかの手腕で。だが、そこに忍び込む、不気味な影。
一太郎の周囲は、実にホンワカして気持ちがいい。これに先の殺人事件が絡んで来るんだが、まさしく「外から侵入してくる黒い影」とか「楽園に這いよる毒蛇」みたいな違和感・異物感がある。単にホンワカしてるだけじゃないのが、この作品のキモだろう。
一太郎のよき理解者にして友人の栄吉も、緩い空気と厳しい現実を併せ持っていて、油断のならない人物。菓子屋の三春屋の跡取りで、相応に世間を知っており、菓子作りにも熱心なのだが…。彼の特徴が、一見ギャグ仕立てでありながら、それだけじゃ終わらない所が巧い。
ストーリーはミステリ仕立てだ。開幕してスグに殺人事件が起こり、途中で手がかりを箇条書きにまとめる親切さ。シリーズ物だけど、ちゃんと冒頭の事件は、この巻できれいにケリがつきます。
その上で、次く巻へ読者の興味を惹く構成は、とてもじゃないが新人作家とは思えぬ巧みさだ。もしかしたら、最初からシリーズのつもりで構成したんだろうか。いやもう、栄吉の将来とか、冒頭で一太郎が出かけた理由とか、彼女の想いとか、これを読み終えた時点じゃ気になってしょうがない。
結論としては、やっぱり、鳴家が可愛い。
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