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2013年10月 3日 (木)

ジェフ・ライマン「エア」早川書房 古沢嘉通・三角和代訳

「この村は首を刎ねられて、脚をひくつかせているアヒルよ。これまでの世界は全部滅びてしまった。生き直す方法を学ぶには、あと一年しかない!」

【どんな本?】

 カナダ出身のSF・ファンタジー作家による、近未来の中央アジアを舞台とした長編SF小説。2006年アーサー・C・クラーク賞,英国SF協会賞,ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞受賞のほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2009年版」でもベストSF海外編11位に食い込んだ。

 山岳国家の貧しい小さな村に、突然やってきた画期的なネットワーク技術エアをめぐり、その技術を村の生存と発展のため活用しようとする中年女性チュン・メイと、彼女の活動が村に巻き起こす騒動を、意地っ張りで張り切り屋のオバサンであるメイの視点で描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AIR ( or, Have Not Have), Geoff Ryman, 2004。日本語版は2008年5月25日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約463頁+古沢嘉通の訳者あとがき7頁。8.5ポイント25字×22行×2段×463頁=約509,300字、400字詰め原稿用紙で約1274枚。普通の長編小説なら二冊分ちょいの大ボリューム。

 文章は比較的にこなれている。近未来のネットワーク技術を扱ったSFだが、IT系の小難しい前提知識は要らない。むしろ、最近の地上波デジタルTVやDVDデッキなどで、ワケわからんメニュー画面やカタカナ用語にイライラした経験がある人こそ、主人公メイの気持ちがよくわかるだろう。

 ただ、登場人物一覧が欲しかったなあ。

【どんな話?】

 エア。脳から直接ネットワークにアクセスできる画期的な技術で、全世界で一斉導入を予定している。中国・チベット・カザフスタンに国境を接するカルジスタンのキズルダー村は、テレビすら一つしかない山間の小さな村で、中国系・ムスリム・キリスト教徒など、多様な宗教・人種が混在しながら暮している。

 2020年、一年後の導入を前に試験運用した日、タン婆さんがパニックに陥って亡くなる。村のファッション・エキスパートとして働く中年女性チュン夫人ことメイは、折り悪くタン婆さんと交感していたため、タン婆さんがメイの頭の中に住み着いてしまう。一足先にエアへのアクセスを手に入れたメイは、エアが村を襲う激動を予見し、村を新しい技術に適応させるべく奮闘を始めるが…

【感想は?】

 直前に読んだ国際銀行史研究会編「金融の世界史」にグラミン・バンク(→Wikipedia)の話があって、興味を持った所なので、個人的にはタイミングがバッチリの本だった。

 グラミン・バンクはバングラデシュの地元密着型の金融機関。貧しい人、特に女性を対象に小額のお金を短期・低利・無担保で貸し、事業(というより商売とかお店ってレベル)の立ち上げを支援する。貸し倒れを防ぐための工夫が見事で、途上国の底辺層に発展の機会を創り出した点を評価され、2006年にノーベル平和賞を受賞している。

 そんな話を読んで感動した直後なので、どうしても「田舎の貧しい村が最新技術で変容してゆく話」として読んでしまう。ただ、視点が大きく違う。「エア」は、融資を受ける立場である、村の女性チェン・メイの一人称で話が進む。

 舞台は中央アジア、中国・チベット・カザフスタンに国境を接する架空の国カルジスタン。たぶんアフガニスタンの北にあるキルギスあたりをモデルとした地域。山あいの小さな村、キズルダー。中国系・ムスリム・クリスチャンが混在しつつ、特に宗教・民族的な対立もなく暮している。

 とまれ、そこは田舎の村。色んな形での争いはある。セゼンやアンみたいな若い連中は、年寄りのいう事なんか聞きやせず、村から出て町へ行くことばかり考えている。今の村の実力者はウィンだけど、ハシームは抜け目なくスキを伺ってる。学校の先生シェンは教育熱心で、村の教育レベル向上のためずっと頑張ってきた。

 そんな中で、村のファッション・エキスパートとして張り切る主婦チュン・メイが主人公。字は読めないけど、仕事に関しちゃ目端が利いて、村の中じゃ相応の敬意を集めてるオバサン。ただ、夫のジョーは頼りなくて…

 冒頭から、客で友人のスンニを馴染みの美容院に連れて行く場面で、メイのチャッカリした性格が巧く描かれる。次に、やはり友人のクワン相手に商売する所では、客商売に慣れたメイの辣腕ぶりも明らかになる。学こそないが、商売人として、誇り高く、したたかに頭を使って生きている人なのだ。そこにやってくる先端技術、エア。

 舞台装置として重要な役割を果たすのが、テレビ。実力者のウィンは、村に一台だけのテレビを屋外に置き、村人が楽しめるようにしている。キズルダー版の街頭テレビだね。自動車もあることだし、村人も外の世界の事は一応知っている。近くの町イェシボズケントに出かけることもあり、自分たちが田舎者の農民と見られる事もわかっている。妙な優越感を持ってメイを見る読者に対し、彼女は早速一発カマしてくる。

「よくわかっています。わたしたちのことを心配しているんです、まるでわたしたちが子どもであるかのように思って」
「わたしたちにはテレビやコンピュータに向かう時間などありません。太陽に、雨に、風に、病気に、そしておたがいに向かい合っています。わたしたちを助けたがるのは、結構なことでしょう」

 小さい村とはいえ、ややこしい人間関係の中を渡り歩き、慎ましくとも逞しく商売してきたオバサンの誇り溢れる台詞だ。人を見る目に長け、向こうっ気の強いメイは、事故を経て、村でただ一人エアに常時触れる能力を手に入れる。田舎の村で、ただ一人、先端のITテクノロジに触れたオバサン。そこではニューヨークや東京とキズルダー村が難なくつながり、否応なしに世界中の情報が村に入ってくる。

 この記事の冒頭の引用が示すように、パニックに陥る村人たち。その中で、向こうっ気の強いメイは、村人としての誇りを持ちながら、今までの商売で培った嗅覚を頼りに、村が生き延びる道を探ってゆく。

 巧いと思うのは、主人公のメイの設定。息子と娘、二人の子どもを立派に成人させた中年女性で、自ら切り開いた商売もやってる。行動力あふれるオバサンで、それなりに人生経験を積んでいる。一般に若者は新しいものを歓迎し、年寄りは恐れるものだ。メイはちょうどその真ん中にあって、双方の気持ちがわかる世代だ。

 しかも、メイの頭の中には、過去にしがみつくタン婆さんが住み着いてる。この状況で、ただ一人、村のIT化を推進せにゃならん立場に追いやられてしまう。権威の喪失を恐れ新しいものに反発する老人たち、スポーツや音楽など娯楽ばかりにかまけるガキや野郎ども、そして新しければ何にでも飛びつく若者たち。様々な力学が軋轢を生む中で、一年後尾に控えたエアが巻き起こす「革命」から、村を守ろうとするメイの奮闘。

 というと、ド根性オバサンの感動物語みたいだが、そんなに綺麗な物語じゃないあたりが、この小説の真価。主人公のメイも、決して滅私奉公な聖人ではなく、スキャンダラスな欲望も備えた俗人なのがリアルでいい。特に光るのが、後半でメイが弟のジュメイと争う場面。逞しいオバサンと繊細な男って対比が、この著者ならでは。傷つきやすいオッサンとしては、居心地悪いながら、思わず苦笑いしてしまった。

 やっぱり笑ったのが、メイがネットに触れて、早速トラブルに見舞われる場面。まあ、いつになろうとも、あーゆー困ったシロモノは絶滅しそうにないしw

 エアは世界的な問題だけに、後半になると、村の外の力学もいろいろと関わってくる。これは間接的な形で描かれるので、ちょっとわかりにくいが、現在でも中央アジア諸国、特にキルギスは中国・ロシアと微妙な関係があって、これはアハメド・ラシッドの「聖戦」が詳しい。クリストファー・ナイハードの「ヌードルの世界史」によると、あの辺も独特の麺料理があるらしい。通販で買えたら、あなた、欲しいと思いますか?私は是非食べてみたいです。

 新技術が田舎の村にもたらす変容の物語として、負けん気の強いオバサンが頑固な村人を導くお話として、一つのビジネスの誕生を通して語るマネージャーの苦労話として、中年女性のラブ・ロマンスとして。そして何より、現在の我々が直面している世界の激動に対し、どのように足場を築くのか、という話として。読み手によって、この物語は様々な側面を見せるだろう。

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