バーバラ・W・タックマン「八月の砲声 上・下」ちくま学芸文庫 山室まりや訳 1
「前途にいかなる運命が待ちうけていようとも、この日1914年8月4日は、ドイツ国家にとってもっとも重要な日のひとつとして永久に記憶されるだろう!」
――ドイツの宰相テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク(→Wikipedia)、
1914年8月4日帝国議会閉会の弁
【どんな本?】
1914年6月28日、セルビアの国粋主義者がオーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺する。ヨーロッパを戦乱に叩き込む、第一次世界大戦(→WIkipedia)の導火線に火がついた。
欧州の没落とアメリカの勃興など国際社会の変動、トルコ・オーストリア・ロシアの帝政崩壊など政治体制の転覆、騎馬突撃を無効化する機関銃の登場と塹壕戦による膠着状態、馬匹から鉄道や自動車への輜重の変化、参謀本部による戦争指導など、現代史・軍事史の転回点となった第一次世界大戦を、その前史から開戦に至る経緯、そしてマルヌ会戦(→Wikipedia)によるシュリーフェン・プラン(→Wikipedia)の挫折に至るまでの過程を綴った、傑作ドキュメンタリー。1963年ピュリッツァー賞受賞作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は THE GUNS OF AUGUST, by Barbara Wertheim Tuchman, 1962。日本語版は1980年に筑摩書房から単行本で刊行、1986年8月に新装版。2004年7月7日に文庫本で第一刷発行。文庫本の上下巻、縦一段組みで本文約464頁+422頁=886頁に加え訳者あとがき9頁。8.5ポイント40字×16行×(464頁+422頁)=約567,040字、400字詰め原稿用紙で約1417枚。長編小説なら3冊分ぐらいの大ボリューム。
当事の翻訳としては、日本語は比較的にこなれている方だろう。ただ、言い回しそのものが、元々が回りくどい政治・外交・軍事文書を元にしているため、意味を掴むには注意深く読む必要がある。また、戦争物ドキュメンタリーの常として、登場人物が極めて多いため、覚えるのに苦労する。やはり戦争物のため、見慣れぬ地名が多数出てくるので、地図帳や Google Map があると便利。
つまり、スラスラ読める本ではなく、じっくり時間を確保して取り組む本だ。
【構成は?】
上巻
まえがき
第一章 大葬
戦争計画
第二章 「右翼最前線は、袖で海峡をかすって通れ」
第三章 セダンの影
第四章 「ただ一名の英国兵!」
第五章 ロシア式蒸気ローラー
戦争勃発
戦争勃発
第六章 八月一日のベルリン
第七章 八月一日のパリ ロンドン
第八章 最後通牒とブリュッセル
第九章 「落葉のころには家に帰れる」
戦闘
第一○章 「手中の敵ゲーベン号をとり逃す」
第一一章 リエージュとアルザス
第一二章 英国海外派遣軍大陸へ向かう
第一三章 サンブル・エ・ミューズ
下巻
第一四章 ロレーヌ、アルデンヌ、シャルルロワ、モンスの崩壊
第一五章 「コサック兵が来るぞ!」
第一六章 タンネンベルク
第一七章 ルーヴァンの火焔
第一八章 公海、封鎖、大中立国
第一九章 退却
第二○章 前線はパリだ
第二一章 フォン・クルック軍の方向転換
第二二章 「紳士諸君、マルヌで戦おう」
マルヌ会戦後
訳者あとがき/人名索引
基本的にお話は時系列に沿って進むので、素直に頭から読もう。注釈は各章の末尾にあり、また戦況地図が章の途中にあるので、栞を5~6個用意しよう。
【感想は?】
実は、これを書いている時点じゃ上巻だけしか読み終えていない。予想通りに、重い本だ。物理的にじゃなく、内容的に。かなり気合を入れて読まないと、内容が掴めない。とまれ、数学や科学の本ではないので、気合を入れれば、なんとか意味が掴める。
上巻の半分ぐらいまでは、政治・外交の話が中心となる。そもそも、なぜ第一次世界大戦が勃発したのか。
よく言われる。「セルビアでオーストリアの王子が銃撃されたから」。なんのこっちゃ。ソレでなぜフランスやイギリスがドイツと戦わにゃならん?セルビアとフランス・イギリスに、何の関係があるんだ?ロシアなんて、全然遠くじゃん。
残念ながら、この本のまえがきには、こうある。「わたしはこの本で、オーストリア=ハンガリー、セルビア、ロシア-オーストリア、およびセルビア-オーストリア戦線には触れなかった」。つまり、肝心のセルビアとオーストリア=ハンガリー帝国の関係は、かなり簡潔に済ましている。
これが逆に功を奏して、むしろ関係が理解しやすくなった。つまりは、ややこしい同盟関係のせいだ。
ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国は、強固な同盟関係にある。某国とオーストリア=ハンガリー帝国(以後オーストリアと略す)が戦争になったら、ドイツも某国と戦わなくちゃいけない、そういう関係だ。当事のオーストリアは、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナも併合していた。つまり、セルビアと国境を接している(→Wikipediaの地図)。
セルビアのテッポダマに王子をとられたオーストリアは、セルビアにデイリを仕掛ける。ドイツも一緒に参戦。
ロシアはこう思ってる。「ワシゃスラヴのボスじゃけん」。そして、セビリアは自分の子分だと思っている。シマ荒らされて黙ってるわけにはいかん。ってんで、ロシアが参戦。当事のフランスはロシアと親しく、同盟関係にある。ロシアが戦うなら、フランスも参戦せにゃならん。
ロシアとフランスがヤる気なら、ドイツも本気を出すぞ。てんで、ドイツはフランスに向け進軍開始。途中、中立国だったベルギーを通る。ところがこのベルギーの中立を保障してたのが、ロシア・ドイツ・フランス・イギリス他。イギリスも吼える。「ベルギーの中立はワシが保障しとるんじゃ。ワシのメンツ潰してタダで済むと思っとんのかジャガイモ野郎、この稼業ナメられたらシマイじゃ!」
こちらトルコ。斜陽のオスマン帝国だが、なんとか近代化を目論み、イギリスに軍艦二隻を発注した。ところがブリ公、田舎者とコケにしくさり、完成しても引き渡さない。「文句があるなら実力で取りに来いやターバン野郎」とナメきってる。でなくても宿敵ロシアなんぞと組むのはまっぴらごめん。そこにドイツから声がかかる。「戦艦貸すぜ、かわりに羆を黒海に閉じ込めてくれや」。
…すんません。つい懐かしの東映ヤクザ映画風になってしまいました。
実際にはこれに、動き出したら止まらないドイツのフランス侵攻作戦シュリーフェン・プランや、各国内の主戦派・反戦派の争い、基本戦略を巡る対立、古い戦術に拘る古老と前線指揮官の軋轢、思い込みに囚われ前線の情報を無視する中央の司令部など、生々しいドラマが展開してゆく。
物語は、1910年5月のロンドン、エドワード七世(→Wikipedia)の葬列で幕を開ける。参列するのは、各国の主君。絢爛たる行列は、当事の時代背景・社会体制を否応なしに感じさせる。つまり、現代のように議会が力を持つ民主制の社会ではなく、君主と貴族が幅を効かす身分制が色濃く残っている社会だ、と。各国の王家の血筋が紹介される度に、その想いは強くなる。大半が親戚関係にあるのだ。
そして歴史の歯車は、きしみながら戦争へと突入してゆく。やっぱり「世界一~」なドイツの科学、大量の屍で学ぶ現代戦の教訓、腰のフラつくイギリス、いつだって甘い銃後の連中の見通しなどは、次の記事で。
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