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2013年9月 5日 (木)

ジェイン・ロジャーズ「世界を変える日に」ハヤカワ文庫SF 佐田千織訳

「どうしてばかの集団が権力を握れるように、走りまわって手を貸さなくちゃいけないの?結局その連中は、すでに権力を握ってる連中と同じくらい危険な存在になるだけだっていうのに」

【どんな本?】

 イギリスの作家ジェイン・ロジャースによる、長編SF小説。アーサー・C・クラーク賞に輝き、ブッカー賞の候補にもなった。近未来、または現代と少し違う世界のイギリスを舞台に、危機に瀕した世界を救わんとする16歳の少女ジェシーの目を通し、彼女が決意に至る過程と、周囲に巻き起こす騒動を描く、重く苦い物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Testament of Jessie Lamb, by Jane Rogers, 2011。日本語版は2013年7月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約420頁+訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×420頁=約285,600字、400字詰め原稿用紙で約714枚。長編小説としては少し長め。

 文章は、最近の翻訳物の小説としては標準的な読みやすさ。一応、設定はSFだけど、テーマはむしろ文学的なもので、つまりは人類ではなく人間を描く事に主眼を置いた作品であり、科学的・技術的な部分は分からなくても問題はない。「なぜそうなるか」は無視して、「どんな効果があるか」だけに注目しよう。

 逆に言うと、SFな仕掛けは舞台を整えるための道具に過ぎず、考証は少し甘い部分がある。サイエンス・フィクションが好きな人にとっては、ソコを許せるか否かが評価の分かれ目。

【どんな話?】

  全人類は疫病MDSに罹患した。妊娠した女性は母子ともに死ぬため、もう子供は生まれない。世界は滅亡を前に狂い始めた。主人公はイギリスに住む16歳の少女ジェシー・ラム。MDS対策に携わる研究者の父ジョーと、母のキャスは、最近、口げんかばかり。親友のサルは男の子にモテモテだけど、今はダミアンといい仲。クラスメイトのローザは幼馴染のバズにちょっかい出してきた。

 そして、ケイトリンが死んだ。ローザも姿を消した。彼女も妊娠したらしい…

【感想は?】

 主人公のジェシーは16歳、彼女の一人称で物語は語られる。栗色の髪にはしばみ色の瞳、そしてチャームポイントは強い意志を示す太い眉。とすっと、プリキュアの日向咲ちゃんか放課後ティータイムの琴吹紬ちゃんか。涼宮ハルヒ・シリーズの朝倉涼子さんでも可。彼女は黒髪だけど。誰であれ、あなたの好きなキャラを思い浮かべながら読もう。

 すんげえ、ムカつくから。

 この小説は、娯楽作品じゃないのだ。読者をイヤ~な気分にさせる、そういう目的で書かれている。帯じゃジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやり方」を挙げているが、それは罠だ。主人公が置かれた状況、少女の一人称、そして悲壮な決意などは共通しているが、読後感は全く違う。

 優れた英国SFに与えられるアーサー・C・クラーク賞を受賞し、主流文学寄りのブッカー賞の候補にもなっている。いずれも、選考委員が選ぶ賞だ。読者投票形式の賞は、まず受賞できないだろう。正直言って、SFじゃなければ私は読まなかった。でも、確かに優れた価値のある作品だし、この作品に賞を与えた英国のSF界は英断を下したと思う。

 日常の描写がライトノベル並に戯画化されていたら、きっと読後感はこれほどムカつかないだろう。ところが、ジェシーの周辺事情が、なかなか巧く書き込まれてるんで、更にイヤさが引き立つ。

 娘に気を使いながらも不和は隠せないジョーとキャスの夫婦。躁鬱の気があって、躁のときは愉快な叔母のマンディー。ビッチっぽく、女の子仲間から爪弾きにされてるローザ。美人で男の子に人気がある親友のサル。幼馴染でピアノに夢中の、でも最近はちょっと距離ができちゃったバズ。

 ジェシーがバズに誘われて出かけるサークル、YOFI(独立青年団)も、政治に関心がある若者の描写が、嫌な感じでリアル。地球温暖化・脱原発・動物虐待反対・戦争反対・児童の権利擁護・遺伝子改変作物と、いかにも「意識の高い若者」にウケそうなネタが次々と挙がってゆく…が、いずれも、誰かの受け売りで上滑りしている感が拭えない。しかも、百家争鳴で、組織としての統一見解は出てこない。

 ここで、「若者ってのは、血の気ばっかり多くて浅はかだよなあ」と思うかもしれない。だが、読み進むと、若者ばかりが浅はかってわけじゃないのだ。ジェシーの決意も、実はこの物語だけの話ではない。今、現実に、オトナたちが若者に提供している選択肢だ。それに気づいた時、この物語は、更に不愉快なものとなる。

 フィクションはネタバレなしを原則に書評してるんだけど、この作品は、どうしてもネタに触れたいんで、詳細は追って書く。その前に、2点ほど補足したい。

 42頁に名前が出るガイ・フォークス(→Wikipedia)は、16世紀イングランドの人物。コミック原作の映画「Vフォー・ヴァンネッタ」で抵抗と匿名のシンボルとして使われた。

 315頁で自転車を列車に乗せる場面がある。欧州じゃサイクル・トレインは結構あって、私が知るかぎり3パターンがある。客車に自転車を置く空間がある、最後尾の客車の後部に自転車をくくりつける、貨物車輌に自転車を乗せる。日本でも一部の私鉄が導入を試みている(→Wikipedia)。羨ましい。

 ところで、主人公のファミリー・ネームが Lamb なのは、何か意味があるのかな?

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【ネタバレありの書評、要注意】

 以後はネタバレ気味に書くので、そのつもりで。

 ジェシーが政治運動に関わるあたりは、若者の性急さや浅はかさが描かれる。ここで「うんうん、若者ってのは…」などと年寄り臭い事を考えるかもしれない。そして、ジェシーの決意だ。オトナとしては、若気の至りをたしなめたい。

 だが。物語の中盤以降は、そのオトナも、実はあまし賢くないと思い知らされる。暴走して自滅に向かうマンディーは賢いのか?イヤったらしいイアンは?ローザの母親は?そもそも、世界をこんなにしちまったのは、オトナじゃないか。

 冒頭から、ジェシーは父に暴力で支配されている由がハッキリしている。まあ、世の父親なら、ジョーの気持ちもわかるだろう。誰が可愛い娘を危険に追いやりたいものか。鎖に繋いでも止めるのが親だろう。だが。バズは父親を評して曰く…

「親父はいつだって母さんに指図してた。ぼくたちに。ぼくらのどっちにもね。日曜学校へいけ、自分が主と親しく交わっているあいだは忍び足で歩け、飛び跳ねろとわれたら飛び跳ねろ。そしていうとおりにしないと怒りっぽくなる」

 バズの父と、ジョーは何が違う?私には解が見えない。これが、不愉快な理由の一つ。解けない問題を突きつけられるのは、ムカつくのだ。

 科学反対や動物保護に続き、やがてフェミニズムも登場してくる。これは相当に重要なキーワードで、ジェシーが不良に絡まれる場面でも、皮膚感覚的に性差の問題を取り上げてくる。舞台設定が妊娠・出産を扱っているだけあって、どうしても性の問題に読者の関心は向かう。

 知らない人が見たら、確かにジェシーの決意は崇高に見える。そこで、ジェシーの性別を逆にしてみよう。彼女が男だったら?主に男性の役割で、自己犠牲を伴うもの。

 ニワカ軍オタの私は、ここで兵役を考えた。志願兵だ。途端に、更に気分が悪くなった。

 国家は、志願兵を賛美する。強さ、勇ましさ、愛国心などの言葉で、少年や若者を煽る。ところが、この作品は、ジェシーの決意から、次から次へとヒロイズムの美しさを剥ぎ取ってゆく。ジェシーの決意の見苦しさは、カッコよさを剥ぎ取られた兵役志願だ。そして、現代の国家は、それを必要としている。

「それをやるのは、哀れな洗脳された子たちになるでしょうね。女の子たちを候補者に指名して、白いドレスを着せ、天国で受け入れられる報いの話でその子たちの頭をいっぱいにするんだわ」

 誰かがやらなくちゃいけない。だが、誰が?ジェシーか、ローザか。これもやっぱり、私は答えを出せない。

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