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2013年9月16日 (月)

天野邊「プシスファイラ」徳間書店

各々のノードが発信するパケットのヘッダには常にこの個体識別番号が付与され、受け取った全てのパケットの、音の聞こえる範囲内に存在する全ての個体のアドレスをルーティングテーブル内に動的に保持してゆく。このルーティングテーブルを参照することによって個体は、他の個体による発信を、中継し、リダイレクトすることができるのだ。

【どんな本?】

 第10回日本SF新人賞を受賞したSF長編小説。紀元前一万年に始まる情報通信ネットーワークを基盤に発達させたクジラ族の高度な文明が辿る、危機と変革に満ちた数奇な運命を、現代のデジタル通信技術や分散コンピューティングの用語をふんだんに散りばめながら描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年10月31日第一刷発行。ハードカバー縦二段組で本文約305頁+ヘルプ19頁+あとがき3頁。9ポイント23字×20行×2段×305頁=約280,600字、400字詰め原稿用紙で約702枚。長編小説としては、やや長め。

 スバリ、とっても読みにくい。文章がこなれていないのは新人だから仕方がないとして、問題は内要。新人ならではの大胆さで、一応ヘルプはついているものの、頻発するネットワーク&コンピュータ用語の数々は、日頃から職業的にネットワーク管理やソッチ系のプログラミングを扱っている人でなければ、まず読みこなせない。

【どんな話?】

 紀元前8269年、発達したパケット交換システムにより、クジラ族は優れた情報通信ネットワークを張り巡らし、高度な文明を築きあげていた。言語学科の受 講生カイエは、『カタロゴス』の創世神話を元に童話『カイエ海の旅』を書き上げ、学友に公開し意見を聞いていた。ところが、お目当てのクリアはご機嫌斜めで…

【感想は?】

 これぞSF。カルピスの原液を10倍に濃縮したような濃さ。

 小説としては、壊れてると言っていい。終盤になると、もう誰が主人公なんだかわからないし。お話の骨格となる構想を、「小説」って風呂敷で包もうとしたら、中身がデカすぎてアチコチ破けた、どころか骨格の端っこに風呂敷がひっかかってるだけの状態になった、そんな感じ。

 もうね、いきなりパーミッションだのセッションだのプロトコルだのと、専門用語が頻発。これら、一応は巻末にヘルプがついてるけど、まず素人さんはわからないと思う。クジラの講師様がやってる講義が、ネットワークの四階層モデル。デジタル通信の基礎を知ってる人なら、まずOSIの7階層モデル(→Wikipedia)が思い浮かぶ。

 という事で、冒頭の暫くはデジタル通信と分散コンピューティングSFとして楽しめる。コウモリは自信が発する超音波をレーダーとして使い、周囲の状況を[見て」いる。いわゆるエコー・ロケーション(→Wikipedia)だ。クジラの一部も、この機能を持つらしい。つまり、優れた音響処理技術を備えている。

 これは、「クジラは情報通信能力を持つ」という意味でもある。「なら持たせてみよう」ってのが、このお話の導入部。クジラがデジタル・ネットワーク技術を持ったら、どんなネットワークを構成するか。

 現在、我々が使ってるネットワーク技術っては、実のところ結構ブサイクで、イマイチ柔軟性に欠ける。例えば、携帯電話で、すぐ傍にいる人にメールを送る際も、いちいち中継局を介さなきゃならない。どっちも電波を送受信できるんだから、ヘンな話だ。直接やりとりすりゃいいじゃん。

 なんでそうなったのかというと、アドレス解決などのネットワーク管理機能が、個々の携帯電話になくて、局で集中管理してるから。ネットワークを区切るルータ(→Wikipedia)とかも、中身はコンピュータなんだけど、大抵のパソコンは、ネットワーク・ボードが一つしかない。だから、ルータの仕事をさせるのは、機械的に無理。

 これがクジラ族だと、基本的に全個体が似たようなハードウェアを持ってるから、「機械的に無理」な状況は(原則として)ない。誰もがルータになれるし、誰もがDNSサーバになれる。反面、音波で通信してる以上、アナログなままだと、周囲にいる人全てに聞こえてしまう。ってんで、デジタル化&暗号化しましょう、となる。

 とまれ、音には減衰がある。遠くの音は聞こえない。集団がまとまってりゃいいけど、遠く離れた相手と通信するには…ってな技術的な問題を、現代のネットワーク技術用語を使い、巧いこと読者を丸め込んでくれるから面白い。日本電子専門学校ネットワーク科卒という経歴もあってか、相当に突っ込んだネタが飛び出してくる。ネタがネタだけに、アロハ・ネット(→Wikipedia)も出てくるのはさすが。

 ということで、ネットワーク技術としては、今のような光/メタル回線を基盤とした中央管理型ではなく、無線P2Pを基盤とした分散型のシステムを無想させてくれた。実は現実でもOLPC(→Wikipedia)や携帯ゲーム機のすれちがい通信(→Wikipedia)などで既に実用化され、ドラゴンクエストなどのアプリケーションも開発されている。

 など通信系の濃い話が冒頭から解説抜きで次から次へと出てきて、まっとうな読者は完全に振り落とされてしまう。ルーティングの話なんか、普通は知らないって。加えて、ポスト・サイバーパンクなコンピューティングのマッドなネタまで当たり前のように飛び出してくるんだからたまらない。

 ネットワークとコンピュータに詳しいSF者って、どんだけ狭い市場をピンポイントで狙ってるんだか。それだけに、狙い撃ちされた者は、確実に落とされる。狙いはピンポイントだけど、弾頭はツァーリ・ボンバ並の破壊力。さあ、皆さんご一緒に。

「すばらしい」
「すばらしい」
「すばらしい」
「すばらしい」

 これが後半に入ると、マッドっぷりが次第に暴走を始めてゆく。第2章のデュナムの騒動とかは、ネタとしちゃ大抵のSF者が抱腹絶倒する面白さなんだけど、果たしてついてこれる人がどれだけいる事やら。もったいない。実にもったいない。まあ、ここまで茶化したのがバレたらタダじゃすまないから、煙幕としては丁度いいのかもw

 暴走を始めた物語は、第3章で更に加速し、「物語」としての体裁すら危うくしてゆく。ここまで大風呂敷を広げた作品は、SFといえど滅多にあるもんじゃない。いいです、畳まないで。ここまで風呂敷を広げてくれただけで、私は大満足。

 まあ、そんなわけで。ハンパなSFじゃ満足できない、イっちゃったSF者向けの逸品。読み通せる人は滅多にいないけど、数少ない市場に該当する人なら、悶絶間違いなしのピンポイントでボンバーな作品。こういうのが読める、現代って時代に感謝したい。そして作者さんには、今後も妄想のリミッターをブッチ切った暴走を期待。

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