ロバート・マキャモン「少年時代 上・下」ヴィレッジブックス 二宮馨訳
だいたいが大人の注意力というのは、こっちが目を向けて欲しい、仲裁にはいってほしいと思うときにははるか遠くにあり、はるか遠くにあってほしいと思うときには首の根っこにそそがれているのだ。
【どんな本?】
アメリカの人気ホラー作家ロバート・R・マキャモンによる、自伝的な長編小説。それまでの特撮アクション・ホラー的な方向性から一転し、1960年代のアメリカ南部の田舎町で過ごす少年コーリーの日常と成長、そして彼を見守る大人たちを、詩情たっぷりに描く。1991年度ブラム・ストーカー賞、1992年度世界幻想文学大賞受賞。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は BOY'S LIFE, by Robert McCammon, 1991。日本語版は1995年に文藝春秋よりハードカバーで刊行、1999年に文庫本が文春文庫より、2005年7月20日ソニー・マガジンスのヴィレッジ・ブックスから文庫本で再刊、初版第1刷発行。文庫本上下巻で縦一段組み、本文は上巻約446頁+下巻約513頁=959頁に加え池上冬樹の解説「人を幸福にする小説」10頁。8.5ポイント41字×18行×(446頁+513頁)=約707,742字、400字詰め原稿用紙で約1,770枚。そこらの長編3~4冊分の大ボリューム。
日本語は比較的にこなれている。内容も、元が娯楽路線の作家だけあって、特に難しくない。ただ、内容が「少年時代を振り返る」話なので、若い人よりオッサン・オバサン向けかも。特に8歳~13歳ぐらいの男の子がいるお父さん・お母さん向けだろう。
【どんな話?】
1964年3月、アラバマ州の田舎町ゼファー。11歳のコーリー・マッケンソンは、牛乳配達の父トムを手伝っている途中、底なしのサクソン湖に車が落ちるのを見た。車の中の人を助けようとトムは湖に飛び込むが、運転席の男は既に死んでいた。男は裸、顔は青あざだらけで腕を手錠でハンドルにつながれ、首にはピアノ線が巻かれている。肩に特徴のある刺青、こめかみから翼のはえた骸骨。
コーリーは見た。森に消える、黒っぽいコートの男を。保安官のJ・T・エイモリーと共に現場に戻ったコーリーは、コートの男がいたあたりを歩く。その時、コーリーの靴に妙なものがこびりついた。緑色の小さな羽根。それ以来、トムは悪夢にうなされるようになる。平和なゼファーの町に殺人鬼がいるなんて。
【感想は?】
改めて考えると、男の子ってのは、実にケッタイな生き物だよなあ。
奴らは、変な物に執着する。チョコレートやキャンディなど甘いものならわかる。西部劇や戦争映画に熱中するのも、まあ「男ってそういうもん」で我慢できる。けど、トカゲみたいな怪物や牙から血をしたたらせるドラキュラが、なんで好きなんだか。おまけに、気色悪いものを拾ってきちゃ集める習性は、どうにかならんのか。泥の団子だのセミの抜け殻だの動物の白い牙だの、何が面白いんだ?
どうにもならんのだ。男の子ってのは、そういう困った習性を持つ生き物なのだ。お母さんたち、諦めてください。得物を捕らえちゃ飼い主の前に持ってくる猫みたいなもんです。「捨てろ」と言っても、まず聞ききゃしません。「私の目に付く所に置くな」あたりで妥協して下さい。女の子の尻を追い回す年頃になれば、自然と熱は醒めます…大抵は。
と、まあ、そういう、不条理で意味不明で、多くの女性にとっては不気味ですらある、「男の子」の生態がギッシリ詰まった作品。オッサン達は忘れてしまった記憶が蘇り、お母さんたちは理解不能な息子の行動原理が少しわかる…かも、しれない。少なくとも、男の子が何を見ているかは、わかると思う。
「男の子の自転車は、時には馬にならなければならないし、またある時は鹿に、ことによったら爬虫類にもならなければいけないんでしょう」
などというと教科書的な内容みたく聞こえるが、そこはB級ホラーでならしたロバート・マキャモン。もちろん、お話としても、とっても面白い。
語り手は11歳の少年コーリー。作中で彼は12歳になる。彼の目を通し、激動の1960年代のアメリカ南部の田舎町ゼファーと、そこに住む人々を描いてゆく。
富豪の倅で、裸で歩き回るヴァーノン・サクスター。熱心な牧師アンガス・ブレセット。狂信的な人種差別主義者ディック・ムートリー。へなちょこ保安官J・T・エイモリー。黒人を仕切る老婦人ザ・レディと、その連れ合いのムーン・マン。狡猾な悪党ビッガン・ブレイロック。床屋のダラーさんは町の噂は何でも知ってる。キャスコートさんの武勇伝だって。
田舎だけに、奇妙な伝説も息づいている。時おり洪水を起こすテカムシ川に棲む怪物オールド・ディック。森の主の巨大な白鹿スノーダウン。愛車ミッドナイト・モーナを駆り誰よりも速く走った青年リトル・スティーヴィー・コーリー。大人ですら語り継ぐに足ると思う伝説を、少年たちはどう感じるだろう。
少年が主人公だけに、重要なテーマは成長だ。ここでマキャモンの手腕を感じるのが、同じテーマが主人公コーリー以外にも当てはまること。最もわかりやすいのが、コーリーと同じ事件で苦しみを背負う父のトム。妻と子を深く愛し、温和で諍いを嫌う男。だが、同時に、息子の尊敬に値する男でありたい、とも思っている。対照的に、悪ガキのまま大人になった、トムの父(コーリーの祖父)ジェイバード。
「大人ってなんだろうね」などと考えさせる場面が、沢山ある。コーリーの目を通し、変わってゆくジェイバードの姿。町が水害に襲われた時、流れを変える意外な人物と、その予想外の素顔。コーリーの一人称で進む物語なので、トムの胸中はわからない。が、世のお父さんたちなら、きっとトムの気持ちがわかるだろう。
同様に、子どもという立場の理不尽さも、充分に描き出しているのはさすが。ゴーサとゴードのブランリン兄弟みたいな悪たれガキは、どんな町にだっている。でも、問題は、子供の世界だけじゃない。子供ってのは、親には逆らえないのだ。
激動の60年代。公民権運動が盛り上がり、マーティン・ルーサー・キング(→Wikipedia)が有名な演説をした時代だ。特に南部じゃ火花が散っている。この問題も、きちんと取り扱っている。町は白人地区と黒人地区にくっきり分かれ、黒人が入っていい所も決まっている。時代の趨勢に従う者と、抗うものと。「彼らは決して助けを求めないからだ」。
そういった隔絶された社会を象徴するのが、黒人地区の顔役である老婦人ザ・レディと、彼女に連れそうムーン・マン。その偉大な力を、白人たちは恐れ神秘化する。とまれ、頭頂部の砂漠化が進む私としては、ムーン・マンの呪いは身に染みる。なんてヒドい事をするんだ。
あの時代を描いた物語だけに、時代を感じさせる小道具もいっぱい。印象深いのが、ビーチボーイズのヒット曲 I Get Around(→Youtube)が巻き起こす騒動。でもって、今は、I Get Around に熱中した爺さんたちが、ボーカロイドを目の敵にしてるんだろうなあ。いつだって、新しいものを目の敵にする人ってのは、いるもんだ。そうそう、舞台がアラバマなら、この曲も出てこなくちゃ。ジョニーも悪くないけど、やっぱりロニーだよね。Lynyrd Skynyrd / Sweet Home Alabama(→Youtube)。
なんて社会ドラマの面白さもあるが、そこは辣腕エンタテナーのマキャモン。少年ジャンプ的な娯楽路線の見せ場も、当然幾つか用意してある。最後のフライマックスはもちろん、その前のヤマ場「ゼファー版“真昼の決闘”」も、燃える燃える。コーリー最大のピンチからの展開は、職人マキャモンのケレン味が最高に冴え渡る場面。これだよ、これ。こーゆーのが欲しくてマキャモンを読むんだ、私は…と思ったら、とんでもないオチまでついてた。うはは。勇者だなあ。
SF者なら、最後の謝辞を軽く眺めてみよう。コーリーは、そういう少年だ。半ば自伝なだけに、彼が作家を目指すきっかけを描いた物語でもある。「それを書こうとしないこと。お友達にお話をしてあげると思えばいいわ」なんて、物書きを目指す人には貴重なアドバイスも入ってる。
じっくりと書き込んだゼファーの町と、その人々。世界が大きく変わってゆく中で、軋んでゆく人々の心と暮らし。子供ならではの「魔法」と、どうしようもない壁。若者が今の所から一歩踏み出すごとに、見えてくる新しい世界と、その仕組み。そして職人マキャモンの腕を堪能できるヤマ場。大作ながら、読み始めたら止まらない、秋の夜長に最適な傑作。
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