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2013年9月13日 (金)

高橋克彦「写楽殺人事件」講談社文庫

写楽――天明寛政年中の人。俗称、斎藤十郎兵衛、居、江戸八丁堀に住す。阿州公の能役者也。歌舞伎役者の似顔を写せしが、あまりに真を画んとしてあらぬさまに書なせしかば長く世に行れず、一両年にて止む

【どんな本?】

 直木賞作家・高橋克彦のデビュー作であり、第29回(1983年)江戸川乱歩賞を受賞した長編ミステリ。歌麿や北斎と並び有名でありながら、わずか一年ほどで姿を消した浮世絵師・写楽(→Wikipedia)。彼の正体につながる資料の発掘をきっかけに起きる、現代日本の浮世絵研究界に震撼と共に、その周辺である古美術・古本業界を織り交ぜ、また浮世絵とその研究のの魅力を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は1983年に講談社より出版。文庫版は1986年7月15日第1刷発行。私が読んだのは1993年6月30日発行の第18版。売れてます。文庫本縦一段組みで本文約352頁。8ポイント43字×19行×352頁=約287,584字、400字詰め原稿用紙で約719枚。長編小説としてはやや長め。

 デビュー作にしては、文章は比較的にこなれている方。ただ、さすがに1989年の「竜の棺」に比べると、さすがにまだ硬い。というか、6年間でグングンと娯楽作家として腕を上げた、と評するのが適切だろう。浮世絵を扱うため、いくらか専門的な知識が出てくるが、作品内で充分に説明してあるので、特に前提知識はいらない。ただ、肝心の写楽の絵はさすがに収録していないので、パソコンなどで画像検索しながら読んだ方が楽しめるかも。ちょっと Google で東洲斎写楽を画像検索してみた。

【どんな話?】

 浮世絵の研究で有名な篆書家の嵯峨厚が亡くなった。同じ浮世絵研究家であり、嵯峨の論敵でもある西島俊作の研究室に属する、駆け出しの研究者・津田良平は、葬儀の場で、意外な人物と出会う。国府洋平だ。同じ西島門下の十年先輩だが、二年ほど前に西島の不興をかって姿を消していた。

 数日後、古本市に出かけた津田は、明治の浮世絵師・小林清親が序文を寄せた、秋田蘭画の画集を手に入れる。絵師は秋田藩士で角館出身の近松昌栄。無名だが、腕は達者だ。だが、そのうち一つの書き込みを発見し…

【感想は?】

 謎そのものは、二つの軸を中心に展開する。一つは現代で起こる事件であり、もう一つは写楽の正体だ。この二つは完全に分かれているわけではなく、終盤になって鮮やかに合流を果たす。

 やはり読んでいて面白いのは、写楽の正体に迫ってゆく部分。これがまた、「そもそも浮世絵とは何ぞや」という根本的な疑問が、現代パートでも重要な役割を担っているあたり、新人とは思えぬ巧妙な仕掛けを冒頭から披露している。

 この物語の中で、現代の浮世絵研究は大きく分けて二つの派閥が争っている。主流派を成し、アカデミックな場でも大きな権勢を振るう「江戸美術協会」を率いる西島。在野の研究者が多い「浮世絵愛好会」の中心の嵯峨。版画を重視する西島&江戸美術協会、肉筆画こそ原点と主張する嵯峨&浮世絵愛好会。

 こういった人物に象徴させながら、現代の浮世絵研究の世界を描いてゆく。論の対立=人物の対立であり、いかにも実際にありそうと思えてくるから、作家の力は怖い。全体を通して展開する美術界の内幕も、論争がそのまま金と名誉と権力に結びつき、古美術商や研究者がそれぞれの思惑で係わり合うあたりが、生々しく描かれる。どこまでが取材で、どこからが創造なのやら。なまじ巧い作家ってのも、罪な存在だよなあ。

 こういった論の対決の中で、浮世絵そのもののネタや、その研究方法の話が披露されてゆく。このあたりが、ギョーカイ物として、なかなか面白い。先に出た版画 vs 肉筆も、素人の私は「当然、肉筆だろう」と思うのだが、そう簡単な話じゃない。印刷用の原稿ってのは、現代でも、それなりに気を使うのだ。

 漫画のテレビ・アニメ化で例えよう。たいてい、アニメは原作と少しタッチが変わる。漫画は一つの場面は一つだけ絵を描けば終わりだが、アニメーションは一秒間に数枚の絵が必要だ。テレビアニメは、一週間に30分ぐらいのペースで放映するんで、必要な絵の数も膨大な量になる。

 だから、テレビ・アニメの絵を描く人は一人じゃなく、多数の人が同時に描く。絵は、どうしても描く人によってクセが出ちゃうけど、同じ番組内で人物の顔が違ってたら、マズい。だから、なるたけ人による違いが出ないように、アニメ用の人物はデザインを少しなおす。原作の雰囲気を残しながらも、量産しやすい絵に変える。この場合、漫画の絵とアニメの絵、どっちを評価対象とすべきなんだろう?

 江戸時代の印刷は木版だ。絵師が書いたものを、彫師が彫って版ができる。当然、元の絵とは少し違ったものになる。絵師がテキトーに描いた物を、彫師が巧く補う場合もあり、絵師と彫師はチームとして作品を創りあげてゆく。世間に流通するのは印刷物なわけで、なら完成品である印刷物こそ評価の対象とすべきだろう、ってのが西島派。

 などの浮世絵の技術的な話もなかなかに面白いし、ギョーカイの内幕的な話も興味深い。私は本は読んでもあまし集める方じゃないんだが、研究者ともなれば、集めなきゃ話にならない。じゃドコで集めるかというと、関東に住んでりゃ当然、神田の古本屋街。

 司馬遼太郎はトラックで乗りつけ店の在庫ごと根こそぎ買ってった、なんて話もあるけど、研究者として駆け出しの津田は、そんな贅沢な真似はできない。ってんで、古本市に出かけてゆく。このシステムも、店と馴染みになればイロイロなサービスが受けられて。まあ、専門書の世界ってのは、大抵どこでも、そういうモンらしく、軍事系も似たようなシステムがあるらしい。

 おまけに古美術ってのは、モノにより相当なカネが動く。春峰庵事件(→Wikipedia)なんてのが絡み、真贋判定は重要な問題となる。贋作に真作の落款(作者の署名)を貼って偽造するなんてのは、素人でも思いつくが、その逆ってのは、さすがに思いつかない。こういった胡散臭さと紙一重な古美術商の内幕も、この作品の大きな魅力。

 浮世絵そのものが、開国当事の日本じゃ消耗品と思われてて、今なら古新聞ぐらいの価値だと見なされてたのが、ヨーロッパで高い評価を受けて再評価された、なんていう数奇な歴史的経緯を辿ってる。これが写楽だと更に複雑で…。こういった、評価の変転も、この作品の重要なキモとなっている。

どうでもいいが。浮世絵がジャポニズムに影響を与え、それをアール・ヌーヴォーが継承してミュシャを生み、そして現代日本の漫画家やイラストレーターがミュシャに憧れ、それがまたヨーロッパで評価されるってのも、なかなか感慨深い歴史だよなあ。文化のキャッチボールとでも言うか。今度はどんなボールが返ってくるんだろう。

 当然ながら、写楽が現役で描いてた寛永年間の話も展開してきて、なかなか大掛かりになってゆく。あの時代に詳しい人なら、いろいろと楽しめるだろう。私は池波正太郎の「剣客商売」と半村良の「どぶどろ」を思い浮かべ、「おお、あの人が出てきた」なんて思いながら読んだ。時代物ってのは、ハマって読めば読むほど、こういう楽しみが増えて面白くなるから怖い。

 写楽の正体を発端に、現代の浮世絵研究の世界と、その周囲の内幕、そして様々な変転を経た浮世絵の評価の歴史を絡め、浮世絵研究の面白さと、それに憑かれた者の業を描いた謎解きエンターテイメント。

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