スタニスラス・ドゥアンヌ「数覚とは何か? 心が数を創り、操る仕組み」早川書房 長谷川眞理子・小林哲生訳
自然史博物館で、来館者が学芸員に、「あそこの恐竜はどのくらい古いのですか?」と尋ねた。「7千万年と37年前」というのが答えだった。来館者が、その答えの正確さに驚愕していると、学芸員が説明した。「私はここで37年働いているんだが、私がここに来たとき、こいつは7千万年前のものだと言われたんです」
ヴィトゲンシュタイン「どんな数学的命題も同じ意味しか持っていない。つまり、何も意味しない」
【どんな本?】
一、二、三、四、五。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ。多くの言語で、数字の表し方に共通点がある。1~3は、何かが一つ・二つ・三つだが、4以上は違う形になる。漢字は横棒が、ローマ数字は縦棒が増えてゆく。なぜ1~3だけが特別なのか。数学は論理的なモノだと思われている。しかし、ヒトは本能的に数字を操る能力を持っているのではないか。
子供はどうやって算数を覚えていくのか。暗算が得意な人や数学者の頭の中はどうなっているのか。この記事の最初のジョークは、なぜおかしいのか。なぜ中国人はアメリカ人より数学が得意なのか。カラスやウマは計算できるのか。数学者から認知心理学・神経科学に進んだ著者が、ヒトの持つ数の感覚を解き明かすと同時に、児童向けの優れた算数の教育法や暗算のコツを伝授する、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Number Sense - How the Mind Creates Mathematies, by Stanislas Dehaene, 1997。日本語版は2010年7月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約429頁+訳者あとがき5頁。9ポイント45字×18行× 429頁=約347,490字、400字詰め原稿用紙で約867枚。長編小説なら長めの分量。
最近の一般向けの科学解説書としては、日本語がやや硬く直訳っぽい印象がある。その分、内要は難しくない。数学を扱うので苦手に感じる人もいるだろうが、出てくるのはせいぜい分数の足し算ぐらい。小学校の算数をマスターしていれば、充分に読みこなせる。
【構成は?】
まえがき/はじめに
第1部 遺伝的に受け継いだ数の能力
第1章 才知にあふれた動物たち
第2章 数える赤ちゃん
第3章 おとなの脳に埋め込まれた心の物差し
第2部 概数を越えて
第4章 数の言語
第5章 大きな計算のための小さな頭
第6章 天才たち、神童たち
第3部 神経細胞と数について
第7章 数覚の喪失
第8章 計算する脳
第9章 数とは何か?
訳者あとがき/さらに知りたい人のために
【感想は?】
「あ、やっぱり」と思う部分と、「え、そうなの?」と思う部分と。また、ヒトの感覚という原始的なモノを探るのは、案外と難しい、ということ。
難しさを実感するのが、教育界じゃ有名なジャン・ピアジェ(→Wikipedia)の実験と、その勘違い。彼は子供の心の成長を「真っ白な紙に少しずつ知識が書き込まれてゆく」と考え、幼児の思考能力を見くびった。これに対し、著者は「ある程度の感覚は持ってるんだ、でも実験が不適切だから検証できなかったんだ」と、欠陥を暴く。
例えば。おもちゃをハンカチで隠すと、生後10ヶ月の赤ちゃんはオモチャに手を伸ばさない。これをピアジェはこう解釈した。「赤ちゃんはオモチャがなくなったと思っている」。だが実際は、「一歳未満の赤ちゃんは、隠された物体に対して適切に手を伸ばすことができない」から、らしい。つまり運動能力の問題なわけだ。
やかりピアジェの錯誤は、数の大小感覚。ピアジェは主張する。数の概念は4~5歳にならないと生まれてこない。そこで実験した。ビンを一列の等間隔に6個並べる。それと平行にコップも一列の等間隔に6個並べ、子供に聞く。「ビンとコップ、どっちが多い?」子供は答える。「同じ」。次にコップの間隔を少し開け、ビンの列より長くして、同じことを聞く。子供は答える。「コップの方が多い」。
これを、1967年にマサチューセッツ工科大学のジャック・メレールとトム・ビーヴァーがひっくり返す。まず、おはじき4個の列と6個の列を並べる。6個の列は間隔を詰め、列の長さが4個の列より短くする。そして3~4歳の子供に聞く。「どっちが多い?」子供の多くは、4個の列を選ぶ。やっぱりダメじゃん。
次に、おはじきをキャンディに変える。そして、選んだほうを食べていい、とする。これだと、大半の子供が6個を選ぶ。2歳児でも正解できるのだ。なんで?
著者は仮説を立てている。子供は、相手の気持ちを推し量るんじゃかないか、と。「この人は、なんだってこんな、わかりきった事を聞くんだろう?」と。そして、おはじきの場合だと、前に比べ「変化した方」を答えるんじゃないか、と。といわゆる心の理論(→Wikipedia)だ。案外と、子供ってのは、賢いのかもしれない。
「あ、やっぱり」な部分は、「ヒトの脳は、ある程度の数学感覚を持ってるんじゃないか」ということ。著者はこれを「数覚」と呼ぶ。言われてみると「そんなの当たり前じゃないか」と思うだろうけど、それをキチンと言葉にして、かつ実験で確認してるのが、この本の面白い所。
例えば、一二三とⅠⅡⅢの類似。光点の数を数える実験で、ヒトは3つまでは約500ミリ秒で答えられる。「だが、それ以上になると、スピードも正確さも急激に落ちてゆく」。また、二つの数の大小を答える実験も、感覚的に納得できるが興味深い結果が出ている。つまり、数の差が大きいほど反応は速くて正確だ。以外なのは、「65より大きいか?」という問で、71より79の方が速い。どうもヒトは、10の位で判断しているわけじゃく、感覚的に数の大小を判断しているらしい。
意外なのが、無意味な数列を覚える実験。これ、アメリカ人より中国人の方が得意なのだ。そして、日本人も得意な方だ。なぜか。モンゴロイドだから?残念、違います。
1~9まで、なるたけ速く数えてみよう、英語と日本語で。どっちが速く言える?日本語の方が速く言えるはずだ。「俺は日本人だし」?じゃ、中国語でやってみよう。イー・リャン・サン・スー・ウー・リュー・チー・パー・チュー。
なんで中国人は数を覚えるのが得意か。答えは、「中国語の数詞は短いから」。無意味な数列を思えられるのは、英語じゃ平均7個、中国語は9個。最も優れているのは広東語で、約10個。香港がビジネスで成功してるのは、このため?
同様に、10以上の数の数え方も算数の能力に関係してるっぽい。英語だと Ten, Eleven, Twelve と不規則に変わるけど、日本語は「じゅう、じゅういち、じゅうに」と十進法を反映した構造になる。中国語もそうらしく、おかげで中国人の子供はアメリカ人より約一歳も早く大きな数を数えられるようになる。
文章を書く者として気をつけたいのが、「ありがちな間違い」。
- 農夫が八頭のウシを持っている。五頭を除いてすべてが死んでしまった。あと何頭残っているか?
- ジュディは人形を五つ持っている。キャシーのよりも二つ少ない。キャシーは人形をいくつ持っているか?
どっちも3と答えたくなる。なぜか。
「を除いてすべて」とか、「よりも二つ少ない」という言葉を聞いたとたんに、心の中で自動的に引き算のスイッチが入ってしまうのである。
連想が邪魔するわけだ。さて、この現象を「言葉の選び方がヘタだと、伝わりにくく間違いやすい文章になる」と表現すべきか、「巧く言葉を選べば、わかりやすく間違いにくい文章になる」と表現すべきか。ユーザ・インターフェースに関わる者にも、役立つ法則だろう。
脳と言葉と数の、意外な関係。漠然と「きっとそうだよなあ」と感じてる事を、いちいち面倒くさい実験で確認する科学者の律儀さ。ラマヌジャンなどの天才数学者が持つ、不思議な数値感覚。そして、現代科学が実現した、脳を探索する斬新な技術。自分のオツムの中に興味がるなら、読んでみよう。
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