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2013年9月の17件の記事

2013年9月29日 (日)

SFマガジン2013年11月号

「SFの未来は?」
北野勇作「知ったこっちゃないわ!」
  ――巽孝之 第2回国際SFシンポジウムレポート SF的思考と物語の力

 280頁の標準サイズ。特集は「海外SF短編セレクション」として、キャサリン・M・ヴァレンテ「ホワイトフェード」,カリン・ティドベック「ジャガンナート――世界の主」,メガン・アーケンバーグ「最終試験」,スティーヴン・バクスター「真空キッド」,チャールズ・ストロス「パリンプセスト」前編。小説は他に連載の夢枕獏「小角の城」,梶尾真治の「怨讐星域 その日への輪舞曲」。

 もう一つの特集は「第2回国際SFシンポジウムレポート」として、共同声明,巽孝之の総括のほか、小谷真理,立原透耶,タヤンディエー・ドゥニ,藤井大洋が報告を寄稿に加え、パオロ・バチガルピのインタビュウ。「SFはアメリカとイギリスだけじゃないんだぜ」的な広がりを感じる報告だった。

 キャサリン・M・ヴァレンテ「ホワイトフェード」。共産主義との激しい戦いに突入し、大きく変わったアメリカ合衆国。テレビCMは商品イメージの向上とと同時に、愛国心の高揚を緻密な計算と演出に織り込む時代。間もなく15歳になる少年マーティンは、かつて牛乳配達や宇宙飛行士に憧れていたが、今のマーティンの希望は…
 ロボコップのように、CMで幕を開ける物語。舞台は近未来、または別の歴史を辿ったアメリカ。「マッカーシー大統領(→Wikipediaのジョセフ・マッカーシー)」でほのめかされるように、アカ狩りが定着したアメリカを更に推し進めた社会を描く。要所に入るCMが見事に象徴するアメリカの経済的自由主義志向と、少年マーティン&少女シルヴィーの自由を奪われた人生の対比が光る。ちょっとケイト・ウォルヘイムの「鳥の声いまは絶え」と思い出した。

 カリン・ティドベック「ジャガンナート――世界の主」。マザーのチューブから、新しい子供ラクが生まれた。言葉を覚えたラクたちに、パパは語りかける。「世界が駄目になったとき、マザーがわしらを受け入れてくれた。わしらはマザーの機械を動かし、マザーはわしらを生かす」。やがて成長し働けるようになったラクは、<腹>で蠕動エンジンを動かす仕事に就く。
 フィリップ・リーヴの「移動都市」や、クリストファー・プリーストの「逆転世界」のように、破滅した世界を舞台に、人の集団と住処が一つの生態系を形作って移動してゆく、そんなお話。ただ、住処が機械じゃなくて、生物っぽいのがポイント。こういう、「巨大生物の中に住む」ってのは、どうにも原始的な憧れをそそる設定だよなあ。

 メガン・アーケンバーグ「最終試験」。あなたに提示される、17個の問題。それぞれ選択肢は5個。それぞれの問題と、回答の選択肢から、次第に事件の真相が浮かび上がってくる。
 選択問題と回答の選択肢から、「何が起こったのか」が少しづつわかってくる、そういう独特の形式で作られた小説。構成の工夫は確かにユニーク。私は最初、心理テストとか性格診断っぽいものかと思った。またはドラマなどの脚本の書き方を考えてるのかな、とか。同じストーリーでも、重点の置き方や視点の違いで、物語の味は全く違ってくるし。

 スティーヴン・バクスター「真空キッド」。21歳のトゥスン・イブン・テュナヤン、またの名を<真空キッド>。19歳のとき、偶然に彼は自分の特殊能力に気がついた。リヤドからオタワに向かう軌道下直行便のシャトルに激安チケットで乗り込んだトゥスンは、宇宙に放り出され、強烈な放射線と真空に晒されたが…
 一種のスーパー・ヒーロー物。今回の特集じゃ、これが一番楽しかった。19歳の煩悩真っ盛りの青年が、なんとも地味な特殊能力を手に入れて、イロイロと活躍するお話。アメコミのヒーローは、なぜかケッタイなコスチュームをまとうと相場が決まってるけど、真空キッドがコスチュームに身を包む理由が大笑い。ジーリー・クロニクルで名を馳せたバクスターだけに、真空の描写は真に迫ってる。と同時に、シモネタ満載なのが楽しい。

 チャールズ・ストロス「パリンプセスト」前編。ピアスは、浮浪者に返送し、待ち伏せして自分の祖父を殺す。これが均衡管理機構のエージェントとなるための通過儀礼だ。「<ステイシス>へようこそ、エージェント・ピアス。これできみは根無し草に、時間流の孤児となり、無から出でて永遠の任務似つくこととなった」。
 昔は羊皮紙が貴重だったんで、書かれてる文字を消して再利用した。これがパリンプセスト(→Wikipedia)。お話はタイム・パトロール物。ただし、正常な歴史を守るんじゃなく、目的に向け意図的に歴史を改変する。イっちゃったストロスらしく、得体の知れない(しかも微妙に説明不足な)時間理論に頭がクラクラしてくる。

 梶尾真治「怨讐星域 その日への輪舞曲」。今回の舞台はニューエデン。巨大世代宇宙船はニューエデンに姿を見せたが、乗員が降りてくる気配はない。アルデンス・ワルゲンツィンは首長となり、アジソンの末裔たちを撃退するために、様々な状況を想定したシミュレーションを用意する。市庁舎に勤めるダニー・コリンズは激務が続き、息子のトミーも戦闘訓練で忙しい。
 完全に復讐の念に囚われたニューエデンを、夫ダニー・妻エヴァ・息子トミー、そしてエヴァの父ジャンのコリンズ家を通して描く。連れ合いを亡くし部屋に閉じこもりがちになったジャン。心配したエヴァはジャンを引き取り共に暮し始めるが、やはりジャンは閉じこもりがちで…。迫ってくる対決の時に向け、ギリギリと緊張を高めてゆく回。芸幅の広いカジシンだから、この先どう転ぶか分からない。

 長山靖生「SFのある文学誌」、今回は「空に浮かんだ未来――アルベール・ロビダの二十世紀」として、19世紀末に活躍したフランスの作家・画家のロビダ(→Wikipedia)を取り上げる。現代ならコミックで活躍しただろうなあ。Google で画像検索してみた。19世紀はビルの高層ほど家賃が安かったのかあ。エレベーターは偉大だ。当事のフランスでの電話の使い方が、これまた以外。ニコニコかよ。

 Media Showcase/Music は今回もボーカロイド特集で40mPとナノウ。最近の若者の話として、ヘビメタとアニソンとボカロ物をシームレスに聞いてるとか。そういう感覚が羨ましい。とまれ、こういう感覚は日本じゃ昔からあって、アメリカの音もイギリスの音も日本じゃ「洋楽」だから、聴き手はあんまし区別してなくて、フォリナー(→Wikipedia)なんてバンド名がピンとこなかったりする。カナダ出身のザ・バンドがサザンロックに分類されたり、よーわからん。

 橋本輝幸「世界SF情報」。Amazonの新企画<キンドル・ワールド>にワクワク。カート・ヴォネガットの二次創作小説の販売が可能になったとか。二次創作を正式に著作物として認める流れなわけで、これが日本で暴走したら面白いことになりそう。川端裕人あたりが先頭切って試行して、更にそれをネタに小説を書いてくれないかなあ。

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2013年9月26日 (木)

エレーヌ・ブラン「KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇」創元社 森山隆訳

「この際はっきり言っておこう。隠れた最高権力者KGBはロシアの本当の主である。KGBに比べれば、政治団体も大統領も官僚組織も議会も、ただの表看板でしかない」
  ――ハンス・ヒュイン、ドイツの政治学者・元外交官

「ブッシュとプーチンの違いを知っていますか?」
「前者は戦争をするために大統領になったのです。後者は大統領に選ばれるために戦争を始めたのです」

「FSB、内務省、国防相、すなわち<力の機関>がクーデターを起こすわけがない。何の目的でクーデターを起こす必要があるのだ?実権を取るためか?実権はすでにわれわれの手にある。エリツィンを倒すためにか?その必要はない。我々を任命したのは彼だからだ!」
  ――ウラジミル・プーチン、1999年7月にコムソモリスカヤ・プラウダ紙の取材にて

【どんな本?】

 ロシアの犯罪組織・政治学を研究する著者が、1991年のソビエト連邦崩壊から2004年のプーチン大統領再選までの、複雑怪奇で混迷するソ連・ロシア政界の概況を、KGB(現FSB)を中心に共産党・マフィア・オリガルヒなど他勢力との対立と共闘といった視点で解説し、ロシアの脅威について警鐘を鳴らす。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KGB Connexion, Le Système poutine, by Hélène Blanc, 2004。日本語版は2006年2月20日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約350頁+訳者あとがき4頁。9ポイント43字×17行×350頁=約255,850字、400字詰め原稿用紙で約640枚。長編小説なら、ちょい長めの分量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、内要はかなり理解しにくい。詳細は追って。

【構成は?】

 はじめに
第一章 ソヴィエト連邦の終焉とその真実
第二章 新興財閥のロシア
第三章 チェチェン・シンドローム
第四章 エリツィン劇からプーチン劇へ
第五章 プーチン化されたロシア
第六章 KGB――レーニンからプーチンまで
第七章 ロシアとロシアに仕える人々
 訳者あとがき/地図/文献一覧/年表/人名索引

【感想は?】

 一言で言えば、おそロシア。

 政治的な本だ。著者の政治的な姿勢もハッキリしている。「現在のロシアは(旧)KGBによる独裁に向かっている、フランス人よ注意せよ」だ。

 そう、「フランス人よ」なのだ。これは、フランス人向けに書かれた本だ。内容の理解しにくさは、著者の政治的姿勢と、フランス人向けである事が原因だろう。

 昔からフランスはロシアびいきだった。アントニー・ビーヴァー&アーテミス・クーパーの「パリ解放 1944-49」でも触れられていたように、特に思想界・知識人にロシアびいきが多い。英米に対抗するためと、隣の強国ドイツを牽制する目的もあるんだろうが、今でもNATO内じゃ独自路線で歩調を乱し、外交でも旧東側に理解を示したがる。

 などの背景事情を、この本は全く説明していない。著者略歴でも、「CNRS(国立科学研究センター、→Wikipedia)の犯罪学・政治学研究員」とあるが、どの国の組織かを書いていない。「フランスに決まってるだろ、それぐらいわかれよ」的な姿勢だ。これは訳者や編集もそうなのだが、著者も似たような姿勢で、基本的な背景の説明を省略しているのが辛い。

 本文でも、例えばエリツィンが鮮やかに登場したクーデター(→Wikipedia)を、重要なトピックとして取り上げている。「あの事件の真相はこうなんですよ」と、この本は解説しているんだが、肝心の事件そのものについて、私はよく覚えていない。「こう報道されましたよね」→「でも真相はこうなんですよ」ときて欲しいのだが、いきなり「真相は…」とくる。

 著者はロシアの専門家だから、表向きの報道や事件の推移を詳しく知っているだろう。だが、読者がそうとは限らない。ロシアへの関心が高いフランスで、ロシアに関心を持つ知識人向けに書いたのなら、これでいいのかも知れない。でも、日本の一般人向けとしては、かなり不親切だ。

 著者が自分の政治的メッセージに熱中するあまり、その背景となる基本事情の説明の必要性に考えが至らなかった、そんな印象を受ける。

 とまれ、著者の熱情は、ひしひしと伝わってくるし、その懸念も陰謀論で片付けるには、ちと符合する事実が多すぎる。この本で名前が出てくる三人を Wikipedia で調べてみた。→ボリス・ベレゾフスキー、→アレクサンドル・リトビネンコ、→アンナ・ポリトコフスカヤ

 さて。現ロシア大統領のウラジミル・プーチン、Wikipedia にもあるように、元KGBだ。この本は、いかにKGBがロシアの実権を握るに至ったか、なぜ実権を握れたか、KGBは何を目論んでいるか、KGBの者とはどんな人間か、を語っている。権力を握る経緯は、ソ連のブレジネフ(→Wikipedia)時代に遡る。

「ブレジネフが国家元首になって以来、ソ連共産党は巨大な犯罪組織になってしまったということだ。当時、政府機関として正常に機能しているのはKGBだけだったから、自然にKGBが国家の役割を果たすようになった」

 金と権力の亡者として腐敗した共産党は機能不全に陥り、KGBが実権を握り、組織は膨れ上がる。ペレストロイカ・グラスノスチは民間企業を立ち上げたが、その多くにはKGBが潜り込んでいた。「ソ連人の14人に一人(10人に一人とする専門家もいる)は、KGBのために諜報員または工作員として働いていたとされる」。

 やがてゴルバチョフ政権時のソ連崩壊、東欧の独立、ロシア成立へと至る。東欧の独立を「不良債権の処分」のように分析しているのが面白い。

 よくわからないのがエリツィン政権時の新興財閥(オリガルヒ)勃興で、マーシャル・I・ゴールドマンの「強奪されたロシア経済」によれば、共産党幹部や工場長がマフィアと組んで国家財産を強奪した、となっているが、著者はこれにKGBも一枚かんでいた、としている。

 特に怖いのが、チェチェン関係。著者はプーチンが選挙対策に仕掛けたものだ、と主張し、モスクワ爆破事件(→Wikipedia)も「FSBとGRU(軍情報局、→Wikipedia)が共同で行った」と示唆している点。FSBは忠実なチェーカー(秘密警官、→Wikipedia)であるプーチンに権力を持たせるために、選挙対策として危機を演出した、という筋書きだ。

 いずれにせよ、役人は腐敗しマフィアによって流通も麻痺しているロシアでは、国民の多くが強力なリーダーを望んでいる。プーチンも貧富の差を了解している。「われわれは貧乏人によって構成された裕福な国である」。そう、国は裕福なのだ。今だって、世界第二位の原油輸出国なのだから。だが、加工産業は低迷している。

 これに対し、プーチンはどうロシアを改革し、どこを目指すのか。著者はこう語る。「私はマフィア絡みのオリガルヒだったロシアが徐々にKGB主導の民主・独裁主義に移行してゆくと考える」。個人崇拝も始まっている。「2000年の新学期に、サンクトペテルブルグの学徒に、プーチンの幼少時代に関する本が配られた」。今日もこんなニュースがある。ロシア新歴史教科書に「プーチン氏の章」、露紙→AFP

 最終章は、フランスにおけるロシアの工作を警告している。昔から共産党は各国で活躍していて、例えばスペイン内戦では、組織的に反乱軍側の義勇兵を集め、スペイン国内でも暗躍していた(アントニー・ビーヴァー「スペイン内戦1936-1939」ジョージ・オーウェル「カタロニア賛歌」川成洋「スペイン内戦 政治と人間の未完のドラマ」)。

 などと素直に読んでもいいが、フランスを日本に、ロシアを中国に脳内変換して読むと、最近のキナ臭い情勢が更に怖くなったりする。いや当然、ロシアも日本で色々やってるんだけどね。

 著者は明確に反プーチンの姿勢を打ち出している。それを意識しながら読もう。

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2013年9月24日 (火)

ロバート・マキャモン「少年時代 上・下」ヴィレッジブックス 二宮馨訳

だいたいが大人の注意力というのは、こっちが目を向けて欲しい、仲裁にはいってほしいと思うときにははるか遠くにあり、はるか遠くにあってほしいと思うときには首の根っこにそそがれているのだ。

【どんな本?】

 アメリカの人気ホラー作家ロバート・R・マキャモンによる、自伝的な長編小説。それまでの特撮アクション・ホラー的な方向性から一転し、1960年代のアメリカ南部の田舎町で過ごす少年コーリーの日常と成長、そして彼を見守る大人たちを、詩情たっぷりに描く。1991年度ブラム・ストーカー賞、1992年度世界幻想文学大賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BOY'S LIFE, by Robert McCammon, 1991。日本語版は1995年に文藝春秋よりハードカバーで刊行、1999年に文庫本が文春文庫より、2005年7月20日ソニー・マガジンスのヴィレッジ・ブックスから文庫本で再刊、初版第1刷発行。文庫本上下巻で縦一段組み、本文は上巻約446頁+下巻約513頁=959頁に加え池上冬樹の解説「人を幸福にする小説」10頁。8.5ポイント41字×18行×(446頁+513頁)=約707,742字、400字詰め原稿用紙で約1,770枚。そこらの長編3~4冊分の大ボリューム。

 日本語は比較的にこなれている。内容も、元が娯楽路線の作家だけあって、特に難しくない。ただ、内容が「少年時代を振り返る」話なので、若い人よりオッサン・オバサン向けかも。特に8歳~13歳ぐらいの男の子がいるお父さん・お母さん向けだろう。

【どんな話?】

 1964年3月、アラバマ州の田舎町ゼファー。11歳のコーリー・マッケンソンは、牛乳配達の父トムを手伝っている途中、底なしのサクソン湖に車が落ちるのを見た。車の中の人を助けようとトムは湖に飛び込むが、運転席の男は既に死んでいた。男は裸、顔は青あざだらけで腕を手錠でハンドルにつながれ、首にはピアノ線が巻かれている。肩に特徴のある刺青、こめかみから翼のはえた骸骨。

 コーリーは見た。森に消える、黒っぽいコートの男を。保安官のJ・T・エイモリーと共に現場に戻ったコーリーは、コートの男がいたあたりを歩く。その時、コーリーの靴に妙なものがこびりついた。緑色の小さな羽根。それ以来、トムは悪夢にうなされるようになる。平和なゼファーの町に殺人鬼がいるなんて。

【感想は?】

 改めて考えると、男の子ってのは、実にケッタイな生き物だよなあ。

 奴らは、変な物に執着する。チョコレートやキャンディなど甘いものならわかる。西部劇や戦争映画に熱中するのも、まあ「男ってそういうもん」で我慢できる。けど、トカゲみたいな怪物や牙から血をしたたらせるドラキュラが、なんで好きなんだか。おまけに、気色悪いものを拾ってきちゃ集める習性は、どうにかならんのか。泥の団子だのセミの抜け殻だの動物の白い牙だの、何が面白いんだ?

 どうにもならんのだ。男の子ってのは、そういう困った習性を持つ生き物なのだ。お母さんたち、諦めてください。得物を捕らえちゃ飼い主の前に持ってくる猫みたいなもんです。「捨てろ」と言っても、まず聞ききゃしません。「私の目に付く所に置くな」あたりで妥協して下さい。女の子の尻を追い回す年頃になれば、自然と熱は醒めます…大抵は。

 と、まあ、そういう、不条理で意味不明で、多くの女性にとっては不気味ですらある、「男の子」の生態がギッシリ詰まった作品。オッサン達は忘れてしまった記憶が蘇り、お母さんたちは理解不能な息子の行動原理が少しわかる…かも、しれない。少なくとも、男の子が何を見ているかは、わかると思う。

「男の子の自転車は、時には馬にならなければならないし、またある時は鹿に、ことによったら爬虫類にもならなければいけないんでしょう」

 などというと教科書的な内容みたく聞こえるが、そこはB級ホラーでならしたロバート・マキャモン。もちろん、お話としても、とっても面白い。

 語り手は11歳の少年コーリー。作中で彼は12歳になる。彼の目を通し、激動の1960年代のアメリカ南部の田舎町ゼファーと、そこに住む人々を描いてゆく。

 富豪の倅で、裸で歩き回るヴァーノン・サクスター。熱心な牧師アンガス・ブレセット。狂信的な人種差別主義者ディック・ムートリー。へなちょこ保安官J・T・エイモリー。黒人を仕切る老婦人ザ・レディと、その連れ合いのムーン・マン。狡猾な悪党ビッガン・ブレイロック。床屋のダラーさんは町の噂は何でも知ってる。キャスコートさんの武勇伝だって。

 田舎だけに、奇妙な伝説も息づいている。時おり洪水を起こすテカムシ川に棲む怪物オールド・ディック。森の主の巨大な白鹿スノーダウン。愛車ミッドナイト・モーナを駆り誰よりも速く走った青年リトル・スティーヴィー・コーリー。大人ですら語り継ぐに足ると思う伝説を、少年たちはどう感じるだろう。

 少年が主人公だけに、重要なテーマは成長だ。ここでマキャモンの手腕を感じるのが、同じテーマが主人公コーリー以外にも当てはまること。最もわかりやすいのが、コーリーと同じ事件で苦しみを背負う父のトム。妻と子を深く愛し、温和で諍いを嫌う男。だが、同時に、息子の尊敬に値する男でありたい、とも思っている。対照的に、悪ガキのまま大人になった、トムの父(コーリーの祖父)ジェイバード。

 「大人ってなんだろうね」などと考えさせる場面が、沢山ある。コーリーの目を通し、変わってゆくジェイバードの姿。町が水害に襲われた時、流れを変える意外な人物と、その予想外の素顔。コーリーの一人称で進む物語なので、トムの胸中はわからない。が、世のお父さんたちなら、きっとトムの気持ちがわかるだろう。

 同様に、子どもという立場の理不尽さも、充分に描き出しているのはさすが。ゴーサとゴードのブランリン兄弟みたいな悪たれガキは、どんな町にだっている。でも、問題は、子供の世界だけじゃない。子供ってのは、親には逆らえないのだ。

 激動の60年代。公民権運動が盛り上がり、マーティン・ルーサー・キング(→Wikipedia)が有名な演説をした時代だ。特に南部じゃ火花が散っている。この問題も、きちんと取り扱っている。町は白人地区と黒人地区にくっきり分かれ、黒人が入っていい所も決まっている。時代の趨勢に従う者と、抗うものと。「彼らは決して助けを求めないからだ」。

 そういった隔絶された社会を象徴するのが、黒人地区の顔役である老婦人ザ・レディと、彼女に連れそうムーン・マン。その偉大な力を、白人たちは恐れ神秘化する。とまれ、頭頂部の砂漠化が進む私としては、ムーン・マンの呪いは身に染みる。なんてヒドい事をするんだ。

 あの時代を描いた物語だけに、時代を感じさせる小道具もいっぱい。印象深いのが、ビーチボーイズのヒット曲 I Get Around(→Youtube)が巻き起こす騒動。でもって、今は、I Get Around に熱中した爺さんたちが、ボーカロイドを目の敵にしてるんだろうなあ。いつだって、新しいものを目の敵にする人ってのは、いるもんだ。そうそう、舞台がアラバマなら、この曲も出てこなくちゃ。ジョニーも悪くないけど、やっぱりロニーだよね。Lynyrd Skynyrd / Sweet Home Alabama(→Youtube)。

 なんて社会ドラマの面白さもあるが、そこは辣腕エンタテナーのマキャモン。少年ジャンプ的な娯楽路線の見せ場も、当然幾つか用意してある。最後のフライマックスはもちろん、その前のヤマ場「ゼファー版“真昼の決闘”」も、燃える燃える。コーリー最大のピンチからの展開は、職人マキャモンのケレン味が最高に冴え渡る場面。これだよ、これ。こーゆーのが欲しくてマキャモンを読むんだ、私は…と思ったら、とんでもないオチまでついてた。うはは。勇者だなあ。

 SF者なら、最後の謝辞を軽く眺めてみよう。コーリーは、そういう少年だ。半ば自伝なだけに、彼が作家を目指すきっかけを描いた物語でもある。「それを書こうとしないこと。お友達にお話をしてあげると思えばいいわ」なんて、物書きを目指す人には貴重なアドバイスも入ってる。

 じっくりと書き込んだゼファーの町と、その人々。世界が大きく変わってゆく中で、軋んでゆく人々の心と暮らし。子供ならではの「魔法」と、どうしようもない壁。若者が今の所から一歩踏み出すごとに、見えてくる新しい世界と、その仕組み。そして職人マキャモンの腕を堪能できるヤマ場。大作ながら、読み始めたら止まらない、秋の夜長に最適な傑作。

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2013年9月22日 (日)

スタニスラス・ドゥアンヌ「数覚とは何か? 心が数を創り、操る仕組み」早川書房 長谷川眞理子・小林哲生訳

自然史博物館で、来館者が学芸員に、「あそこの恐竜はどのくらい古いのですか?」と尋ねた。「7千万年と37年前」というのが答えだった。来館者が、その答えの正確さに驚愕していると、学芸員が説明した。「私はここで37年働いているんだが、私がここに来たとき、こいつは7千万年前のものだと言われたんです」

ヴィトゲンシュタイン「どんな数学的命題も同じ意味しか持っていない。つまり、何も意味しない」

【どんな本?】

 一、二、三、四、五。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ。多くの言語で、数字の表し方に共通点がある。1~3は、何かが一つ・二つ・三つだが、4以上は違う形になる。漢字は横棒が、ローマ数字は縦棒が増えてゆく。なぜ1~3だけが特別なのか。数学は論理的なモノだと思われている。しかし、ヒトは本能的に数字を操る能力を持っているのではないか。

 子供はどうやって算数を覚えていくのか。暗算が得意な人や数学者の頭の中はどうなっているのか。この記事の最初のジョークは、なぜおかしいのか。なぜ中国人はアメリカ人より数学が得意なのか。カラスやウマは計算できるのか。数学者から認知心理学・神経科学に進んだ著者が、ヒトの持つ数の感覚を解き明かすと同時に、児童向けの優れた算数の教育法や暗算のコツを伝授する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Number Sense - How the Mind Creates Mathematies, by Stanislas Dehaene, 1997。日本語版は2010年7月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約429頁+訳者あとがき5頁。9ポイント45字×18行× 429頁=約347,490字、400字詰め原稿用紙で約867枚。長編小説なら長めの分量。

 最近の一般向けの科学解説書としては、日本語がやや硬く直訳っぽい印象がある。その分、内要は難しくない。数学を扱うので苦手に感じる人もいるだろうが、出てくるのはせいぜい分数の足し算ぐらい。小学校の算数をマスターしていれば、充分に読みこなせる。

【構成は?】

  まえがき/はじめに
第1部 遺伝的に受け継いだ数の能力
 第1章 才知にあふれた動物たち
 第2章 数える赤ちゃん
 第3章 おとなの脳に埋め込まれた心の物差し
第2部 概数を越えて
 第4章 数の言語
 第5章 大きな計算のための小さな頭
 第6章 天才たち、神童たち
第3部 神経細胞と数について
 第7章 数覚の喪失
 第8章 計算する脳
 第9章 数とは何か?
  訳者あとがき/さらに知りたい人のために

【感想は?】

 「あ、やっぱり」と思う部分と、「え、そうなの?」と思う部分と。また、ヒトの感覚という原始的なモノを探るのは、案外と難しい、ということ。

 難しさを実感するのが、教育界じゃ有名なジャン・ピアジェ(→Wikipedia)の実験と、その勘違い。彼は子供の心の成長を「真っ白な紙に少しずつ知識が書き込まれてゆく」と考え、幼児の思考能力を見くびった。これに対し、著者は「ある程度の感覚は持ってるんだ、でも実験が不適切だから検証できなかったんだ」と、欠陥を暴く。

 例えば。おもちゃをハンカチで隠すと、生後10ヶ月の赤ちゃんはオモチャに手を伸ばさない。これをピアジェはこう解釈した。「赤ちゃんはオモチャがなくなったと思っている」。だが実際は、「一歳未満の赤ちゃんは、隠された物体に対して適切に手を伸ばすことができない」から、らしい。つまり運動能力の問題なわけだ。

 やかりピアジェの錯誤は、数の大小感覚。ピアジェは主張する。数の概念は4~5歳にならないと生まれてこない。そこで実験した。ビンを一列の等間隔に6個並べる。それと平行にコップも一列の等間隔に6個並べ、子供に聞く。「ビンとコップ、どっちが多い?」子供は答える。「同じ」。次にコップの間隔を少し開け、ビンの列より長くして、同じことを聞く。子供は答える。「コップの方が多い」。

 これを、1967年にマサチューセッツ工科大学のジャック・メレールとトム・ビーヴァーがひっくり返す。まず、おはじき4個の列と6個の列を並べる。6個の列は間隔を詰め、列の長さが4個の列より短くする。そして3~4歳の子供に聞く。「どっちが多い?」子供の多くは、4個の列を選ぶ。やっぱりダメじゃん。

 次に、おはじきをキャンディに変える。そして、選んだほうを食べていい、とする。これだと、大半の子供が6個を選ぶ。2歳児でも正解できるのだ。なんで?

 著者は仮説を立てている。子供は、相手の気持ちを推し量るんじゃかないか、と。「この人は、なんだってこんな、わかりきった事を聞くんだろう?」と。そして、おはじきの場合だと、前に比べ「変化した方」を答えるんじゃないか、と。といわゆる心の理論(→Wikipedia)だ。案外と、子供ってのは、賢いのかもしれない。

 「あ、やっぱり」な部分は、「ヒトの脳は、ある程度の数学感覚を持ってるんじゃないか」ということ。著者はこれを「数覚」と呼ぶ。言われてみると「そんなの当たり前じゃないか」と思うだろうけど、それをキチンと言葉にして、かつ実験で確認してるのが、この本の面白い所。

 例えば、一二三とⅠⅡⅢの類似。光点の数を数える実験で、ヒトは3つまでは約500ミリ秒で答えられる。「だが、それ以上になると、スピードも正確さも急激に落ちてゆく」。また、二つの数の大小を答える実験も、感覚的に納得できるが興味深い結果が出ている。つまり、数の差が大きいほど反応は速くて正確だ。以外なのは、「65より大きいか?」という問で、71より79の方が速い。どうもヒトは、10の位で判断しているわけじゃく、感覚的に数の大小を判断しているらしい。

 意外なのが、無意味な数列を覚える実験。これ、アメリカ人より中国人の方が得意なのだ。そして、日本人も得意な方だ。なぜか。モンゴロイドだから?残念、違います。

 1~9まで、なるたけ速く数えてみよう、英語と日本語で。どっちが速く言える?日本語の方が速く言えるはずだ。「俺は日本人だし」?じゃ、中国語でやってみよう。イー・リャン・サン・スー・ウー・リュー・チー・パー・チュー。

 なんで中国人は数を覚えるのが得意か。答えは、「中国語の数詞は短いから」。無意味な数列を思えられるのは、英語じゃ平均7個、中国語は9個。最も優れているのは広東語で、約10個。香港がビジネスで成功してるのは、このため?

 同様に、10以上の数の数え方も算数の能力に関係してるっぽい。英語だと Ten, Eleven, Twelve と不規則に変わるけど、日本語は「じゅう、じゅういち、じゅうに」と十進法を反映した構造になる。中国語もそうらしく、おかげで中国人の子供はアメリカ人より約一歳も早く大きな数を数えられるようになる。

 文章を書く者として気をつけたいのが、「ありがちな間違い」。

  • 農夫が八頭のウシを持っている。五頭を除いてすべてが死んでしまった。あと何頭残っているか?
  • ジュディは人形を五つ持っている。キャシーのよりも二つ少ない。キャシーは人形をいくつ持っているか?

 どっちも3と答えたくなる。なぜか。

「を除いてすべて」とか、「よりも二つ少ない」という言葉を聞いたとたんに、心の中で自動的に引き算のスイッチが入ってしまうのである。

 連想が邪魔するわけだ。さて、この現象を「言葉の選び方がヘタだと、伝わりにくく間違いやすい文章になる」と表現すべきか、「巧く言葉を選べば、わかりやすく間違いにくい文章になる」と表現すべきか。ユーザ・インターフェースに関わる者にも、役立つ法則だろう。

 脳と言葉と数の、意外な関係。漠然と「きっとそうだよなあ」と感じてる事を、いちいち面倒くさい実験で確認する科学者の律儀さ。ラマヌジャンなどの天才数学者が持つ、不思議な数値感覚。そして、現代科学が実現した、脳を探索する斬新な技術。自分のオツムの中に興味がるなら、読んでみよう。

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2013年9月19日 (木)

月村了衛「機龍警察 暗黒市場」早川書房

「運命なんてただの影だ。臆病者だけがそれを見るんだ」

【どんな本?】

 アニメの脚本などで活躍した著者による、近未来長編SFシリーズ第三弾。ハインラインの「宇宙の戦士」に出てくるパワードスーツを思わせる二足歩行兵器・龍機兵を擁して重大犯罪に立ち向かう、警視庁特捜部 SIPD を中心に、過酷な運命の中で己の生き様を貫く男たちの姿を描く、ハードボイルドな警察小説。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2013年版」でもベストSF2012国内編の5位に食い込む大活躍を見せた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約405頁。9ポイント45字×22行×405頁=約400,950字、400字詰め原稿用紙で約1003枚。文庫本の長編小説なら2冊分の大ボリューム。

 どうしてもおカタい表現が多くなる警察小説だが、前の「自爆条項」に比べると、文章は読みやすくなってる。内容的にも、銃器などのマニアックな部分はあるものの、素人にも比較的にわかりやすい表現を工夫している。ただ、重要な舞台がロシアなので、人名や地名などが馴染みのないロシア語なのが、ちとキツいかも。とはいえ、冒頭に登場人物一覧があるので、だいぶ助かった。

 シリーズ物であり、レギュラー陣は前作・前々作からのひきつぎ。とまれ、一見さんにも配慮しているようで、初登場の場面では軽く人物紹介するし、重要な設定にも説明が入るので、この巻から読んでも問題はないだろう。

【どんな話?】

 12月26日。栃木県閑馬上駒駐在所が襲われ、杉原巡査部長を含む八人が殺された。白人が運転するトラックが機甲兵装を載せ、それが重機関銃を乱射したのだ。目撃者によれば、トラックは傷だらけの男を追っていた。杉原巡査部長が男を駐在所に運び込み、トラックが駐在所と隣の民家に乱射したとのこと。

 司法解剖の結果、傷だらけの男の胃にマイクロSDカードがあり、身元が判明する。警視庁組織犯罪対策部第五課の安藤捜査員。SDカードには音声ファイルがあり、「ドラグーン」という言葉が聞き取れた。

 元ロシアの刑事で、特捜部と契約を結び龍機兵バーゲストを操るユーリ・オズノフ。だが、彼は突然に契約を破棄される。仕事を求め、ユーリは顔役のティエーニに面会を求める。「奴は俺の幼馴染なのさ」

【感想は?】

 ドSだわ、この作家。前作もライザちゃんをイジめまくった著者、今回はユーリを徹底してイジめまくる。

 パワードスーツみたいなドラグーン(龍機兵)でSF者の目を惹きつつ、次第に警察小説の色を濃くしてきたこのシリーズ、今回もほとんど警察小説。出てくる警察官が、ことごとくキャラが立ってる。

 開始わずか3頁で惨殺される杉原巡査部長からして、いかにも「人のいいベテランの駐在さん」を思わせる。容姿の説明はないけど、刈り上げたゴマ塩頭の初老の「おまわりさん」って感じ。こち亀の大原部長を想像しても、あまり外れてないと思う。

 ここで機甲兵装を「キモノ」と表現するあたりが、日本の警察の雰囲気をよく掴んでる。なんか、彼らの業界用語って、そういうセンスなんだよなあ。

 杉原巡査部長と同様に、ゲストで光るのが、渡会茂課長が率いる警視庁組織犯罪対策部第五課の面々。いわゆるマル暴、日頃はヤクザ相手にメンチ切ってる方々で、「暴力団と見分けがつかない」との評判。こーゆー人たちが、元外務官僚の沖津やエリートの城木・宮内と組むってのが、もう可笑しい。

 現場に向かう列車の中で、城木がイキりたつ組対の若集と同席する場面は、まるきしヤクザと悪徳顧問弁護士に見える。シリアスで息が詰まる場面が多いこの作品の中で、数少ない大笑いのシーン。どう見ても渡会さんはチンピラをたしなめるオヤブンさんだよなあ。そりゃ一般人は逃げるって。

 などの日本の警官の描写も面白いが、今回の中心はユーリの過去。ロシアで警官として勤務していたユーリ、果たして彼はどんな経緯で特捜部と契約を結ぶ傭兵になったのか。

 同じ特捜部の傭兵でも、戦場を渡り歩いた経歴を持つ姿俊之は、飄々として底が掴めないながら、モノゴトを割り切った感がある。やはり物騒な過去を引きずるライザちゃんは、マシンのごとく感情を見せない。ところがユーリだけは、いかつい図体でありながら、人間的な感情が染み出てくる雰囲気があった。三人の傭兵の中で、ユーリだけが、フッ切れていない部分を残していた。

 そんなユーリの過去が明かされる第二章は、ロシア風ハードボイルド。ロシア風ったって、古典的なロシア文学じゃない。ソ連が崩壊しオリガルヒ(新興財閥)が国家の財産を食い物にする、現代ロシアが背景の殺伐としたもの。

 警察はよくわからないけど、ソ連の頃の赤軍は横領が酷かったらしく、キャサリン・メリデールの「イワンの戦争」やロドリク・ブレークウエストの「アフガン侵攻1979-89」あたりを読むと、「よく戦えたなあ」と感心してしまう。やはり政治家や官僚の腐敗も、マーシャル・I・ゴールドマンの「強奪されたロシア経済」が詳しい。

 そんなロシアで警官をやっていたユーリながら、今までのシリーズ作品を読む限り、あまり悪徳警官って感じじゃない。なんか警官の仕事に未練たっぷりで、現場の捜査にあたる由紀谷や夏川を羨ましそうに見てたりする。先の短編「雪娘」でも、強引に捜査に加わったり。

 なんで彼がそんなに警官でありたがるのか、それが分かるのがロシアのパート。雰囲気はアメリカのバディ物より、日本の刑事ドラマに近い。つまり、一つの案件にかかるのが、二人じゃなくユーリを含めた七人のチームで、群像劇として展開してゆく。雰囲気は「踊る捜査線」より「太陽にほえろ!」かなあ。ボゴラスはモにゴリさんっぽいし、プリゴジンはヤマさん?まあ、そんな風に刑事ドラマの登場人物を当てはめて読むと楽しめると思う。

 とまれ、やっぱり長編版の機龍警察の見せ所は、装甲騎兵や龍機兵のバトル。私が大好きなライザちゃんのバンシー、最初の登場じゃ最大の魅力の火力が封じられ、実にハラハラさせてくれる。

 そして終盤は、往年の香港映画のノリで楽しめるサービスシーンが満載。地下室でのバトルは、今までのリアル路線から一転、ハリウッドのアクション映画っぽいケレン味たっぷりのお約束展開となる。短編まで読んでいる人には、嬉しいクスグリも随所にあって、思わずニヤリとさせられる。

 ソ連崩壊後のロシアを中心とした国際情勢を組み込んだ舞台設定、重いノワール物の空気を漂わせるユーリの過去編、そしてサービス満点の終盤。少しだけ見えてきた沖津の思惑など、シリーズ物の面白さもあり、長いながらも一気に読める作品に仕上がってる。

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2013年9月18日 (水)

スティーヴ・ブルームフィールド「サッカーと独裁者 アフリカ13カ国の[紛争地帯]を行く」白水社 実川元子訳

「スーダン人の全員がアル・バシールを支持しているわけじゃないよ。僕らはスーダン代表チームの応援に来ているんだ。あの人を応援しているわけじゃない。二つはちがうことだから」

「友を愛しすぎてはいけない。明日には敵になるかもしれないから。敵を憎みすぎてはいけない。明日には友になるかもしれないから」  ――ソマリアのことわざ

【どんな本?】

 英国人でインディペンデント誌特派員の著者は、スーダンのダルフール地方の取材に赴く際、フランス人と間違われ検問に引っかかる。緊張した雰囲気の中、英国人だと主張する著者に、彼を捕らえた軍人は突然叫び出す。

 「デヴィッド・ベッカム!」「マイケル・オーウェン!」

 途端に機嫌が良くなった軍人たちは、著者を予定地へと送り届ける。アフリカでは、イングランドのプレミアリーグが大人気であり、時には政権の行方すらも左右する。

 自らもサッカー・ファンであり、アストン・ヴィラのサポーターでもある著者は、サッカーを通してアフリカを伝える事を思いつく。幾つかの国では、政府の要人が自らクラブ・チームを持っている。政治記者では会えない要人にも、スポーツ記者ならインタビューできる。国家の枠組みすら危うい地域で、手製のボールを蹴る少年たちがいる。一人の選手が、戦争の行方を決めることすらある。

 サッカーという斬新な切り口で激動のアフリカを紹介する、著者ならではの視点が光るアフリカ・レポート。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Africa United, by Steve Bloomfield, 2010。日本語版は2011年12月25日発行。単行本ハードカバーて縦一段組み本文約304頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×304頁=約273,600字、400字詰め原稿用紙で約684枚。長編小説なら、やや長め。

 翻訳物にしては文章は比較的にこなれていて読みやすい。ただ、舞台がアフリカのため、馴染みのない人名・地名が多く出てくるので、その辺がちとキツい。内要は特に難しくない。政治的な部分とサッカーの部分があり、政治の部分は、とてもわかりやすくまとめてある。

 サッカーの部分は、ある程度知らないとピンとこないかも。といっても、テレビでJリーグやワールドカップを楽しめる人なら、問題なく楽しめる。クラブ・チームと国家代表の違いがわかれば、なおよし。

【構成は?】

 アフリカ地図/プロローグ
 まえがき チーター世代が台頭するアフリカをサッカーで読み解く
第一章 エジプト サッカーを利用した独裁者
第二章 スーダンとチャド 石油をめぐる哀しい争い
第三章 ソマリア 紛争国家に見出される一筋の希望の光
第四章 ケニア サッカーは部族間闘争を超える
第五章 ルワンダとコンゴ民主共和国 大虐殺と大災害を乗り越えての再生
第六章 ナイジェリア サッカー強豪国が抱える深い悩み
第七章 コートジヴォワール サッカー代表チームがもたらした平和と統一
第八章 シエラレオネとリベリア アフリカナンバー1になった障がい者サッカー代表チーム
第九章 ジンバブエ 破綻した国でサッカーを操る独裁者
第十章 南アフリカ アフリカ初ワールドカップ開催国の光と影
 エピローグ
 謝辞/訳者あとがき/アフリカ各国情報/口絵写真クレジット

【感想は?】

 サッカーが好きなら、立ち読みで第七章だけでも読もう。せいぜい30頁ぐらいだ。読み終えたとき、あなたはサッカーがもっと好きになっている。ついでに第八章も読んでみよう。サッカーに何ができるか、サッカーが人に何を与えるか、友人知人に演説したくなる。ただし、やりすぎると煙たがられるので、演説はホドホドに。

 オリンピックはナショナリズムを煽る。政治家は有名なスポーツ選手を利用して票をあつめようとする。特に、政情が不安定で民衆に不満が渦巻く国、国民が政府を信用しない国では、スポーツも政治の道具となる。

 私はスポーツ観戦に熱心な方じゃない。だから、政治の道具としてのスポーツを胡散臭く見ていた。だが、この本で少しだけ認識を改めた。確かにスポーツは政治の道具になる。だが、道具は使い方次第なのだ。包丁は人も刺せるし、魚もさばける。コロ・トゥーレ(→Wikipedia)とディディエ・ドログバ(→Wikipedia)が、それを教えてくれた。

 残念ながら、この本は明るい話ばかりじゃない。むしろ、暗い話の方が多い。第一章のエジプトでは、ムバラク政権がいかにサッカーを利用したかが、こと細かに描かれる。1990年、代表チームがギリシャに1-6で敗れた際、エル=ゴハリ監督の解任をめぐり議会が調査に乗り出している。サッカーは国民の不満を逸らす道具なのだ。

2006年エジプトがアフリカネイションズ・カップ(→Wikipedia)で優勝したあと、政府は統制している食料価格を高騰させた。代表チームの勝利に浮かれているときしか、政府はその政策がとれないのだ。

(コンゴ民主共和国の)司法省の予算はわずかに1億6250蔓延程度しかないのに、スポーツ省の予算は4億5500万円だ。

 そんなエジプトと対戦するチームも大変で、特に因縁深いアルジェリア代表が訪れた際は「食事に細工されないようにシェフを帯同し、食料を自国から持ち込み、ウェイターの一団まで連れていった」。

 アフリカのサッカー界の事情は、まあご想像のとおり。監督の給料不払いのエピソードも複数回出てくる。ケニア代表監督のドイツ人アントワーン・ヘイに対し、ケニア政府はドイツ大使館にツケを回そうとした。堪忍袋の緒が切れたヘイ監督、ワールドカップ最終予選でアウェイの対ナイジェリア戦に向かう飛行機を見送る。一人ストライキだ。タフな仕事だなあ。

 一般に発展途上国のユース・チームが強い理由も、みもふたもない。「アフリカじゅうをめぐって若いサッカー選手に年齢をたずねると、彼らは一様に二つの年齢を教えてくれた。一つは実年齢で、もう一つがサッカー年齢だ」。ズルいんだか、正直なんだか。「ナイジェリアサッカー協会がMRI(核磁気共鳴画像法、→Wikipedia)で検査すると通告したところ、(U-17で)新しく召集されたチームの半分を越える16人が自主的にトレーニングキャンプを去った」。

 当然、独裁者の話も多く出てくる。リベリアとシエラレオネを地獄に変えたチャールズ・テーラー(→Wikipedia)のスローガンが滅茶苦茶。「母親を殺され、父親を殺されても、おまえは俺に投票しろ」。誘拐が頻発するナイジェリアで石油会社がしぶとく創業する理由は「1バレルの石油を汲み上げるのにナイジェリアでは5セントですみ、その経費はサウジアラビアの1/10だ」。だが油田のあるニジェール・デルタ州に利益は流れず、流出した石油で「漁業も農業もできなくなった」。

 ムガベ(→Wikipedia)が君臨し史上最高のインフレを記録したジンバブエ。一般に途上国じゃ為替レートが銀行と闇で違うけど、66倍のってのは凄い。ムガベの甥は中学2年で、自分が通う中学校のスポーツ担当事務局長におさまった。著者が秘密警察に捕まった際のエピソードが、この国の状況をよく示している。賄賂の交渉が終わった際、警官が彼に告げる。「明朝早くに出ろ、秘密警察はまたやってくる」。

ここでの生活は厳しく、これから先もっと厳しくなるばかりだ。海外ジャーナリストに、この国でどんなことが起きているかをもっと世界に伝えてもらう必要がある。

 サッカーも金儲けの道具としか考えず、ジンバブエサッカー協会は対戦費用を目当てにアウェイの国際親善試合を組みまくる。FIFAランクは120位に落ちた。各国のプロ・リーグで活躍する選手の旅費が払えず、国内でプレイする選手しか集まらない。おまけにクラブは中心選手を出し渋る。そして代表監督のサンディ・マリモ・チザムブワは七ヶ月も無給だ。

 笑っちゃったのが、南アフリカ。人種差別政策の下、「黒人が大勢集まることをアパルトヘイトを施行する政府が許可するのは、サッカーの試合だけ」な国だった。その南アフリカ、黒人中心の代表選手に、一人だけ白人の選手がいる。彼にボールが渡ると、「黒人の観客たちが圧倒するような大声でブーという叫び声をあげた。ボールを持っている間ブーイングは続き」…。サッカーに詳しい人なら、オチがわかると思う。

 なぜサッカーなのか。なぜ野球やテニスじゃ駄目なのか。南アフリカの章で、その謎は明らかになる。そして、なぜワールドカップはサッカーが最も盛り上がるのか、も。

 この記事では、敢えて明るい話題を避けた。だが、その明るいネタこそ、この本の最も美味しい所だ。繰り返す。サッカーが好きなら、「第七章 コートジヴォワール」だけでも読んでみよう。ただし、本屋でエグエグ泣いてアレな人扱いされても、私は一切責任を取らないので、そのつもりで。

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2013年9月16日 (月)

天野邊「プシスファイラ」徳間書店

各々のノードが発信するパケットのヘッダには常にこの個体識別番号が付与され、受け取った全てのパケットの、音の聞こえる範囲内に存在する全ての個体のアドレスをルーティングテーブル内に動的に保持してゆく。このルーティングテーブルを参照することによって個体は、他の個体による発信を、中継し、リダイレクトすることができるのだ。

【どんな本?】

 第10回日本SF新人賞を受賞したSF長編小説。紀元前一万年に始まる情報通信ネットーワークを基盤に発達させたクジラ族の高度な文明が辿る、危機と変革に満ちた数奇な運命を、現代のデジタル通信技術や分散コンピューティングの用語をふんだんに散りばめながら描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年10月31日第一刷発行。ハードカバー縦二段組で本文約305頁+ヘルプ19頁+あとがき3頁。9ポイント23字×20行×2段×305頁=約280,600字、400字詰め原稿用紙で約702枚。長編小説としては、やや長め。

 スバリ、とっても読みにくい。文章がこなれていないのは新人だから仕方がないとして、問題は内要。新人ならではの大胆さで、一応ヘルプはついているものの、頻発するネットワーク&コンピュータ用語の数々は、日頃から職業的にネットワーク管理やソッチ系のプログラミングを扱っている人でなければ、まず読みこなせない。

【どんな話?】

 紀元前8269年、発達したパケット交換システムにより、クジラ族は優れた情報通信ネットワークを張り巡らし、高度な文明を築きあげていた。言語学科の受 講生カイエは、『カタロゴス』の創世神話を元に童話『カイエ海の旅』を書き上げ、学友に公開し意見を聞いていた。ところが、お目当てのクリアはご機嫌斜めで…

【感想は?】

 これぞSF。カルピスの原液を10倍に濃縮したような濃さ。

 小説としては、壊れてると言っていい。終盤になると、もう誰が主人公なんだかわからないし。お話の骨格となる構想を、「小説」って風呂敷で包もうとしたら、中身がデカすぎてアチコチ破けた、どころか骨格の端っこに風呂敷がひっかかってるだけの状態になった、そんな感じ。

 もうね、いきなりパーミッションだのセッションだのプロトコルだのと、専門用語が頻発。これら、一応は巻末にヘルプがついてるけど、まず素人さんはわからないと思う。クジラの講師様がやってる講義が、ネットワークの四階層モデル。デジタル通信の基礎を知ってる人なら、まずOSIの7階層モデル(→Wikipedia)が思い浮かぶ。

 という事で、冒頭の暫くはデジタル通信と分散コンピューティングSFとして楽しめる。コウモリは自信が発する超音波をレーダーとして使い、周囲の状況を[見て」いる。いわゆるエコー・ロケーション(→Wikipedia)だ。クジラの一部も、この機能を持つらしい。つまり、優れた音響処理技術を備えている。

 これは、「クジラは情報通信能力を持つ」という意味でもある。「なら持たせてみよう」ってのが、このお話の導入部。クジラがデジタル・ネットワーク技術を持ったら、どんなネットワークを構成するか。

 現在、我々が使ってるネットワーク技術っては、実のところ結構ブサイクで、イマイチ柔軟性に欠ける。例えば、携帯電話で、すぐ傍にいる人にメールを送る際も、いちいち中継局を介さなきゃならない。どっちも電波を送受信できるんだから、ヘンな話だ。直接やりとりすりゃいいじゃん。

 なんでそうなったのかというと、アドレス解決などのネットワーク管理機能が、個々の携帯電話になくて、局で集中管理してるから。ネットワークを区切るルータ(→Wikipedia)とかも、中身はコンピュータなんだけど、大抵のパソコンは、ネットワーク・ボードが一つしかない。だから、ルータの仕事をさせるのは、機械的に無理。

 これがクジラ族だと、基本的に全個体が似たようなハードウェアを持ってるから、「機械的に無理」な状況は(原則として)ない。誰もがルータになれるし、誰もがDNSサーバになれる。反面、音波で通信してる以上、アナログなままだと、周囲にいる人全てに聞こえてしまう。ってんで、デジタル化&暗号化しましょう、となる。

 とまれ、音には減衰がある。遠くの音は聞こえない。集団がまとまってりゃいいけど、遠く離れた相手と通信するには…ってな技術的な問題を、現代のネットワーク技術用語を使い、巧いこと読者を丸め込んでくれるから面白い。日本電子専門学校ネットワーク科卒という経歴もあってか、相当に突っ込んだネタが飛び出してくる。ネタがネタだけに、アロハ・ネット(→Wikipedia)も出てくるのはさすが。

 ということで、ネットワーク技術としては、今のような光/メタル回線を基盤とした中央管理型ではなく、無線P2Pを基盤とした分散型のシステムを無想させてくれた。実は現実でもOLPC(→Wikipedia)や携帯ゲーム機のすれちがい通信(→Wikipedia)などで既に実用化され、ドラゴンクエストなどのアプリケーションも開発されている。

 など通信系の濃い話が冒頭から解説抜きで次から次へと出てきて、まっとうな読者は完全に振り落とされてしまう。ルーティングの話なんか、普通は知らないって。加えて、ポスト・サイバーパンクなコンピューティングのマッドなネタまで当たり前のように飛び出してくるんだからたまらない。

 ネットワークとコンピュータに詳しいSF者って、どんだけ狭い市場をピンポイントで狙ってるんだか。それだけに、狙い撃ちされた者は、確実に落とされる。狙いはピンポイントだけど、弾頭はツァーリ・ボンバ並の破壊力。さあ、皆さんご一緒に。

「すばらしい」
「すばらしい」
「すばらしい」
「すばらしい」

 これが後半に入ると、マッドっぷりが次第に暴走を始めてゆく。第2章のデュナムの騒動とかは、ネタとしちゃ大抵のSF者が抱腹絶倒する面白さなんだけど、果たしてついてこれる人がどれだけいる事やら。もったいない。実にもったいない。まあ、ここまで茶化したのがバレたらタダじゃすまないから、煙幕としては丁度いいのかもw

 暴走を始めた物語は、第3章で更に加速し、「物語」としての体裁すら危うくしてゆく。ここまで大風呂敷を広げた作品は、SFといえど滅多にあるもんじゃない。いいです、畳まないで。ここまで風呂敷を広げてくれただけで、私は大満足。

 まあ、そんなわけで。ハンパなSFじゃ満足できない、イっちゃったSF者向けの逸品。読み通せる人は滅多にいないけど、数少ない市場に該当する人なら、悶絶間違いなしのピンポイントでボンバーな作品。こういうのが読める、現代って時代に感謝したい。そして作者さんには、今後も妄想のリミッターをブッチ切った暴走を期待。

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2013年9月15日 (日)

いわゆる文学を僻んでいた

 今は「SFってなんか理系っぽくて頭よさげ」みたいな風潮があって、なんか風向きが違ってきたなあ、と感じてる。

 たぶん今の若い人たちは、幼い頃からドラえもんなどでSFっぽい仕掛けやガジェットに馴染んでいるから、特別な物とは思っていないんだろう。でも昔は「SFなんてガキの読み物」的な蔑視が、確かにあった。そのいくらかは、ブンガクな人が持つ、理科への苦手意識が反映してたんじゃないか、と勘ぐっている。

 「だったらこっちもブンガクなんかいらねえよ」ってな感じで、若いころの私はあまり主流文学を読まなかった。いや今でもSFばっかしだけど。特に思い込みを強化したのが、ウイリアム・ゴールディングの「蝿の王」。ノーベル文学賞を受賞した作家の代表作だから、さぞかし面白いんだろう、と思って読んでみたら。

 少年たちが無人島に流れ着き、次第に野蛮になってゆく、みたいお話だったと思う。ジュール・ヴェルヌが好きな私としては、十五少年漂流記をチャカしてるみたいで気に入らない。テーマの一つは「子供の蛮性」なんだろうけど、工業地帯の労働階級で育った私にとっては、「何をいまさら」ってな感じがしたし。

 それ以上に気に入らないのは、科学的にデタラメな事。仲間の一人が使ってる眼鏡のレンズで火をおこす場面。あれ、不可能なのだ。

 恐らく執筆当事のゴールディングは、老眼鏡をかけていたんだろう。確かに老眼鏡なら、火を起こせる。老眼鏡は凸レンズだから、太陽の光を集める。焦点に枯葉などの燃えやすいモノを置けば、巧くやれば火がつくかもしれない。

 だが、子供や若者が眼鏡をかける場合、その原因は大抵が近視だ。そして、近視用の眼鏡のレンズは、凹レンズである。凹レンズは、光を集めない。逆に、拡散させる。火なんか起きるはずがない。このぐらい、小学生だって知っている。

 SF者としての被差別意識も手伝い、「主流文学の連中ってのは、んな小学生レベルの理科すら判っとらんのか」と、更に依怙地になってしまった。

 ところが、だ。ちょっと前、Wiikipedia でノーベル文学賞の項を眺めていたら、なんとパール・バックも受賞してるじゃないか。私はあの人の「大地」が大好きなのだ。たぶん初めて読んだのは小学生の頃で、子供向けの抄訳版だと思う。大人になってから新潮文庫で読み直したら、やっぱり面白かった。

 清朝末期、激動の中国が舞台。貧農から乞食にまで落ちぶれ、再び這い上がって富豪となる王龍と、その孫までの一族を描く物語。出だし、茶すら惜しむ貧しい農家の暮らしを描く場面から一気に物語に引き込まれ、山あり谷ありの、大河ドラマの面白さに溢れている。

 近くて遠い国・中国という異郷の風俗もいい。やっぱり出だし、王龍は寝台から起きるんだよね。布団じゃなく。まあ、当然だけど。茶も、茶碗に直接、茶葉を入れるんだ。急須で注ぐんじゃなく。そういう細かい異郷の描写も、大地の魅力の一つ。そして地主から使用人の嫁を貰う。人権なにそれ美味しいの、な中国の感覚にクラクラくる。そしてヒロイン登場だ…などと、今書いてて気がついた。この面白さって、ジャック・ヴァンスの面白さと同じじゃないかw

 今でも、王龍が陳を弔う場面はよく覚えている。陳を、労苦を共にした相棒と感じる王龍と、使用人としか思えない子供たち。極貧から這い上がってきた王龍、豊かに育った子供たち。この断絶を、弔いの形式を借りて、見事に象徴していた。

 ってんで、「パール・バックを評価するなら、ノーベル文学賞も捨てたもんじゃないな」などと偉そうな事を考えつつ、今に至ってる。

 この前、マリオ・バルガス=リョサの「世界終末戦争」を読んでみたら、これがまた壮絶な戦争小説で、すんげえ面白い。優れた装備を備え兵力も勝り、指揮系統も統一されているブラジル国家軍に対し、貧しい地域に生まれたカルト集団が、山賊を中心にゲリラ戦で対抗し…いや、かなり歪んだ紹介ですが。大長編を一冊の単行本にまとめたんで、物理的にやたら重たいのが最大の欠点。通勤中に読むのは、ちとキツいだろうなあ。

 それでもやっぱり、一番注目してる賞は星雲賞で、次にローカス賞とヒューゴー賞、ついでにネビュラ賞だったりするんだけど。アポロ賞も気になるんだけど、フランスのSFって、翻訳が出ないんだよなあ。フィリップ・キュルヴァルの「愛しき人類」は、イマジネーションが凄かった。

 などと、結局はSFの話になってしまうのであった。

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2013年9月14日 (土)

ブラッドリー・C・エドワーズ+フィリップ・レーガン「宇宙旅行はエレベーターで」オーム社 関根光宏訳

 宇宙エレベーターによる輸送料金は、1kgあたり約200ドル(約2万円)。航空機による現在の国際輸送料金は1kgあたり約40ドル(約4千円)、ロケットの場合は1kgあたり約1万ドル(約百万円)となっている。

【どんな本?】

 ロケットにかわる宇宙へのアクセス手段として、最近は少しずつ知名度が上がりつつある軌道エレベーター。SF小説ではアーサー・C・クラークの「楽園の泉」やチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」で建設の詳細が描かれているが、現実に建築可能なのだろうか。

 この本は、必要な素材や技術的ブレイクスルー,全体の構造から建築手順などの科学・技術的側面から、建築にかかる費用と、それを負担しえる国家・団体などの経済的な条件、そして気候や政治・軍事・地勢的状況などの国際情勢を考慮して、軌道エレベーターの可能性を探ると共に、それによって得られる経済的・政治的な利益にも配慮し、「2029年には建築可能である」と結論する、現在日本語で読める最も詳しい軌道エレベータの一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Leaving the Planet by Space Elevator, by Bradley C. Edwards & Philip Ragan, 2006。日本語版は2008年4月にランダムハウス講談社から「宇宙旅行はエレベーターで」として刊行。オーム社版はそれに修正を加え、2013年6月25日第1版第1刷発行。

 単行本ソフトカバーで縦一段組み、本文約350頁+訳者あとがき15頁。9ポイント45字×18行×350頁=約283,500字、400字詰め原稿用紙で約709枚。長編小説ならやや長め。

 翻訳物の科学解説書だが、日本語は比較的に読みやすい。というのも、二重否定などの気取った言い回しがなく、素っ気無いほど素直な文章のため。扱う内容は軌道エレベーターと科学・工学の話だが、あくまで一般の人(と、恐らく政治家)を読者に想定していて、数式は出てこない。「静止衛星はなぜ落ちないか」が分かるなら、中学生でも充分に読みこなせる。

【構成は?】

 はじめに/謝辞/序文(アーサー・C・クラーク)
第1章 ロケットに代わる宇宙輸送手段
第2章 宇宙への架け橋
第3章 SFと宇宙エレベーター
第4章 先端技術開発の難しさ
第5章 宇宙エレベーターの建造方法
第6章 安全上の問題点
第7章 宇宙エレベーターへの移行
第8章 アース・ポート
第9章 NASAの宇宙開発計画
第10章 宇宙エレベーター建造競争
第11章 軍事防御
第12章 なぜ宇宙エレベーターを作るのか
第13章 宇宙観光旅行の始まり
第14章 はるかなる宇宙への旅
第15章 月の宇宙エレベーター
第16章 火星の宇宙エレベーター
第17章 次の目的地
第18章 宇宙株式会社
第19章 21世紀の未来像
 訳者あとがき
 付録 参考文献/原注/索引

【感想は?】

 一般向けの科学解説書のフリをして、政治家、特にUSAの政治家にに対し「じゃあ、軌道エレベーターをいつ作るか?今でしょ!」と煽る本。愉快だ。

 軌道エレベーター(→Wikipedia)。静止衛星から真っ直ぐ地上に向けてケーブルを垂らし、赤道上に固定する。ただ、それだと、ケーブルの重さで静止衛星が落ちちゃうんで、反対方向(地球の外)にもケーブルを延ばしバランスを取る。ケーブルを這い上がれば、宇宙に出られる。降りるときも、ケーブルを滑り降りればいい。

 ロケットだと、燃料も一緒に持ち上げなきゃいけないんで、すんげえ不経済。でも軌道エレベーターなら、持ち上げる物の重さ(質量)と降ろす物の重さが釣り合ってれば、滑車の要領でタダで物を持ち上げられる…理論上は。ロケットだと1kgの物を宇宙に持っていくのに百万円かかる。

 じゃ、なんでそうしないのか、というと、作れないから。静止軌道は高度3万6千km。この本だと10万kmぐらい欲しい、と言ってる。ケーブルにだって重さがある。仮に鋼鉄のワイヤーを使ったとしても、途中でプッツンと切れちゃうのだ、自分の重さで。無理じゃん。

 ってな状況を一気に変えたのが、カーボンナノチューブ(→Wikipedia)。必要な強さは鋼鉄の180倍。理論上、カーボンナノチューブは鋼鉄の400倍までいける。軽いわ強いわで、そりゃもう大モテ。これ編んで繊維にすりゃいいじゃん、ってんで、今も盛んに研究されてる。例えばテイジンが、2013年1月31日に「カーボン・ナノチューブ繊維の開発について」と発表してる。

改めて読むと、この記事、実は凄いコトなんじゃなかろか。金属ワイヤーと同程度の電気伝導性・金属ワイヤーを凌駕する熱伝導性って、ボーイング社あたりは注目してるだろうなあ。

 と実現性が増してきたところで、この本は真面目に軌道エレベーター建設を検討した本である。当然、科学・技術的な部分は充実していて、著者ならではの新しいアイデアも披露している。例えばケーブルの形はリボンやきしめんみたく細長くて平たい(幅20cm)形にしましょう、とか。

 ここで意外なのが、エレベーターの速さ。なんと時速200km。新幹線より遅い。だもんで、静止軌道まで一週間以上かかる。エレベーター・ボックス(この本ではクルーザーと言ってる)は、ケーブルを掴み、電機モーターで登ってゆく。さすがに1週間給油なしで走れる自動車はない。まして電気自動車じゃ…と思ったら、「エネルギーはレーザーで送ろう」ときた。

 建築方法も検討してるのが、更に燃える。実はこれ、高層ビル建築の際、屋上に大型クレーンを持ち上げるのと同じ手口。ビルだと、まず小型クレーンを持ち上げる。次に小型クレーンで中型クレーンを持ち上げ、中型クレーンで大型クレーンを持ち上げる。

 軌道エレベーターだと、まずロケットで静止軌道上にケーブルなどを持ち上げる。次にケーブルを地上に垂らし、固定する。固定したら、ケーブルを使って次のケーブルを持ち上げ…ってな風に、段階的に頑丈なエレベーターにしてゆく。

 などの科学的・技術的な話に加え、この本の特徴は、社会的な側面も検討していること。ここでの煽り方が、実に巧い。こういう言い方をするのだ。「最初に軌道エレベーターを作った者が、宇宙を制するだろう」と。

 なぜか。カネだ。宇宙に物を持ち上げるのに、軌道エレベータはロケットより98%も割安なのだ。だから、一回作っちゃえば、他の者が1回ロケットを打ち上げる費用で、軌道エレベーターなら50回持ち上げられる。最初の軌道エレベーターを使って商売すれば、ボロ儲けで、すぐに二つ目の軌道エレベーターを作れる。差は開くばかり。そして、こう囁く。

 「アメリカさん、ロシアや中国に負けてもいいんですか?三井物産なんか、月に10トンのカーボン・ナノチューブ作ってますぜ。連中がツルんだら…」

 うはは。小気味いい。 面白いのが、地上基地の候補地。今までは赤道上じゃないと駄目と思われてたけど、実は緯度35度内ならイケそう、とある。宇宙センターがある種子島は北緯30度、房総半島の南端・野島岬は北緯35度。おお、なんとかイケるじゃん、と思ったら。

 著者が勧めるのはオーストラリアのパース沖。著者の一人フィリップ・レーガンがパース在住の不動産投資信託ファンド・マネージャーだからか、と疑ったが、本書じゃ気候の問題、とある。台風と雷だ。ぐぬぬ。ただし、「地上基地は陸上じゃなくて海上都市にしましょう」とあるので、当然、日本はメガフロート(→Wikipedia)技術で活躍するでしょう、きっと。

 そして話は月や火星の軌道エレベーターへと進み、やがて小惑星から木星圏へと広がってゆく。火星の地上基地の候補地とかは、胸を熱くするばかり。他にもケーブルの保守や、失業したロケット技術者の再雇用、軍事的な意義とテロ対策など、下世話な話から政治的な話まで、面白いネタがギッシリ。

 最後に。軌道エレベーターを扱った小説として、実はもう一つ重要な作品を挙げておきたい。なぜか日本語版 Wikipedia でも無視されてるのが悲しい。巌宏士「バウンティハンター・ローズ2 火炎の鞭」朝日ソノラマ。1997年3月31日第1刷発行と、だいぶ早い時期に、軌道エレベーターを狙ったテロを題材に描いてます。

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2013年9月13日 (金)

高橋克彦「写楽殺人事件」講談社文庫

写楽――天明寛政年中の人。俗称、斎藤十郎兵衛、居、江戸八丁堀に住す。阿州公の能役者也。歌舞伎役者の似顔を写せしが、あまりに真を画んとしてあらぬさまに書なせしかば長く世に行れず、一両年にて止む

【どんな本?】

 直木賞作家・高橋克彦のデビュー作であり、第29回(1983年)江戸川乱歩賞を受賞した長編ミステリ。歌麿や北斎と並び有名でありながら、わずか一年ほどで姿を消した浮世絵師・写楽(→Wikipedia)。彼の正体につながる資料の発掘をきっかけに起きる、現代日本の浮世絵研究界に震撼と共に、その周辺である古美術・古本業界を織り交ぜ、また浮世絵とその研究のの魅力を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は1983年に講談社より出版。文庫版は1986年7月15日第1刷発行。私が読んだのは1993年6月30日発行の第18版。売れてます。文庫本縦一段組みで本文約352頁。8ポイント43字×19行×352頁=約287,584字、400字詰め原稿用紙で約719枚。長編小説としてはやや長め。

 デビュー作にしては、文章は比較的にこなれている方。ただ、さすがに1989年の「竜の棺」に比べると、さすがにまだ硬い。というか、6年間でグングンと娯楽作家として腕を上げた、と評するのが適切だろう。浮世絵を扱うため、いくらか専門的な知識が出てくるが、作品内で充分に説明してあるので、特に前提知識はいらない。ただ、肝心の写楽の絵はさすがに収録していないので、パソコンなどで画像検索しながら読んだ方が楽しめるかも。ちょっと Google で東洲斎写楽を画像検索してみた。

【どんな話?】

 浮世絵の研究で有名な篆書家の嵯峨厚が亡くなった。同じ浮世絵研究家であり、嵯峨の論敵でもある西島俊作の研究室に属する、駆け出しの研究者・津田良平は、葬儀の場で、意外な人物と出会う。国府洋平だ。同じ西島門下の十年先輩だが、二年ほど前に西島の不興をかって姿を消していた。

 数日後、古本市に出かけた津田は、明治の浮世絵師・小林清親が序文を寄せた、秋田蘭画の画集を手に入れる。絵師は秋田藩士で角館出身の近松昌栄。無名だが、腕は達者だ。だが、そのうち一つの書き込みを発見し…

【感想は?】

 謎そのものは、二つの軸を中心に展開する。一つは現代で起こる事件であり、もう一つは写楽の正体だ。この二つは完全に分かれているわけではなく、終盤になって鮮やかに合流を果たす。

 やはり読んでいて面白いのは、写楽の正体に迫ってゆく部分。これがまた、「そもそも浮世絵とは何ぞや」という根本的な疑問が、現代パートでも重要な役割を担っているあたり、新人とは思えぬ巧妙な仕掛けを冒頭から披露している。

 この物語の中で、現代の浮世絵研究は大きく分けて二つの派閥が争っている。主流派を成し、アカデミックな場でも大きな権勢を振るう「江戸美術協会」を率いる西島。在野の研究者が多い「浮世絵愛好会」の中心の嵯峨。版画を重視する西島&江戸美術協会、肉筆画こそ原点と主張する嵯峨&浮世絵愛好会。

 こういった人物に象徴させながら、現代の浮世絵研究の世界を描いてゆく。論の対立=人物の対立であり、いかにも実際にありそうと思えてくるから、作家の力は怖い。全体を通して展開する美術界の内幕も、論争がそのまま金と名誉と権力に結びつき、古美術商や研究者がそれぞれの思惑で係わり合うあたりが、生々しく描かれる。どこまでが取材で、どこからが創造なのやら。なまじ巧い作家ってのも、罪な存在だよなあ。

 こういった論の対決の中で、浮世絵そのもののネタや、その研究方法の話が披露されてゆく。このあたりが、ギョーカイ物として、なかなか面白い。先に出た版画 vs 肉筆も、素人の私は「当然、肉筆だろう」と思うのだが、そう簡単な話じゃない。印刷用の原稿ってのは、現代でも、それなりに気を使うのだ。

 漫画のテレビ・アニメ化で例えよう。たいてい、アニメは原作と少しタッチが変わる。漫画は一つの場面は一つだけ絵を描けば終わりだが、アニメーションは一秒間に数枚の絵が必要だ。テレビアニメは、一週間に30分ぐらいのペースで放映するんで、必要な絵の数も膨大な量になる。

 だから、テレビ・アニメの絵を描く人は一人じゃなく、多数の人が同時に描く。絵は、どうしても描く人によってクセが出ちゃうけど、同じ番組内で人物の顔が違ってたら、マズい。だから、なるたけ人による違いが出ないように、アニメ用の人物はデザインを少しなおす。原作の雰囲気を残しながらも、量産しやすい絵に変える。この場合、漫画の絵とアニメの絵、どっちを評価対象とすべきなんだろう?

 江戸時代の印刷は木版だ。絵師が書いたものを、彫師が彫って版ができる。当然、元の絵とは少し違ったものになる。絵師がテキトーに描いた物を、彫師が巧く補う場合もあり、絵師と彫師はチームとして作品を創りあげてゆく。世間に流通するのは印刷物なわけで、なら完成品である印刷物こそ評価の対象とすべきだろう、ってのが西島派。

 などの浮世絵の技術的な話もなかなかに面白いし、ギョーカイの内幕的な話も興味深い。私は本は読んでもあまし集める方じゃないんだが、研究者ともなれば、集めなきゃ話にならない。じゃドコで集めるかというと、関東に住んでりゃ当然、神田の古本屋街。

 司馬遼太郎はトラックで乗りつけ店の在庫ごと根こそぎ買ってった、なんて話もあるけど、研究者として駆け出しの津田は、そんな贅沢な真似はできない。ってんで、古本市に出かけてゆく。このシステムも、店と馴染みになればイロイロなサービスが受けられて。まあ、専門書の世界ってのは、大抵どこでも、そういうモンらしく、軍事系も似たようなシステムがあるらしい。

 おまけに古美術ってのは、モノにより相当なカネが動く。春峰庵事件(→Wikipedia)なんてのが絡み、真贋判定は重要な問題となる。贋作に真作の落款(作者の署名)を貼って偽造するなんてのは、素人でも思いつくが、その逆ってのは、さすがに思いつかない。こういった胡散臭さと紙一重な古美術商の内幕も、この作品の大きな魅力。

 浮世絵そのものが、開国当事の日本じゃ消耗品と思われてて、今なら古新聞ぐらいの価値だと見なされてたのが、ヨーロッパで高い評価を受けて再評価された、なんていう数奇な歴史的経緯を辿ってる。これが写楽だと更に複雑で…。こういった、評価の変転も、この作品の重要なキモとなっている。

どうでもいいが。浮世絵がジャポニズムに影響を与え、それをアール・ヌーヴォーが継承してミュシャを生み、そして現代日本の漫画家やイラストレーターがミュシャに憧れ、それがまたヨーロッパで評価されるってのも、なかなか感慨深い歴史だよなあ。文化のキャッチボールとでも言うか。今度はどんなボールが返ってくるんだろう。

 当然ながら、写楽が現役で描いてた寛永年間の話も展開してきて、なかなか大掛かりになってゆく。あの時代に詳しい人なら、いろいろと楽しめるだろう。私は池波正太郎の「剣客商売」と半村良の「どぶどろ」を思い浮かべ、「おお、あの人が出てきた」なんて思いながら読んだ。時代物ってのは、ハマって読めば読むほど、こういう楽しみが増えて面白くなるから怖い。

 写楽の正体を発端に、現代の浮世絵研究の世界と、その周囲の内幕、そして様々な変転を経た浮世絵の評価の歴史を絡め、浮世絵研究の面白さと、それに憑かれた者の業を描いた謎解きエンターテイメント。

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2013年9月12日 (木)

芝村裕吏「ガンパレード・マーチ アナザー・プリンセス」電撃文庫

「堂々とするがいい、芝村の友よ。我らは間違ったことをすることもある。だが、恥ずかしいことは、しておらぬ。決して」

【どんな本?】

 元は Alpha System が開発した 2000年9月28日発売の SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。当事のハードウェアの限界を超える野心的なシステムは開発費を食いつぶし、宣伝費ゼロというコンピュータ・ゲームにあるまじき状況で市場に投入された。

 いささかとっつきにくいゲームでありながら、その斬新なシステムや作りこまれた設定、そして濃い登場人物は多数のマニアを虜にして2001年(第32回)星雲賞メディア部門も受賞、長く愛され中古価格は新品と変わらぬ高値を続け、ついに2010年にはPSP用のアーカイブとして復活した。

 「アナザー・プリンセス」は、「ガンパレード・マーチ」のスピンアウトとして電撃マ王2010年9月から連載を始めたコミックで、原作は芝村裕吏、作画は長田馨。電撃文庫版は、ゲーム版の開発を率いたガンパレの父であり、コミック版アナザー・プリンセスの原作者でもある芝村裕吏によるノベライズ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年9月10日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約340頁。8ポイント42字×17行×340頁=約242,760字、400字詰め原稿用紙で約607枚。長編小説としては、ちょい長め。

 正直、ライトノベルとしては文章がこなれていない。ただ、ガンパレとなると、私はどうしてもベテランの榊涼介と比較しちゃうんで、少々厳しい評価基準になってるかもしれない。内要は、世界観が独特なので、読者によるだろう。とりあえず3パターンほど挙げる。

  1. コミック版の読者:まず問題ないと思う。
  2. ゲーム版の経験者または榊版の読者:やはり問題なし。
  3. どれでもない:世界設定や人物設定が込み入ってるんで、ちとキツいかも。

 とまれ、私自身は 2. に属する者なので、他の立場の人の評価は、あまり信用しないで下さい。

【どんな話?】

 1945年、第二次世界大戦は意外な形で終わる。黒い月と、それに続く幻獣の出現。食事も生殖もせず、大兵力でただ人を狩る幻獣に人類は撤退を続け、ユーラシアを明け渡し、南アフリカの一部・アメリカ、そして日本を残すのみとなった。

 1998年、幻獣は九州に上陸を始める。日本の自衛軍は八代会戦でなんとか勝利を収めたが、戦力の8割を失う。1999年、日本政府は二つの法案を可決する。熊本要塞の戦力増強、そして14歳から17歳の少年兵の招集である。少年たちを盾に時間を稼ぎ、その間に自衛軍の戦力建て直しを図る方針だ。

 前線の瓦礫の中、佇む秋草一郎が気になり、小山美千代は声をかけた。付き合いで巻き込まれた戦友の菊池優奈と共に、小山は信じられない言葉を聞く。

「現時点をもって君たちは僕の指揮下に入る」
「秋草一郎、階級は技術万翼長。所属はC41 0101 部隊名、二度寝天国。たった今、君たちも臨時配属された。現況が更新された。排除目標はこちらに向かって移動してくる。振動から種族特定。<ミノタウロス>。数は五、もしくは六」

【感想は?】

 再びお断りしておく。私はゲームと榊ガンパレは知っているが、コミック版アナザー・プリンセスは読んでいない。主な読者とは、視点が違うだろうと思う。

 いわゆる「番外編」かと思ったが、ゲームとも榊ガンパレとも、微妙に設定が違う。5121小隊の編成も違っている。まあ、そういうモンだと思って読んだ。つまりはガンパレ信者なのだ、私は。コミックも近いうちに読みます、はい。

 まあ、そんなわけで、やっぱり5121小隊が登場すると、読んでて一気に盛り上がってしまう。最近の榊ガンパレは5121小隊も成長してきて、とても安定感があり、カドが取れちゃってる。それがこの版だと、人間関係、特にカップル関係がギクシャクしていて、なかなか初々しい。

 ゲーム版のガンパレは面白い仕掛けがあって。

 一周目だと選べるキャラクターは速水厚志のみ。たいてい一周目はボコボコに叩かれると相場が決まってるんだが、コツを掴むと、いくらでも幻獣を狩れるようになる。ゲームの特徴の一つは、戦闘パートの他に、日常パートもあること。ここで、武器・装備を整えたり、他の小隊メンバーを鍛えたり、戦闘を有利に運ぶ準備も出来るほか、他の登場人物との交流も楽しめる。ハーレムだって夢じゃない。

 などと戦場では大活躍して、ハーレムでウハウハしてるリア充を楽しめるけど、それが他の登場人物からどう見えるか、が分かるのも、このゲームの面白いところ。これは二つあって、ひとつは、かつては速水でプレイしていたプレイヤーが、今度は他の人物から速水を見る視点になること。もう一つは…まあ、最後までやってみよう。

 こういう視点の違いの面白さが、この作品にもある。今まではゲーム・榊ガンパレ共に、5121小隊視点での物語だった。これが、他の小隊から5121小隊を見ると、どう見えるか。5121小隊の編成こそ少し違うものの、「やっぱりハタから見たら奇妙に思うよなあ」と、しみじみ感じられる。

 ゲームじゃ当然のごとく5121小隊に溶け込んでいる東原ののみも、外から見ると、やっぱり異常だよなあ。誤魔化し方も、なかなか巧い。こういうパターン、キャサリン・メリデールの「イワンの戦争 赤軍兵士の記録 1939-45」にもあったので、特に珍しい話でもない模様。

 視点の違いは他にも面白い効果をあげていて。士魂号の主な武器である20mmジャイアント・アサルト、これゲーム中だと、イマイチ有り難味がわからない。最初に渡される装備でもあり、どうも軽視してしまう。ところが、この本は歩兵視点の物語のため、20mmという口径がいかに凄まじいものか、実感できたりする。

 そうだよなあ、今の現実の歩兵の主武器である自動小銃は5.56mmとか7.62mmで、対物ライフルでも12.7mm。20mmったら、戦闘機に搭載するクラス。なんと凄まじい火力であることか。ましてや90mmなんつったら。この辺、詳しくはかのよしのり「銃の科学 知られざるファーイア・アームズの秘密」と学研の「歴史群像アーカイブ2 ミリタリー基礎講座 戦術入門WW2」が役立ちます。

 などとガジェットでも、榊ガンパレじゃ冷遇されてるアレやコレがチョコチョコと出てくるのも嬉しい。士魂号複座型のもう一つのアレもそうだけど、やっぱり燃えるのがストライカーD。私はコレが一番好きで、発言力があれば真っ先にスカウトに着せる。いや放置するとスカウトって先走ってすぐ戦死するし。その点、可憐D型は機動力がないから突出しにくく、タコ殴りにならない。また火力・射幅・射程も充分なんで、小型幻獣なら、充分に対処できる。防御力もソレナリにあるし。ミノタウロスやスキュラなど中型は、プレイヤーが美味しくいただこう。

 こういったゲーム・ファン向けのサービスは随所に仕掛けられてて。どっかで聞いたような台詞が、巧くお話に紛れ込んでいる。また、意外な幻獣が活躍するのも、懐かしい感じ。最近、榊ガンパレじゃ、すっかり忘れられてるしなあ。しかし、いくらなんでも、あの潰れトカゲの台詞を言わせるのはヒドいw

 オリジナルの登場人物では、赤澤正行・深澤正俊・末綱安種の変態トライアングルが、主人公の秋草一郎とヒロインの小山美千代、そしてプリンセスの芝村神楽を圧して強烈な存在感を発している。この辺は、頁数の問題かも。全員を丁寧に書くには、一巻じゃ難しいだろうなあ。

 と、全般的には、ちと詰め込みすぎた感がある。ファン向けかな。

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2013年9月11日 (水)

クリスティアン・ウォルマー「世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革」河出書房新社 安原和見・須川綾子訳

「わが軍には計り知れない強みがある。五本の鉄道を使って28万5千の野戦軍を輸送することができ。ザクセンとボヘミアの前線に、それを五日でほぼ集中的に投下することができるのだ。オーストリアにはたった一本の鉄道しかないから、21万の兵を集めるのに45日かかるだろう」
  ――プロイセン軍参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケ、サドワの戦いを評して

【どんな本?】

 1830年、イギリスのリヴァプール・マンチェスター鉄道の開業以来、約2世紀が過ぎた。路線を敷くには多大な費用がかかるため柔軟性に欠けるとはいえ、大量の物資・旅客を安く速く着実に輸送する陸上輸送機関とての能力は、やはり鉄道がピカ一である。

 と同時に、鉄道は、社会を大きく変えてきた。それは、「リニアモーターカーの路線をどこにするか」で揉める、日本の現状でも明らかだ。駅前は栄えて地価があがり、廃線になれば自治体の存続すら危なくなる。

 英国で有名なジャーナリスト・著作家で鉄道研究家でもある著者が、溢れる鉄道への愛を抑えつつ、鉄道の発展が世界をどう変えたか、または社会情勢が鉄道にどんな影響を与えたかを分析し、自動車や航空機との激しい競争に晒される鉄道の、21世紀における役割と生存の道を探る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Blood, Iron & Gold - How the Railways Transformed the World, by Christian Wolmar, 2009。日本語版は2012年2月28日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約473頁。9ポイント46字×19行×473頁=約413,402字、400字詰め原稿用紙で約1034枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 翻訳物としては、文章は比較的にこなれている部類。英国人のわりに、ヒネた言い回しも比較的に少なく、素直な文章だ。また、読みこなすのに特に前提知識も要らない。距離や速度はマイル表示だったりするけど、ちゃんとカッコ内にメートル法で補っているのも嬉しい心遣い。

 なお、有名な路線の話がアチコチに出てくる。冒頭に欧州・南北アメリカ・オーストラリア・アフリカ・インド・ロシアの路線地図が出てくるが、高低差は分かりにくいので、地図帳や Google Map などで確認しながら読むと、更に楽しめる。
 もちろん、鉄道ファンにも、文句なしにお薦め。

【構成は?】

 まえがき
第1章 世界初の鉄道
第2章 ヨーロッパが走り出す
第3章 英国の影響
第4章 アメリカ式
第5章 つながるヨーロッパ
第6章 アメリカを横断して……
第7章 そして別の大陸へも
第8章 鉄道の侵入
第9章 鉄道革命
第10章 つねに改善
第11章 変わりゆく列車
第12章 衰えるとも倒れず
第13章 鉄道の再生
 謝辞/訳者あとがき/図版出典/参考文献/原注

 一応、各章は独立しているものの、原則的に時代を追って話が進むので、なるべく頭から読もう。

【感想は?】

 一言で言えば、「鉄道が世界を変えた」、そういう本だ。

 鉄道愛好家が書いた本である。著者は出来るかぎり冷静に書こうとしているが、溢れる愛は隠せない。特に、終盤に行くに従って、その想いはあらわになってゆく。

 だから、多少の身びいきは、ある。にしても、やはりテーマである「鉄道が世界を変えた」には、納得してしまう。なぜか。つまりは、右のものを左に運ぶ、それだけだ。だが、それこそが重要な問題なのである。

 世界初の鉄道路線は183年、リヴァプール・マンチェスター間で開通した。リヴァプールは港町で、マンチェスターをはじめ英国北西部は石炭を多用する工業地帯だ。当初は綿と石炭など貨物輸送を見込んでいた。以後、他の国の鉄道も基本は同じで、内陸の産地と港を結ぶ貨物鉄道として開通する場合が多い。

 ところが、予期しない需要が生まれた。旅客だ。初年度だけで、のべ50万人が利用した。何を運んだか。

農家や漁師はまもなく、鉄道によって市場が大きく切り開かれたことに気がついた。新鮮な乳製品や野菜、肉、魚が鉄道で輸送されるようになって、庶民の食に革命が起こった。なにしろとくに都市の庶民は、それまで新鮮な食料品などめったにお目にかかることもなかったのだから。

 そう、都市と農村・漁村、双方に大きな利益をもたらしたのだ。英国はこの教訓を素早く学び、以降、鉄道では世界をリードする存在となる。

 もっとも、そう成り得たのには理由があって、ある程度の既存技術があった。馬車軌道だ。炭鉱から石炭を運び出すため、木製のレールに荷車を乗せ馬で引く。脱線防止用のフランジ(車輪の淵につける出っ張り、→Wikipedia)・鉄製レールなどの細かい改良、そして蒸気機関の登場となる。

 民間が主導した英国と対照的に、国家が政治的な目的で鉄道網を整備したのが、欧州、特にドイツ。当事のドイツは小国の分裂状態、統一を求める諸国は、英国技術者の協力を仰ぎ、ライプツィヒ・ドレスデン鉄道が開通、大成功を収める。当初は多数の会社が乱立したものの、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクが統一に乗り出し、国有化する。これには軍事的な目的もあって。

「東西の前線を結び、帝国の軍事マシンの重みを両方に利かせて勝利をもたらす、それができるのは鉄道しかない」

 これは逆に見ると、鉄道路線が整備されていると、敵が容易に侵入できるって意味でもある。ってんで、恐れたスペインは軌間を独自仕様に変えましたとさ。まあ、それはともかく、当事の鉄道は当然ながら蒸気機関で、平均速度も時速30kmぐらい、おまけに登坂能力も貧しいため、路線選びも難しいしトンネルや橋が必要だったり、スイッチバック(→Wikipedia)なんて工夫も生まれてる。

 欧州の各国に鉄道が整備される中で、自らのセールス・ポイントに気づいたのがスイス。欧州の中心に位置するこの国、特に地中海への道を開拓すれば大儲けできる。ってんで、ドイツとイタリアを結ぶルート、「完全にスイス領内の鉄道であるにもかかわらず」、スイスが負担した費用は1/4。半分はドイツ、もう1/4はイタリアに出させた。なんと賢い。

 国家主導気味な欧州に対し、北米は完全な民間主導。対して完全な国家主導なのがロシア。そう、シベリア鉄道だ。北米じゃ時刻表示まで鉄道会社ふごとに違っていたのに対し、ロシアは、あの広い国土を無視して統一時間帯。「そのため、東に向かう旅の終わりごろには、朝食は午後二時、夕食は午前三時に出ることになってしまった」。

 路線施設の苦労もいろいろで、北米じゃ大量に雇った中国人がチャイナタウンを作り、パナマじゃ疫病でバタバタ労働者が死に、アフリカじゃ疫病に加えワニ・カバ・ライオンに襲われる。疫病の猛威は凄くて、イタリアのシチリアじゃ風土病のマラリアのため「夏季には労働者の80%が勤務不能になるほどだったのだ」。

 人と物を大量輸送できるってことは、叛乱を鎮圧するため軍を派遣する事もできるってこと。セポイの叛乱や義和団事件でも鉄道は活躍している。終盤は自動車や航空機に押され苦戦する鉄道の話が中心となるが、最後に北米の面白いサービスを紹介して終わりとしよう。グレート・ノーザン鉄道のオリエンタル特急の…

ちょっと変わったセールスポイントは、有名な午後五時の「儀式」だった。銀の茶器を持った客室乗務員に続き、お仕着せ姿のメイドの集団がサンドイッチとパティスリーを持って、列車の端から端まで給仕をして歩くのだ。

 メイド列車。さすがUSA,、進んでる。

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2013年9月 8日 (日)

井沢元彦「新装版 猿丸幻視行」講談社文庫

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

【どんな本?】

 歴史小説・ミステリなどで活躍中の人気作家・井沢元彦のデビュー作であり、第26回江戸川乱歩賞受賞作。三十六歌仙の一人でありながら、その正体は謎とされる歌人・猿丸太夫(→Wikipedia)。彼が残したといわれる和歌および謎の文書を発端に、若き民俗学者・折口信夫が、広範な知識と明敏な頭脳を頼りに、猿丸太夫の謎の影に隠れた日本史の裏面を暴く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は1980年9月、講談社より刊行。1983年8月講談社文庫に収録。新装版は同文庫から2007年12月14日第1刷発行、私が読んだのは2008年7月23日の第2刷。文庫本縦一段組みで本文約428頁+参考文献一覧1頁+千街晶之の解説9頁。8.5ポイント41字×17行×428頁=約298,316字、400字詰め原稿用紙で約746枚。長編小説としてはやや長め。

 デビュー作とはいえ、売れっ子作家だけあって、地の文は比較的こなれていて読みやすい。肝心のテーマは和歌が重要な役目を果たす。でも大丈夫。謎にまつわる重要な所は、素人向けに初歩的な所から親切に説明してくれる。私は古典や日本史がからきし駄目なんだが、充分に楽しめた。当然、国文学や百人一首などで和歌に馴染んでいる人や、奈良時代に詳しい人なら、更に楽しめるだろう。

【どんな話?】

 1979年。民俗学を専攻する大学院生・香坂明は、博士論文を仕上げている。題は「猿丸太夫伝説に関する一考察」。そんな彼に、いきなり製薬会社の広報主任で遠藤道男と名乗る男が話しかけてきた。薬学に疎い民俗学専攻の香坂に、製薬会社が何の用があるのか。そのきっかけは、香坂が発表した論文「碩学 折口信夫の足跡」にあった。

 いぶかりながらも研究所へと同行した香坂は、想像を絶した研究に巻き込まれ…

【感想は?】

 冒頭の仕掛けが、かなり無茶。この無茶具合をスルーできるか否かが、評価の分かれ目だろう。1979年の人物が、薬を使って過去に意識を飛ばし、歴史上の人物、つまり明治末期の折口信夫(→Wikipedia)に憑依する。そういう仕掛けだ。SFどころか、むしろオカルトだろう。なんでそんな無茶をする?

 などと思いつつ、とりあえず無視して読み進めると、これが尻上がりに面白くなり、無茶の意味も最後に明らかになる。

 物語は、タイトルにあるように、猿丸太夫の正体を巡る謎解きが中心だ。謎のカギとなる文書は開始早々に提示され、以後は若き民俗学者・折口信夫が文書の解読に挑む、そういう形で話が進む。ついでに、謎のおまけに「お宝」までついてくるわけで、一種の宝探しでもある。

 こういう構造は著者も承知していて、謎解きにかかると、キチンと名作へのオマージュが出てくるあたり、ファンサービスも忘れていない。

 とまれ、やっぱり読んでて楽しいのは、謎解きの中心となる、折口信夫のパート。今も歴史系の作品で活躍している著者らしく、あの時代に生きた人々の生活や雰囲気が伝わってきて、「きっと著者も楽しみながら書いたんだろうなあ」などと思ってしまう。

 現代パートでは文献上の人物でしかない折口信夫が、明治42(1909)年の國学院・国文科の学生として動き始めるあたりから、俄然筆者の筆は生き生きしてくる。維新は既になり、中央集権の政府も地盤が固まった。日露戦争も戦勝に終わり、欧風の文化を取り入れるコツを覚え始め、順調に強国への道を歩み始めた時代。

 それと同時に、今までは孤立し閉じこもっていた「日本」が、欧州とはまったく異なる歴史を持つ独自の文化としての認識も、また持ち始めたころ。西欧文化の視点を取り入れながら、この時代なりの視点で、豊かに残る国文学の資料を、新たに見直す流れが生まれ始めた頃。

 こういった、過去と現在が激しくせめぎあう時代背景を、見事に体現しているのが、折口信夫のパートナー役を勤める柿本英作と、その一族。旧家のボンボンらしく図々しく遊び好き、実家には値打ち物の骨董が豊富にあるが、本人は英文学なんぞに手を出している。祖父と折り合いが悪く、爺様を評して曰く…

「なにしろ、爺さんは平田派の国学に凝っていてね。旧幕時代の悪い所を全部兼ね備えたような人物なんだ」

 と、過ぎ去った過去を引きずる爺様と、今風の遊び人の対比が鮮やか。そして肝心の折口信夫といえば…

万葉集を何度も何度も読み返し、普通の学生が四年かかっても修めきれない古典の大海を泳ぎきってきた。

 などと、若いながらも、この国が積み上げていた文化の研究に情熱を傾ける人物。柿本の爺様と同じく伝統を受け継ぐ意思を持ちながら、その方法論は開国以来の思考法が、自然と身についた姿勢だったりする。これが、本書の主眼である謎解きにも、彼の思考法が重要な影響をもたらすのが面白い。

 やはり文明開化がもたらす影響を感じさせるのが、東京帝国大学の図書館で折口と師が会話する場面。

 藩幕体制では文献も各地に分散しており、「ドコのダレがナニを持っているか」すら口コミで把握していたのが、中央集権国家となったため、情報も中央に集まりやすくなって、眠っていた文献が日の目を見始める。ハードウェアも改革中で、明治政府は洋式の製紙技術や活版印刷技術を積極的に取り入れた。その結果、情報流通にも革命が起きている。ちょっと Wikipedia から引用しよう。

王子製紙:明治に入ってから間もない1873年(明治6年)2月、「抄紙会社」が設立された。この会社が初代王子製紙の前身である。輸入に頼っていた洋紙の国産化を企図して、この頃官僚から実業家に転身した渋沢栄一が中心となって設立した。

印刷:明治時代に入り、1870年には本木昌造が長崎に新町活版所を創立、これが日本における民間初の洋式活版の企業化である。

 ってな時世の流れを象徴するニュースが、あのお方の口から語られるって仕掛けが、なかなか憎い。と同時に、出版物の限界も語っちゃうあたりが、なかなかヒネている。

 受け継ぐもの、変わってしまうもの、そして積極的に変えようとするもの。残るもの、消えてゆくもの。明治から昭和への激動の時代を足がかりに、遥かいにしえの万葉集までも捉えようとする、娯楽路線の謎解き物語。

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2013年9月 6日 (金)

ハロルド・ハーツォグ「ぼくらはそれでも肉を食う 人間と動物の奇妙な関係」柏書房 山形浩生・守岡桜・森本正史訳

日本には「虫」という言葉があって、西欧人がこれを完全に理解するのはむずかしい。日本人の高齢者たちは、昆虫、クモ、トカゲ、種類によってはヘビも、まとめて虫と呼ぶ。オタマジャクシは虫だが、成長したカエルは虫とは呼ばない。

ヘルマン・ゲーリング「動物を自分の所有物として扱い続けることができると考えている諸君には、強制収容所入りを約束する」

ふたつのベルカーブが重なるとき、それぞれの集団の平均の差は小さくても、両端では大きな差が出る

【どんな本?】

 菜食主義者、動物実験に反対する人、捕鯨に反対する人がいる。彼らは極端であるにせよ、多くの人はネコをいじめる場面を見たら不愉快に感じるだろう。だが、そんな人の多くはゴキブリを忌み嫌い、ステーキに舌鼓をうつ。なにやら矛盾しているようだが、大抵の人はなんとなく判断を下し、特に深く考えずに日々を暮している。

 人間と動物の関係は、複雑で多様で矛盾に満ちている。ヒンズー教徒は聖なるモノとして牛を食べない。ムスリムは穢れたモノとして豚を食べない。そしてあなたは可愛いからネコを食べない。日本人は鯉を食べるが金魚は食べない。闘牛は残酷と言われるが、同じ人がステーキを食べ牛革のベルトを使う。

 ややこしく多様な人と動物の関係を通し、大量のエピソードの中から、ヒトの倫理と心の奥へと切り込む、新しい学問・人間動物学の案内書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Some We Loves, Some We Hates, Some We Eat : Why It's So Hard to Think Straight About Animals, by Harold Herzog, 2010。ハードカバー縦一段組みで本文約347頁+山形浩生による訳者解説11頁。9ポイント45字×17行×347頁=約265,455字、400字詰め原稿用紙で約664枚。長編小説ならやや長め。

 文章はこなれていて読みやすい。学問の本とはいえ、一般の人向けなので、特に前提知識はいらない。中学生でも充分に読みこなせるだろう。ごく一部に、「名犬ラッシー」(→Wikipedia)なんて若い人には通じない例がでてくるけど。

【構成は?】

 はじめに なぜ動物についてまともに考えるのはむずかしいんだろう?
第一章 人間と動物の相互関係をめぐる新しい科学
第二章 かわいいのが大事 人間のようには考えてくれない動物についての、人間の考え
第三章 なぜ人間は(そしてなぜ人間だけが)ペットを愛するんだろう?
第四章 友だち、敵、ファッションアイテム? 人とイヌのいろんな関係
第五章 「高校一の美女、初のシカを仕留める!」動物との関係と性差
第六章 見る人しだい 闘鶏とマクドナルドのセットメニューはどっちが残酷?
第七章 美味しい、危険、グロい、死んでる 人間と肉の関係
第八章 ネズミの道徳的地位 動物実験の現場から
第九章 ソファにはネコ、皿には牛 人はみな偽善者?
 訳者解説

 基本的に各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただ、最後の第九章だけは最後に読むことを勧める。ここで著者なりの最終的な結論を出しているからだ。

【感想は?】

 などと言うと、「じゃ忙しい俺は最終章だけをよめばいいんだな」と考えるかもしれないけど、それはあまりにもったいない。それぞれの章で、実に興味深い実験やアンケートやエピソードが沢山紹介されてて、ソレこそがこの本の最大の魅力なのだから。例えば、あなた、ナンパの成功率を上げる方法、知りたくない?

 ええ、バッチリ書いてあります。ちょっとした工夫で、女性の電話番号のゲット率を1割から3割に上げる方法が。ありがたや。

 いや本当は真面目な本なんだけどね。私がスケベなだけで。真面目なところでは、マイケル・サンデルの著作で出てきた、トロッコの問題(→Wikipedia)。

  1. 暴走トロッコが5人の男に向かい走っている。放置すれば5人の男は死ぬ。もあなたは路線を切り替えられる。切り替えた先にも1人の男がいる。切り替えれば1人の男は死ぬが、5人は助かる。あなたは切り替える?
  2. 暴走トロッコが5人の男に向かい走っている。放置すれば5人の男は死ぬ。あなたは橋の上にいて、隣に1人の男がいる。隣の男を軌道に突き落とせば、落ちた男は死ぬが、トロッコは止まり5人の男は助かる。あなたは隣の男を突き落とす?

 これを、ちょっとアレンジすると、途端にヒトの反応が変わるから面白い。

暴走トロッコが5頭のゴリラに向かい走っている。放置すれば5頭のゴリラは死ぬ。あなたは橋の上にいて、隣に1頭のゴリラがいる。隣のゴリラを軌道 に突き落とせば、落ちたゴリラは死ぬが、トロッコは止まり5頭のゴリラは助かる。あなたは隣のゴリラを突き落とす? 

 人がゴリラに変わると、多くの人が功利主義的な解、つまり「より多くのゴリラを救える方法」に切り替わる。こんな風に、ちょっとした問題をヒトからゴリラやネコや魚に変えていくと、ヒトの反応はそれぞれに違ってきたりする。例えばペットのエサ。

 ヘビを飼う際、エサにネズミを与える人もいる。今検索したら、ハムスターを与えてる人がいた(→Yahoo!知恵袋)。私はハムスターを飼っていたんで、残酷だと思う(*1)。ところが、だ。中型のニシキヘビを飼うのに必要な肉の量は年で約2.3kg。これがネコだと、年に23kgの肉が必要になる。なら、私はネコ飼いを責めるべきだよね。これを推し進めると、とんでもない提案が飛び出す。

飼い主に捨てられたペットは施設に送られ「処分」される。なら、処分される仔猫をヘビに与えればいい。

 合理的だ。でも、なんか納得できない。どういうことか。どうも、ペットになりうる動物が、道具として扱われるのは、不道徳を感じるらしい。などという風に、この本は最終的に倫理や道徳の問題に切り込んでゆく。猫屋敷にしてしまうご婦人、極端な菜食主義者、狂信的な動物愛護主義者などを通し、哲学や倫理が抱える根本的な問題が明らかになる最終章は、その手の問題が好きな人には、たまらない快楽と…絶望を与えてくれる。

 などの倫理的な問題に限らず、動物に関係する豊富なトリビアも、この本の魅力。例えば、近頃日本でも有名なアニマル・セラピー。特にイルカがよく使われるけど、野生のイルカを閉じ込めるって残酷じゃね?ってのに加え、その効果は…

調査の対象となった人はアニマルセラピストとの交流の結果、なんらかの改善を見せていた。そして、その改善の程度は平均すれば、がうつ病患者がプロザックなどの抗うつ剤を服用することによって得られるのと同じくらいだった。

 時おり問題になる、異常に沢山の猫を飼って猫屋敷にしちゃう人。どうもアレは病気のようで、仮説としてトキソプラズマ(→Wikipedia)の影響を挙げている。もっと怖いのは、その抑止で…

人類動物学者たちは、飼いだめ(猫屋敷にしちゃう傾向)の正確な原因を突きとめていないけれど、この病気を治すのはほぼ不可能だという点で見解が一致している。実際、飼いだめ人の再犯率は、ほぼ100%だ。

 犯罪関係だと、酒鬼薔薇聖斗に代表される、少年が動物を虐待する傾向。これ、一般に犯罪傾向の兆候と思われてる。全米獣医学会のエミリー・パターソン・ケーンとマンチェスター・メトロポリタン大学のヘザー・パイパーは、24件の調査報告を分析し、幼少期の動物虐待と暴力犯罪の関係を調べた。暴力犯罪者の35%は幼少期に動物を虐待していた。暴力犯罪歴のない男性は、37%だった。つまり、暴力犯罪と幼少時の動物虐待は、ほとんど関係が見いだせてない。

 一部は科学の面白い側面も扱ってて。例えば冒頭のベルカーブ(正規分布)の話。一般に男性は女性より背が高い。これが極端な値だと、差が大きくなる。

身長175cmの集団では男性30人の割合に対して女性1人の割合だけれど、身長180cm以上の集団になると男女比は2000:1に急上昇するのだ。

 だからといって、「男は女より2000倍背が高い」とはならない。中央近くじゃ大きな差はなくても、極端な例を挙げると大きな差になる。あるがちな統計マジックの一つだね。受刑者は男性が極端に多い理由の一つは、これかもしれない。

 他にも飼い犬と飼い主が似る傾向、ドミトリー・ベリャーヘフのキツネの話、闘鶏とブロイラーの違い、矢ガモは騒ぐが大勢の難民は無視する傾向など、面白いネタが盛りだくさん。ただ、下手に知人友人との会話に使うと、人間関係が壊れかねないネタも多いのが難点かも。

*1:残酷と感じるけど、非難はしません。蛇でもハムスターでも、生きるってのはそういうことだし。

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2013年9月 5日 (木)

ジェイン・ロジャーズ「世界を変える日に」ハヤカワ文庫SF 佐田千織訳

「どうしてばかの集団が権力を握れるように、走りまわって手を貸さなくちゃいけないの?結局その連中は、すでに権力を握ってる連中と同じくらい危険な存在になるだけだっていうのに」

【どんな本?】

 イギリスの作家ジェイン・ロジャースによる、長編SF小説。アーサー・C・クラーク賞に輝き、ブッカー賞の候補にもなった。近未来、または現代と少し違う世界のイギリスを舞台に、危機に瀕した世界を救わんとする16歳の少女ジェシーの目を通し、彼女が決意に至る過程と、周囲に巻き起こす騒動を描く、重く苦い物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Testament of Jessie Lamb, by Jane Rogers, 2011。日本語版は2013年7月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約420頁+訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×420頁=約285,600字、400字詰め原稿用紙で約714枚。長編小説としては少し長め。

 文章は、最近の翻訳物の小説としては標準的な読みやすさ。一応、設定はSFだけど、テーマはむしろ文学的なもので、つまりは人類ではなく人間を描く事に主眼を置いた作品であり、科学的・技術的な部分は分からなくても問題はない。「なぜそうなるか」は無視して、「どんな効果があるか」だけに注目しよう。

 逆に言うと、SFな仕掛けは舞台を整えるための道具に過ぎず、考証は少し甘い部分がある。サイエンス・フィクションが好きな人にとっては、ソコを許せるか否かが評価の分かれ目。

【どんな話?】

  全人類は疫病MDSに罹患した。妊娠した女性は母子ともに死ぬため、もう子供は生まれない。世界は滅亡を前に狂い始めた。主人公はイギリスに住む16歳の少女ジェシー・ラム。MDS対策に携わる研究者の父ジョーと、母のキャスは、最近、口げんかばかり。親友のサルは男の子にモテモテだけど、今はダミアンといい仲。クラスメイトのローザは幼馴染のバズにちょっかい出してきた。

 そして、ケイトリンが死んだ。ローザも姿を消した。彼女も妊娠したらしい…

【感想は?】

 主人公のジェシーは16歳、彼女の一人称で物語は語られる。栗色の髪にはしばみ色の瞳、そしてチャームポイントは強い意志を示す太い眉。とすっと、プリキュアの日向咲ちゃんか放課後ティータイムの琴吹紬ちゃんか。涼宮ハルヒ・シリーズの朝倉涼子さんでも可。彼女は黒髪だけど。誰であれ、あなたの好きなキャラを思い浮かべながら読もう。

 すんげえ、ムカつくから。

 この小説は、娯楽作品じゃないのだ。読者をイヤ~な気分にさせる、そういう目的で書かれている。帯じゃジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやり方」を挙げているが、それは罠だ。主人公が置かれた状況、少女の一人称、そして悲壮な決意などは共通しているが、読後感は全く違う。

 優れた英国SFに与えられるアーサー・C・クラーク賞を受賞し、主流文学寄りのブッカー賞の候補にもなっている。いずれも、選考委員が選ぶ賞だ。読者投票形式の賞は、まず受賞できないだろう。正直言って、SFじゃなければ私は読まなかった。でも、確かに優れた価値のある作品だし、この作品に賞を与えた英国のSF界は英断を下したと思う。

 日常の描写がライトノベル並に戯画化されていたら、きっと読後感はこれほどムカつかないだろう。ところが、ジェシーの周辺事情が、なかなか巧く書き込まれてるんで、更にイヤさが引き立つ。

 娘に気を使いながらも不和は隠せないジョーとキャスの夫婦。躁鬱の気があって、躁のときは愉快な叔母のマンディー。ビッチっぽく、女の子仲間から爪弾きにされてるローザ。美人で男の子に人気がある親友のサル。幼馴染でピアノに夢中の、でも最近はちょっと距離ができちゃったバズ。

 ジェシーがバズに誘われて出かけるサークル、YOFI(独立青年団)も、政治に関心がある若者の描写が、嫌な感じでリアル。地球温暖化・脱原発・動物虐待反対・戦争反対・児童の権利擁護・遺伝子改変作物と、いかにも「意識の高い若者」にウケそうなネタが次々と挙がってゆく…が、いずれも、誰かの受け売りで上滑りしている感が拭えない。しかも、百家争鳴で、組織としての統一見解は出てこない。

 ここで、「若者ってのは、血の気ばっかり多くて浅はかだよなあ」と思うかもしれない。だが、読み進むと、若者ばかりが浅はかってわけじゃないのだ。ジェシーの決意も、実はこの物語だけの話ではない。今、現実に、オトナたちが若者に提供している選択肢だ。それに気づいた時、この物語は、更に不愉快なものとなる。

 フィクションはネタバレなしを原則に書評してるんだけど、この作品は、どうしてもネタに触れたいんで、詳細は追って書く。その前に、2点ほど補足したい。

 42頁に名前が出るガイ・フォークス(→Wikipedia)は、16世紀イングランドの人物。コミック原作の映画「Vフォー・ヴァンネッタ」で抵抗と匿名のシンボルとして使われた。

 315頁で自転車を列車に乗せる場面がある。欧州じゃサイクル・トレインは結構あって、私が知るかぎり3パターンがある。客車に自転車を置く空間がある、最後尾の客車の後部に自転車をくくりつける、貨物車輌に自転車を乗せる。日本でも一部の私鉄が導入を試みている(→Wikipedia)。羨ましい。

 ところで、主人公のファミリー・ネームが Lamb なのは、何か意味があるのかな?

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【ネタバレありの書評、要注意】

 以後はネタバレ気味に書くので、そのつもりで。

 ジェシーが政治運動に関わるあたりは、若者の性急さや浅はかさが描かれる。ここで「うんうん、若者ってのは…」などと年寄り臭い事を考えるかもしれない。そして、ジェシーの決意だ。オトナとしては、若気の至りをたしなめたい。

 だが。物語の中盤以降は、そのオトナも、実はあまし賢くないと思い知らされる。暴走して自滅に向かうマンディーは賢いのか?イヤったらしいイアンは?ローザの母親は?そもそも、世界をこんなにしちまったのは、オトナじゃないか。

 冒頭から、ジェシーは父に暴力で支配されている由がハッキリしている。まあ、世の父親なら、ジョーの気持ちもわかるだろう。誰が可愛い娘を危険に追いやりたいものか。鎖に繋いでも止めるのが親だろう。だが。バズは父親を評して曰く…

「親父はいつだって母さんに指図してた。ぼくたちに。ぼくらのどっちにもね。日曜学校へいけ、自分が主と親しく交わっているあいだは忍び足で歩け、飛び跳ねろとわれたら飛び跳ねろ。そしていうとおりにしないと怒りっぽくなる」

 バズの父と、ジョーは何が違う?私には解が見えない。これが、不愉快な理由の一つ。解けない問題を突きつけられるのは、ムカつくのだ。

 科学反対や動物保護に続き、やがてフェミニズムも登場してくる。これは相当に重要なキーワードで、ジェシーが不良に絡まれる場面でも、皮膚感覚的に性差の問題を取り上げてくる。舞台設定が妊娠・出産を扱っているだけあって、どうしても性の問題に読者の関心は向かう。

 知らない人が見たら、確かにジェシーの決意は崇高に見える。そこで、ジェシーの性別を逆にしてみよう。彼女が男だったら?主に男性の役割で、自己犠牲を伴うもの。

 ニワカ軍オタの私は、ここで兵役を考えた。志願兵だ。途端に、更に気分が悪くなった。

 国家は、志願兵を賛美する。強さ、勇ましさ、愛国心などの言葉で、少年や若者を煽る。ところが、この作品は、ジェシーの決意から、次から次へとヒロイズムの美しさを剥ぎ取ってゆく。ジェシーの決意の見苦しさは、カッコよさを剥ぎ取られた兵役志願だ。そして、現代の国家は、それを必要としている。

「それをやるのは、哀れな洗脳された子たちになるでしょうね。女の子たちを候補者に指名して、白いドレスを着せ、天国で受け入れられる報いの話でその子たちの頭をいっぱいにするんだわ」

 誰かがやらなくちゃいけない。だが、誰が?ジェシーか、ローザか。これもやっぱり、私は答えを出せない。

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2013年9月 3日 (火)

「歴史群像アーカイブ3 ミリタリー基礎講座Ⅱ 現代戦術への道」学習研究社

 ちなみに独断専行の裏面でもある戦闘時の命令違反に対するイスラエル軍の考えは独特で、多くの場合、命令違反それ自体を罪に問うことはなく、結果において責任が問われるのみである。
  ――イスラエル軍 逆説の戦車運用理論 オール・タンク・ドクトリン 樋口隆晴

【どんな本?】

 雑誌「歴史群像」に掲載した記事を、テーマごとに集めて再編集したムックであり、戦術入門WWⅡの続編。前巻では第二次世界大戦時をモデルに、現代の陸軍の戦闘組織と、基本的な戦術を解説した。

 今作では、前回のファイヤー・アンド・ムーブメントの帰結である塹壕戦と機関銃から、それを覆す突撃歩兵,戦車,電撃戦,パックフロント、更に機動力を追求したオール・タンク・ドクトリン,機械化歩兵,ヘリボーン,エアランド・バトル,そして現代では最もよく見られる形態であるゲリラ戦など、第二次世界大戦以降の陸戦の主な思想・戦術を解説する。

 なお、この記事の小さいフォントの部分は私が勝手に付け足した所なので、間違ってたらそれは私の責任です。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年6月20日第1刷発行。B5版ソフトカバー縦4段組128頁。8ポイント19字×32行×4段×128頁=約311,296字、400字詰め原稿用紙で約779枚だが、写真やイラストを多数掲載しているので、実質的な文章量は半分ぐらい。

 軍事物だけあって表現は少々堅いが、その分、直接的な表現も多く、意外と頭に入りやすい。なにより、豊富なイラストや略図が読者の理解を大きく助けている。また、写真も文章の迫力を増している。

【構成は?】

西部戦線を支配した死の迷宮 塹壕戦 松代守弘
連合軍を畏怖させた欧州最強の弾幕射撃 図解特集 ドイツ軍機関銃戦術 樋口隆晴
ドイツ装甲部隊が迷い込んだクルクスの煉獄 パックフロント 樋口隆晴
掘って篭るは歩兵の本領 塹壕入門 松代守弘
電撃戦、血と泥の塹壕戦からの誕生 ドイツ突撃歩兵 田村尚也
陸戦の死命を制した新兵器 戦車誕生 瀬戸利春
参謀本部が模索した戦車運用構想 ドイツ装甲部隊「電撃戦」への道 田村尚也
アメリカ軍を勝利に導いた兵站ネットワーク 怒涛の米軍大物量戦 有坂純
イスラエル軍 逆説の戦車運用理論 オール・タンク・ドクトリン 樋口隆晴
電撃戦の脇役から現代陸戦の主役へ 機械化歩兵の時代 田村尚也
近代が生み落としたもう一つの戦争 ゲリラ戦 樋口隆晴
陸戦に革命をもたらした空飛ぶ「騎兵隊」 ヘリボーン戦術大研究 田村尚也
冷戦下に編み出された新・機動戦理論 エアランド・バトル 田村尚也
 フォトギャラリー WWⅠ軽機関銃 編集部
 コラム 歩兵大隊を支えた重装備中隊 樋口隆晴
 コラム フランス軍の編み出した「戦闘群戦法」 田村尚也
 コラム 電撃戦の「鍵」 樋口隆晴
 コラム 今日のゲリラ戦 樋口隆晴
 コラム RMAとは何か 樋口隆晴
 巻末付録 第二次世界大戦後の各国師団編成 編集部

 8~10頁程度の独立した記事と、1頁のコラムが連続する構成なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただ、全体的に時代の順になっているので、できれば頭から読むといいだろう。あと、できれば著者略歴をつけて欲しかった。

【感想は?】

 前作のテーマは「ファイヤー・アンド・ムーブメント」だった。つまりは、「いかに敵の横または後ろを取るか」だ。隊を二つに分け、片方が撃って牽制する間に、もう一つの隊が回りこむ。回り込みと、それを防ぐ運動の結果が、塹壕戦となる。

 今回も、全部を読むと、結局は「いかに敵の後ろを取るか、または取らせないか」がテーマになってる感がある。

 攻め手は横に回りこむ。守る側は、回りこまれちゃ困るから、横に陣地を伸ばす。互いに機関銃でキルゾーンを作り、歩兵の突撃は自殺と同じ意味になる。これの始まりが日露戦争だとか。第一次世界大戦は、互いが陣地を横に伸ばした結果、スイス国境から大西洋まで陣地が伸びてしまい、膠着状態になった。これが塹壕戦。

 これを突き破る策がドイツの突撃歩兵とイギリスの戦車。戦車はわかりやすい。鋼鉄のボディで銃撃を防ぎ、無限軌道で塹壕を乗り越え、敵の前線に穴をあける。あいた穴から歩兵が雪崩れ込み、敵の傷を更に広げる。とまれ、当事の戦車は時速6~7kmというから、あくまで「歩兵の支援」的な役割だった。

 突撃歩兵は、むしろ組織力の発送。軽い準備砲撃の後、煙幕やガスで敵の目をくらまし、そのスキに分隊ごとに敵陣内に潜りこむ。通信線を切って前線を司令部から切り離す。後は状況により司令部を叩いたり、後ろから前線に穴をあけたり。これが出来たのは、ドイツ陸軍が下士官(軍曹や伍長)に指揮権を与えたから。それまで指揮は将校の仕事だったわけ。

 戦車なら塹壕の陣地、つまり線を突破できる。でも面は確保できない。それは歩兵の仕事。第一次大戦以降、戦車は速くなったけど、歩兵は歩き。これじゃ歩兵は戦車についていけない。ってんで、「じゃ歩兵も自動車に乗せて戦車についていかせよう」とした。これがグデーリアンの電撃戦。兵器だけじゃなく、組織運営も違う。訓令式命令法・委任戦術だ。

上級指揮官が下級指揮官に命令を下達する際、目的を明示するのみで、その実施の方法は下級指揮官に委任する指揮の方法である。
  ――電撃戦の「鍵」 樋口隆晴

 「何をやるか」は指示するけど、「どうやるか」は任せる、そういう事。機動の多い電撃戦じゃ、前線の状況は把握できないし、何が起こるかわからない。細かい所まで司令部にお伺いしてたら間に合わないんで、現場で裁量しましょう、と。その分、意思決定が早くなり、柔軟な作戦行動ができる。

ただし、兵が脱走したり将が寝返る危険もあって。教育レベルが高く下級指揮官でも作戦立案・指揮ができ、かつ軍組織が腐敗せず上下の信頼関係があるからこそ可能な戦術。一般に独裁的な国家の軍が弱い原因の一つがコレで、叛乱を恐れる高級将校が下級将校や下士官に指揮権を渡さない。だから前線で柔軟な対応ができず、不意を突かれると何もできずお手上げになる。サダム・フセインのイラクがそうだし、シリア政府軍が圧倒的な兵力と装備を持ちながら反政府軍に苦戦してる理由のひとつがコレ。

 そのドイツに対抗してソ連が編み出したのがパックフロント。それまで線で構成してた前線を、独立して戦える島にした。電撃戦は「面倒な敵の後ろに回り込めば、補給や指令を切られた敵は諸手を上げて降参する」って発想。ところがパックフロントは、回り込まれても気にせず戦い続ける。発想の転換が凄い。

 そのドイツ軍の電撃戦思想を受け継いだのが、なんとイスラエル。もともとゲリラ戦で鍛えたイスラエル軍、小部隊の独断専行はお手の物(つか第一次中東戦争当事のイスラエル軍はハガナやイルグンの寄り合い所帯なんで、独断専行させるしかなかった気もする)。ってんで、オール・タンク・ドクトリンが生まれる。

 トロい歩兵や砲兵なんか待ってられっかい、速くて堅くて強い戦車だけで敵を潰してやる、そうイキまいて第三次中東戦争は大戦果を挙げる…が、第四時中東戦争ではエジプト軍の対戦車ミサイル・サガーこと9M14マリュートカにボコられちゃう。でもゴラン高原じゃ大戦果を挙げてるんだよなあ。しかも、今でもメルカバMk4(→Wikipedia)に迫撃砲がついてたり、相変わらず戦車こそが戦場の華って発想っぽい。

 など、今までは横から回りこむ発想だったのが、「上を飛び越えりゃいいじゃん」と発想を変えたのがヘリボーンとNATOのエアランド・バトル。最もエアランド・バトルの原型もナチス・ドイツの電撃戦で、スツーカなど軽爆撃機を自走砲代わりに使ってた。ナチスすげえ。

 敵は第一・第二・第三と櫛団子状にきて波状攻撃をかけてくる。兵力じゃソ連に劣ると考えたNATO、第一は戦車と自走砲とMLRS(多連装ロケットシステム、→Wikipedia)と戦闘ヘリAH-64アパッチ(→Wikipedia)で叩き、同時に第二は攻撃機A-10サンダーボルトⅡ(→Wikipedia)で、第三は戦闘爆撃機F-111アートバーク(→Wikipedia)で叩く、そういう発想です。幸いソ連が潰れて欧州じゃ出番がなかったけど、イラクで実証できましたとさ。

 と、まあ、これまでの戦争は「いかに後ろに回りこむか」がキモだったわけです。最近はアフガニスタンなど非対称戦が多いんで影がうすくなってるけど、今後も暫くは正規軍が相手の戦いじゃ変わらない原則。RMAとかもあるけど、結局は「どうやって敵の弱みにつけこむか」なんだよなあ。

 ってな感じに、現代の軍事を真面目に語るなら、前の戦術入門WWⅡと併せ、是非読んでおこう。

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2013年9月 2日 (月)

ジェイムズ・S・A・コーリイ「巨獣めざめる 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳

「人々には知る権利がある。しかしあんたは、ようするに、人々はその情報を正しく使う賢明さを持たないと言ってるわけだ」
「おまえが放送した情報で実際に人々はなにをした? もとから嫌ってるやつを殺す口実にしただけじゃないか」

【どんな本?】

 ジェイムズ・S・A・コーリイは、ダニエル・エイブラハムとタイ・フランク、二人の新鋭SF作家の合同ペンネーム。人類が小惑星帯~土星近辺にまで進出した時代。地球・火星・小惑星帯の三者のキナ臭いパワーゲームを背景に、強力な核融合エンジンを備えた宇宙船が高加速で太陽系内を暴れまわる、娯楽志向ののスペースオペラであり、六部作 The Expance の開幕編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Leviathan Wakes, by James. S. A. Corey, 2011。日本語版は2013年4月25日発行。文庫本上下巻で本文約425頁+408頁=833頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント40字×17行×(425頁+408頁)=約566,440字。400字詰め健康容姿で約1417枚。そこらの長編小説なら3冊分ぐらい。

 娯楽物の小説としては、文章は少し硬いかも。原作が探偵物のハードボイルド小説を意識しているのか、まわりくどく気取った言い回しが多いんだろうなあ。主な舞台は小惑星や宇宙船内で、我々の馴染んだ環境とは全く違う。その違いをキッチリ書き込んであるので、スペースオペラが好きな人にはたまらない反面、SFに不慣れな人にはキツいかも。

【どんな話?】

 火星への植民が進んだ頃、エプスタイン・エンジンと言われる効率のいい核融合エンジンが開発された。150年後、人類は小惑星帯へ進出し、多くの人口を抱える地球・優れた技術力を誇る火星の二者ならなる内惑星連合と、小さな社会が乱立する小惑星帯~土星が睨みあっている。

 小惑星ケレスの警察と守備隊業務を請け負うスターヘリックス・セキュリティ社に勤めるミラーは、ボスのシャディド警部に呼び出された。追加任務だ。依頼人はマウ夫妻、家出娘のジュリエット・アンドロメダ・マウことジュリーを連れ戻せ、と。

 土星の輪から小惑星帯へ氷を運んでいた輸送船カンタベリー号は、緊急救難信号を受信した。発信源は火星船籍の小型輸送船スコピュリ号。搭載したシャトルのナイト号で救援に向かったホールデンたちだが…

【感想は?】

 「ベルター」。なんとも夢のある響き。

 私が最初にこの言葉を見たのは、ラリイ・ニーヴンのノウンスペース・シリーズ。小惑星帯出身の者を示す言葉だ。

 この作品世界では、大きく三つの勢力が角つき合わせている。最大の人口を抱える地球、高い技術を誇る火星、そして小惑星帯から土星の衛星圏までを含む外惑星系。地球は重力・空気・水など全てが自給できる。この作品じゃ火星はあまり出てこないが、とりあえず重力は天然で存在する。ところが小惑星帯から外は、重力すら人工的に作りださにゃならん。

 ってな、育成環境の違いが、身長や体重など体形から、ちょっとしたしぐさにまで、大きな違いを作り出す。身長が伸びるなどの体形の変化は、今までのSFでも良く出てきたけど、導入部から、それをしぐさにまで突き詰めて書いてるあたりで、SF者としては「うおお!」と唸ってしまう。

 そう、不器用で不恰好でダボダボな宇宙服を着ている状況では、指先などの細かいゼスチャーじゃ、全く伝わらないのだ。自然と、しぐさは四肢を駆使した大袈裟なものになる。ベルターと、それ以外の断絶は、この作品の通奏低音を成している。地球出身のホールデンと、ベルターのナオミ。ベルターの警官ミラーと、その相棒で地球出身のハブロック。二つのコンビを介して見える、ベルターの世界。

 などの身体感覚に密着したセンス・オブ・ワンダーは導入部から徹底していて、出だしの主要登場人物が抱える問題は、なんと水とシモの処理。ここでは、低重力柔術」とかもいい。柔道じゃないんだよね。柔術。低重力下じゃ、投げ技はあまし意味がない。突きや蹴りも反動がある。じゃ、どうするか、っつーと…。

 ってな生活感溢れた描写が、この作品の魅力の一つ。主要登場人物の一人ホールデンの仕事も、土星の輪から小惑星帯へ氷を運ぶなんていう、トラック野郎だし。そう、小惑星帯じゃ水が貴重なんです。地球の重力井戸から持ち上げてたら、運賃が嵩んでたまらない。安く上げようとすると、土星の輪から引っ張ってくるのが正解。

 など一節ぶちたくなるのも、この作品が、全体を通して「重力」を強く意識させる描写が多いため。なんたって、宇宙空間には重力がない。それじゃ不便だから、小惑星じゃ自転で擬似重力を作ってる。自転だから、回転の中心からの距離で、体に感じる重力は違うし、コリオリの力も働く。これが宇宙船内だと、加速で重力が生まれる。場面が変わるたびに、細かく重力の力と方向が変わる感覚が、眩暈を起こさせる。

 主な登場人物は、身も心も疲れて擦り切れたベルターで中年警官のミラーと、7年在籍した軍を退役して船乗りになり5年目の地球人ホールデンを中心に進む。タフですれっからしの警官を気取るミラー、その日暮らしのトラック野郎から理想主義へと変わってゆくホールデン。二人の対比が、このお話のもう一つの味。誰も信用できない孤高の警官と、チームを信用しなきゃやってられない宇宙船乗りの違いなのか、単純に歳の差なのか。両者の違いを象徴する台詞を引用しよう。

ミラー「おれに友人はいない。仕事をした相手が何人もいるだけだ」

ホールデン「勝ちたいんだ、ナオミ。自分の行動でなにかを変えたい。運命だか業だか神だかしらないが、この泥沼の状況のなかで、自分の行動でなにかを変えたい」

 などの要素と共に、長い物語を導くのが、地球・火星・外惑星の一触即発の政治・軍事状況と、肝心の事件の真相。地球+火星を内惑星連合と言っちゃう「この世界」の感覚もいいが、それ以上に、強力な政治・軍事・経済力を持つ惑星上の社会と、危険な世界を切り開くパイオニアでありながら植民地支配に甘んじるベルターたち、こういう対比は、西部開拓の歴史を持つアメリカ人にウケるんだろうなあ。

 …じゃなくて。ジュリーちゃんが登場する冒頭から示唆される、グロテスクで大掛かりな事件の真相。これを追ってミラーとホールデンが小惑星帯を駆け巡る話なんだけど、その過程で明かされる事実の断片、そしてその断片がもたらす世界の激変が、これまたなかなかの読みどころ。800頁を越える長編でありながら、次から次へと目まぐるしく事態は変転し、ホールデンとミラーは天国と地獄を行き来する。

 アクション場面も豊富で、銃撃戦も沢山あるが、やっぱり興奮するのは軍艦同士の砲撃戦。現在の海軍はイージス艦を中心に緊密なデータ・ネットワークを構築し、艦隊として真価を発揮する思想だけど、宇宙空間じゃそうはいかない。なんたって、距離が違う。リアルタイムの通信は無茶なのだ。ってんで、この作品じゃ単艦同士の戦闘が中心となる。

 今は航空機ばかりでなく軍艦だってステルスの時代、位置を把握できるかどうかが戦闘に重要な影響をもたらす。どうやって敵艦を見つけるか、民間船と軍艦をどう見分けるか、そしてどうやって隠れるか。攻撃方法もいろいろで、距離と相対速度と敵の加速能力で適切な攻撃方法も変わってくる。

 距離と通信に話を戻すと、ミラーが捜査でデータを問い合わせる場面は、この時代の通信事情をしみじみ感じる所。なんたって、通信は光速を超えられない。太陽から小惑星帯まで、光でも20分ぐらいかかる。軌道によっては太陽を挟んで反対側にあったりするんで、片道だけで40分かかったりする。気楽に「おはよう」メールを打てる環境じゃないわけです。そこで、通信ネットワークはどうなるか、というと…

 身体感覚に溢れた宇宙の描写、圧倒的な距離を感じさせる通信事情と宇宙船のチェイス、距離を超えて作用する人間社会の権力機構、ひとつ解けるたびに大掛かりになってゆく謎。新世代のスペースオペラに相応しい描写と、長編ならではの大掛かりなエンディング。気持ちいいストレートで王道の宇宙SFが登場した。

 なお、この世界を支える重要な要素である、強力な推進力を持つエプスタイン・エンジンにまつわる物語「エンジン」は、SFマガジン2013年5月号に掲載されてます。

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