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2013年8月16日 (金)

カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫訳

「思うんだがね、あんたたちはそろそろ、すてきな新しい嘘をたくさんこしらえなきゃいけないんじゃないか。でないと、みんな生きていくのがいやんなっちまうぜ」

【どんな本?】

 独特の乾いたユーモアでSF内外に人気を誇るアメリカの作家カート・ヴォネガット(・ジュニア)の代表作の一つで、自伝的要素の強い長編。連合軍の兵士として第二次世界大戦の西部戦線で従軍中に、ドイツ軍に囚われ捕虜となりドレスデンの捕虜収容所に収容された際に体験したドレスデン無差別爆撃(→Wikipedia)を中心に、周囲の人々が綾なす皮肉な運命を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Slaughterhouse-Five, by Kurt Vonnegut. Jr. , 1969。日本語版はまず1973年早川書房より単行本「屠殺場5号」として出版、1978年12月31日にハヤカワ文庫SFとして文庫化。文庫本縦一段組みで本文約245頁+訳者あとがき13頁。8ポイント43字×18行×245頁=約189,630字、400字詰め原稿用紙で約475頁。長編小説としては標準的な分量。

 翻訳物だが、文章は抜群の読みやすさ。これは原著者と訳者のコンビネーションによるもので、著者の文章が持つ飄々としたリズムを、訳者が見事に日本語で再現している。いや原文は読んでないんだけど。

 内容的にも、SFとはいえ特に難しい理屈は出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。星新一とかドラえもんとか、そういう系統だと思って結構。「宇宙人トラルファマドール星人に誘拐され時間を行き来する」という仕掛けを許容できるなら、楽しめるだろう。

【どんな話?】

 ドレスデン爆撃の時、わたしはそこにいた。今は作家となって、そこそこ成功を収めている。わたしは時おり、深夜に昔の友だちに電話を掛ける癖がある。今夜の被害者はバーナード・B・オヘア、第二次世界大戦に従軍した時の戦友だ。二週間後、わたしはオヘアを訪問した。奥方のメアリはご機嫌うるわしくない。どうやら、わたしは歓迎されていないらしい。

【感想は?】

 上で「物語の出だし」をまとめてみたが、えらい苦労した。何せこの小説、時系列や舞台がポンポン飛びまくり、細切れにしてシャッフルされた形で語られる。

 じゃ話の筋が掴みにくいかというと、これが不思議な事にさにあらず。短編小説というよりコラムが並んでいるかのように、それぞれの文章は独立して完結したかのように読める。星新一と同じ、短編型の作家なんだろう。

 お話は。著者の分身ビリー・ピルグリムを中心に進む。時は第二次世界大戦。従軍牧師助手として従軍したビリーは、ルクセンブルグの原隊に向かう途中、ドイツ軍の猛反撃「バルジの戦い(→Wikipedia)」に遭遇し、ドイツ軍に捕らえられる。ドレスデンの捕虜収容所「屠殺場5号」に収容されたビリーは…

 …などと、あらすじを書くと、この作品の味わいが全く伝わらないから困る。多分これが本筋なんだろうけど、話はアチコチに道草してはプッツリ切れたり、全く関係なさそうな所につながったりする。話の筋を追いたい人はイラつくだろうけど、実は道草こそがヴォネガットの味。そもそも、お話の出だしが「執筆当事のヴォネガット」で、主人公のビリーじゃない。つまりは道草から始まっている物語なのだ。

 最初の道草から、一見テーマに関係なさそうな、でもこじつければどうにでも解釈できる魅力的な挿話が詰まっている。

 夜中に電話を掛けるエピソードは、エイブラム・カーディナーの「戦争ストレスと神経症」やジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」に出てくるPTSDの症状そのもの。シカゴ・シティ・ニューズ・ビューローの警察担当記者をやってた頃のエレベーターの事故の取材の話も、マスコミの実態を巧く表している。そして、ドレスデン爆撃を取材した際の合衆国空軍の対応と、子供十字軍(→Wikipedia)のトリビア。

 そんな数々の挿話の多くは事実を元にしたものだが、これにヴォネガットの想像力が加わると、一段と狂気が冴える。そう、かの無名なSF作家キルゴア・トラウトの傑作掌編の数々だ。ところが、一筋縄じゃいかないのがヴォネガット。トラウトの大ファンであるエリオット・ローズウォーター氏による、トラウトの作品を評する言葉が、見事に当事のアメリカSFの足元を掬ってるから痛い。ああ、もちろん、ハワード・W・キャンベル・ジュニアも出演してます。

 ってな挿話の魅力を、更に引き立たせているのが、訳文。なんといっても文章にリズムがあるのがいい。随所に挿入される「そういうものだ」は当然として、ややチューニングの狂ったホンキイ・トンクっぽい、テンポはいいけど妙に力が抜ける「外した」感じがいい。

彼女はグリュックに、軍隊にはいるにはすこし若すぎはしないかとたずねた。そのとおりだとグリュックは認めた。
彼女はダービーに、軍隊にはいるには年をとりすぎていはしないかとたずねた。そのとおりだとダービーはいった。

 第二次世界大戦も大詰め、徴兵で適切な年齢の若者は根こそぎ引っこ抜かれてたわけです。ところが、連合軍はこれでも余裕がある方で、ドイツはもっと酷く、ソビエトに至っては分かっているだけで戦死者800万人、民間人も含めると2700万人以上(キャサリン・メリデール「イワンの戦争」より)。

 一応は戦争物だけど、声高に「戦争反対」と叫ぶ作品ではない。ヴォネガット一流の飄々とした文章で、戦争という異常事態に巻き込まれた様々な人々の運命を、諦めに似た醒めた感覚で描く。絶望に満ちているようだが、トラルファマドール星人の不思議な世界観は、絶望の向うにある何かを垣間見せてくれる。

 小難しい理屈は出てこないし、それぞれの道草は短編としても楽しめる。星新一の掌編やアシモフのエッセイが好きな人なら、きっと気に入るだろう。

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