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2013年8月 8日 (木)

テオドル・ベスター「築地」木楽舎 和波雅子・福岡伸一訳

グローバルな料理に相対してみれば、米や魚、味噌汁は「日本の」味だと言って差し支えない。しかし、東京と大阪――あるいは、九州と東北――の出身者が角突き合わせれば、汎日本的な料理の結束は脆くも崩れ、地方間の激しい派閥争いが始まる。
  ――第四章 生ものと火を通したものと

【どんな本?】

 世界最大の卸売市場であり、最近は観光スポットとしても脚光を浴び、現在は移転が大きな政治問題となっている築地こと東京都中央卸売市場築地市場。

 日本研究と人類学でハーバード大学の教授を務める著者が、築地の、特に水産物市場に焦点をあて、その成立の歴史と経緯,官・民・買い手など市場を形成する人々の役割・関係・内部構成,世界の情勢や消費者の動向が市場に与える影響,せりなど独特の商習慣とルール,取引される水産物の流れ,築地のライバルや上流・下流を構成する業界との関係など、システムから個人まで多角的な視点で取材・分析し、築地の全貌を明らかにすると共に、西欧文化から見た日本の文化・歴史・社会の特異性を明らかにしてゆく。

 アメリカ人類学協会経済人類学部門2006年最優秀賞およびアメリカ人類学協会東アジア部門2005年特別文献賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TSUKIJI The Fish Market at the Center of the World, by Theodore Bestor, 2004。日本語版は2007年1月26日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約529頁+訳者あとがき4頁。10ポイント42字×17行×529頁=約377,706字、400字詰め原稿用紙で約945枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 文化人類学者の書いた学術書なだけに、レヴィ・ストロースを引用したりと少々堅い部分もある。「面倒くさいな」と思ったら、そういう哲学的な思索の部分は読み飛ばして構わない。

【構成は?】

 献辞/訳者注記/まえがき/謝辞/用語、年代表記、統計データ、通貨に関する補足
第一章 東京の台所
第二章 掘られた溝
第三章 埋立地が築地市場に変わるまで
第四章 生ものと火を通したものと
第五章 見える手
第六章 家族企業
第七章 取引の舞台
第八章 丸
 付録1 築地を訪ねる
 付録2 ビデオ、ウェブサイト、統計データ出典
 注/参考文献/Bibliography/訳者あとがき

 「まえがき」で本書の概要を説明し、読者の関心によって「どこから読むべきか」を案内している。「付録1」は築地の観光案内。

【感想は?】

 学術書ではあるけれど、テーマの興味深さに加え、著者の体当たり的な取材が功を奏して、磯の香りとせり人のしわがれたダミ声が漂ってきそうな、ライブ感溢れる楽しい本となった。

 導入部が巧い。75年、日本留学中で新婚の著者は、おっかなびっくり深川のすし屋に入る。幸いおやじさんのワタナベさんに気に入られたらしく、常連となった著者は、ワタナベさんに連れられ築地に足を踏み入れる。その喧騒と混沌に魅せられた著者は、以後何度も築地に足を運び、日本の文化・経済システム・商習慣などに踏み込んでゆく。

 そこで、先のワタナベさんなど仕入れに訪れる人・場内市場に店を構える仲卸業者・せりにかける卸業者・仲卸業者の協同組合である東卸・監督的立場にある東京都・大手の購入者であるホテルやスーパーなどに対し、膨大なインタビューを行い、「現場の人」の生々しい声を聞き、伝える。

 同時に、キチンと資料も漁り、俯瞰的な視点も忘れていない。そこでは、徳川家康の江戸入りにまで遡り、日本の商業と流通の歴史的な経緯を語ってゆく。

 ここで興味深いのが、18世紀初頭に大阪に(おそらく世界初の)米の先物取引市場が成立していること。藩や幕府の指導ではなく、商人が自主的に作ったのだ。

 司馬遼太郎の「」や服部正也の「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んだ時に思ったんだが、明治維新が比較的スムーズにいった原因の一つは、資本主義の根幹である商業・流通システムが既に成熟していたためじゃないかしらん。

 制度的に見ると、卸売り市場の元は日本橋魚河岸。大消費地であり水運が発達した江戸じゃ、魚河岸を川沿いに置くのが適切だった。この頃から、江戸の問屋は生産地の漁村と関係を深めている。網本が必要とする設備や道具の費用を肩代わりし、見返りに水揚げを独占する。当時から仲買人はいて、問屋から仕入れた品を街頭のまないた一枚~2枚程度のスペースで売っていた。これが「18世紀初頭までにしっかりと確立していた」というから凄い。

 維新で市場の移転問題が持ち上がる(1889年)が、大いに揉める。そこに悲劇が襲う。1923年の関東大震災だ。ゴタゴタはあったものの、1935年5月に築地に移転。この頃は貨車が搬入の主力だった模様。やがて1960年ごろからトラックによる搬入が増え、今は大半がトラック。

 冷凍マグロでわかるように、築地で扱う商品の多くは輸入品だ。2001年の統計だが、面白い事に最も多い輸入元は中国で、金額2821億円・重さ6億8250kg。次いでアメリカの1750億円・4億2120kg、タイの1302億円・2億4090kgと続く。政治的には対立してても、経済的には日本と中国は相思相愛だったりする。

 もちろん、ガイジンの書いた日本論としての面白さもある。冒頭の引用は、ユーモア交じりに日本人の食へのこだわりと食文化の豊かさを論じた所。確かにテレビの旅行番組じゃ国内だろうと海外だろうと必ずご当地の名物を紹介するし、食べ歩きをテーマにした雑誌もあれば、料理を扱う漫画も多い。アメリカのロブスター生産業者が日本への輸出を諦めるエピソードが楽しい。披露宴に呼ばれた時、隣の人よりあなたに出された伊勢海老が小さかったら、どう思います?ガイジンならではの目が光るのが、次のくだり。

西洋料理の場合、材料は缶詰でも生鮮食品でも構わないという品が多いが、「伝統的」日本料理(すなわち《和食》)の標準的な品で、缶詰を使って作られるものはまずないのである。

 なんか缶詰って、ワンランク下って印象があるんだよね。いやシーチキンのマヨネーズあえは大好きですが。細かくちぎったレタスを加えてスパゲティ・サラダにしたり…って、腹が減るからこの辺でやめよう。
 その缶詰を売ってるスーパーや伊勢海老を出すホテル、これらと築地の関係が、これまた微妙で複雑。大手のスーパーなどは築地を通さず産地の卸売り市場から買い付けるルートを開拓してて、築地もこれに対抗するため大手向けサービス「先取り」を提供した。これが、従来の仲卸業者との妥協の産物で。

 スーパーは下ごしらえや包装の手間があるので、なるたけ早く買いたいが、仲卸は勝手に仕組みを変えられちゃ困る。そこで、大手は先に仕入れる品を指定する。ただし価格は他の業者の入札で決まる。

 観光地としての築地の見所を三つあげるなら、独特のしわがれ声が飛び交うせり場と、ゴチャゴチャした仲卸が密集する場内市場、そして下町の雰囲気を色濃く残す場外市場だろう。せり場と仲卸に(仕事として)入れるのは都の免許を持つ者のみで、この辺が他国からは非関税障壁と見える部分。

 とまれ、例えばせり人は毎日順番で担当できる時間が変わる。もっと驚いたのが、混沌とした仲卸が集まる場内市場。なんと、場所はくじ引きで決まるとか。まあ、「せり場に近い外側の端は鮮魚、市場正面に近い内側の端は干物や加工品、真ん中のブロックは冷凍魚」と、ある程度の枠はあるんだけど、枠内は多様な商品が混じりあう。

 長引く不況にも関わらず若者が集まらず外国人が増えつつある市場の労働者,<浦安>に代表される仲卸業者内の派閥、産地卸・中央卸・消費地卸などの流通システムなど現代の築地を取り巻く生々しい状況から、男社会に見えて実は奥様が大蔵大臣な家族経営システム,食べ物を粗末にする事を嫌う道徳観,「系列」が支配する大企業などの日本の文化の分析、そして「国際サミットかあると築地はヒマになる」などのおトクな情報に加え、築地の観光案内まで掲載した、学術的だけど親しみの持てる、多角的で複雑で楽しい、まさしく仲卸が並ぶ場内市場のような本だった。

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