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2013年8月19日 (月)

鈴木孝「エンジンのロマン 技術への限りない憧憬と挑戦」三樹書房

…点火後、点火系に残る残存エネルギーが水素エンジンがガソリンエンジンに比し大きく、これが次サイクルまで残り、爆発後の吸気サイクル中のシリンダー内圧力が減って混合気の要求電圧値が減っても、その残存エネルギーによって放電し、バックファイヤーとなることを発見した。
  ――付録A40-2 予混合火花点火水素エンジン

【どんな本?】

 ホイヘンスの揚水装置,ニューコメンの蒸気機関とワットの改良、ルノワールの内燃機関,オットーの4サイクル・エンジンなどエンジンの揺籃期から、サルムソンの星型エンジンやダイムラー・ベンツDB601など航空機エンジン、そして近年復活したスターリング・エンジンなど時代を彩ったエンジンと、それにまつわるエピソードを紹介しながら、ディーゼル・エンジンの騒音対策やハイブリッド・エンジンの様々な方式,クランク軸の軸受け方式などエンジン設計・開発の技術や問題を具体例を引いて解説するとともに、水素エンジンやマイクロ・ガスタービンなど将来を嘱望されるエンジンの未来を占う。

 著者は1952年より日野自動車に入社、日野レンジャーなどのエンジンの設計主任を歴任し、1999年まで同社副社長として研究・設計・開発の指揮を執った。豊富な経験と広い人脈を駆使して名物エンジンの歴史と秘話を明らかにし、エンジン開発における問題点と解決法を示しながらエンジニアリングの哲学を語る、金屑とオイルの香りが漂うエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1980年に日野自動車が出版した「エンジンの心」。次に1988年プレジデント社より刊行。2002年、改訂して三樹書房から刊行。2012年7月30日、三樹書房から更に改訂新版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約490頁。9.5ポイント46字×18行×490頁=約405,720字、400字詰め原稿用紙で約1015枚。長編小説なら2冊分ぐらいだが、写真・グラフ・イラストを豊富に収録しているので、実際の文字量は3/4~2/3ぐらい。

 文章はこなれているが、内要はかなり高度。数式や化学式もよく出てくる。普通科高校卒業程度の理科じゃ、ちとキツい。必要な素養は熱力学・機械工学・材料工学の基礎で、最低限でも4サイクル・エンジン(→Wikipedia)の理屈ぐらいは分かってないと辛い。カーマニアや軍オタでエンジンに詳しい人なら、なんとか読みこなせると思う。どれぐらい濃ゆいかというと、この記事冒頭のサンプルをご覧いただきたい。

【構成は?】

 新版によせて/『エンジンの心』序文より
1 エンジンはなぜ生まれたか
2 胎動期の傑作、ニューコメンの蒸気機関(エンジン)
3 模型から生まれたワットの蒸気エンジン
4 内燃機関はいかにして生まれたか
 付録A4 圧縮比と熱効率
5 オットーの心
6 オットーエンジン完成の真相
7 ピストンとシリンダーの問題
 付録A7 エンジンの寿命を左右する病気
8 エンジンの寿命とシリンダー
9 もう一人の天才、サジ・カルノー
 付録A9 エンジンにおけるエクセルギーとアネルギー
10 カルノーの夢、断熱エンジン(Ⅰ)
 付録A10 理論サイクルにおける熱損失と排気エネルギーの回収
11 カルノーの夢、断熱エンジン(Ⅱ)
 付録A11-1 複合エンジン(コンパウンド・エンジンの元祖)
 付録A11-2 断熱エンジンの燃焼
 付録A11-3 断熱エンジンの研究の成果
12 排気エネルギー利用の先駆もオットー
 付録A12 オットーの二段膨張エンジン
13 冷却の問題(Ⅰ)
14 オイルクーラーの話
15 HMMS(Hino Micro Mixing System)の話
 付録A15-1 直接噴射式と副室式ディーゼルのNox
 付録A15-2 シリンダー内の空気の乱れとHMMS
 付録A15-3 HMMSの仮設
 付録A15-4 HMMSにおける乱れ発生のメカニズム
16 冷却の問題(Ⅱ)
 付録A16 コンテッサの冷却系
17 エンジンコンパートメントに託された運命
18 第三帝国を滅亡させたエンジンコンパートメント
19 国を救ったエンジンコンパートメント
20 双子の美人、四つ子、そしてその運命
21 ポルシェのものまね
22 ダイムラーをコピーしたロールスロイス
23 ノッキングの話
24 省エネと戦車デザイナー
25 国を救ったデッドコピー
26 T34戦車の謎
 付録A26 T34戦車用B2(またはV2)ディーゼルエンジン
27 星型エンジンのロマン(Ⅰ)
 付録A27-1 アイデア一杯、グノームエンジンのからくり
 付録A27-2 ガス電の航空エンジン神風・天風とその発展
28 星型エンジンのロマン(Ⅱ)
 付録A28 ABCエンジンのトラブル
29 墜ちた星の群像
30 主張を残した猿六村
 付録A30-1 エンジンの内部モーメント
 付録A30-2 カントン・ウネ・システム
 付録A30-3 ベンツ・フォーミュラエンジンとサルムソンエンジンの類似性
31 星は再びまたたくか?
32 パッカードの栄光と悲劇(Ⅰ)
33 パッカードの栄光と悲劇(Ⅱ)
 付録A33-1 パッカード・ディーゼルの燃焼について
 付録A33-2 パッカード・ディーゼルのシリンダーの止め方
34 パッカードの栄光と悲劇(Ⅲ)
 付録A34 シリンダーライナーのキャビテーション・ピッチング
35 ボイジャーと航空研
 付録A35 航空研もリーンバーン(希薄燃焼)
36 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅰ)
 付録A36 ディナ・パナールのエンジン
37 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅱ)
 付録A37 日野EA100エンジン
38 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅲ)
 付録A38-1 アルファ・ロメオP2のエンジン
 付録A38-2 DB601エンジン
 付録A38-3 DB601エンジンのクランク軸ベアリングのトラブル解析補足
39 これからのエンジンは?(Ⅰ)
 付録A39-1 ディーゼルエンジンの燃焼および後処理の進化
 付録A39-2 触媒エンジン
40 これからのエンジンは?(Ⅱ)
 付録A40-1 ハイブリッド商用車とパラレル方式
 付録A40-2 予混合火花点火水素エンジン
41 これからのエンジンは?(Ⅲ)
 付録A41-1 トラックの騒音
 付録A41-2 トヨタ・日野共同開発のガスタービン
 付録A41-3 ガスタービンとディーゼルエンジンの燃費
 付録A41-4 液体水素エンジン
42 未来に向けて
 文献

【感想は?】

 つくづく、エンジンってのは、工学の粋を集めたものなんだなあ。

 冒頭は基礎編で、エンジンの歴史を辿りながら、その原理や根本的な問題点などを提示してゆく。いきなり「あ、なるほど!」と思ったのが、「慣らし」が必要な理由。

 新車を買った時、「最初は1000kmぐらい走ったらオイル交換した方がいいよ、次のオイル交換はマニュアルどおりで充分だけど」と言う人がいる。この理由が分かった。

 なんと、シリンダーにはわざと凸凹をつけてあるのだ。そうすれば、凸凹の隙間にオイルが溜まるから。走ってるとピストン・リングが凸凹を平らにしてオイル消費量は減るが、焼きつきの危険が大きくなる。シリンダー表面の凸凹が、オイル消費量とエンジン寿命またはオーバーヒートへのタフさを左右する。なんと細かい技術が重要な意味を持つことか。

 やはり細かい技術の違いの大きな影響を感じるのが、軸受けの話。第二次世界大戦でドイツの空を守ったMe209に搭載されたベンツのDB601エンジンを、日本がコピーする話。クランク軸の軸受け、オリジナルはころがり軸受けなのが、日本じゃプレーンベアリング。その理由はクランク軸の表面硬度不足。

 高空じゃ潤滑油の泡立ちで潤滑油切れの懸念がある。ころがり軸受けは潤滑油が切れても焼きつきにくい。また起動トルクが小さくで始動が楽なのも、急な発進が多い戦闘機じゃありがたい。けどベアリングやクランク軸の精度が大事で、これが狂うと、接触してる所が剥がれてガタガタになる。

 鉄にもいろいろあるのは知ってたが、一つの部品でも場所によって硬度が違うってのは知らなかった。ドイツ製クランク軸は、表面3mmあたりまでは「焼き」が入り硬くて磨耗しにくく、それより中はしなやかで折れにくい。日本じゃ1mmが限界。また精度も違い、欧州製は0.003mm以下なのに対し日本は0.015mm。この差で、日本じゃころがり軸受けが使えなかった。

 ってな、材料の品質や加工精度も、エンジン開発には大きな影響を持ってくるわけで、エンジニアってのは、熱力学や機械工学などの基礎もさることながら、現実に手に入る素材や部品の精度にまで通じてなきゃいけない。凄まじい知識量・情報量を要求される世界なんだなあ。

 この辺でもうひとつ、長年の疑問が解けた。当事の単発戦闘機って、鼻面の形が大きく分けて二つある。一つはMe209みたく長く細いもの、もう一つは零戦みたく短く太いもの。私は後者が好きなんだけど、その違いがやっとわかった。にしても、零戦の排気管の設計に隠されたいじましさには涙が出る。結局は、総合的な工業力なんだなあ。

 解は簡単で、前者は水冷エンジン、後者は星型空冷エンジン。エンジンが星型だから太くて短い鼻面になる。軍オタを気取りながら、この程度も知らなかったとは恥ずかしい。この星型エンジン(→Wikipedia)の発想も、なかなか感激する。

 その星型エンジンも、大型化すると凄まじいシロモノになる。ライカミング7755-3液冷星型なんて9シリンダー×4列=36シリンダーの写真は大迫力で、大きさもさることながら、これ見た時に思ったのは「整備にどれぐらい時間かかるんだろ?」。いや可動部や部品の数がハンパじゃないし。

 日野自動車に勤めた著者だけあって、ディーゼル・エンジンの話題も豊富。光化学スモッグなどで排気ガス規制が強くなってるけど、これがディーゼル・エンジンに与えた影響も大きい。一般にエンジンは高圧・高温で動かすほど効率がいいけど、高温だとNox(窒素酸化物、→Wikipedia)が大量に出て、酸性雨の原因になる。これ減らす鍵が点火のタイミングってのも意外。やはりディーゼルでは、ノッキングの原因究明の話や、燃料を巧く空気混ぜる工夫の数々も、なかなか興味深いところ。

 他にもDOHCやターボがなぜ嬉しいか、ハイブリッド・エンジンにはどんな種類があるか、前輪駆動の元祖、彩雲の「吾に追いつく敵機なし」の爽快な電文、ソ連のT34誕生の裏話、ココムで問題になったキャビテーション・ノイズの正体、ダイムラー・ベンツとロールスロイスの宿命の対決など、読み所は一杯。またSF者としては、かつて高斎正がやたら拘ってたガスタービン・エンジンの将来性を展望してくれたのが嬉しい。ハイブリッドが当たり前の時代になれば復活があるかも。でもやっぱり、エネルギー密度が問題なんだよなあ。

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