アルバート=ラズロ・バラバシ「バースト! 人間行動を支配するパターン」NHK出版 青木薫監訳 塩原通緒訳
流行病による死者数や、世帯内の腸チフスの事例数を説明するのにも、やはりポアソンの式が使われる。その過程で科学者は、人間行動の科学をつねに後押ししている基本的なパラダイムを暗黙のうちに認めてきた。すなわち事実上、人間の行動はランダムなのだ。予測不可能で、気まぐれで、確定不可能で、予見不可能で、不規則なのである。
しかし、ひとつだけ問題がある。この仮定はそもそも誤っているのだ。
【どんな本?】
2002年6月19日。デトロイトの空港で、メディア・インスタレーション・アーティストのハサン・エラヒは入国管理の係員に引き止められる。911の後でもあり、褐色の膚でムスリムっぽい名前、おまけに常に世界中を飛び回っているハサンは、明らかに「あやしい」人物だったのだ。執拗な尋問の末に身の証をたてたハサンだが、今後も仕事で世界を飛び回る。その度に取調べを受けてはたまらない。そこでハサンが手に入れた対応策は…
1513年3月10日、ローマ。教皇が没して五日後、コンクラーヴェに赴くバコーツ枢機卿には勝算があった。主な候補はイタリアのリアーリオ枢機卿、ヴェネツィアのグリマルディ枢機卿、そしてハンガリーのバコーツ枢機卿。後ろ盾もあるし、根回しは充分。そして開票結果は…
世界中を飛び回るハサン・エラヒ、ドル札の行方を追う WheresGeoge.com、アインシュタインが手紙を書く頻度、アホウドリの飛行パターン、人が病院に通う周期、たった1ヵ月半で会社の売り上げを増やす方法、インドで車を運転するのに必須なもの、そして16世紀のハンガリーを震撼させた大乱。
膨大なデータの中から人間の行動に潜むパターンを模索する科学研究を軸に、その研究に関わった人々の数多くのトリビアを散りばめつつ、今世紀ならではの科学の最前線を楽しく紹介する科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は BURSTS! The Hidden Pattern Behind Everything We Do, by Albert-La'szlo' Baraba'si, 2010。日本語版は2012年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約389頁。9ポイント42字×19行×389頁=約310,422字、400字詰め原稿用紙で約777枚。長編小説ならちと長め。
文章はこなれていて読みやすい。内容も、実はメンドクサイ確率と統計を基礎にした話ながら、数式はほとんど出てこない。中学生でも充分に読みこなせるだろう。
【構成は?】
第1章 業界一のボディガード
第2章 新教皇誕生
第3章 ランダム運動の謎
第4章 ベオグラードの決闘
第5章 未来はまだ検索できない
第6章 おぞましい予言
第7章 予測なのか予言なのか
第8章 十字軍結成
第9章 罪と罰――人間行動がランダムなら
第10章 不測の大虐殺
第11章 死にいたる争いとベキ法則
第12章 ナジラクの戦い
第13章 バーストはなぜ起こるのか
第14章 十字架の奇跡
第15章 本で水泳を学んだ男
第16章 好奇心につき動かされて
第17章 アホウドリを追いかけて
第18章 ジェルジュと私
第19章 人間の移動パターン
第20章 革命の到来
第21章 予測どおりに予測不可能
第22章 トランシルヴァニアの心理戦
第23章 ライフリニアとプライバシー
第24章 セーケイ人 vs セーケイ人
第25章 病気より優先されるもの
第26章 最後の戦い
第27章 第三の耳を持つ男
第28章 血と肉
謝辞/挿絵について/監訳者あとがき/原注
【感想は?】
本題は、まさしく今世紀ならではの科学で、とてもエキサイティング。それ以上に、大量に挿入してある、一見関係なさそうなエピソードが面白すぎて困る。ベースは大量のデータから見つかった人間の行動パターンを扱う本なんだが、例えば著者がインドで出遭ったタクシーの運転手の言葉。インドの道路事情、一言で言えば混沌。それをスリ抜けるベテラン運転手曰く。
「インドでは、自動車のブレーキが壊れても大丈夫です。それでも運転はできます」
「クラクションが壊れたら、運転してはいけません。とてもとても危険です」
インドに限らず、渋滞に悩む発展途上国の交通事情を知る人なら、思わずニヤリとするだろう。
やはり一見関係なさそうだが、ニワカ軍オタとして注目しちゃうのがルイス・フライ・リチャードソン(→Wikipedia)。1820年~1949年の戦争のデータを基に、戦争の法則を見つけようと「死にいたる争いについての統計」を著す。
「経済力に大きな差のある国同士のほうが交戦する可能性が大きい」「共通の言語を持つ集団同士のほうが争いになりにくい」「軍拡競争はいずれ交戦が起こることの前触れである」「共通の敵がいる陣営同士は戦争になりにくい」
(略)そして最終的に、彼はすべての疑問に否と答えた。
統計的に戦争の原因を探るのは、難しい模様。この本、まだ面白い事があって。
ほとんどの国において、戦争での死者数は自殺による死者数よりも少なく、事故による死者数と比べるとさらに少なかった。
あまり人気のないブログを長くやってる人は気がつくと思うが、ある日突然にアクセスが増え、数時間~数日で急激にピークが過ぎることが、稀にある。その記事で扱っているネタがTVで取り上げられた時だ。昔書評を書いた本が単発のドラマになると、その日だけ突出してアクセスが増え、すぐに終息する。昨日の記事のネタはこれです。
実はこのパターン、ラザフォード(→Wikipedia)が予測したウラン原子の崩壊パターンに似てて、単位時間ごとに半減するのだ。まあアクセスの方は時刻の変動もあって、例えば午前四時ごろはアクセスが少ない。皆さん寝てるから。とまれ、ヒトの集団が原子の自然崩壊と似たパターンを持つってのも、面白い話。
ところが、緻密に計算していくと、実は違ってるのがわかる。アクセスの半減期は、原子のモデルを基に計算した値より、遥かに大きいのだ。その違いが、この本のテーマ。何が違いをもたらすのか。
現在、コンピュータが我々の生活の中に深く浸透している。「パソコンなんか持ってない」と言う人もいるだろうが、携帯電話は持っているだろう。あれは文句なしにコンピュータだ。そして、大抵はGPSを内蔵している。つまり、あなたがいつ・どこにいるか、その気になれば大量のデータが集まるのだ。グレジット・カードやSUICAも合わせれば、更に精度が上がる。データが集まると、科学者はこう考える。「このデータから、何か意味のあるパターンが見つかるんじゃないか?」
そして、実際に見つかっている。例えば、WheresGeoge.com。有志が自分の持つお札にスタンプを押す。お釣りなどでスタンプがあるお札を受け取ったら、その通し番号と見つけた場所をサイトに登録する。すると、そのお札がどんな経路で動くかが分かる。有志の数は限られているから、お札は見えたり消えたりだ。一旦消えたお札が、数ヵ月後に再発見されたりする。
大抵のお札は、狭い地域をグルグル回る。ところが、東部で消えたお札が中西部で再発見され、同じ所をウロついた後に姿を消し、南部で再発見されたりする。狭い範囲の巡回と、突然のジャンプ組み合わさった動きをするのだ。これはレヴィ飛行と呼ばれる動物の移動パターンに似ている。停滞とジャンプ。何がソレをもたらすのか。ソレはヒトの行動を予測可能にするのか。コンピュータが組み合わさった時、我々のプライバシーはどうなるのか。
webでは、既にクッキーなどで我々の行動はある程度トレースされている。Google の Adsence や Amazon の「こんな商品も買っています」は、あなたの行動がある程度予測されている事を示している。
終盤では、伊藤計劃の「ハーモニー」を髣髴とさせる人が出てきたり、SF者としてゾクゾクする展開となった。遺伝子の活動のパターン、ボストン・レッドソックスの成績と通院者数の関係、旧ソ連での学会発表の模様と反骨学者の意地など、面白いエピソードをあげていくとキリがない。とっつきやすくて面白い科学解説書を探しているなら、文句なしにお薦め。
以下、余談。
ソフトウェア開発の世界も、実は科学と似てて、一つのブレイクスルーが起きると、暫くはその周辺が騒がしくなり、一旦静まって、また突然にドカンと進歩したりするんだよね。多分コれ、開発環境の変化じゃないかと思う。最初のドカンの種は、Fortran の開発。これで理数系の研究者の間でコンピュータが身近なものになった。次いでc言語。これが沢山の計算機科学者を育てた。c言語の怖い所は、ソレがlexとyaccを産んだこと。これがインタプリタの開発を促進し、やがてperlやPHPやRubyを産みだす。WWWの普及と相まって高まる需要と開発効率は、Railsなどのフレームワークを復権させ、SNSなどの新サービスの市場を開拓し、Ajaxという盟友と組んで復帰したJavaScriptと共に暴れまわる。今しばらくはスマートフォンに開発リソースを喰われてるけど、それは同時に雇用市場を活性化させてる。これが次のドカンの種になりそうな気がする。今度は何がバーストするんだろう。いい時代だ。
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