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2013年8月の18件の記事

2013年8月31日 (土)

Windows7でフリーセルやマインスイーパーをアンインストールする

 Windows7 付属のフリーセルにハマった。気がつけば凄まじい時間を浪費している。具体的には…いや、とても公共の場じゃ言えません、はい。勘弁して下さい。

 このままじゃヒトとしてアレなので、強引に削除することにした。ところが、普通に「プログラムのアンインストール」じゃ出来なかったりする。検索すると「教えて!goo」に「ゲームをアンインストールしたいのですが」に WindowsXP での方法があった。似たような方法で Windows7 でも出来たので、スクリーン・ショットを含めまとめておく。実際には削除ではなく使えなくなるだけだが、とりあえず目的は果たせているんで、ま、いっか。

【概要】

大まかな手順は以下4段階。ここではフリーセルを使えなくする。所要時間は環境にもよるけど、10分ぐらいは覚悟しましょう。

  1. 「スタート」メニューから、「コントロールパネル」を選ぶ。
  2. 「プログラム」の「プログラムのアンインストール」を選ぶ。
  3. 「Windowsの機能の有効化または無効化」を選ぶ。
  4. 「ゲーム」の「フリーセル」のチェックを外してOKボタンを押す。

 フリーセル以外のソリティアやハーツやマインスイーパーも使えなくするなら、上の 4. でソリティアやハーツやマインスイーパーのチェックも外そう。

【詳細】

赤い楕円は私が書き足したモノなので、無視して下さい。画像をクリックすると、原寸大で表示します。

  1. 「スタート」メニューから、「コントロールパネル」を選ぶ。
    A01
  2. 「コンロトールパネル」のウインドウが出る。
    「プログラム」の「プログラムのアンインストール」を選ぶ。
    A02
  3. 「プログラムのアンインストールまたは変更」の画面が出る。
    「Windowsの機能の有効化または無効化」を選ぶ。
    A03
  4. 「Windowsの機能の有効化または無効化」のウインドウが出る。「お待ちください...」と出るので、2~3分待つ。
    A04
  5. 「Windowsの機能の有効化または無効化」で一覧が出る。
    A04_1
  6. 下にスクロールすると、「ゲーム」の項目がある。
    「ゲーム」の左の+をクリックする。
    A05
  7. 「ゲーム」の一覧が出る。「ソリティア」や「ハーツ」と並び、「フリーセル」が見つかるだろう。
    A06
  8. 「フリーセル」の左のチェックを外す。「ソリティア」や「ハーツ」も使えなくするなら、「ソリティア」や「ハーツ」の左のチェックも外す。
    A07
  9. 「OK」ボタンを押す。
    A07_1
  10. 「しばらくお待ちください」とのダイアログが出る。5~6分、待とう。
    A08
  11. 「プログラムのアンインストールまたは変更」の画面に戻る。右上の × を押してウインドウを閉じれば、終わりだ。
    A09

試しに「スタート」メニューを開くと、めでたくフリーセルは消えた。
A10

ついでに「ゲーム」の一覧も見てみよう。
A20

「フリーセル」が消えてる。よかったね。
A21

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2013年8月30日 (金)

アルバート=ラズロ・バラバシ「バースト! 人間行動を支配するパターン」NHK出版 青木薫監訳 塩原通緒訳

流行病による死者数や、世帯内の腸チフスの事例数を説明するのにも、やはりポアソンの式が使われる。その過程で科学者は、人間行動の科学をつねに後押ししている基本的なパラダイムを暗黙のうちに認めてきた。すなわち事実上、人間の行動はランダムなのだ。予測不可能で、気まぐれで、確定不可能で、予見不可能で、不規則なのである。

 しかし、ひとつだけ問題がある。この仮定はそもそも誤っているのだ。

【どんな本?】

 2002年6月19日。デトロイトの空港で、メディア・インスタレーション・アーティストのハサン・エラヒは入国管理の係員に引き止められる。911の後でもあり、褐色の膚でムスリムっぽい名前、おまけに常に世界中を飛び回っているハサンは、明らかに「あやしい」人物だったのだ。執拗な尋問の末に身の証をたてたハサンだが、今後も仕事で世界を飛び回る。その度に取調べを受けてはたまらない。そこでハサンが手に入れた対応策は…

 1513年3月10日、ローマ。教皇が没して五日後、コンクラーヴェに赴くバコーツ枢機卿には勝算があった。主な候補はイタリアのリアーリオ枢機卿、ヴェネツィアのグリマルディ枢機卿、そしてハンガリーのバコーツ枢機卿。後ろ盾もあるし、根回しは充分。そして開票結果は…

 世界中を飛び回るハサン・エラヒ、ドル札の行方を追う WheresGeoge.com、アインシュタインが手紙を書く頻度、アホウドリの飛行パターン、人が病院に通う周期、たった1ヵ月半で会社の売り上げを増やす方法、インドで車を運転するのに必須なもの、そして16世紀のハンガリーを震撼させた大乱。

 膨大なデータの中から人間の行動に潜むパターンを模索する科学研究を軸に、その研究に関わった人々の数多くのトリビアを散りばめつつ、今世紀ならではの科学の最前線を楽しく紹介する科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BURSTS! The Hidden Pattern Behind Everything We Do, by Albert-La'szlo' Baraba'si, 2010。日本語版は2012年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約389頁。9ポイント42字×19行×389頁=約310,422字、400字詰め原稿用紙で約777枚。長編小説ならちと長め。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も、実はメンドクサイ確率と統計を基礎にした話ながら、数式はほとんど出てこない。中学生でも充分に読みこなせるだろう。

【構成は?】

第1章 業界一のボディガード
第2章 新教皇誕生
第3章 ランダム運動の謎
第4章 ベオグラードの決闘
第5章 未来はまだ検索できない
第6章 おぞましい予言
第7章 予測なのか予言なのか
第8章 十字軍結成
第9章 罪と罰――人間行動がランダムなら
第10章 不測の大虐殺
第11章 死にいたる争いとベキ法則
第12章 ナジラクの戦い
第13章 バーストはなぜ起こるのか
第14章 十字架の奇跡
第15章 本で水泳を学んだ男
第16章 好奇心につき動かされて
第17章 アホウドリを追いかけて
第18章 ジェルジュと私
第19章 人間の移動パターン
第20章 革命の到来
第21章 予測どおりに予測不可能
第22章 トランシルヴァニアの心理戦
第23章 ライフリニアとプライバシー
第24章 セーケイ人 vs セーケイ人
第25章 病気より優先されるもの
第26章 最後の戦い
第27章 第三の耳を持つ男
第28章 血と肉
 謝辞/挿絵について/監訳者あとがき/原注

【感想は?】

 本題は、まさしく今世紀ならではの科学で、とてもエキサイティング。それ以上に、大量に挿入してある、一見関係なさそうなエピソードが面白すぎて困る。ベースは大量のデータから見つかった人間の行動パターンを扱う本なんだが、例えば著者がインドで出遭ったタクシーの運転手の言葉。インドの道路事情、一言で言えば混沌。それをスリ抜けるベテラン運転手曰く。

「インドでは、自動車のブレーキが壊れても大丈夫です。それでも運転はできます」
「クラクションが壊れたら、運転してはいけません。とてもとても危険です」

 インドに限らず、渋滞に悩む発展途上国の交通事情を知る人なら、思わずニヤリとするだろう。
 やはり一見関係なさそうだが、ニワカ軍オタとして注目しちゃうのがルイス・フライ・リチャードソン(→Wikipedia)。1820年~1949年の戦争のデータを基に、戦争の法則を見つけようと「死にいたる争いについての統計」を著す。

「経済力に大きな差のある国同士のほうが交戦する可能性が大きい」「共通の言語を持つ集団同士のほうが争いになりにくい」「軍拡競争はいずれ交戦が起こることの前触れである」「共通の敵がいる陣営同士は戦争になりにくい」
(略)そして最終的に、彼はすべての疑問に否と答えた。

 統計的に戦争の原因を探るのは、難しい模様。この本、まだ面白い事があって。

ほとんどの国において、戦争での死者数は自殺による死者数よりも少なく、事故による死者数と比べるとさらに少なかった。

 あまり人気のないブログを長くやってる人は気がつくと思うが、ある日突然にアクセスが増え、数時間~数日で急激にピークが過ぎることが、稀にある。その記事で扱っているネタがTVで取り上げられた時だ。昔書評を書いた本が単発のドラマになると、その日だけ突出してアクセスが増え、すぐに終息する。昨日の記事のネタはこれです。

 実はこのパターン、ラザフォード(→Wikipedia)が予測したウラン原子の崩壊パターンに似てて、単位時間ごとに半減するのだ。まあアクセスの方は時刻の変動もあって、例えば午前四時ごろはアクセスが少ない。皆さん寝てるから。とまれ、ヒトの集団が原子の自然崩壊と似たパターンを持つってのも、面白い話。

 ところが、緻密に計算していくと、実は違ってるのがわかる。アクセスの半減期は、原子のモデルを基に計算した値より、遥かに大きいのだ。その違いが、この本のテーマ。何が違いをもたらすのか。

 現在、コンピュータが我々の生活の中に深く浸透している。「パソコンなんか持ってない」と言う人もいるだろうが、携帯電話は持っているだろう。あれは文句なしにコンピュータだ。そして、大抵はGPSを内蔵している。つまり、あなたがいつ・どこにいるか、その気になれば大量のデータが集まるのだ。グレジット・カードやSUICAも合わせれば、更に精度が上がる。データが集まると、科学者はこう考える。「このデータから、何か意味のあるパターンが見つかるんじゃないか?」

 そして、実際に見つかっている。例えば、WheresGeoge.com。有志が自分の持つお札にスタンプを押す。お釣りなどでスタンプがあるお札を受け取ったら、その通し番号と見つけた場所をサイトに登録する。すると、そのお札がどんな経路で動くかが分かる。有志の数は限られているから、お札は見えたり消えたりだ。一旦消えたお札が、数ヵ月後に再発見されたりする。

 大抵のお札は、狭い地域をグルグル回る。ところが、東部で消えたお札が中西部で再発見され、同じ所をウロついた後に姿を消し、南部で再発見されたりする。狭い範囲の巡回と、突然のジャンプ組み合わさった動きをするのだ。これはレヴィ飛行と呼ばれる動物の移動パターンに似ている。停滞とジャンプ。何がソレをもたらすのか。ソレはヒトの行動を予測可能にするのか。コンピュータが組み合わさった時、我々のプライバシーはどうなるのか。

 webでは、既にクッキーなどで我々の行動はある程度トレースされている。Google の Adsence や Amazon の「こんな商品も買っています」は、あなたの行動がある程度予測されている事を示している。

 終盤では、伊藤計劃の「ハーモニー」を髣髴とさせる人が出てきたり、SF者としてゾクゾクする展開となった。遺伝子の活動のパターン、ボストン・レッドソックスの成績と通院者数の関係、旧ソ連での学会発表の模様と反骨学者の意地など、面白いエピソードをあげていくとキリがない。とっつきやすくて面白い科学解説書を探しているなら、文句なしにお薦め。

 以下、余談。

 ソフトウェア開発の世界も、実は科学と似てて、一つのブレイクスルーが起きると、暫くはその周辺が騒がしくなり、一旦静まって、また突然にドカンと進歩したりするんだよね。多分コれ、開発環境の変化じゃないかと思う。最初のドカンの種は、Fortran の開発。これで理数系の研究者の間でコンピュータが身近なものになった。次いでc言語。これが沢山の計算機科学者を育てた。c言語の怖い所は、ソレがlexとyaccを産んだこと。これがインタプリタの開発を促進し、やがてperlやPHPやRubyを産みだす。WWWの普及と相まって高まる需要と開発効率は、Railsなどのフレームワークを復権させ、SNSなどの新サービスの市場を開拓し、Ajaxという盟友と組んで復帰したJavaScriptと共に暴れまわる。今しばらくはスマートフォンに開発リソースを喰われてるけど、それは同時に雇用市場を活性化させてる。これが次のドカンの種になりそうな気がする。今度は何がバーストするんだろう。いい時代だ。

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2013年8月29日 (木)

書評系ブログでアクセス増やす手を思いついたwww

仕込みに時間がかかりますが。

  1. 映画の制作情報をチェックして、制作が決まった映画をリスト・アップする
  2. 映画の原作本を書評に取り上げ、世間で話題になる前に記事をあげておく

昔書いた記事が、数週間だけやたらアクセスを稼ぐ事が何回かあった。調べてみたら、その本が映画になって話題になってた。雑誌で映画の記事が載ったり、TVとかで映画のCMが流れる頃~公開終了までは、その記事に毎日数件のアクセスがあるみたい。アクセス数は映画の話題性にもよります。

公開が終わるとパタッとアクセスがなくなるけど、DVDが発売になると、もう一度ボーナスが貰えます。映画がTVで放映されると、もう一度ボーナスが入るかもしれない。もっとも、TVの場合、アクセスの半減期がやたら速くて、2時間ぐらい。それでもやっぱり、映像メディアの影響力の大きさは痛感するんだよなあ。

そんなわけで、皆さん、オーソン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」を読みましょう。2014年1月公開予定です。

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2013年8月28日 (水)

SFマガジン2013年10月号

アクションをやるまえに、まずは体を鍛えることから始めたんだ。僕の役は知力体力とも優れているという設定であり、たったひとりで大量殺人兵器という存在でもあったから、身体はもっと大きくしたほうがいいだろうと思い、一日4千キロカロリーを摂取して、スーツのサイズを三段階アップさせるくらいに鍛えた。
――スタートレック イントゥ・ダークネス ジョン・ハリソン役ベネディクト・カンバーバッチ

280頁の標準サイズ。今月の特集は「SFコミック」。吉富昭仁「ニュートラルハーツ File1 電気少女の気持ち」・丸山薫「星の池」・宮崎夏次系「と、ある日の忘れもの」・鷲尾直広「永遠の創作物」、作家特集:西島大介に加え、SFコミック30選・21世紀SFコミックの現状・掲載作品解説。小説は森岡浩之「海嘯 星界の断章」のみ。

 最初は吉富昭仁「ニュートラルハーツ File1 電気少女の気持ち」16頁。女子中学生の輝美と涼子は、下校中にゴミ集積所で不法投棄された少女型のアンドロイドを拾う。幸い、輝美の姉がロボット企業に勤めているため、それを頼りに家に連れてゆくが…
 競争の激しい商業誌で厳しく鍛えられた人だなあ。読んでて、とてもスッキリと話が頭に入ってくる。擬音以外、文字はフキダシだけで、それも最大で三行、それ以外は全て絵で伝えている。絵はコントラストがクッキリしてて、特に女の子の髪がベタなのが特徴。ココマごとにテーマが明確で、それぞれのコマで「何に注目させたいか」「何を伝えたいか」が直感的にわかるよう徹底的にに工夫されてる。ああ、もちろん、私は大好きですよ、女の子同士のキャッキャウフフ。やっぱし表情豊かな女の子って、見てるだけで「にへら~」となっちゃう。File 1 ということなので、次回が楽しみ。

 丸山薫「星の池」8頁。草原にある池のほとりで釣りをする少年と少女、レフとリサー。釣り上げた魚を見ていたリサーは、不思議な事に気がつく。
 3頁目のバケツのアップ → ロングで描くレフとリサー → 見開き と動く展開の心地よさ。こういう風に、コマの大きさや視点を自在に動かせるのも、マンガだからこそ出来る表現なんだよなあ。特にロングで描く風景がいい。

 宮崎夏次系「と、ある日の忘れもの」8頁。島の施設に老いた母を一人残し、島を去る息子。薄情なのはわかっている、でも仕事の都合があるのだ。
 SFマガジンという雑誌だけに、最初のコマはエイリアンかと思ったw 「年配で体の弱ったご婦人」を、徹底したデフォルメで表現してる。お話のキーとなる存在だけに、徹底する必要があったんだろうなあ。

 鷲尾直広「永遠の創作物」16頁。妻の美奈を残し、早世した尚斗。だが、百年後、彼は再び目覚めた。彼を待っていたのはムギ、美奈の面影を宿した少女。ムギに誘われ百年後の世界を覗きに外出した尚斗は…
 ちょいソフトフォーカスがかかったような線は、デジタル処理の影響かしらん。手書き原稿をスキャナで取り込む際の何かなんだろうか。文字が多いのも特徴で、「もっと頁数を寄越せ」という作者の叫びが聞こえてきそう。絵もギッシリと詰め込まれてて、「恋ガ窪が描きたい、可愛い女の子が描きたい、パワードスーツが描きたい、エイリアンが描きたい、とにかく俺には描きたいモノが沢山あるんじゃあぁ~」って想いがヒシヒシと伝わってくる。でも倍の32頁を与えたら、きっと4倍の内容を詰め込んじゃうんだろうなあ、この人w

 西島大介特集。All those moments will be lost in time 最終回ほか。こいこん企画採録「SF作家」西島大介再発見の吉田隆一氏が「すべてがちょっとずつ優しい世界」を語る所で、西島大介がやってる事が、やっとわかった。

キャラクター自体がこんなにもシンプルで、ギリギリのところで見分けがつくような、研ぎ澄まされた世界になっていた。

 なるほど、「どこまで単純化できるか」に挑んでいたのか。絵を描く人なら一発で分かったんだろうなあ。
 ひらめき☆マンガ学校の、うえむらちかとの対談では、「いかに売り込むか」という戦略的な視点も見せてくれる。かなり視野の広い人だ。

 森岡浩之「海嘯 星界の断章」。テラフォーミング中の所領に向かうアプリアル・ネイ=ドゥブレスク・ゲムファーズ子爵・ラムリューヌ殿下。気まぐれで第一艙を覗いた彼女は、たちまち後悔した。そこに溢れていたのは、数百匹の山羊と飼育官のスナカシュ。
 今回も台詞が読みどころ。前回の陰険漫才もよかったけど、今回は正反対に全く空気を読まない二人、飼育官のスナカシュと、生態系調整官のクファパール君。自分の世界にドップリ浸かってる技術屋と、ローカルな小役人。それぞれに天職かもしんない。

 友成純一「人間廃業宣言」。スティーブン・シェル監督「デッド・マイン」の写真がヒドいw インドネシアの孤島で「山下の黄金」を巡るアクション・ホラー映画。写真を一目見ただけで、そのテキトーぶりが伝わってくる。帝国陸軍の残党のゾンビで、兵はヘルメットに鎧、将は戦国時代みたいな兜。オマケに眉庇(兜の額の飾りみたいなアレ)がw ニニンがシノブ伝かい。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「東京円形城壁都市計画」。山手線の駅ビルを全部つなげて、円周を覆う城壁にしちまえ、というお話。広がる妄想は、このまんま長編小説になりそうな面白さ。そういえばK.W.ジーダーの小説で「垂直世界の戦士」ってのがあったなあ。

 ローカス・ベストセラーリスト、いきなりオーソン・スコット・カード「エンダーのゲーム」が2位に食い込んでどうしたんだ?と思ったら、映画の公開が近いのか。納得。

 堺三保「アメリカン・ゴシップ」、今月は3D映画の話。アメリカじゃ今年に入ってから3D上映の観客の比率が下がってるとか。3D率が採鉱なのは、やったね「パシフック・リム」で5割。うんうん、あれは映像を見る映画だからねえ。ロケットパンチは名訳。芦田愛菜の場面、あの人がコクピットから姿を表す所じゃ思わず泣いたよ、あたしゃ。わかってるよねえ、デル・トロ監督。

 大橋博之「SF挿絵画家の系譜」、今回は竹中英太郎。特高課でバイトしてる時、押収した社会主義文献を読んで影響を受けたってのに爆笑。

 以下、余談。今回のコミック特集は、意図的に台詞の内容やストーリーのネタを避けた。これには理由があるのだ。

 マンガの評論が沢山ある中で、私が最も感心したのは、いしかわじゅんの「漫画の時間」。長いキャリアを持つプロの漫画家が書いた本だけあって、鋭い視点を提供してくれる。絵だ。松苗あけみの目、横山光輝の月、大友克洋のバイクなどの例を挙げ、マンガの中の絵の重要性をわかりやすく教えてくれる。

 全く、そのとおりだと思う。例えば絵柄は、マンガのとっつきやすさを大きく左右する。私は70年代の少年マンガっぽい絵が好きで、いかにも少女マンガな絵は苦手だ。お陰で田村由美のBASARAなんて大傑作を暫く読み逃していた。「絵が並ぶ」のもマンガの特徴で、コマの割り方によって印象が大きく変わる。一般に大きなコマは重大な事柄を示し、小さなコマは補足的な役割を担う。コマの大きさで、お話を読み解くためのメタ情報を示しているのだ。

 同じ事象でも、ロングで全身を描くか、アップで顔を描くかで、全く違う意味になる。例えば、高校生の男女が正面衝突して、女の子が男の子の上に四つんばいになるシーン。平凡な人なら、横から全身を描くだろう。少年マンガなら、下から女の子を見上げるし、少女マンガなら女の子視点で男の子を見下ろす。そして矢吹健太郎なら、スカートのめくれた女の子を後ろから描く。作家により、作品により、テーマにより、描き方は自在に変わる…または、描き方で、作品の方向性や主題が大きく違ってしまう。

 書き込めばいいってモンじゃないのも、マンガの面白い所。三浦健太郎の「ベルセルク」の魅力の多くが、執拗な書き込みにあるのは全面的に認める。と同時に、簡素化した絵にもちゃんと価値がある。同じベルセルクでも、単純な腺で描いたパックやイシドロは、緊張した雰囲気の中で読者に息継ぎを与えると同時に、「彼の言葉を真に受けないでね」という、物語を読み解く上で読者の助けになる重要な情報も与えている。

 また、背景を省略する場合もある。これで、読者の注意を人物に集中させる。逆にロングにすれば、それは舞台や背景を伝えるコマだ。読者はソレを特に意識せずとも、「何に注目すべきか」が自然とわかるように、上手なマンガは描かれている。巧ければ巧いほど、読者はそこに仕掛けられた作者の工夫に気がつかない。

 つまり私はこう言いたいのだ。「マンガは絵に多くの魅力がある」と。コマ割り、ロングかアップか、見下ろすか見上げるか正面か横向きか、デフォルメするかしないか、腺が太いか細いか。日本のマンガは、そういった多彩な技術やノウハウを、独自かつ高度に発展させてきた。こういう実際に使われている技術やノウハウも、日本のマンガを支える重要な柱なんだと思う。

 などと偉そうに演説しちゃいるが、私は絵が描けないので、かなり情けない評になっちゃったけど、とりあえず素人なりに絵の魅力に拘って語ってみた。ハズしてる所も沢山あると思う。詳しい人は教えてくれると嬉しい。

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2013年8月26日 (月)

舟田詠子「パンの文化史」朝日選書592

堅かったので、噛み砕くときすごい音がした。村人の一人はこんな思い出があるという。
「父は音楽的に噛み砕く特技を持っていたわ。毎朝すてきな音をたてて噛むものだから、子どもたちは聞き惚れたものよ」
  ――第4章 パンを焼く村を訪ねて より オーストリア マリア・ルカウ村のエンバクのパン

【どんな本?】

 ふかふかの食パンが好きだ。ちぎったフランスパンにジャムをつけるとオシャレな気分になる。様々なオカズが楽しめるタコスも楽しい。カレーもナンをつけると本格的な雰囲気になる。粗い砂糖をまぶしたビスケットも美味しい。もちろん、チョココロネのような菓子パンも大好きだ。などと、嬉しいことに、今の日本では様々なパンが楽しめる。

 「人はパンのみに生きるにあらず」「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」など歴史上の言葉にも度々登場するパン。それはいつ、どこでできたのか。どんなパンがあるのか。どんな材料を、どのように加工し、どう調理してきたのか。パン釜には、どんな種類があるのか。パンの文化史を研究する著者が、ヨーロッパ各地を巡り、そこに生きる人々の生活に根ざした様々なパンの種類や来歴、食べ方を紹介する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1998年1月25日第1版。ソフトカバー縦一段組みで本文約270頁。9ポイント45字×18行×270頁=約218,700字、400字詰め原稿用紙で約547頁だが、図版や写真を豊富に収録しているので、文章量は3/4程度。内要は本格的だが、文章はこなれていて親しみやすく、読みやすい。

【構成は?】

 はしがき
序章 米へん世界へ渡来した異邦人
第一章 パンとは何か
第二章 パンの発酵
第三章 パン焼き
第四章 パンを焼く村を訪ねて
第五章 パン文化の伝承
第六章 貴族のパンと庶民のパン
終章 パンは何を意味してきたか
 注/あとがき/図版リストとクレジット/参考文献紹介/索引

【感想は?】

 多彩な内容を含む本だが、特に印象に残ったのは「第四章 パンを焼く村を訪ねて」。食べ物の調理方法が、社会構造や生活スタイルにいかに大きな影響を与えるか、つくづく思い知らされる。

 我々の主食はコメだ。精米したコメを買い、といで炊けばいい。炊く前に寝かせたり、炊いてから蒸らしたりするが、電気炊飯器が進歩した今、コメを食べるのにたいした手間はかからないし、広い場所も要らない。流しがあれば充分である。

 ところが。オーストリアのマリア・ルカウ村のテレジアさんは大変だ。ここはイタリア国境近く、アルプスの山の中、一年の半分は雪に覆われる。寒冷地のためコムギは無理でエンバクが中心。今は多くが電気釜になったが、昔は中世以来の薪を使うパン釜。

 今は生イーストを使うので当日の朝に始めればいいが、パン種を使ってた頃は前日の夜に仕込みをする必要があった。生地をこねパン釜を温め云々で、朝7:30にはじめ焼きあがるのは12:30。半日仕事である。とまれ、二週間分まとめて作るんだけど。

 焼くのもご飯よりかなり難しい。というのも、「余熱で焼く」からだ。薪でパン釜を温め、燃え尽きたら燠を描きだし、こねたパン生地を入れる。ご飯なら火の加減を途中で調整できるけど、この手順じゃ途中で加減できない。前もっての見積もりが重要なのだ。だもんで、家庭ごとに「伝統の作り方」があり、お姑さんから嫁さんへと受け継がれる。実家の手順は役に立たない。パン釜が違うので、焼き加減も違ってくるからだ。

 焼く周期もいろいろで、イタリアのチロル地方は年に3回だけ。それで一年分を全部焼いてしまう。パン焼き釜も、村で共有の場合もある。ドイツ南西部のヘンゲン村では、共同パン焼き小屋を順番で使う。毎朝、パン焼き長がくじ引きで翌日の順番を決める。そう、順番が大事なのだ。最初の人は薪が沢山必要だけど、後の人は余熱が残ってるので少なくていい。共同だと薪を節約できるので、植生が貧しい地域の智恵だとか。

マーカス・ラトレル&パトリック・ロビンソン「アフガン、たった一人の生還」にも、共同でパン焼き釜を使うパシュトゥンの村が出てきたのを思い出した。

 突っ走りすぎた。さて、パンとは何か。これを著者は以下のように定義している。

  1. 生の穀物を
  2. 粉にする
  3. 水でこねる
  4. 焼く
  5. 焼きあがると固形物になる

 「発酵させる」って過程がないことに注意。そう、無発酵のパンが中心の地域もあるのだ。とすっと、お好み焼きはパンなのか?最後の「固形物」ってのが、ちと難しいなあ。でもタコスは文句なしにパンだし、クレープもそう。パスタとの違いは、焼くか茹でるか、かな?

 コメとの大きな違いは「粉にする」点。コメは皮が柔らかいので簡単に精米できるけど、ムギは皮が硬いので、粉にしちゃう方が簡単なのだ。ところが粉ひきは重労働で、お陰で水車や風車が発達しましたとさ。なんと紀元前120~63年、ギリシャの「ミトリダテス貴種王がユーフフラテス河上流のアルメニア地方、カベイラに築いた王宮に水車があった」って説まである。

 ここで「だったら炒っちゃえばいいじゃん」って発想も出る。チベットで有名なツァンパ、炒ったオオムギを挽いたモノだとか。そうだったのか。

ちなみに産業革命を支えた一つが蒸気機関なのは有名だが、もう一つ歯車・ピストン・クランクなど機械工学の成熟も必要で、これをもたらしたのが水車だとか。

 なんにせよ「粉にする」のは大仕事で、中世の欧州じゃ粉屋が請け負った。都市部じゃパンを焼くのも専業化する。だってパン釜はデカいし、火を扱うから火事の原因になるし。ってんで、庶民は粉屋に製粉してもらい、自分で生地を作ってパン屋に焼いてもらう。粉屋が副業でパン屋をやる場合もあったが、その辺の縄張りはギルドで厳しく制限されてたり。

 一般に日本じゃふっくらした白パンが中心だけど、最近は自然食ブームなどで黒パンも見直されつつある。栄養成分表も載ってて、ライムギ全粒粉パンはとても優秀。コムギの白パンと比べ、リンは220:90、鉄分3.3:0.9、ビタミンB1が180:86、ビタミンB2が150:60.貧血気味の人にはライムギパン?フルコースを食べられる貴族は白パンでも栄養バランスが取れたけど、貧しい庶民は黒パンじゃないと生きていけなかった、って指摘が面白い。江戸で脚気が流行ったのと同じ構造だね。

 コメとムギの精米・精麦の難易で決まる粒食と粉食の違い、その工程の違いが作る社会構造の違い。気候の寒暖で決まるパンの原材料、植生の貧富で決まるパンの焼き方と形、定住と遊牧の違いがもたらす道具の違い。「何をどう食べるか」が、社会にどれほど影響を与えるか、または食べ物が社会や気候をどれほど反映しているか。身近に思えるパンを通し、人の生き方の多様性と歴史の流れを痛感できる、本格的ながら親しみやすく楽しい本だった。今度ライムギパンを買ってこよう。

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2013年8月23日 (金)

マリオ・バルガス=リョサ「世界終末戦争」新潮社 旦敬介訳

「アンチ・キリストは生まれた、
ブラジルを支配するために。
しかし、コンセリェイロがいらっしゃる、
わたしたちをやつらから解放するために」

【どんな本?】

 2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス=リョサが、19世紀末のブラジル辺境バイア州セルタンゥで起きたカヌードスの反乱に題をとった壮大な物語。アントニオ・ヴィンセンチ・メンデス・マシエルことコンセリェイロ(教えを説く人)の教えに惹かれ集まった者たちと、彼らを軍事力で制圧せんとするバイア州/ブラジル共和国の壮絶な戦いを、ブラジル北部高地の乾燥した風土と独自に発達した荒っぽい文化を背景に描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La Guerra del fin del mundo, by Mario Vargas Llosa, 1981。日本語版は1988年に新潮社から出たが絶版、2010年12月10日に同じ新潮社で復活した。単行本ハードカバー縦二段組で本文約680頁+訳者あとがき22頁。8.5ポイント24字×22行×2段×680頁=約718,080字、400字詰め原稿用紙で約1796枚。そこらの長編小説なら3~4冊分の大容量。

 翻訳物としては、文章は読みやすい部類。かなり込み入った舞台背景のわりに、内容も意外と明瞭でわかりやすい。この辺は訳者の解説がとても役に立った。ただ、登場人物の生死などのネタバレがあって、そこは予告して欲しかった。また、この分量に相応しく登場人物が多く、かつ史実を基にしているため、ジョアン・アバージとジョアン・グランジなど紛らわしい名前も結構ある。不慣れなポルトガル語も手伝い、ちょっと混乱する。できれば登場人物一覧をつけて欲しかった。

【どんな話?】

 帝政から共和制に生まれ変わり、近代化の道を歩み始めた19世紀末のブラジル。北部バイア州の内陸部セルタンゥは痩せて乾燥した土地で、貧しく時代に取り残された地域だ。日照りが続けば人々は飢え、カンガセイロ(盗賊)が跳梁跋扈する。

 そんな貧しい村や町を、素朴な説教をして歩く者がいた。コンセリェイロと呼ばれる痩せた男は、貧しい身なりで粗食に甘んじ、地面で眠る。彼の教えは人々の心を捉え、巡礼団は次第に大きくなってゆく。小さな町カヌードスに拠点を定め祈りと助け合いの生活を営む彼らは、やがて州政府に敵と目され…

【感想は?】

 大きく緻密で複雑な物語だ。いろんな読み方があると思う。私は現在のアフガニスタン情勢を連想した。

 分量こそ多く、ノーベル文学賞作家なんて看板は高尚で小難しい印象があるが、お話そのものは難しいシロモノじゃない。司馬遼太郎の「坂の上の雲」や「翔ぶが如く」のように、個性的な多くの人物が絡み合う、壮大で凄絶なドラマだ。

 中でも魅力的なのが、舞台となるセルタンゥ。

 ブラジルというとアマゾンの熱帯雨林とリオのカーニバルが有名だが、セルタンゥは北部バイア州の内陸部。解説によればブラジルは沿岸部から発達してきた国で、内陸部は時代に取り残された地域だ。乾燥したセルタンゥの土地は土地が痩せていて、人々は貧しく教育も行き届かない。リオ政府の威光より地主や教会が権威で、盗賊の出没も多い。当然、宗教はカトリック。

 そこに現れたコンセリェイロ。みすぼらしい格好で清貧を貫き、カトリックの我流解釈で素朴な教えを説き、辺境の町や村を歩いて回る。多くの人々が彼に感化され巡礼団は大きくなり、カヌードスに住み着く。

 物語はコンセリェイロが人を惹きつける魔力については何も述べず、聖人か狂人かもわからない。描くのは、彼に感化された者、彼を利用しようとする者、彼に敵対する者など周囲の者たちだ。

 筆の多くは、彼の取り巻きに割かれる。孤児で信心深いベアチーニョ、せむしの書記ナトゥーバのレオン、奇妙な能力で忌み嫌われる女アレジャンドリーニャ・コレアなど、貧しく厳しいセルタンゥの社会すらはみだしてしまう、弱い者たち。それだけではない。お尋ね者の逃亡奴隷ジョアン・グランジ、強盗のパジェウやジョアン・サタン改めジョアン・アバージなど、物騒な連中までコンセリェイロに心服し、カヌードスへやってくる。

 物語の随所で披露される、彼らセルタンゥのはみだし者たちの生い立ちが、それだけで一冊の小説を書けるぐらい強烈で凄まじい。サタンと恐れられるジョアン・アバージの凄絶な復讐の物語もいいし、くじけず目端の利く商人アントニオ&ヴィラノヴァ・ヴィラノヴァの起伏に富む半生も魅力的。物語は壮絶だが、その語り口は突き放した冷静な文章なのが、乾燥したセルタンゥの空気を感じさせる。ドライというかハードボイルドというか。

 って書いてて気がついたけど、水滸伝みたいな面白さもあるんだな、この物語。最も、水滸伝のように「腐敗した政府に戦いを挑む義兵集団」なんてわかりやすい構図じゃないけど、海千山千のならず者集団が、土地勘と狡猾な戦術で、兵力と装備に勝る正規軍を翻弄する話でもある。

 特に中盤から終盤にかけての戦闘場面はド迫力で、正規軍を相手にゲリラ戦を仕掛けるジョアン・アバージの狡猾さが冴え渡る。彼が用いる戦術は「作り話だろ」と思うかもしれないが、実は似たような事をベトコン&北ベトナム軍がアメリカ軍を相手に、アフガニスタンでマスードがソ連軍相手に、やはりアフガニスタンでタリバンがISAFを相手にやってる。あ、アメリカは、朝鮮でも人民解放軍にしてやられてたな。懲りんやっちゃ。

 戦争勃発の経緯も似たようなモンで、つまりは攻め込む側の思い込みと早とちりによる勘違いに始まり、メンツを潰された意地によるエスカレート。

 当事のブラジルの政治は大きく二つの派閥がある。中央集権を望む共和党、地方分権を志向する自治党。カヌードスは両者の勢力争いの駒にされ、州政府・共和国政府の敵に祭り上げられる。いずれも洗練された欧州文化に染まった者たちだが、彼らのモノサシとカヌードスは、全く座標軸が違っている。

 この辺の根本的な価値観の違いも、現代のアフガニスタンを連想するんだよなあ。お互いが前提としている価値観・世界観が違いすぎて、互いに理解し合えないのだ。で、圧倒的な力を持つ者が、「面倒くさいからヒネり潰しちゃえ」と先走り、ドツボに嵌ってゆく。

 根本にある複雑な背景はバッサリ切り捨て、一部を取り上げ単純化して実態と全く異なる形で騒ぐ、そういう報道は今でも政治関係じゃしょっちゅうで、我々は当事のブラジルと全く変わっていないんだなあ。むしろ通信網が発達してニュースが素早く行き渡るようになった分、余計に悪化してるのかも。

 この世界観の違いを見事に戯画化しているのが、スコットランド人の無政府主義者ガリレオ・ガル。変に革命精神に染まっちゃった欧州のインテリの彼が、我流カトリックを基盤とした原始共産制っぽいカヌードス社会を勝手に理想化し、「彼らなら俺の理想をわかってもらえる!」と思い込み突っ走る姿を、徹底的にチャカして描いてる。

 そんな彼の対偶となるのが、セルタンゥの価値観を体現したかのような男、案内人のルフィーノ。「案内人」って仕事も、交通や通信が未発達な当事のセルタンゥ社会を象徴している。定住している者だって、外の世界のニュースは欲しい。けどまったく知らないヨソ者は物騒だ。顔見知りで顔の広い旅人なら、ニュースを交換するには持ってこい。ってな生活様式に加え、彼とガリレオ・ガルを結びつける因縁、これがセルタンゥ的な世界観と、それ以外の世界の断絶を見事に象徴している。

 そんなセルタンゥ的世界に対し、近代的な国家認識や職業意識を掲げ立ちはだかるのが、第七連隊を率いるモレイラ・セザル大佐。帝政から共和制に移行する際、ブラジル各地で連戦を重ねたエリート部隊を率いる、実際的で合理的な軍人さん。強固な意志と鋭い頭脳、そして国家や民衆への誠実な忠誠心を持つ理想的な軍人として描かれる彼だが…

 そんな強烈な意思と意地に生きる男たちの中で、運命を受け入れていくしかない女たちもまた、セルタンゥの大事な一員。ルフィーノとガリレオ・ガルの因縁に巻き込まれるルフィーノの妻ジュレーマ、妙な能力を持ってしまったが故に疎まれるアレジャンドリーニャ・コレア、そして「十字架を担ぐ女」マリア・クアドラート。荒くれ男が闊歩するセルタンゥの中で、なんとかたどり着いた安息の地カヌードス。

 カヌードス vs 政府軍って目で見ると悲劇だが、セルタンゥという土地とそこに生まれた文化の物語として捉えると、この終幕は…まあ、そういうことです。

 などと「セルタンゥ」を中心に私は読んだけど、きっと他の人は違う物語を読み取ると思う。一つの新興宗教の興亡の物語でもあるし、殉教の物語でもあるし、田舎と都会の物語でもあり、中世と近代の物語でもあり、人と国家の物語でもあり、男と女の物語でもある。決して高尚で難しい話じゃない。波乱万丈で驚きが詰まった、濃密で複雑で壮大なドラマだ。

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2013年8月19日 (月)

鈴木孝「エンジンのロマン 技術への限りない憧憬と挑戦」三樹書房

…点火後、点火系に残る残存エネルギーが水素エンジンがガソリンエンジンに比し大きく、これが次サイクルまで残り、爆発後の吸気サイクル中のシリンダー内圧力が減って混合気の要求電圧値が減っても、その残存エネルギーによって放電し、バックファイヤーとなることを発見した。
  ――付録A40-2 予混合火花点火水素エンジン

【どんな本?】

 ホイヘンスの揚水装置,ニューコメンの蒸気機関とワットの改良、ルノワールの内燃機関,オットーの4サイクル・エンジンなどエンジンの揺籃期から、サルムソンの星型エンジンやダイムラー・ベンツDB601など航空機エンジン、そして近年復活したスターリング・エンジンなど時代を彩ったエンジンと、それにまつわるエピソードを紹介しながら、ディーゼル・エンジンの騒音対策やハイブリッド・エンジンの様々な方式,クランク軸の軸受け方式などエンジン設計・開発の技術や問題を具体例を引いて解説するとともに、水素エンジンやマイクロ・ガスタービンなど将来を嘱望されるエンジンの未来を占う。

 著者は1952年より日野自動車に入社、日野レンジャーなどのエンジンの設計主任を歴任し、1999年まで同社副社長として研究・設計・開発の指揮を執った。豊富な経験と広い人脈を駆使して名物エンジンの歴史と秘話を明らかにし、エンジン開発における問題点と解決法を示しながらエンジニアリングの哲学を語る、金屑とオイルの香りが漂うエッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1980年に日野自動車が出版した「エンジンの心」。次に1988年プレジデント社より刊行。2002年、改訂して三樹書房から刊行。2012年7月30日、三樹書房から更に改訂新版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約490頁。9.5ポイント46字×18行×490頁=約405,720字、400字詰め原稿用紙で約1015枚。長編小説なら2冊分ぐらいだが、写真・グラフ・イラストを豊富に収録しているので、実際の文字量は3/4~2/3ぐらい。

 文章はこなれているが、内要はかなり高度。数式や化学式もよく出てくる。普通科高校卒業程度の理科じゃ、ちとキツい。必要な素養は熱力学・機械工学・材料工学の基礎で、最低限でも4サイクル・エンジン(→Wikipedia)の理屈ぐらいは分かってないと辛い。カーマニアや軍オタでエンジンに詳しい人なら、なんとか読みこなせると思う。どれぐらい濃ゆいかというと、この記事冒頭のサンプルをご覧いただきたい。

【構成は?】

 新版によせて/『エンジンの心』序文より
1 エンジンはなぜ生まれたか
2 胎動期の傑作、ニューコメンの蒸気機関(エンジン)
3 模型から生まれたワットの蒸気エンジン
4 内燃機関はいかにして生まれたか
 付録A4 圧縮比と熱効率
5 オットーの心
6 オットーエンジン完成の真相
7 ピストンとシリンダーの問題
 付録A7 エンジンの寿命を左右する病気
8 エンジンの寿命とシリンダー
9 もう一人の天才、サジ・カルノー
 付録A9 エンジンにおけるエクセルギーとアネルギー
10 カルノーの夢、断熱エンジン(Ⅰ)
 付録A10 理論サイクルにおける熱損失と排気エネルギーの回収
11 カルノーの夢、断熱エンジン(Ⅱ)
 付録A11-1 複合エンジン(コンパウンド・エンジンの元祖)
 付録A11-2 断熱エンジンの燃焼
 付録A11-3 断熱エンジンの研究の成果
12 排気エネルギー利用の先駆もオットー
 付録A12 オットーの二段膨張エンジン
13 冷却の問題(Ⅰ)
14 オイルクーラーの話
15 HMMS(Hino Micro Mixing System)の話
 付録A15-1 直接噴射式と副室式ディーゼルのNox
 付録A15-2 シリンダー内の空気の乱れとHMMS
 付録A15-3 HMMSの仮設
 付録A15-4 HMMSにおける乱れ発生のメカニズム
16 冷却の問題(Ⅱ)
 付録A16 コンテッサの冷却系
17 エンジンコンパートメントに託された運命
18 第三帝国を滅亡させたエンジンコンパートメント
19 国を救ったエンジンコンパートメント
20 双子の美人、四つ子、そしてその運命
21 ポルシェのものまね
22 ダイムラーをコピーしたロールスロイス
23 ノッキングの話
24 省エネと戦車デザイナー
25 国を救ったデッドコピー
26 T34戦車の謎
 付録A26 T34戦車用B2(またはV2)ディーゼルエンジン
27 星型エンジンのロマン(Ⅰ)
 付録A27-1 アイデア一杯、グノームエンジンのからくり
 付録A27-2 ガス電の航空エンジン神風・天風とその発展
28 星型エンジンのロマン(Ⅱ)
 付録A28 ABCエンジンのトラブル
29 墜ちた星の群像
30 主張を残した猿六村
 付録A30-1 エンジンの内部モーメント
 付録A30-2 カントン・ウネ・システム
 付録A30-3 ベンツ・フォーミュラエンジンとサルムソンエンジンの類似性
31 星は再びまたたくか?
32 パッカードの栄光と悲劇(Ⅰ)
33 パッカードの栄光と悲劇(Ⅱ)
 付録A33-1 パッカード・ディーゼルの燃焼について
 付録A33-2 パッカード・ディーゼルのシリンダーの止め方
34 パッカードの栄光と悲劇(Ⅲ)
 付録A34 シリンダーライナーのキャビテーション・ピッチング
35 ボイジャーと航空研
 付録A35 航空研もリーンバーン(希薄燃焼)
36 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅰ)
 付録A36 ディナ・パナールのエンジン
37 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅱ)
 付録A37 日野EA100エンジン
38 ダイムラー・ベンツDB601エンジンの謎(Ⅲ)
 付録A38-1 アルファ・ロメオP2のエンジン
 付録A38-2 DB601エンジン
 付録A38-3 DB601エンジンのクランク軸ベアリングのトラブル解析補足
39 これからのエンジンは?(Ⅰ)
 付録A39-1 ディーゼルエンジンの燃焼および後処理の進化
 付録A39-2 触媒エンジン
40 これからのエンジンは?(Ⅱ)
 付録A40-1 ハイブリッド商用車とパラレル方式
 付録A40-2 予混合火花点火水素エンジン
41 これからのエンジンは?(Ⅲ)
 付録A41-1 トラックの騒音
 付録A41-2 トヨタ・日野共同開発のガスタービン
 付録A41-3 ガスタービンとディーゼルエンジンの燃費
 付録A41-4 液体水素エンジン
42 未来に向けて
 文献

【感想は?】

 つくづく、エンジンってのは、工学の粋を集めたものなんだなあ。

 冒頭は基礎編で、エンジンの歴史を辿りながら、その原理や根本的な問題点などを提示してゆく。いきなり「あ、なるほど!」と思ったのが、「慣らし」が必要な理由。

 新車を買った時、「最初は1000kmぐらい走ったらオイル交換した方がいいよ、次のオイル交換はマニュアルどおりで充分だけど」と言う人がいる。この理由が分かった。

 なんと、シリンダーにはわざと凸凹をつけてあるのだ。そうすれば、凸凹の隙間にオイルが溜まるから。走ってるとピストン・リングが凸凹を平らにしてオイル消費量は減るが、焼きつきの危険が大きくなる。シリンダー表面の凸凹が、オイル消費量とエンジン寿命またはオーバーヒートへのタフさを左右する。なんと細かい技術が重要な意味を持つことか。

 やはり細かい技術の違いの大きな影響を感じるのが、軸受けの話。第二次世界大戦でドイツの空を守ったMe209に搭載されたベンツのDB601エンジンを、日本がコピーする話。クランク軸の軸受け、オリジナルはころがり軸受けなのが、日本じゃプレーンベアリング。その理由はクランク軸の表面硬度不足。

 高空じゃ潤滑油の泡立ちで潤滑油切れの懸念がある。ころがり軸受けは潤滑油が切れても焼きつきにくい。また起動トルクが小さくで始動が楽なのも、急な発進が多い戦闘機じゃありがたい。けどベアリングやクランク軸の精度が大事で、これが狂うと、接触してる所が剥がれてガタガタになる。

 鉄にもいろいろあるのは知ってたが、一つの部品でも場所によって硬度が違うってのは知らなかった。ドイツ製クランク軸は、表面3mmあたりまでは「焼き」が入り硬くて磨耗しにくく、それより中はしなやかで折れにくい。日本じゃ1mmが限界。また精度も違い、欧州製は0.003mm以下なのに対し日本は0.015mm。この差で、日本じゃころがり軸受けが使えなかった。

 ってな、材料の品質や加工精度も、エンジン開発には大きな影響を持ってくるわけで、エンジニアってのは、熱力学や機械工学などの基礎もさることながら、現実に手に入る素材や部品の精度にまで通じてなきゃいけない。凄まじい知識量・情報量を要求される世界なんだなあ。

 この辺でもうひとつ、長年の疑問が解けた。当事の単発戦闘機って、鼻面の形が大きく分けて二つある。一つはMe209みたく長く細いもの、もう一つは零戦みたく短く太いもの。私は後者が好きなんだけど、その違いがやっとわかった。にしても、零戦の排気管の設計に隠されたいじましさには涙が出る。結局は、総合的な工業力なんだなあ。

 解は簡単で、前者は水冷エンジン、後者は星型空冷エンジン。エンジンが星型だから太くて短い鼻面になる。軍オタを気取りながら、この程度も知らなかったとは恥ずかしい。この星型エンジン(→Wikipedia)の発想も、なかなか感激する。

 その星型エンジンも、大型化すると凄まじいシロモノになる。ライカミング7755-3液冷星型なんて9シリンダー×4列=36シリンダーの写真は大迫力で、大きさもさることながら、これ見た時に思ったのは「整備にどれぐらい時間かかるんだろ?」。いや可動部や部品の数がハンパじゃないし。

 日野自動車に勤めた著者だけあって、ディーゼル・エンジンの話題も豊富。光化学スモッグなどで排気ガス規制が強くなってるけど、これがディーゼル・エンジンに与えた影響も大きい。一般にエンジンは高圧・高温で動かすほど効率がいいけど、高温だとNox(窒素酸化物、→Wikipedia)が大量に出て、酸性雨の原因になる。これ減らす鍵が点火のタイミングってのも意外。やはりディーゼルでは、ノッキングの原因究明の話や、燃料を巧く空気混ぜる工夫の数々も、なかなか興味深いところ。

 他にもDOHCやターボがなぜ嬉しいか、ハイブリッド・エンジンにはどんな種類があるか、前輪駆動の元祖、彩雲の「吾に追いつく敵機なし」の爽快な電文、ソ連のT34誕生の裏話、ココムで問題になったキャビテーション・ノイズの正体、ダイムラー・ベンツとロールスロイスの宿命の対決など、読み所は一杯。またSF者としては、かつて高斎正がやたら拘ってたガスタービン・エンジンの将来性を展望してくれたのが嬉しい。ハイブリッドが当たり前の時代になれば復活があるかも。でもやっぱり、エネルギー密度が問題なんだよなあ。

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2013年8月16日 (金)

カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫訳

「思うんだがね、あんたたちはそろそろ、すてきな新しい嘘をたくさんこしらえなきゃいけないんじゃないか。でないと、みんな生きていくのがいやんなっちまうぜ」

【どんな本?】

 独特の乾いたユーモアでSF内外に人気を誇るアメリカの作家カート・ヴォネガット(・ジュニア)の代表作の一つで、自伝的要素の強い長編。連合軍の兵士として第二次世界大戦の西部戦線で従軍中に、ドイツ軍に囚われ捕虜となりドレスデンの捕虜収容所に収容された際に体験したドレスデン無差別爆撃(→Wikipedia)を中心に、周囲の人々が綾なす皮肉な運命を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Slaughterhouse-Five, by Kurt Vonnegut. Jr. , 1969。日本語版はまず1973年早川書房より単行本「屠殺場5号」として出版、1978年12月31日にハヤカワ文庫SFとして文庫化。文庫本縦一段組みで本文約245頁+訳者あとがき13頁。8ポイント43字×18行×245頁=約189,630字、400字詰め原稿用紙で約475頁。長編小説としては標準的な分量。

 翻訳物だが、文章は抜群の読みやすさ。これは原著者と訳者のコンビネーションによるもので、著者の文章が持つ飄々としたリズムを、訳者が見事に日本語で再現している。いや原文は読んでないんだけど。

 内容的にも、SFとはいえ特に難しい理屈は出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。星新一とかドラえもんとか、そういう系統だと思って結構。「宇宙人トラルファマドール星人に誘拐され時間を行き来する」という仕掛けを許容できるなら、楽しめるだろう。

【どんな話?】

 ドレスデン爆撃の時、わたしはそこにいた。今は作家となって、そこそこ成功を収めている。わたしは時おり、深夜に昔の友だちに電話を掛ける癖がある。今夜の被害者はバーナード・B・オヘア、第二次世界大戦に従軍した時の戦友だ。二週間後、わたしはオヘアを訪問した。奥方のメアリはご機嫌うるわしくない。どうやら、わたしは歓迎されていないらしい。

【感想は?】

 上で「物語の出だし」をまとめてみたが、えらい苦労した。何せこの小説、時系列や舞台がポンポン飛びまくり、細切れにしてシャッフルされた形で語られる。

 じゃ話の筋が掴みにくいかというと、これが不思議な事にさにあらず。短編小説というよりコラムが並んでいるかのように、それぞれの文章は独立して完結したかのように読める。星新一と同じ、短編型の作家なんだろう。

 お話は。著者の分身ビリー・ピルグリムを中心に進む。時は第二次世界大戦。従軍牧師助手として従軍したビリーは、ルクセンブルグの原隊に向かう途中、ドイツ軍の猛反撃「バルジの戦い(→Wikipedia)」に遭遇し、ドイツ軍に捕らえられる。ドレスデンの捕虜収容所「屠殺場5号」に収容されたビリーは…

 …などと、あらすじを書くと、この作品の味わいが全く伝わらないから困る。多分これが本筋なんだろうけど、話はアチコチに道草してはプッツリ切れたり、全く関係なさそうな所につながったりする。話の筋を追いたい人はイラつくだろうけど、実は道草こそがヴォネガットの味。そもそも、お話の出だしが「執筆当事のヴォネガット」で、主人公のビリーじゃない。つまりは道草から始まっている物語なのだ。

 最初の道草から、一見テーマに関係なさそうな、でもこじつければどうにでも解釈できる魅力的な挿話が詰まっている。

 夜中に電話を掛けるエピソードは、エイブラム・カーディナーの「戦争ストレスと神経症」やジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」に出てくるPTSDの症状そのもの。シカゴ・シティ・ニューズ・ビューローの警察担当記者をやってた頃のエレベーターの事故の取材の話も、マスコミの実態を巧く表している。そして、ドレスデン爆撃を取材した際の合衆国空軍の対応と、子供十字軍(→Wikipedia)のトリビア。

 そんな数々の挿話の多くは事実を元にしたものだが、これにヴォネガットの想像力が加わると、一段と狂気が冴える。そう、かの無名なSF作家キルゴア・トラウトの傑作掌編の数々だ。ところが、一筋縄じゃいかないのがヴォネガット。トラウトの大ファンであるエリオット・ローズウォーター氏による、トラウトの作品を評する言葉が、見事に当事のアメリカSFの足元を掬ってるから痛い。ああ、もちろん、ハワード・W・キャンベル・ジュニアも出演してます。

 ってな挿話の魅力を、更に引き立たせているのが、訳文。なんといっても文章にリズムがあるのがいい。随所に挿入される「そういうものだ」は当然として、ややチューニングの狂ったホンキイ・トンクっぽい、テンポはいいけど妙に力が抜ける「外した」感じがいい。

彼女はグリュックに、軍隊にはいるにはすこし若すぎはしないかとたずねた。そのとおりだとグリュックは認めた。
彼女はダービーに、軍隊にはいるには年をとりすぎていはしないかとたずねた。そのとおりだとダービーはいった。

 第二次世界大戦も大詰め、徴兵で適切な年齢の若者は根こそぎ引っこ抜かれてたわけです。ところが、連合軍はこれでも余裕がある方で、ドイツはもっと酷く、ソビエトに至っては分かっているだけで戦死者800万人、民間人も含めると2700万人以上(キャサリン・メリデール「イワンの戦争」より)。

 一応は戦争物だけど、声高に「戦争反対」と叫ぶ作品ではない。ヴォネガット一流の飄々とした文章で、戦争という異常事態に巻き込まれた様々な人々の運命を、諦めに似た醒めた感覚で描く。絶望に満ちているようだが、トラルファマドール星人の不思議な世界観は、絶望の向うにある何かを垣間見せてくれる。

 小難しい理屈は出てこないし、それぞれの道草は短編としても楽しめる。星新一の掌編やアシモフのエッセイが好きな人なら、きっと気に入るだろう。

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2013年8月15日 (木)

塩原俊彦「ロシアの軍需産業 軍事大国はどこへ行くか」岩波新書845

2003年のイラク戦争があたえたロシア製兵器への影響は現段階では判然としないが、ロシア製武器の需要を喚起することにつながると、ロシア通常兵器庁の長官は強気の見方をしている。あるいは、イワノフ国防相はイラク戦争の結果、ロシア製通常兵器に対する感心が高まったことから、「無償の広告をありがとう」とまで語っている。

【どんな本?】

 1991年12月25日のミハイル・ゴルバチョフ辞任に続くソビエト連邦崩壊は、軍事・経済両面にも大きな衝撃を与えた。各共和国に分散して存在した開発・生産拠点は分断され、生産に必要な資材は経済・流通の混乱により確保が困難となり、潤沢な国家予算が断ち切られた各企業は資金が枯渇、国家による厳格な管理体制の崩壊は核兵器の流出の危惧さえ囁かれ、実際に報道された事件もある。

 ロシア経済論を専攻し朝日新聞モスクワ特派員の経験を持つ著者が、かつての社会主義軍事大国ソ連から「強いロシア」を志向する現在のロシアまでの軍事産業政策の変転を解説し、激変するロシア社会の中で生き残りを図るロシアの軍需産業の今を報告し、将来の行方を予想する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2003年7月18日第1刷発行。急激に変化しているロシア情勢の報告としては、ちょっと古いかも。新書版縦一段組み本文約198頁+あとがき2頁。9.5ポイント41字×14行×198頁=約113,652字、400字詰め原稿用紙で約285枚。小説なら中編の分量。

 正直、手こずった。日本語としての文章は悪くないが、内容的に明確さに欠けるのだ。これにはちゃんと理由がある。

  • 情報公開に消極的なソ連・ロシアなので、肝心の一次資料が少なく、信頼性も欠ける。著者は誠実にソースを明記した上で不確実な情報であると断り、複数の推定を併記する形を取るので、説としての歯切れが悪い。
  • 社会・経済体制が資本主義とは大きく異なる国なので、現代アメリカで主流の経済学の用語の定義が正確には当てはまらない。そこでいちいち統計の範囲や用語の定義から論が始まるので、前置きが長くなかなか本題に入らない。
  • 言葉の選び方が学者っぽい上品さで、直感的なわかりやすさに欠ける。例えば「個人による利益追求」は「私腹を肥やす」とすればピンとくると思う。

【構成は?】

 序章 冷戦期の「負の遺産」
  一 イラク・北朝鮮・中国とソ連・ロシア製武器
  二 無視できぬソ連・ロシアの軍需産業
第一章 ロシアの軍事改革
  一 ロシア軍の誕生
  二 国防政策はどう決まるのか
  三 変わる国防政策
  四 プーチン政権下の軍事改革
  五 「制服を着たマフィア」
第二章 ソ連からロシアへ
  一 「軍事国家=ソ連」の「戦争経済」
  二 ロシアの軍事支出
  三 軍需産業の生産減と輸出増加
  四 「非軍事化」と「資本主義化」
  五 国家発注の減少は何をもたらしたか
  六 動員制はどう変化したのか
  七 地方の「歪み」
第三章 軍民転換の失敗
  一 軍需企業の形態はどう変化したのか
  二 知られざる「軍産複合体」
  三 失敗した軍民転換
  四 個別の軍需企業をみる
第四章 生き残りをはかる軍需企業
  一 「生き残り原理」と「利潤追求原理」
  二 ワイルドな資本主義
  三 「非軍事化」の停滞
  四 輸出ドライブ
  五 ハイテクへの傾斜
 終章 ロシアの軍需産業の行方
   主な参考文献/あとがき

【感想は?】

 どうにも、まだるっこしい。かなり衝撃的な内容を含んでいるのだが、鉄のカーテンによる不明確さや、著者の誠実な姿勢により、歯切れの悪い表現に留まり、うっかりすると重要な部分を読み飛ばしかねない。

 ソ連解体の影響は、序章のエピソードが見事に象徴している。ソ連から各共和国が独立した結果、軍事産業も様々な形で分裂し、それこそマンガのような事態が現実に起こっている。ロシアはインドに武器を売り、ウクライナはパキスタンに売る。「こうしてインド・パキスタン国境では、同根ともいえる戦車が対峙しているのである」。なんか今もカシミールで衝突してるよねえ。→MSN産経ニュース「パキスタン、インド軍を射撃 7時間で7000発

 お得意先の軍はというと、あましタチが良くないようで、例えば「ロシアの戦闘機パイロットは年間わずか二十時間しか実際の飛行訓練を受けていない」。ちなみに米国は二百時間以上。「アフガン侵攻1979-89」にもあったけど、物資の横流しは伝統芸っぽいし。

 これに加え怖いのが、軍閥化。ソ連の時からGNPに占める軍事費の割合は高く(16~28%)、地域によっては軍需産業に完全に依存している。例えばウドムト共和国じゃ全産業従事者の中で軍需産業従事者は57%。おまけにソ連時代は住宅なども企業が潤沢に提供してたんで、こういう地域じゃ軍事企業の城下町となっている。これにかつての地方分権の流れが重なれば、軍閥化は避けられない。プーチンの中央集権志向は、この危機感が原因の一端かも。

 民需への転換も難しいようで、そもそもソ連時代は多くの物資・社会資本が軍事流用を前提にして設計してたとか。お陰で地下鉄は防空壕を兼ねてやたら深い所を走り、列車や線路も(たぶん戦車など)重量物資を運べるよう頑丈に作ってた。その分、コストも嵩むんだけど。ここで著者は「嵩んだコストは軍事費とすべきだろうか?」と経済学者らしい悩みをチラリ。あなた、どう思います?

 軍需産業ったって、大抵の企業は民生用の部門も持っている、というか西側じゃ大半の企業は民生用の方が大きい。これはソ連も同じで、比率はともかく民生用の商売も兼ねてたとか。

89年や90年の段階で、ミシン、テレビ、ラジオ、VTR、カメラなど国内生産の100%が、「軍産複合体」によって生産されていた。

 じゃ民生用に転換しようと思ったが。あなた、トラバント(→Wikipedia)を覚えてます?ま、そういうことで、「ソ連末期における軍民転換路線は、競争力のあるテレビなどの民需品をソ連企業では製造できないことを露にしただけだった」。西側の家電にシェアを奪われ、原材料は国家解体で流通がズタズタ。

 ってんで、「やっぱ計画は見直そうや」ってな事になり、私企業化の減速や各企業の系列化で対応中。とはいえ危機時に出来たコネやバーター取引による裏経済はしっかり残り、西側の投資家にとっちゃデンジャラスな要因が今も残っている模様。マフィアがはびこり警備産業は花盛りで…

97年末になると、ロシア全体における私的警備・探偵組織は1万200にのぼり、14万600人が雇用されるまでになったという。非国家安全保障会社・私的警備ビジネスの従業者の60%が元KGB職員、30%が元警官、8%が元軍人、2%がその他であるといった数字もある。

 お陰で軍縮で失業した将兵は新しい仕事が見つかりましたとさ。つかプーチンがKGB出身って事を考えると…。この数字で私が驚いたのはKGBの割合の高さで、ロシアにおけるKGB(今はFSBだっけ?)の存在感の大きさを感じさせる。西側じゃエシュロンが有名だけど、似たようなSOREM2がロシアじゃ動いてて、ちゃんと監視してるとか。

 軍需産業のもう一つの生き残り策が、輸出政策。最も大事なお得意先は中国とインドだけど、シリアも大事。内戦が長引いて儲けるのはロシアって構図。なんと「ロシアとドイツの合弁会社MAPSなどがある」ってのに驚いた。中央アジアでも「超国家金融産業グループ《イリューシン》の設立にかんするウズベキスタン政府とロシア連邦政府との間の合意案が承認された」とあるから、アメリカ主導によるアフガニスタンの安定をロシアは歓迎しないだろうなあ。

 正直、この本だけじゃ、ピンとこないと思う。でも、例えばアハメド・ラシッドの「タリバン」「聖戦」にある中央アジアの戦略的な意味や、マーシャル・ゴールドマンの「強奪されたロシア経済」、P.W.シンガーの「戦争請負会社」あたりと併せて読むと、実はかなりヤバい状況になってる事がわかる。最近の中国の挑発的な動きも、ロシアの軍需産業には大きな利益をもたらす。頁数の限られた新書で出すには、ちとテーマが大きすぎるのかもしれない。

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2013年8月14日 (水)

杉山俊彦「競馬の終わり」徳間書店

「…絶望、私は絶望を感じた。金稼ぎのために産み育てられたサラブレッドが走らされている。命を削って走らされている。強靭な心肺昨日を内蔵する胴体と反比例する細い脚が芝生を蹴る。そして最後の直線。披露の限界だ。それは死に至る病だ。(略)状況そのものが絶望だ」

【どんな本?】

 第10回日本SF新人賞を受賞したSF長編小説。22世紀、ロシアに占領され植民地化された日本では、競走馬のサイボーグ化が賛否両論を巻き起こしつつも、推進派が優勢となり、近い将来の実施が決まり、競馬会は激烈な変化に晒される運命にあった。サイボーグ化に絡む政治的な思惑も含め、激動に備え大小の生産者・馬主・調教師・騎手たちは、それぞれの立場で競馬との関係を見つめなおし、それぞれの道を模索する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年10月31日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約247頁+あとがき3頁。9ポイント48字×17行×247頁=約201,552字、400字詰め原稿用紙で約504枚。標準的な長編小説の分量。

 一見ハードボイルド調でとっつきにくい印象を与える文章だが、実際に読み始めると、新人とは思えぬほど読みやすく、サクサク読める。SFではあるが、テーマに絡む重要なガジェットは「サラブレッドのサイボーグ化」ぐらいなので、メカっぽいのが苦手な人でも大丈夫だろう。

 それよりも、重要なのは競馬の知識。よく知っている人ほど楽しめると思う。いや私は競馬をほとんど知らないんだけど、それでも充分に楽しめた。また血統が重要な世界なので、遺伝学の基礎は知っていた方がいい。

【どんな話?】

 22世紀、ロシアの植民地となった日本。笹田は生産馬の小規模な牧場、駿風牧場を経営している。目立つ存在でもない笹田の牧場に、なんとロシアのエリートで北海道地区弁務官のアレクセイ・イリッチが訪ねてきた。笹田が期待している繁殖牝馬サッドソングが産んだ最初の仔の、馬主になりたいというのだ。

 世界的な異常気象で、ヨーロッパやアメリカは大打撃を受け、競走馬も壊滅した。唯一、天災を逃れた日本は、南下するロシアに占領されたが、優れた競走馬の血統は残った。そして今、日本の競馬はサイボーグ化が決定し、サッドソングの初仔は生身でダービーに出走する最後の世代となる

 そして最後の(生身の)ダービーに向け、物語は走り始めた。

【感想は?】

 短い、短いよ。もっと読ませろ。半分ほど読んだ時点で「ああ、もう半分しか残ってない」と寂しくなったじゃないいか。

 一応はSFのラベルが貼ってあるけど、中身はほとんど競馬の話。SF者としては肩透かしを食らってガックリ…とはならず、むしろ競馬小説そしてやたらと面白かった。

 私の知人にも、競馬が好きな人が何人かいる。楽しみ方は人それぞれで、競走馬そのものが好きな人もいれば、レースとして楽しむ人もいるし、一種のミステリとして予想する事自体を楽しむ人もいる。楽しみ方はそれぞれでも、長く続けている人には、共通した特徴がある。

 みんな、競馬に関して、確固とした哲学またはスタイルを持っている点だ。目先の配当に惑わされず、自分のスタイルを貫いている。

 所詮、競馬は博打だ。博打には魔力がある。迂闊に近づけば、惑わされ身包みはがされる。それでも、長く続けられる人がいる。彼らは、魔力に惑わされない。自分の哲学に絶対の自信を持ち、一度決めたスタイルを決して崩さない。過去の自分の戦績がどうあれ、自分のやり方に従って賭け、勝っても驕らず、負けても悔いない。いや内心は知らないが、表には決して出さない。

 この話が面白いのも、そこだ。出てくる人は、様々な立場で競馬に関わる。最初に出てくるのは、こじんまりとした規模の牧場を経営する、笹田。父に連れられ出かけた競馬場で、彼は競馬に惚れ、やがて自分の牧場を持つまでに至る。小さな新進の牧場だけに、大牧場とは異なった戦略で牧場を経営する。

 同じ牧場主でも、大規模な井声ファームを経営する井声信一郎との方針の違いが、競馬との関わり方のバラエティーを感じさせる。大きな牧場だけに、仕掛けも大きい。井声の計画は、サイボーグ化を企む政府との、決定的な溝を象徴すると共に、ヒトと家畜またはヒトとペットとの関わりそのものを暗示しているようだ。そう、我々は馬ばかりでなく豚や牛や犬も、自分の都合で改造してきたのだから。

 やはりサイボーグ化への反発を代表するのが、環境保護団体グリーンプラネットのコールマン。政治的には似た結論を持ちながらも、牧場主たちとコールマンには根本的な違いがある。ちなみに「説教の後の幻影」で画像検索した結果はこちら

 そして、馬主として競走馬に関わる者もいる。たった一頭の、そして恐らくは生涯に一度だけのつもりで馬主になるイリッチと、長年に渡り多くの馬を保有し、今後も保有し続けるであろう田沢。いずれも力を誇示する類の男だが、誇示の手段の違いがキャラの違いそのままだ。

 やはり鮮やかな対照をなしているのが、騎手。ベテランで体力的には下り坂の曾根崎と、新進の黒節。私は今までスポーツ選手のヒーローインタビューって、あまり細かく分析してなかったけど、熱心なファンは、ちゃんと細かい部分まで注意して聞いてるんだなあ。

 そして、曾根崎のレース運びの深謀深慮。単に勝てばいいってモンじゃない、競馬って世界の複雑さ。こういった事情を読むのも、競馬の面白さなんだろうなあ。

 などと様々な立場で競馬に関わる者たちが、それぞれの立場や姿勢の違いを、自らの言葉で語る所が、この作品の一番オイシイところ。人の生き方を描くという点では、SFというよりハードボイルドに近い。各登場人物は、外見の描写がほとんどないのに、台詞だけで充分にキャラが立っちゃってる。

 全般的に型破りな作品が多い日本SF新人賞だけど、この作品は娯楽小説として巧くまとまっている。何より、著者が競馬に抱く愛情が伝わってくるのがいい。「競馬って、こんなに面白いんだぜ」という滾る想いを、冷静なリードで乗りこなした作品。

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2013年8月13日 (火)

宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 2

 夏五月一日、大空に竜に乗ったものが現れた。顔かたちは唐の人に似ていた。油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方向に空を馳せて隠れた。正午頃に住吉の松嶺(まつのみね)の上から、西に向かって馳せ去った。
  ――巻第二十六 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 斉明天皇

 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1 から続く。

【感想は?】

 さて、噂の武内宿禰(→Wikipedia)。やたらと長生きで、説によっては300歳なんてのもある。最も単純な解釈は落語家や歌舞伎役者のように、代々で襲名したというもの。または「防衛大臣」のように役職名だ、という解釈。まあ、当時は一族で役職を引きついでいただろうから、どっちも同じようなもんだろう。ところが、初登場の 巻第七 景行天皇 では…

屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと、→Wikipedia)を遣わして祭らせた。武雄心命は阿備の柏原にいて、神祇を祀った。紀直の先祖莵道彦(うじひこ)の娘影媛(かげひめ)を娶とって、武内宿禰を生ませた。

 と、まるで個人名であるかのように書いてある。役職名または一族で襲名した名前だったのが、記録に残す頃には伝説の長寿となっていた、って解釈が自然かしらん。

 司馬遷の史記やギボンのローマ帝国衰亡史と比べると、これまた特徴が多い。まず気がついたのが、女性の名前がやたら出てくること。史記だと、たとえ皇帝の娘でもまず名前が出てこないのに、日本書紀ではキチンと名前が出てくる。やはり天照大神の国だからか。これは朝廷ばかりでなく、征伐される熊襲や土蜘蛛も女ボスがいるから面白い。

 しかも仲哀天皇の所では、神の宣託を受けたりと皇后陛下の記述が多い…と思ってたら、神功皇后だった。後にも推古天皇,皇極天皇=斉明天皇と、女帝が出てる。まあ、日本はカアチャンの国だし。

 勇ましい女性の話もあって、舒明天皇の頃、蝦夷征伐に赴いた大仁上毛野君形名(だいにんかみつけのきみかたな)の奥様、砦を囲まれた際、「ご先祖が残した武勇を汚さないでよ」と夫に酒を飲ませてハッパをかけ、自ら夫の剣を構えお付の女に弓の弦を鳴らさせ、形勢を逆転する。ええ奥様や~。

 異母妹との婚姻が多いのも、大和王朝の特徴。ところが、さすがに同母妹とはタブーらしく。允恭天皇の巻では、禁忌を犯した木梨軽王子(きなしかるのみこ)と軽大娘皇女(かるのおおいつらめのひめみこ)。発覚して大娘皇女は伊予に島流し。後に軽王子は穴穂皇子との抗争に破れ自殺。ああ悲劇と思ったら、「一説には伊予国に流しまつったという」。実はハッピーエンド?

 さて、血縁婚なんだけど、異母兄妹までOKってのは、結構珍しいんじゃなかろか。いや他の王朝は良く知らないんだけど。女性天皇を見ると、長期政権を担った天皇の皇后ってパターンばかり。とすると、皇后には中継ぎの可能性があるから、皇族でなきゃ困るって事情があるのだろうか。

 もっと疑うと、そもそも出生を偽った可能性もあるんだよね。例えば。皇太子の母は物部氏で、蘇我氏も妃(仮に蘇我大媛とする)を出している、。皇太子が蘇我配下の娘(仮に蘇我小媛とする)を気に入り、ぜひ妃に、と望むが、生まれが卑しいので相応しくない。そこでデッチあげるのだ。「蘇我小媛は、蘇我大媛の娘である」と。…と思ったが、皇女は後宮で育つだろうから、デッチあげは難しそうだなあ。

 なかなかワイルドなのが雄略天皇。ライバルを次々と倒して即位。采女に手をつけて娘を作るが、「いや一晩っきりだし、俺の子じゃないもんね」と知らんぷり。ところが後に「あの娘の父親はもしや」と噂になり問い詰められ…

「だって一晩だけだし」
「その一晩で何回呼びました?」
「七回」

 元気だw
 怪異譚もアチコチにあって。浦島太郎の原型みたいなのが、やはり雄略天皇の巻にある。曰く…

秋七月、丹波国与謝郡の筒河の人、水江浦島子(みずのえうらしまのこ)が、舟に乗って釣りをしていた。そして大亀を得た。それがたちまち女となった。浦島は感動して妻とした。二人は一緒に海中に入り、蓬莱山に至って、仙境を見て回った。

 冒頭の「空飛ぶ竜に乗る人」も、オカルトなこじつけすると楽しい。「油を塗った青い絹で作られた笠」って、青いヘルメットかしらん、とか。天武天皇の項にも、こんなのがある。

(八月)十一日、灌頂幡(かんじょうのはた)のような形で、火の色をしたものが、空に浮かんで北に流れた。これはどの国でも見られた。「越の海(日本海)にはいった」というものもあった。

 UFOとかが好きな人なら、イロイロと妄想できる所。昔の人も「珍しい物」は好きだったようで、二股の稲や三本足の雀,赤烏,白い雉などが献上されてる。白い雉って、もしかしてアルビノかしらん。変なのでは皇極天皇の常世の神(→Wikipedia)もケッタイ。

秋七月、東国の富士川のほとりの人、大生部多(おおふべのおお)が、虫祭りを勧めて言うのに、「これは常世の神である。この神を祭れば富と長寿が得られる」といった。(略)人々に家の財宝を投げ出させ、「新しい冨が入ってきたぞ」と連呼させた。(略)
この虫というのは常に橘の木に生じ、あるいは山椒の木にもつく。長さは四寸あまり、その大きさは親指ほど、色はみどりで黒いまだらがある。その形はたいそう蚕に似ていた。

 …えっと、アゲハ蝶の青虫っぽいんですけど。

 雄略天皇・天武天皇ともに武闘派で、お出かけも狩が多い。やっぱ若い王朝は軍事を重視するよね、と感じるのが天武天皇の詔。

「そもそも政治の要は軍事である。それ故文武官の人々は、努めて武器を使い、乗馬を習え。馬・武器・それに本人が着用する物は、仔細に調べ揃えておけ。馬のある者を騎士とし、馬のない者は歩兵とし、それぞれ訓練を積んで、集合の際に差し支えのないようにせよ…」

 どう見ても天皇の詔というより将軍の下知って雰囲気の言葉。まあ壬申の乱を指揮したお方の言葉だから、勇ましいのも当然だけど、当事の権力者は同時に軍事指揮者でもあった様子が伺える。つまりは軍事政権なわけだ。これが後に貴族化してゆく事わけで、軍事政権→官僚化ってのは、封建制が辿るパターンなんだろうか。智恵の権化とされる聖徳太子も、実際は武闘派だったのかも。

 その聖徳太子、有名な十七条の憲法(→Wikipedia)。これで読むかぎり、法というより道徳的な訓話って感じで、あまし具体的な事は書いていない。いきなり「一にいう。和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ」。具体的なのは次の「二にいう。篤く三宝を敬うように。三宝とは仏・法・僧である」で、仏教国である由を明言してる事と、十六で「賦役は農閑期の10月~12月にしろ」ぐらい。やっぱ農業は国の基本なのね。

 彼が作ったとされる法隆寺、天智天皇の九年四月三十日、「暁に法隆寺に出火があった。一舎も残らず焼けた」とある。Wikipedia を見ると、今も建築の年代については議論が続いている様子。仮に焼けていないとするなら、なんで「焼けた」なんて書いたんだろう。

 欽明天皇・敏達天皇あたりから、やたら半島ネタが多くてあからさまに新羅が悪役だったり、いかにもな政治的配慮が見えるのも、編纂当事の国際状況を反映してのものなんだろうか。などと考えると、編纂時の歴史まで調べなきゃいけなかったり、足を踏み入れるとキリがないのが歴史の世界。とまれ、日本の古代史に凝る人の気持ちが少しだけ分かる気がする。特に近畿・中国・九州の人は、地元の名前が次々と出てくるから、燃えるんだろうなあ。

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2013年8月12日 (月)

宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1

 昔、天と地がまだ分かれず、陰陽の別もまだ生じなかったとき、鶏の卵の中身のように、固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。やがてその澄んで明らかなものは、のぼりたなびいて天となり、重く濁ったものは、下を覆い滞って大地となった。

【どんな本?】

 古事記と並び日本の古代の歴史を伝える文献ではあるが、一般に多く流布した古事記と比べ、日本書紀はあまり馴染みがない。物語風で神代の巻が覆い古事記に比べ、日本書紀では歴代天皇の記述が多くを占め、また豪族や地名の由来の記述が多く、歴史書として当事の政治情勢を強く反映した様子が伺える。

 講談社学術文庫の上下巻は、読解が難しい漢文で書かれた日本書紀を、読みやすい現代語に翻訳したものであり、日本の古代史の入門用として優れた資料となる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説によれば、成立は奈良時代の720年。講談社学術文庫の全現代語訳は1988年8月10日第1刷発行。私が読んだのは1988年8月31日の第2刷。文庫本で縦一段組み上下巻で本文約363頁+約339頁=約702頁。8.5ポイント41字×16行×(363頁+339頁)=約460,512字、400字詰め原稿用紙で約1152枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 訳文そのものは比較的にこなれている。が、なにせ元が古代の文章であり、しかも漢文だ。表現などはイマイチ分かりにくいし、出てくる固有名詞や地名もよくわからない。また意味不明な文章も多い。とまれ、主な舞台は近畿・中国・北九州なので、地元の人には馴染み深いかも。

 などと難渋する要素が多い上に、奇異な点や矛盾する記述も多い。編纂時の政治的な意図もあるし、古代史・ミステリ・伝奇物・怪奇物が好きな人だと、推理や妄想に頭を占領され、なかなか読み進められないので要注意。

【構成は?】

上巻
  まえがき/九国名地図/国県対応表
 巻第一 神代 上
 巻第二 神代 下
 巻第三 神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと) 神武天皇
 巻第四 神渟名川耳天皇(かむぬなかはみみのすめらみこと) 綏靖天皇
      磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと) 安寧天皇
      大日本彦耜友天皇(おほやまとひこすきとものすめらみこと) 懿徳天皇
      観松彦香殖稲天皇(みまつひこすきとものすめらみこと) 孝昭天皇
      日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと) 孝安天皇
      大日本根子彦太瓊天皇(おほやまとねこひこふとにのすめらみこと) 孝霊天皇
      大日本根子彦国牽天皇(おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと) 孝元天皇
      稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと) 開化天皇
 巻第五 御間城入彦五十塑殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと) 崇神天皇
 巻第六 活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと) 垂仁天皇
 巻第七 大足彦忍代別天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと) 景行天皇
      稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと) 成務天皇
 巻第八 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと) 仲哀天皇
 巻第九 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 神功皇后
 巻第十 誉田天皇(ほむだのすめらみこと) 応神天皇
 巻第十一 大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと) 仁徳天皇
 巻第十二 去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと) 履中天皇
       瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと) 反正天皇
 巻第十三 雄朝津間稚子宿禰天皇(をあさづまわくごのすくねのすめらみこと) 允恭天皇
       穴穂天皇(あなほのすめらみこと) 安康天皇
 巻第十四 大泊瀬幼武天皇(おほはつせのわかたけるのすめらみこと) 雄略天皇
 巻第十五 白髪武広国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと) 清寧天皇
       弘計天皇(をけのすめらみこと) 顕宗天皇
       億計天皇(おけのすめらみこと) 仁賢天皇
 巻第十六 小泊瀬稚鷦鷯天皇(おはつせのわかさざきのすめらみこと) 武烈天皇
 巻第十七 男大述天皇(おほどのすめらみこと) 継体天皇
 巻第十八 広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと) 安閑天皇
       武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと) 宣化天皇
  小見出し索引
下巻
 巻第十九 天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと) 欽明天皇
 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇(ぬなかくらのふとたましきのすめらのみこと) 敏達天皇
 巻第二十一 橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと) 用明天皇
         泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)崇峻天皇
 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと) 推古天皇
 巻第二十三 長足日広額天皇(おきながたらしひひぬかのすめらみこと) 舒明天皇
 巻第二十四  天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらのみこと) 皇極天皇
 巻第二十五 天万豊日天皇(あめよろづとよひのすめらみこと) 孝徳天皇
 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 斉明天皇
 巻第二十七 天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと) 天智天皇
 巻第二十八 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと) 天武天皇 上
 巻第二十九 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと) 天武天皇 下
 巻第三十 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと) 持統天皇
  あとがき――解説に代えて――/参考文献
  付録 五行・十干・十二支 干支順位表 皇室系図 「日本書紀」関連年表(神武天皇――持統天皇)

【感想は?】

 一級品のミステリ。

 「まえがき」によれば、古事記は文学書で日本書紀は歴史書。Wikipedia によると「伝在する最古の歴史書」ではあるけど、「最古の歴史書」ではない模様で、例えば巻第二十四・皇極天皇に「蘇我臣蝦夷らは殺される前に、すべての天皇記・国記・珍宝を焼いた」とある。

 歴史書としても奇妙な点が多い。最初の天地開闢からして、「ある書ではこういっている」「また一書では」…と、九つの仮説を併記している。この併記様式、巻が若いほど併記が多く、後になるほど減っていく。何か事情があるんだろうか。

 さすがに神代は古事記でも馴染みの内容が多い。神話ってのはパターンが決まっているのか、イザナギノミコトがイザナミノミコトを追って黄泉の国に行き「覗いちゃイヤ」と言われてるのに覗くあたりは、ギリシア神話のオルフェウス(→Wikipedia)を思わせる。また、鍛冶の神様が「天目一箇神(あまめのひとつのかみ、→Wikipedia)」ってのが、これもギリシア神話のヘパイストス(→Wikipedia)を連想してしまう。

 「覗いちゃイヤ」「でも覗く」パターンは海彦・山彦の山彦こと彦火火出見尊(ひこほほでのみこと、→Wikipedia)が再演。奥様の豊玉姫が「出産の時に覗かないでね」と言ってるのに…。まあ「見ちゃイヤ」と言われると見たくなるのは男の性。「鶴の恩返し」にも出てくるし、日本の伝統芸でしょう←をい

 神武天皇(→Wikipedia)が127歳と異様に長命なのは有名で、これも色々な解釈ができる。もうひとつ気になるのが、この頃は即位してすぐ遷都してること。この二つをあわせると、まず二つの可能性が思い浮かぶ。

  1. 最初の頃の天皇は、人物ではなく覇権の移動を示す。その当事の最も有力な豪族の本拠地を都とした。
  2. 王朝は連続している。当事の天皇は人物ではなく王朝の本拠地を示す。つまり即位→遷都ではなく、遷都を即位と解釈した。

 まあ、それ以前に「そもそも日本書紀の記述が信用できるのか?」って問題があるんだけど。

 「日本人のルーツ」とかを考えると、やっぱりイロイロとヒントが隠れている。まず気がつくのは、航海術に長けていること。この本の冒頭に「旧国名地図」があって、これを見て「うわ!」と叫んでしまった。大きな区分として東海道とか山陽道とかあるんだが、それぞれの「道」は、東西に細長い。当事の運輸は水運が盛んで、水運を基準に地域を分けたと考えれば辻褄があう。

 メイン・ウエポンが弓なのも、当事の特徴。これも幾つか解釈ができて。確か戦国時代あたりまでは礫や弓が主力で、次いで槍って話があるから、あまり戦の抽象化が進まず実態に近い描写になったのか、水上での弓の射あいが多かったのか。いや今思いついたんだが、当事の主要金属は青銅だから、矛や剣は、あまり威力がなかったのかなあ。

 やはり東征に代表されるように、陛下自らの出陣が多い事にも気がつく。「正式な歴史書」である以上、唐に渡る事も配慮してるだろうから、中国の各王朝が武力で統一した事に倣ったとも考えられるけど、本来の大和王朝は荒々しい存在だった、とするのが自然だろうなあ。

 記述で奇妙なのが、有名な日本武尊(ヤマトタケルノミコト、→Wikipedia)の熊襲征伐。女装して云々が有名だが、初登場の時の紹介は「壮年になると、容貌は溢れるばかりの逞しさ」「身丈は一丈」って、約3メートル?まあ、この不自然さに加えて、実は日本武尊の熊襲征伐は第二次。第一次があって、これが…

熊襲梟師(クマソタケル)には二人の娘・市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文(いちかや)がいた。景行天皇は市乾鹿文を抱きこむ。市乾鹿文は熊襲梟師を酔わせ弓の弦を切り、手下が熊襲梟師を暗殺する。景行天皇は市乾鹿文の親不孝を憎み、彼女を殺す。

 …なんか日本武尊の手口とソックリだし、クマソタケル死んでるじゃん!と思ったら、日本武尊が倒すのは魁帥と書いてタケルと読む人で、またの名を取石鹿文(とろしかや)または川上梟師(かわかみのたける)。どうもタケルというのは熊襲の長を示すっぽい。

 ってのは置いて。先の市乾鹿文の話が、日本武尊の直前に出てくるってのが、謎。どうみてもパクリで、しかもハッキリとわかる形で記してるのは、どういう事なんだろう?「また一書では」とするつもりが何かの事情で省かれたのか、多数のチームに分かれ編纂したための不整合なのか。

 同様に巻第七では、伝奇物ファンにはお馴染み武内宿禰(→Wikipedia)が登場して…などと妄想に浸りつつ、次の記事に続く。

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2013年8月11日 (日)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 西海岸編 2」電撃文庫

「ぬふふ。黒か戦闘班も決まっとるのー。工具一式、餞別タイ」

【どんな本?】

 2000年9月28日発売の SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」のノベライズとして始まったシリーズ。ゲームはプラットフォームの限界を超えた野心的なシステムがマニアの熱狂的な支持を受けロングセラーとなり星雲賞も受賞、2010年にはPSP用のアーカイブとして復活した。2001年12月15日発売の短編集「5121小隊の日常」から始まった榊涼介の小説シリーズも12年以上続き、この巻で通算38巻目。

 1945年に突然現れた幻獣に人類は蹂躙され、ユーラシア大陸・アフリカ大陸を失い、今も激烈な戦闘が続く。1999年に幻獣は九州に上陸、日本政府は14歳~17歳の少年兵を捨て駒として招集して対応する。この時に召集された学兵のはぐれ者集団がシリーズの主人公となる5121小隊である。

 三機の人型戦車・士魂号を主力とする5121小隊は予想を裏切り急激な成長を遂げ、壊滅的な九州戦線で殿軍として活躍、多くの学兵を救う。幻獣の本州上陸を退け九州に逆上陸、幻獣の王カーミラとの和平に漕ぎつける。青森・北海道と転戦し英雄となった5121小隊はアメリカ・ワシントン政府に招待され、レイクサイドでも多くの市民を救う。

 米国にはもうひとつ、西海岸のシアトル政府があった。国交を望む日本政府や財界の意向もあり、シアトルに降り立った5121小隊はここでも歓迎される。戦場では古参兵の貫禄を見せる5121小隊だが、中身は悩み多き青少年。幾つかの騒動を巻き起こしながらも、市民には親しまれる存在となった。

 若い四人組みの銀行強盗事件に巻き込まれた5121小隊は、シアトル政府の暗部を垣間見る。シアトル市場のリスク評価を望む日本財界の後押しを得て、外交使節としての特権を振りかざし、対幻獣戦の前線であるサンディエゴへ視察の名目で赴く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年8月10日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約266頁に加え、特別短編 Take me out to the ball game 12頁を収録。 8ポイント42字×17行×(266頁+12頁)=約198,492字、400字詰め原稿用紙で約497枚。標準的な長編小説の分量。

 文章そのものは読みやすい。シリーズ物なので、できれば「5121小隊の日常」から読むのがベストだが、さすがに30巻以上もあるので気後れする人もいるだろう。その場合は前の「ガンパレード・マーチ2K 西海岸編 1」か、その前の「5121小隊の日常Ⅲ」がお薦め。舞台がシアトルに変わり5121小隊以外の登場人物も大幅に交代したので、入り込みやすいだろう。なお、「刊行順に読みたい」という人は、「書評一覧:ガンパレード・マーチ」をどうぞ。刊行の逆順に並べてあります。

 戦争物なので、多少は軍事の知識があると、より楽しめる。銃器については、かのよしのり「銃の科学」が、軍の組織は「歴史群像アーカイブ2 ミリタリー基礎講座 戦術入門WW2」が、初心者向けにお薦め。

 長いシリーズなんだし、そろそろ新しいファン向けに、再録でいいから5121小隊の面々を紹介するイラストを口絵につけて欲しいなあ。

【どんな話?】

 シアトルの平和な日常に浸っていた5121小隊だが、四人組みの銀行強盗騒ぎに巻き込まれ、今も戦争が続くアメリカ大陸の現実を思い知る。日本の政府と財界の圧力をテコに前線サンディエゴへの視察を強行する5121小隊は、丁重な接待を試みる補助兵総司令官のグラント中将をかわして銃弾が飛び交う最前線へと向かう。そこでは、優れた戦闘力を持つ古参兵で固めた銀狼師団が、補助兵を使い捨ての囮として使っていた。

【感想は?】

 なんとイワッチが表紙に出てる。「小隊の日常」以来?やっぱりイっちゃってます。メイク取ればいい男なのに。

 まずは巻末の特別短編 Take me out to the ball game から。タイトルは、メジャーリーグのファンに特別の意味を持つ歌「私を野球に連れてって」から取ったもので、予め Wikipedia で予習しておくと、感慨が違ってくる。メジャーリークでは7回のチェンジの際、観客が背伸びをしてこの曲を歌う習慣がある。歌は、女の子が男の子に「ねえ、野球に連れてってよ」とおねだりする内容。プロの歌手がスタジオで歌ったヴァージョンも沢山あるが、この短編だと球場の観衆が大合唱してる版(→Youtube)が雰囲気を掴めると思う。

 内容は、ご想像のとおり戦争と野球とロマンスの、ちょっと切ないお話。こっちの世界じゃ、サンディエゴは海軍の町で、メキシコ国境に近いため観光拠点でもある。映画 Top Gun(→Wikipedia)の舞台にもなり、軍港を遊覧するフェリーもあったりする。メジャーリーグの球団パドレス(→Wikipedia)も擁しております…あまし強くないみたいだけど。

 アメリカに旅行する機会があったら、野球でもバスケットでもホッケーでもいいので、何かプロ・スポーツを観戦するといいよ。チケットの手配は旅行代理店でもいいし、ホテルに頼んでもいい。あまりいい席じゃなくて、例えば野球なら外野席がお薦め。ゲームそのものより、観客のノリのよさが楽しいんだ。

 さて、本編。前巻で仄めかされた補助兵制度と、それを食い物にする正規兵のエリート部隊・銀狼師団の軋轢が主なテーマとなる。

 両者の間に強引に割ってはいる5121小隊、政治的にも難しい事態なためか、今まで原さんにいじめられ搾取されるだけの役だった善行が、この巻では堂々と主役としてスポットを浴びる。珍しい。半島から散々に苦労ばかりさせられた人が、やっと偉い人とのコネが出来て悠々自適…とはいかないのが悲しいところ。日本での派閥争いでセンスを磨いたのか、屁理屈を並べ割り込む割り込む。まさしく錦の御旗を掲げた善行の強引な割り込みぶりが、この巻の最大の読みどころ。

 その善行に張り合うのが、補助兵総司令官のグラント中将。イギリスじゃ伯爵だったとかで、血筋を誇るだけのヘタレかと思いきや…。まあ、やっぱしキザったらしい貴族趣味はそのまんまなんだけど、終盤での大見得はなかなかのもの。ずっと、やってみたかったんだろうなあ。昔の欧州じゃ騎兵って貴族の役割だったし。いや庶民は軍馬なんか用意できないでしょ。オッサンのドヤ顔が目に浮かぶ。

 お芝居といえば、怪人半ズボンも前巻に続き、得意の口先三寸で周囲を煙に巻く大活躍。善行さんも、よくこんな猛獣を飼う気になったなあ。今は猛獣使いが控えてるからいいけど。とはいえトイレ掃除はトラウマになってるようで、これは士官学校校長の指導の賜物でしょう。つか森さん、何作ってるんだw

 ガジェットでは、「小隊の日常Ⅲ」収録の「遠坂圭吾の不思議な愛情」で登場したロボット、前巻でも少し出てきたけど、この巻ではやっと本領発揮。しかしあのネタをここにつなげますかw まあ斥候ってのは重要な仕事だし、例えば迫撃砲の照準あわせとかでも、高所を占領する必要がないのは戦術に大きな利点だし。

 「小隊の日常Ⅲ」「西海岸編1」と日常描写が続いたけど、この巻からは、先の偵察ロボットの登場でわかるように、いよいよ硝煙の匂いが漂ってくる。

 ゲームだと、実は最も速い攻撃は突き(FSの2ステップ)で、それに返し刃(SV)のコンボを決めると FSV の3ステップで2回攻撃できたりする。これにジャンプ前(またはジャンプ右・ジャンプ左)を組み合わせ、JFSV(または JRSV, JLSV) の4ステップにして、敵の攻撃タイミングと攻撃範囲を読みきれば、まずもって戦闘じゃ負けない。やっぱし突き最強。戦闘はヒット・アンド・アウェイです。

 …ってなゲームを彷彿とさせる未央ちゃんの活躍が嬉しい。ジャンプ・突き・返し刃を駆使するこの戦術、単に強いだけじゃなく、接近戦となるため幻獣の射線をひきつけるんで、友軍の損害も減っていい事ばかりのようだけど、気力の消耗が激しいのが問題。予めイワッチと「いっしょに訓練」して気力を充実させておけば、未央ちゃんの気分が味わえます。

 お約束どおりキナ臭さが増したこの巻。グラント閣下の活躍を期待しつつ次巻を待とう。

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2013年8月 8日 (木)

テオドル・ベスター「築地」木楽舎 和波雅子・福岡伸一訳

グローバルな料理に相対してみれば、米や魚、味噌汁は「日本の」味だと言って差し支えない。しかし、東京と大阪――あるいは、九州と東北――の出身者が角突き合わせれば、汎日本的な料理の結束は脆くも崩れ、地方間の激しい派閥争いが始まる。
  ――第四章 生ものと火を通したものと

【どんな本?】

 世界最大の卸売市場であり、最近は観光スポットとしても脚光を浴び、現在は移転が大きな政治問題となっている築地こと東京都中央卸売市場築地市場。

 日本研究と人類学でハーバード大学の教授を務める著者が、築地の、特に水産物市場に焦点をあて、その成立の歴史と経緯,官・民・買い手など市場を形成する人々の役割・関係・内部構成,世界の情勢や消費者の動向が市場に与える影響,せりなど独特の商習慣とルール,取引される水産物の流れ,築地のライバルや上流・下流を構成する業界との関係など、システムから個人まで多角的な視点で取材・分析し、築地の全貌を明らかにすると共に、西欧文化から見た日本の文化・歴史・社会の特異性を明らかにしてゆく。

 アメリカ人類学協会経済人類学部門2006年最優秀賞およびアメリカ人類学協会東アジア部門2005年特別文献賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TSUKIJI The Fish Market at the Center of the World, by Theodore Bestor, 2004。日本語版は2007年1月26日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約529頁+訳者あとがき4頁。10ポイント42字×17行×529頁=約377,706字、400字詰め原稿用紙で約945枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 文化人類学者の書いた学術書なだけに、レヴィ・ストロースを引用したりと少々堅い部分もある。「面倒くさいな」と思ったら、そういう哲学的な思索の部分は読み飛ばして構わない。

【構成は?】

 献辞/訳者注記/まえがき/謝辞/用語、年代表記、統計データ、通貨に関する補足
第一章 東京の台所
第二章 掘られた溝
第三章 埋立地が築地市場に変わるまで
第四章 生ものと火を通したものと
第五章 見える手
第六章 家族企業
第七章 取引の舞台
第八章 丸
 付録1 築地を訪ねる
 付録2 ビデオ、ウェブサイト、統計データ出典
 注/参考文献/Bibliography/訳者あとがき

 「まえがき」で本書の概要を説明し、読者の関心によって「どこから読むべきか」を案内している。「付録1」は築地の観光案内。

【感想は?】

 学術書ではあるけれど、テーマの興味深さに加え、著者の体当たり的な取材が功を奏して、磯の香りとせり人のしわがれたダミ声が漂ってきそうな、ライブ感溢れる楽しい本となった。

 導入部が巧い。75年、日本留学中で新婚の著者は、おっかなびっくり深川のすし屋に入る。幸いおやじさんのワタナベさんに気に入られたらしく、常連となった著者は、ワタナベさんに連れられ築地に足を踏み入れる。その喧騒と混沌に魅せられた著者は、以後何度も築地に足を運び、日本の文化・経済システム・商習慣などに踏み込んでゆく。

 そこで、先のワタナベさんなど仕入れに訪れる人・場内市場に店を構える仲卸業者・せりにかける卸業者・仲卸業者の協同組合である東卸・監督的立場にある東京都・大手の購入者であるホテルやスーパーなどに対し、膨大なインタビューを行い、「現場の人」の生々しい声を聞き、伝える。

 同時に、キチンと資料も漁り、俯瞰的な視点も忘れていない。そこでは、徳川家康の江戸入りにまで遡り、日本の商業と流通の歴史的な経緯を語ってゆく。

 ここで興味深いのが、18世紀初頭に大阪に(おそらく世界初の)米の先物取引市場が成立していること。藩や幕府の指導ではなく、商人が自主的に作ったのだ。

 司馬遼太郎の「」や服部正也の「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んだ時に思ったんだが、明治維新が比較的スムーズにいった原因の一つは、資本主義の根幹である商業・流通システムが既に成熟していたためじゃないかしらん。

 制度的に見ると、卸売り市場の元は日本橋魚河岸。大消費地であり水運が発達した江戸じゃ、魚河岸を川沿いに置くのが適切だった。この頃から、江戸の問屋は生産地の漁村と関係を深めている。網本が必要とする設備や道具の費用を肩代わりし、見返りに水揚げを独占する。当時から仲買人はいて、問屋から仕入れた品を街頭のまないた一枚~2枚程度のスペースで売っていた。これが「18世紀初頭までにしっかりと確立していた」というから凄い。

 維新で市場の移転問題が持ち上がる(1889年)が、大いに揉める。そこに悲劇が襲う。1923年の関東大震災だ。ゴタゴタはあったものの、1935年5月に築地に移転。この頃は貨車が搬入の主力だった模様。やがて1960年ごろからトラックによる搬入が増え、今は大半がトラック。

 冷凍マグロでわかるように、築地で扱う商品の多くは輸入品だ。2001年の統計だが、面白い事に最も多い輸入元は中国で、金額2821億円・重さ6億8250kg。次いでアメリカの1750億円・4億2120kg、タイの1302億円・2億4090kgと続く。政治的には対立してても、経済的には日本と中国は相思相愛だったりする。

 もちろん、ガイジンの書いた日本論としての面白さもある。冒頭の引用は、ユーモア交じりに日本人の食へのこだわりと食文化の豊かさを論じた所。確かにテレビの旅行番組じゃ国内だろうと海外だろうと必ずご当地の名物を紹介するし、食べ歩きをテーマにした雑誌もあれば、料理を扱う漫画も多い。アメリカのロブスター生産業者が日本への輸出を諦めるエピソードが楽しい。披露宴に呼ばれた時、隣の人よりあなたに出された伊勢海老が小さかったら、どう思います?ガイジンならではの目が光るのが、次のくだり。

西洋料理の場合、材料は缶詰でも生鮮食品でも構わないという品が多いが、「伝統的」日本料理(すなわち《和食》)の標準的な品で、缶詰を使って作られるものはまずないのである。

 なんか缶詰って、ワンランク下って印象があるんだよね。いやシーチキンのマヨネーズあえは大好きですが。細かくちぎったレタスを加えてスパゲティ・サラダにしたり…って、腹が減るからこの辺でやめよう。
 その缶詰を売ってるスーパーや伊勢海老を出すホテル、これらと築地の関係が、これまた微妙で複雑。大手のスーパーなどは築地を通さず産地の卸売り市場から買い付けるルートを開拓してて、築地もこれに対抗するため大手向けサービス「先取り」を提供した。これが、従来の仲卸業者との妥協の産物で。

 スーパーは下ごしらえや包装の手間があるので、なるたけ早く買いたいが、仲卸は勝手に仕組みを変えられちゃ困る。そこで、大手は先に仕入れる品を指定する。ただし価格は他の業者の入札で決まる。

 観光地としての築地の見所を三つあげるなら、独特のしわがれ声が飛び交うせり場と、ゴチャゴチャした仲卸が密集する場内市場、そして下町の雰囲気を色濃く残す場外市場だろう。せり場と仲卸に(仕事として)入れるのは都の免許を持つ者のみで、この辺が他国からは非関税障壁と見える部分。

 とまれ、例えばせり人は毎日順番で担当できる時間が変わる。もっと驚いたのが、混沌とした仲卸が集まる場内市場。なんと、場所はくじ引きで決まるとか。まあ、「せり場に近い外側の端は鮮魚、市場正面に近い内側の端は干物や加工品、真ん中のブロックは冷凍魚」と、ある程度の枠はあるんだけど、枠内は多様な商品が混じりあう。

 長引く不況にも関わらず若者が集まらず外国人が増えつつある市場の労働者,<浦安>に代表される仲卸業者内の派閥、産地卸・中央卸・消費地卸などの流通システムなど現代の築地を取り巻く生々しい状況から、男社会に見えて実は奥様が大蔵大臣な家族経営システム,食べ物を粗末にする事を嫌う道徳観,「系列」が支配する大企業などの日本の文化の分析、そして「国際サミットかあると築地はヒマになる」などのおトクな情報に加え、築地の観光案内まで掲載した、学術的だけど親しみの持てる、多角的で複雑で楽しい、まさしく仲卸が並ぶ場内市場のような本だった。

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2013年8月 6日 (火)

伊藤典夫編「ファンタジーへの誘い 海外SF傑作選」講談社文庫

 そう、わたしはあのころ、変わっていました。でもいつまでも風変わりでいるというのは、並たいていではないのですよ。眼を閉じて、両手をてきるだけ広くのばしてみる、自分ではしっかりのばしているつもりでも、少しずつ少しずつ、下がっていくものなの。
  ――キャロル・エムシュウィラー 順応性

【どんな本?】

 日本のSF界を牽引した一人である福島正実が、海外の優れたSF短編を紹介しようと始めた講談社文庫のオリジナル・アンソロジー・シリーズの一冊。急逝した福島正実に代わり、翻訳家の伊藤典夫が引きついだ。

 この巻では、「SF作家によるファンタジー」をテーマに、魔法使いやドラゴンが出てくる正統派のハイ・ファンタジーから、現代を舞台に不思議な現象が起こるロウ・ファンタジー、少し不思議な話からSFともファンタジーとも判然としない奇妙な味の短編まで、色とりどりの傑作を収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1977年10月15日第1刷発行。私が読んだのは1978年8月14日発行の第3刷。文庫本縦一段組みで本文約300頁+訳者による解説「SFの中のファンタジー14頁を収録。8ポイント43字×19行×300頁=約245,100字、400字詰め原稿用紙で約613枚。長編小説なら少し長めの分量。

 当事の翻訳物としては、文章は比較的に読みやすい部類だろう。内容的にも、いわゆるサイエンス・フィクションではなく、ファンタジーや「奇妙な味の小説」ばかりなので、SFとしてはかなりとっつきやすい作品が揃っている。

【収録作は?】

死神よ来たれ ピーター・S・ビーグル / Come Lady Death, by Peter S. Beagle, 1963 / 伊藤典夫訳
 昔のイングランド。高齢の未亡人フローラ・ネヴィル侯爵夫人はとても羽振りがよく、残りの人生をパーティや舞踏会の開催に捧げている。彼女の名はロンドンの社交界に鳴り響き、時には国王もご出席になるほど。やがて並みのパーティーに満足できなくなった夫人は、とんでもない事を思いつく。「みなさん、つぎの舞踏会の主賓は、死神その人です!」
 
 「ドイツなまりで息子たちを憎んだジョージが国王」というと、ジョージ一世(→Wikipedia)かな? 死神なんぞという浮世離れした存在に、どんな招待状を出し、どうやって渡すのかを巡る、常連たちの議論もおかしいが、「この連中ならアリだろうなあ」と思わせるキャラづけがなかなか。
不可視配給株式会社 ブライアン・W・オールディス / Intangibles, Inc. , by Brian Aldiss, 1959 / 深町真理子訳
 新婚のアーサーとメイベルの家の前で、一台のトラックがエンコした。仏心を出したアーサーは、手をこまねいている運転手を夕食に招待する。食事の席でメイベルは尋ねる。「どんな製品を販売してらっしゃるの?」 運転手の回答は、更に夫妻の当惑を増した。「わたしのトラックの文字をごらんにならなかったんでしょう。ほら、『不可視配給株式会社』」
 
 オールディスといえば、妙に変態的で耽美的な印象があるけど、これは「奇妙な味の小説」って感じ。オチがついてから、再びタイトルを見直すと、また「おお!」と感嘆する仕掛け。まあ、あれです、長く一緒に暮してても、人には互いにイロイロあるわけで。
大いなる旅 フリッツ・ライバー / The Big Trek, by Fritz Leiber, 1957 / 伊藤典夫訳
 気がついたら、わたしはここにいた。見渡すかぎりの砂漠に、四列ぐらいの行列が、果てしなく続き、どこかへ向かっていいる。行列をなすのは、あらゆる世界のあらゆる時代から来た生き物だ。二本足、六本足、八本足、くるくる回るもの、ぴょんぴょん跳びはねるもの、どろどろ流れるもの。やがてわたしも列に混じり歩き始め…
 
 百鬼夜行を思わせる、不思議で不条理な情景が静かに描かれる。不気味な感じもするが、意外と恐怖は感じず、穏やかさが漂っている。ちょっと手塚治虫の「火の鳥」を連想した。
この卑しい地上に フィリップ・K・ディック / Upon the Dull Earth, by Philip K. Dick, 1954 / 浅倉久志訳
 シルヴィアは言う。「彼らはもうすぐそこまできているのよ」。 そして、リックが持つ全ての金属を棄てさせる。そして遠い羽ばたき、きらめく白いもの、彼らは来た。翼をもった群れがシルヴィアを取り囲む。見つめただけでものを燃え上がらせる、白く巨きいものたち。
 
 「ブレードランナー」や「トータル・リコール」など、よく映画化されるディックの初期の作品。改めて読むと、やっぱりこれも映像化したらいかにも映えそうな作品に仕上がってる。ディック作品に共通する「現実が揺らぎ崩れてゆく」感じは、この短編でも色濃く漂い、世界が侵食されてゆく不安定感がジワジワと迫ってくる。
ふるさと遠く ウォルター・S・テヴィス / Far from Home, by Walter S. Tevis, 1958 / 伊藤典夫訳
 夏のアリゾナ、砂漠の町。公共プールの管理人の老人は、潮の香りに気がついた。あたりにいるのは、茶色い紙袋を持って金網越しにプールを覗く子供がひとりだけ。表に出てプールに目をやった老人は、とんでもないものを見る…たしかに、クジラだ。

 5頁の掌編。カラリと晴れわたる、やたらと暑い夏の日には、頭がクラクラして幻を見そうな気分になる。老人が目を疑うのも当然だろう。
十三階 ウィリアム・テン / The Tenants, by William Tenn, 1954 / 福島正実訳
 マゴーワン・ビルの管理人の職に就いたシドニー・ブレイク。早速二日目に、入居希望者が現れた。黒の背広・黒のコート・黒の靴・黒のネクタイ・黒の帽子、そして真っ白なシャツの二人組み。トフウとボフウと名乗る二人は、妙な事を言い出した。「十三階が借りたいんだ」
 
 西洋じゃ13は不吉な数字だから、13階がないビルも多い。黒尽くめの二人というと、今はメン・イン・ブラックを連想しちゃうけど、この二人は言葉も怪しげで、むしろエイリアンっぽい。にも関わらず、全く動じない秘書のミス・カーステンバーグの肝の据わりっぷりなど、ドタバタ風味で話が進むが… ラジオ・ドラマ向きかも。
闇の旋律 チャールズ・ボーモント / The Dark Music, by Charles Beaumont, 1956 / 酒匂真理子訳
 リディア・メイプルは、サンド・ヒルのハイスクールで生物学を教えているが、ちょっとした問題があった。生物学を教える立場にありながら、いささか考え方が古風なのだ。野外授業の日、彼女は奇妙な調べを聞いた。ひと気のない森の奥から聞こえてくる、その音を追って森に入ってゆくと…
 
 半世紀以上たっている今でも、アメリカの一部じゃメイプル先生みたいな人は、相変わらず頑張っている…なんて社会問題はチト置いて。プレイボーイ誌に掲載されただけあって、上品ながらも、そーゆー雰囲気をイロイロと漂わせ、ちょいとアレンジすれば実用的な18禁の漫画になりそうな作品。最後の一行がヒドいw
順応性 キャロル・エムシュウィラー / Adapted, by Carol Emshwiller, 1961 / 小尾芙佐訳
 若いころ、わたしは変わっていました。そして、人と違っているのが嬉しかったの。長くてうすい鼻、どがった顎。大きくなるにつれ、それははっきりしてきて、何かが起こりそうな気がしたの。それがなんなのかはわからないけど。そして十九の年に、あなたのお父さまがあらわれたのです。
 
 SFともファンタジーともホラーとも解釈できる、不思議な作品。誰だって若い頃は多かれ少なかれどこかがトンガってて、そのトンガリに磨きをかける人もいるけど、大抵の人はカドを取り周囲に合わせる生き方を選んでゆく。それがオトナになる事かもしれないけど、あんまし嬉しい気分にはなれない。
 
 この作品が紹介された頃はオタクなんて言葉は世間に流布してなくて、SF者は自分のケッタイな趣味の位置づけに苦労してた。世間の目は「SFなんてガキの読み物」って感じで見下してたし。今、オタクや腐女子と呼ばれ己の趣味に複雑な想いを抱いているなら、是非読んで欲しい。最後の一行は、あなたの胸をキリキリと締め付けるだろう。
街角の女神 マーガレット・セント・クレア / The Goddess on the Corner, by Margaret St. Clair, 1953 / 伊藤典夫訳
 午後おそく、ポールは街角で彼女に声をかけられた。すこし酔っていたポールは、女と思い込んで彼女を部屋に連れ込んだ。そして彼女の腕を取ったとき、彼は知った。かすかにほほえんだ女神は答える。「わたしたちも年をとるのです。神々でさえ年をとるのです」
 
 年金暮らしで素寒貧なポールが、彼女のために尽くす様子は、男のしょうもない性がヒシヒシと伝わってくる。若者向けに解説しておくと、昔のアメリカじゃ、血を売れたんですよ。そこで血を売って酒を買う、しょうもない貧乏人もいた。そうやって仕入れる血液は品質が悪いんで、次第に禁じられるようになりましたとさ。
みにくい海 / The Ugly Sea, by R. A. Lafferty, 1961 / 伊藤典夫訳
 「海はみにくい」と苦虫ジョンはいう。「ユダヤ人の海の男はたった三人いただけだな。三人目は、モイシャ・ユーファーウォーナーだ」「何が彼をいまわしい海にひきよせたかということだな」「つまり、年端もいかない娘なのさ」「そのころモイシャは二十ちょっと前で…」
 
 ラファティおじさんお得意の法螺話。高利貸しの倅のモイシャ君、まっとうに商売をやってりゃいいものを、青魚亭の娘でピアノのへたくそな小娘ボニイを見かけちまったのが不幸のかじまり。ところが語るはラファティおじさんだから、話は不条理に曲がりくねってゆく。解説に曰く「ラファティにしては比較的おとなしい」。
名前の掟 アーシュラ・K・ル・グウィン / The Rule of Names, by Ursula K. Le Guin, 1964 / 酒匂真理子訳
 小さな島の丘のふもとに住むアンダーヒル氏は、島でたったひとりの魔法使い。残念ながら腕はイマイチで、島の人はあまり敬意は抱かないが、隣人として親しくつきあっている。とはいえさすがに魔法使い、彼が住む洞窟に忍び込む子供もいたが、扉を守る魔法だけはしっかりしていた。ある日、島によその舟がきて…
 
 境界的な作品の多いこのアンソロジーの中では、最もまっとうなファンタジー。小さな島で平和に暮らす人々と、あまりうだつのあがらない初老の魔法使いの、ほのぼのとした日常風景の中に、突然入ってきたヨソ者。これまた最後の一行が、ガツンとくる作品。
きょうも上天気 ジェローム・ビクスビィ / It's a Good Life, by Jerome Bixby, 1953 / 浅倉久志訳
 三つになるアントニー坊やが、芝生でネズミと遊んでいる。地下室で捕まえたのだ。そこにビル・ソームズが来た。モグモグとつぶやきながら。そう、アントニーに考えをよまれたら、たいへんな事になる。好かれていたって、ロクな結果にならない。まして嫌われたら…
 
 出だしはアメリカの片田舎の、穏やかな日常の風景。アントニー坊やがナニやら重要なカギを握ってるらしいのは分かるが、話が進むに従って…。
ゲイルズバーグの春を愛す ジャック・フィニィ / I Love Galesburg in the Spring Time, by Jack Finny, 1960 / 福島正実訳
 新聞記者に、E.V.マーシュは開口一番こう答える。「ゲイルズバーグには私の工場は立たない」。そして騙り出す、その不思議な夜のことを。決心つけかねる点があって、マーシュは散歩に出かけた。ゲイルズバーグは、散歩するには楽しいところだ。町並みは美しく気品があって…
 
 ジャック・フィニィがお得意のノスタルジー趣味を全開にしたファンタジー。今なお古きよき時代の煉瓦道が残り、気品ある屋敷が立ち並ぶゲイルズバーグ。だが土地開発の波はここにも押し寄せ…

 一般にSFはナマモノで、鮮度が落ちると味も落ちる。最近読んだコニー・ドクトロウの「リトル・ブラザー」とかは典型的な見本で、あのエッジの効きぐあいは今だから楽しめるもので、20年後に読んだらきっと「うんうん、当時はそうだったよね」的な懐かしさに変わってしまう。

 ところが、この短編集は、SFではあっても、いずれも全く古びていない。一部の小道具は若い人に通じないかもしれないけど、作品の根幹をなすアイデアは今でも充分に通用するし、作品によってはテレビや映画の原作として美味しそうなシロモノが詰まってる。つくづく、ファンタジイってのは、時代の変化に強いなあ。

 以下、余談。

 この作品集を読んだ目的は、キャロル・エムシュウィラーの「順応性」が目当てだった。この作品、初めてであったのはSFマガジン1990年10月号、創刊400号の特集。読んだ時は「ちょっと面白いな」ぐらいで、あんまし印象に残らなかったんだけど、数ヶ月たってからジワジワきた。

 ところが探そうにも雑誌は棄てちゃったし、著者名はすっかり忘れてしまい、覚えてるのは「順応性」ってタイトルだけ。あまりに普通の言葉なんで、検索しても、まず出てこないだろうと諦めていた。

改めて考えると、キーワード「SFマガジン 順応性」で検索すればいいのであった。阿呆か、私は。

 先日、何気なしに図書館をブラついてたら目に入ったのが同著者の「すべての終わりのはじまり」。なんか心惹かれるタイトルだなあ、と思ってパラパラめくり、解説を見るとそこに「順応性」の文字が。おお、この人だったのか!と感激して蔵書を検索すると、この本が出てきた。

 学生時代の憧れのマドンナに会うためン十年ぶりに同窓会に行く気分で読み始めると…動作はより優雅で言葉遣いはより知的、昔より遥かに魅力的になってて、改めて惚れ直した、そんな気分で、今これを書いてる。ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」とかは、今でもよく話題になるけど、この作品は滅多に話題にならない。けど、SF者の魂を揺さぶるって点では、オールタイム・ベスト級の傑作だし、オタクって言葉が普及した今こそ、広く読まれて欲しい作品でもある。お話は半世紀以上たった今でも全く古びていない、どころか最後の一文はむしろ衝撃を増してすらいる。もっと話題になって欲しい隠れた傑作。

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2013年8月 4日 (日)

E・ポール・ゼーア「バットマンになる! スーパーヒーローの運動生理学」青土社 松浦俊輔訳

骨の再構築では、破骨細胞と骨芽細胞が一体となって働く。骨に負荷がかかると、マイクロダメージ――小さなひび割れ――が生じ、それを埋めて強化する必要が生じる。吸収(つまり骨などの組織を溶かすこと)では、破骨細胞がやってきて、マイクロダメージを受けた領域にあるごく薄い骨のかけらを壊す。その直後、骨芽細胞が、破骨細胞の溶解作用の後に残った小さなくぼみを埋める。
  バットマンの骨を作る――脆いと困るが大きければいいのか

【どんな本?】

 バットマンは特別だ。スーパーマンは宇宙人で、ヘルボーイは魔界からやってきた。超人ハルクはガンマ線を浴び、スパイダーマンは蜘蛛に咬また。スーパーヒーローは特殊な能力を持っているが、バットマンは違う。彼は生身の人間であり、厳しい鍛錬によって能力を身につけた。人間はクリプトン星人にはなれないが、バットマンにはなれる…少なくとも、理屈の上では。

 神経科学・運動生理学・生物物理学を修めリハビリの神経による制御の専門家で、空手や琉球古武術の黒帯を保持し、またバットマンの熱烈なファンである著者が、バットマンになるのに適切なトレーニング・相応しい食事・学ぶべき武術などのテーマで、トレーニングの際に人間の体には何が起きているのか・なぜ武術は有効なのか・いつまで現役でいられるかなどを、細胞の構造や神経組織のしくみ・ホルモンの効果など神経科学・運動生理学・生物物理学を用いて解説し、また武術の原理を科学的に説き明かす、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Becoming Batman, The Possibility of a Superhero, E. Paul Zehr, 2008。日本語版は2010年9月29日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約331頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント45字×17行×331頁=約253,215字、400字詰め原稿用紙で約633枚。長編小説ならやや長め。

 一見おちゃらけた書名だが、中身は真面目な科学解説書で、文章も思ったよりは硬い。とまれ、あくまでも想定読者は一般人で、理科の知識は中学生レベルで充分に読みこなせる。書名にもなっているバットマンについても、「人間が訓練して正義の味方になった」程度を知っていれば充分。アチコチでコミック版のバットマンを引き合いに出すが、ちゃんと説明しているので、わからなくでも特に問題はない。もちろん、バットマンのファンなら更に楽しめるだろう。

【構成は?】

  序文/まえがき
第1部 バットマンの素材 バットマンはどこから始まってどうなったのか
 1 バットマン「以前」――ブルースはどれほどすごかったのか
 2 会ってほしい人がいるの――ブルースの一卵性双生児ボブとヒト・ゲノム
 3 生活のストレス――ホーリー・ホルモンだ、バットマン
第2部 バットマン基礎トレーニング バットマンの技の土台となる体づくり
 4 筋力と瞬発力をつける――高く、速く飛ぶコウモリほど虫を捕るのか
 5 バットマンの骨を作る――脆いと困るが大きければいいのか
 6 バットマンの代謝――ダークナイトの食生活ではどんなディナーが出るか
第3部 バットマンのトレーニング バットマンがマーシャル・アーツを習得するまで
 7 ブルース・ウェインからブルース・リーへ――バットケープで武術を身につける
 8 みんなカンフーをやっていた――バットマンがしていたのは?
 9 バットマンの戦闘――殺さずにKOできるか
第4部 夜はダークナイトとともに
 10 バットマンはぶん殴り、ぶん殴られる――折られないで折れるものは何か
 11 バットボディを強化する――棒や石でバットマンの骨を折れるか
 12 たそがれのゴッサム――ナイト・シフトで働くということ
第5部 バットマン玉手箱 バットマン道にありそうな落とし穴
 13 負傷と回復――バットマンが崩れるまでどれだけ叩かれるか
 14 バット族の戦い――バットガールはバットマンに勝てるか
 15 加齢戦士――バットマンはバットじいさんになれるか
 16 バットマンの治世――バットマンになって、バットマンでいつづけられるか
  付録 バットマンのトレーニングの道のり/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 最初にハッキリさせておこう。この本は、一時期はやった「設定を考証する」類の本では、ない。本書中で大量にバットマンのコミックを引用しているが、無茶な設定は素直に「これは無茶だよね」と白旗をあげる。が、そこでは終わらない。「こういう形なら、アリかもしれない」と、より現実性の高い代案を出すのだ。

 つまり、本書の目的は、バットマンを考証する事じゃないのだ。バットマンをダシにして、読者を運動生理学に誘おうとしているのである。

 だからといって、バットマンのファンは怒らないでほしい。著者の経歴を知れば、怒る気を無くす、どころか畏敬の念を抱くだろう。13歳のときに武術を習い始め、後に運動生理学の修士を取り、神経科学の博士号を取る。本書中の大量のバットマンのコミックの引用を見れば、著者が熱烈なバットマンのファンである由は明らかだ。

 つまり、著者は、バットマンになろうとしたのだ。それも、本気で。

 ただ、現実にはゴッサム・シティはない。でも、病気や怪我や事故で苦しむ無辜の人はいる。だから、苦しむ人を支援すべく、リハビリの専門家になった。なんとも見上げたオタク魂ではないか。

 そんな著者が、どんな形でバットマンを語るか、というと。例えば、トレーニングの効果を、こう説明する。

…バットマンがウェイトリフティングのエクササイズをして骨格筋に過剰な負荷をかけると、その筋肉は、収縮タンパク質の生産を増大させる分子レベルの出来事(同化作用)を、次々と経験することになる。この作用は筋肉の大きさも増す。すると、適応後のストレスが広がる筋肉タンパク質の表面積が大きくなり、圧力の概念と同様、筋肉に対するストレスが小さくなる。

 このトレーニング、どれぐらい続ければ効果が出るのか、というと…

 …筋力トレーニングを始めると、開始から六週間の間に生じる筋力の増大は、大部分、神経系が運動単位を動かすことについて適応したことによる。筋組織――筋肉細胞――が実際に変化して強くなるのはその後になってからだ。

 今からやっても海には間に合わない。残念。ちなみに筋肉痛の原因は筋肉が損傷するためであり、「一日か二日後に不快のピークに達し、三日後には消失する」。乳酸がたまるため、というのは、「流布した誤解」だとか。やっと謎が解けた。

 トレーニングは肉体を変えるだけでなく、反応速度を上げ技も身につく。これについても、著者は学者としての科学的なアプローチと、武術家としての広範な知識の双方を用いて説明してくれる。そういった点では、格闘技を科学する本でもある。ここで面白いのが、手刀と受身が、実は同じ原理に基づいていること。

 これを、著者は実にわかりやすい例で例える。「ランニングシューズに踏まれるのと、ハイヒールに踏まれるのと、どっちが嫌か?」かかる力が同じなら、かかる面積が狭いほうがダメージは大きい。だから狭い面積に力を集中する手刀は恐ろしく、広い面積に力を分散する受身は効果的なのだ。なぜ手刀で攻撃者の手が砕けないかも、キチンと科学的に説明している。正しい型には、ちゃんと意味があるのだ。そして、何度も型を繰り返す訓練にも。

 著者は多様な武術に通じてるらしく、バットマンに相応しい武術も考察している。ここでもサービス精神旺盛で、ブルース・リー,チャック・ノリス,ジャン=クロード・ヴァン・ダム,ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガールを例に挙げ、それぞれが身につけた武術をリストアップした上で、「私は距離に注目したい」として、5つの距離で考察を進める。曰く長いほうから 1)武器の距離 2)蹴り 3)突き 4)投げ技 5)寝技。結論としてバットマンが学ぶべき技は…これは、さすがに大笑いした。

 このあたりは、中国・朝鮮・日本など極東での武術の歴史・伝播や、剣道・柔道も含めた武術の歴史的変化の一般的傾向の考察もあって、格闘技に興味がある人なら楽しく読めるだろう。また、プロ・ゴルファーの脳のスキャン画像までも動員して、武道で言われる「無心」の正体に迫る部分も、なかなかの迫力。

 自ら稽古中にマスクを被り酸素消費量を計測したり、映画「バットマン・ビギンズ」をストップ・ウォッチ片手に観て消費カロリーを計算したり、趣味と実益を兼ねた実験も楽しいところ。バットマンのファンならもちろん、スポーツや格闘技に興味があるなら、きっと楽しく読めるだろう。もちろん、自分の肉体に興味がある人にも。

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2013年8月 2日 (金)

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」晶文社 土屋哲訳

 わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。

【どんな本?】

 ナイジェリアのヨルバ族でキリスト教徒のエイモス・チュツオーラ(→Wikipedia)が、独特の文体の英語で綴った民話風の長編小説。金持ちの総領息子だが、やし酒を飲むしか能のないグウタラが主人公。主人公のため父が雇っていたやし酒造りの名人が亡くなり、主人公は死んだ名人を連れ戻すため冒険の旅に出る。

 朴訥な語り口で綴る、昔話風で波乱万丈の冒険物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Palm-Wine Drinkard, by Amos Tutuola, 1952。日本語版は1970年11月25日初版、私が読んだのは1990年12月10日の12刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約140頁+訳者による解説「チュツオーラとアフリカ神話の世界――『やし酒飲み』の宇宙論的背景をめぐって」なんと31頁。力はいってます。9ポイント43字×17行×140頁=約102,340字、400字詰め原稿用紙で約256枚。長めの中編の分量。

 意図的にたどたどしくした独特の文体だが、当事の翻訳物としては抜群の読みやすさであり、今でも全く古びていない。荒唐無稽・波乱万丈な作品の内容と巧くマッチして、雰囲気を巧く盛り上げている。

【どんな話?】

 わたしはやし酒を飲むしか能がなかった。だが父が雇ったやし酒造りの名人が死んでしまったので、わたしは名人を探しに旅に出た。野獣や精霊がたむろする危険な森林をいくつも越え、町にたどり着いたら住民にやし酒造りの消息を聞いて回った。7ヶ月たったころ、ある町で老人の所にいった。老人は実は神様で、やし酒造りの居所を教えるかわりに難題をふっかけてきた。

【感想は?】

 日本むかし話+ギリシャ神話+グリム童話+西遊記を濃縮した雰囲気の、妙に懐かしさすら感じさせる物語。児童文学と言っても通りそうなぐらい、物語はわかりやすくて起伏に富み、話は気持ちよくズンズン進んでゆく。

 まず、文体がいい。原文は「ピジン英語」とも「ヨルバ語と英語の混成」とも評される独特の文体らしい。つまりは流麗な英語ではなく、ガイジンっぽくたどたどしい文体だとか。日本語訳も「です・ます調」と「だ・である」を混ぜ、わざと「朴訥だが教育のない人」が書いた文章を演出している。

 この演出が、いかにも「囲炉裏端でお婆ちゃんが語る昔話」っぽい雰囲気をかもし出し、物語の面白さを引き立てている。

 その物語は、まさしくヨルバむかし話。やし酒を飲むしか能のないグウタラ総領息子が、酒飲みたさに死んだやし酒造りの名人を取り戻す旅に出る。「死んだ人を取り戻す」って所からしてマトモな小説じゃないのは明確で、つまりはメルヘンとかファンタジーとか、そういう世界だ。

 主人公のやし酒飲み、幸いな事に父から「ジュジュ」を授かっている。作品中でジュジュの意味は明確に説明されないけど、変身したり姿を隠したりできる、魔法のアイテムみたいなモノで、消耗品らしい。このジュジュを使ったり、智恵を働かせて、やし酒飲みは様々な危機を乗り越えてゆく。

 その危機ってのが、森の中で出会う化け物だったり、やし酒造りの手がかりと引き換えの冒険だったり。例えば、神である老人から言い付かるのが、「死神を網にくるんで連れてこい」。死神の連行ってあたりが、エキゾチックな匂いを漂わせているが、それを実現する手段は大笑い。まあ、基本ですね。

 かと思えば、次の冒険は「囚われの美女の奪回」で、これはアチコチの神話・民話によくあるパターン。町の長の美しい娘さん、続々と舞い込む縁談を断り続ける。ところが娘さん、市場で見かけた“完全な紳士”に見とれ、後をついていく。やがて紳士は底なしの森に入り込み…

 “完全な紳士”の正体は、なかなか不気味で斬新で、夏の夜の肝試し前の怪談にピッタリ。お話のパターンは「化け物に囚われた美女を奪回し、呪いから解放する話」なわけで、ギリシア神話の「ペルセウスとアンドロメダ」や日本神話の「スサノオノミコトとクシナダヒメ」など、神話じゃお馴染みの構図。

 日本の民話でも、蛇の婿さんの話があったり、こういう物語は世界全体で共通しているのか、どっかで生まれたのがアチコチに伝播したのか。ナイジェリアの地理を考えると、ギリシアから伝わって地元の風土に合わせアレンジされた可能性もあるけど、実は逆、つまりアフリカから入ってきた物語をギリシアが消化吸収変形した可能性もある。

 母国ナイジェリアではチュツオーラを酷評する人もいて、「伝承的民話の盗作」との評もあるとか。これは多分ある程度は当たってて、たぶんヨルバ族の民話を集め加工して長編小説に織り込んだんだろう。

 その結果、作品としてはどうなったかと言うと。次から次へと主人公の前に立ちふさがる難題や不気味な怪物を、智恵と勇気とジュジュで切り抜け、お宝を得て金持ちになったかと思えば全てを失い、再び化け物が跳梁跋扈する森へと向かって突き進み…ってな感じの、波乱万丈の冒険物語になった。

 一般に民話ってのは、あまし登場人物の心理描写に筆を割かず、難題や強敵をアクションと策略で乗り越える、ストーリー重視のお話が多い。この物語もそれは同じで、とにかく物語はポンポン進んでゆく。コニー・ウイリスあたりに書かせたら4分冊の大長編になりそうな内容を、たったの140頁で消化しちゃう、「物語の面白さ」をギュウッと濃縮した作品に仕上がってる。

 とまれ味付けはヨルバ風で、主人公のやし酒飲み、元がグウタラ息子だけあって、勇ましく戦う場面は少なく、狡知とジュジュで切り抜けるケースが多いのも異国風味で楽しい。語り手が面倒くさくなっちゃったのか、なんか適当にほっぽっちゃった雰囲気の挿話もあって、そこがまた野性味を感じさせる。

 まあむかし話ったって銃が出てきたり単位がヤード・ポンド法だったりで、結構いい加減なんだけど、現代の子供を読者に想定したと考えれば、その辺も納得できようもの。

 異郷の物語のはずなのに、妙に懐かしい物語の枠組みと、「ああ、やっぱり異郷だなあ」と感じさせる大道具小道具。野獣や毒虫がうじゃうじゃいる森の恐怖を象徴する奇妙な化け物たち。小難しい理屈は抜きで、勢い良く進んでゆく物語。「お話」が持つ面白さをギッシリ詰めて、数珠繋ぎにしたような濃い小説。化け物や神話や民話が好きな人なら、きっと楽しめるだろう。

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2013年8月 1日 (木)

吉田一郎「消滅した国々 第二次世界大戦以降崩壊した183カ国」社会評論社

 これは黒人を部族ごとに作ったホームランドに所属させ、それぞれのホームランドを南ア(フリカ)から独立させて「外国」にしてしまうというもの。こうすれば黒人は「外国人」になるから政治的権利を与えなくてもよく、南アで働く黒人は外国人の「出稼ぎ労働者」になるから、労働者としての権利を制限しても、社会福祉を保障しなくても構わないことになる。
  ――南アメリカのホームランド

【どんな本?】

 ソビエト連邦,南ベトナム,東ドイツなど比較的に有名で崩壊の過程が良く知られている国から、コソボ,キレナイカ,北イエメンなど話題にはなるがイマイチその過程や実情が良く分からない国・地域、アドゥ環礁,アンギラ共和国,自由ヤナムなど聞いたこともない国など、第二次世界大戦以降に消えた国や独立を目論んだが失敗した国・今なお独立を求め運動している国などを取り上げ、それぞれの国や地域の歴史・成立過程・独立勢力と反対勢力の利害関係や、現在の状況を読みやすいコラム形式にまとめた本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年11月30日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約686頁。9ポイント31字×29行×686頁=約616,714字、400字詰め原稿用紙で約1542枚。長編小説なら3冊分ぐらいの大ボリューム。

 かつて週刊誌の記者や編集長を勤めた経歴の人だけあって、文章はこなれていて親しみやすく、著者一流の「ぶっちゃけた」表現が随所にあって、わかりやすく読みやすい。読みこなすのにも、特に前提知識はいらない。ただ、多数の勢力が集合離散を繰り返していて、ややこしい情勢の国や地域も多いが、著者の親しみやすい文章が、読者に「なんとか理解しよう」という気持ちを起こさせる。

【構成は?】

  国旗/まえがき/世界地図
第一章 国際的に承認された国
第二章 わずかな国に認められた国
第三章 改めて独立したら併合された国
第四章 併合されたくて独立した国
第五章 植民地に戻った国
第六章 ソ連崩壊で生まれた国
第七章 ソマリア崩壊で生まれた国
第八章 国家連合
第九章 首長国・土侯国・藩王国
第十章 保護国・準独立国
第十一章 いわゆる傀儡国
第十二章 いわゆる独立勢力
第十三章 作り損ねた国々
  参考文献/あとがき

 それぞれの国や地域は1頁~10頁程度の独立した記事で扱っていて、気になった所だけを拾い読みできるのが嬉しい。長めの記事は1~2頁ごとに見出しをつけ文章を区切る配慮は見事で、読みやすさ・わかりやすさ・親しみやすさが大きく増している。

【感想は?】

 書名は「消滅した国々」だが、通して読むと「激動の20世紀の集大成」といった感がある。

 なにせ国家の消滅という政治の激動を扱った本だ。時には政治的・軍事的な衝突もある。これだけ多くの具体例が示されると、世の中の政治的・軍事的な衝突のパターンもうっすらと見えてくるから面白い。

 全般的に、第二次世界大戦後、欧州の撤退に伴って独立した国が多い。そこで起こりがちな政治的対立のありがちな構図が、東ティモール民主共和国に見て取れる。そう、最近インドネシアから独立した東ティモール。ここ、1975年8月にも独立した歴史があった。主な勢力は三つ。

  1. ティモール人民民主協会(APODETI):島の伝統的な支配層、リウライと呼ばれる首長たち、インドネシア併合を望む。
  2. ティモール民主同盟(UDT):ポルトガル統治を支えた人たち、独立志向。
  3. 東ティモール独立革命戦線(FRETILIN):農民基盤の社会主義政党、独立志向。

 つまり、植民地以前の権力者 vs 宗主国と関係が深い人 vs 庶民派 でバトルロイヤルになるわけ。で、情勢に応じて互いに組んだり分かれたり。現実にはこれに共産主義者や宗教原理主義者やソレを嫌うCIAが横からチョッカイを出したり、部族・宗教的な対立が彩りを添えたりして、更にややこしい事になってゆく。

 特に地下資源が豊富な国は悲惨で、鉱山や油田の権益を巡り血みどろの内戦に発展する。その典型がコンゴ民主共和国で、カタンガ国,北カタンガ国,南カサイ鉱山国,カビンダなどが鉱山や油田を基盤に独立しては消えてゆく。独立する側は「地元の資源を他地域に搾取される」って気分があり、併合する側は「ドル箱に逃げられちゃたまらん」って都合がある。それに民族対立や多数派・少数派の問題,強引な独裁者,無責任な宗主国,採鉱する外国企業が絡んで複雑化し、憎しみや恨みが錯綜して四分五裂の状態になったのが今のコンゴ民主共和国。

 こういうややこしい事情を、親しみやすい表現でわかりやすく説明してくれるのが、この著者の優れた所。その手腕が光っているのが、ソ連崩壊のくだりで、特に共産主義の説明が見事。たった2頁程度で、ややこしいマルクス主義の主張を要約し、理解…したつもりにさせてくれる。

 いや私はマルクスを読んでないから、この本の要約があってるかどうかわかんないんだけど。一般にマルクス主義の本って、堅苦しい言葉が並んでややこしそうな上に、なんか上から目線の説教臭い論調の本が多くて、なんか読む気になれないんだよね。それを週刊誌っぽい文体で…

「プロレタリア革命」が起きて労働者や農民が権力を握り、富を生む生産手段(資本家なら工場や企業、地主なら土地)を公有化して、社会全体の所有物にすれば、資本家や地主がピンハネしていた分がなくなり、労働者や農民は「能力に応じて働き、労働に応じて受け取れる」社会が実現する……、これが社会主義社会だ。

 などと説明してくれると、なんか分かったような気分になるから嬉しい。
 まあ、そんな「お勉強」的な楽しさもあるが、同時に三面記事的な面白さにも溢れてる。

 酷い王様の話がいくつか出てきて、例えばアドゥ環礁。モルディブの一部でイギリスの保護領。農業は壊滅状態、特産はカツオ節。スルタンが統治しインドにカツオ節を売り米を買って食ってた。そこに真珠湾攻撃のニュース、ビビったスルタンは売り上げをパクってインドに定住、米が入ってこない農民は飢える。酷え。この後も民衆の苦境は続き…

 やはり無茶苦茶なのがオマーン・イマーム国。イギリスの力を借りオマーンを統一したスルタン、首都マスカットから遠く離れた離宮に…

黒人奴隷500人とハーレムの女性150とともに引き篭もり、内務大臣に無線機で国政を指示するだけになった。さらに66年末に暗殺未遂が起きると、スルタンは公然の場に二度と姿を現れず、生きているのか死んでいるのかも「国家機密」にしてしまった。

 「謎の秘密組織」が暗躍するケースも幾つかあって、例えばソマリアのアウダル共和国。背後にいたのは「人間が国家から束縛されない理想の国作り」を目指すオランダ人、マイケルバン・ノテン。まあ彼はちょっとイっちゃった無政府主義者で、それなりに現実的な目論みもあったんだが、もう一つの黒幕「フリードニア公国」が大笑い。

 黒幕の圧巻は、終盤のミネルバ共和国,アバコ,アゾレス諸島で大暴れする、マイケル・オリバー率いるフェニックス財団も陰謀論者大喜びの人物。「あらゆる国家権力からの干渉を排した自由な企業活動のユートピアを建設する」という壮大な野望のもと、何回も小国を作ろうとしては失敗し、それでもくじけない執念は凄い。

 世界的に重大な影響を引き起こした国や地域もあれば、帝国主義の遺物もあり、また封建時代の社会構造と現代文明社会の衝突に揺れる国もある。大航海時代以降の技術・文明の進歩がもたらした歴史的な変転と、現代の国際社会の趨勢が、これらの国々の運命を通し垣間見えてくる。

 ナガランド連邦や朝鮮人民共和国など我が国と関係の深い国もあれば、カラート藩王国ではイマイチよくわからないバルチスタンの歴史的な経緯やパキスタンのゴタゴタの原因の一端が見えたり、幼女婚で有名なインドのヤナムの事情、シッキム王国から見えてくる中国・チベット・インドの関係など、もう一歩踏み込んだ国際情勢が知りい人には、宝の山みたいな本。

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