« 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1 | トップページ | 杉山俊彦「競馬の終わり」徳間書店 »

2013年8月13日 (火)

宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 2

 夏五月一日、大空に竜に乗ったものが現れた。顔かたちは唐の人に似ていた。油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方向に空を馳せて隠れた。正午頃に住吉の松嶺(まつのみね)の上から、西に向かって馳せ去った。
  ――巻第二十六 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 斉明天皇

 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1 から続く。

【感想は?】

 さて、噂の武内宿禰(→Wikipedia)。やたらと長生きで、説によっては300歳なんてのもある。最も単純な解釈は落語家や歌舞伎役者のように、代々で襲名したというもの。または「防衛大臣」のように役職名だ、という解釈。まあ、当時は一族で役職を引きついでいただろうから、どっちも同じようなもんだろう。ところが、初登場の 巻第七 景行天皇 では…

屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと、→Wikipedia)を遣わして祭らせた。武雄心命は阿備の柏原にいて、神祇を祀った。紀直の先祖莵道彦(うじひこ)の娘影媛(かげひめ)を娶とって、武内宿禰を生ませた。

 と、まるで個人名であるかのように書いてある。役職名または一族で襲名した名前だったのが、記録に残す頃には伝説の長寿となっていた、って解釈が自然かしらん。

 司馬遷の史記やギボンのローマ帝国衰亡史と比べると、これまた特徴が多い。まず気がついたのが、女性の名前がやたら出てくること。史記だと、たとえ皇帝の娘でもまず名前が出てこないのに、日本書紀ではキチンと名前が出てくる。やはり天照大神の国だからか。これは朝廷ばかりでなく、征伐される熊襲や土蜘蛛も女ボスがいるから面白い。

 しかも仲哀天皇の所では、神の宣託を受けたりと皇后陛下の記述が多い…と思ってたら、神功皇后だった。後にも推古天皇,皇極天皇=斉明天皇と、女帝が出てる。まあ、日本はカアチャンの国だし。

 勇ましい女性の話もあって、舒明天皇の頃、蝦夷征伐に赴いた大仁上毛野君形名(だいにんかみつけのきみかたな)の奥様、砦を囲まれた際、「ご先祖が残した武勇を汚さないでよ」と夫に酒を飲ませてハッパをかけ、自ら夫の剣を構えお付の女に弓の弦を鳴らさせ、形勢を逆転する。ええ奥様や~。

 異母妹との婚姻が多いのも、大和王朝の特徴。ところが、さすがに同母妹とはタブーらしく。允恭天皇の巻では、禁忌を犯した木梨軽王子(きなしかるのみこ)と軽大娘皇女(かるのおおいつらめのひめみこ)。発覚して大娘皇女は伊予に島流し。後に軽王子は穴穂皇子との抗争に破れ自殺。ああ悲劇と思ったら、「一説には伊予国に流しまつったという」。実はハッピーエンド?

 さて、血縁婚なんだけど、異母兄妹までOKってのは、結構珍しいんじゃなかろか。いや他の王朝は良く知らないんだけど。女性天皇を見ると、長期政権を担った天皇の皇后ってパターンばかり。とすると、皇后には中継ぎの可能性があるから、皇族でなきゃ困るって事情があるのだろうか。

 もっと疑うと、そもそも出生を偽った可能性もあるんだよね。例えば。皇太子の母は物部氏で、蘇我氏も妃(仮に蘇我大媛とする)を出している、。皇太子が蘇我配下の娘(仮に蘇我小媛とする)を気に入り、ぜひ妃に、と望むが、生まれが卑しいので相応しくない。そこでデッチあげるのだ。「蘇我小媛は、蘇我大媛の娘である」と。…と思ったが、皇女は後宮で育つだろうから、デッチあげは難しそうだなあ。

 なかなかワイルドなのが雄略天皇。ライバルを次々と倒して即位。采女に手をつけて娘を作るが、「いや一晩っきりだし、俺の子じゃないもんね」と知らんぷり。ところが後に「あの娘の父親はもしや」と噂になり問い詰められ…

「だって一晩だけだし」
「その一晩で何回呼びました?」
「七回」

 元気だw
 怪異譚もアチコチにあって。浦島太郎の原型みたいなのが、やはり雄略天皇の巻にある。曰く…

秋七月、丹波国与謝郡の筒河の人、水江浦島子(みずのえうらしまのこ)が、舟に乗って釣りをしていた。そして大亀を得た。それがたちまち女となった。浦島は感動して妻とした。二人は一緒に海中に入り、蓬莱山に至って、仙境を見て回った。

 冒頭の「空飛ぶ竜に乗る人」も、オカルトなこじつけすると楽しい。「油を塗った青い絹で作られた笠」って、青いヘルメットかしらん、とか。天武天皇の項にも、こんなのがある。

(八月)十一日、灌頂幡(かんじょうのはた)のような形で、火の色をしたものが、空に浮かんで北に流れた。これはどの国でも見られた。「越の海(日本海)にはいった」というものもあった。

 UFOとかが好きな人なら、イロイロと妄想できる所。昔の人も「珍しい物」は好きだったようで、二股の稲や三本足の雀,赤烏,白い雉などが献上されてる。白い雉って、もしかしてアルビノかしらん。変なのでは皇極天皇の常世の神(→Wikipedia)もケッタイ。

秋七月、東国の富士川のほとりの人、大生部多(おおふべのおお)が、虫祭りを勧めて言うのに、「これは常世の神である。この神を祭れば富と長寿が得られる」といった。(略)人々に家の財宝を投げ出させ、「新しい冨が入ってきたぞ」と連呼させた。(略)
この虫というのは常に橘の木に生じ、あるいは山椒の木にもつく。長さは四寸あまり、その大きさは親指ほど、色はみどりで黒いまだらがある。その形はたいそう蚕に似ていた。

 …えっと、アゲハ蝶の青虫っぽいんですけど。

 雄略天皇・天武天皇ともに武闘派で、お出かけも狩が多い。やっぱ若い王朝は軍事を重視するよね、と感じるのが天武天皇の詔。

「そもそも政治の要は軍事である。それ故文武官の人々は、努めて武器を使い、乗馬を習え。馬・武器・それに本人が着用する物は、仔細に調べ揃えておけ。馬のある者を騎士とし、馬のない者は歩兵とし、それぞれ訓練を積んで、集合の際に差し支えのないようにせよ…」

 どう見ても天皇の詔というより将軍の下知って雰囲気の言葉。まあ壬申の乱を指揮したお方の言葉だから、勇ましいのも当然だけど、当事の権力者は同時に軍事指揮者でもあった様子が伺える。つまりは軍事政権なわけだ。これが後に貴族化してゆく事わけで、軍事政権→官僚化ってのは、封建制が辿るパターンなんだろうか。智恵の権化とされる聖徳太子も、実際は武闘派だったのかも。

 その聖徳太子、有名な十七条の憲法(→Wikipedia)。これで読むかぎり、法というより道徳的な訓話って感じで、あまし具体的な事は書いていない。いきなり「一にいう。和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ」。具体的なのは次の「二にいう。篤く三宝を敬うように。三宝とは仏・法・僧である」で、仏教国である由を明言してる事と、十六で「賦役は農閑期の10月~12月にしろ」ぐらい。やっぱ農業は国の基本なのね。

 彼が作ったとされる法隆寺、天智天皇の九年四月三十日、「暁に法隆寺に出火があった。一舎も残らず焼けた」とある。Wikipedia を見ると、今も建築の年代については議論が続いている様子。仮に焼けていないとするなら、なんで「焼けた」なんて書いたんだろう。

 欽明天皇・敏達天皇あたりから、やたら半島ネタが多くてあからさまに新羅が悪役だったり、いかにもな政治的配慮が見えるのも、編纂当事の国際状況を反映してのものなんだろうか。などと考えると、編纂時の歴史まで調べなきゃいけなかったり、足を踏み入れるとキリがないのが歴史の世界。とまれ、日本の古代史に凝る人の気持ちが少しだけ分かる気がする。特に近畿・中国・九州の人は、地元の名前が次々と出てくるから、燃えるんだろうなあ。

【関連記事】

|

« 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1 | トップページ | 杉山俊彦「競馬の終わり」徳間書店 »

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/201750/57987225

この記事へのトラックバック一覧です: 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 2:

« 宇治谷猛「全現代語訳 日本書紀 上・下」講談社学術文庫 1 | トップページ | 杉山俊彦「競馬の終わり」徳間書店 »