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2013年7月25日 (木)

コリイ・ドクトロウ「リトル・ブラザー」早川書房 金子浩訳

「たいしたことじゃないと思ってるんだろう?いつコーヒーを買ったかを政府に知られてなにが問題なのかと。なぜなら、連中はそうやっておまえさんがどこにいるか、どこにいたかを知るからだ。おれがなんでトルコをあとにしたんだと思う?あそこでは、政府がいつでも国民をスパイしてたからだ。それはよくないことだからだ。おれは二十年前、自由を求めてこの国に来た――だから、自由を奪う手助けをするつもりはないんだよ」

【どんな本?】

 SF作家コリイ・ドクトロウによる、現代を舞台にした青少年向けハイテク冒険小説。2009年度ジョン・W・キャンベル記念賞,プロメテウス賞に加え、日本でもSFマガジン編集部編「SFが読みたい!2012年度版」でベストSF2011の10位に食い込む活躍を見せた問題作。

 サンフランシスコを襲ったテロへの対策として、合衆国政府はICカードの利用履歴や監視カメラなどによる市民への監視や、監禁・恐喝・拷問を含む強引な捜査を始めた。W1n5t0n のハンドル名で、ちょっとしたハックを披露している高校生マーカス・ヤロウは、濡れ衣で国土安全保障省に尋問を受ける。学校でも当局との戦いを決意したマーカスは、Xbox ユニバーサルを武器に、ネットの仲間と共に反撃に出るが…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原初は Little Brother, by Cory Doctorow, 2008。日本語版は2011年3月10日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約399頁で、おまけが豪華。暗号研究家・セキュリティ技術者のブルース・シュナイアー(→Wikipedia)による解説4頁、Xbox をハックしたアンドリュー・“バニー”ファンによる解説4頁、著者による参考文献7頁&各章冒頭の書店への献辞14頁+訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×399頁=約359,100字、400字詰め原稿用紙で約898枚。長編小説としては長め。

 文章はこなれていて読みやすい。コンピュータとデジタル通信が重要な要素だが、使っている技術の大半は実際に産業界で運用されているものばかり。公開鍵暗号・ベイズ統計・トンネリングなど数学的・技術的なネタも沢山出てくるが、わからなければ「何ができるか」だけを掴んでおけば充分に楽しめる。詳しい人は、「どう説明するか」を楽しもう。結構、うまく説明してると私は思う。

【どんな話?】

 シーザー・チャペス高校の四年生マーカス・ヤロウは、生徒指導室に呼び出された。学校のセキュリティ・システムに何か問題が起きたらしく、看守気取りの副校長フレドリック・ベンスンは、マーカスを疑いカマをかけてきたのだ。適当にかわしたマーカスは、親友のダリルに誘われ、ARG(仮想現実ゲーム)<ハラジュク・ファン・マッドネス>の手がかりを追いに、同じチームのダリルとホルに合流した。その時に響いた轟音が、僕の運命を大きく変えた。

【感想は?】

 うはは。最高に気持ちがいい。

 かなり政治的な内容のため、人によって評価は大きく分かれるだろう。9.11後、ブッシュ政権は愛国者法(→Wikipedia)を通す。テロに対応するため、連邦政府が市民の通信を監視する権利を強める法だ。この本は、はっきりと愛国者法に反対する姿勢が現れている。そこまでなら、合意できる人も多いだろう。

 問題は、その方法。監視カメラの間抜けなパターン認識を欺いて出し抜く、暗号化したP2Pなどの合法的な手段は、まだいい。だが、電磁波をシールドする袋でRFID(ICタグ)の監視を欺く手口は、窃盗にも応用できてしまう。

 しかも、若者向けに書かれた作品だけに、善玉と悪役がハッキリと別れていて、愛国者法の支持者は、徹底して卑劣で権高でイヤな奴に書かれている。そういう政治思想の人にとっては、ひたすら不愉快で腹の立つ小説だろうから、読むだけ時間の無駄だ。あなたが楽しめる他の本を探そう。

 ということで、以降は愛国者法を面白く思わない人向けに書く。

 まず気がつくのは、著者が現代のIT技術を深く理解している点。いきなり監視カメラを出し抜く方法を披露してるんだからたまらない。これがまた、実に原始的かつ単純で、全くITの知識を持たない人でも簡単に使えちゃうんだからたまらない。最高のパターン認識技術を持ってしても、これほど単純なトリックに騙されるとは。

 他にも、噂のTOR(→Wikipedia),トンネリング(→Wikipedia)などの通信技術、DNSや公開鍵暗号などの原理に加え、ペア・プログラミングや「信頼の環」などの手法や概念など、プログラマが悶絶したくなる細かい技術の話が山盛り。また、RFIDやデビッド・カードなど身近なハードウェアについても、その仕組みから社会に与える影響までキチンと把握してるのが嬉しい。日頃、なんとなく使っているSuicaやtaspoも、当局がその気になれば、あなたの足跡を辿る優秀な警察犬に変わる。まあ、逆に、濡れ衣を着たときはアリバイを証明する手がかりにもなるんだけど。

 など、既に我々の生活の中に入り込んでいるIT技術の話に加え、彩として楽しいのが、主人公マーカス君のオタク属性。いきなり<ハラジュク>なんて言葉が出てくるのでわかるように、マーカス君と愉快な仲間たちは、かなりディープなオタクだ。いきなり「同人誌」だもんなあ。アッチのオタクは相当に活動的で、突発的に街中で集団でコスプレして遊んでたりする。羨ましい。

 つまりはハッカー少年がオタク仲間と一緒に当局に立ち向かう物語なんだが、この作品はもう一つ、重要なスパイスが入っている。

 著者による序文で触れているように、この作品の裏旋律には60年代の反体制文化が流れているのだ。舞台がサンフランシスコなのも象徴的。グレイトフル・デッドの本拠地であり、カミングアウトしたゲイが市長を勤め、カリフォルニア大学バークレー校がIT技術を先導し、やがてシリコン・バレーを開いたベイエリア。

 お話としては全米に騒動が広がりそうなもんだが、不自然に舞台はベイエリア内で終始する。主人公が高校生のため行動範囲が狭いから、とも解釈できるけど、国土安全保障省がベイエリアに拘るのはおかしい。この齟齬は、著者のベイエリアへの愛の現れだろう。

 それを頭にいれて読むと、実はサンフランシスコのご当地小説という側面が見えてくる。作中にもジェファーソン・エアプレイン(→Wikipedia)のグレイス・スリックを思わせる人物が出てきたり、ドラァグ・クイーン(→Wikipedia)が闊歩したり。冒頭のテロの標的が○○なのも、ご当地小説のゆえ。

 物語のヒロインは、襲われたときに、服はやぶけても顔に傷はつかない。ヒロインが泣く時も、涙は流しても鼻水は垂れない。それが物語作りのお約束。そして、サンフランシスコは全米No.1の人気観光都市であり、サンフランシスコの顔と言えばアレ。傷つけるわけにはイカンのです、何があろうと。

 主人公がバスやBART(→Wikipedia)を乗りこなすのも、アメリカの物語にしては少し異色だが、これも公共交通機関が発達しているサンフランシスコならでは。自転車でもいいんだろうけど、あそこ、アメリカにしては坂が多くて、ちょっとキツいのよ。アメリカ人観光客はすぐにレンタカーを借りるけど、海外からの観光客は公共交通機関に頼る傾向があるから、BARTやバスが主な足になるわけで、その辺の配慮だろう。まあ、自転車で移動しちゃうとICカードのトリックが使えなくなる、という物語上の都合もあるんだろうけど。もちろん、観光客に人気のフィッシャマンズ・ワーフも出てきます。

そんな反体制運動の歴史を持つベイエリアだけに、大人たちにも気骨のある人たちが混じってる。Don't Trust Over 30 なんて懐かしい言葉が出てきたり、フリーダム・ライドの逸話が語られたり。人種差別が関わってた運動だけに、この作品にも影を落としてる。かと思えば、冒頭の引用が示すように、多様性を受け入れる包容力を持つのもベイエリアで、世界最大のチャイナ・タウンがあったりする。ミズ・ガルベスの講義からは、Chicago(→Youtube) が聞こえてきそうな熱気が伝わってくる。

 若くインターネットに親しんだ者から見たマスコミの姿(やっぱりFOXは悪役)、親子の立場の違いによる考え方の違い、厨二っぽいイキがり方、デジタル・カメラの落とし穴など、他にも美味しいネタが盛りだくさん。お話は面白いし、技術的な部分はしっかりしてる。政治的にアクが強い作品だけど、話題性はたっぷり。現代を舞台としたリアルなコンピュータ物としては、今の所最高峰だろう。お陰で私は寝不足になりました、はい。

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