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2013年7月17日 (水)

小田雅久仁「本にだって雄と雌があります」新潮社

 あんまり知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある。であるからには理の当然、人目を忍んで逢瀬を重ね、ときには書物の身空でページをからめて房事にも励もうし、果ては跡継ぎをもこしらえる。

【どんな本?】

 第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した「増大派に告ぐ」で登場した小田雅久仁の、話題の新作。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2013年版」ではベストSF2012国内編の7位に食い込み、第三回Twitter文学賞国内部門ではトップに輝いた。本と本の交合によって誕生すると云われる幻の本を巡り、書籍の収集家・深井與次郎とその一族の年代記を軽妙な語り口で綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年10月20日発行。ハードカバー縦一段組み本文約313頁。9.5ポイント45字×21行×313頁=約295,785字、400字詰め原稿用紙で約740枚。長編小説としてはやや長め。文章は親しみやすくスラスラ読める。内容も特に小難しい前提知識は要らない。いわゆる莫迦話・法螺話なので、そういうのが許せる人向け。

【どんな話?】

 祖父の深井與次郎は本好きで、実家は本で溢れていた。書斎・書庫から溢れた本は廊下や階段へと侵攻をはじめ、なんと厠まで侵食する始末。そのためか、夜ともなれば屋敷内にコトコト・カタカタ・バタバタと奇妙な音がする。それを聞いた與次郎は嬉しそうに「また本が増えてしまうなあ」などと呟くのだった。

【感想は?】

 本好きなら悶絶して喜ぶ楽しい小説。

 よほどの大邸宅に住んでいるのでない限り、本好きには共通した悩みがある。本の置き場所だ。博打や酒に比べれば、趣味としちゃ時間当たりの費用は格安なためコスト・パフォーマンスに優れているように思える読書だが、長く続けるとさにあらず。いつの間にやら増殖した本は部屋を埋め尽くし、いくら書棚を買っても整理は追いつかない。あらゆる棚が本に占領されるなんてのは序の口で、床から生えた書籍の塔が何本も聳え立ち、やがて生活空間へと侵食を開始する。

 部屋を借りるにせよ、家を建てるにせよ、本読みが最初に考えるのは「本棚をどこに置くか」だ。家賃や建築費の半分以上が書棚に食われる。住宅ローンの半分以上は、本に貢いでいるようなものだ。なんとも凶悪な趣味である。

 「だったら棄てればいいじゃないか」と思うかも知れないが、棄てられないのだ、なぜか。いや私は思い切って棄てたけど。どうせ二度と読まないんだし…と普通の人は思うだろうが、一度逃した本に再び巡り会える事は、滅多にない。私は今でもサンリオSF文庫から出たブライアン・スティブルフォードのタルタロス三部作を買い逃した事を悔やんでいるし、菅浩江が角川文庫から出した「歌の降る星」を持っているのが自慢だ。表紙は恥ずかしいけど、中身は文句なしの本格ファーストコンタクトSFですぜ。

 ってな事を本好きが語り始めると止まらないんで、この辺にして。いつの間にか増殖してるのが本の不思議なところで、本好きなら一度は「奴らコッソリ子供を産んでるんじゃないか」と妄想した事があるだろう。この小説は、まさしくそういう状況の、そういう人たちから話が始まる。最初の一頁目から、本好きなら思わず引きこまれてしまう描写が続く。ああ、たまらん。

 などと身につまされながら読み始めると、次に来るのは、妙に力が抜ける関西弁に、取ってつけたようなオヤジギャグと地口の数々。なにせ語りの中心となる與次郎氏、大学教授というおカタい肩書きとは裏腹に、口を開けば屁理屈と法螺話と地口ばかりの楽しいオッサン。おまけに隣の愛妻ミキさんが、これまた抜群の突っ込み役を演じ、息のあった夫婦漫才が展開してゆく。というか、今読み返したら、この二人、出遭ったときから見事な漫才を演じてる。これもまた運命のカップルなんだろうか。吉本風だけど。

 お話は、この二人を中心に、そのご先祖や子孫、同窓生など周囲の人々を描いてゆくのだが、その中心となるのは、與次郎が言う所の「幻書」。本と本が房事に励んで生まれた書物である。

 これだけで充分に嘘くさいのだが、語る與次郎氏も法螺話が大好きな上に、語り手もアチコチで法螺を吹きまくる。かと言っていわゆる「信用できない語り手」などといった小難しい話ではなく、コッチでウロウロ、アッチでドタバタと寄り道しながらも、ちゃんと「幻書」がらみで話は進んでゆく。

 というか、その寄り道こそ、この小説の面白さなのかもしれない。昔からあった便乗本や、駄作を自費出版する人、見栄で書棚を埋める人など、本にまつわる真偽の怪しい逸話は、やはり本好きの心をくすぐる。

 本と本が交わって生まれる「幻本」。それはいかなる書物で、何が書かれているのか。それはどのように生まれ、どこに行くのか。本にとり憑かれた者は、どのような末路を辿るのか。饒舌で軽妙な語り口で展開する、不思議で少しほんわかした、本好きに捧げる楽しいファンタジーであり、とある一族の年代記。

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