司馬遷「史記 七 世家 下」明治書院 新釈漢文大系87 吉田賢抗著
「わしは、かつて百万の大軍を将軍で貴い身分であったが、しかし獄吏がこんなに権威のある貴さは今まで知らなかった」 絳侯周勃世家第二十七
【どんな本?】
中国の前漢・武帝の時代、紀元前91年頃に司馬遷が著した歴史書「太史公書」、通称「史記」は、夏・殷・周の各朝から春秋・戦国の騒乱、秦の勃興・楚漢 戦争を経て漢の武帝の時代までを扱う。人物を中心とした歴史観に基づく紀伝体という構成が特徴で、大きく以下の5部から成る。
- 十二 本紀 黄帝から漢の武帝までの歴代王朝の君主
- 十 表 年表
- 八 書 礼楽・刑政・天文・貨殖など法制経済史
- 三十 世家 君主を取り巻く王侯
- 七十 列伝 他の有名人の人間像
世家は周王朝の文王・武王から漢の武帝の時代までの、各国の王家・諸侯を扱う。明治書院のシリーズは、漢語の原文と読み下し文・現代語訳の 通釈・わかりにくい言葉を説明する語釈に加え、研究者により解釈が分かれる部分は余説として他の学説も収録するなど、研究所として充実した内容。このシリーズの世家は上・中・下の三巻で、下巻は主に秦の時代から陳渉の反乱・項羽と劉邦による秦の打倒を通し、楚漢戦争を経て漢が安定し、執筆当事の武帝の時代までを描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
Wikipedia によると、原書の成立は紀元前91年ごろ。明治書院版は1982年2月10日初版発行。私が読んだのは1990年9月20日発行の11版。単行本ハード カバー縦一段組みで本文約412頁。9ポイント54字×21行×412頁=約467,208字、400字詰め原稿用紙で約1168枚。長編小説なら2冊分ちょいだが、私は漢文と読み下し文は読み飛ばしたので、実際に読んだのは半分程度。
中国の古典の香りを強く残した文体は、慣れるまではかなりとっつきにくい。また、大きく複雑な歴史の一部であり、背景が掴めないと、何が起きているのか、よくわからないかもしれない。全体を通じ儒教的な哲学が支配しているのも特徴で、今の感覚だと、人々の振る舞いはむしろファンタジーを思わせる。
【構成は?】
孔子世家第十七
陳渉世家第十八
外戚世家第十九
楚元王世家第二十
荊燕世家第二十一
斉悼恵王世家第二十二
蕭相国世家第二十三
曹相国世家第二十四
留侯世家第二十五
陳丞相世家第二十六
絳侯周勃世家第二十七
梁孝王世家第二十八
五宗世家第二十九
三王世家第三十
戦国七雄時代略図/世家索引
原則として時代順。明治書院のシリーズだと、各部は以下6つの項目からなる。読みやすいように、本文を10行~30行程度で区切り、その後に和訓や通釈をつける構成。
- 解説:各部の冒頭にあり、要約や位置づけなどを示す。
- 本文:漢文。
- 和訓:読み下し文。
- 通釈:現代日本語に訳した文章。
- 語釈:本文中のまぎらわしい語・難しい語や、関連知識が必要な語の解説。
- 余説:解釈に複数の学説がある場合、通釈で採用しなかった説を述べる。
【感想は?】
最も長いのは最初の「孔子世家第十七」で、孔子の生涯を扱う。無冠の人ながら、人気と名声から世家としたんだろう。単に記述が多いだけでなく、余説も多いのが特徴。有名人だけに、研究も盛んなんだろう。史記では意外と人間臭く描かれてる。衛の霊公に用いられず「俺なら三年で成功するのに」と憤るあたり、血気盛ん。老いては易に凝るのも、年寄りとしちゃありがち。弟子の子路が葉の長官・葉公に孔子の人物を問われ答えなかった際、つけた文句は結構、傲慢な印象を受ける。「こう答えりゃいいのに」と教えて曰く。
「その人柄は、道を学んで倦むことがなく、人を教えて厭うことがなく、発奮しては飲食を忘れ、人を誨えては、楽しんで世の憂いを忘れ、老いの来るのを知らない」
続く「陳渉世家第十八」は、秦の暴政に耐えかね起った陳渉の話で、会話中心の孔子と違いアクション全開。河北魚陽守備の行役に向かうが、大雨で道が塞がり間に合わない。遅れれば死罪だ。「どうせ死ぬなら」と仲間の呉広と共に決起、最初は勢いがよかったものの、秦の将・章邯(→Wikipedia)に敗れていく。この章邯、滅び行く秦にあって一瞬の輝きを見せる悲劇の名将で、なかなか印象深い。
下巻のクライマックスは、劉邦の三人の功臣の蕭何・曹參・張良を描いた、「蕭相国世家第二十三」「曹相国世家第二十四」「留侯世家第二十五」。
まず「蕭相国世家第二十三」、蕭何(→Wikipedia)。この人は文官で、内政と補給の担当。負け続きの劉邦に次々と物資と兵を送り、支えた人。項羽を倒した後の論考褒賞では、この人がトップの功績と評価される。「雨風に耐え戦った俺たちより、なんでアイツが…」と将たちが騒ぐあたりは、石田三成が戦国武将に不評を買うあたりを思い起こさせる。そんな蕭何でも、漢が安定してくると高祖の妬みを恐れて敢えて評判を落とすような真似をするあたりは、世の世知辛さか。
飛んで張良(→Wikipedia)を描く「留侯世家第二十五」。この人も武勇というより智恵の人だけど、蕭何の内政に対し外交面での活躍が多く、軍師という位置づけ。太史公曰く「困難な事を容易な中で計らい、大事を些細なうちに処理しえた」。韓の宰相の子で、秦が韓を滅ぼしたのを恨み始皇帝の暗殺を試みるも失敗。
逃亡中、橋の袂で老人にあう。爺いは端から靴を落とし偉そうに「拾え」と命じる。ムカつきながらも拾うと「履かせろ」と命じる。爺は「見所のあるやつ、五日後の早朝、ここに来い」。はたして五日後の夜明けに行くと爺は既に来ていて「遅い、また五日後な」。今度は夜明け前に行くと、やっぱり爺がいて「「遅い、また五日後」。今度は真夜中に行くと、後から爺が来て「これをやろう」と書物を渡す。それは太公望の兵書だった。老人の正体は…ってな感じに始まる。
だが三人の中で最も気に入ったのは、曹參(→Wikipedia)。典型的な脳筋の軍人で、天才の韓信(→Wikipedia)に従い東奔西走、多くの軍功を挙げる。平定後は斉の丞相となるが、自分の脳筋をよく弁え、百を超える学者に政道を問うがまさしく百家争鳴。困った曹參、黄帝・老子の研究で名高い蓋公を招いて、丞相の正堂には彼を置き、自らは正堂を避けた。この策は当たり、賢相と評される。
昔は蕭何と仲が良かったが、先の論考褒賞以来は気まずくなる。が、蕭何は死去の際、漢の丞相に曹參を推挙する。役についたはいいが、この爺さん、毎日酒をくらうばかりで仕事しない。諌めようと彼の屋敷を訪ねる者もいるが、曹參は「まあ飲め」。飲み干して何か言おうとすると、「もう一杯」。結局、何も言えず酔いつぶれて去る羽目に。
仕事しない曹參に怒った孝恵帝、「俺が若いと思ってナメとんのか、仕事しろよ」とやんわり伝えるが…
曹參「陛下は聖徳武勇で高祖に敵いますか」
陛下「無理だな、そりゃ」
曹參「賢さで私が蕭何に敵いますか」
陛下「無理だな、そりゃ」
曹參「優れたコンビが法と制度を作りました。我々は、それを守ってれば巧くいきます」
陛下「わかった、休んでいなさい」
一般にヒトは作るのを好み、維持するのを嫌う。自分の才が人に及ばないと素直に認める者は滅多にいない。己の無能を素直に認め、人の意見を容れる器量の大きい人、とも取れるが…
役人の官舎が、彼の部下の官舎に近かった。役人どもは毎日騒がしく宴会し、閉口した部下たちは曹參に騒音を聞いてもらう。ところが曹參、あろうことか酒を取り寄せ、一緒になって飲み騒ぎ始めた。
なんてエピソードを読むと、実は単に飲んだくれの怠け者なんじゃないかって気もしてくる。なんにせよ、愉快な人だ。
列伝→本紀→世家と読んできたが、全体を読み通すなら、やはり記述の順番どおりに本紀→世家→列伝の順がいいだろう。面白い所だけつまみ読みしたいなら、列伝が最も手に入れやすいし、物語としても連作の短編小説集のようで親しみやすいかも。
全体を通して最も盛り上がるのは、本紀の「項羽本紀第七」。なんたって、ラスボスだし。強くて賢くてカッコいい乱世の英雄を、詩情たっぷりに描いた一編。次いで私が好きなのは、列伝の「淮陰侯列伝第三十二」。名将の呼び声高い韓信の物語で、背水の陣など現代の漫画でもアレンジされ使われる名場面が出てくる。また、世家では「楚世家第十」と「越世家第十一」が、呉と越の因縁の対決物語として面白い。
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