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2013年7月11日 (木)

司馬遷「史記 四 八書」明治書院 新釈漢文大系41 吉田賢抗著

 天の中空は北極星座である。その中の最も明るいのは太一といい、太一(の神)がいつもいるところである。その傍らの三星は三公といい、太一の子の一属ともいう。太一のうしろで曲がって列ぶ四つの星のうち最も端の大きな星が正妃で、他の三星は後宮のものたちである。
  ――天官書第五

【どんな本?】

 中国の前漢・武帝の時代、紀元前91年頃に司馬遷が著した歴史書「太史公書」、通称「史記」は、夏・殷・周の各朝から春秋・戦国の騒乱、秦の勃興・楚漢 戦争を経て漢の武帝の時代までを扱う。人物を中心とした歴史観に基づく紀伝体という構成が特徴で、大きく以下の5部から成る。

  1. 十二 本紀 黄帝から漢の武帝までの歴代王朝の君主
  2. 十  表   年表
  3. 八  書   礼楽・刑政・天文・貨殖など法制経済史
  4. 三十 世家 君主を取り巻く王侯
  5. 七十 列伝 他の有名人の人間像

 書は、礼書・楽書・律書・暦書・天官書・封禅書・河渠書・平準書の八書からなり、当事の思想・儀式・法制度などを伝えるもの。
 明治書院のシリーズは、漢語の原文と読み下し文・現代語訳の 通釈・わかりにくい言葉を説明する語釈に加え、研究者により解釈が分かれる部分は余説として他の学説も収録するなど、研究所として充実した構成を誇る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によると、原書の成立は紀元前91年ごろ。明治書院版は1995年5月20日初版発行。単行本ハード カバー縦一段組みで本文約311頁。9ポイント54字×21行×311頁=約352,674字、400字詰め原稿用紙で約882枚。長めの長編小説の分量だが、私は漢文と読み下し文は読み飛ばしたので、実際に読んだのは半分程度。

 中国の古典の香りを強く残した文体であり、慣れるまではかなりとっつきにくい。

【構成は?】

 例言
礼書第一
楽書第二
律書第三
暦書第四
天官書第五
封禅書第六
河渠書第七
平準書第八
 索引

【感想は?】

 「せっかく本紀・世家・列伝まで読んだんだから」ってんで、ついでに読んでみたが、これはかなり感触が違う。他は歴史上の事象を扱ったものだが、書は思想や法制度・儀式の様式や占いの次第を記述したものであり、研究の対象としての価値は高いが、書は一般向けの読み物じゃない。

 正直な感想は、「年寄りのクドい説教だな、こりゃ」だ。列伝などにも儒者が君主に長い説教をたれる部分があるが、書はそういう部分だけを集めた印象がある。

 とまれ、読む価値は、確かにある。あまり肯定的な意味合いではないけど、史記の書かれた当事のモノの考え方を、現代の思想と比べた、相対的な位置づけができ、史記全体に対する適切な距離感を養える。特に「天官書第五」。書の中でも長い部分だが、斜め読みしてみると、史記全体の印象がガラリと変わる。

 「つまり儒家思想や年寄りの説教って、そういうパターンなのね」と、理屈のこね方や非合理性の元凶が見えてくるのだ。ある意味、史記を含めた中国の古典や、その根底に流れる思想の、価値そのものをひっくり返しかねない、重要な意味を持つ部分である。

 「天官書第五」は、主に星の運行を中心として、雷・霞・虹・雲・蜃気楼などの自然現象と、その意味する所を述べた部分だ。

 星の運行そのものの記述は結構正確で、惑星の逆行などもキチンと法則を記述している。明確な区別はしていないが、水星・金星・火星・木星などの惑星と、北極星やシリウスなどの恒星は別扱いにしているところから見て、その二種は「なんか違う」と、当時から判別はちていたらしい。あ、当然ながら、世界観としては天動説に基づく模様。

 問題は、その後の解釈だ。つまりは星占いになってしまう。「月が歳星(水星)を掩うとその下に当たる土地は饑饉となったり、滅亡したりする」とか、ハッキリ言って世迷言である。まあ、当事の人に現代の天文学を求めるのは無茶に決まっているし、星の運行を観測しただけでも相当なものであるのは確かなのだが。

 それを、地上の政変や社会の動きと、関係付けて考えてしまうのが、問題の核心。本来は関係ないものを、関係があると誤解してしまう。思い込みを元に現実を観察するから、更に思い込みが強くなってゆく、そういう構造が史記や儒家思想を貫いている由が、「天官書第五」によって明らかになる。

 他の列伝などに出てくる説教も、似たパターンだ。説教する者は、思い込みに基づいて論を張り、その論を裏付ける事象を歴史上の記録から拾い集め補強する…そして、都合の悪い部分は無視すればいい。当事の人々に数値化や統計などの発想を求めるのは無茶な事はわかるが、同時に古典なるものの限界も示しているし、鵜呑みにしてはいけないという貴重な警告でもある。

 また、無知という事象の具体的なサンプルであり、ありがちなパターンも見いだせるだろう。ここでは、少なくとも二つのパターンが見て取れる。ひとつは既に説明したように、「関係ないものに関係があると思い込む」パターンだ。もう一つは、先のパターンの延長で、「制御できないものを制御できると思い込んでしまう」パターンである。なんの事はない、いわゆるトンデモ本にありがちな構造だ。

 そういう目で見ていくと、「楽書第二」のエピソードはだいぶ印象が違ってくる。魏の文侯が孔子の弟子の子夏に尋ねる。「古楽な眠くなるけど、鄭や衛の新楽は眠くならない、なんで?」。子夏はイロイロと理屈をコネてるんだけど。

 現代だって、若い人は最近の曲に魅力を感じ、古い歌はつまらないと感じるだろう。年寄りは逆で、最近の曲はせわしなく軽薄と思い、「昭和の歌にはロマンがあったよなあ」と愚痴る。私は60年代~80年代の音が好きで、50年代は古臭く感じるし、最近のはついていけない。

 音楽ってのは、そういうものなのだ。つまり、「音楽の黄金時代はあなたが17歳の時」なのである。でも世の中は年寄りが威張ってるから、古いものの方が価値が高いとされるのである。特に中国の儒家思想は年配者を持ち上げるから、この傾向が強くなる。そう考えると、古いものをありがたがる儒家思想も、だいぶ印象が違ってくるだろう。

 なんか文句ばかりになっちゃったけど、後の「河渠書第七」や「平準書第八」は、意外と現代でも感心したくなる記述があttりするのが、史記の面白いところ。「河渠書第七」は治水の話で、運河を作る話が何回か出てくる。多大な費用はかかるが、洪水を防ぐと共に灌漑して農地を広げ、また水上の流通も発達するので国の発展に役立つ。「平準書第八」は経済政策の話で、「戦争は費用が嵩んで民が疲弊するよね」ってな話が出てくるのはわかるが、民間で貨幣を鋳造してたりするのも楽しいところ。また、官の職を金で買う話が多く出てきて、この辺は中国のお国柄がよく出ているなあ、などと思ったり。

 一般に教養として古典を学ぶ場合、現代科学に照らして非合理的に見える部分は省略する場合が多いけど、読み方によっては、そういう部分にこそヒトの本質が見て取れるし、その本を貫く思想の方向性もわかる。意地の悪い読み方になっちゃったけど、史記の思想や感覚は現代の中国にも脈々と流れているだろうし、我が国の文化にも大きな影響を与えている。「時代遅れだから」といって省略するには、あまりに惜しい貴重な部分だ。現代の感覚と当事の感覚を比べ、違和感を考察し、ヒトの不変な性質を見つけること、それもまた古典だからこそ持ちうる価値だろう。

 ちなみに、さすがに「表」までは読むつもりはないです。史記はこれで終わり。

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