鈴木隆「けんかえれじい 上・下」岩波現代文庫
「ひょうろく玉あ、ねんぶつ唱えるんなら、鼻糞ほじって教室でやりやがれ。おう、おめえ、こいつのことで、えろうごていねいな因縁つけやがったそうじゃが、ゆんべの女子(おなご)はのう、すっきりした女子よ。神聖な教会から、自分らの家へ帰るのがなんで組合の規則に触れるんじゃ。おう、言うてみい」
【どんな本?】
昭和の児童文学作家・鈴木隆による、自叙伝的な痛快ユーモア青春小説。1966年には映画化され、今も根強い人気を誇る。戦前の岡山に育った南部麒六少年が、小柄な体をものともせず、スッポン先生に学んで喧嘩の腕を磨き、近隣の連中との実戦に明け暮れつつ、岡山から会津・東京そして戦火渦巻く大陸へと転戦していく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
元は1966年7月、理論社より刊行。本書の底本は1982年の角川文庫版に著者が手を加えたもので、1976年TBS出版協会版を参照した。岩波現代文庫版は上巻2005年10月14日第1刷発行、下巻2005年11月16日第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約431頁+456頁=約887頁。9ポイント42字×18行×(431頁+456頁)=約670,572字、400字詰め原稿用紙で約1677枚。普通の長編小説なら3冊分ぐらい。
童話作家だけあって、日本語の文章そのものは読みやすい。戦前・戦中の時代が背景なので、当事の変に勇ましげな用語や文体もご愛嬌だろう。ただ、かなりキツい岡山弁・会津弁そして東京の裏社会の俗語が頻繁に出てくるので、一部の会話は意味を掴むのに苦労するが、それもこの作品には外せない味なんだよなあ。
【どんな話?】
小柄で腕力もない麒六は、小学生の頃から喧嘩の研究に余念がない。持久戦になれば体力的に不利は必至であり、よって先手必勝の術を編み出したものの、大人が仲裁に入れば先に手を出した麒六が「横着もん」と決め付けられる。中学に入っても喧嘩癖は直らず、どころか教会で出遭ったスッポン先生に見込まれ、更なる修行に明け暮れ、不良仲間のOSMS団に入団する。ところが困ったことに、憧れの道子さんとの道中を硬派な団長に見咎められ…
【感想は?】
タイトルは Elegy(哀歌)だが、むしろ Rhapsody(狂詩曲)かなあ。戦争に向かう日本と暗い背景ながら、そこに生きる南部麒六と愉快な仲間たちは、いつの時代も変わらぬ悪たれ小僧どもだ。
少年たちの世界というのは、独特のルールが支配している。人と違っていれば、それだけで孤立しかねない。クリスチャンとして日曜は教会に顔を出さねばならぬ麒六だが、そこに学校行事が重なる。教会をサボれば父の鉄拳、学校行事をサボれば教師の鉄拳。板ばさみになる麒六が哀れだが、これの解決を「恥」と感じる麒六も、まさしく男の子。
そう、子供といえども、自分の問題は自分でケリをつけねばナメられるのである。オトナから見れば馬鹿で理屈の通らぬ行動でも、子供にだってメンツがあるのだ。なぜか不思議と皆オトナになると、そういう事情はケロリと忘れちゃうんだけど。
出だしから、喧嘩の工夫に頭を悩ます麒六の姿で始まる。小柄で非力というハンデを背負いつつ、なんとか戦術で凌ごうとする麒六。やがてスッポン先生という優れた師に巡り会い、厳しい修行生活に入ってゆく。かつてのジャッキー・チェンのカンフー物映画よろしく、キチンと段階を踏んでやってるのがおかしい。まあ修行ったって、まさしく不良の喧嘩なんだけど。
この「不良の喧嘩」ってのも、それなりのルールがあって。下手に騒ぎを大きくすれば教師や警察の介入を招き、お互いに痛い目を見る。得物を使うにせよ、何をどこまで使っていいか、暗黙の約束がある。こういうルールは土地と時代で刻々と変わっていくものではあるが、充分に知っていれば裏をかく事もできる。こういった「状況の利用」も、麒六の喧嘩の腕のうち。昼と夜のギャラリーを意識した戦術の違いとかは、それなりに参考に…ならないな。今の人は、のんびり喧嘩見物なんかしてないし。
こういった、オトナにとっては馬鹿馬鹿しいモノゴトを、至って真面目に書いてあるのが、この本の面白いところ。正調軟派14カ条・正調硬派14カ条などと、心得を箇条書きにしてあったり、児童文学作家のためか、自由で柔軟な小説作法も楽しみのひとつ。アチコチに出てくる詩や唄も彩を与えている。
やがて麒六は会津に流罪となり、ここでも悪タレどもと喧騒を繰り広げる。キツい岡山弁の麒六が、会津弁を習得して、勢いがつくと啖呵がチャンポンになってくる。旧制中学だから、今だと中学・高校ぐらいか。なんたって、煩悩逞しい厨二の頃だ。雑誌のケッタイな通信販売にひっかかったりするくだりは、今の男の子だって心当たりがあるだろう。この手の青春の黒歴史こそ、この作品の前半の真髄。
成長した麒六は上京し、大学生活に入る。ここでスッポン先生に次ぐ人生の師に出会う。童話作家の坪田譲治だ。穏やかな坪田先生に心服しつつも、生来の喧嘩癖は直らぬ麒六。ま、人って、そう簡単に変わるもんじゃなし。東京編でのハイライトは、麒六がブチ込まれた留置場の一幕。
人殺しだの強姦犯だの掏りの常習犯だのが、「理想の童話とかいかにあるべきか」を巡り喧々囂々の議論を戦わせるシーンは、可笑しいやら悲しいやら。本なぞ読まぬオトナでも、幼い頃に読んだ童話はしっかり覚えてるし、それぞれにご贔屓の場面や台詞がある。コワモテのオッサンが、「俺は泣けてなあ、そうよ、身につまされちまったんだ」などと語るあたりは、ついつい引き込まれてしまう。
彼らの会話は、書評を書く者の一人として、なかなか参考になる。上品にまとめて頭良さげにふんぞり返ってりゃいいってもんじゃ、ないんだよなあ。馬鹿っぽくても、「ああコイツ、ホントに好きなんだなあ」と思わせてなきゃ。
下巻は軍隊編。召集された麒六が、愛しのマドンナ道子さんに別れを告げる間もなく、高田独立山砲兵第一聯隊に入隊、やがて大陸へと転戦してゆく。軍での麒六の評価が、なかなかツボをついている。
「…貴様も竹を割ったようなところが有るには有る。しかし、どうも俺の観るところ、軍人精神とは似て非なる割れ方のようである」
昨日まで文学や法律を学んでた連中が、いきなり馬の世話やら砲の分解掃除。帝国陸軍の招集兵とはいえ、学徒動員の麒六たちだけに、一般の招集兵とは違って年齢・学歴ともにけっこう高い。にも関わらず、入営した次の朝、教官の上原見習士官の挨拶がいきなり「今朝、起床ラッパが鳴った時、マラの立ってた奴はいないか!」とくる。ぶはは。野郎ばっかしの世界だし、カッコつけてもいられないよなあ。
兵の待遇の良し悪しも、上に立つ士官によりけり。滅多に殴らぬ傑物もいれば、イチャモンつけて殴るのを趣味にしてるのもいる。今と違い当事の大学進学率は、一割にも満たなかったはず。そんな社会での学徒といえば、その親も相応の立場だろうから、ヌルいかと思えばそうでもない。ストレスが溜まる軍隊生活だけに、仲間内での反目もある。となれば、喧嘩っ早い麒六が大人しくしているはハズもなく…
後編も後半に入ると、麒六も大陸に渡り軍務につく。この軍務というのが、当事の帝国陸軍の混乱振りをよく示すシロモノで。軍記物も、太平洋戦線の資料はよく出ているが、大陸の記録は出版社もあまり大きく宣伝しないんで、軍オタでもない限りあまり実態は知られていない。そういう点でも、後編は、なかなか貴重。
特に麒六は砲兵隊であり、行軍の様子がこと細かに書かれているのが、軍ヲタとしては嬉しい。当時は機械化も進んでおらず、そもそも開戦のきっかけがABCD包囲網による石油の枯渇でもあり、輸送は馬匹や人力に頼る事になる。敵が米軍と明確な太平洋戦線と違い、大陸では匪賊馬賊も出る。「補給戦」のクレフェルトが見たら、どうコメントするのやら。
男なら誰だって抱えている黒歴史をカラリとユーモラスに描く上巻、トンガった青年が上意下達の軍で悪戦苦闘する下巻。書名は「えれじい」だが、実際にはアクションとギャグが満ちている。爽快で、ちょっと切ない青春娯楽小説。
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