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2013年6月13日 (木)

司馬遷「史記 六 世家 中」明治書院 新釈漢文大系86 吉田賢抗著

人を観察するには、その人が平素誰と親しくしているかを視、
裕福であったら、どのような与え方をするかを視、
高位についたら、どういう人物を挙げ用いるかを視、
困窮した場合でも、その為さないところを視、
貧乏の場合には、不正なものを取らないかを視ます。
  ――魏世家第十四より、李克が文侯に語る人選の要点

【どんな本?】

 中国の前漢・武帝の時代、紀元前91年頃に司馬遷が著した歴史書「太史公書」、通称「史記」は、夏・殷・周の各朝から春秋・戦国の騒乱、秦の勃興・楚漢戦争を経て漢の武帝の時代までを扱う。人物を中心とした歴史観に基づく紀伝体という構成が特徴で、大きく以下の5部に分かれる。

  1. 十二 本紀 黄帝から漢の武帝までの歴代王朝の君主
  2. 十  表   年表
  3. 八  書   礼楽・刑政・天文・貨殖など法制経済史
  4. 三十 世家 君主を取り巻く王侯
  5. 七十 列伝 他の有名人の人間像

 世家は周王朝の文王・武王から漢の武帝の時代までの、各国の王家・諸侯の勃興を扱う。明治書院のシリーズは、漢語の原文と読み下し文・現代語訳の 通釈・わかりにくい言葉を説明する語釈に加え、研究者により解釈が分かれる部分は余説として他の学説も収録するなど、研究所として充実した内容。このシリーズの世家は上・中・下の三巻で、中巻は春秋・戦国時代の諸国の盛衰から秦が統一するまでを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によると、原書の成立は紀元前91年ごろ。明治書院版は1979年10月10日初版発行。私が読んだのは1991年9月20日発行の13版。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約390頁。9ポイント54字×21行×390頁=約442,260字、400字詰め原稿用紙で約1106枚。長編小説なら2冊分 ちょいだが、私は漢文と読み下し文は読み飛ばしたんで、実際に読んだのは半分程度。

 慣れないうちはかなりとっつきにくい史記だが、世家の中巻は読んでみると意外とそうでもない。というのも、それぞれ各王家の勃興から滅亡までを描くわけで、同じ時代の記述が何度も出てくるのだ。そのため、一度斜め読みして分からくても、別の王家で同じ人物・事件を再度記述しているので、復習できたりする。お陰で、少しだけ手ごわさが減った。

【構成は?】

楚世家第十
越世家第十一
鄭世家第十二
趙世家第十三
魏世家第十四
韓世家第十五
田敬仲完世家第十六
 戦国七雄時代略図

 各部はそれぞれ以下6つの項目からなる。読みやすいように、本文を10行~30行程度で区切り、その後に和訓や通釈をつける構成。

  1. 解説:各部の冒頭にあり、要約や位置づけなどを示す。
  2. 本文:漢文。
  3. 和訓:読み下し文。
  4. 通釈:現代日本語に訳した文章。
  5. 語釈:本文中のまぎらわしい語・難しい語や、関連知識が必要な語の解説。
  6. 余説:解釈に複数の学説がある場合、通釈で採用しなかった説を述べる。

【感想は?】

 この巻で出てくる王家は、いずれも滅びる運命にある。楚が越を滅ぼし、韓が鄭を併合するが、いずれも趙・魏・斉と共に秦に食われる。なんとも哀愁漂う巻だ。

 物語として面白いのは、やっぱり呉王・夫差&賢臣・伍子胥 vs 越王・句践&賢臣・范蠡の戦いだろう。

 范蠡が止めるのも聞かず句践は呉に攻め込むが敗走、会稽山で包囲される。范蠡の勧めに従い降伏する句践を、伍子胥は殺せと具申するが夫差は許す。後にも越の脅威を説く伍子胥の進言を夫差は聞かず斉や楚と争う。「これじゃ呉は滅びる」とボヤく伍子胥は太宰の?にチクられ、恨み言を残して自害。

 越に戻った句践は范蠡と共に民を慰撫し、生活は質素に甘んじる。食事の際は胆をなめ「なんじは会稽の恥を忘れたか」と復讐を誓う(臥薪嘗胆、→Wikipedia)。呉が戦で疲弊した頃を見計らい呉を攻め、姑蘇山に包囲する。降伏する夫差、許そうとする句践に范蠡は「殺せ」と進言。夫差は「わしは伍子胥に会わせる面目がない」と貌を布で覆って自害。

 大きな功をあげた范蠡。共に国を盛り立ててきた種に「句践は艱難を共にできても楽しみを共にすることはできない」「飛鳥が射尽くされると、良弓が見捨てられ、狡兔が殺し尽くされると、猟に走り廻った良犬は煮られる」(→故事ことわざ辞典)と言い残し越を去る。残る種に、句践は迫る。

「そちは、わしに呉を伐つに七術を教えてくれた。わしはそのうちの三つを用いて呉を破った。だあとの四つは、まだそちの胸中に在る。そちは、わしのため地下に在る先王に従って、その術をためしてみよ」

 面白いのは、これから。ズラかった名軍師の范蠡、名を変え斉で事業を興して巨財を築き、乞われて宰相となる。「長らく尊名を受けるのは不吉」と人に財を分け与え宰相を辞し、山東の陶へ向かう。陶朱公と名乗り事業と商売に励み、再び冨を得る。うはは。まだ続くぞ。

 次男が人を殺し楚で捕まる。末子に賄賂の大金を持たせ交渉に行かせようとするが、「それは長男の役割だろ」と割り込む。旧友の荘生への手紙を託し長男を使いに出す。粗末な荘生の家に呆れる長男だが、とりあえず金と手紙を渡す。「何もせずさっさと国に帰れ、仮に巧くいっても詮索するな」と諭す荘生を無視して楚の都に留まり、他の重臣に賄賂を配る。

 荘生の根回しが効いて大赦の噂が流れる。これを聞いた長男は荘生に「金を返せ」と迫る。ムカついたと荘生「勝手に持って帰れ」と言い放ち、楚王にチクる。「噂が立ってるよ、王は賄賂で罪を許すって」。怒った楚王は次男を死刑に処し、長男は虚しく死骸を抱えて帰る。これを見届けた朱公こと范蠡曰く。

「長男は若いころからわしと苦労してきたから、財を惜しむ。末子は生まれたときから豊かだから貯える苦労を知らず、あっさり棄てられる。この役は末子が適切で、長男にはできない。わしは遺骸が来るのを待っていた」

 趙・魏・韓は、かつての大国・晋の臣が独立した国で、三晋とも言われる。

 ここで面白いのは趙武(→Wikipedia)。晋の景公の時代、趙武の祖父・趙盾が屠岸賈に妬まれ一族が皆殺しになる。趙盾の子・朔は、友人の韓厥から「逃げろ」と諭されるが、「あなたが趙氏の祀りを絶たないでくださるなら、朔は死んでも恨むところがない」と言い残し死ぬ。身ごもっていた朔の妻は男の子を生む。これが趙武。

 迫る屠岸賈の追っ手、ここに登場するのが朔の友人・程嬰と、食客の公孫杵臼。二人は示し合わせて芝居を打つ。囮の嬰児を手に入れた杵臼は山中に逃れ、程嬰が彼を屠岸賈に売る。恨み言を残し杵臼は死ぬが、程嬰は趙武と共に山中に隠れる。

 15年後、病んだ景公は占いをたてる。卦に曰く「趙氏の祟り」。韓厥は景公に事実を告げる。成長した趙武に面会する景公。他の臣も屠岸賈を責め、趙氏は再興する。趙武が成人の折、、程嬰は「地下に逝って杵臼に報告する」と語る。「そなたに恩返ししたい、見捨てないでくれ」とすがる趙武だが、杵臼の決心は固く…

 他にも、趙は胡服に改めた武霊王も、その優れた武功と哀れな末路の対比が切ない。

 魏・韓のあたりは、強国に挟まれた小国の悲哀が否応なしに伝わってくる。田敬仲完世家は、斉の話。当時、西の秦と並ぶ強国だった斉だが、最終的には秦に敗れる。というのも、緩衝国であった趙・魏・韓が次々と秦に下されていったため。

 タイとベトナムに挟まれたラオス、ロシアとアメリカの綱引きの焦点アフガニスタンや東欧やフィンランド、やはりロシア・中国とアメリカの緩衝国・北朝鮮&韓国そして我が国の意味と立場も、史記に見ることができるだろう。

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