キャサリン・メリデール「イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45」白水社 松島芳彦訳 2
開戦間もない頃から、市民は求めに応じて、兵隊を親しく受け入れる証として、励ましの手紙を書いたり、ちょっとした品物や絵を送ったりした。
(略)
サモイロフは、アニシコという若者が手紙をくれた女性に返事を書くのを手伝った。「あんたは筆がたつ。どう書けばいいか知っている」とアニシコはいった。(略)返事が来ると、アニシコは戦友たちに、声に出して回し読みさせた。だが、悪ふざけが裏目に出た時が、年貢の納め時だった。彼に来た手紙を戦友が読んだ。「息子よ。私に愛の言葉をお掛けだけれど、私は七十をとっくに越えているのですよ」
キャサリン・メリデール「イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45」白水社 松島芳彦訳 1 から続く。
【感想 続き】
赤軍は得意の築陣防御を解き、攻撃態勢へと移行させた直後に、ヒトラーのバルバロッサ作戦が発動、ドイツ軍がソビエトへと雪崩れ込む。組織的にも大粛清の後であり、完全に虚をつかれた赤軍は壊走。ドイツ軍は大量の捕虜を人間扱いせず、有刺鉄線で囲っただけの原野に放置する。
取り残された赤軍将兵の一部はバルチザンと称し、周辺の集落を略奪して食いつなぎ、また時にはフリッツ(ドイツ軍)の補給部隊を襲い、伸びきったドイツ軍の補給線を遮断する。脱走兵の処分を命ずるスターリンの命令227号は、そんなバルチザンの多くまで脱走兵扱いし、その影響は戦後の年金にまで及んだ。
ここで、ついに赤軍はジューコフやコーネフなど新世代の指揮官が登場、今まで政治教育優先だった新兵訓練も簡潔ながら実践的なものになる。シベリアで辛酸を舐めた囚人やクラーク(富農)も徴兵され、懲罰部隊として最も危険な任務につく。スターリングラードの激戦は、ついに赤軍の勝利に結びつく。すかさず戦意高揚に利用するスターリン。そしてイワンたちは、西へと進軍を始める。
ここでの赤軍の対応が、いかにも赤軍らしい。新兵器を出すのではなく、「戦車の生産施設を東で再建する際、現行モデルを大量に生産する方針が採られた」。「新型の開発はおろか改造さえ、生産の停滞を招き、乗員も新たに訓練しなければならない」。徹底した人海戦術&物量作戦。V2とかの新兵器に頼った独軍とは対照的。
戦場の地獄について、今でも多くの将兵は口を閉ざす。それは当時も同じらしく。
アゲイエフは妻への手紙で、なぜ戦闘について詳しく書けないか説明を試みている。「…緊張状態では何も考えずに、たった一つの目的に向けて行動している。でも疲労のせいで緊張が惰性に代わると、何もかもどうでもよくなる時がある。だから、自分を揺さぶって我に帰らなければならないんだ」
西部ロシアは無法状態となり、多くの子供が家族と家を失う。家族との絆を失ったのは兵士も同じで、里心を呼び起こすのか、多くの孤児が「連隊の息子」となった。13歳のワシーリーはドイツ軍に母を連行されて家を焼かれ、赤軍の野営地にたどり着く。赤軍は彼に軍服と食事と仕事を与える。「ある試算によれば、六歳から十六歳の二万五千人が、戦争のある時期に軍隊と行動していた」。
西へと向かう兵士たちは、やがて資本主義世界へとたどり着く。それまで西側について何も知らなかった農民の彼らは、ポーランドやルーマニアの農場で驚く。イワン・ワシーリエヴィッチは語る。
「両方を比べるのは面白かった。俺も同じようなところ、つまり農場で育ったからだ」
「一言で言えば、豊か、ということだ」
「資本主義の農場の方が豊かだった」
そんな豊かさに触れた、彼らの想いは、「缶詰やボトルをこぶしで全部ぶっ壊してやりてえ」。つまり、怒りだ。なぜか。
これだけ豊かなドイツ人がなぜ、東隣の国々を侵略したのか。こんなに満ち足りているのに、どうしてさらに多くを求めたのか。
ある者は家族と引き裂かれ、ある者は故郷を荒野に変えられた。そんな復讐の念に加え、豊かな生活のドイツ人が貧しいロシアの農民を略奪・強姦・虐殺した事実が、彼らの怒りに火を注ぐ。相変わらず横領が横行する補給や、後方への将兵の郵便を優先するNKVDの命令もあり、赤軍は略奪集団と化す。
ケーニヒスベルグの市長によれば、ドイツ人住民の中で、食料に不自由せずその冬を過ごせたのは、ソ連軍人の子を身ごもった女性だけだった。
だが、プラウダなどの報道はもちろん、公式文書も「ソ連軍の残虐行為には触れなかった」。だが、意外な事に、強姦を免れる若い女性もいた。
四月になってようやく住民は、赤子を抱えた女性が実際に、レイプを免れているのに気づいた。兵士のポケットには、飢えたドイツの子供に与える菓子が一杯だった。感傷的になっていた兵士は、祖国に残した家族の様子が気になっていた。
こういう荒みきった将兵が、後に満州に雪崩れ込むのである。関東軍に置いてけぼりを食らった現地の民間人がどうなったかは、あまり想像したくない。
ロシア人と言えば酒だ。密造酒サマゴンに慣れた彼らは、高級ワインを見つけたが「これで六箱を開けたが、どれも炭酸飲料ばかりだった」。1945年にあるソ連中尉曰く「もし、わが軍がこんなに酒に溺れなければ、二年前にドイツ軍に勝っていただろう」。ドイツ降伏を目前に控えた5月5日、ベルリンに駐屯したある兵は…
たまたまメタノールの容器を見つけた。彼は(略)治安機関の別の二人と一緒に験し飲みをした。(略)料理係が現れたので、彼も巻き込んでさらに飲み続けた。夜になって別の七人が加わった。(略)彼らは生きて勝利の日を迎えられなかった。
勝利の後の帰還は、花束と喝采で迎えられる。だが、「終戦から三年も経たない1948年、公の場で戦争を振り返ることは事実上禁止された」。栄光はスターリンが独占する。ジューコフすら、引き篭もり生活を余儀なくされる。
1947年にとどめの一撃が振り下ろされた。スターリンはソ連の都市から、路上の物乞いを排除する命令を出した。物乞いの多くは戦争で手や足を失った傷痍軍人だった。
やがてスターリンの命も尽き、フルシチョフが軍の削減を目論む。退役軍人は怒り狂うが、後のブレジネフは大祖国戦争の威光で権威を飾ろうと考え、退役軍人を舞台へ引っ張り出す。ソ連崩壊を経て、今はプーチンが教会にろうそくを献じる。共産主義を叩き込まれたある退役軍人は…
嫌悪感をむき出しにして言った。「俺はあの政治家どもをポトスヴェーチニキー(ろうそく野郎)と呼んでいる」。
かと思えば、「教会のほうが気持ちにしっくり馴染むという者もいる」。ロシアにも、戦死者を国家がいかに弔うかという、靖国問題みたいのは、あるんだなあ。
日本人としては、「満州における恐怖のソ連軍は、ドイツ軍の蛮行のオツリだった」という、いささか複雑な結論に唖然とする。また、莫大なソ連の戦死者の数には、「北進していたらあるいは…」などとも考えてしまう。ドイツ軍ばかりでなく、補給将校の横領や飢えとシラミに悩まされ、NKVDの督戦隊に後ろから銃を突きつけられながら戦ったイワンたち。物語はあまりに大きすぎて、暫くは消化できそうにない。
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