ウラジミール・ソローキン「青い脂」河出書房新社 望月哲男・松本隆志訳
パステルナーク1号
御万光
野原たちの御万光が
大きく開けた空間に昇った
導き人たちの御万光よ
移ろいやすさの悲しみよ
【どんな本?】
馴染みのないロシア作家の作品であり、かつ文芸雑誌<早稲田文学>掲載という多大なハンデを背負いながらも「SFが読みたい!2012年版」で注目作として取り上げられ、単行本として出版された後は「SFが読みたい!2013年版」ベストSF2012年海外編で第6位に食い込み、また第三回Twitter文学賞でも海外部門のトップに輝いた話題作。
未来のロシアで文豪のクローンが生み出す「青い脂」を巡る騒動を、ロシア語・中国語・英語・造語など一見意味不明な言葉を散りばめた奇妙奇天烈な文体で、スカトロ趣味・変態性欲・突発的な暴力を過剰なまでに詰め込み、またスターリンやベリヤなど旧ソビエト連邦・ロシアの有名人を異様な性格付けで多数登場させ、バスティーシュと大量の挿話で彩った、現代文学の極北に位置する怪作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Голубое сало, Владимир Сорокин, 1999。日本語版は望月哲男・松本隆志訳で雑誌<早稲田文学>2010年2月~3月に掲載され、単行本は2012年8月30日に発行。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約363頁+松本隆志の解説13頁+望月哲男の訳者あとがき5頁。9ポイント24字×21行×2段×363頁=約365,904字、400字詰め原稿用紙で約915頁。普通の長編小説なら2冊分。
ズバリ、かなり読みにくい。日本語の文章が云々という以前に、原文が文章として壊れている、というか、様々な言語を取り混ぜた上に造語をまぶして意図的に壊した文章だからだ。ストーリーも気まぐれにアチコチ寄り道した挙句に斜め上にスッ飛んでいき、読者はついていくのがやっとだ。また、ロシアの文豪のパロディや歴史・政治の有名人が大量に登場するので、その辺に詳しいとより楽しめる。
また、エロ・グロ・スカトロ描写が頻出するので、そっちの耐性も必要。
【どんな話?】
2068年、ロシア。言語促進学者ボリス・グローゲルらは画期的な計画に携わっている。場所は尻を思わせる二つの巨大な円丘の間に隠された遺伝子研18。ここにロシア防衛省遺伝情報局で人工孵化した個体7体が届く。トルストイ4号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、ドフトエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号。そして、彼らは成し遂げた…
【感想は?】
変態だあぁぁーーっ!
書いた人も、訳した人も、かなりの変態。いろんな意味で。よくもまあ、これだけ壊れた(というより壊した)文章を、日本語に訳したものだ。
どれだけ変態かは、冒頭の引用で想像がつくと思うが、読むとそんなもんじゃない。性交っぽい場面は多数出てくるが、マトモな性交の場面は一つもない。これが実用に耐えるとするなら、その人はかなり鍛え抜かれた変態だろう。男女の性交は…えっと、2回ぐらい、あったかな?あとは自慰だったり男・男だったり男・モノだったり。なんだよ春季交合祭とか。
スカトロ趣味もかなりなもので、放屁・放尿・脱糞はふんだんに出てくる。特に参ったのが作中作の「青い錠剤」。なんか綺麗っぽいタイトルだし、舞台はボリショイ劇場。主役二人のカップルは、劇場で潜水服に着替える。なぜかというと…。どうすりゃ、こんな事が思いつくのやら。
序盤からロシアの文豪のクローンが出てくる事でわかるように、彼らの文学のパロディも作中作として出てくる。ふうん、ナボコフもロシア文学になるのか。ってのはおいといて。私はロシア文学なんてほとんど読んだ事がないんだけど、それぞれの作中作の出だしは、なんとなく各作家らしい雰囲気で始まる。
例えばドフトエフスキー2号の作品「レシェトフスキー伯爵」は、やたらと文が長い。なにやら深刻な人間関係が展開されるんだろう…と思ったら。えっとですね、この作中作は、裕福で古くから続くロシア貴族の館で、上品かつ重厚な雰囲気で展開すると思って読んでみましょう。意味わかんないから←書評になってない
プラトーノフ3号の作品は「指令書」。いきなり「肉片機関車」なんて意味不明な単語が出てくる。主人公は機関士のステパン・ブブノフと、彼の元に使わされた裁断工フョードル・サジョーギン。「無駄に止まってるほどの蒸気はない」なんて台詞から肉片機関車は蒸気で走るらしいと想像してると…
やはり作中作で印象に残るのは、「水中人文字」。川の中を、松明を掲げて、大集団がシクロナイズト・スイミングする、というお話。なんだが意味不明だけど、北朝鮮のマス・ゲームとかを見てると、「あーゆー体制ならアリかな」などと思えてくるから怖い。
後半に入ると、舞台は1954年のソ連に変わる。この世界じゃスターリンはまだ生きてて、後半の主人公を務める…のはいいが、とんでもない性格付けがなされてる。特にフルシチョフとの関係は…えっと、まあ、覚悟してお読みください、特に男性の読者は。
1954年にスターリンが生きてる事でわかるように、後半の舞台は実際の歴史とはたいぶ違う世界。ではあるけど、ソ連・ロシアの有名人が、続々と登場してくる。「私は現代史に疎くて」って人も、大丈夫。大抵の人名には、ちゃんと訳注がついてるから。これをつらつらと見てると、やたら「○○事件で逮捕され獄死」とか「暗殺されている」とかの末路が多いのに気がつく。さすがソ連。
この訳注も、訳者と編集者とデザイナーの執念の賜物。各見開きの左下についており、読者は頁をめくらずに済むので、とっても便利。その分、編集・校正には、凄まじく苦労したはず。ルビも多いし、編集作業は普通の単行本の数倍の手間がかかってるんじゃないかな。
その訳注の量が、この本は半端ない。ほとんど全ての見開きに訳注があり、各見開きで平均すると4つぐらいになるんじゃないかな。この訳注の量が読みにくさの原因ではあるけど、訳注がなかったら、もっと読みにくい…というか、完全に意味不明だろう。ところが、その訳注が、これまた意図的に役立たずだったりするから、たまんない。例えば最初の訳注。「リプス」の訳注が…
2028年のオクラホマにおける核被災の後、ユーロアジア人たちの会話の中に現れた国際的罵倒。独断で放射線障害ゾーンに残り、25日にわたって放射線を浴びた死にゆく己の体の状態について詳細な実況放送を行った、USA海兵隊軍曹ジョナサン・リプスの苗字に由来する(巻末一覧より)。
つまりは著者の創作なわけ。意味ありげな部分は無意味なネタで、そのくせ一見無意味そうな所じゃ政治的なジョークが紛れてて、かと思えば結局はスカトロ趣味のお下劣ギャグでエピソードが終わったり。
正直、これを読み通すには、かなり性根を据えてかかる必要がある。我々が持つ「ロシア文学」の印象を徹底して破壊するという意味では、パンク・ロックに例えてもいいかも。ということで、ロシアン・パンク小説とでもしておこう。
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