笹沢佐保「木枯し紋次郎 上 生国は上州新田郡三日月村」光文社文庫
どこをどう旅して歩いても、所詮は昨日の続きで今日がある。美しいとか面白いとかいうことには、まったく縁がないのだ。どこにいようと、同じだった。そこには、どうでもいい自分がいるだけであった。
――赦免花は散った
【どんな本?】
ミステリ・サスペンスそして時代小説と多方面で活躍した昭和のベストセラー作家・笹沢佐保の代表作であり、テレビドラマも大ヒットした時代小説シリーズ・木枯し紋次郎の全15巻より、20編を選んだ傑作選・上下巻。
大飢饉に襲われた天保年間(→Wikipedia/天保の大飢饉)。どこの一家にも属さず仲間も持たず、長楊枝をくわえ一人で旅を続ける凄腕の渡世人・紋次郎。過去も希望も捨て、人との関わりを避ける紋次郎だが、浮世のしがらみは否応なしに紋次郎を巻き込んでゆく。
貧しい農民の子に生まれ、己と長脇差(どす)だけを頼みとする紋次郎の目を通し、食うために必死の農民や、そこからさえもはみ出してしまう渡世人たちのドラマを通し、底辺で足掻く人々の凄絶な生き様を描く傑作連作短編集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
以下、巻末の「初出誌・出典一覧」より。
赦免花は散った 小説現代1971年3月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 1 1997年1月20日
童歌を雨に流せ 小説現代1971年6月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 1 1997年1月20日
川留めの水は濁った 小説現代1971年10月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 2 1997年2月20日
木枯しの音に消えた 小説現代1972年3月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 3 1997年3月20日
女郎蜘蛛が泥に這う 小説現代1972年7月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 4 1997年4月20日
夜泣石は霧に流れた 小説現代1972年10月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 5 1997年5月20日
上州新田郡三日月村 小説現代1973年2月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 6 1997年6月20日
命は一度捨てるもの 小説現代1975年8月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 8 1997年8月20日
年に一度の手向草 小説現代1976年12月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 11 1997年11月20日
生国は地獄にござんす 小説現代1978年3月号 / 光文社文庫 木枯し紋次郎 13 1998年1月20日
光文社文庫の傑作選・上下巻は、上巻2012年1月20日初版第1刷発行、下巻2012年2月20日初版第1刷発行。上巻は文庫本縦一段組みで本文約557頁+山前譲の編者解説7頁。9ポイント39字×17行×557頁=約369,291字、400字詰め原稿用紙で約924枚。普通の長編小説2冊分の分量。
ベストセラー作家だけあって、文章は抜群の読みやすさ。当事の時代背景や社会制度なども、素人にわかりやすく文中で解説しているため、特に前提知識は要らない。水戸黄門や暴れん坊将軍などTVの時代劇がわかるなら、小学生でも充分に楽しめる。また距離や重さなどの単位系も、里や寸など当事の単位系と現代のメートル法を併記している新設設計。敢えて言うなら「明け六つ」などの時刻表現。これはWikipediaの時刻などが参考になる。
長いシリーズ物は、どこから読み始めていいのか迷うのが難点だが、このシリーズは、その辺も充分に配慮してある。シリーズ通じての登場人物は紋次郎一人であり、しかも紋次郎の設定については全ての短編で必要充分な説明がなされており、どの作品から読み始めても楽しめる構造になっている。これもベストセラー作家ならではの気配りだろう。
【どんな話?】
時は天保、大飢饉の直後。上州の貧しい農家に生まれ10歳で家を出て以来、渡世人として一人で旅を続ける男。長身でほりの深い顔立ち、左頬に刀傷の跡が一筋。歳の頃は30ほど、旅の埃にまみれ不器用に繕った跡が多い道中合羽に、やはり破れた三度笠。口にくわえた長楊枝が特徴の、凄腕の渡世人、人呼んで木枯し紋次郎。人との関わりを避け、目的もなく旅に生きる紋次郎だが、彼の意思に関わりなく騒動に巻き込まれ…
【感想は?】
娯楽小説としては文句なしに一級品。終電車の中で読んでたら、夢中になって乗り過ごし、タクシーを拾う羽目になった。紋次郎に影響され歩いて帰ろうとも思ったが、すぐに挫折したのが我ながら情けない。
時代小説としては、色々と異色な作品だ。なんたって、主人公は貧農の倅。侍じゃない。渡世人といえば聞こえはいいが、つまりはチンピラの浮浪者である。仲間と組むでもなく一家を構えるでもなく、たった一人でひたすら旅を続ける。長身のイケメンではあるが、どうしようもないビンボで着る物も汚れている。つまりは社会の底辺の出身であり、そこからさえはみ出してしまった人間だ。
そういう立場の人間を主人公に据えた作品だけあって、視点も「社会制度の矛盾」とか高い所から見下ろす作品ではない。底辺でかつかつで生きていながら、そこに飢饉やならず者が襲い掛かってくる。腕っ節が強ければ他の者を食らい、弱ければ食い物にされる。そういう世界。
そんな世界に生まれた貧農の子供が、紋次郎だ。その子供時代も壮絶だが、そんな生まれ育ちで固めた彼の生き方も悲壮そのもの。過去を捨て、住処を持たず、ただ一人で旅の中で生きていく。「人と関わりになるのを避ける」彼の生き方は無情なように見えるが、人を食いものにして生きる事は全く考えないあたり、無頼を気取りながらも人の心を捨てきれず、それでもなんとか世の中と折り合いをつけようとする、紋次郎なりの倫理観が伺える。
とまれ、その倫理に殉じる紋次郎の人生は厳しい。人との関係を避けるために、定住はできない。ひたすら旅を続けるのである。旅ったって、江戸時代だ。徒歩である。ひたすら、歩く。しかも、紋次郎さん、健脚である。当事の旅行の日程は男で一日10里(約40km)ぐらいがせいぜいなのに、彼は早足で15~16里(60km~64km)は歩く。これを読むと、とにかく歩きたくなるから困る。
それだけ早足で歩いても、夜は野宿だったりする。宿にも泊まるけど、大抵は木賃宿の相部屋。今風に言えばドミトリーだ。かなりしんどい生活である。しかも、特に目的があるわけじゃない。一箇所に留まれないから旅をする、ただそれだけ。いつかはどこかで野垂れ死ぬ、それまでは旅を続ける、そう割り切っている。
有名な親分さんの地元ならご厄介になる事もあるけど、その際の仁義がまた厳しい。こういった渡世人の世界は、史実と講談などを元にして著者が創造したものなんだろうけど、これもなかなか禁欲的で魅力的。はみ出し者の犯罪者集団でありながら、妙に礼儀 作法に煩く厳しい。そして業界内の情報ネットワークが発達していて、紋次郎の凄腕も鳴り響いている。こういう世界設定がキチンと出来ているのも、この作品の面白さの秘訣だろうなあ。
そんな紋次郎の旅の連れとして有名なのが、長楊枝と長脇差。けれどもう一つ、明示はされていないが彼について回るものがある。
「腹八分目を決めておかねえと、ひもじいときに辛い思いを致しやすんで……」
時は天保、飢饉の時代。しかもホームレスとあっては、生きていくだけで精一杯。必然的に、食えない時も多い。同じ時代小説でも、池波正太郎の作品は山椒の香り漂う上品な食べ物が多いのに対し、紋次郎が食べるのは雑穀の粥がせいぜいだ。Youtubeにテレビドラマ「木枯し紋次郎」のオープニングがあるんで、主役中村敦夫の食べ方を見て欲しい。学もなく行儀もなってない、貧農のガキがそのまんま育った男が急いでかっこむ様子が、よく出ている。
そんな男の視点だけに、目に入るのも底辺の者ばかり。底辺同士で助け合っているなら、紋次郎も渡世人の世界に飛び込まなかっただろう。紋次郎の過去もそうだが、たまたま彼と同じ道を同じように歩く羽目になった男を描く「生国は地獄にござんす」が、これまた人間の悲しい性を巧く描いている。紋次郎の横を歩く忠七が、なぜ騒ぎになり警戒されるのか。
誰もが貧しく苦しい時代の不条理と切って捨てたくなるが、今だって似たような事は、やっぱり起きているのである。誰だって死にたくないし、悪者にもなりたくない。そんな人間の皺寄せは、必然的に最も弱い者に行く。読者に楽しんで読んでもらう娯楽作品としての品質はキッチリと維持しながらも、ヒトの心の奥にある闇を鮮やかに照らす著者の手腕には、ひたすら脱帽するのみ。
ミステリでも手腕を発揮した著者だけに、各編でキチンとオチを用意しているのも嬉しい。これまた連作短編小説のお手本そのもので、意外性を孕みながらも、紋次郎シリーズの色がちゃんと出ている。
目的も希望も持たず、過去も将来も考えず、ひたすらに旅を続ける紋次郎。読み始めると、彼の未来が気になって仕方がない。
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