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2013年5月16日 (木)

トム・ヴァンダービルト「となりの車線はなぜスイスイ進むのか? 交通の科学」早川書房 酒井泰介訳

マリオ・アンドレッティ「すべてコントロールできていると思えるならば、スピードが足りない」

ひと月に交通事故で死ぬ人の数は、9.11の犠牲者数よりも多い。この事件の後、さまざまな世論調査で、多くの市民がこうした事件の再発を防ぐためには多少の市民的自由の制限もやむなし、と答えている。一方、同じ合衆国大衆は、交通事故死者数を減らすための施策(制限速度の引き下げ、オービスの増設、飲酒運転テストの強化、携帯電話使用運転の罰則強化など)の導入には、いつも反対しているのである。

【どんな本?】

 なぜ渋滞が起きるのか。どうすれば渋滞を避けられるのか。道路を増やせば渋滞は減るのか。ロータリーと信号、どっちがいい?女性は運転がヘタ?トラックの運転は乱暴?自転車は歩道と車道、どっちを走るべき?自動車に乗ると性格が変わるのはなぜ?街路樹がある道路とない道路、どっちが安全?

 ここ数年、日本の交通事故死者数は減少の一途を辿っているが、それでも2012年には4411人が亡くなっている。犯罪被害に比べ交通事故の被害者は圧倒的に多いにも関わらず、あまり報道されない。

 どうすれば交通事故を減らせるかといった切実な問題に加え、渋滞を解消しドライブを快適にするにはどうすればいいかなど交通に関わる様々な事柄を、各国の交通管制者・自動車会社の開発者・道路設計者・保険会社など多彩な人々にインタビュウし、意外な実態を明らかにした一般向けの解説書であり、啓蒙書でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TRAFFIC : Why We Drive the way We Do ( and What It Says About Us ), by Tom Vanderbilt, 2008。日本語版は2008年10月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約435頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×19行×435頁=約355,395字、400字詰め原稿用紙で約889枚。普通の長編小説2冊分に少し足りない程度の分量。

 翻訳物ではあるが、文章は比較的にこなれている。科学解説書だが一般的な読者を想定しており、数式などは出てこず、読みこなすのに特に難しい専門知識は要らない。

 敢えて言えば、むしろ必要なのは社会科の知識。といっても、一時停止や一方通行など小学校で習う程度の交通ルールを知っていれば充分で、自動車の運転経験があれば更にいい。また、アメリカ人の読者を想定した本なので、ニューヨークは地下鉄に代表されるように公共交通機関が発達しており、ロサンゼルスは渋滞の街であるなど、ハリウッド映画を楽しめる程度にアメリカの地理を知っていると楽かもしれない。当然、自動車が好きで欧米の車種に詳しい人は、別の楽しみもある。

【構成は?】

 プロローグ 私はなぜ高速上の工事区間でぎりぎりまで車線合流しなくなったのか
第1章 どうしてとなりの車線の方がいつも速そうに見えるのか?
     車に乗ることは、人の意識をどう混乱させているのか?
第2章 あなたが自分で思っているほどよいドライバーでない理由
第3章 路上で裏切る私たちの目と心
第4章 どうしてアリの群れは渋滞しないのか(そして人間はするのか?)
     渋滞対策としての協力行動
第5章 どうして女性は男性より渋滞を引き起こしやすいのか?
     (そして交通をめぐるその他の秘密)
第6章 どうして道路を作れば作るほど交通量が増えるのか?
     (そして、それをどうすればよいのか?)
第7章 危険な道の方がかえって安全?
第8章 交通が語る世界、あるいはご当地運転
第9章 スーパーボウルの日曜日にビールを飲んでいるフレッドという名の離婚した医者と
     モンタナの田舎でピックアップ・トラックに乗るべきでないのはなぜか?
 エピローグ ドライビング・レッスン
  訳者あとがき

【感想は?】

 道路交通という問題が、いかに歴史が古く、また多方面の最新学問を総動員する必要があるか、よくわかる本だ。と同時に、これだけ身近で切実であるにも関わらず、私を含めた人々がいかに無関心であるかを思い知らせてくれる。なんたって、最悪の場合は命を落とす危険すらあるのに。

 アメリカ人向けに書いた本であるので、日本では少し事情が違うが、それでも2012年には4411人が交通事故で亡くなっている。ちなみに日本の2012年の殺人事件件数は1030件。殺人事件で殺されるより、交通事故で死ぬ確率の方が4倍以上も多い。

 本書の中で、私が最も感心したのはドライブカム社。

 安全管理・品質管理では、「ハインリッヒの法則」が有名だ。曰く「重大な事故が1件に対し軽微な事故は29件、事故に至らぬ危機的状況が300件ある」。よって安全管理では、こう教える。「危機的状況を減らせば事故も減る」。1:29:300、この具体的な数値は業界・職種により異なるが、ピラミッド型である点は同じだ。

 なら、交通事故も同じではないか。そこで、ドライブカム社は小型カメラやセンサーを車に設置し、急ブレーキや急な方向転換をした前後10秒間の記録を保存し、報告書を出したりコーチしたりする。顧客はレンタカー会社やラスベガスのタクシー会社など。これを使ったアイオワの少年曰く。

「このシステムを欺く方法を見抜いたんだ。先を見て交通状況の変化を予測し、コーナーでは減速する。この手でもう一月もシステムが作動してないよ」

 世間じゃソレを「安全運転」と呼びます。

 道路状況も事故を減らす要因のひとつ。意外な事に、邪魔な路上駐車は、交通事故を減らしている可能性がある。邪魔だからドライバーはスピードを落とす。結果、重大な事故が減るのだ。劇的なのが、ロンドンのケンジントン・ハイ・ストリート。高級商業地区であり、景観のため標識やガードレールを取っ払い、歩道と車道の境をなくした。結果…

歩行者の死亡もしくは重大障害事故は60%も減少し、軽傷事故もそれに殉じた結果だった。

 なぜか。ドライバーは高速道路を「自動車の領分」と考え、トバす。商店街は「生活の場」と考え、自分は客人であると感じ、控えめな運転をする。標識など立てなくても、ドライバーには自分で判断するオツムがある。人から強制されるとムカつくが、自分で考えた結果なら素直に従う。なら、ドライバーに考えさせよう、そういう理屈だ。

 など、個人の心理が大きく関わっている。だから交通情報は、奇妙な結果を引き起こす。渋滞発生のニュースがあれば、人はその道を避ける。結果、渋滞は回避され周辺の道が混んだりする。

 個人ばかりでなく、社会全体も安全に大きな関係がある。インドや中国は、無法地帯だ。英国の劇作家ケネス・タイナン曰く「無謀な暴走のような悪い運転は、民主主義の程度に反比例する」。もう一つ、面白い指摘がある。社会腐敗が少ない国ほど、交通事故も少ない。ここでは、フィンランドの罰金制度が面白い。要は所得が多い人ほど高い罰金を払うしくみ。

 自動車は社会格差も写し出す。自動車通勤が増えると渋滞が増え、バスも遅れがちになる。バス会社は費用が増え料金を上げる。しわ寄せは車を持たない貧乏人に回ってくる。「なら渋滞料金を取ってバス会社の補助金に回しバスの運賃を下げよう」と考えたのがロンドン。お陰でトラファルガー広場は復活した。

 ドライバーなら「渋滞料金なんてとんでもない」と怒るだろうが、ちゃんと理屈はあるのだ。経済学で有名な共有地の悲劇(→Wikipedia)だ。無料の公共財は徹底的に利用しつくされ枯れる。妥当な料金を設定すれば悲劇は避けられる。道路がタダだから可能な流通量が浪費される。需要供給の原則にてらし、混んでる時は高い通行料を取れば妥当な流量になる。

 などと面白いエピソードが満載な上に、この本の面白いのは、豊富な参考文献の紹介のしかた。注が見開きの左頁にあって、そこに引用元が書いてある。これがまた美味しそうな本ばかりで、思わずメモを取ってしまった。以下は、是非読んでみたい。つか「ハインリッヒ産業災害防止論」を読んでなかったのは不覚。

 機械テクノロジー、複雑系、流体力学、生理学、心理学、経済学、社会学など多様な視点で交通を眺め、オスカー賞当日のロサンゼルスの交通事情などゴシップも満載して読者の興味をひきつつ、安全運転のコツも教えてくれる。科学と人の心が交錯した所に生まれた、現代ならではの楽しく役に立つ本。

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