司馬遷「史記 一 本紀 上」明治書院 新釈漢文大系38 吉田賢抗著
黄帝は少典の子である。性は公孫で、名は軒轅といった。生まれながらにして神のような霊妙な働きがあった。幼少の頃からものをいうことができ、からだの発育もよく、才智のひらめきがあった。少年時代から心根が敦厚、才気敏速、成人して聡明な人となった。
――五帝本紀第一
【どんな本?】
「史記」は、中国の前漢の武帝の時代に、紀元前91年ごろに司馬遷が著した歴史書であり、正史の第一とされる。司馬遷がつけた書名は「太史公書」だが、後に「史記」と呼ばれるようになった。時代的には神話の五帝から前漢の武帝までを扱う。紀伝体と呼ばれる形式は司馬遷が創りあげたもので、人物を中心とした歴史観が特徴。
明治書院のシリーズは現代日本語の訳文はもちろん、漢文の原文と読み下し文に加え、語釈として紛らわしいまたは難しい語について詳細な解説を掲載し、更に解釈に複数の学説がある部分には余説として他の学説も併記するなど、研究用として充実した内容を誇る。
史記は以下5部からなり、本書は本紀の前半・第一~第六までを収める。
- 十二 本紀 黄帝から漢の武帝までの歴代王朝の君主
- 十 表 年表
- 八 書 礼楽・刑政・天文・貨殖など法制経済史
- 三十 世家 君主を取り巻く王侯
- 七十 列伝 他の有名人の人間像
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
Wikipedia によれば、原書の成立は紀元前91年ごろ。明治書院版は1973年2月25日初版発行。私が読んだのは1998年4月1日発行の26版。ハードカバー縦一段組みで本文約419頁。9ポイント54字×21行×419頁=約475,146字、400字詰め原稿用紙で約1,188枚。長編小説なら2冊分…だが、これは漢文・読み下し文・語釈などを含めた分量。私は通釈(現代日本語文の訳文)と余説だけを読み、本文と読み下し文と語釈は飛ばしたので、実質的な分量は1/3~1/2程度。
いかにも専門書だが、通釈だけに限れば意外と読める。ただ、文書の構成として紀伝体であり、歴代君主に焦点をあてる形であるため、現代の感覚で読むと歴史の流れを掴むのは、ちと難しい。五帝から周の前半までは同時に存在する国家が二つぐらいなので比較的に楽なのだが、周が衰え多数の国が乱立する時代になると、視点を君主に固定した本紀の構成で全体を把握するのはかなり困難…というか、その辺は世家や列伝で補え、という事なんだろう。
【構成は?】
史記解説/司馬遷の略年譜
三皇本紀
五帝本紀第一
夏本紀第二
殷本紀第三
周本紀第四
秦本紀第五
秦始皇帝本紀第六
戦国七雄時代略図
基本的に時代順。解説によると最初の「三皇本紀」は司馬遷の作ではなく、「唐の司馬貞の補撰」とのこと。各部はそれぞれ以下6つの項目からなる。読みやすいように、本文を10行~30行程度で区切り、その後に和訓や通釈をつける構成。
- 解説:各部の冒頭にあり、要約や位置づけなどを示す。
- 本文:漢文。
- 和訓:読み下し文。
- 通釈:現代日本語に訳した文章。
- 語釈:本文中のまぎらわしい語・難しい語や、関連知識が必要な語の解説。
- 余説:解釈に複数の学説がある場合、通釈で採用しなかった説を述べる。
【感想は?】
最初の「三皇本紀」は唐の司馬貞が補ったもの、とされている。中国の建国神話は三皇五帝(→Wikipedia)で始まるのだが、史記には三皇がないので、格好をつけるためにとってつけたらしい。最初の皇・伏羲は「体は蛇のようであり、頭は人のよう」と化け物だが、母ちゃんの華胥は人間で、神人の足あとを踏んで身ごもり伏羲を生む。
神話としては独特で、天地創造がない。いきなり「太?庖犧氏は性を風といった」とくる。庖犧が生まれた時、既に地には人がいて社会を営み性を名乗っていたわけだ。とすると、昔の中国の人は、ずっと昔から世界は今と変わらずに存在してた、と考えていたんだろうか。
史記の歴史観の根底には、「人が歴史を作る」という発想がある。人物を中心にしているのは、そのためだ。また、質素と徳を重んじる思想で、「王の徳が高ければ天地は自ずと治まる」みたいな感覚が貫かれている。とまれ、「徳」が何を示すのか、日本語の徳と同じと思っていいのか、この辺はちと悩む。思い上がらず先祖を祭り古の智恵に学び諌言を聞き入れ…みたいな感じ、かな?あと、法は少ない方がいい、ってのは納得。
私は唯物史観に近いんで、司馬遷の記述を鵜呑みにせず、ちと斜に構えて読んだんだが、それでも得る所は多い。
五帝本紀で、当事の君主や政府がなすべき職務がわかる。君主の基本は人事で、「誰に何をやらせるかを采配すること」。そして諸侯の貢物を決め、政情報告を聞き実地検分して褒賞を与える。先祖を祭る。そして最後に、跡継ぎを決める。
政府としては、まず、治水。堤を作り水路を整備する。また暦を定め、「種まきと収穫の時を人民に教え授けた」。太陽の運行から夏至・冬至・春分・秋分を計ってるんで、基本は太陽暦?度量衝の統一も大事で、「音律・度・量・衝を同一にし」とある。音律が入ってるのが面白い。そして刑法を決め運用する。また、道路工事も政府の仕事。
夏本紀では、最近になって伝説ではなく実在の可能性が浮かび上がった夏王朝。ここで興味深いのが、各州の風土記で、最後は大抵「黄河をさかのぼる」「黄河を通って都に入る」と、黄河が流通の重要な役割を担っていること。他にも泗水や揚子江などが水路として出てきて、水運の盛んな文明である由をうかがわせる。
殷本紀~周本紀は、封神演義が好きな人には懐かしい名前が続出。殷の帝王・紂と彼をたぶらかす妲己、武王と太公望など。周の衰退も殷に似て、やっぱり悪女・褒?が幽王をたぶらかす。彼女の生誕が、ファンタジーのネタとしてやたら美味しそう。
夏后氏の衰えた頃、宮廷に二匹の神龍が現れた。龍の口から出る沫を箱にしまうと、龍は消える。箱は夏・殷・周と受け継がれたが、誰も開けなかった。厲王の末年に箱をあけると沫が宮廷に溢れ、蜥蜴に化して後宮に入り込み、童女に出会う。彼女が年頃になると娘を生み、捨てた。
宣王の時代に謡う童女がいる。「山桑の弓、箕木の矢房を売るものは周を滅ぼすだろう」。これを聞いた宣王は恐れ、該当する者を探し夫婦を見つけるが、逃げられる。逃げた夫婦は、捨てられた娘を見つけ、不憫に思い褒の国で育てる。美しく育った娘は褒?の名で幽王に献上され寵愛される。笑わぬ褒?を笑わせようと試みた幽王は…
秦本紀だと、秦の起源が馬と妙に縁が深いのが面白い。殷の頃の中衍は帝の御者だし、周の造父も謬王の御者。孝王の頃の革は馬の繁殖に成功している。繆候と晋君の対決でも馬が重要な役割を果たす。秦は地理的に西にあるし、騎馬民族と交流があったんじゃなかろか。
今までの王朝の交代が比較的に単純だったのに対し、周はダラダラと続き春秋・戦国を経て秦へと続く。殷も周も始祖の徳に諸侯が靡く形での天下統一なのに、秦は「首を24万はねた」とか残虐性を強調する記述が目立ち、武力による統一である由が強調される。
本書ではこれを素直に解釈しちゃってるが、他にも幾つか解釈はできるんだよね。
- 史記が成立したのは漢の時代。現王朝を持ち上げるために、前王朝の秦を悪役に仕立てた。
- 一般に時代が古いほど記録は少なく口伝による。人は昔を美化する傾向があるので、古い王朝の成立事情も伝説として美化されているが、近年の秦王朝は記録も残り美化されていない。
秦始皇帝本紀では「彗星が出た」「蝗虫が東方から飛来」「大飢饉があった」「黄河が洪水で、たくさんの魚が地上にあがった」と天変地異の記録も多く、意図的に秦を悪者に仕立て上げている感がある。徐市(徐福)伝説も少し出てきて、ファンタジー好きには美味しいネタ。
語釈は読み飛ばしちゃったけど、蚕食など今でもよく使う言葉も史記が語源らしく、辞書マニアはじっくり読む価値があるかも。もちろん、十二国記や諸星大二郎が好きなら、是非読んでおきたいネタ本だったりする←結局ソレかい
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- ソフィー・D・コウ/マイケル・D・コウ「チョコレートの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳(2024.09.11)
- イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説(2024.08.19)
- 荻野富士夫「特高警察」岩波新書(2024.06.10)
- マイケル・スピッツァー「音楽の人類史 発展と伝播の8憶年の物語」原書房 竹田円訳(2024.05.27)
- トーマス・レイネルセン・ベルグ「地図の世界史 人類はいかにして世界を描いてきたか?」青土社 中村冬美訳(2024.05.07)
コメント