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2013年4月23日 (火)

エイブラム・カーディナー「戦争ストレスと神経症」みすず書房 中井久夫・加藤寛共訳

 本書は戦争に起因する神経症の研究と治療と戦後へのケアへの案内書である。本書の最大の力点は本神経症の了解と治療の理論的根拠に不可欠な精神病理の原則にかんする論議にある。
  ――初版への序 より

【どんな本?】

 心的外傷(PTSD、→Wikipedia)、特に戦争神経症(→Wikipediaの戦闘ストレス反応)の概念を打ち立てた精神医学の古典。フロイトの教育分析を受けた著者が、第一次世界大戦・第二次世界大戦の合衆国の復員兵の治療を通じて得た精神神経症の原因・症状を多くの症例で示し、また予防法・治療法そして医学的・社会的・法的な対策を提案する。

 日本語版は1947年の第二版を全訳したもの。進歩が著しい精神医学だけに、診断方法や使う薬剤などの治療法は古びているだろうが、豊富な症例は今でも優れた資料だ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は WAR STRESS AND NEUROTIC ILLNESS, by Abram Kardiner, 1941(初版), 1947(第二版)。日本語版は第二版が元とし、2004年12月17日発行。ハードカバー縦一段組みで本文約351頁、9ポイント49字×20行×351頁=約343,980字、400字詰め原稿用紙で約860枚。長編小説なら2冊分に少し足りない程度。

 内容は大雑把に実践編と理論編の二つに分かれる。実践編は具体的な症例や原因、そして治療法や対策などを扱う部分で、こっちは医学の知識がない一般人でも読みこなせる。薬の名前など医学の専門用語も少しは出てくるが、私は読み飛ばした←をい。理論編はフロイト学派の精神分析の専門用語がバンバン出てきて、全く意味が判らなかった。

【構成は?】

 
第二版への序/初版への序
第一章 はじめに
第二章 兵士と兵役
戦争のもたらすストレス/「戦争神経症」特有の問題点とは
第三章 戦争精神医学
兵士の戦闘環境/戦場精神医学における問題点
第四章 急性期
急性神経症の構造/結論
第五章 急性期の治療
クリアリング・ステーション(後送待機所)/エヴァキュエーション・ホスピタル(後送病院)/リア・エシュロン・ホスピタル(後方梯団病院)
第六章 慢性期の症例学
心気症/統合失調症/転移神経症/防衛儀式とチック/自律神経障害――心身症/感覚運動障害/急性衝撃精神病とてんかん症状群
第七章 症状の分析
心的外傷(トラウマ)とは何か/不安と外傷状況/適応の神経症的変化/外傷神経症の必発現象/退行か解体か/外傷神経症とてんかん/まとめと結論
第八章 効果的な自我の発達
はじめに――方法論/適応とは何か/適応パターンの発達/マステリーの発達――機能の自動化/内的環境とその活動における役割/効果的な自我と失敗反応/要約と結論
第九章 精神力動
「行動システム」の構造と関係/抑止の帰結/疾病学的観察――生理神経症/要約と結論
第十章 慢性段階の治療
技法の選択/技法のさらなるポイント
第十一章 経過、予後、鑑別診断
経過/予後/鑑別診断/外傷神経症のロールシャッハ・テスト
第十二章 法的問題点
付録 戦争の外傷神経症(1959年)
症状評価の原則/兵士とその勤務実態/急性期/慢性期/自律神経障害と心身症/感覚運動障害/てんかん症状複合/精神力動学的問題/治療/法的問題抄
 訳語について/軍事用語と軍隊システム若干/訳者あとがき/文献
 

【感想は?】

 結構、読み通すのはしんどい。精神医学の専門書なので、ある程度の専門知識が必要なためでもあるが、実は私はそういう医学の専門的な部分は読み飛ばしたので、そっちはたいした問題じゃない。それより、復員した将兵の苦しみがリアルに迫ってきて、呼んでて辛かったのだ。

 1947年の本だ。医学の発達を考えれば、治療法などは時代遅れになっているだろう。例えば頭を強く打った症例が出てきて、素人の私でも「これはMRI(核磁気共鳴画像法、→Wikipedia)を使って肉体的な損傷を調べた方がいいんじゃね?」と思う部分がある。当事の技術を考えれば、仕方のない事ではあるけど。

 だが、本書の価値は、豊富な症例にある。症例というとなんか冷たい印象があるが、つまりは従軍した将兵のプロフィールだ。彼らが従軍する前はどんな性格でどんな生活をしていたか。兵役ではどんな戦場でどう戦ったのか。どんな状況でどんな被害にあい、どんな対応・治療を受けたか。戦後はどんな症状に苦しみ、どんな補償を受け、生活はどう変わったのか。

 本書によれば、戦争神経症に苦しむ将兵は、決して弱いからでは、ない。確かに病気の原因は死への恐怖だが、怖いのは当たり前だ。症例7では、第二次世界大戦のアフリカ,シリリア,ノルマンディ,カーン,サン・ローと激戦区を生きぬいた古参兵が、戦争神経症で苦しんでいる。

 人間、誰でも限界点はある。普通の兵が尻ごみする状況で勇敢な兵は前進して限界を超え、そして発症する。まあ、尻ごみしても逃げられるとは限らないのが戦場なんだけど。

 周囲の理解を得にくいのも辛い。苦しんでいても、「失明したり片脚を失った人のように提示できる障害がなくて全く病んでいるように見えず陪審員の心に訴えない」。などと同情的な面もあるが、厳しい事も言っている。「いきなり後送すると病気にしがみついて逆に悪化しちゃうよ」とか「治癒すると補償が打ち切られるので治癒に消極的になる場合がある」とか。

 症例には幾つか共通点がある。1)外傷への固着 2)不眠と夢 3)易刺激性 4)爆発的な攻撃反応 5)知的能力を含む機能の低下。

 この本では第一次世界大戦と第二次世界大戦の復員兵を扱ってて、第一次世界大戦は慢性の症例を、第二次世界大戦では著者曰く「新鮮」な症例を扱ってる。興味深いのが易刺激性で、音に過敏になるのは両大戦で共通してるんだが、第一次世界大戦に従軍した人には臭いに敏感になる人が多い。これは毒ガスのせい。なんと、寝ていて意識がないうちに毒ガスにやられ、目覚めた時はベッドの上、なんて人も排気ガスの臭いに過敏になってる。

 また、勇敢な兵によく見られるのが、「戦友を救えなかった」という自責の念。これ、太平洋戦争から復員した帝国陸海軍の将兵が語る「生き残って申し訳ない」という言葉と共通している気がする。この国も戦争神経症に悩んだ人が多い筈。しかも、「勝利の時よりも敗北の際のほうがはるかに破断が多くなる」。にも関わらず話題にならないのは、他の人も生きるのに精一杯で、それどころじゃなかったからなんだろうか。

 本筋から外れるが、欧州戦線と太平洋戦線の違いが奇妙。

兵士に世論調査をして比較したところ、面白いパラドックスが現れた。実戦に参加している兵士が皆殺しにしたい敵軍は、実際に向かい合っている敵軍ではなかった。日本軍を皆殺しにせよという意見を投じた者は地中海戦線の兵士のほうが太平洋で戦闘中の兵士よりも多かったのである。

 戦争の資源として将兵を見ている本なので、前線ではなるたけ軍務に復帰させる姿勢だ。「チュニジア戦線じゃ前線復帰者が2%だったのに、適切な処理したら急性破綻の40%~60%に後送後一週間以内に完全に軍務復帰した」とか。どうやったか、というと、例えば後送せず、

兵士は大隊に留めて、食料係下士官と補給係下士官の配下とした。こうする利点は、兵士が自尊心を損なわず、戦友に対する面子も保てることであった。また、暖かい食事はすばらしい回復剤である。(略)また、上官を変えなかった。

 隊との絆は重要で、これの維持が予防と回復に大事だとか。一般に補充兵は隊との絆が浅いのでヤバい傾向があり、「この問題をうまく解決しているのは英国軍である。単独の兵士でなく、分隊単位を代替要員としている」。また、やっぱり上官の影響力は大きくて…

上級将校が虚脱寸前の兵士と全く同じ条件下に身を置いて勇敢に粘り強く闘った場合、これを規範として、始まりかけていた破綻が消え去るということである。

 研究は教育・訓練にも生きていて。

新兵の訓練に際してストレス下ではこのような恐怖はあっても当然だという教育が行われた。このために、兵士は自己価値感情を失わずにおおっぴらに怖いということができるようになった。

 ニワカ軍オタとして軍事関連ばかりに注目しちゃったけど、当事の戦争神経症に関する精神医療の状況を「症例で細かく分類しちゃってかえって役に立たない」と愚痴ってたり、著者の人間的な面が垣間見れるのも面白い所。ちなみに医学的な方面ではジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」が有名だとか。こっちは戦争神経症に限らず災害被災者・犯罪被害者など幅広く扱ってて、より医学的な色彩が濃い模様。機会があったら読んでみたい。

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