高木彬光「白昼の死角」光文社文庫
「私は自分の精魂を傾けて、この十年、法律の盲点だけを研究してきたのです。いや、理論の研究だけでなく実行もしました。その中にはわずか半日で、資本金何億の上場会社を作りあげて、たちまち消滅させた事件もあります。一国の公使館を舞台にして、公使から門番まで全部の館員を半年近くだましつづけた事件もあります。」
【どんな本?】
戦後の混乱期。東京大学の学生が闇金融で荒稼ぎし、検挙された。光クラブ事件(→Wikipedia)である。この事件の首謀者の一人が、修羅場をくぐって成長した、という想定のもと、東京裁判から復興、朝鮮戦争の特需から不況へと激しくゆり動く日本経済を背景に、華麗にして壮大な詐欺を何件も成功させた悪漢・鶴岡七郎を主人公に、悪の才能を思うままに振るった男の生き様を描くピカレスク・ロマン。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
初出は雑誌「周間スリラー」1959年5月1日~1960年4月22日に連載。1960年6月カッパ・ノベルスより刊行。私が読んだのは光文社文庫の新装版で、2005年8月20日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約820頁に加えカッパ・ノベルス版あとがき2頁+「わが小説 出あった犯罪の天才」3頁+逢坂剛の解説「高木作品の思い出」6頁+山前譲の解題「異色の犯罪小説」6頁。9.5ポイント39字×16行×820頁=約607,620字、400字詰め原稿用紙で約1520枚。そこらの長編小説三冊分の大ボリューム。
50年も前の作品ながら、そこは昭和のベストセラー作家、文章の読みやすさは抜群。敢えて言えば主人公たちの台詞の語尾が「なのだよ」だったりするんだが、当事のインテリ学生の口調だと思ってください。あと、出てくる金額が若い読者には少なく感じるかも。10~20倍すれば今の感覚に近くなる。例えば文中に「一千万円」と出たら、「一億円ぐらい」と思ってくださいな。
最大の問題は、テーマが詐欺、それも手形詐欺だってこと。経理などに携わっている人は慣れていると思うが、そうでない人には、ちと馴染みがない。が、そこはベストセラー作家・高木彬光。懇切丁寧に教えてくれます。ココがお話のキモなので、面倒くさくても、じっくり読もう。
【どんな話?】
太平洋戦争は敗戦で終わり、連合軍の東京裁判が始まった。混乱した日本経済だが、同時に闇物資の横流しなど有象無象が跳梁跋扈しながら、なんとか経済は回っていた。この混沌に目をつけた東大法学部の天才学生・墨田光一は、友人の鶴岡七郎・木島良助・九鬼善司を誘い、闇金融の太陽クラブを発足する。高配当で資金をかき集め、それ以上の高利息で貸し付ける、リスキーな商売だ。派手な広告や高配当、そして現役東大生の看板も相まって太陽クラブは話題を呼び、急成長を遂げるが…
【感想は?】
最悪の悪党を描いた小説なのだが、その悪党がやたらと魅力的だから困る。
主人公は鶴岡七郎。人智を超えた知能と強力な統率力を備えたリーダー墨田光一に誘われ太陽クラブに参加、その興亡を目の当たりにしながら、己の中に眠る悪の才能に目覚めてゆく。
この鶴岡七郎、どう見ても悪党である。義賊などでは、決してない。弱って食えそうなカモを狙い、ぱっくり美味しい所をいただいてドロンと消える。食われた方はたまったものではない。今まで築き上げた地位も財産も失い、路傍に放り出される。どう考えても鶴岡は冷酷で極悪非道な悪党なのだ。
が、しかし、彼の手口は、あまりに派手で鮮やかだ。とにかく舞台づくりに凝る。詐欺というより大掛かりなマジック、今ならデビッド・カッパーフィールドばりのイリュージョンと言っていい。それだけの大仕掛けを数ヶ月の期間と千万円単位(今の日本円の価値なら数億円)の予算をかけて仕込み、その数倍の利益を手に入れるのである。
しかも、そこらの詐欺師なら同じ手口を何回も繰り返す(そして最後は逮捕される)ところを、この男は惜しげもなく一回こっきりの使い捨てにする。悪をなすために生まれてきたような男である。これだけの才能があれば、まっとうに稼いでも充分に成功できるだろうし、作品中でも他の登場人物からそう指摘されている。のだが…
「犯罪の道で成功することは、世間が考えているよりも、ずっとむずかしいことですよ。そこには人なみはずれた知恵と、不撓不屈の勇気と、たえざる練磨が必要です。戦争以上に、常住坐臥、緊張の連続が要求されます」
本人も、これが茨の道だとわかっちゃいるし、悪いことだと自覚もしているのである。にも関わらず、やってしまう。その動機は本人が何回か吐露しているのだが、結局は「やってみたいから」じゃないか、と思う。つまりは、ハッカー気質なのだ、この人は。
工夫を思いついたら、それを実装してみたい。実際に巧くいくかどうか、試してみたい。根底にあるのは、ソレなんじゃないかと思う。世間のハッカーは、その衝動が、便利で役に立つモノを創る事に向かうんだが、この人の場合は、犯罪方面に向かっちゃったのだ、困ったことに。
鶴岡の手口は、経済が混乱状態に陥った時こそ成果をあげる。好景気の時は、表向きの金融ブローカーを真面目にこなし、地道に商売を続ける。経済が停滞し始めた途端、モゾモゾと動き出す。こういった所は、司馬遼太郎が描く一旗あげる機会を伺い乱世を待ち望む戦国武将を彷彿とさせる。
さて、鶴岡がよく使う手口は、約束手形(→Wikipedia)を使ったものだ。経理に詳しい人には釈迦に説法だろうけど、一応説明しておこう。つまりは一種の借用書みたいなモンと思えばいい。
例えば、ラーメン屋がある。店名は仮に一番麺としよう。なんとか設備を揃えて開店したが、そこで資金が尽きて小麦粉を買う金がない。どうするか、というと。
- 一番麺は、製粉業者の第二製粉(仮名)から小麦粉を買う。今は現金がないが、商売が繁盛すればできるはず。ってんで、支払いは90日間、待ってもらう。「90日後に1万円払います」と約束して、小麦粉を仕入れる。後払いなんで、その分、小麦粉の値段は高くなる。例えば本来は100kg1万円なら、90kgぐらいしか買えない。それでもいいのだ。商売が巧くいけば、それ以上の売り上げがあるのだから。支払いは現金のかわりに、約束手形を第二製粉に渡す。「90日後、これを持っている人に1万円払います」という証書、それが約束手形だ。
- こちらは第二製粉。いきなり製粉機の部品が壊れ、(株)N3施設(仮名)に修理してもらった。費用は9千円。困ったことに、今は現金がない。仕方がないんで、一番麺の約束手形を(株)N3施設に渡す。
- 今度は(株)N3施設。90日待って約束手形を銀行に持っていけば、1万円が手に入る。ところが、急に現金が必要になった。ってんで、銀行に行って「今すぐ現金化してくれ」と頼むと、多少の割引で現金化してくれる。この小説の舞台背景だと、9千円ぐらいになる。これを「割引き」と言っている。
と、こんな風に、約束手形は、多くの企業を渡り歩く性質がある。ここに鶴岡が付け入るスキがあるわけだ。
さて。同じ約束手形でも、発行者が零細企業の一番麺と、超大企業のトヨタ自動車じゃ、価値が違う。一番麺が90日後も営業している保証はないが、トヨタ自動車が90日後に潰れる心配は、まず、ない。だから、同じ手形でも、大企業が関わった手形は、ほぼ同額の現金と同じ価値がある。対して、新興の零細企業の手形は受け取り側が渋るし、割引きも厳しい。
まあ、実際には、チェーン店でもない限り、ラーメン屋程度じゃ約束手形は使わないし、金額も2桁ほど少ないけど、そこは話の都合と思ってください。
戦後の混乱期。生き延びるため必死に右往左往する人々を冷徹な目で観察し、その弱みを見抜き、華麗な仕掛けで幻惑し、根こそぎさらっていく悪魔のような男。にも関わらず、その鮮やかな手口と精巧な舞台設定には思わず賞賛を送りたくなってしまう。幸いにして今は通用しない手口が多いけど、もし彼が生きていたら、きっと何か考え出すだろう。主人公には罵声を浴びせたいのに憧れてしまう、困った魅力が満載の小説だった。
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