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2013年4月17日 (水)

ジェニファー・アッカーマン「かぜの科学 もっとも身近な病の生態」早川書房 鍛原多恵子訳

第七章 風邪を殺すには より
 いまのところ、作家ロバート・ヘンリーの助言に耳を貸すのが賢明なようだ。
 「風邪をひいたと思ったら、いい医者を呼ぶことだ」
 さらに良さそうなのが、
 「いい医者を三人呼びつけてブリッジをするといい」

【どんな本?】

 鼻水が出て鼻がつまり、せきとくしゃみは止まらず、熱が上がって関節が痛くなる。人にとってとても身近な病気なのに、なぜ特効薬ができないのだろう。そもそも、なぜ人は何度も風邪をひくのか。風邪はどうやってうつるのか。どうすれば予防できるのか。なぜ鼻がつまり、くしゃみが出るのか。風邪をひいたときは、どうすれば早く治るのか。体を鍛えれば風邪をひかなくなる?乾布摩擦は?

 サイエンス・ライターの著者が、風邪に関する話題を科学・医療・政策などお堅いモノから有名人の言葉やお祖母ちゃんの特性レシピまで幅広く集め、ユーモアたっぷりにまとめた、親しみやすくわかりやすい、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AH-CHOO! The Uncommon Life of Your Common Cold, by Jenifer Ackerman, 2010。日本語版は2011年2月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約309頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント40字×16行×309頁=約197,760字、400字詰め原稿用紙で約495枚。長編小説なら標準的な長さ。

 翻訳物の科学解説書だが、ネタ同様に文章は親しみやすく読みやすい。内容も一般の人向けであり、特に専門的な前提知識はいらない。敢えていえば、ジェンナー(→Wikipedia)の牛痘の逸話レベルでの免疫のしくみと、細菌とウイルスの違いぐらい。中学生でも充分に読みこなせるだろう。

 原書の書名を直訳すると「ハクション!普通の風邪の奇妙な生態」かな?ユーモラスな書名にたがわず、内容も随所に笑いが仕掛けてある。「科学だから」とあまり構えず、楽しく読んでもらいたい、そういう姿勢で書かれている。

【構成は?】

 序 風邪の赤裸々な真実
第1章 風邪をもとめて
第2章 風邪はどれほどうつりやすいか?
第3章 黴菌
第4章 大荒れ
第5章 土壌
第6章 殺人風邪
第7章 風邪を殺すには
第8章 ひかぬが勝ち
第9章 風邪を擁護する
 付録 風邪の慰みに
  謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 これだけ笑える科学解説書も珍しい。変な意味じゃなく、著者のサービス精神が豊かなのだ。そのセンスは、この記事冒頭の引用でわかるだろう。おまけに巻末の付録には「お祖母ちゃんのチキンスープ」のレシピまで載ってる。

 もちろん、内容の大半は真面目な話である。そもそも風邪とは何なのか、という話に始まり、感染経路・流行のメカニズム・治療法・予防法・その害と益など、医学/科学的な話がふんだんに詰まっている。とまれ、未だに特効薬が出ていないことでわかるように、実は現代の医学・科学じゃ、実は風邪についてよく判っていない。そういう意味では、科学の最先端の話題を集めた本である。

 そのわりに、著者のサービス精神も相まって、この本はとてもわかりやすく、読みやすい。わかりやすい分、軽く見られがちだが、最先端の医学・科学を親しみやすく紹介するってのは、実はとっても難しいことなのだ。語り口が親しみやすいから、つい甘く見ちゃうけど、こういう所はちゃんと評価すべきだろう。

 さて。なぜ最新科学でもよく判らないのか。理由の一つは、風邪の原因がウイルスだから。細菌じゃないのだ。だから、抗菌剤や抗生物質は意味がない、どころか下手をすると副作用で害が出る。ウイルスにしたって、天然痘は既にワクチンができている。だが風邪は特効薬がない。なぜかというと…

風邪の原因には少なくとも200種の異なるウイルスが関与する。(略)風邪ウイルスには少なくとも5つの属がある。ピコルナウイルス(ライノウイルスを含む)、アデノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、インフルエンザウイルス、…

 ちなみに最もありふれているのはライノウイルスで、「すべての風邪の原因の40%を占める」とか。だったらライノウイルスだけでもワクチンができてよさそうなモンだが、ウイルスは次々と変異する上に、そもそも政府が乗り気じゃない。大抵は1週間ぐらいで治るし、命に関わる病気の方が優先順位が高い。なんか納得できるような、できないような。

 実際、多くの人にとっては、暫く不愉快なだけで大きな問題じゃないが、喘息を抱えている人には大問題だとか。肺がウイルスに感染すると、通常は肺細胞が死に、ウイルスの増殖が止まる。だが喘息患者は細胞の自死機構が巧く働かず、ウイルスが増殖して周りの細胞に感染する。

 ところが、逆に、世の中には風邪をひかない人もいる。25%というから、4人に一人だ。体が強いから間然しないのか?うんにゃ。実は、彼らもウイルスに感染しているのだ。ちゃんと体内に抗体ができている。ただ、症状がでないだけ。悔しいではないか。

 なぜ症状が出ないのか。そもそも、なぜ風邪の症状が出るのか。実は、ウイルスそのものが原因では、ない。ウイルスが出す毒素でも、ない。ヒトの体が、ウイルスに対抗して発現する免疫機構が、風邪の症状なのだ。免疫がないから風邪をひくのではない。逆だ。免疫機構の過剰反応が、風邪の症状なのである。

 寒さが風邪の原因ではない、というのも、意外だった。つまりはウイルスに感染するか否かで、気温は関係ないとか。様々な要因について調べてはいるが、今の所は関係がありそうなのは睡眠不足ぐらい。うつるメカニズムもよくわかってなくて、空気感染か接触感染かも、今の所は不明。なお、スキーなど寒い所で出る鼻水は「風邪をひいたときに出る鼻水とはまったく別物」だとかで、鼻の機能の副産物だとか。

 ちなみに猫を飼っている人には朗報。「猫はひどい風邪をひくが、猫の風邪ウイルスによってひくだけで、ヒトの風ウイルスではひかない」。というか、ヒトと同じウイルスに感染するのはチンパンジーぐらい。動物実験ができないのも、風邪の研究を妨げている。仕方がないんで、遺伝子を組み替えて風邪をひくマウスを作りましたとさ。ここでコロンビア大学のアルフォンス・ドゥーケイ曰く「実験の被験者としてはおそらく、ヒトはもっとも扱いにくく、信頼が置けず、神経質で、移り気な生き物だろう」

 扱いにくい理由の一つが、ヒトにはプラシーボ効果があるから。だもんで二重盲検なんて面倒な手続きが必要になったりするが、何せ今の所は風邪に特効薬がない。著者は「だったらプラシーボでいいじゃん」と開き直った姿勢なのが楽しい。まあ患者の方もアレで。

 風邪で苦しむ子供を病院に連れてきた親御さんに、医師が「だたの風邪です」と言ってもご両親は納得しない。仕方ないから、咳止めシロップを処方すると、ご両親は安心して帰る。効果がないのは医師もわかっちゃいるんだけど。「不快さや侵襲性、痛みをともなう処置と組み合わせると、プラシーボ効果は増大する」。うんうん、わかる。

 ってな感じで、最終的に著者は「たまには風邪をひくのも悪くないかもしれない」。まあ、いい所もあるんです、本当に。「興味深いある新説によると、ライノウイルスに感染しているとインフルエンザが寄り付かなくなる」。他にも癌細胞だけを殺す風邪ウイルスが開発されたり、パラインフルエンザウイルスを使って投薬する方法が報告されたり。一種のナノテクだね。なにより、風邪ひいたときは桃缶やメロンが食べられるし←歳いくつだ

 冒頭から風邪の人体実験に被験者として参加したり、著者は行動力豊か。科学的に風邪を解説するだけでなく、風邪薬の上手な利用法や効果的な手洗いのコツ、風のもたらす経済効果など内要はバラエティ豊か。親しみやすくわかりやすく、かつユーモラスで少しだけ役に立ち、かつ最新科学の知識も身につく、科学解説書のお手本みたいな本。

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