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2013年4月の18件の記事

2013年4月30日 (火)

SFマガジン2013年6月号

 もともとSFというか空想科学物語ってのは、産業革命に端を発する、うおお、こんなことできちゃうの、こんなものの見かたがあり得るのっていう「観点の革命」が、物語に取り込まれていって成立してきたものだったと思う。
  ――鹿野司「サはサイエンスのサ 感覚のふしぎ」より

 280頁の標準サイズ。今月は日本作家特集として野阿梓・小田雅久仁・仁木稔・松永天馬の小説と、乾石智子・藤井大洋のインタビュウ。加えてイラストレーター寺田克也の特集。他にデイヴィッド・モールズの短編「街に兵あり」を収録。

 小田雅久仁「11階」。良徳は妻・日菜子と二つ違いだ。出遭ったのはコンパで、その帰りに送っていく電車の中で、日菜子は頭痛に悩まされているように、目を閉じて眉間に皺を寄せ険しい表情になっり、「11階が……」「ちいちゃん……」とつぶやくのだった。彼女を家まで送った帰りに、良徳が見たのは…
 文芸誌のような出だしで、「うおお、いつものSFマガジンとえらく毛色が違うな」と思ったら、やっぱり毛色が違った。文章の大半が過去形で、静かに流れていく感じがする。奇妙な偏頭痛を持ち、11階にこだわる妻・日菜子と、そんな日菜子に寄り添って生きる良徳。ちょっとホラーっぽいけど、怖いというより、不思議って感覚かなあ。味わいは恒川光太郎に少し似てるかも。

 松永天馬「死んでれら、灰をかぶれ」。ママは言う。「男は女の敵」。パパはいない。小さい頃、電話でお話しただけ。月面探査の仕事で、月の裏側にいる。高校生になったわたしは、ケータイを買ってもらった。着信音が鳴る。パパからだ。「あまり元気ではないな。突然だが、パパは生きて帰れないかもしれない」
 キッチュというか、アンダーグラウンドというか。「月面探査」や「ケータイ」などの現代的なイメージと、「LPレコードのA面」や「蜂蜜を鼻に垂らしたプーさん」などのレトロな表現が混沌となって押し寄せ、夢のように不条理なストーリーが急ピッチで語られてゆく。SFというより幻想小説かしらん。

 仁木稔「The Show Must Go on」。「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」と同じ世界観の、亜人が登場するシリーズに、やっと名前がついた。人間同士の戦争に代わる役目を仰せつかったのは、亜人たちによるショウ的な戦争。歴史上の戦争を原型にしてデザイナーがアレンジした衣装や武器で、亜人同士が戦う戦争は、同時に人気の娯楽となる。設計助手のアキラが手がけた名無しは僅かだが視聴者の注目を集め…
 ヒトは心に持つ暗黒面を亜人に押し付け、平和と繁栄を謳歌している世界。デザインの世界で日本のアニメ・漫画風の表現がもてはやされる風潮は、確かにかつてのジャポニズムを思わせるよねえ。絵師さんにも、ミュシャが好きな人は多いみたいだし。創造と独創の議論も興味深い。

 野阿梓「偽アカシヤ年代記」第2部前編。地下数百メートルに青く広がるプール、陽電子加速装置の中心にある遮蔽体の上に、直立して浮かんで見える黒ずくめの女、永夜。携帯端末を手にとり、龍胆寺桀との通話を始める。惑う永夜への対処に毅然とした態度で答える龍胆寺は…
 学園都市・井光を巡り争う二つの勢力、龍胆寺と塔家。まあ、いつもの野阿節です。

 デイヴィッド・モールズ「街に兵あり」。放浪民とおぼしき者の突然の攻撃により、<とうきび祭>の最中に女神レディ・グーラまでも殺された都市衛星・イシン。生き残った僧兵イシュことイシュメニンシナ・ニンナディインシュミ。惨劇を目の当たりにし、無力感に襲われながらも兵としての役目を果たさんとしていたが…
 神を当主と仰ぐ衛星都市、無意味とも思える虐殺を行う放浪民。舞台が遠未来の宇宙なのはわかるが、「神」や「放浪民」などの背景はよく見えてこない。大きなスケール感のある世界を舞台としたシリーズの一編、といった感じがする。

 藤井大洋インタビュウ。2013年2月号の「コラボレーション」が、やたらIT系にマニアックな芸風だと思ったら、「これまでは3Dソフトウェアをあつかう会社に勤務していた」ってんで納得。だから、あそこまで濃い描写ができたのかあ。

 乾石智子インタビュウ。ファンタジイ世界の創り方が、ファンタジイというよりSFっぽかったりする。まず自然の条件から創りあげていくあたり、ウイリアム・H・マクニールやジャレド・ダイアモンドみたいな歴史観なのかな。

 池澤春菜「SFのSは、ステキのS」。「人は本のみにて生くるに非ず、されど……」として、電子書籍の話。ランキングから電子書籍の市場傾向を分析していて、これがなかなか目の付け所が鋭い。「過渡期が一番面白い」ってのは、全く同感。近年の新刊ラッシュと絶版の早さは、電子化に影響あるのかなあ。ブライアン・スティブルフォードのタルタロス三部作が復活したりしたら、嬉しいなあ。ないだろうけど。

 長山靖生「SFのある文学誌」は、明治のヴェルヌ・ブームの4回目。ついに「海底二万里」。紅海から地中海に海底トンネルを通る場面、そういえばレセックス(レセップス)のスエズ運河を思わせるよねえ。ネモ船長の正体、色んな説があるんだなあ。私はインドの人だとばっかり思ってた。

 鹿野司「サはサイエンスのサ」、今回は著作者としての姿勢のお話。なぜ先端科学に拘るのか、SFとサイエンス・ライターの立場は、とか。科学や工学に限らず、知識ってのは人間の認識を大きく変えてっちゃう部分があって、SFが好きな人の多くは、そういう「世界観が揺らぐ感覚」に憑かれちゃってる人が多いんじゃないかしらん。

 堺三保「アメリカン・ゴシップ」、今回はロサンゼルスのアナハイムで開かれた「ワンダーコン」の話。「アナハイム市当局は、数年前からサンディエゴ・コミコンに対して熱心な誘致活動をしている」、サンディエゴ側も「必死に引き留め工作をしていて」って、羨ましい。

 次号は、久しぶりに菅浩江のコスメのシリーズが載る。この頁によると「あと2話」とのことなので、いよいよラストスパートにはいったのかな?

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2013年4月28日 (日)

スタンリー・スチュワート「ボーイング747-400の飛ばし方 London to New York」講談社 小西進訳

 今日の風向風速は250度から15ノットで、滑走路左に30度振った方向から吹いており、正対成分が13ノット、横風成分は8ノットである。引き起こし開始速度(VR)は158ノットなので、離昇対地速度は13ノット引いて、145ノットということになり、この差は重重量離陸時、とくに高温、高標高では重要なことである。引き起こしのASI(対気速度計)は、むろん158ノットを指しているはずである。

【どんな本?】

 英国航空でボーイング747の機長を務めた著者による、大型ジェット航空機の「機長のお仕事」。

 ロンドン→ニューヨークの定期航行便のフライトを例に、飛行前後にどんな検査をするか・どんな書類を書くか・計器の意味と見方・管制との交信内容とその意味・離着陸の手順などを迫力たっぷりに描く第Ⅰ部と、飛行の原理・各種計測機器の原理と見方・航法の原理と実際・天候の影響と対応など、パイロットに必要な基礎知識を網羅した第Ⅱ部からなる。

 専門知識を持たない一般読者向けの本ではあるが、内要はあくまでも誠実かつ現実的であり、真に迫る描写はマニアも満足させる充実した内容。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Flying the Big Jets, by Stanley Stewart, 1984, 1986 and 1992。日本語版は1993年の第三版を元に2001年2月26日第一刷発行。 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約384頁+訳者あとがき2頁。9ポイント47字×18行×384頁=約324,864字、400字詰め原稿用紙で約813枚。小説なら長めの長編の分量だが、イラスト・写真・各種帳票のサンプルが豊富に載っているので、文字の量はその9割ほど。

 訳者は全日空の元機長で著述の専門家ではないが、文章は充分に一般読者向けの商業出版で通用するレベル。実際は大西氏が専門用語などを監修し、文筆の専門化が素人読者向けに文章を整えたんじゃないかなあ。そうすれば正確さと親しみやすさを両立できるし。

 とまれ小西元機長の仕事は、かなり親切かつ熱心。London to New York の副題でらかるように、この本は欧米の航空事情を例に挙げる記述が多いのだが、随所で訳者の小西元機長が「日本の空港では…」「日本の航空会社では…」と、日本の事情を訳注で詳しくフォローしている。日本の読者には嬉しい気配りだ。

 と、文章そのものは充分にこなれているが、内要はかなりマニアック。ADF・VOR・DMEなどの略語はしゅっちゅう出てくるし、単位系もヤード・ポンド法。単位系はときおり訳者がメートル法で補っているのが嬉しい。管制と操縦士の会話がそのまま出てきたり、徹底的にリアリティに拘っているため、素人は意味を理解するのに時間がかかる反面、現場に居合わせたような迫力を醸し出している。

 また、文中に燃料消費量などの数字が沢山出てくる。これを機長になったつもりで計算しながら読むと、面白さが倍増する反面、読むのにやたらと時間がかかる。というか、暗算が苦手な私は時間がかかった。必要なのは加減乗除の四則演算だけなので、その気になれば中学生でもなんとかなる。

 第Ⅰ部は「実録・機長のお仕事」で比較的に親しみやすいが、第Ⅱ部は「機長入門」の理論編で、ぐっとハードルが上がる。航路測定・計算の方法、各種機器の原理と性能、運行ルールと現状など。丸い地球を飛ぶわけで、飛行の原理から地軸の傾きまで、幅広い理科の基礎知識が必要になる。といっても、この本は専門書ではないので、義務教育修了程度の理科が判っていれば、なんとかなる。

【構成は?】

 まえがき
第Ⅰ部 ロンドンからニューヨークへ
 第一章 機長たちの離陸一時間前
 第二章 大西洋横断・さまざまな仕事
 第三章 あらゆる緊急事態を想定して
第Ⅱ部 安全に飛ばすためのシステム
 第四章 395トンの物体がなぜ空を飛ぶのか
 第五章 ジェットエンジンの魅力のすべて
 第六章 無線とレーダー、確実な通信と識別
 第七章 高速で飛ぶ航法の技術
 第八章 操縦室では何が行われているのか
 第九章 「天候のきまぐれ」を深読みする
 第十章 航空管制官と空の規則
 第十一章 どうすればパイロットになれるか
  訳者あとがき/用語・事項索引

【感想は?】

 書名とカバーは親しみやすい雰囲気だが、実は大変にマニアックで突っ込んだ内容の本だった。

 というと「専門的過ぎてわけわからないのか?」と思われそうだが、そうでも…あ、いや、確かにそういう部分も多々あるんだけど、むしろ、そういう部分こそ読んでてワクワクして楽しい本なのだ。

 基本姿勢としては、素人向けに「機長のお仕事」を解説した本である。そもそも、航空機パイロットというのは大抵の男の子の憧れの職業で、現実にその夢を叶えるのはごく一部の人間だ。身体能力・知能そして精神と、ほぼ全ての面に於いて優れた能力が要求される。なぜ優秀な能力が要求されるのか、その具体的な理由が、この本を読むとよくわかる。

 前半はロンドン→ニューヨークの定期運行便のフライトを、ドキュメンタリー仕立てで再現したもの。物語はフライト前から始まり、提出すべき書類と、それを書くために仕入れるべき情報とその意味などを、こと細かく描写していく。発着双方の空港の状況・途中の天候・機体重量・航路の込み具合など。

 これらの情報から補給すべき燃料の量・希望航路・代替空港などを決めていく。特に前半を通して機長が最も頭を悩ましているのが、燃料の容量なのが、いかにも民間航空らしい。なんたって、一時間に10トン~12トンもケロシンを消費するのだ。無駄に積めば機体が重くなり、燃費が悪くなる。かと言って燃料切れで事故ったら元も子もない。

 この燃料消費量に影響する要素が、やたらと多い。当たり前だが距離が遠ければ沢山必要となる。目的の空港が混んでれば上空で待たされるので、その分の予備が要る。大雪などで閉まった時のために代替空港も必要で、そっちの距離も計算に入れる。その為には目的地の天気予報に注意せにゃならん。

 北大西洋路線は混んでて、希望の航路が飛べるとは限らない。これまた飛行距離に影響してくる。高度も指定されて、低高度だと747-400は燃費が落ちる。またジェット気流に乗れるかどうかも大きくて、巧く乗れれば燃費がよくなる。積乱雲は乱気流を伴うので、なるたけ避けたい。また、機体が重ければ燃費も悪くなり…

 と、燃料一つとっても、必要な情報と計算は膨大だ。自然条件だけでも大変なのに、政治が問題を更にややこしくする。航空機は常に地上の管制と連絡を取っているが…

 ときには同時に二人も、三人もの管制官と交信しなければならない。キプロス上空などでは、トルコ、キプロス、ベイルートとそれぞれに位置通報をするが、三者はおたがいの連絡をまったくとっていない。

 加えて単位系の混乱がある。「高さはフィート、速度はノット、風速もノット、距離は海里、滑走路はメートル…」などだが、これも国によって違う。アメリカはヤード・ポンド法に固執し、「ロシアと中国はずっとメートル法を使っている」。高度も表現方法は多々あって、海抜もあれば対地高度もある。実際、高度表現の間違いによるニアミスもあったとか。これらをいちいち換算するんだから、パイロットも大変だ。

 航法や着陸手順も、航空機や地上の設備により千差万別。なんと1970年代まで、「太陽による線と推測航法位置から、自機の位置を推定」してた、ってんだから凄い。というか、この航法の部分をじっくり読むと、航空機におけるGPSがいかに革命的か、よくわかる。そして、GPSもない時代に、航空機を目的の土地へ導くのが、いかに難しいかも。ましてや戦争中で無線封鎖、しかも目標物のない海の上で単座ときたら、パイロットの負荷はどれほどのもんやら。

 実録仕立てで迫力たっぷりの第Ⅰ部、科学的な原理から歴史的な経緯まで教養を濃縮した第Ⅱ部。加えて航空会社の慣習から各国のお国事情まで、野次馬的な目線で読んでも興味深い話題がたっぷり。メカ好きにはコクピットの計器の意味と読み方、マニア向けには様々なインシデント(事故にはならないが危なかった事例)もあり、旅行者向けに「時差ぼけの対応」までつく充実っぷり。野次馬根性で選んだ本だったが、意外と硬派で本格的な本だった。

 ちなみにアニメとかで民間機の左上を戦闘機が機体を左右に振りながら飛んで左旋回したら、「あなたは迎撃されました」とゆーゼスチャーだそうです。

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2013年4月26日 (金)

自転車を漕いでたら女子高生の集団が道を塞いでた

 ってな状況は、よくある。まあ高校生に限らず、会社員のオッサンでも主婦のオバサンでも、ヒトの集団ってのは横に広がる傾向があって、大人数になると道を塞ぎがちだ。ラクダの群れが縦にながくなるのと対照的だね…って、話が逸れた。一般にオトナの集団は人数が少なくて2~3人なのに対し、若者の集団は人数が多く3~6人ぐらいの集団をよく見かける。

 自転車で走ってて、こういう集団の後ろになると、ちと困る。ベルは鳴らしたくない。どうもベルのチリンチリンって音は、煩い上に威嚇的・高圧的で、あまし印象がよくない。別に私は怒ってるわけでも、彼・彼女らを脅したいわけでもないのだ。ただ、道をあけて通して欲しいだけで。

 ってんで、声をかけてみた。「ちょっと、失礼します」と。反応は。

 「あ、すいません」とゆー返事と共に、すんなり道を明けてくれた。うんうん、やっぱり俺の美声にはうっとりするよね←違う。ベルって道具があると、どうしてもソレを使わなきゃイカンような気がするが、普通に声をかけて頼めばお互い気分よく往来できるのであった。

 追記:ちと検索してみたら、無闇にベルを鳴らすのは違法らしい。→Yahoo!知恵袋の「自転車に乗っているときに前の人にベルをならすのは法律違反ですか?

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2013年4月25日 (木)

チャイナ・ミエヴィル「言語都市」新☆ハヤカワSFシリーズ 内田昌之訳

「割れて修理してある、。そこが重要なのね」
「そのとおり。そうすることで、アリエカ人は、“割れて修理された岩みたいな”と言うことができる。彼らが言おうとしているなにかについて」

【どんな本?】

 21世紀英国SFを代表する俊英チャイナ・ミエヴィルによる、ローカス賞に輝く新作長編SF小説。遠未来、宇宙に進出した人類は、幾つかの異性種族に出遭い、共生している。赴任した辺境の惑星アリエカの居留地<エンバシータウン>で、先住のアリエカ人とのコミュニケーションを担当する新任の大使エズ/ラーは、着任早々に大騒ぎを起こし…

 異形のテクノロジー・異形の都市・異形のエイリアン・異形の文化・異形の宇宙。その中で生きる人類もまた、異形の生き方に適した異形の社会・異形の制度を発達させてゆく。「ペルディード・ストリート・ステーション」「都市と都市」で見せ付けたチャイナ・ミエヴィルの奔放な想像力が生み出す、重量級の本格SF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Embassy Town, by China Mieville, 2011。日本語版は2013年2月25日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約480頁、9ポイント24字×17行×2段×480頁=約391,680字、400字詰め原稿用紙で約980枚。普通の長編小説なら2冊分ぐらい。

 ズバリ、濃いSF者むけ。あまりSFに慣れない人には向かない。

 ベテランの翻訳者が手がけた作品ではあるが、かなりとっつきにくい。というのも、語られる世界があまりに異様であり、かつ複数の奇妙な社会・文化・テクノロジーが絡み合った物語であるため。特に、背景が全くわからない冒頭では、意味不明な単語がポンポンと出てくるので、ある程度「SFの読み方」を心得ていないと、数頁で投げ出す人もいるだろう。その分、苔の生えたSF者が渇望する「センス・オブ・ワンダー」は、ギッシリと詰め込んである。

【どんな話?】

 遠未来、辺境の惑星アリエカ。先住種族のアリエカ人は二つの器官から同時に音を出して会話する。独特のバイオ・テクノロジーを持つアリエカ人と興隆するため人類は居留地<エンバシー・タウン>を建設し、クローン人間二人のペアを<大使>として彼らとのコミュニケーションを実現していた。

 エンバシー・タウンで生まれ育ったアヴィス・ベナー・チョウは、幼い頃にアリエカ人の<直喩>になる。成長してアリエカを離れ宇宙に飛び出し、浮浪屋となってイマーに潜りながら、言語学者のサイルと結婚し、<エンバシー・タウン>に戻ってきた。同じ頃、エンバシー・タウンに着任した新任の大使エズ/ラーは、大使として異様なばかりでなく…

【感想は?】

 約480頁の大作だが、出だしの100~200頁ぐらいまでは、かなり難渋する。描かれる世界が凄まじく異様であり、それを、その世界で生まれ育った人物アヴィス・ベナー・チョウの視点で語る仕掛けのため。彼らには自然な表現でも、読者には奇妙な文章に見える。

 例えば、年齢や年月をキロ時で表現する仕掛け。地球の一年は8760時間だから、大雑把に10キロ時で一年ぐらいと見当をつけよう。なんでこうなのか、というと、その前の台詞で、なんとなく察しがつく。舞台は恒星間を航行する宇宙船の中、発話者は上級船員。

「おまえのくされ故郷の恒星のめぐりがどうだろうと知ったことか。おまえが何歳なのか教えろと言ってるんだ」
返事は“時”で。返事は主観時で――

 この台詞で、幾つかの背景がわかる。1)この物語では人類が多数の惑星に植民しており、公転・自転周期で年月を語るのはグローバルでないこと。 2)地球の「年」は廃れていること。 3)「主観時」という言葉から、どうやら超光速航行が実現しているらしいこと。 4)ことばづかいから、上級船員といっても、荒っぽい職種であること。

 と、こんな感じに、読者は一つの文章から多くの背景について読み取らなきゃならない。先の 4) は、小説を読みなれた人なら簡単に読み取れるだろうけど、1)~3)は、相応にSFを読んでないとわかりにくい。初心者には不親切だが、ある程度SFを読みなれた者にとっては、「うおお、この人わかってるじゃん!」ってな一種の倒錯した喜びが湧き上がってくる。

 そんな感じに、最初の頃は、登場人物の把握やお話の流れに加え、行間から物語世界を読み取る作業を強いられる。これが銀河帝国などありがちな世界ならともかく、そこは異形を書かせたら他の追随を許さないチャイナ・ミエヴィル。宇宙論からして他に例を見ないマッドな発想を見せてくれる。

 この宇宙論だけでもSF者ならワクワク・ドキドキなのに、チャイナ・ミエヴィルはそれを軽く背景として使うだけなのが憎い(まあ、それはそれで重要な意味があるんだけど)。物語の多くは惑星アリエカ、それも人類の居留地エンバシー・タウンで展開する。

 書名が「言語都市」であることでわかるように、物語は「言語」が重要な鍵となる。ある意味、エイリアンとのファースト・コンタクト物のバリエーションだ。平穏に共存していたかに見える人類とアリエカ人(物語中では「ホスト」と表記される)が、ひとつの事件をきっかけに大騒動に発展する。騒動の陰には、どうやら人類とエイリアンのコミュニケーション・ギャップがあるらしい。

 二つの発声器官で同時に発音するアリエカ人と意思を疎通させるために、人類はクローン人間を用意して、同時にしゃべらせる。これが大使だ。今まではそうやって共存していたのだが…

 言語SFといえば、サミュエル・R・ディレイニーの「バベル17」や伊藤計劃の「虐殺器官」、山田正紀の「紙狩り」などの名作がある。いずれも「言語構造はと密接な関係がある」というアイデアをベースにしている。言語は、思考を表現するだけの道具ではなく、思考そのものに影響を与える、という発想。あながち、これは空想でもない。

 データベース・ソフトなどでアドレス帳を作る事を考えよう。どんな項目が必要だろうか?名前・住所・メールアドレス…。さて、私は住所は一つしかないけど、中には東京と大阪を行き来している人もいるだろう。すると、住所は単数ではマズい。メールアドレスも複数持つ人がいるだろうし、携帯電話もそうだ。

 この手のデータベース設計で、複数の要素があり得る項目を、単数だと思い込んで設計して痛い目を見た経験が、私には何度もある。これの原因の一つは日本語にある。日本語は単数と複数で名詞が変化しないので、つい単数だと思い込んでしまうのだ。まあ、最大の要因は私の不注意なんだけど。

 プログラミング言語でも、思考の方向性は影響を受ける。COBOLやFortranしか知らない者が、オブジェクト指向や再帰呼び出しを理解するのは難しい。そもそも、言語仕様で、そんな機能が定義してないし。OSのサービスを使う機能も言語処理系に組み込みなので、昔のプログラマはOSのサービスと言語の機能を混同していた。これを切り分けたのがC言語の偉大な所。

 Cでも無理すれば継承を実現できるけど、大抵ののCプログラマは、そんな事を考えない。これも言語が思考に影響を与えている例。で、COBOL/Fortran/Cなどの手続き型言語に慣れると、SQLが異様に見えてしまう。関係データベース問い合わせ言語のSQLは、関係代数に基づくので、基本の論理体系が手続き型と大きく違うのだ。でもって、述語論理に基づくPrologに慣れた人だと、案外と簡単にSQLに馴染んだりする。構造的には、Excelなどの表計算で、セルに式を入れるって操作も、発想は述語論理よりだったりする。

 などの言語SFとしての面白さは、物語の中盤から後半にかけて、どんどん盛り上がっていく。と同時に、惑星アリエカの異様な生態系も、この作品の読みどころのひとつ。

 「ペルディード・ストリート・ステーション」でチャイナ・ミエヴィルが見せた異形な者の描写が、異星に足を広げた甲斐あって、更にエスカレートしたシーンが続々と展開していく。基本的なトーンはシリアスでありながら、そのヴィジュアルの出鱈目さは、ついつい笑ってしまう。映像化するとしたら、やっぱりアニメだろうなあ。実写じゃ、ちょっと描ききれないと思う。ファンタスティック・プラネットが好きな人なら、きっと興奮するはず。

 ヴィジュアル・世界観ともに異様さが突き抜けているため、SF初心者にはとっつきにくいが、鍛えたSF者にはたまらない濃厚な世界が味わえる。あせらず、じっくり読もう。中盤以降の盛り上がりと終盤の怒涛の展開で、前半のモタツキの理由が否応なしに理解できるから。

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2013年4月23日 (火)

エイブラム・カーディナー「戦争ストレスと神経症」みすず書房 中井久夫・加藤寛共訳

 本書は戦争に起因する神経症の研究と治療と戦後へのケアへの案内書である。本書の最大の力点は本神経症の了解と治療の理論的根拠に不可欠な精神病理の原則にかんする論議にある。
  ――初版への序 より

【どんな本?】

 心的外傷(PTSD、→Wikipedia)、特に戦争神経症(→Wikipediaの戦闘ストレス反応)の概念を打ち立てた精神医学の古典。フロイトの教育分析を受けた著者が、第一次世界大戦・第二次世界大戦の合衆国の復員兵の治療を通じて得た精神神経症の原因・症状を多くの症例で示し、また予防法・治療法そして医学的・社会的・法的な対策を提案する。

 日本語版は1947年の第二版を全訳したもの。進歩が著しい精神医学だけに、診断方法や使う薬剤などの治療法は古びているだろうが、豊富な症例は今でも優れた資料だ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は WAR STRESS AND NEUROTIC ILLNESS, by Abram Kardiner, 1941(初版), 1947(第二版)。日本語版は第二版が元とし、2004年12月17日発行。ハードカバー縦一段組みで本文約351頁、9ポイント49字×20行×351頁=約343,980字、400字詰め原稿用紙で約860枚。長編小説なら2冊分に少し足りない程度。

 内容は大雑把に実践編と理論編の二つに分かれる。実践編は具体的な症例や原因、そして治療法や対策などを扱う部分で、こっちは医学の知識がない一般人でも読みこなせる。薬の名前など医学の専門用語も少しは出てくるが、私は読み飛ばした←をい。理論編はフロイト学派の精神分析の専門用語がバンバン出てきて、全く意味が判らなかった。

【構成は?】

 
第二版への序/初版への序
第一章 はじめに
第二章 兵士と兵役
戦争のもたらすストレス/「戦争神経症」特有の問題点とは
第三章 戦争精神医学
兵士の戦闘環境/戦場精神医学における問題点
第四章 急性期
急性神経症の構造/結論
第五章 急性期の治療
クリアリング・ステーション(後送待機所)/エヴァキュエーション・ホスピタル(後送病院)/リア・エシュロン・ホスピタル(後方梯団病院)
第六章 慢性期の症例学
心気症/統合失調症/転移神経症/防衛儀式とチック/自律神経障害――心身症/感覚運動障害/急性衝撃精神病とてんかん症状群
第七章 症状の分析
心的外傷(トラウマ)とは何か/不安と外傷状況/適応の神経症的変化/外傷神経症の必発現象/退行か解体か/外傷神経症とてんかん/まとめと結論
第八章 効果的な自我の発達
はじめに――方法論/適応とは何か/適応パターンの発達/マステリーの発達――機能の自動化/内的環境とその活動における役割/効果的な自我と失敗反応/要約と結論
第九章 精神力動
「行動システム」の構造と関係/抑止の帰結/疾病学的観察――生理神経症/要約と結論
第十章 慢性段階の治療
技法の選択/技法のさらなるポイント
第十一章 経過、予後、鑑別診断
経過/予後/鑑別診断/外傷神経症のロールシャッハ・テスト
第十二章 法的問題点
付録 戦争の外傷神経症(1959年)
症状評価の原則/兵士とその勤務実態/急性期/慢性期/自律神経障害と心身症/感覚運動障害/てんかん症状複合/精神力動学的問題/治療/法的問題抄
 訳語について/軍事用語と軍隊システム若干/訳者あとがき/文献
 

【感想は?】

 結構、読み通すのはしんどい。精神医学の専門書なので、ある程度の専門知識が必要なためでもあるが、実は私はそういう医学の専門的な部分は読み飛ばしたので、そっちはたいした問題じゃない。それより、復員した将兵の苦しみがリアルに迫ってきて、呼んでて辛かったのだ。

 1947年の本だ。医学の発達を考えれば、治療法などは時代遅れになっているだろう。例えば頭を強く打った症例が出てきて、素人の私でも「これはMRI(核磁気共鳴画像法、→Wikipedia)を使って肉体的な損傷を調べた方がいいんじゃね?」と思う部分がある。当事の技術を考えれば、仕方のない事ではあるけど。

 だが、本書の価値は、豊富な症例にある。症例というとなんか冷たい印象があるが、つまりは従軍した将兵のプロフィールだ。彼らが従軍する前はどんな性格でどんな生活をしていたか。兵役ではどんな戦場でどう戦ったのか。どんな状況でどんな被害にあい、どんな対応・治療を受けたか。戦後はどんな症状に苦しみ、どんな補償を受け、生活はどう変わったのか。

 本書によれば、戦争神経症に苦しむ将兵は、決して弱いからでは、ない。確かに病気の原因は死への恐怖だが、怖いのは当たり前だ。症例7では、第二次世界大戦のアフリカ,シリリア,ノルマンディ,カーン,サン・ローと激戦区を生きぬいた古参兵が、戦争神経症で苦しんでいる。

 人間、誰でも限界点はある。普通の兵が尻ごみする状況で勇敢な兵は前進して限界を超え、そして発症する。まあ、尻ごみしても逃げられるとは限らないのが戦場なんだけど。

 周囲の理解を得にくいのも辛い。苦しんでいても、「失明したり片脚を失った人のように提示できる障害がなくて全く病んでいるように見えず陪審員の心に訴えない」。などと同情的な面もあるが、厳しい事も言っている。「いきなり後送すると病気にしがみついて逆に悪化しちゃうよ」とか「治癒すると補償が打ち切られるので治癒に消極的になる場合がある」とか。

 症例には幾つか共通点がある。1)外傷への固着 2)不眠と夢 3)易刺激性 4)爆発的な攻撃反応 5)知的能力を含む機能の低下。

 この本では第一次世界大戦と第二次世界大戦の復員兵を扱ってて、第一次世界大戦は慢性の症例を、第二次世界大戦では著者曰く「新鮮」な症例を扱ってる。興味深いのが易刺激性で、音に過敏になるのは両大戦で共通してるんだが、第一次世界大戦に従軍した人には臭いに敏感になる人が多い。これは毒ガスのせい。なんと、寝ていて意識がないうちに毒ガスにやられ、目覚めた時はベッドの上、なんて人も排気ガスの臭いに過敏になってる。

 また、勇敢な兵によく見られるのが、「戦友を救えなかった」という自責の念。これ、太平洋戦争から復員した帝国陸海軍の将兵が語る「生き残って申し訳ない」という言葉と共通している気がする。この国も戦争神経症に悩んだ人が多い筈。しかも、「勝利の時よりも敗北の際のほうがはるかに破断が多くなる」。にも関わらず話題にならないのは、他の人も生きるのに精一杯で、それどころじゃなかったからなんだろうか。

 本筋から外れるが、欧州戦線と太平洋戦線の違いが奇妙。

兵士に世論調査をして比較したところ、面白いパラドックスが現れた。実戦に参加している兵士が皆殺しにしたい敵軍は、実際に向かい合っている敵軍ではなかった。日本軍を皆殺しにせよという意見を投じた者は地中海戦線の兵士のほうが太平洋で戦闘中の兵士よりも多かったのである。

 戦争の資源として将兵を見ている本なので、前線ではなるたけ軍務に復帰させる姿勢だ。「チュニジア戦線じゃ前線復帰者が2%だったのに、適切な処理したら急性破綻の40%~60%に後送後一週間以内に完全に軍務復帰した」とか。どうやったか、というと、例えば後送せず、

兵士は大隊に留めて、食料係下士官と補給係下士官の配下とした。こうする利点は、兵士が自尊心を損なわず、戦友に対する面子も保てることであった。また、暖かい食事はすばらしい回復剤である。(略)また、上官を変えなかった。

 隊との絆は重要で、これの維持が予防と回復に大事だとか。一般に補充兵は隊との絆が浅いのでヤバい傾向があり、「この問題をうまく解決しているのは英国軍である。単独の兵士でなく、分隊単位を代替要員としている」。また、やっぱり上官の影響力は大きくて…

上級将校が虚脱寸前の兵士と全く同じ条件下に身を置いて勇敢に粘り強く闘った場合、これを規範として、始まりかけていた破綻が消え去るということである。

 研究は教育・訓練にも生きていて。

新兵の訓練に際してストレス下ではこのような恐怖はあっても当然だという教育が行われた。このために、兵士は自己価値感情を失わずにおおっぴらに怖いということができるようになった。

 ニワカ軍オタとして軍事関連ばかりに注目しちゃったけど、当事の戦争神経症に関する精神医療の状況を「症例で細かく分類しちゃってかえって役に立たない」と愚痴ってたり、著者の人間的な面が垣間見れるのも面白い所。ちなみに医学的な方面ではジュディス・L・ハーマンの「心的外傷と回復」が有名だとか。こっちは戦争神経症に限らず災害被災者・犯罪被害者など幅広く扱ってて、より医学的な色彩が濃い模様。機会があったら読んでみたい。

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2013年4月18日 (木)

菅浩江「カフェ・コッペリア」早川書房

 個人識別ができなくなっているのは、男女各フロアそれぞれ十名あまりの画一的な容姿をしたスタッフの中に、AIの創作した人物が、同時最大六名、紛れ込むからだ。
 <カフェ・コッペリア>は、AI研究の場でもあるのだ。

【どんな本?】

 ロボットや仮想現実などのSF的な道具を、人の心を鮮やかに映し出す鏡として使う作品の名手・菅浩江による、久しぶりの短編集。AIを通してコミュニケーションの深遠を探る表題作、閉鎖環境実験の報告書から少女の心を覗く「モモコの日記」、ハイテク美容室を舞台に心の壁を描く「エクステ効果」、50年代SFの香りが漂う「リラランラビラン」、日本舞踏とロボットを組み合わせた「千鳥の道行」など、菅浩江ならではのエッセンスを凝縮した珠玉の作品集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は2008年11月15日発行。初出は「小説すばる」「小説宝石」など一般文芸誌が多い。ハートカバー縦一段組みで本文約282頁。9ポイント44字×17行×282頁=約210,936字、400字詰め原稿用紙で約528頁。標準的な長編小説の分量。

 文章はこなれていて読みやすい。初出が一般文芸誌だけあって、SFとはいっても、あまり難しい屁理屈は出てこない。敢えていえば、「言葉のない海」で中学校レベルの生物学の知識が必要かも。全般的に「心のない人工物」と人間を対比させ、ヒトの真の姿を暴く、といった作品が多いので、味わう上では、SF的な道具立てより、その周囲の人の心の動きが大事な作品が中心。

【収録作は?】

カフェ・コッペリア / 初出<小説すばる>2002年6月号
 藤井カナタは、カフェ・コッペリアのスタッフとして働いている。仕事は、客とお喋りすること。ただし、スタッフの何人かはAIが人間のフリをしている。そして、人間のスタッフは、AIのフリをする。会話のテーマは、恋愛。人間のスタッフに学びながら、AIを成長させるのが目的だ。
 
 いきなり菅浩江の怖さが炸裂する強烈な作品。「女性の悩み相談って、要は愚痴をこぼしたいのであって、解決法を求めているんじゃない、共感を求めているんだ」などとネットではよく見かける。そこを察して適度に相槌を打つのがリア充という図式。まあ、改めて考えると、共感を求めるのは男も同じで、ただ男性向けにはキャバクラという場所がアヤシゲな衣を纏って認知されてるだけな。もっとも、今の若い人は寧々さんなのかしらん。とすっと、現実は既にこの作品を追い越しているのかもしれない。短いながら、人と人とのコミュニケーションの本質に迫る、息詰まる傑作。
モモコの日記 / 初出<小説宝石>2002年9月号
 種子島近くの無人島で実施している、閉鎖環境実験。物理的に地球環境と隔絶し、自給自足の生活が可能か確かめるのが目的だ。狭い環境では人間関係の悪化が極限まで進むので、現実の家族を使うと過程を崩壊させかねないため、仮の家族を使う。子供役は、11歳のモモコだ。心理カウンセラーの田辺友紀子は、モモコの担当となった。モモコから届くメールを読み…

 これまたSAN値をガリガリと削られる作品。閉鎖環境の中に飛び込んだ11歳の少女、モモコ。期限は半年。心配する友紀子をよそに、モモコからのメールは至って幸福そうで、内容もしっかりしている。仮とはいえ家族への思いやりも、文章の随所に現れている。しっかりして人を気遣えるモモコが、なぜ実験に応募したのか。その辺を考えながら読もう。短編だからこそ、作家・菅浩江の底意地の悪さが濃縮された作品。
リラランラビラン / 初出<小説宝石>2004年5月号
 男と別れた三上優梨亜は、友達とヤケ酒をあおりへべれけになった帰り道、奇妙な露店を見かけた。気が強く早とちりな優梨亜が店で見たのは、リラランラビラン。ウサギを改良したアロマペット。ふわふわであったかく、瞳はビーズのような黒。そしていい香りがする。一目惚れした優梨亜は…
 
 昔のSFによくある、「中国人の店で奇妙なペットを買った」話のバリエーション。猫でもハムスターでも、哺乳類のペットを飼った経験があるなら、きっと優梨亜の気持ちがわかるだろう。つぶらな瞳でふわふわ、おまけに人に懐くときたら、そりゃたまらんわ。こんな感じ?
        l^丶 
        |  '゙''"'''゙ y-―, あ ふんぐるい むぐるうなふ すとらま 
        ミ ´ ∀ `  ,:'        
      (丶    (丶 ミ   いあ    いあ 
   ((    ミ        ;':  ハ,_,ハ   ハ,_,ハ 
       ;:        ミ  ';´∀`';  ';´∀`';, , 
       `:;       ,:'  c  c.ミ' c  c.ミ   
        U"゙'''~"^'丶)   u''゙"J   u''゙"J 
…違うな、きっと。
エクステ効果 / 初出<小説宝石>2006年8月号
 石島加世は、美容室チェーン<アルファ・ラボ>三号店の雇われ店長だ。ラボの名は伊達じゃない。ヘアケア企業の最新技術を提供するのがウリだ。今の人気はエクステ。先端のナノテクで、癖っ毛だって直毛にする。住宅地のこじんまりとした店だが、売り上げは上々。スタッフは八人と少ないながら、みな忙しいときも笑顔で対応するチームワークのよさ。そこに常連の小宇田明日美がやってきて…
 
 おお、ナノテクをこう使うか!と菅浩江の着眼点に驚き。こういう視点こそ、彼女ならではの持ち味。でも、毛母細胞は蘇らないんだよなあ←をい。SFマガジンに不定期連載していたシリーズの原型かな。身なりに構わぬ不精なオッサンにはグサグサと突き刺さる、キツい作品だった。
言葉のない海 / 初出<小説宝石>2002年3月号
 玉置恵が初めて苧崎歓喜と出遭ったのは、去年の秋のネット会議。特にハンサムでもないのに、恵は悟った。「この人は、私と同じリズムで呼吸をする。触れ合えば、きっと私たちは溶け合ってひとつの塊になる」。それは、歓喜も同じだった。
 
 お互い一目惚れの男女。その直感は付き合い始めても変わらず、むしろ深まるばかり。だが運命の恋人たちに、思わぬ障壁が立ちふさがり…という、「ロミオとジュリエット」のバリエーション。
 そういえば「ミラーニューロンの発見」に、長く連れ添った夫婦は似てくるってのは本当だ、って話があって、それは互いのしぐさが似てくるから、だとか。
笑い袋 / 初出<小説宝石>2003年3月号
 九十を超えた中岡誠太郎。家族に老人扱いされるのは気に食わないが、孫の瑠香子からのプレゼントとあっては受け取らぬわけにはいかない。要は老人向けの玩具で、適切な返答を返すまで2~3秒かかる。ついでに助けを求めれば救急車を呼んでくれる…あまり頼りにならないが。嫁の万美も、多忙な仕事の合間をぬって世話を焼いてくれる…
 
 SFっぽい道具は使っちゃいるが、物語のテーマは老人から見た家族の関係。誰だって厄介者扱いなんかされたくないし、物分りのいい人間でいたい。視点が老人と子供で違うだけで、根底に流れるテーマは「モモコの日記」と同じものがある。
千鳥の道行 / 初出<小説宝石>2007年7月号
 叔母の代理でリハーサルに立ち会う羽目になった、今どきの女子大生・鈴宮昌乃。ダンサーのミネコの不機嫌を、音楽の館石研二郎がいなしてくれる。来る筈の日本舞踏家の月城勘堂が来れず、<木偶助>が代役だからだ。<木偶助>は人の体の動きを再現するロボットで、遠くから遠隔操作できる。だが、表情までは再現できない。だから本人に来てもらう必要があったのだが…
 
 SF者としては、おそらくBMI(ブレイン・マシン・インタフェース、→Wikipedia)を応用した<木偶助>に俄然注目。「越境する脳」を読んでると、面白さが倍増する。この使い方も、著者ならでは。「血の通わぬ機械」を人間との対比物として使うことで、人間の本質を覗きみるというテーマは、「カフェ・コッペリア」や「プリズムの瞳」と共通している。

 やはり表題作の「カフェ・コッペリア」は強烈。ファンシーなカバーに騙されると、酷い目に遭う。まあ酷い目に遭いたくて読んでるんだけど。続く「モモコの日記」も、著者ならではの毒がタップリ。ドカンドカンと大きな爆弾を落とされたところに、懐かしい定番風味の「リラランラビラン」。「こりゃ限界超えるかも…」と、一瞬は覚悟しましたよ、はい。

 機械と人間を対比させるという点では瀬名秀明やグレッグ・イーガンにも似てるけど、彼女の特異性は、徹底した底意地の悪さと、卓越した観察眼。腹の底を見透かされる居心地の悪さこそ、彼女の作品の魅力だろう。ああ怖かった。

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2013年4月17日 (水)

ジェニファー・アッカーマン「かぜの科学 もっとも身近な病の生態」早川書房 鍛原多恵子訳

第七章 風邪を殺すには より
 いまのところ、作家ロバート・ヘンリーの助言に耳を貸すのが賢明なようだ。
 「風邪をひいたと思ったら、いい医者を呼ぶことだ」
 さらに良さそうなのが、
 「いい医者を三人呼びつけてブリッジをするといい」

【どんな本?】

 鼻水が出て鼻がつまり、せきとくしゃみは止まらず、熱が上がって関節が痛くなる。人にとってとても身近な病気なのに、なぜ特効薬ができないのだろう。そもそも、なぜ人は何度も風邪をひくのか。風邪はどうやってうつるのか。どうすれば予防できるのか。なぜ鼻がつまり、くしゃみが出るのか。風邪をひいたときは、どうすれば早く治るのか。体を鍛えれば風邪をひかなくなる?乾布摩擦は?

 サイエンス・ライターの著者が、風邪に関する話題を科学・医療・政策などお堅いモノから有名人の言葉やお祖母ちゃんの特性レシピまで幅広く集め、ユーモアたっぷりにまとめた、親しみやすくわかりやすい、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AH-CHOO! The Uncommon Life of Your Common Cold, by Jenifer Ackerman, 2010。日本語版は2011年2月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約309頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント40字×16行×309頁=約197,760字、400字詰め原稿用紙で約495枚。長編小説なら標準的な長さ。

 翻訳物の科学解説書だが、ネタ同様に文章は親しみやすく読みやすい。内容も一般の人向けであり、特に専門的な前提知識はいらない。敢えていえば、ジェンナー(→Wikipedia)の牛痘の逸話レベルでの免疫のしくみと、細菌とウイルスの違いぐらい。中学生でも充分に読みこなせるだろう。

 原書の書名を直訳すると「ハクション!普通の風邪の奇妙な生態」かな?ユーモラスな書名にたがわず、内容も随所に笑いが仕掛けてある。「科学だから」とあまり構えず、楽しく読んでもらいたい、そういう姿勢で書かれている。

【構成は?】

 序 風邪の赤裸々な真実
第1章 風邪をもとめて
第2章 風邪はどれほどうつりやすいか?
第3章 黴菌
第4章 大荒れ
第5章 土壌
第6章 殺人風邪
第7章 風邪を殺すには
第8章 ひかぬが勝ち
第9章 風邪を擁護する
 付録 風邪の慰みに
  謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 これだけ笑える科学解説書も珍しい。変な意味じゃなく、著者のサービス精神が豊かなのだ。そのセンスは、この記事冒頭の引用でわかるだろう。おまけに巻末の付録には「お祖母ちゃんのチキンスープ」のレシピまで載ってる。

 もちろん、内容の大半は真面目な話である。そもそも風邪とは何なのか、という話に始まり、感染経路・流行のメカニズム・治療法・予防法・その害と益など、医学/科学的な話がふんだんに詰まっている。とまれ、未だに特効薬が出ていないことでわかるように、実は現代の医学・科学じゃ、実は風邪についてよく判っていない。そういう意味では、科学の最先端の話題を集めた本である。

 そのわりに、著者のサービス精神も相まって、この本はとてもわかりやすく、読みやすい。わかりやすい分、軽く見られがちだが、最先端の医学・科学を親しみやすく紹介するってのは、実はとっても難しいことなのだ。語り口が親しみやすいから、つい甘く見ちゃうけど、こういう所はちゃんと評価すべきだろう。

 さて。なぜ最新科学でもよく判らないのか。理由の一つは、風邪の原因がウイルスだから。細菌じゃないのだ。だから、抗菌剤や抗生物質は意味がない、どころか下手をすると副作用で害が出る。ウイルスにしたって、天然痘は既にワクチンができている。だが風邪は特効薬がない。なぜかというと…

風邪の原因には少なくとも200種の異なるウイルスが関与する。(略)風邪ウイルスには少なくとも5つの属がある。ピコルナウイルス(ライノウイルスを含む)、アデノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、インフルエンザウイルス、…

 ちなみに最もありふれているのはライノウイルスで、「すべての風邪の原因の40%を占める」とか。だったらライノウイルスだけでもワクチンができてよさそうなモンだが、ウイルスは次々と変異する上に、そもそも政府が乗り気じゃない。大抵は1週間ぐらいで治るし、命に関わる病気の方が優先順位が高い。なんか納得できるような、できないような。

 実際、多くの人にとっては、暫く不愉快なだけで大きな問題じゃないが、喘息を抱えている人には大問題だとか。肺がウイルスに感染すると、通常は肺細胞が死に、ウイルスの増殖が止まる。だが喘息患者は細胞の自死機構が巧く働かず、ウイルスが増殖して周りの細胞に感染する。

 ところが、逆に、世の中には風邪をひかない人もいる。25%というから、4人に一人だ。体が強いから間然しないのか?うんにゃ。実は、彼らもウイルスに感染しているのだ。ちゃんと体内に抗体ができている。ただ、症状がでないだけ。悔しいではないか。

 なぜ症状が出ないのか。そもそも、なぜ風邪の症状が出るのか。実は、ウイルスそのものが原因では、ない。ウイルスが出す毒素でも、ない。ヒトの体が、ウイルスに対抗して発現する免疫機構が、風邪の症状なのだ。免疫がないから風邪をひくのではない。逆だ。免疫機構の過剰反応が、風邪の症状なのである。

 寒さが風邪の原因ではない、というのも、意外だった。つまりはウイルスに感染するか否かで、気温は関係ないとか。様々な要因について調べてはいるが、今の所は関係がありそうなのは睡眠不足ぐらい。うつるメカニズムもよくわかってなくて、空気感染か接触感染かも、今の所は不明。なお、スキーなど寒い所で出る鼻水は「風邪をひいたときに出る鼻水とはまったく別物」だとかで、鼻の機能の副産物だとか。

 ちなみに猫を飼っている人には朗報。「猫はひどい風邪をひくが、猫の風邪ウイルスによってひくだけで、ヒトの風ウイルスではひかない」。というか、ヒトと同じウイルスに感染するのはチンパンジーぐらい。動物実験ができないのも、風邪の研究を妨げている。仕方がないんで、遺伝子を組み替えて風邪をひくマウスを作りましたとさ。ここでコロンビア大学のアルフォンス・ドゥーケイ曰く「実験の被験者としてはおそらく、ヒトはもっとも扱いにくく、信頼が置けず、神経質で、移り気な生き物だろう」

 扱いにくい理由の一つが、ヒトにはプラシーボ効果があるから。だもんで二重盲検なんて面倒な手続きが必要になったりするが、何せ今の所は風邪に特効薬がない。著者は「だったらプラシーボでいいじゃん」と開き直った姿勢なのが楽しい。まあ患者の方もアレで。

 風邪で苦しむ子供を病院に連れてきた親御さんに、医師が「だたの風邪です」と言ってもご両親は納得しない。仕方ないから、咳止めシロップを処方すると、ご両親は安心して帰る。効果がないのは医師もわかっちゃいるんだけど。「不快さや侵襲性、痛みをともなう処置と組み合わせると、プラシーボ効果は増大する」。うんうん、わかる。

 ってな感じで、最終的に著者は「たまには風邪をひくのも悪くないかもしれない」。まあ、いい所もあるんです、本当に。「興味深いある新説によると、ライノウイルスに感染しているとインフルエンザが寄り付かなくなる」。他にも癌細胞だけを殺す風邪ウイルスが開発されたり、パラインフルエンザウイルスを使って投薬する方法が報告されたり。一種のナノテクだね。なにより、風邪ひいたときは桃缶やメロンが食べられるし←歳いくつだ

 冒頭から風邪の人体実験に被験者として参加したり、著者は行動力豊か。科学的に風邪を解説するだけでなく、風邪薬の上手な利用法や効果的な手洗いのコツ、風のもたらす経済効果など内要はバラエティ豊か。親しみやすくわかりやすく、かつユーモラスで少しだけ役に立ち、かつ最新科学の知識も身につく、科学解説書のお手本みたいな本。

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2013年4月16日 (火)

ジャンク・ヴァンス「ノパルガース」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫訳

「ここイグザックスには二種類の人間が存在する。トープチュとチチュミーだ。両者のちがいはノパルにある」

【どんな本?】

 職人ジャック・ヴァンスによる、SF黄金期の香りが濃く漂う娯楽中編。異星人ザックス人に誘拐され、熾烈な戦争に巻き込まれたARPA(国防総省高等研究企画庁)のポール・パークが、戦乱の現況となった存在ノパルを巡り奇妙な探求を繰り広げる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は NOPALGARTH, by Jack Vance, 1966。文庫本縦一段組みで本文約214頁。9ポイント39字×16行×214頁=約133,536字、400字詰め原稿用紙で約334枚。分量的には長めの中編~短めの長編ぐらい。

 訳者はベテランだけあって文章はこなれていて読みやすい。SFとはいえ、この作品はあまり小難しい理屈は出てこない。いや実は量子力学っぽい屁理屈は出てくるんだけど、「なんかハッタリかまして煙に巻こうとしてるな」ぐらいに思って頂いて結構。基本的に娯楽読み物なので、科学用語も演出用の小道具と心得、深く考え込まずに仕掛けとストーリーをお楽しみください。

【どんな話?】

 惑星イグザックスの硬鱗両生類から進化したザックス人は、技術文明を発達させ宇宙へと乗り出した。しかし、折り悪くノパルを発見した彼らは、長い戦乱に巻き込まれてしまった。トープチュとチチュミーは互いに激しい憎しみをぶつけ合い、ついにトープチュはチチュミーを追いつめた。だが、トープチュの戦いはこれからが本番だった。

【感想は?】

 SFが夢多き少年のモノだった時代の、ある意味王道の作品。

 基本のアイデアはシンプルながら、今でも充分に通用するし、発展させようとすればいくらでも伸ばせるもの。今の作家なら人間関係や過去の因縁などを絡ませて500頁以上の大長編にしちゃうところを、200頁足らずにまとめてしまうのも、この時代ならではの味だろう。

 物語は書名どおり、「ノパル」の謎を巡って展開する。ザックス人は、なぜ戦っているのか。トープチュはチチュミーを追いつめたのに、なぜ「取るに足らんことだ」などと言うのか。ノパルとは、そしてノパルガースとは何か。

 やはり最近のSFの流儀で見ると、ちとご都合主義に感じる部分もある。ザックス人がどういう航法で地球まで来たのか、など。けどまあ、その辺は、あまし突っ込んじゃいけない。お話の都合上、どうしてもザックス人と地球人が接触しないと、話が始まらんのである。

 その辺を大目に見ちゃうと、お話そのものは、充分に面白いのだ。ザックス人に誘拐されたポールが帰還して、地球に降りたち、安食堂に入った際に孤立を感じるシーンとかは、実によくできていて、まんまフィルムが変色しかけて色調が偏った50年代のテレビドラマを見ているような気分になる。というか、とっても映像化に向いてるお話なんだよなあ。

 お金がかかりそうなのは、異星イグザックスが舞台となる場面とザックス人が登場する場面ぐらいで、後はCGを大活躍させれば。あまし予算をかけちゃうと、かえって雰囲気が壊れちゃうんで、適度にチープさが漂うセットで謎解き主体に作ってもよし、または暗い色調の映像でホラー風味に作ってもよし。肝心のノパルの設定も、いろいろと弄れば応用が利きそうなんだけど、どこかやってくれないかしらん。

 訳者解説によれば「書かれたのは50年代のなかばだろう」とのこと。とすると、マッカーシズム(→Wikipedia)の嵐が吹き荒れた時代。そういった事を深読みしてもいいけど、あんまし考え込まずに素直に楽しんだ方がいいと思う。

 キレの鋭いアイデアを、堅実な手腕で適度な長さの中編に収めた、職人SF作家の娯楽SF小説。「SFは小難しくて頭が痛くなりそう」と敬遠してるけど、ホラーやファンタジーなら大丈夫、そんな人には丁度いい作品かもしれない。あまり構えず、リラックスして楽しもう。

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2013年4月15日 (月)

山口さやか・山口誠「[地球の歩き方]の歩き方」新潮社

 結局、バックパッカーの旅は、ひとり旅だけど一人じゃないのです。誰かと一緒に宿を探したり、観光したり、ご飯を食べたり、くっついたり離れたりしています。ずっと一人ではない。バックパッカーには学生も大人もいて、いろんな国のいろんな人と出会うのですが、同じ旅をする人だと思うと、なぜか話が通じました。

【どんな本?】

 海外旅行のガイドブックとしては、独特の地位を占める「地球の歩き方」シリーズ。パッと見ても判型が違うし、頁数がやたらと多く情報もダントツに充実している。特筆すべきはホテルや交通情報が充実している点で、またパスポートやビザの取り方まで、こと細かに紹介している。長期間、海外で自由な日程の旅行を楽しみたい者にとっては、必携品と言っていい。

 そんな「地球の歩き方」は、意外な経緯で成立したものだった。時は1970年代。学生運動が一段落し、企業は新入社員の確保に苦労する、明るい予感に満ちていた時代。

 この本は、ひとつのベンチャー・ビジネスが立ち上がり成長して成熟してゆく過程を描いたビジネス・ストーリーであり、強烈な個性が集まった創刊チームが暴れまわる活劇であり、当時は革新的な概念だった「自由旅行」を布教した教団の創世記であり、出版業界で一つのシリーズを起こす話であり、1970年から現代までの日本の海外旅行の変化を追ったルポルタージュであり、そして当然、長期の海外旅行者必携のガイドブック「地球の歩き方」の裏事情を描いたドキュメンタリーだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年11月20日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約300頁+あとがき3頁。9ポイント45字×19行×300頁=約256,500字、400字詰め原稿用紙で約642枚。長編小説ならやや長め。ノンフィクションとはいえ、そこはテーマが「地球の歩き方」。文章の多くは語りかける口調で親しみやすく、読みやすい。

【構成は?】

 序章 ボクらの旅を、みんなへ
第一章 「自由旅行」の原石
第二章 「自由」を仕掛ける
第三章 「地球の歩き方」の創刊
第四章 みんなで作るガイドブック
第五章 シリーズ化への道
第六章 プラザ合意の波に乗って
第七章 トップシェアの孤独
第八章 世代交代のとき
 終章 新しい歩き方へ
  附 もうひとつの歩き方――表紙の30年
   あとがき/年表

【感想は?】

 はい、お世話になりました、「地球の歩き方」。海外旅行に行く時は、必ず買い求めます「地球の歩き方」。だって、どのガイドブックより詳しいんだもん。観光旅行に限らず、出張の際も便利なんだよね。ご当地の安くて美味しい定食屋や、バス・地下鉄などの公共交通機関の使い方まで載ってるし。

 ちょっとしたノウハウが載ってるのも嬉しかった。例えば、駅でのチケットの買い方。予め紙片に「いつ・どこまで・何等の席を・何人分・片道or往復」を書いといて、ソレを窓口で差し出せばいい。英語が苦手な私も、これでスムーズに席が取れた。パスポートもビザも国際免許も自分で取ったんだぜい、えっへん←その程度で威張るな

 国内旅行のガイドブックでも、これほど情報が充実したシリーズは滅多にあるまい。私がビザを自力で取ったのも、「地球の歩き方」のお陰。幸い当時は比較的時間が自由に使える状況だった上に、「地球の歩き方」に通呈する哲学「なるたけ自分でやってみよう」に感化されたため。

 そんな「地球の歩き方」の成立過程が、実に意外。そもそも、「ガイドブック」を創るのが目的では、なかったのだ。とある事業のスピンアウトとして「地球の歩き方」の原型ができあがり、流通に乗っていく。この事業の方向性も、記念すべき商業出版「地球の歩き方」第一弾の企画も、当時としてはとんでもない常識外れ。これをやってのけた四人組、安松清・西川敏晴・藤田昭雄・後藤勇の蛮勇と、それを許したダイヤモンド・ビッグ社の度量もたいしたもの。旅行業界・出版業界の Gang of Four とでも言うか。

 「地球の歩き方」のもう一つの特徴が、読者からの投稿が豊富に載っていること。これまた長期シリーズが持つセールス・ポイントの一つで、やっぱり「信者」がつくんだよねえ。ええ、私もその一人です。これが載るようになった過程もまた、この四人ならでは。

 なぜ信者がつくかというと、「地球の歩き方」にはわかりやすい教義があるから。それは、自由旅行。それまで、海外旅行と言えば旅行代理店が企画するパッケージ・ツアーが常識で、ビザはもちろん列車のチケットやホテルは予め日本で予約しておくものだった。

 これを、「地球の歩き方」がひっくり返す。「一流ホテルは無理だけど安宿ならいつでも泊まれるよ」「自分でチケットを買うのもいい経験だよ」「地元の定食屋でメシ食ってみようよ」と。そうなった根底は、やっぱり創刊者たちの趣味。好きなんだ、この人たちは、自由旅行が。「もっと若い人たちに色んな経験をして欲しい、自由な旅行の楽しさを知ってもらいたい、つか俺はアメリカが/ヨーロッパが/インドが好きなんだあぁーっ!」という、考えようによってはとっても我侭でビジネスパーソンらしくない想い。

 とまれ、好きでやってる事だけに、自然と熱意が入る。その熱意はスタッフや読者にも伝染し、「地球の歩き方」シリーズの内容を充実させてゆく。だが二次感染・三次感染と広がっていくうちに、次第に教義は変質し、また様々な分派が生まれてゆく。

 などといった「教団」の興隆の課程ももちろん面白いが、同時に素人が出版業界に殴りこみをかける話でもあり、初めて自分が手がけた本が書店に並んだ時の感激なども初々しく描かれている。書籍ならずとも、自分が関わった商品が初めて店頭に並んだ時の気持ちは、多くの社会人が共感するだろう。

 海外旅行に対する人々の関心も、世相により変わっていく。沢木耕太郎の「深夜特急」・蔵前仁一の「ゴーゴー・インド」、そして猿岩石など、ときおり訪れるブームも手伝って、読者層も変わる。が、同時に「地球の歩き方」が、海外旅行者の層を変えてしまった面もある。編集部も世代が変わり、シリーズが大ききなるにつれ編集方針も転換を余儀なくされる。これが古くからのファンには裏切りに見え…

 終章では、久しぶりに再開した四人の会話が、各員の個性丸出しでやたらと楽しい。それぞれ長い経験を積んで丸くなってる筈なのに、昔と同じ面子が集まると、当時と同じ気持ちになっちゃうんだろうなあ。

 表紙の人物に顔がない理由など、裏話もたっぷり。海外旅行が好きな人、70年代~90年代に青春を送った人、そしてもちろん「地球の歩き方」の愛読者なら、きっと楽しめる。そして、もう一度、長い旅行に行きたくなるだろう。最新版の「地球の歩き方」を持って。

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2013年4月14日 (日)

高木彬光「白昼の死角」光文社文庫

「私は自分の精魂を傾けて、この十年、法律の盲点だけを研究してきたのです。いや、理論の研究だけでなく実行もしました。その中にはわずか半日で、資本金何億の上場会社を作りあげて、たちまち消滅させた事件もあります。一国の公使館を舞台にして、公使から門番まで全部の館員を半年近くだましつづけた事件もあります。」

【どんな本?】

 戦後の混乱期。東京大学の学生が闇金融で荒稼ぎし、検挙された。光クラブ事件(→Wikipedia)である。この事件の首謀者の一人が、修羅場をくぐって成長した、という想定のもと、東京裁判から復興、朝鮮戦争の特需から不況へと激しくゆり動く日本経済を背景に、華麗にして壮大な詐欺を何件も成功させた悪漢・鶴岡七郎を主人公に、悪の才能を思うままに振るった男の生き様を描くピカレスク・ロマン。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「周間スリラー」1959年5月1日~1960年4月22日に連載。1960年6月カッパ・ノベルスより刊行。私が読んだのは光文社文庫の新装版で、2005年8月20日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約820頁に加えカッパ・ノベルス版あとがき2頁+「わが小説 出あった犯罪の天才」3頁+逢坂剛の解説「高木作品の思い出」6頁+山前譲の解題「異色の犯罪小説」6頁。9.5ポイント39字×16行×820頁=約607,620字、400字詰め原稿用紙で約1520枚。そこらの長編小説三冊分の大ボリューム。

 50年も前の作品ながら、そこは昭和のベストセラー作家、文章の読みやすさは抜群。敢えて言えば主人公たちの台詞の語尾が「なのだよ」だったりするんだが、当事のインテリ学生の口調だと思ってください。あと、出てくる金額が若い読者には少なく感じるかも。10~20倍すれば今の感覚に近くなる。例えば文中に「一千万円」と出たら、「一億円ぐらい」と思ってくださいな。

 最大の問題は、テーマが詐欺、それも手形詐欺だってこと。経理などに携わっている人は慣れていると思うが、そうでない人には、ちと馴染みがない。が、そこはベストセラー作家・高木彬光。懇切丁寧に教えてくれます。ココがお話のキモなので、面倒くさくても、じっくり読もう。

【どんな話?】

 太平洋戦争は敗戦で終わり、連合軍の東京裁判が始まった。混乱した日本経済だが、同時に闇物資の横流しなど有象無象が跳梁跋扈しながら、なんとか経済は回っていた。この混沌に目をつけた東大法学部の天才学生・墨田光一は、友人の鶴岡七郎・木島良助・九鬼善司を誘い、闇金融の太陽クラブを発足する。高配当で資金をかき集め、それ以上の高利息で貸し付ける、リスキーな商売だ。派手な広告や高配当、そして現役東大生の看板も相まって太陽クラブは話題を呼び、急成長を遂げるが…

【感想は?】

 最悪の悪党を描いた小説なのだが、その悪党がやたらと魅力的だから困る。

 主人公は鶴岡七郎。人智を超えた知能と強力な統率力を備えたリーダー墨田光一に誘われ太陽クラブに参加、その興亡を目の当たりにしながら、己の中に眠る悪の才能に目覚めてゆく。

 この鶴岡七郎、どう見ても悪党である。義賊などでは、決してない。弱って食えそうなカモを狙い、ぱっくり美味しい所をいただいてドロンと消える。食われた方はたまったものではない。今まで築き上げた地位も財産も失い、路傍に放り出される。どう考えても鶴岡は冷酷で極悪非道な悪党なのだ。

 が、しかし、彼の手口は、あまりに派手で鮮やかだ。とにかく舞台づくりに凝る。詐欺というより大掛かりなマジック、今ならデビッド・カッパーフィールドばりのイリュージョンと言っていい。それだけの大仕掛けを数ヶ月の期間と千万円単位(今の日本円の価値なら数億円)の予算をかけて仕込み、その数倍の利益を手に入れるのである。

 しかも、そこらの詐欺師なら同じ手口を何回も繰り返す(そして最後は逮捕される)ところを、この男は惜しげもなく一回こっきりの使い捨てにする。悪をなすために生まれてきたような男である。これだけの才能があれば、まっとうに稼いでも充分に成功できるだろうし、作品中でも他の登場人物からそう指摘されている。のだが…

「犯罪の道で成功することは、世間が考えているよりも、ずっとむずかしいことですよ。そこには人なみはずれた知恵と、不撓不屈の勇気と、たえざる練磨が必要です。戦争以上に、常住坐臥、緊張の連続が要求されます」

 本人も、これが茨の道だとわかっちゃいるし、悪いことだと自覚もしているのである。にも関わらず、やってしまう。その動機は本人が何回か吐露しているのだが、結局は「やってみたいから」じゃないか、と思う。つまりは、ハッカー気質なのだ、この人は。

 工夫を思いついたら、それを実装してみたい。実際に巧くいくかどうか、試してみたい。根底にあるのは、ソレなんじゃないかと思う。世間のハッカーは、その衝動が、便利で役に立つモノを創る事に向かうんだが、この人の場合は、犯罪方面に向かっちゃったのだ、困ったことに。

 鶴岡の手口は、経済が混乱状態に陥った時こそ成果をあげる。好景気の時は、表向きの金融ブローカーを真面目にこなし、地道に商売を続ける。経済が停滞し始めた途端、モゾモゾと動き出す。こういった所は、司馬遼太郎が描く一旗あげる機会を伺い乱世を待ち望む戦国武将を彷彿とさせる。

 さて、鶴岡がよく使う手口は、約束手形(→Wikipedia)を使ったものだ。経理に詳しい人には釈迦に説法だろうけど、一応説明しておこう。つまりは一種の借用書みたいなモンと思えばいい。

 例えば、ラーメン屋がある。店名は仮に一番麺としよう。なんとか設備を揃えて開店したが、そこで資金が尽きて小麦粉を買う金がない。どうするか、というと。

  1. 一番麺は、製粉業者の第二製粉(仮名)から小麦粉を買う。今は現金がないが、商売が繁盛すればできるはず。ってんで、支払いは90日間、待ってもらう。「90日後に1万円払います」と約束して、小麦粉を仕入れる。後払いなんで、その分、小麦粉の値段は高くなる。例えば本来は100kg1万円なら、90kgぐらいしか買えない。それでもいいのだ。商売が巧くいけば、それ以上の売り上げがあるのだから。支払いは現金のかわりに、約束手形を第二製粉に渡す。「90日後、これを持っている人に1万円払います」という証書、それが約束手形だ。
     
  2. こちらは第二製粉。いきなり製粉機の部品が壊れ、(株)N3施設(仮名)に修理してもらった。費用は9千円。困ったことに、今は現金がない。仕方がないんで、一番麺の約束手形を(株)N3施設に渡す。
     
  3. 今度は(株)N3施設。90日待って約束手形を銀行に持っていけば、1万円が手に入る。ところが、急に現金が必要になった。ってんで、銀行に行って「今すぐ現金化してくれ」と頼むと、多少の割引で現金化してくれる。この小説の舞台背景だと、9千円ぐらいになる。これを「割引き」と言っている。

 と、こんな風に、約束手形は、多くの企業を渡り歩く性質がある。ここに鶴岡が付け入るスキがあるわけだ。

 さて。同じ約束手形でも、発行者が零細企業の一番麺と、超大企業のトヨタ自動車じゃ、価値が違う。一番麺が90日後も営業している保証はないが、トヨタ自動車が90日後に潰れる心配は、まず、ない。だから、同じ手形でも、大企業が関わった手形は、ほぼ同額の現金と同じ価値がある。対して、新興の零細企業の手形は受け取り側が渋るし、割引きも厳しい。

 まあ、実際には、チェーン店でもない限り、ラーメン屋程度じゃ約束手形は使わないし、金額も2桁ほど少ないけど、そこは話の都合と思ってください。

 戦後の混乱期。生き延びるため必死に右往左往する人々を冷徹な目で観察し、その弱みを見抜き、華麗な仕掛けで幻惑し、根こそぎさらっていく悪魔のような男。にも関わらず、その鮮やかな手口と精巧な舞台設定には思わず賞賛を送りたくなってしまう。幸いにして今は通用しない手口が多いけど、もし彼が生きていたら、きっと何か考え出すだろう。主人公には罵声を浴びせたいのに憧れてしまう、困った魅力が満載の小説だった。

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2013年4月12日 (金)

iPod nanoの再生回数がiTunesに反映しない時の対処

 自己流の方法で、ランダムっぽく iPod nano(以下 iPod と略す)の曲を入れ替えている(→iPod,iTunes:自動でランダムっぽく曲を入れ替える)。ところが、ここ数日、全く曲が入れ替わらない。どうやら、iPod で曲を再生しても、再生回数や最終再整日が iTunes に伝わっていないらしい。 原因は不明だが、なんとか症状は治める事ができた。

 対処法を一言で言えば、iPod の初期化→再設定だ。所要時間は、以下の環境で、20分~30分ほど。

【環境】

 PC
  OS:Windows 7 Home Premium Service Pack 1
  iTunes:iTunes 11.0.2.25
 iPod
  iPod nano 第一世代 容量2G
  ソフトウェア バージョン1.3.1

【対処法の詳細】

  1. パソコンを起動し、iTunes を立ち上げる。A01
  2. iPod を パソコンに繋ぐ。
     →iTunes の左袖に iPod が出てくる。
  3. iTunes の左袖のリストから、iPod を選ぶ。
     →iTunes のメインの窓に iPod が出てくる。
  4. 初期化する:ボタン「iPodを復元...」を押す(右のスクリーン・ショットを参照、クリックすると拡大表示する、赤い丸は私が書き入れた)
     →iPod が初期化される。
  5. 再設定する:オプションをあなたの好みに設定する。
     同様に、ミュージック/Podcast/ブック/写真/情報 を、あなたの好みに設定する。
     左袖から iPod を選び、iPod の名前をつけなおす。
  6. iPod を同期する:左袖の iPod を左クリックする。
     →メニューが出てくる。
  7. 同期(Y)を選ぶ。
     →iPod に曲の転送が始まる。iPod の容量によっては、数十分かかるかもしれない。
  8. 転送が終わったら iPod を外す。

iPod は言語選択の画面になっているので、日本語を選ぼう。また、シャッフルやリピート,音量制限などの設定も初期化してしまうので、あなたの好みに合わせ設定しなおそう。

【おわりに】

 結局、原因はわからなかった。なんとなく、iPod を繋いだまま、PCの電源を入れたり切ったりしたのがマズいんじゃないか、と疑っている。PCの電源をオン・オフする時に、変な信号が iPod に流れて iPod が壊れたのかもしれない。いや何の根拠もないんだけど。

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2013年4月11日 (木)

フィリップ・ポール「音楽の科学 音楽の何に魅せられるのか?」河出書房新社 夏目大訳

 音楽というのは、芸術、科学、論理、感情、物理学、心理学などの要素が恐ろしく複雑に絡み合ったものだ。これほど複雑なものは他に例がないかもしれない。この本では、音楽という不思議なものについて、現状で何がわかっていて、何がわかっていないかを明らかにしていこうと思う。

【どんな本?】

 たいていの人は、音楽が好きだ。明るい歌は気分がウキウキするから好まれるのは判るが、悲しい失恋の歌が好きな人もいる。なぜ悲しい曲がウケるんだろう?そもそも、なぜ「明るい」「悲しい」と感じるのか?この感じ方は、世界共通なのか?なぜギターのCとDの間は2フレットで、BとCの間は1フレットなのか。乳幼児にモーツァルトを聴かせると本当に頭が良くなるのか。音の周波数は連続的に変わるのに、なぜドレミファソラシドの音階があるのか。音階は12だけなのか。人はなぜギターとフルートを聞き分けられるのか。

 音楽好きなサイエンス・ライターの著者が、古今のクラシックから現代音楽,ジャズやロックなどポップ・ミュージック,バリのガムランからアフリカのトーキング・ドラムなど民族音楽まで、世界中のあらゆる音楽に題材を取り、数学と科学の手法で「音楽が生む感動」を解き明かそうとする、野心的で興奮に満ちた科学解説本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE MUSIC INSTINCT - How Music Works and Why We Can't Do Without It, by Philip Ball, 2010。日本語版は2011年12月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約614頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント47字×20行×614頁=約577,160字、400字詰め原稿用紙で約1,443枚。長編小説なら三冊分の大ボリューム。

 翻訳物の科学解説書としては、文章はかなり素直な方。科学の本だが、特に数式は出てこないし、科学用語も「周波数」ぐらいなので、理科が苦手な人でも充分に理解できるだろう。必要なのは「高い音は周波数が高い」ぐらい。私が手こずったのは、むしろ音楽の方。楽譜が頻繁に出てくる。恥ずかしながら、私は楽譜が読めないのだ。でも大丈夫。この本の大半の楽譜は、出版者のサイト(→The Music Instinct)で聞けます。

 内容はわかりやすいし、訳はかなり親切。例えば、文中に出てくる曲名。ビートルズの I Wanna Hold Your Hand は「抱きしめたい」、Led Zeppelin の The Song Remains The Same は「永遠の詩」と、日本人に馴染みの深い名前に訳してある。たぶん、いちいち調べたんだろう。こういう「もう一手間」で、かなり可読性が上がった。いや感激したのよ、Blue Oyster Cult の (Don't Fear)The Reaper(→Youtube)が、ちゃんと「死神」になってるし。

 ただ、スラスラ読めるかというと、実はかなり難渋した。文中に「ストーンズの『サティスファクション』」と出れば脳内でキース・リチャーズがあのリフを弾き始めるし、「ワーグナーの『ワルキューレの騎行』」とくればヘリの大群がビーチに押し寄せる映像が再生される。その度に暫くほけ~っと妄想に浸ってしまい、なかなか前に進まないのだ。

【構成は?】

 はじめに
第1章 前奏曲――世界は音楽に満ちている
第2章 序曲――音楽とは何か、そしてどこから来たのか
第3章 スタッカート――楽音とは何か、また使う音はどう決められるか
第4章 アンダンテ――良いメロディとは何か
第5章 レガート――音楽とゲシュタルト原理
第6章 トゥッティ――協和音と不協和音
第7章 コン・モート――リズムとは何か
第8章 ピッツィカート――音色
第9章 ミステリオーソ――音楽を聴くと、脳はどう活動するのか
第10章 アパッショナート――音楽はなぜ人を感動させるのか
第11章 カプリッチョーソ――音楽のジャンルとは何か
第12章 パルランド――音楽は言語か
第13章 セリオーソ――音楽の意味
      コーダ――音楽の条件
 訳者あとがき/原註/参考文献/図版出典

【感想は?】

 書名を見て「音楽を数学や科学で探ろうなんて野暮だ」と思う人もいるだろう。だが、読んでみると、むしろ結果は逆だ。科学によって、私たちが日頃何気なく楽しんでいる音楽の豊かさ・不思議さ、そして音楽の中に潜む構造の複雑さが、いっそう明らかになった、どころか、単に「音楽を楽しんで聴く」だけの行為ですら、実は大変に多くの学習を必要とし、また脳を総合的にコキ使い、同時に脳を変化させるものなのだ、というのがわかってくる。

 著者はサイエンスライターであり、かつ、音楽が大好きな人らしい。この本に出てくる音楽も広範に及び、クラシックはもちろんジャズ・ロック・ブルースそしてポップミュージックはもちろん、民族音楽もアイルランド・スカンジナビア・南北アフリカ・バリのガムラン・インド・中国と、世界中のありとあらゆる音楽を扱っている。日本の「鼓童」も出てきた。

 新鮮な音楽が聴きたい人には、一種のガイドとしても読める。例えばアフリカの音楽を紹介する所では、サハラの南端で大きく傾向が変わる、と論じている。その北では「人間の声によるもので、メロディは単音から成り、それに通奏音かリズムが伴う」。南では「複数の人が同時にメロディを奏で、ハーモニーがつけられることも多いリズムパターンは多層構造の複雑なもの」。プログレ者が狂喜しそうなのがバルカンの民族舞踏の音楽で、「大きく分けて五種類の形態があるが、そのうち一つだけが二拍子で、あとは、9/16拍子が一つ、7/8拍子が二つで、残り一つは5/4拍子である」。変拍子好きにはヨダレが出そうな大鉱脈。

 音程も改めて考えると不思議で、本来、音の高さは連続して変わるものなのに、西洋音楽はオクターブ中の12個しか使わない。「特定の音階しか使わない」のは大抵の民族音楽で共通してるけど、オクターブの分割方法は地域によって大きく違う。西洋音楽はミとファ・ソとドの間が狭いけど、ガムランのスレンドロはオクターブをほぼ均等に5分割してる。しかも「同じ曲でも音程の間隔が様々に変化する」って、どんだけ複雑なんだ。

 和音ってのも奇妙なモンで、いわゆる不協和音も、ある程度は社会的な部分もあるが、同時に「人間が生理的・感覚的に不協和に感じる響きというものもある」。周波数が極端に近いと「うなり」に聞こえ、ある程度離れると二つの音に聞こえる。その中間が気持ち悪い。面白いのは、これが「周波数の絶対値の差」ってことで、つまり低音域では不協和音が多くて、高音域では少ない。「間違いなく、低音域になるほど音程差を広げなければ響きが不協和になることを、バッハもハイドンも気づいていたのだろう」。

 私が好きなロックでは楽器の音色が大事な役目を負っていて、例えば You Really Got Me、これは Kinks(→Youtube) の曲を Van Halen(→Youtube) がカバーしたんだけど、両者ともコーラスやギターのリフはソックリなのに、印象は全く違う。この違いは、やっぱりエドワード・ヴァンヘイレンの強烈な個性によるものだろう。じゃ、その違いは何かというと、実は「よくわからない」と、この本は投げ出しちゃってる。

 「研究しようにも、あまりにとらえどころがないからである」。倍音構成とアタックが重要みたいではあるし、それを逆用してエレキギターでヴァイオリンの音を出すロイ・ブキャナン(→Youtube)なんてのもあるが、この本の結論としては「倍音とアタックとサスティンが意味あるっぽいけど、重要度のわりにわかってない」だったり。まあ誠実ではあるなあ。

 後半では「ヒトは音楽をどう感じるか」な話が多くなってきて、MRIを使った解析なども出てくる。意外なくらいに脳全体を使ってて、「音楽を聴くのは脳のストレッチみたいなモンだよ」と音楽ファンを喜ばせてくれる。ただ、これが「音楽を聴いて得る感動」になると話は別で。

たとえ同じ曲を聴いたとしても、それをディナーパーティーで聴いたときと、山の頂上で聴いたとき、あるいは朝の四時に隣家から爆音で聞こえてきたときでは、感じ方は大きく違うはずだ。

  と、当たり前ではあるが重要な指摘もしてる。いい音楽ってのは、音そのものに加え、それが流れる状況や、聴く人の体調や気分も重要なわけです。やっぱりライブは違うよね。

 「第13章 セリオーソ――音楽の意味」では、音楽批評も論じていて、これが書評と一脈通じる点もあったりする。強引な解釈を皮肉りつつも、「人はどうしても音楽に物語を読み取ってしまうのだ」と分析しつつ、「こんなふうに解釈するのはある種、楽しいことである」と認めてたり。

優れた芸術批評とは、私たちに「こう考えろ」と指図するものではないと思う。そうではなく、「こんな聴き方もできるよ」と普通の人がきづかない提案をする批評こそ優れていると言えるだろう。

 ああ、そういう書評が書きたい。

 一般に科学が新しい分野に踏み出した時、よく見られる現象がある。「一つ判ると10の疑問が湧いてくる。調べれば調べるほど疑問が増える」。まさしく、この本はそういうリフが何回も繰り返され、どうにも割り切れない気分になると同時に、未踏領域の広さに興奮したりもする。ラヴィ・シャンカールのニューヨーク初公演のエピソードなど興味深いエピソードも満載で、音楽が好きならきっと楽しめるだろう。ただ、つい Youtube を巡回しちゃって、なかなか読み進まないのが困りものだけど。

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2013年4月 7日 (日)

「山海経 古代中国の神話世界」平凡社ライブラリー 高馬三良訳

獣がいる、その状は馬のごとくで白い身、黒い尾、一つの角、虎の牙と爪、声は太鼓の音のよう、その名は駮(はく)、これは虎・豹を食う。剣難をふせぐによろし。  ――第二 西山経より

【どんな本?】

 中国に古くから伝わる地理書…の体裁をとりながら、その内容は荒唐無稽で奇妙な国や人・魑魅魍魎を数多く収録し、奇書として扱われる。飛ぶ魚・人面の蛇・天馬など明らかに空想上の化け物がいるかと思えば、鸚鵡など実在の生物もおり、黄帝など神話上の存在も数多く登場する、古代中華UMA図鑑。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説および Wikipedia によると、成立には複数の年代の複数の著者が関わっている。第一の南山経~第五の中山経までは東周時代というから紀元前771年~紀元前256年。序をつけた郭璞(かくはく、→Wikipedia)は晋の時代、274年~324年の人。この訳本の原書は「山海経箋疏」、著者は郝懿行(かくいこう、→Wikipedia)1757年-1823年で清の時代の人。

 日本語版は1994年1月14日初版第1刷。文庫本縦一段組みで本文約170頁。9ポイント41字×15行×170頁=約104,550字、400字詰め原稿用紙で約262枚。小説なら中編の分量。

 元の漢文や読み下し文は収録せず、現代語訳の文章のみを収録する形態だが、それでもいにしえの薫り高い文体なので、ちと読み下すには骨が折れる。また、化け物の図版を多数収録しており、見とれているとなかなか前に進めない。

【構成は?】

 山海経序
(山経5書)
 第一 南山経/第二 西山経/第三 北山経/第四 東山経/第五 中山経
(海外4書)
 第六 海外南経/第七 海外西経/第八 海外北経/第九 海外東経
(海内4書)
 第十 海内南経/第十一 海内西経/第十二 海内北経/第十三 海内東経
(大荒4書)
 第十四 大荒東経/第十五 大荒南経/第十六 大荒西経/第十七 大荒北経
(補遺1書)
 第十八 海内経
  解説(高馬三良)
  解説――日本に渡った精霊たち 水木しげる

【感想は?】

 オタクの才が試される本。

 地理書のフリして奇怪な動植物や神、そして部族を紹介する本である。各UMAの記述は意外と淡白で、姿形と特徴を述べるだけ。冒頭の引用は駮を紹介する文だが、これだけで、特に物語がつくわけでもなく、すぐ次のUMAの紹介へと移っていく。

 解説を水木しげるが書いている事でもわかるように、伝奇物を書く作家・漫画家にネタ本としてよく使われる。私が思いつくだけでも、小野不由美・京極夏彦・諸星大治郎・佐藤史生が巧く使っていた。十二国記や孔子暗黒伝のファンなら、所々で「キター!」と叫ぶだろう。

 全体で五部に分かれており、読んでいて明らかに途中で著者が変わっているのがわかる。出だしの山経5書は比較的におとなしめで、適当に獣と鳥を混ぜたキメラや、手足や尾を増やした程度の馴染みやすいものが多く、人によっては退屈するかもしれない。これが海外4書あたりになると「変な人」が出てきて、かなりエンジンがかってくる。

貫胸国はその東にあり、そのひととなり胸に竅(あな)がある。交脛国はその東にあり、そのひととなり脛が交差する。不死の民はその東にあり、その人となり黒色で、不老不死である。

 こんな感じで、次から次へと変な国の変な人たちが紹介されていく。ただ、化け物を列挙するだけでほとんどエピソードめいたモノがないのだが、大荒4書になると多少は物語がつくようになり、かなり親しみやすい。

 やはり「さすが中国人」と思ってしまうのは、冒頭の山経5書からして、「その名は狌狌(しょうじょう)、これを食うとよく走る」とか「その名は鯥(ろく)。冬かくれて夏あらわれる。これを食うと腫疾(はれやまい)にならぬ」とか、「食べる」話が出てくる点。UMA見ていきなり食う事を考えるとは、さすが。

 山経5書はUMAの紹介のほか、一応は地理書として「山の北には鉄が多く」とか「麓には砆石(ふせき)が多い」とか「水中には黄金が多い」など地学的なネタもでてくる。また、「灌水ながれて北流し、禺(ぐ)水に注ぐ」なとど川の流れも書いているあたり、古代中国の水運の発達を伺わせる。

 各地の神の祭り方を書いてあるのも山経5書の特徴。神といっても日本の神とはかなり概念が違う模様で、「山の神の状(すがた)はみな鳥の身に竜の頭」と、明らかに人の形をしていない。中国の神と日本の神って、同じ字を使ってるだけで、実は概念から違うのかもしれない。

 どうも日本の神様というと天照大神を頂点に人型をしていて皇室の祖先なのだが、中国の黄帝(→Wikipedia)や女媧(→Wikipedia)も化け物の風体をしている。日本の神より、ネイティブ・アメリカンのトーテムに近い感覚かもしれない。ただ、中国の神は、守るだけではなく、時には祟るんだよなあ。

 東山経も別の著者の手が入ってる雰囲気で、各UMAに対し「これが現れると天下に洪水おこる」とか「おおいに旱(ひでり)する」とか「蝗(ばった)が災害をおこす」など、変異の前兆の役目を帯びてくる。珍獣の出現を変化の兆しと捉えるのは、なんか道教っぽいなあ。

 さて、「オタクの才が試される」だが。オタクの才とは何か。私は妄想力だと思うのですね。この本、個々の怪異の記述はあっさりしてて、見た人のエピソードなどはほとんど出てこない。だもんで、読者はこれを妄想で補う必要がある。どこまで妄想で物語を紡ぎだせるか、その能力が豊かなほど楽しめる本なのだ。例えば、大荒西経に、こんな記述がある。

玄丹の山あり、五色の鳥がいる、人面で髪あり。ここに青鳥・黄鷔(ごう)・青鳥・黄鳥あって、これらが集まるところ、その国ほろぶ。

 たったこれだけなんだけど、ちょっと想像してみよう。例えば漫画家のCLAMPだったら、これをどう料理するだろうか。車田正美だったら、どうするだろう。諸星大二郎なら?五色といいつつ、4種類しか出てこないし、青と黄だけなのも謎だ。「集まるところ、その国ほろぶ」って所から、どんな物語を想像するだろう。

 積極的に国を滅ぼすモノなのか、または災厄の象徴としての化け物なのか。はたまた、周辺の蛮族を象徴していて、各鳥は蛮族のトーテムを表しているのかも…などと考えると、未来を舞台にした群像劇になるんだろうか。

 など、妄想に浸りながら読むとキリがないし、あっさりした記述も味わいが出てくる。オタクの地力が試される、困った本だった。

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2013年4月 6日 (土)

ロドリク・プレークウエスト「アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退」白水社 河野純治訳 2

1986年よりアフガニスタン大統領を務めたムハンマド・ナジブラは、典型的な閣僚会議の風景を次のように述べている。「われわれ閣僚が席に着く。どの閣僚にも(ソ連)顧問がついてきてる。会議が始まり、議論が熱を帯びると、顧問たちがそろりそろりとテーブルに近づいてくる。それに応じて閣僚たちは席を立ち、最終的にテーブルには顧問たちしかいなくなる」

 ロドリク・プレークウエスト「アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退」白水社 河野純治訳 1 から続く。今回はエピソードを中心に。

【戦場】

険しい山岳地帯で主な移動法は徒歩。土地を知らないソ連軍に対し…

地元住民はありとあらゆる小道や細道を知っており、そうした道の多くは険しい山の斜面を横切るように走っているため、待ち伏せも容易なら、防御も容易で、しかも見つけられにくい。だが、それより困ることがある。実際に戦闘があった標高4800mを超える山岳地帯では、人は環境に慣れるまで、高山病で活動不能になるのだ。

ムジャヒディンの戦いは、ゲリラ戦の教科書どおり。

敵軍を一望できる高地を確保し、隊列の先頭と後尾の動きを止め、それからじっくりと敵の殲滅を図ればよいのだ。

(ソ連に支援された)アフガニスタン政府軍は1980年当時、「一個師団あたりの人数はたった1000人で、これは必要人数の1/10である」。強制徴募と予備役動員で兵力を確保するが…

概算では、脱走率が年間30%以下なら問題なかった。30%を大幅に上回るのは問題であり、60%になると事態は深刻である。

軍からの支給品で足りないものは、自分で調達せにゃならん。カブールなど都市部の将兵は地元のバザールに出かけ…

ここでは、ソ連本国では誰も目にしたことがない西側の消費者向け商品や衣料がうられていて、中には西側援助機関のアフガン貧困層向け支援物資も含まれていた。妻たちは中古のジーンズ、ジャケット、ドレスなどを徹底的に値切った。

ソ連軍と西側の軍の体質の大きな違いのひとつは、下士官の地位。「ロシアの軍隊には存在しない、長年勤務するプロの下士官」とあるので、鬼軍曹はいないって事になる。じゃ誰が仕切るのかというと、やっぱり古参の兵。ここでいう「祖父たち」とは「除隊の最後の6ヶ月に入っている兵士」。

デドヴシーナ、すなわち「祖父たちのシステム」と呼ばれるいじめが儀式として確立したのは、1960年代後半のことである。

下士官と兵の勤務評定は、結構厳しい。

有能な兵士であれば、戦地での一年目すなわち18ヶ月が終わると、軍曹に昇進できた。しかし指揮官の権限は絶大で、たとえ軍曹になれても、役立たずと判断されれば、一兵卒に逆戻りだった。

ソ連の将兵を最も苦しめたのは…

アフガニスタンに派遣された兵士の3/4以上が入院して治療を受けた。そのうちおよそ11%が負傷兵である。その他の兵士――戦争期間中に軍務に就いた兵士の69%―は重病に苦しんだ。感染性肝炎が28%、腸チフスが7.5%、そのほかにも感染性赤痢やマラリアなど、さまざまな病気があった。

テール=グリゴリアンツ将軍が「パンジシールの獅子」ことマスードを評して曰く。

「相手として不足のない敵であり、軍事作戦を組織する手腕は天下一品だった。彼が武器や弾薬を確保できる機会は非常に限られていたし、手持ちの装備はソ連軍、アフガン軍よりも明らかに劣っていた。にもかかわらず、マスードは効果的なパンジシール防衛作戦を組織した。防衛線は非常に強固で、それを突破して渓谷の支配権を奪取することはきわめて困難だった」

それでもソ連は何回かパンジシール掃討作戦を敢行してるが、大抵は不発に終わる。パターンはだいたい決まっていて、まず大規模な空襲で始まり、地上部隊が突入する…が、ソコはもぬけのから。マスードはアフガン軍内に優れた情報網を持っていて、作戦は筒抜けなのだ。ってんで撤退に入った途端、マスードに包囲されボコられる。

第二次大戦中の兵の楽器と言えばハーモニカだが、この時のソ連兵にはギターを持ち込んだ人も多数いた。ユーリー・キルサノフもその一人で、小型テープレコーダーを使い現地でレコーディングする。

歌は「スタジオ」同様の環境――連隊の風呂場――で夜間に録音した。夜は比較的電源の供給が安定しており、戦闘の音もなく静まりかえっているからら。

ソ連軍にいわゆるドッグタグはなく…

きちんとした認識票はなく、代わりに、個人に関する情報を書いたものを空の薬莢に入れて首からぶらさげていた。父や祖父たちも大祖国戦争ではそうしていたのだ。

ムジャヒディンの対空装備はスティンガー(→Wikipedia)が有名だが…

彼らが手に入れたソ連製の重機関銃は、うまく使えば、装甲を施された攻撃ヘリコプターでも撃ち落すことができた。

ソ連は早急にスティンガーへの対応を編み出す。航空機は赤外線フレアを使い、射程外の高度5000m以上を飛ぶ…誤爆が多くなり民間人の巻き添えが増えたが。スティンガーは背景に空がないと精度が落ちるので、ヘリは「山あいを超低空で飛行した」。結局、「損害はスティンガーが登場する以前の水準にまで減少した」。

米国は流出を恐れ、ソ連は「スティンガーを最初に手に入れた者にソ連邦英雄の称号を授与すると約束した」。また「反政府勢力から購入することも企てていた」。

イランも同じことをしており、1987年の軍事パレードで、数基のスティンガーを披露している。伝えられるところでは、二人のムジャヒディン司令官から100万ドルで購入したものだという。

【帰還】

この本の特色のひとつは、帰還兵の問題に多数の頁を割いている点。映画「ランボー」でわかるように、ベトナム帰還兵は暖かい歓迎を受けなかった。同様に、アフガン帰還兵も冷たくあしらわれている。

ソ連に帰還した兵士は、1980年のオリンピック開催中、モスクワへの立ち入りを認められなかった。当局は彼らが外国人訪問者に口外することを恐れたのである。

地位のある者の子息は巧く逃れた。息子を戦場に送った母親たちの多くは貧しい者であり、彼女たちが始めた運動は「ソ連で組織され、一定の成果をあげた最初の公民権運動のひとつ」として、チェチェンへ紛争と続く。だが戦争への批判は帰還兵にも及び…

雇う側はアフガン帰還兵を雇いたがらなかった。アフガン帰りは扱いにくい。いつも、約束されたのにまだ得ていない特権を要求する、と思われていたのだ。

なお、ソ連でのPTSDの研究は意外と早く始まってる。

ロシアで初めて心的外傷に苦しむ兵士の研究が実施されたのは、1904~05年の日露戦争後のことで、陸軍医学校の精神科医らによるものであった。ソ連時代にはこの研究成果はほとんど無視され、第40軍がアフガニスタンに派遣されたとき、精神科医は一人も同行しなかった。

1982年、ソ連政府は帰還兵や遺族への保障を決めるが…

これらはどれも枠組みが決められただけの話で、実際の運用にはさまざまな行政規則を設ける必要があった。規則はいっこうに公布されず、各地の当局はそのことに気づかないか、故意に無視することが多かった。

帰還兵たちは退役軍人組織を作り自衛を図る。エリツィンは退役軍人組織に減税などの優遇措置を講じるが…

アフガン退役軍人組織では、上層部の小数の人々が非常に裕福になった。本来の対象である障害を負った退役軍人への支援金は、資金全体のたった24%――ほかの推計によればたった9%――にすぎなかった。

だがひとつ明るいニュースもある。退役軍人たちの連絡網作りを、インターネットが助けているのだ。

【終わりに】

 他にもカルマル擁立際のKGBの暗躍、遺体安置所係りの孤独、捕虜の扱い、地元民との友好関係の築き方、帰還直前の兵がバザールで大儲けする話、ソ連軍内での横領、各ムジャヒディン勢力の背景、米国下院議員チャーリー・ウィルソンの恥など意外な事実が満載。現在のアフガニスタン情勢を理解し将来を展望するには、とても貴重な一冊だった。

 アフガン帰還兵と言えば、やっぱり姉御。暗い話が多くなっちゃったんで、お口直しに楽しいMADを紹介しよう。題して「バラライカさんの憂鬱」→Youtube

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2013年4月 5日 (金)

ロドリク・プレークウエスト「アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退」白水社 河野純治訳 1

「われわれはあなたがたに会えてうれしい。しかし、できるだけ早くこの国から出て行ったほうがいい」

【どんな本?】

 1979年12月、ソビエト連邦はアフガニスタンに侵攻、現大統領のハフィズラ・アミンを殺し、バブラク・カルマルを大統領に据える。世界各国がソビエトの侵略に抗議し、幾つかの国はモスクワ・オリンピックをボイコットした。山岳地帯に潜むムジャヒディンのゲリラ戦術にソ連軍は苦戦し、疲弊したソビエト連邦は崩壊へと向かう。

 アフガニスタンとは、どんな所か。どんな目的でソビエトはアフガニスタンに侵攻したのか。開戦当時、ソ連はどんな計画だったのか。ソ連軍の内情はどんなものか。軍内の生活は西側とどう違うのか。侵攻はソ連にどんな影響を与えたのか。従軍した将兵は戦争をどう見ているか。赤軍を撃退したムジャヒディンとは何者か。ムジャヒディンはどう戦ったのか。なぜソ連は負けたのか。スティンガー・ミサイルは、どの程度の効果があったのか。

 元英国軍事情報員であり、1988年~92年にはモスクワ駐在大使を務めた著者が、膨大な取材とソ連崩壊に伴い公開された文書により再現する、ソ連から見たアフガニスタン侵攻のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は AFGANTSY : The Russians in Afghanistan 1979-89, by Rodric Braithwaite, 2011。日本語版は2013年2月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約404頁に付録いろいろ。9ポイント46字×20行×404頁=約371,680字、400字詰め原稿用紙で約930枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 翻訳物の軍事物としては、文章は比較的に読みやすい部類。距離や重さなどの単位はメートル法なのは嬉しいが、金額がルーブル単位なのはちと辛い。また、軍の規模を示す際に「○個師団」とか出てくるんだが、軍事に詳しくないとわからない上に、国と時期により師団の規模が違ったりする。Wikipedia によると「6千人から2万人」だとか。組織の単位としちゃ大きい方から 師団>旅団>連隊>大隊。また、「自動車化狙撃(師団|連隊)」とかが出てくるが、ソ連の「狙撃~」は西側の「歩兵~」に該当する(→Wikipediaの自動車化歩兵)。

【構成は?】

  凡例
  プロローグ
第1部
 第1章 失われた楽園
 第2章 悲劇の始まり
 第3章 介入の決断
 第4章 大統領宮殿急襲
 第5章 余波
第2部 戦争の惨禍
 第6章 第40軍出撃
 第7章 国づくり
 第8章 軍隊生活
 第9章 戦闘
 第10章 荒廃と失望
第3部 長いお別れ
 第11章 帰郷
 第12章 橋への道
 第13章 戦争は続く
 第14章 英雄にふさわしい土地
  エピローグ
  付録1 略年表
  付録2 第40軍団の戦力組成
  付録3 七者連合とその指導者たち
  付録4 インドシナ,ヴェトナム,アルジェリア,アフガニスタンの比較
  謝辞/訳者あとがき/写真クレジット/参考文献/出典について/原注/人名索引

 記述は原則として時系列順。冒頭で軽くアフガニスタンの歴史と軍事・政治状況を説明しているので、無理なく本書の内容に入っていける。第13章以降で、従軍した将兵の戦後まで記してるのは異色だが、同時に著者の視点を示してもいる。

【感想は?】

 ソ連のアフガニスタン戦争を扱った本という独特の視点であるためか、いろいろとレアな収穫が多い。期待通り、鉄のカーテンの向こうソビエト関連が垣間見え、ソビエトの勢力図・ソビエト軍の内情・ソ連の民衆の生活が伺えるのが嬉しい。ロシア、特にモスクワあたりの情報は比較的に手に入りやすいけど、中央アジア近辺は滅多にわからないし。

 と同時に、アフガニスタンの軍事・政治・社会状況が見えるのもいい。一時的な政治勢力はニュース等でわかっても、その基盤となっている地方・民衆レベルの感覚はなかなか掴めない。また、周辺国、特にパキスタンの思惑が、かなり明確に見えてきて、現在のアフガニスタン状況の底にある事情が飲み込めてくる。なぜビンラディンがパキスタンにいたのか、とか。

 付録4にあるように、ソ連のアフガン侵攻は幾つかの点でベトナム戦争と似ている。機械化した正規軍が地元のゲリラ戦に負けた事、現地の支持が弱い傀儡政権を大国が支えた事、泥沼に嵌った事、戦場が農業中心の国であり、母国と文化も気候も全く異なっている事、そして悲しいことに帰還兵が暖かく歓迎されなかった事。

 違う所もある。最も大きいのは敵の組織だろう。ベトナムでは比較的に統一された組織が相手だったが、ムジャヒディンは「七者連合」と書かれるように群雄割拠だ。しかも、各勢力同士でも争っている。なんでソ連軍を撃退できたのか謎だが、結局は地元の住民の支持が得られたのが大きかったんだろうなあ。この対立は現在も残っているので、現在のカルザイ政権も基盤は危うそうだ。

 著者はソ連駐在の経験があるためか、あまり悪し様にソ連を罵ってはいない。アフガン侵攻を決めたブレジネフ政権には批判的で、ゴルバチョフには同情的。エリツィンには好意的じゃないけど、プーチンは比較的いい評価をしてる感じ。

 侵攻の背景には、アフガニスタンの共産主義勢力PDPAの内輪もめがある。地方の農村出身者が多く急進的なハルク派 vs 都市出身者が多く穏健派のバルチャム派。政権に就いても互いに粛清しあい、何回かの政権転覆の後、急進的なハルク派が勝ちアミンが権力を握る。毛沢東の中国に倣い強引な変革を進めようとするアミンは多くの敵を作り民衆の支持を失う。

 これを懸念したソ連は穏健なバルチャム派のバブラク・カルマルを政権に据え維持するため、アフガン侵攻を決めた。ところがカルマルもハルク派を粛清し始める。当初はソ連軍を歓迎した民衆も、居座られるのは好まず次第に敵に回る。当然、グルブディン・ヘクマティアルなどパシュトゥンの原理主義勢力やタジク人のマスードなど民族主義者などは、最初から共産主義勢力と戦っている。もともと、四面楚歌だったわけ。

 主導したのはKGB。軍の将軍たちの何人かは「兵力が足らん」と慎重だったが、「すぐ終わるさ」と甘く見たKGBと政治家が侵攻を決める。撤退についても、早くズラかりたいゴルバチョフに対し、「今帰られたら俺保たないよ」と泣きつくカルマルって構図になる。当初は歓迎した一部の民衆も、民家を見境なく爆撃するソ連・共産主義勢力を憎み始める。

 一部のソ連将兵は医療技能を活用して民衆の人身把握に努めるが、焼け石に水。この「医療技術で人身把握」はかなり有効な模様で、アレクサンドル・カルツェフのエピソードは興味深い。医療技術と薬を村人に提供し好評を得たカルツェフが誘拐される。周囲は心配するが、「地元のムジャヒディンの兄弟が誤って自分を撃ってしまったので、カルツェフに治療するよう求めていた」。

 別の顧問の話が、あの土地の複雑さを示している。アフガニスタン軍(ソ連が支援してる側)の戦車が地雷で転覆しアフガン人将校一人が死んだ。一週間後、一人の老人と四人の屈強な男が沢山の武器を抱えソ連人顧問を訪ねてくる。もてなす顧問に対し、彼らは「死んだ男は我々の兄弟だ。我々はムジャヒディン側にいる」と告げる。爆発現場を縄張りとする反政府勢力の指揮官の名を、顧問は男たちに教える。老人たちは顧問に礼を述べ、「復讐を果たしに行った」。そういう土地なわけです、あそこは。

 他にも興味深いエピソードがありすぎるんで、今日はここまで。たぶん次回で終わる…はず。

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2013年4月 3日 (水)

森岡浩之「星界の戦旗Ⅴ宿命の調べ」ハヤカワ文庫JA

「機械相手に神経を使うと、人間相手にはどうでもよくなるんだ」

【どんな本?】

 1996年、SF冬の時代と呼ばれた頃に発表された、遠未来の宇宙空間を駆け巡る本格スペース・オペラ・シリーズが、長い中断の末にやっと再開され、ついに第一部完結。突然運命の激流に投げ込まれた地上人の少年ジントと、<アーヴによる人類帝国>の皇族の少女ラフィールを中心に、独特の社会を築くアーヴという種族や、彼らが独占を企む平面宇宙を舞台とした熾烈な宇宙での戦闘を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年3月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約278頁。9ポイント39字×17行×278頁=約184,314字、400字詰め原稿用紙で約461枚。長編小説としては標準的な分量。文章そのものは読みやすいのだが、このシリーズの醍醐味はルビ。著者が創りあげたアーヴ語(→Wikipedia)のルビが煩くもあり、この作品の味でもあり。

【どんな話?】

 人類が数多の恒星系に植民した遠未来。個々の植民星は孤立しながらも、それぞれは独自に発展していた。平面宇宙を利用する超光速航法を実現した アーヴは、その優位性によって恒星間の通商を支配する反面、惑星上の統治には興味を示さない方針で、<アーヴによる人類帝国>を確立していたが、<三カ国連合>をはじめとする、それに抗う勢力もあった。

 <ハニア連邦>の併合を目的としてアーヴが敢行した雪晶作戦だが、<ハニア連邦>はアーヴへの帝都ラクファカールへの進撃を始める。<陥ちざるもの>の異名を持つ帝都の危機を前に、帝国の反撃はなるのか?

【感想は?】

 前の「星界の断章Ⅱ」が2007年3月だから、なんと6年ぶり。この巻はいきなりアーヴの大ピンチで始まり、そのままずっと宇宙空間?での戦闘場面がギッシリ。肝心のヒロインであるラフィールは片隅においやられ、その分、皇帝ラマージュをはじめとするアーヴの高位の者が描写の大半を占める、キナ臭い巻となった。

 トップの者からの視点が多いためか、アーヴという種族の社会や文化が俯瞰できるのも、この巻の特徴。今までは地上人のジントがラフィールを通した視点で描かれてきたアーヴの文化・価値観が、この巻では皇帝の俯瞰した視点から語られる。基本的に戦闘民族であるアーヴが、皇帝を頂点に抱く貴族制社会を築けばどうなるか。まあ、今までもラフィールが従軍しているわけで、だいたい想像通りではあるけれど。

 ここで面白いのが、アーヴの長命という特質を生かした部隊編成。まあ本土防衛ともなればありがちなパターンではあるけれど、やはりこういう場面は燃える。

 「傲慢にして無謀」と呼ばれるだけあって、帝都に攻め込まれる絶体絶命の危機に陥りながらも、その姿勢はあくまでも優雅で合理的で好戦的。絶望的な状況なだけに、艦から総員退去の場面が何度も出てくるのだが、あわただしくはあっても悲壮さは少なく、消沈しているわけでもない。敗退シーンの描写としては、かなり独特の色がある。

 さて、今までジントの目を通して見たアーヴの世界が描かれてきた。ラフィールと共に従軍し、それなりに馴染んできたジントだが、所詮は地上人。感覚の根本的な部分までアーヴになりきったわけじゃない。ジントが<忘れじの広場>に赴く場面では、異人に混じって生活するジント君の苦労がしのばれる。

 そういえばジント君、軍艦以外の場所でアーヴに接する機会はあまりなかったよなあ。しかも相手は大抵がラフィールだし。軍という特殊で明確な目的を持つ組織内じゃコミュニケーションの文脈も限定されるから、あまし齟齬が出にくいけど、こいういうプライベートな感情が支配する場じゃ、まだ読みきれないかあ。

 そのジントとラフィールのコンビ、この巻ではほとんど出番がなく、ジントはむしろサムソンとの絡みが多い。この二人を見るラフィールの目が、いかにもラフィールらしくて微笑ましい。まあ、確かにジントは妙に頼りなさげではあるけど、あまし追いつめると無理しちゃうぞ。

 やはり感覚の違いを思い知らされるのが、ラフィールの弟ドゥヒールが訓練を具申する場面。さすがに王位継承者ともなれば、あましみっともない格好もさせられないだろうけど。やっぱり王族といえど、姉ちゃんは怖いのね。

 「え?」と思ったのが、冒頭の登場人物一覧。戦闘場面がギッシリともなれば、喜んで大暴れしそうなお方の名前がない。「ま、まさか…」と思ったが…。「もっとも楽な関係は無関係でいることだ」って、酷い言われようだなあw まあ、相手に逆ねじ食わすためには手段を選ばない人ではあるけど。

 長編スペースオペラのクライマックスだけあって、ほぼ一巻まるごと宇宙空間?での戦闘で埋まった最終巻。果たして第二部はあるのか。SFマガジンに番外編も載ったことだし、次は短編集かな?

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2013年4月 2日 (火)

松浦晋也「スペースシャトルの落日 失われた24年間の真実」エクスナレッジ

本書が目指す結論を言おう。

  • スペースシャトルは宇宙船として巨大な失敗作である。コンセプトから詳細設計に至るまで無理とムダの塊だ。
  • シャトルの運行が続いた結果、宇宙開発は停滞した。
  • スペースシャトルに未来があるとだまされた世界各国は、シャトルに追従し、結果として宇宙開発の停滞に巻き込まれた。

【どんな本?】

 既に退役したスペースシャトル(→Wiipedia)。当初は「再利用可能で安上がり、年間50回の打ち上げが可能」と夢のような計画だったが、実際には問題が次々と起こり打ち上げは延期に次ぐ延期となり、年間の最高打ち上げ回数は1985年の50回止まりだった。

 どこが間違っていたのか。なぜこんな事になったのか。そして、今後の宇宙計画はどこに向かうべきなのか。技術面・経済面・そして政治的側面など様々な視点でスペースシャトル計画を見直し、失敗の原因を追究すると共に、その失敗を生み出した米国の航空宇宙産業・宇宙計画を巡る政治的な力学を解明すると共に、初心者向けにロケットの技術的な概要も解説する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年5月15日初版発行。今はちくま文庫から増補された文庫版が出ている…が、なんと目録落ちで残りはたったの400冊(→著者による告知)。在庫は僅少、ご興味のある方はお急ぎを。私が読んだのは単行本ハードカバーで縦一段組み、本文約230頁に加え著者あとがき3頁+笹本祐一の解説4頁。9.5ポイント42字×16行×230頁=約154,560字、400字詰め原稿用紙で約387枚。長編小説なら短め。

 文章は素直で読みやすい。内容的にも、一般向けであり、かなりとっつきやすく、力学の数式や化学式は全く出てこない。最も多く出てくる数字はお金の額。

【構成は?】

 序章 二度と間違えないために
第一章 スペースシャトルとはこんなもの
第二章 スペースシャトルが起こした事故
第三章 そもそも間違っていた設計コンセプト
第四章 世界中が迷惑し、だまされた
第五章 シャトル・ダメージから再起するために
 あとがき/解説――長く険しい道 笹本祐一

【感想は?】

 変化の激しい最先端技術の中でも、特にここ数年の宇宙開発はスペースシャトルが退役し「はやぶさ」が帰還するなと、一つの曲がり角だった感があり、さすがに本書はやや古くなったかな、という気もする。というか既に増補版が出ているので、出来ればそっちを読んだ方がいい。在庫僅少だけど。

 とはいえ、本書の内容の細かい部分は更新が必要だとしても、根本的な部分は今でも変わらない。ひとつは合衆国の宇宙開発が合衆国の政治の影響を強く受けること、もうひとつは技術開発の方向性だ。

 鳴り物入りで登場したスペースシャトルだが、実際に数字を見ると、やってる事は結構ショボい。アポロ宇宙船は38万キロ彼方の月まで人を往復させた(しかも月で離着陸までやってのけた!)のに対し、スペースシャトルはせいぜい高度500km。この数字を見ただけでも、「ならアポロを打ち上げたサターンで良かったんじゃね?」と思うだろう。まさしく、ソレを著者は主張している。

「再利用」という基本コンセプトが、スペースシャトルを巡るすべての失敗の根源にあると言っていいだろう。再利用という間違ったコンセプトを実現するために、間違った技術が適用されることになったのだ。

 基本的な方向性が間違っていた、そのためにイロイロと小細工して繕ったけど無理でした、そういう論調である。実際には細かい設計の問題を挙げつつ、根源に迫る、そういう形を取っているが、普通に読んでいけば「きっとこう言いたいんだろうなあ」というのが、自然と伝わってくる。

 なんたって、ヒトを乗せるのだ。再利用可能とは言っても、部品の劣化はある。それをイチイチ検査し、問題があれば取替え、安全性を確認しなきゃいけない。しかも、再利用可能としたことで、複雑さが大きく増えた。

 最も判りやすいのが、「翼」だ。アポロの場合、地球への帰還船は円錐形のカプセルだった。単純に落っこちてきて、パラシュートでブレーキをかけ、海に着水して浮き袋で浮かぶ。カプセルの形は単純だし、小さいんで、設計も単純になる…などと言ったらNASAの人に怒られそうだけど、あくまでもスペースシャトルと比べた場合の話。

 ところがシャトルは翼がある。これを使うのは帰還時のほんの数分だけで、後の時間はお荷物でしかない。形が複雑になり、空気抵抗も増す。大気圏突入時は秒速10kmぐらいの超高速で、機体周辺は灼熱地獄になる。だからボディ全体を耐熱材で覆うんだけど、形が複雑なら覆うのが難しくなる。「んな面倒な事しないでパラシュートでいいじゃん」と、著者は身も蓋もない指摘をしている。

 といった技術的な側面に加え、心理的な洞察も面白い。「帰還時はエンジンなしのグライダーでいいじゃん」と割り切れたNASAが、なぜ翼では割り切れなかったのか。

 そもそもスペースシャトルは、安上がりを売り文句にしていた。が、結果はバカ高になった。これを巡る政治的な分析も鋭い。大雑把に三行にまとめると…

議会「お金ないからNASAの予算を減らすよ」
NASA「繰り返し使える安上がりなシャトルにします」
議員「俺の州の工場を閉じたら支持者が失業する、仕事よこせ」

 どないせえちゅうねん。
 などと政治的な話の圧巻は、「第四章 世界中が迷惑し、だまされた」「第五章 シャトル・ダメージから再起するために」。ここで展開する国際宇宙ステーションISS(→Wikipedia)を巡る合衆国の思惑と各国の対応は圧巻で、寒気すらおぼえる。何より、根本的な構図は今も変わっていない。

 技術的な面では一般向けとして突っ込んだ話は少ないものの、冒頭から「オービターは地球を回る軌道に着いたら、まずペイロード・ベイの扉を開いて、ラジエーターを動作させなくてはならない」とか、素人には拾い物もチラホラ。ロシアのソユーズの設計思想とかは、いかにもロシアな発想が伝わってくる。

 「今あるもの」を掻き集め実績のある枯れた技術で堅い設計をするか、飛躍を目指し根底から設計を見直すか。エンジニアはしょっちゅう決断を迫られ、たいていは納期の制約で前者を選ぶ。そういう事が度重なると、たまには冒険もしたくなる。前者で成功したのが Linux なら、後者の例は Macintosh だろう。

 宇宙開発の方向性には様々な意見があって、中には「そもそも有人宇宙飛行そのものが無駄」なんて人もいる。予算も実績も少ない日本としては、先導者であるアメリカの実情を把握しつつ、巧く生き延びる方策を探らなきゃいけない。スペースシャトルを題材にとりながら、現在の宇宙開発の勢力図も把握できる本だった。

 繰り返すが、今から読むなら文庫の増補版がお勧め。在庫は少ないので、お急ぎを。

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2013年4月 1日 (月)

SFマガジン2013年5月号

長期にわたって人気を博した作品は、いわば根を張った大樹のような強い印象を残すものだ。全十三巻で完結した丸川トモヒロ『成恵の世界』は、近年のSFコミックにおけるそれの代表格に違いない。
――Media Showcase/COMIC 福井健太

 280頁の標準サイズ。今月は「星界の戦旗Ⅴ 宿命の調べ」刊行記念として、《星界》シリーズ特集。たぶん番外編的な位置づけの短編「介入 星界の断章」に加え,渡邊利通の論評「受け継いだものと切り開いたもの」,シリーズのブックガイドに加え、年表・増補版が嬉しい。なお、年表は「断章」も含めたネタバレを含むので要注意。

 今月の小説は他にジェイムズ・S・A・コーリイ「エンジン」、夢枕獏「小角の城」、梶尾真治「キリアンは迷わない」。それと「オールクリア」刊行にあわせてか、コニー・ウィリスのインタビュウも載ってる。

 森岡浩之「介入」。イラストは赤井孝美なんだが、オッサンとオバハンしかいない←をい。ベリサリア星系の主星である惑星モメンタの首都マウタニア。星系は危機に陥った。惑星の軌道上にスーメイ人の強制執行艦隊が居座り、武力を背景に厳しい取立てを迫ってきたのだ。なんと、主要な大陸であるサトゥルノ大陸を一標準年以内に引き渡せ、と。政府の秘密政調にスーメイ人のメッセージを届けたアルコ・アウゴが見たのは…
 思い出した。この作家、陰険な会話を書かせたら巧いんだよなあ。特に今回は、土壇場の危機下で開催されるマウタニア政府の会議が、実に政治家同士の会話っぽくって、互いにオブラートに包んだ毒を吐きあう様子が、「いかにも」な感じがよく出てる。やがてわかるスーメイ人の手口も、この作者らしいし、最後のアルコ・アウゴのやりとりときたら、もうね。

 ジェイムズ・S・A・コーリイ「エンジン」金子浩訳。ジェイムズ・S・A・コーリイは二人の作家、ダニエル・エイブラハムとタイ・フランクの合同ペンネーム。エイブラハムは「ハンターズ・ラン」の著者のひとり。
 時は未来、人類は火星に植民しはじめた。火星生まれのエンジニアのソロモンは、自作エンジンのテスト・フライトに赴いた。順調に加速がかかり…どころか、順調すぎる。ヨットは7Gを超え、なおも順調にエンジンは稼動している。もう噴射開始から10分が経過した。そろそろ燃料が尽きるか…と思って残量を見る。出発する時は90パーセントだった。今は89.6。そんなバカな!
 強いGでブラックアウト寸前の状況で、ソロモンが回顧する自分の人生。愛する妻ケイトリンとの出会い、地球と火星の政治状況、そしてエンジンの開発。「距離は時間で測られる」ってのは、キナ臭い状況での台詞としては、なかなか意味深。ウイリアム・マクニール曰く「経済、社会の変化の早さからすれば、世界情勢がこの程度の平和を保っているのはおどろくべきである」。かと思えば「ドイツの科学は世界一ぃ~」だったり。

 梶尾真治「キリアンは迷わない」は、怨讐星域シリーズ26話。惑星ニューエデンでは、市民が一丸となってノアズ・アークとの戦闘に備えていた。 14歳のキリアンもワルゲンツィン少年隊の一員として、槍を供与され戦闘訓練に励んでいる。いつものように訓練に出かける途中、一つ年下の幼馴染の女の子 ナタリーに呼び止められ…
 うんうん、あの年頃の男の子はねえ。無駄に煩悩が膨れ上がる上に、ちょうど女の子は見る見る綺麗になっていく頃。おまけに野郎同士の見栄の張り合いもあって、変に硬派気取っちゃったり。

 長山靖生「SFのある文学誌」、今回もヴェルヌ、題して「古代生物と地球空洞説 明治のヴェルヌ・ブーム」として、「地底旅行」を取り上げる。なんと、明治18年に翻訳・出版された蔡には、同じ本の後半が「地質学と動植物進化の説明に充てられているのである」。やっぱり、ヴェルヌはそういう位置づけだったんだなあ。

 冒頭の引用は「成恵の世界」完結を記念して。ハニワ、出てきた時にはきっと一回こっきりのゲストだと思ってたのに、意外と重要な役で再登場したのには驚いたなあ。イマドキ珍しいまっすぐな少年漫画で(いやサービスカットも多々あるけど)、バトルのシーンがありながらも、主人公の飯塚君は戦う人ではなく、煩悩に憑かれた普通の中学生なのもいい。

 光川ゆかり「是空の作家・光瀬龍」。1970年代の話。当事のSFの状況が切ない。「編集者たちはSFをイカサマだと思っていた」って、やっぱり一段低く見られてたんだよなあ。今の「SFって理系っぽくて頭よさげ」ってのも、チト違う気もするけど。「百億の昼と千億の夜」、私は漫画で出会いました、はい。週間少年チャンピオンだったっけ?当時は少年誌で女流作家が書くことすらタブー視されてた感があったんだよなあ。今じゃ荒川弘とかが大暴れしてて、読者もジャンプ少女とかが出てきてる。結局、面白けりゃ作家の性別なんかどうでもいいし、男の子向け・女の子向けってのも、「新鮮な面白い話」なら、あんまし関係ないんだよなあ。絵柄やコマ割りの慣れって問題はあるけど;昔は少女漫画の方が大胆なコマ割りしてた印象がある。こういう性別不問な傾向を「少年エース」とかの新雑誌や、「モーニング」など青年誌が加速させ…ってな事を語り始めると長くなるのでやめよう。

 コニー・ウィリスのインタビュウ。受賞歴で一頁埋まっちゃうのが凄い。「わが愛しき娘たちよ」は衝撃的だった。主流文学がふんぞり返ってるのはアメリカも同じらしく…

偉大な芸術を生むことのできないジャンルもなければ、ゴミを生むことのない良いジャンルもありません――特に現代の主流文学なんて、クズだらけだわ!

 鳴庭真人「MAGAZINE REVIEW」は、アシモフ誌2012年10・11月合併号~2013年1月号。ウィル・マッキントッシュ「向こう側」が二つの世界を同時に描く話で、「ふたつの世界をページを分割してふたつの本文というレイアウトで表現している」けど「キンドルでは正常なレイアウトで読むことができません」。ああ、やっぱし難しいのかあ。ちなみに日本ではかんべむさしの「決戦・日本シリーズ」というのが…

 堺三保「アメリカン・ゴシップ」、新番組「ロボットコンバットリーグ」にびっくり。「操縦可能な人型ロボットをリング上で戦わせる」って、プラレス三四郎かい←古い。どころかサイズが「ちゃんと人間と同じくらいの大きさ」ってんだから、さすがアメリカン。

 次号はなんと「本にだって雄と雌があります」の小田雅久仁が登場。

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