スタンリー・スチュワート「ボーイング747-400の飛ばし方 London to New York」講談社 小西進訳
今日の風向風速は250度から15ノットで、滑走路左に30度振った方向から吹いており、正対成分が13ノット、横風成分は8ノットである。引き起こし開始速度(VR)は158ノットなので、離昇対地速度は13ノット引いて、145ノットということになり、この差は重重量離陸時、とくに高温、高標高では重要なことである。引き起こしのASI(対気速度計)は、むろん158ノットを指しているはずである。
【どんな本?】
英国航空でボーイング747の機長を務めた著者による、大型ジェット航空機の「機長のお仕事」。
ロンドン→ニューヨークの定期航行便のフライトを例に、飛行前後にどんな検査をするか・どんな書類を書くか・計器の意味と見方・管制との交信内容とその意味・離着陸の手順などを迫力たっぷりに描く第Ⅰ部と、飛行の原理・各種計測機器の原理と見方・航法の原理と実際・天候の影響と対応など、パイロットに必要な基礎知識を網羅した第Ⅱ部からなる。
専門知識を持たない一般読者向けの本ではあるが、内要はあくまでも誠実かつ現実的であり、真に迫る描写はマニアも満足させる充実した内容。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Flying the Big Jets, by Stanley Stewart, 1984, 1986 and 1992。日本語版は1993年の第三版を元に2001年2月26日第一刷発行。 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約384頁+訳者あとがき2頁。9ポイント47字×18行×384頁=約324,864字、400字詰め原稿用紙で約813枚。小説なら長めの長編の分量だが、イラスト・写真・各種帳票のサンプルが豊富に載っているので、文字の量はその9割ほど。
訳者は全日空の元機長で著述の専門家ではないが、文章は充分に一般読者向けの商業出版で通用するレベル。実際は大西氏が専門用語などを監修し、文筆の専門化が素人読者向けに文章を整えたんじゃないかなあ。そうすれば正確さと親しみやすさを両立できるし。
とまれ小西元機長の仕事は、かなり親切かつ熱心。London to New York の副題でらかるように、この本は欧米の航空事情を例に挙げる記述が多いのだが、随所で訳者の小西元機長が「日本の空港では…」「日本の航空会社では…」と、日本の事情を訳注で詳しくフォローしている。日本の読者には嬉しい気配りだ。
と、文章そのものは充分にこなれているが、内要はかなりマニアック。ADF・VOR・DMEなどの略語はしゅっちゅう出てくるし、単位系もヤード・ポンド法。単位系はときおり訳者がメートル法で補っているのが嬉しい。管制と操縦士の会話がそのまま出てきたり、徹底的にリアリティに拘っているため、素人は意味を理解するのに時間がかかる反面、現場に居合わせたような迫力を醸し出している。
また、文中に燃料消費量などの数字が沢山出てくる。これを機長になったつもりで計算しながら読むと、面白さが倍増する反面、読むのにやたらと時間がかかる。というか、暗算が苦手な私は時間がかかった。必要なのは加減乗除の四則演算だけなので、その気になれば中学生でもなんとかなる。
第Ⅰ部は「実録・機長のお仕事」で比較的に親しみやすいが、第Ⅱ部は「機長入門」の理論編で、ぐっとハードルが上がる。航路測定・計算の方法、各種機器の原理と性能、運行ルールと現状など。丸い地球を飛ぶわけで、飛行の原理から地軸の傾きまで、幅広い理科の基礎知識が必要になる。といっても、この本は専門書ではないので、義務教育修了程度の理科が判っていれば、なんとかなる。
【構成は?】
まえがき
第Ⅰ部 ロンドンからニューヨークへ
第一章 機長たちの離陸一時間前
第二章 大西洋横断・さまざまな仕事
第三章 あらゆる緊急事態を想定して
第Ⅱ部 安全に飛ばすためのシステム
第四章 395トンの物体がなぜ空を飛ぶのか
第五章 ジェットエンジンの魅力のすべて
第六章 無線とレーダー、確実な通信と識別
第七章 高速で飛ぶ航法の技術
第八章 操縦室では何が行われているのか
第九章 「天候のきまぐれ」を深読みする
第十章 航空管制官と空の規則
第十一章 どうすればパイロットになれるか
訳者あとがき/用語・事項索引
【感想は?】
書名とカバーは親しみやすい雰囲気だが、実は大変にマニアックで突っ込んだ内容の本だった。
というと「専門的過ぎてわけわからないのか?」と思われそうだが、そうでも…あ、いや、確かにそういう部分も多々あるんだけど、むしろ、そういう部分こそ読んでてワクワクして楽しい本なのだ。
基本姿勢としては、素人向けに「機長のお仕事」を解説した本である。そもそも、航空機パイロットというのは大抵の男の子の憧れの職業で、現実にその夢を叶えるのはごく一部の人間だ。身体能力・知能そして精神と、ほぼ全ての面に於いて優れた能力が要求される。なぜ優秀な能力が要求されるのか、その具体的な理由が、この本を読むとよくわかる。
前半はロンドン→ニューヨークの定期運行便のフライトを、ドキュメンタリー仕立てで再現したもの。物語はフライト前から始まり、提出すべき書類と、それを書くために仕入れるべき情報とその意味などを、こと細かく描写していく。発着双方の空港の状況・途中の天候・機体重量・航路の込み具合など。
これらの情報から補給すべき燃料の量・希望航路・代替空港などを決めていく。特に前半を通して機長が最も頭を悩ましているのが、燃料の容量なのが、いかにも民間航空らしい。なんたって、一時間に10トン~12トンもケロシンを消費するのだ。無駄に積めば機体が重くなり、燃費が悪くなる。かと言って燃料切れで事故ったら元も子もない。
この燃料消費量に影響する要素が、やたらと多い。当たり前だが距離が遠ければ沢山必要となる。目的の空港が混んでれば上空で待たされるので、その分の予備が要る。大雪などで閉まった時のために代替空港も必要で、そっちの距離も計算に入れる。その為には目的地の天気予報に注意せにゃならん。
北大西洋路線は混んでて、希望の航路が飛べるとは限らない。これまた飛行距離に影響してくる。高度も指定されて、低高度だと747-400は燃費が落ちる。またジェット気流に乗れるかどうかも大きくて、巧く乗れれば燃費がよくなる。積乱雲は乱気流を伴うので、なるたけ避けたい。また、機体が重ければ燃費も悪くなり…
と、燃料一つとっても、必要な情報と計算は膨大だ。自然条件だけでも大変なのに、政治が問題を更にややこしくする。航空機は常に地上の管制と連絡を取っているが…
ときには同時に二人も、三人もの管制官と交信しなければならない。キプロス上空などでは、トルコ、キプロス、ベイルートとそれぞれに位置通報をするが、三者はおたがいの連絡をまったくとっていない。
加えて単位系の混乱がある。「高さはフィート、速度はノット、風速もノット、距離は海里、滑走路はメートル…」などだが、これも国によって違う。アメリカはヤード・ポンド法に固執し、「ロシアと中国はずっとメートル法を使っている」。高度も表現方法は多々あって、海抜もあれば対地高度もある。実際、高度表現の間違いによるニアミスもあったとか。これらをいちいち換算するんだから、パイロットも大変だ。
航法や着陸手順も、航空機や地上の設備により千差万別。なんと1970年代まで、「太陽による線と推測航法位置から、自機の位置を推定」してた、ってんだから凄い。というか、この航法の部分をじっくり読むと、航空機におけるGPSがいかに革命的か、よくわかる。そして、GPSもない時代に、航空機を目的の土地へ導くのが、いかに難しいかも。ましてや戦争中で無線封鎖、しかも目標物のない海の上で単座ときたら、パイロットの負荷はどれほどのもんやら。
実録仕立てで迫力たっぷりの第Ⅰ部、科学的な原理から歴史的な経緯まで教養を濃縮した第Ⅱ部。加えて航空会社の慣習から各国のお国事情まで、野次馬的な目線で読んでも興味深い話題がたっぷり。メカ好きにはコクピットの計器の意味と読み方、マニア向けには様々なインシデント(事故にはならないが危なかった事例)もあり、旅行者向けに「時差ぼけの対応」までつく充実っぷり。野次馬根性で選んだ本だったが、意外と硬派で本格的な本だった。
ちなみにアニメとかで民間機の左上を戦闘機が機体を左右に振りながら飛んで左旋回したら、「あなたは迎撃されました」とゆーゼスチャーだそうです。
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