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2013年3月 6日 (水)

イアン・マクドナルド「サイバラバード・デイズ」新☆ハヤカワSFシリーズ 下楠昌哉・中村仁美訳

「勝利の凱旋。窓から落ちて恋に落ちる、結婚、それから服葬。窓(ウインドウ)から寡婦(ウイドウ)へ。信じなさい。それが運命なのです。」
  ――暗殺者

【どんな本?】

 「火星夜想曲」で鮮烈にデビューしたイギリス/北アイルランドのSF作家イアン・マクドナルドにが描く、近未来のインド/ネパールを舞台とした連作短編集。2004年英国SF協会賞を受賞した長編 River of Gods のスピンオフであり、SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2013年版」海外編でも4位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CYBERABAD DAYS, by IAN McDONALD, 2009。日本語版は2012年4月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約444頁に加え、訳の下楠昌哉による「新しきインド、新しきイアン・マクドナルド」8頁を収録。9ポイント24字×17行×2段×444頁=約362,304字。400字詰め原稿用紙で約906枚。長編小説なら2冊分。

 正直言って、結構読みにくい。そういうスタイルの著者なのだ。斬新なアイデアを投入しながらも、詳しく説明せず、幻想的な記述で雰囲気を醸し出す。文章も技巧を凝らすタイプで、スラスラ読める娯楽型ではない。それこそがイアン・マクドナルドの味であり、アクでもある。

【どんな話?】

 複数の国に分裂し、互いに睨みあうインドの各国。カースト制度や貧富の差は残したまま、コンピュータやロボットのテクノロジーは大きく発達し、更なる混沌が渦巻くインド。ガンガーには巡礼が集い、若者は最新のインタフェース機器ライトホークを耳朶に装備する。神話とハイテクが交差する土地に、

【収録作は?】

サンジーヴとロボット戦士 / Sanjeev and Robotwallah / 中村仁美訳
 田舎の村アーラウラの近辺が、戦場になった。男どもは大人も子供も野次馬根性丸出しで見物に行く。喘息もちの少年サンジーヴも興奮し、ロボットに惚れこんだ。日本製のアニメに食いつき、インターネットで各国のロボットのスペックを漁り、頭に叩き込む。だが、次に兵士がアーラウラに来たとき…

 ロボットオタクの少年サンジーヴが、現実のロボットとパイロットに出会うお話。出だしは授業中の小学校。たった数行で男の子と女の子の違いを鮮やかに描き出している。幼い頃の憧れが、しょうもない現実を目の当たりにし、また本人の成長と共にどう変わっていくのか。
カイル、川へ行く / Kyle Meets the River / 中村仁美訳
 居留地内のサッカーU-11チームのセンターで活躍するカイル・ルービン。ウイングのサリムとは最初ポジションを争って険悪な仲だったけど、陸軍チームとの試合をきっかけに親友になった。二人は一緒にサリムの惑星に行く。使うのは、最新型のライトホーク。手袋型コンピューターを手にはめ、完全自己受容タイプのライトホークを耳のうしろにかける。全ての感覚が、ライトホークから流れてくる。サリムの父親は現地政府の指導者であり、その子のサリムも最新テクノロジーを使い見せ付ける必要があるんだ。

 これも主人公は少年。テロリストが仕掛けた爆弾が爆発する瞬間も、この年頃の男の子には「すっげえ!」と興奮するイベントになる。国歌復興を支援するため他国から派遣された者が住む居留地で、アメリカ人のカイルが出会った現地の少年サリム。サッカーとライトホークを通じて絆を深める二人と、それを取り巻くオトナの事情。少年時代の一瞬を鮮やかに切り取った短編。
暗殺者 / The Dust Asassin / 中村仁美訳
 ジャイプールの街で昔から反目しあうジョドラ家とアザド家。ジョドラ家の末娘メムサーブ・パドミニは、宮殿の奥で猿の警備ロボットに守られ育つ。必要なのだ、ロボットが。アザド家は、次々と暗殺ロボットを送り込んできたのだから。父はパドミニに囁いた。「おまえは武器なのだよ、パドミニ、われわれがアザド家に復讐するためのな」。だが、事件が彼女の運命を激変させた。

 この本の全体を通し重要な役割を果たすアイデアは二つ、ライトホークとヌート。ここでは、ヌートにスポットが当たる。ジョドラ家の家令として登場するヘールが、ヌートだ。男でも女でもない、中性人。生まれつきではなく、医学的処置でヌートになる。インドには昔からヒジュラ(→Wikipedia)ってのがあるけど、それとも少し違う。対立する両家・貴種漂流譚・意味深な予言と、御伽噺の骨組みを、最新のSFガジェットで肉付けした作品。
花嫁募集中 / An Eligible Boy / 下楠昌哉訳
 デリーの水資源省に勤めるジャスビール・ダヤルは、デンタル・クリニックで歯を真っ白に削り上げた。膚も眉も爪も手抜かりはない。男女の産み分けが実現したのはいいが、今のインドじゃ適齢期の男は女の4倍もいる。ジャスピールは、これから婚活の夜ジャーディ・ナイトに出かける。早く相手を決めないと、両親が勝手に相手を連れてきちまう。

 状況はある意味ユーモラス。けど、現実に少子化政策を取っている中国を見ると、かなり現実的なネタのような気がする。そりゃ年頃の男なら、雑誌を漁ったりして、リア充を目指すよねえ。お高くとまってお節介なラム・タルン・ダスが登場するあたりから、ジャスビール君の特訓には熱が入ってくる。果たしてジャスビール君は彼女をゲットできるだろうか。
小さき女神 / The Little Goddess / 中村仁美訳
 日没に男たちが、わたしを迎えにきました。向かう先は、カトマンドゥ、女神の館。そこで、わたしを含む10人の女の子が試されました。女神が宿る女の子には、32の印があるのです。そこで起こったことは、今でも覚えています。男たちが次々と入ってきては、奇妙な儀式を見せ、その度に他の女の子は泣き出して部屋の外へ連れ出されました。

 ネパールで生神(クマリ、→Wikipedia)となった女性の物語。選抜試験の様子から、彼女が普通じゃない事が伝わってくる。俗世から隔絶されて育つ少女だが、やがてヒトに戻る日がくる。右も左もわからぬ年頃の少女が、どうやって俗世で生きていくか。静かなネパールと、騒がしくエネルギーに満ちたインドの対比が鮮やか。オタク丸出しのアショク君が可愛い。
ジンの花嫁 / The Djinn's Wife / 下楠昌哉訳
 昔々、デリーに、魔神(ジン)と結婚した娘がいました。娘が恋に落ちたのは赤い砦の城壁。彼女はエシャ・ラトーレ。デリーで最高の踊り子。お相手は隣国バラットのもっとも聡明な外交官A。J・ラオ。モンスーンが来なくなって二年、彼女の国オウドはガンジス川の上流にダムを作ろうとしていますが、それはバラットを干上がらせます。二つの国は戦車やロボット攻撃ヘリやミサイルでにらみ合い…

 この世界の魅力がたっぷり詰まった作品。今でもインドはIT教育に熱心だったり、ハイテク立国に余念がない。イギリスの植民地になる前は多くの藩王国が乱立していて、地方ごとに文化が違う。ベンガル州では独立を求める声が強いし、ラジャスタン州の中・上流階級にはかつてのマハラジャを賛美する人が多い。市場はむき出しの資本主義で、大抵のものは定価がなく交渉で価格が決まる。と同時に神殿が随所にあり、バスの運転席には神棚がある。ハイテクを受け入れながらも、昔からの文化はしぶとく生き続け、多様性のカオスが更にエスカレートしたらどうなるか。マクドナルドが幻視するインドを、じっくり味わおう。
ヴィシュヌと猫のサーカス / Vishnu at the Cat Circus / 下楠昌哉訳
 長兄のシヴァことシヴは、バラットでビジネスマンとして成功した。子供の頃から賢かったけど、両親はそれで満足しなかった。だから私ヴィシュヌを作った、ラオ博士に注文して。私は病気にかからない。そう設計されている。そして、脳も特別製で、何も忘れることはない。最大の福音は、寿命だ。平均の二倍は確実。だが、そのツケはちゃんとあって…

 長命人ヴィシュヌの一人称で語られる、この世界を俯瞰した物語。長生きできるってのは羨ましくもあるが、まあ、大変だねえ、いろいろと。今まで仕掛けられてきたライトホークなどのガジェットを存分に活かしつつ、壮大なヴィジョンへと物語りは進んでいく。

 やはりこの本の魅力は、ハイテクと神々が同居する混沌としたインド社会だろうなあ。物語としてのハイライトは最後の「ヴィシュヌと猫のサーカス」だけど、私は「小さき女神」の静かな余韻が好きだ。人の本質まで変革させかねないテクノロジーを描く点はグレッグ・イーガンも同じだが、イーガンが倫理的な問題を突きつけるのに対し、この作品の登場人物は単なる「道具」として自分の価値観に従い使っていく。インドというエネルギッシュで混沌とした競争の激しい、だが同時にドロップアウトした者が選べる道も豊富にある舞台が、それに説得力を持たせている。

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