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2013年3月12日 (火)

司馬遷「史記列伝 二」平凡社ライブラリー 野口定男訳

 淮陰侯韓信は淮陰(江蘇省)の人である。はじめ無位無官の民だったころ、貧乏で何の善行もなかったので、推薦され択ばれて官吏となることもできず、また、商売して生計を立てることもできず、常に人に寄食した。そのため、彼を嫌う者が多かった。
  ――淮陰侯列伝 第三十二

【どんな本?】

 「史記(→Wikipedia)」は、中国の前漢(→Wikipedia)の武帝(→Wikipedia)の時代(紀元前91年ごろ)、司馬遷が著した歴史書で、本紀・表・書・世家・列伝からなる。列伝は、戦国時代(→Wikipedia)・秦(→Wikipedia)・楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い、→Wikipedia)・前漢の頃の有名な人物の伝記集だ。

 平凡社ライブラリーのシリーズは、その列伝を読みやすい日本語版に訳し、三巻にまとめたもの。この二巻では、秦~楚漢戦争~前漢の頃の人物が中心となっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によれば原書の成立は紀元前91年ごろ。平凡社ライブラリー版は2010年12月10日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約478頁+半藤一利の解説「荊軻と日本人」10頁を収録。9ポイント42字×16行×478頁=約321,216字、400字詰め原稿用紙で約803枚。長編小説なら2刷分ぐらい。

 中国の古典の日本語版は、原文や読み下し文を併記している本が多いが、このシリーズは現代語訳の日本語だけを収録している。おかげで文章は比較的に親しみやすいが、それでもかなり手ごわかった。

 列伝は歴史上の有名な人物を多数取り上げ、その人生や著名なエピソードをまとめたもので、当事の知識人向けに書いた書だ。そのため、中国の歴史・社会・制度・文化に通じていないと意味がわからない。文章作法も独特で、慣れるまでは少々戸惑う。人名も最初にフルネームが出てくるが、途中で役職名になったり愛称になったりするので、注意深く読まないと誰のことだかわからない。また、台詞の随所で周・春秋時代・戦国時代の人物や故事を引用しており、読みこなすにはその辺の素養が必要となる。

 などと文句をつけているが、つまるところ、「読みやすさは読者が持つ中国の歴史や古典の教養に比例する」のだ。

【構成は?】

呂不韋列伝 第二十五
刺客列伝 第二十六
李斯列伝 第二十七
蒙恬列伝 第二十八
張耳・陳余列伝 第二十九
魏豹・彭越列伝 第三十
黥布列伝 第三十一
淮陰侯列伝 第三十二
韓信・盧綰列伝 第三十三
田儋列伝 第三十四
樊・酈・滕・灌列伝 第三十五
張丞相列伝 第三十六
酈生・陸賈列伝 第三十七
傅・靳・蒯成列伝 第三十八
劉敬・叔孫通列伝 第三十九
季布・欒布列伝 第四十
袁盎・晁錯列伝 第四十一
張釈之・馮唐列伝 第四十二
万石・張叔列伝 第四十三
田叔列伝 第四十四
扁鵲・倉公列伝 第四十五
呉王濞列伝 第四十六
魏其・武安侯列伝 第四十七
韓長孺列伝 第四十八
李将軍列伝 第四十九
 戦国時代要地図/解説「荊軻と日本人」半藤一利

 第一巻が戦国時代~秦の頃の人物を扱ったのに続き、第二巻では秦~楚漢戦争~前漢の人が中心となる。

【感想は?】

 前に書いたように、中国の古典の素養がある人向け。正直、私はかなり苦しんだ。

 前の巻は戦国時代の頃の話なので、かなり血生臭く豪快な話が多かった。この巻も前半部分は秦の滅亡から楚漢戦争の頃の人が多く、武人が活躍する。中盤以降は漢が安定に向かう時代で、官僚的な人物が多くなる。また、暗殺者を扱う「刺客列伝」や医者を扱う「扁鵲・倉公列伝」など、異色なパートが増えるのも、この巻の特徴だろう。

 いわゆる故事来歴の原典でもあり、特に言及こそされないものの、「これは!」と思うエピソードが豊富なのも中国の古典の面白さ。例えば「李斯列伝 第二十七」。秦の始皇帝の下で丞相となった李斯は、二世の時代に宦官の趙高に陥れられ一族みなごろしになる。権勢をふるう趙高は…

鹿を二世に献じて馬だと強弁した。二世が左右の者に、
「これは馬だろう」
と問うと、左右の者はみな、
「馬です」
と答えた。

 現代でも物語の原型として最もよく使われているのは、「淮陰侯列伝 第三十二」だろう。漢の名将として名高い韓信(→Wikipedia)を扱った章だ。老婆の施し・ならず者の股くぐり・国士無双に続き、やはり盛り上がるのは「背水の陣」。時は楚漢戦争、敵地で趙の大軍に追われる韓信と張耳。前には趙の塁壁、後ろは河。圧倒的に不利な布陣だが。

 大将旗を掲げ前進する韓信と張耳、塁壁を開いて迎え撃つ趙軍。しばしの戦いの後、韓信と張耳の軍は崩れ敗走し、河の前の陣内に逃げ込む。勇み立って追い立てる趙軍、踏ん張って防ぐ漢軍。だがその間に、予め密かに韓信が放っておいた遊撃部隊二千騎が趙の砦に侵入・奪回、漢の赤幟二千をはためかせる。うろたえた趙の兵は壊走し…

 「なんか最近、似たな話をどっかで見たような…」と思ったら三浦健太郎の「ベルセルク」単行本7・8巻収録の「ドルドレイ攻略戦」だった。改めて読み直すと、巧いわ三浦健太郎。戦術そのものは韓信の背水の陣をなぞりつつ、グリフィス・ガッツ・キャスカそしてアドンという強烈な役者で三浦流の物語に仕上げてる。

 まあいい。この後、奇計の意味を聞かて答える韓信の言葉が、これまた深謀深慮に富んでる。

「…わたしは平素から士大夫の心をつかんで彼らをなつけているわけではない。いわば、市井の人を駆りたてて戦闘させるようなものだ。いきおい、死地に置いて各人に自発的に戦わせることをしないで、これに生地をあたえたなら、みな逃げ出してしまうだろう」

 韓信の台詞はどれも味わい深いんだが、やっぱり漢王(劉邦)との会話は有名。

劉邦「わしなどは、それだけの兵に将だることができるだろうか」
韓信「陛下は、まあ、十万の兵に将たるにすぎません」
劉邦「そなたはどうか」
韓信「わたしは、兵が多ければ多いほど、ますますよろしいです」
劉邦「多ければ多いほどますますよいというのに、どうしてわしの禽(とりこ)になったのか」
韓信「陛下は兵に将たることはおできになりませんが、将に将たることはできます」

 名将として名高い韓信に対し、妙にトボけた味わいなのが「樊・酈・滕・灌列伝 第三十五」の灌嬰。元は絹商人だったのが漢王に仕える。騎馬隊を指揮して功績をあげるが、その記述が独特。「部下の兵卒が○○を斬った」ばっかり。軍功はみな部下があげていて、本人は首を取ってない。後ろから指揮する人だったのか、部下を引き立てる人だったのか。騎兵の指揮官ってのは先頭を走るタイプふが多いと思うんだが、どうなんだろう。

 中盤からは漢が安定に向かう時代を反映してか、武官と文官の対立や文官同士の足の引っ張り合いが増えてくる。このあたりは、日本の戦国時代から関が原に向かう頃を髣髴とさせる。異色なのが「扁鵲・倉公列伝 第四十五」で、なんと医者の話。それまであまり怪異は出てこなかったのが、ここでは出だしから怪異譚。

 館舎の長だった扁鵲、長逗留する長桑君を丁重にもてなす。十数年たち、長桑君は秘伝の丸薬と医学書を扁鵲に渡し、「これを雨露で飲んで、三十日たつと、不思議な物象を見る」と語り姿を消す。言われたとおりにした扁鵲、三十日たつと…

塀をへだてた向こう側の人を見ることができるようになった。その眼で病人を見ると、見ただけで五臓のしこりがすべてわかり、病源の所在をつきとめることができたが、ともあく、脈を診て症状がわかるということにしておいた。

 ここでは鍼が出てきたり、リーシュマニア病(→Wikipedia)っぽい症状が出てきたり。

 漢が安定期に向かい、歴代の皇帝は遠方の王や諸侯の力を削ぐため因縁をつけ潰しまくる時代。出てくる人の多くは非業の最期を遂げる。これもまた、歴史の中で繰り返されてきたパターンなんだろうなあ。

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